《過去の雑記》

過去の雑記506件から525件までを掲載しています。

2012/08/19 システムの新設と更新!?

ファンタジィ事典miniをガンガン更新中。とは言え、特に表に出て来るような更新作業ではない。裏でせっせと改訂作業を進めている状況。体裁を揃えたり、リンク切れを修正したり、スペルを修正したり、CSSを変更したり……。

実はこういうマイナ・チェンジは、アウトプットとしての成果に繋がらないのでやっていても全ッ然、面白くはない。でも、こういう細かいところが間違ったまんまだったり、デザインがちぐはぐだったりするのも気持ちが悪くって、我慢できない性格なので、どうしても、ちまちまといじってしまう。

この辺のバランス感覚って大切で、あるところまでで我慢して切って捨てないと、前に進めなくなる。過去につくったものは過去につくったものとして、そこで断ち切って、えいや、で前に進んでいかないと、新しくつくれない。だから、ギリギリのところまで我慢しているんだけど、やっぱりボクも成長するし、客観的にもなるし、冷静になったりするので、限界を超えてしまうと、過去に立ち戻って修正する。創作の場合、当時の表現には、それはそれ、それなりに価値がある。でも、ファンタジィ事典の場合は、そういう価値ってなくって、あくまでも情報なので、気に入らなくなったらどんどん直してしまう。直す作業と新しいものを生み出す作業と、どっちが大事だろう。

でも、それって何事もそうだ。システムっていうのは「新設」と同様に「更新」が必要。そして、既存のシステムが大きくなって行けば行くほどに、更新の需要も増えていく。そのバランスを間違えると、システム構築に失敗する。難しいなあ。

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久々ギリシア・コーヒーを淹れて飲む。懐かしい。

ギリシア・コーヒー!

2012/08/18 ヴァーチャル・リアリティ?

近所の団地でお祭り。駅前のお祭りとは違って、こっちは結構、本格的。ぼんぼり(雪洞って書くんだ! 知らなかった)に灯りが灯っている。人の集まりもすごい。櫓(やぐら)を組んで、盆踊りが始まる。ちゃんと、太鼓もあって、地元の人が叩いている。

幻想的雪洞!

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サイバーエージェントの提供しているオンライン・サービスのアメーバピグ。ピグライフ、ピグアイランドに続いて、ピグカフェが始まった。そのうち、今度はピグワールドが始まるという話だ。アメーバピグって、ひとつの仮想現実の姿だと思っている。だから、注目している。

今じゃ、ドラクエもオンライン・ゲームになった。自分の家を作って、そこに家具なんかを配置できるらしい。こういう形の遊びって、誰が始めたのか分からないけれど、でも、少なくともアメーバピグは、そうやって成功したゲームのひとつだ。仮想世界に自分だけの家を構築するというのは、面白い試みだと思う。だって、みんな、自分の家が持ちたいのだ。で、お気に入りの壁紙、床、家具なんかを置いて飾りたいのだ。それを仮想世界でありながらも、体験できるというのが面白い。

ピグライフは自分で作物を収穫したり、家畜を飼ったりしながら、結局、家と庭を自分の好きなようにアレンジしていくゲーム。ピグアイランドは、あちこち島を探索して、木材や鉱物、草花なんかをゲットしながら、自分の島を好きなようにアレンジしていく。そして、今回のピグカフェは、料理をつくってカフェを経営するわけだけど、カフェの内装やテーブル、椅子の配置を自分の好きなようにアレンジできるのだ。

エンジョイ・ピグ♪

ちなみに、これらに続くピグワールドは、町全体をアレンジする。まあ、シムシティみたいなゲームだから、これは昔に逆戻りな感じはするんだけど、どうだろう。

結局のところ、どんなにきれいに家や庭、島やカフェを飾ってみても、本当は仮想世界の出来事だ。しかもモニタ上にデータを表示しているだけなので、データそのものは丸っきり取得していないわけで……。それでも、ものすごく楽しいのが不思議なところ。その上、この仮想世界に対して多額の資金投入している人も多数いるわけなので、もう、仮想世界と現実世界の区別って、非常に曖昧だ。実際に家を買って、家具を買ったらいくら掛かる? 島をひとつ購入しようなんて、どうやったら出来る? 仮想現実で満足できてしまうのなら、こんなに安上がりで楽ちんなことはない。実にうまい商売である。

2012/08/17 トンカチでポカン! 「悪人」への制裁の話

大津市の教育長がハンマーで殴られたらしい。ざまあみろと思う人もいるかもしれない。その気持ちは分からないでもない。やっぱり、理不尽な発言をしていたから、因果応報と思う部分もないわけではない。だけど、普通に考えたら、ハンマーで人を殴るって許されることではないし、異常な行動だ。

世論全体が、何となく、権力に対して罰を与える行為に対して賛同する風潮がある。メディアが、そう仕向けている部分もあるかもしれない。匿名掲示板みたいなところの「無責任さ」がそういう発言を助長させるのかもしれない。

イジメっ子とその親の情報を晒すことを是としてみたり、こうやって教育長をハンマーで殴った犯人を英雄視してみたり、そういう雰囲気が社会全体、特に若者の間に蔓延していることが、すごく怖いことだと思う。異常なことだと思う。

韓国人サッカー選手がオリンピックの場で竹島の領有権を主張するパフォーマンスをした。でも、多くの韓国人にとって、それはおかしな行為に映らないらしい。そういう社会的、文化的なイデオロギーってある。

最近の日本人も、そういう風潮があって、「悪人」となるとみんなで寄って集って叩く。特に権力者とかお金持ち、有名人だったりするとそう。そういう風潮がある。怖いなと常々思う。

2012/08/16 創作と「無料」の話

最近じゃ、音楽事務所がyoutubeなんかで公式にPVを公開しちゃったりしている。まさに出血大サービスってヤツだ。商品の無料提供みたいなイメージ。そりゃー、画質は落ちる。音源の音質も低い。だけど、所詮、大多数の人はiTuneみたいな無料のソフトウェアで音源をmp3に変換して音楽を聴いている。ステレオビットレートをガンガン下げて、1曲5MBくらいにして、iPodやらスマホやらに入れられるだけ入れて聴いている。大体、電車の中のような騒々しい場所で音楽を聴くのだ。だから、正直、音質なんてどうでもいい。そんなに厳密に音質にこだわって聴いていない。そういう音楽の聴き方が大多数だと想像したときに、公式にPVを公開したら、大衆はそれをコピーしてmp3にしてiPodに格納したら、それでおしまいではないか、と思う。

多分、ボクがアーティストだったら(ボクはアーティストじゃないけど!)、戦略として、ワン・コーラスだけを公開するだろうと思う。続きが聴きたい人は音源を購入してね、というイメージ。あるいは発売日前後の1、2か月くらいをプロモーション期間を位置づけて、期間限定でPVを公開する。プロモーション期間が終わったら削除してしまう。そうすれば、もう一度、あの曲が聴きたいな、という人は音源を購入してくれるだろう。

だから、本家本元の音楽事務所がyoutubeにフルPVを載せるなんていうのは、なんか、もう、出血大大大サービスって感じがする。こういうプロモーションで音源の販売が促進されるんだろうか、と他人事ながら心配になる。

2012/08/15 독도는우리땅

日々の出来事を綴ることだけが「日々の雑記」ではない。思ったこと、感じたことを書き記すことの方が、多分、本質的には「日々の雑記」の趣旨に近い。だから、あんまり「出来事」に囚われないようにしようとは心掛けた方がいいだろうな、と常々感じている。

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韓国サッカーチームの選手が「독도는우리땅《独島(竹島)は我らの領土》」と掲げてグラウンドを走った出来事がセンセーショナルに報道されている。オリンピックに、政治的行為を持ち込んではいけないという崇高な理念があるなんて知らなかった。でも、そういう規程を作らなきゃならないほど、オリンピックという場が、政治利用されやすいイベントなのだということも、改めて思い知らされた。まあ、でも、そうだよなあ。アピールするには絶好の場だ。

今後、どうなっていくんだろう。チームとしてメダル剥奪まではいかないだろうとは思う。でも、選手個人としては剥奪されるかもしれない。ルールとして規程されている以上、ルールから逸脱してしまったら、もう、言い逃れはできない。IOCの決定に身を委ねるしかないのだ。

それにしても、教育とかイデオロギーって怖いな、と感じる。韓国の反日感情というのは、根が深くて強い。こういうのは、社会教育とかマスメディアの報道姿勢とか、そういうのによって形成される世論なんだと思う。ああやって公の場で堂々と領土問題を掲げられるくらい、韓国の若者は愛国心があるのだと思うし、反日の感情を植えつけられているのだと思う。これは彼個人の問題じゃない。だから、彼一人を制裁するのは、本当は可哀想な感じもする……という見方もできる。

日本人も反韓思想は昔っから根強い。「在日」に対する差別も強い。2ちゃんねるなんかじゃ、そういう黒い感情が吐き出されていて、ときどきビックリする。でも、それでいて韓流ブームとか騒いじゃったり、連日テレビでK-POPを流しちゃったりする。ごちゃまぜでいい加減な感じがすごく日本らしい。でも、何もかも曖昧なまんま進もうという日本人の姿勢は、ときに危険でもある。

2012/08/14 絶賛、動機づけ中!!!

第三者に動機付けするというのは難しい。でも、実のところ、それがボクの仕事である。意外なことに(意外でもないかもしれないが)、他部署の業務の執行を管理するのがボクの主要な業務である。執行部署は、一所懸命、執行しようと頑張っている。そりゃそうだ。頑張ってくれなくっちゃ困る。でも、やっぱり一所懸命なので、ときとして周りが見えていなかったり、トータルでの判断ができなかったり、部署をまたぐような内容に踏み込むと戸惑ったりする。それを外部から客観的な目線で眺めて、適切に指導して、遅れがあったり、トラブルが拡大しないように取り計らうのが、いわゆるボクの部署の仕事である。

結構、上から目線になりがちで、ガンガンと叱りつけるパターンの人もいる。「どうしてこういう検討を事前にやらなかったんだ!」と怒鳴ってみたり、「遅れているんじゃないのか!」と言ってみたりするわけ。でも、最近になって思うのは、そういうのは、相手が委縮するだけである。そして、やがて本当に重要な情報を持ってきてくれなくなる。

そんなわけで「動機付け」が大切だと感じている。結局、事業というのは執行部署がしゅくしゅくと進めていくわけ。ボクたちが何かを形にして行くわけじゃない。ボクたちは、それをサポートするしかない。彼ら自身が適切に機能して、適切な判断をして、適切に執行管理してくれれば、極論、ボクらの部署はいらない。でも、内部的な管理では難しいから、ボクらみたいな外部的な管理が必要になる。

というわけなので、内部の側がいかにして自発的かつ能動的に機能して、判断できるようにしていくか。その動機付けのために、いろいろなツールをつくったり、きっかけを提供したりするのだ。

2012/08/13 雑記システム構築中

先週、ハイ・フィーバでほとんど仕事に行けなかったので、今週は大変だ。病み上がりの自分、Fight!!

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ここ数日、ウェブサイトの更新作業を頑張っている。更新作業といっても、ほとんど「日々の雑記」である。実はここ1か月くらいの間に、VBAで「雑記システム」を構築してみた。Excel上で日付と記事のタイトル、ジャンルをコントロールして、日々の雑記をメモ帳に書いて日付のファイル名で保存していく。そしてVBAを回して、それを指定の順番で並べながら、htmlに吐き出していく。

そういうシステムを構築してみた。だから、ものすごく更新作業がイージィだ。メモ帳に記事を書いておけば、後はボタンひとつでhtmlになるし、日付順に並ぶし、6件目以降の記事は過去の雑記として整理される。まだ活用はしていないけれど、実は月ごとにhtmlファイルをつくったり、ジャンル別にhtmlファイルをつくることも可能だ。

……などと偉そうに書いてみても、実のところ、blogにある通常の機能をExcel上で再現しているだけだ。でも、掲載する記事の件数を自分で決められるし、分類方法や並び順も自分で決められるので、既存のblogよりはコントロールしやすいし、後から機能を拡張することもできる。デザインの自由度も高い。

そんなわけで、今年度中には、もう少しblogに近い形での「日々の雑記」を展開したいと考えている。

2012/08/12 動物姿の素敵ドーナッツ屋さん!!

大学時代の知人つっちぃの紹介で「イクミママのどうぶつドーナツ」を知った。ちぃ子(奥様です!)が「かわいい!」と大絶賛。いたく気に入った様子だったので、一緒に東横線元住吉駅まで繰り出す。

いかにも東急という感じの街並みが我々二人をお出迎え。駅の周辺は何でもござれという感じで、まるであらゆるチェーン店があるんじゃないかと錯覚するくらい。歩いていて楽しい。「ブレーメン通り」という名前があるらしい。400メートルくらい歩いたところに小さなお店があった。「イクミママのどうぶつドーナツ」だ。

店舗、発見!

店舗にはずらり、とどうぶつドーナツが並んでいる。日によって作っているものは違う。大抵、5種類を作っているらしい。味は全粒粉入りオールド・ファッション・ドーナッツで、普通に美味しい。でも、やっぱり卓越しているのはこのデザインだろう。ドーナッツにアーモンドを刺して、その上からチョコレートでコーティングして耳を作っている。ちょっとした工夫。学生の頃、ミスター・ドーナッツで働いていた過去があるので、自分でもやればできそうだとは思ったけれど、こういうのは最初にやったもん勝ちだ。こういう発想力というのは、やっぱりすごい。

ショーウィンドウ

ネコのドーナッツがずらり!

そうそう。ネット通販もできるので、是非、お試しあれ。ちなみに、ボクはこの「イクミママのどうぶつドーナツ」、ウェブサイトのデザインが最高だと思っている。いろんなウェブサイトを見てきたけど、なかなかこれだけのクオリティのウェブサイトってない。ユーザビリティには多少、欠くところがないわけではないんだけど、素敵なウェブサイト。そういうところでも高い評価だ。

我が家のコーヒーとともに

2012/08/11 チキチキタンタン、タンタンタン♪

体調が少し回復したので関内まで繰り出した。今週はほとんどずぅっと寝ていたので、運動不足になっている。全身が痛い。だから、多少、動き回る必要があると判断した。ちぃ子(奥様です)が関内でお仕事だったので、それが終わる頃の時間に駅で待ち合わせして、マリナード地下街を抜けて吉田町の方へ向かって歩く。実は関内で働いていた頃から気になっていたお店があったのだ。その名も「dining cafe CHIKI CHIKI & TAN TAN」。お洒落なインテリアで飾った創作イタリアンって感じのお店。外観は最高にいいし、価格もちょうどいいしで、ずぅっと行ってみたかったのだ。

そんなわけで本日のお昼を一眼レフにて撮影(笑)。

CHIKI CHIKI & TAN TAN

パスタ1 パスタ2

非常に凝った料理にビックリした。美味しかったし、何よりも店内の落ち着いた雰囲気とスタッフの生き生きと働いている感じが素敵なお店だった。ここはボクのお気に入りのお店になるな、と予感した。

2012/08/10 大人の事情。大人の情事。

発熱は止まらない。止まることを知らない。そんなわけで、予定していた伊東の花火大会へのプティ旅行はキャンセル。ギザ悲しす。

そんなわけで、熱に浮かされながら、たまに訪れる安定期に『金色のガッシュ!!』を読んで過ごす。そして本日、全部読み終わった。

最終巻の盛り上がりは最高だった。すぅっと物語が一本に収束していく感覚が気持ちいい。「金色」というのがタイトルに冠されているわけだけど、「金色」に輝いた本がガッシュと清麿に奇跡を起こすという筋書きだ。そして、その奇跡も、これまでのガッシュたちの戦い方、ガッシュたちの決断の積み重ねが引き起こしているというのだから、圧倒的な破壊力。これまでの長い戦い、長い物語がすぅっと一本に繋がっていくのだ。

全体的な印象としては、強さのインフレが激しい漫画だ。そして、その圧倒的な強さに打ち勝つのが「絆」だというのだから、これはもう、王道の少年漫画である。最終巻を読んで、改めて『金色のガッシュ!!』が面白い漫画だったと思い知らされた。「やさしい王様」を目指して戦ってきたガッシュの道の末路に、温かい世界があることがとても素敵だ。

* * *

……正直なところを言えば、ちょっと長すぎた気がする。真ん中辺が中弛みしている。でも、それは明らかに出版社の事情であって、最近の漫画界全体にある大人の事情である、と思う。ビジネスとエンタメの関係性ってすごく難しいな、と思う。漫画に限ったことではなくって、音楽も小説も、まあ、いろいろとあるんだろう。作品の引き際を作者が自分で決められるような体制を作らないと、本当にハッピィな世界にはならない。そんなことを強く感じさせられた漫画でもあった。最初と最後がキレイに結び付いているからこそ、一層、そう感じるのだろうなあ。

2012/08/09 大真面目な雑記

森博嗣のエッセイ集『DOG & DOLL』を読んだ。多分、ロックンロールを文字っていて、ドックンドールと読むのだろう。まさにチップンデールみたいな感じだ。もしかしたら、プッチンプリンもプッチ&プリンのことかもしれない。プリンは少なくともお菓子だから、プッチもお菓子なのだろう。

実はまだ熱に浮かされている。38度のハイ・フィーバだ。もちろん、これはセルシウス温度で数えている。ファーレンハイト温度だったら100.4度。

そんなこんなで、閑話休題。『DOG & DOLL』の話だ。久々に森博嗣のエッセイを読んだ。エッセイってその人の思考回路が透けて見える気がするから、読んでいて楽しい。思考回路の純度が高い、というそこはかとない期待感もある。もちろん、そういう偽装工作がなされている場合もある。


『DOG & DOLL』(講談社文庫)

また、日々の雑記を大真面目に書いてみたくなった。これからしばらくは大真面目に雑記を書くお。

2012/08/08 ハイ・フィーバー

38度のハイ・フィーバー。全ッ然、動けなくって、ベッドでダウンしていた。ちぃ子(妻ですよ!)が帰宅したので、急ぎ、桜木町の救急病院へ。でも、病院へ行ったからといって何が判明したわけでもない。ただ抗生物質と解熱剤をもらっただけ。なかなか病院選びって難しい。磯子区へ引っ越して来てから、素敵な病院と巡り合えていない。本来なら、ちゃんとした「かかりつけ」のお医者さんがいるのがベストだ、とは思っている。だから、体調が元に戻ったら、そういうお医者さんを探さなきゃいけない。うん。

2012/08/07 手に入れたければ沈黙よりも雄弁だ!!

しばしば、日本人はシャイだと言われる。「質問はありますか?」と問われても質問しないらしい。あるいは会議の場で積極的に発言しないと言われることもある。まあ、あくまでも「海外」と比較しての話だから、日本人社会で暮らしているボクには、正直、よく分からない。

でも、今日、ジンバブエから我が社に来た研修生は、非常にシャイだった。「質問はありますか?」という我々の問い掛けに対して、困ったような顔をしてこっちを見て、それから研修資料に目を落とした。日本人と対して変わらないな、と思う。

大体、こういうのって「教育」だと思う。後天的なものだ。恥ずかしがり屋な子供はたくさんいると思うんだけど、でも、基本的に子供って好奇心旺盛だから、疑問が次から次へと湧いてくる。言葉にする方法さえちゃんと教えてあげれば、次から次へと子供は喋り出すんだろう。それで、だんだん質問が核心に迫って来て、まるで禅問答みたいな世界になって、困った大人は「うるさい!」とか「自分で考えろ!」とか怒鳴り散らす。そういう経験が積み重なって、子供はだんだん、大人しくなるのだと思う。

大人になってからのボクは、数多くの失敗体験を経て、随分、大人しくなった。大昔はところ構わず喧嘩していたと思う。多分、何でも出来ると自分のことを過信していたのだ。だから、悪意が先行して、尖がって、それで空回る。そして冷たい目で見られる。ああ、失敗したなあ。そんな積み重ねが積年の恨みのように積もり積もって、セーフティ側に立つのだ。黙っている方が安全。

でも、これは大間違いだ。黙っていることは決して「安全」ではない。「危険でない」というくらいのもの。本当に自分の望むもの、正しいと思うものに辿り着こうと思ったら、発信しなきゃいけない。人間は思っている以上にバカなので、阿吽の呼吸は通じない。特に、価値観が多様化した現代だったら尚更だろう。ボクはすでに20代のゆっくりした感覚が理解できない。背中で語るから理解しろ、という40代とも分かり合えない。ITが万能だと思っている尖った若者とも理解し合えない。離散的じゃない、もっと、ずぅっと感性的な部分が大事だと思ってしまう。

だから、シャイであることも、発言しないことも基本的には不利益である。

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先日、後輩氏が会議の場で積極的に発言していた。発言のピントはズレていたけれど、その心意気は万々歳だ。ところが、ある人から「それはこの場で議論する内容じゃないから後でやろう」と窘(たしな)められた。その後の彼は委縮してしまった。こういうことの積み重ねが、人間をセーフティの側に押しやる。

何度も言うけれど、コミュニケーションは「教育」だ。親が子供の声を聴いてやるという体制が大切なのだ。バカなことを言っていても、ワケのわからないことを言っていても、難しい話になっちゃっても、真摯に対応することが大切。発信した内容に問わず、まずは発言した事実を評価し、受け入れる。褒めてやる。そういう環境が必要だ。

日本人がシャイで発言しないと言われる背景には、そういう環境を構築できていないという社会的、あるいは文化的な理由があるんじゃないかと最近、思っている。

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そんなわけで、会議に同席していた先輩と一緒に、後輩を褒めちぎっておいてあげた。絶賛、褒めちぎり中。

2012/08/06 貪欲デイズ

しょこたん(中川翔子)は自分が生きた証を貪欲に記録に残したいのだという。だから、日々、大量にblogを更新している。彼女は基本、貪欲なのだ。今でも、彼女は1日に何度も更新しているのだから、偉大なことだ。

facebookとかmixiとかblogとかtwitterとか、情報発信のツールはたくさんあって、誰でもが情報発信できるようになった。意味のあることを発信するのか、あくまでも自分の生きた証として記録に残すのか、いろいろと考え方はあるだろうけれど、ボクとしては発信するからには、何らか、そこに意味があると嬉しいなあと思っている。貪欲に記録するには、コツコツと記録する努力がいる。でも、それ以上に、意味を持たせるためには、もう少しだけ努力が必要だ。だから、頑張ろうと思う。ボクも、人間活動だ。

2012/08/05 可能性を信じる

今日はイベントのお仕事。我が社の企画に参加してくれた皆さんの中から、抽選で横浜FCのサッカーの試合にご招待。選手のサイン入りユニフォームをプレゼント。その上、グラウンドで表彰。こんなスペシャルなことってない。

子供たちも最初は戸惑っていたけれど、名前を呼ばれたら、観客席に向かって手を振るくらいの余裕が出てきて、みんなからあたたかい拍手と声援。最後には「俺、何でもできる気がする!」と言っている子供もいた。

小さな可能性たち

こういう経験が、彼の将来に繋がればいいなあ。

2012/08/04 とある話題のラノベ

今、話題のラノベを読んだ。うん。言い過ぎた。少し前に話題になっていたラノベだ。でも、まだメディアでは多方面で取り上げられている。

読んでビックリしたのは、文章が拙いということ。このレヴェルで本になってしまうのだなあ。ビックリ。もちろん、これって、大部分は作者が悪いんだけど、でも、編集さんも何をしていたんだろうか、と首を捻ってしまう。後出しジャンケンみたいな文章だ。

後出しジャンケンみたいな文章というのは、たとえば、こんな文章。

駐車場の隅っこに車が停まっている。彼の車だ。5年前に苦労して買ったかわいい車。彼はそれに乗り込むとエンジンをかける。心地よい振動。ライタ。煙草に火をつける。それからゆっくりとアクセルを踏む。車はするすると走り出し、すぐに大通りに出た。これから隣町のケーキ屋にマカロンを買いに行くのだ。色とりどりのマカロン。車は国道を抜ける。この時間は渋滞することが多いのだけれど、今日は比較的すいている。びゅんびゅんと景色が後ろに流れていく。この分だと予想していた時間よりも早くつけそうだ、と彼はほくそ笑む。助手席の女が言う。
「オープンカーなんて初めて乗ったよ! 雨が降ってきたら大変ね!」

多分、読者は、突然の助手席の女の登場にビックリする。てっきり、一人でドライブしていると思い込んでいたはずだ。それに、彼の車がオープンカーだったというのも、後出しジャンケン的だ。

読者は、書いていない部分は勝手に想像力で補完しながら読んでいく。彼が乗り込んだ車がどういう車種なのか文章には記載がない。ミニクーパかも知れないし、カローラかもしれないし、クラウンかもしれない。多分、一般的な車を想像して読んでいく。それなのに、突然、オープンカーだったと明かされると、想像との不一致で混乱するはずだ。大体、彼が女連れだったなんて、冒頭のシーンからは想像もできないはず。

こういうのを、ボクは後出しジャンケンと読んでいる。情報の提示が遅いと、記述のない部分を読者はどんどん想像力で補完していく。そうやって補完された情報を、後からひっくり返されるのだから、読者は大混乱だ。

だから、書き手はある程度、読者の想像力をコントロールしなきゃいけない。編集者もそうだ。それが出来ていないのに、本になってしまう世の中になったのだなあ。そして、話題のラノベになってしまうのだから、人々の想像力の欠如を憂う。

2012/08/03 異空間でエンジョイ、お祭り!!

洋光台の駅前でお祭りをやっていたよ。こんな駅を出てすぐのド真ん前。しかも高層住宅に囲まれているこんな場所でお祭りをする精神性に感服。近くに大きな公園もあるわけだし、そっちでやればいいのに。きっと何か縄張り意識とか大人のしがらみとかがあるんだろう……などと邪推する。

駅前お祭り!!

それにしても、子供のときにはお祭りってすごい異空間だった気がする。わくわくする不思議空間。でも、大人になってみると、活動している人たちが地元のおじさんとおばさんだったり、子供のお父さんとお母さんだったりして、正直、大変だなあって思ってしまう。朝から準備したり、暑い中頑張っていたり、ご苦労様、と頭が下がる。そういう裏方的なものが透けて見える今日この頃で、まったく、夢も希望もないね。困ったもんだ。

お祭りと言えば、やっぱり、たこ焼きと焼き鳥と焼きそば。それから綿菓子。異空間でエンジョイ、お祭り!!

2012/08/02 プログラム的発想でゴー……じゃないッ!

プログラムが得意な後輩くん。各課から提出してもらった100枚以上ある工事調書を、VBAで一気にがっちゃんこして集計表にして吐き出してみせる。そして、ボクのところに持ってきた。4日間くらいプログラムを組んでいたので、まあ、来年も大体、同じような様式で調書を集めれば、微修正してボタンを押すだけで集計表が出来上がるのだろう。すごい。すごい。さすがだね。

ところが、それぞれの工事の中身について訊くと、全ッ然、把握されていない。「これとこれって名前は違うけど同じ工事じゃないの? 調書が重複しているじゃん!」という当たり前のところから始まって、「この工事って、このタイミングの発注でこの金額が執行できるのか?」とか「これは補助金の対象外だろう」とか、まあ、何だろう。普通に整理していれば気がつくというか、気がつかなきゃいけない内容に、全ッ然、頭が回っていない。

プログラムの便利なところは、全ての処理をMr.コンピュータ氏がやってくるということ。だけど、VBAなんかは特にその傾向が強いけど、ファイルの中身を一度も見なくたって、集計表が出来てしまう。それは大きな落とし穴だ。

ボクは形ばっかりの集計表をつくって欲しいわけじゃない。各課が考えている工事の中身について、時期的に本当に出来るかどうか、金額は妥当かどうか、他の工事とバッティングしないかどうか、施工するだけの準備が整っているのかどうか(事前の検討とか、社内の調整とかもあるわけだけど)、まあ、いろんな中身について、考えて欲しいわけだ。問題抽出もしなきゃいけない。実のところ、人員に見合った事業量にしないと、事業量が少ない場合には人事課に、事業量が多い場合には組合に怒られる。今後の経営収支を考えて、予算の平準化もしなきゃいけない。集計表をつくるっていうのは、そういう諸々について考えながら、どういう風に上層部に説明していこうか、という作戦を考える作業でもあるわけだ。ただ整理すればいいというものじゃない。

大体、各課も時間をかけて調書をつくって提出してきたのだ。その労力と想いを大切に受け止めて処理していかなきゃいけない。その辺が……伝わらないかなあ。伝わっていないのだとしたら、もちろん、ボクがいけないんだけど。うーん。後輩指導って難しいなあ。

2012/08/01 ノー・残業習慣!!

花火で電車が遅れるんだから、ホント、困ったもんだ。

さて。8月はノー残業月間だ。課長が門番のようにデスクに座って、みんなが帰るのを今か今かと待っている。その威圧感はすごい。それでも、空気の読めない人もいて、ぽけーっと座っているのだから、彼も困ったものである(にやり)。

でも、ボクは思う。何ちゃら月間だから頑張るんじゃなくって、いつもそうやって見張っててくれればいいのに。そうしたら、みんな、帰る習慣がつく。ノー残業「月間(げっかん)」じゃなくてノー残業「習慣(しゅうかん)」の方が大切だ。いいこと言った(にやり)。

日本人が残業が多いのは、勤務時間を会社が管理しているかららしい。たとえば、釣り堀で釣りをしている人を想像してみる。1時間という時間の中で魚を釣るわけ。釣れたら、そりゃー、問題ないわけだけど、釣れなかった場合、どうなるのか。時間を延長して釣れるまで頑張る……というのが日本の企業人的な発想というわけ。つまり、釣れても釣れなくても会社が決めた時間は拘束されているのだ。そして釣れなければ釣れるまで延長する。でも、本当は、時間内に魚が釣れるか釣れないかが非常に大切で、まずは一度、そこで評価されなきゃいけない。そういう評価システムがないから、延長してでも釣れればオッケィみたいな安易な発想になるのだろう。本来、延長してしまったら、その時点で延長料金が掛かる。そのコスト意識が薄いのが、日本人的なのである。

ちなみに、ボクは残業が慢性化した場合、人間に対する適正な業務量が非常に不明確になると思っている。本来、人手が足りなくて雇わなきゃいけないのに、雇用者の残業でまかなわれてしまっていたり、雇用者の能力が不足しているのに残業でカバーして追いついているように見えたりする。そうじゃなくって、残業をゼロにして、不足分を雇うというのが適正な業務量割り当てなのかもしれない。だから、残業というのは、雇用の受け皿を減らしているとも言える。

というようなわけで、ね。ボクは基本的には残業はしない主義なんだけど、今、残念ながら、能力が追いつかないので、残業が続いている。先輩が抜けた穴がでかくって、埋めるのが大変だ。でも、これは非常に屈辱な状況である。そういう理解でいる。なので、まあ、後1か月くらいかな。頑張って、能力を向上させて、ノー残業習慣を取り戻そうと思っている(にやり)。

2012/07/31 コンテント・イズ・モア・インポータント・ザン・イングリッシュ

例によって例のごとく、英語でPowerPoint作成中。いつだって、こういう仕事はボクのところに回ってくる。でも、念のために言っておくけど、ボクは英語、そんなに得意じゃないんだよ? 昔っから、英語が苦手だったなあ。体育の次に苦手。でも、やらなきゃいけないという状況下で必死になっていたからかな。最近、不思議と苦手意識はなくなった。でも、得意の領域には辿りつけていないなあ。

そもそも、根本的に勘違いしちゃいけないのは、PowerPointを作るのに大切なのは言語じゃないってこと。研修講師をやるとか、そのための資料を作るというのは、本来、日本語でもとても難しい。教えられるだけのノウハウとか知識が必要だし、ちゃんと正確に中身について把握していなきゃいけないわけ。

社会人5年目だから、ペーペーだとは言わないけれど、でも、日本語でやることを想像したら、多分、ボクみたいな5年目がやる仕事じゃない。もっと年配の人がやる。

英語ってところだけに着目したら、そりゃー、まあ、それなり。ボクでもいいけれどさ(でも、もっと英語の出来る適任の人はたくさんいる!)。せめて、日本語の素案くらいは年配の人が作ってくれた方がいい。そうしたら、ボクはそれを頑張って英語にして、PowerPointでデザインするのになあ。

* * *

横須賀からお客さま。産業貿易センタービルの地下で乾杯。驚いたのは、アルコホル3杯+小皿3品で1,050円というビックリ価格。そしてしっかりと味付けされた和風料理が出て来た。安い。安すぎる。追加で食事と焼酎2瓶を注文しても、一人当たり2,000円という破格の宴会となった。これはイイね。

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