《過去の雑記》

過去の雑記556件から565件までを掲載しています。

2012/07/09 過去の名曲と最近の新曲と!?

どうやら後輩氏は熟考し、かつ没頭するタイプらしく、ああでもないこうでもないと敵陣に一人、果敢に攻撃を試みようとする。まあ、ペェスというのは人それぞれなわけで、進むべき道も人それぞれ。哲学も人それぞれなんだけれど、でも、彼の成果物を待っていてあげようなどとうっかり老婆心を出すと日が暮れてしまうので、最近のボクはいつも生温かい目で眺めながら、さっさと退散することにする。この退散の見極めを間違えると、あっという間にボクの貴重な一日は、何も生産しない不毛の大地と化す。

大事なのはペェス配分だ。時間って有限なので、何にどれだけの時間を割くかが肝要で、そのためには省略すべきプロセスがたくさんあるし、泣く泣く諦めて切り捨てるプロセスもあっていい。その辺の見立てが出来るようになれば、彼ももう少し有望な後輩くんになれるだろう。だから、今は頑張れ、と思って眺めている。ここで辛抱して、手を出さず、彼に全部、任せてあげることが、今のボクらにとっての最良の策だと信じている。

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「最近、さっぱりCDが売れない」。そんな話を聞くようになって久しい。確かに身近にあったCDショップやレコードショップの類は、まるで消失同盟に参加しているかのように、気づけば稀少な存在になっている。その原因は何だろうか。

その辺のことについて、ネットのニュースで面白い特集をやっていた。CDが売れないのは、音楽配信のせいだろうか。つまり、CD販売が音楽配信に取って代わられているために、CD販売が減っているのではないか。でも、実は、一般に考えられているほど、音楽配信も伸びていないのだという。つまり、CD販売で減った分が、そのまんま音楽配信で増えた分にはなっていないのだという。音楽配信も含めて、音源の売り上げは伸び悩んでいるというわけだ。

それじゃ、人間が音楽を聴かなくなったのかというと、それは違う。何故なら、昔はCDプレイヤーがなければ音楽は聴けなかったのに、PCでもスマホでも、ありとあらゆる場面で音楽が聴けるようになったのである。だから、トータルとして、音楽を聴ける環境は広がっているはずである。

違法ダウンロードのせいだろうか。そういうこともあるかもしれない。CD販売や音楽配信に拠らなくても、mp3の音源はオンライン上に転がっていると言えば、まあ、確かにそうかもしれない。あるいは、違法じゃないにしても、今や、事務所もYoutubeに公式のアカウントを持っていて、そこで新曲のPVなんかを配信している場合があって、これをダウンロードしてしまえば、音源を購入する必要はないといえばない。また、初音ミクみたいなVocaloidも含め、Youtube等を活用した素人の音楽配信の場も増えたので、プロのミュージシャンの活動の場は、相対的には、こういう素人によって狭められているのかもしれない。

でも、だ。ネットのニュースの記者の見解はちょっと違っていた。それが面白かったので、紹介しておこうと思う。すなわち「新しい音楽」じゃなくてもいいという文化の台頭が、CDが売れない原因だというのだ。大昔には、CDを入れ替えるという作業があったので、仕舞い込んだ過去の名作は、引っ張り出してこないと聴けなかった。でも、今はPCやスマホの中にデータとしてストックしてしまえば、どこでも簡単に過去の名作にアクセスできる。わざわざ新しい楽曲を持ってこなくても、過去の楽曲をとっかえひっかえ聴ける環境にあって、だから、今のミュージシャンたちは、そういう過去の名作と相対しなきゃいけないというわけ。

聴き手にとっては、新しいも古いもない。しまい込んで引っ張り出すという手間がなくなった分、新譜も旧譜も、同じ土俵に並べられてしまった。だから、新しい楽曲が売れなくなったのだというわけである。

なるほどなあ、と思った。ボク自身、古い音楽を聴いている。歳をとったのかなあ、と思っていたけど、確かに新しい楽曲も古い楽曲も、ボクのPCの中じゃ、平等だ。平等にランダムに流れていく。

そういう意味じゃ、なるほど、難儀な時代よね?

2012/07/08 正義について語る!!

今日は大学時代の研究室の同期・トム氏の結婚式。オメ。何だか彼には楽しい人生が待っているような気がする。彼の伴侶と決めた女性は、ものすごいエナジィを持っていて、周りの人を巻き込みながら、人生を謳歌している。だから、きっと楽しいだろう。だから、彼自身が一緒に楽しめるかどうかだ。エンジョイ・ウィズ・ハー。

彼はドクタまで行って研究機関にお勤めなので、大学時代の先生や同期、先輩、後輩なんかが一同に会した感じ。大学時代って、人間、過激なわけで、それを知っている彼らとの遭遇は懐かしいやら恥ずかしいやら……。

大学時代って社会のために何をなすべきか、について真剣に議論していたような気がするので、友人たちは「戦友」ってイメージに近い。過去にも戦友だったし、これからも戦友であり続けるわけだ。だから、すごく何をやっているか気になるし、彼らの一挙手一投足がものすごく刺激になる。たまーに、こうやって顔を合わせてディスカッションするというのは、いいものだな、と思う。

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音楽によって心洗われることもあるし、気分が高揚することもある。ストレス発散になることもあるし、感涙することもあるし、ぐっすり眠れてしまうこともある。音楽によってその効用はさまざまで、そしてその効用は予想以上に強力だったりする。

音楽って、こんなにも人間を感動させるし、また、疲労困憊させることができるんだな。音楽の持つパワーを改めて痛感させられた今日だ。

2012/07/07 草刈りボンバー!!

本日はアパートの周辺の草刈り。年に2回の一大イベントだ。軍手に鎌という完全装備で臨むものの、前日の雨で雑草は水を吸ってたくましい。雑草群の中には「どうだ!」とばかりに腰の高さくらいまで育った反骨精神旺盛なヤツもいたりして、午前中いっぱいかかってしまって、ヘトヘトになった。久々に運動したなあ。それにしても、こうやって年に2回くらいはアパートの住人全員で顔を合せて共同作業をするというのも大切だ。お互いの人間性も分かるし、何かあったときにお願いできることもあるかもしれない。

その後は何もやる気が起きなくって、ひたすらネットサーフをする。大抵はようつべを観るボクだけど、本日はデイリーモーションを観ていた。デイリーモーションの方が読み込みには時間がかかるし、検索しにくい。ウェブサイトとしてのユーザビリティも悪い。でも、画質がいい。それに規制の具合がまだまだ緩い。テレビの番組とか、45分くらいがそのまんま載っかっているような惨状で、これって大丈夫なのかなあと心配にはなるけれど、でも、規制が緩いということは、ようつべに比較して閲覧人口が少ないということなのだろう。素人の愚にもつかない動画とか、タイトルと合致しない釣りの動画が少ない。アフィリエイタも少ない。だから、楽しみを阻害される回数が少ない。それがいい。ユーザビリティさえ改善されれば、きっと、こっちにも人が流れてくる。そうしたら状況は同じになるのだろう。だから、今が狙い目だ。

2012/07/06 てんやわんや金曜日

てんやわんや。本日はいろんな部署から難問が舞い込む。どれもこれも、後出しジャンケンみたいなもので、分かっていたのに報告もなく、ずるずると来て、どうにもならなくなってから我々の部署に報告が来て事態が露呈したという感じ。こらこら。ちゃんとやってください。お願いしますよ、ホントに。そんなこんなで対応に追われて経常業務が滞る。

大切なのは、早めの報告と対応。時が経てば経つほど、対応が難しくなる。選択肢が少なくなるし、検討の時間も少なくなる。何よりも上司のウケが悪くなる。

他人の振り見て我が振り直せ。なので、気をつけなければいけないと身を引き締める。

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クロワッサンを買った。石川町駅のサンマルクカフェ。先日、東京へ出張したときに、たまたまお昼を食べる時間が取れなくて、通過駅の石川町で飛び込んで昼食にした。そのときに食べたチョコクロワッサンが案外おいしかったので、ちぃ子にお土産で買って帰ろうと思ったのだ。

練乳が入ったベトナムコーヒーとか、大福クロワッサンとか、随分、変なメニューが多いので、面白いな、と思っている。職場の最寄駅なので、頻繁に利用できそうだ。

2012/07/06 天才・伊坂幸太郎の描く死神世界!!

伊坂幸太郎の『死神の精度』を読んだ。今週は結構、外に出る機会が多かったから、電車移動の往復で読んでいた。「死神と藤田」は車中、号泣してしまいそうで危なかった。うっかり油断しているとこういうことになる。いつも感動系の本は電車で読まない方がいいと思うのだけど、感動系かどうかは読んでみるまで分からないので大抵の場合、事態は改善されない。『ONE PIECE』は家で。これが合言葉である。

閑話休題。この本では、死神は死の対象となった人間の傍に出現し、7日間の調査を持って、死を「可」とするか「見送り」にするかを決定する。けれども、基本的に彼らは仕事熱心ではないし、人間の生死には興味がない。だから、大抵の場合、「可」として報告される。そんな死神と人間たちの6編の短編集である。

そんなわけなので、物語は必然的に、死神が調査対象者を「可」とするか「見送り」とするかの判断に焦点が行くのだろう……などと思って読んでいると、伊阪幸太郎はそんなに単純じゃない。彼は捻くれているのだ。そして、非常に論理的なのだ。

1話目の「死神の精度」はタイトルのとおり。想定どおり、死神の生死の判断に対する「精度」に物語の焦点が当てられる。どういう「精度」なのかは、まあ、読んでのお楽しみ。でも、これが伊坂幸太郎っぽい。そして非常に面白い。続く「死神と藤田」はハードボイルド。これも文章は非常に伊坂幸太郎っぽい。でも、多分、オチに度肝を抜かれると思う。この死神が藤田という男の死を「可」とするか「見送り」とするかという次元じゃないところに物語が収束していく。「ズラされた!」という感覚だ。さらにぶっ飛ぶのが「吹雪に死神」。雪山の山荘で次々と起こる殺人事件……というミステリィなんだけど、この物語のオチは、多分、驚愕する。「恋愛で死神」は対象者が死ぬところから始まり、そこから8日前に遡って物語が進む。つまり、最後に「死」という悲劇が待っていることが分かった状態で、物語が進んでいく。だから、登場人物たちはハッピィだけど、読者の頭には常に「死」という結末があって進んでいく。そういう構造の物語。「旅路を死神」はこれまでと殺人犯の物語。だから読者としては多分、「可」でも「見送り」でもいい。彼に感情移入しない。でも、現実感のない薄っぺらい感覚で生きている男性の描写がいい。そして「人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ」という文章が利いている。死は誰に対しても平等だ。一生懸命生きていても、茫洋と生きていても、死神はやってくるわけだ。「死神対老女」は連作の最終話として最高に巧い。何が巧いのかを書いてしまうとネタバレになるので書かない。後日談的なエピソードって、どうなるか分からないから魅力な部分があって、本当は書かない方が素敵な場合が多い。でも、こういう形での提示の仕方だと、何だろうな。現実ってこんなものかな、という感じで、それがすごく乾いていていいかな、と思わされた。……ん? 何を書いているか分からない? まあ、分からない人は読んでみてください。

そんなわけで、伊坂さんの頭の中って、すごいなあ。もう、一度決めた設定は徹底的に使い倒すという感じ。技巧的。特に作り手サイドで考えると「吹雪に死神」は秀逸。多分、思いついてしまったから書いたんだろうと想像できる。だから、異質と言えば異質な作品。その点ではバランスは欠いているかも。そういう意味じゃ、作り手のひらめきと作品の面白さのバランスが絶妙なのは「藤田と死神」かもしれない。このくらいのズラしが最適解だ。


死神の精度 (文春文庫)

2012/07/05 グロッキィな木曜日

昨夜は徹夜で大宴会。こんな学生みたいなバカをやれる仲間が大人になってもいるというのは素敵なことだ。そんなこんなで、今日はお仕事はお休みディ。グロッキィな木曜日だ。

昨夜は結構、しんどかったなあ。記憶は曖昧模糊としている。曖昧模糊とはしているものの、喋った内容については非常に明瞭に記憶している。おぼろげなのは喋っている相手の顔と場所だ。それがとっても不思議で、こんな感覚は、多分、初めてのこと。人間の思考回路って不思議だな、と思う。

ボクの場合、アルコホルを呑んでも、いつも記憶は明瞭だ。大抵、何から何まで憶えている。憶えてはいるんだけど、でも、理性が働かない。制限のリミッタが外れるというのかな。規制が緩くなり、そしてたまに暴言を吐いている(こらこら!)。

でも、今回の場合、非常に中途半端な感じ。果たしてこの内容を誰と喋っていたのか。どこで喋っていたのか。全ッ然、分からない。でも、ちゃんと話している内容と相手からのレスポンスについては、憶えているのだなあ。

しばしば、アルコホルを呑んで記憶が飛んだなんて話を聞く。ボクももう少し呑んでいたら、記憶が吹っ飛んだのだろうか。うーん。少なくとも、望ましい結果は得られないだろう。

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あ、そうそう。看板のないお店は危ないぞ。一緒にいたハズの仲間が、いつの間にか夜の街に消えていた。どうやら夜の街に8万円程度ぼったくられたらしい。単独行動するからいけない。ご愁傷様。歌舞伎町は怖いところよ?

2012/07/04 お好み焼きなんてなんぼのもんじゃ!!

月に1回の本日の委員会は、内容が英語だったり専門的だったりするので、なかなかコメントできなかったりするんだけど、「今年度は会議等で1回以上は必ず発言する」という目標を立ててみたので、積極的に攻めてみる。

英文を読みながら、違和感を感じたところを突っ込んでみる。結果、意外とみんな、英語はいい加減だということが分かる。みんな、何となく雰囲気で理解している感じで、実は厳密なところまでは理解できていないようだ。質問してみて、それが分かった。何だ。これならボクも交ざれるではないか。ふふふ。

その上、今日はボクの発言が反映されたので、無理矢理にでも、何か言ってみるもんだ。目標を立てて、実践してみた結果、早々に結果が返ってきた。

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会議の後は打ち上げ。屋形船に乗って、勝どきから海へと繰り出す。東京タワーやレインボーブリッジ、お台場を遊覧。さすが月島だけあって、船上料理は「もんじゃ焼き」。粉っぽくないので、ボクは個人的にはお好み焼きよりももんじゃ焼きの方がスキだということに気がついた。

2012/07/03 行間で勝負!!

今日はボクらの結婚式記念日だったので、大急ぎで家に帰る。

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人に何かを説明するのって難しい。こういうのは、どれだけ相手の立場に立つことができるかにかかっている。

議事録の場合、ボクは説明過多だ。誰が読むか分からない。分からない人が読んで分かるように書く。自分でも、ちょっと過剰サービスだなあとは思うんだけど、でも、ボクはあんまり気にしていない。読み手は読みたいところだけ読めばいい。最初っから興味のある人が読むのが議事録。だから、取捨選択はいつも読み手の側に与えられる。分かっている人は流し読みすればいいのだ。

企画書だったら、それはダメ。説得したい相手が欲しい情報だけを書く。それに尽きる。何しろ、読んでもらえなかったらアウトだから。

口頭説明は、臨場感のある現場だ。相手が、もう飽きているな、と判断できてしまうような場合には、多分、説明過多だ。相手が、用意したペーパの次のページを読んでいるようなら、もう、圧倒的に説明が多過ぎる。その辺の見極めって、非常に重要で、ボクは案外、そういうのは得意だ。むしろ、ボクの場合は反対。ボクの場合、ほとんど何も説明しない。さらっと説明してしまう。それで様子をうかがって、補足する。やがて相手が質問してくる。その質問に答える。そうこうするうちに、お互いが分かり合えるようになる。口頭説明の場合、情報を制限しておく方が、案外、うまく行く。惜しみなく全部情報を流した上で高度な質問をされて答えられない……というパターンは最悪だ。

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そんなわけで、後輩くんが頑張って説明しているのをヤキモキしながら眺めていた。書いてあることは全部読まなきゃ気が済まないようで、しかも仕入れた情報も全部、説明しないと気が済まないようで、相手は、もう、次のページを読んでいくし、質問もどんどん高度になっていくし、あたふたしている。

ボクは、横から眺めながら、別のソースからの情報を思いついたかのように付加してやる。課長の興味がこっちに向く。そうしたら、後出しジャンケンの要領で、ゆっくりと情報を流していく。質疑応答。そして満足。結局、相手は質問をしたいのだ。質問をして、回答があって、そしていくつか課題が発見されて、次回までの宿題が生まれる。これが出来れば、それで打ち合わせなんてものはおしまいだ。

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そんなわけで、一瞬、難航するかに見えた説明も無事終わって、こうして、無事に結婚式記念日を祝うべく、家に辿り着いているのである。

2012/07/02 旅の仲間、二つの塔、そして王の帰還……

友人たちと旅行に行っていたちぃ子(奥様です!)が本日、帰宅する。たまの一人というのも、何だか独身貴族みたいな気分になって、楽しい。

でも、当たり前のことだけど、家のことは全部、自分でやらなきゃいけない。料理を作ったり、洗い物をしたり、と大変だ。独身時代には一人でやっていたことでも、ずぅっとちぃ子にやってもらって、慣れてしまって、そして気がつくとぱっと出来なくなる。何が大変って、まず物の保存場所が分からない。多分、ちぃ子にはちぃ子のルールとか理由があっての収納なんだろうけれど、ボクにはまるで分からない。冷蔵庫の中身も把握できていない。そんなわけで、何をするにしても、まずは現状把握から開始する。これって大きなビハインド。一気に自堕落になる。

元々、根はだらしないの。だから、ちぃ子がいないと、夜はいつまで経っても寝ないし、朝ごはんは適当だし、台所には食器が積み上がる。明け方、5時くらいに起きだして、まとめて食器洗い業務に従事。律する人がいないと、この体たらく。

「自由」というのは難しい。自由に慣れるまでに時間がかかるのが最大の難点。それに、時間の使い方がうまくないと、満喫できない。二人で暮らすというのは、時間的な制約は大きい。食事の時間、眠る時間なんかを合わせなきゃいけない。でも、その反面、ペェスは掴みやすいので、時間がキッチリと使える。そして、二人で暮らすペェスに慣れてしまったボクだから、乱れたペェスに慣れるまで四苦八苦。そんなこんなで、もう、ちぃ子の帰還である。

2012/07/01 インサイダたちの冒険

今日はちぃ子(奥様です!)が出掛けている。かつての職場の同僚たちと、伊豆の方にプティ旅行。最近の彼女はアウトドア派になった。積極的に外界と接しようという強い想いを感じる。とてもいいことだな、と思う。ボクが「奥さん」という言葉に抱く恐ろしいイメージのひとつは、家のことしか知らない世間知らず。彼女は、結婚してしばらくはそんなベクトルを持っていたんだけど、ようやく一段落。自分の身の振り方について、真剣に悩んでいるらしい。

不思議なことだけど、家に一人でいるとき、意外とボク自身は外に出ようと思わない。外に出るのが億劫になる。普段、仕事で外に出ているから、閉じこもりたくなるのかもしれない。むしろ、彼女に連れ出される感じで発生するイベントが多い。でも、それじゃダメだよなあ、と彼女のプラスのエネルギーに感化されようとアンテナを広げてみる。

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家の近くの「やまや」がリニューアルしていてビックリした。ああ、そうそう。ボクはこれまでのところ、常に「やまや」のある生活を送っている。青葉台に住んでいるときには駅前に「やまや」があって、今回の家の近くにも「やまや」がある。そして、今度は職場が引っ越した先にも「やまや」があって……。「やまや」ってどこにでもある酒屋なのかと思っていたら、横浜には3店舗しかない。その3店舗がたまたまボクの人生において、常に生活圏内にあるのだから、不思議な縁だ。

本日はバカルディのホワイトとゴールドの2本を購入。モヒートを作るのに、ホワイト・ラムを使うメニューとゴールド・ラムを使うメニューとがあって、どっちが美味しいだろう。そんな疑問を解決するために、同じバカルディという銘柄で比較してみようというわけ。ふふふ。まあ、乞うご期待。

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