《過去の雑記》

過去の雑記516件から525件までを掲載しています。

2012/08/16 創作と「無料」の話

最近じゃ、音楽事務所がyoutubeなんかで公式にPVを公開しちゃったりしている。まさに出血大サービスってヤツだ。商品の無料提供みたいなイメージ。そりゃー、画質は落ちる。音源の音質も低い。だけど、所詮、大多数の人はiTuneみたいな無料のソフトウェアで音源をmp3に変換して音楽を聴いている。ステレオビットレートをガンガン下げて、1曲5MBくらいにして、iPodやらスマホやらに入れられるだけ入れて聴いている。大体、電車の中のような騒々しい場所で音楽を聴くのだ。だから、正直、音質なんてどうでもいい。そんなに厳密に音質にこだわって聴いていない。そういう音楽の聴き方が大多数だと想像したときに、公式にPVを公開したら、大衆はそれをコピーしてmp3にしてiPodに格納したら、それでおしまいではないか、と思う。

多分、ボクがアーティストだったら(ボクはアーティストじゃないけど!)、戦略として、ワン・コーラスだけを公開するだろうと思う。続きが聴きたい人は音源を購入してね、というイメージ。あるいは発売日前後の1、2か月くらいをプロモーション期間を位置づけて、期間限定でPVを公開する。プロモーション期間が終わったら削除してしまう。そうすれば、もう一度、あの曲が聴きたいな、という人は音源を購入してくれるだろう。

だから、本家本元の音楽事務所がyoutubeにフルPVを載せるなんていうのは、なんか、もう、出血大大大サービスって感じがする。こういうプロモーションで音源の販売が促進されるんだろうか、と他人事ながら心配になる。

2012/08/15 독도는우리땅

日々の出来事を綴ることだけが「日々の雑記」ではない。思ったこと、感じたことを書き記すことの方が、多分、本質的には「日々の雑記」の趣旨に近い。だから、あんまり「出来事」に囚われないようにしようとは心掛けた方がいいだろうな、と常々感じている。

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韓国サッカーチームの選手が「독도는우리땅《独島(竹島)は我らの領土》」と掲げてグラウンドを走った出来事がセンセーショナルに報道されている。オリンピックに、政治的行為を持ち込んではいけないという崇高な理念があるなんて知らなかった。でも、そういう規程を作らなきゃならないほど、オリンピックという場が、政治利用されやすいイベントなのだということも、改めて思い知らされた。まあ、でも、そうだよなあ。アピールするには絶好の場だ。

今後、どうなっていくんだろう。チームとしてメダル剥奪まではいかないだろうとは思う。でも、選手個人としては剥奪されるかもしれない。ルールとして規程されている以上、ルールから逸脱してしまったら、もう、言い逃れはできない。IOCの決定に身を委ねるしかないのだ。

それにしても、教育とかイデオロギーって怖いな、と感じる。韓国の反日感情というのは、根が深くて強い。こういうのは、社会教育とかマスメディアの報道姿勢とか、そういうのによって形成される世論なんだと思う。ああやって公の場で堂々と領土問題を掲げられるくらい、韓国の若者は愛国心があるのだと思うし、反日の感情を植えつけられているのだと思う。これは彼個人の問題じゃない。だから、彼一人を制裁するのは、本当は可哀想な感じもする……という見方もできる。

日本人も反韓思想は昔っから根強い。「在日」に対する差別も強い。2ちゃんねるなんかじゃ、そういう黒い感情が吐き出されていて、ときどきビックリする。でも、それでいて韓流ブームとか騒いじゃったり、連日テレビでK-POPを流しちゃったりする。ごちゃまぜでいい加減な感じがすごく日本らしい。でも、何もかも曖昧なまんま進もうという日本人の姿勢は、ときに危険でもある。

2012/08/14 絶賛、動機づけ中!!!

第三者に動機付けするというのは難しい。でも、実のところ、それがボクの仕事である。意外なことに(意外でもないかもしれないが)、他部署の業務の執行を管理するのがボクの主要な業務である。執行部署は、一所懸命、執行しようと頑張っている。そりゃそうだ。頑張ってくれなくっちゃ困る。でも、やっぱり一所懸命なので、ときとして周りが見えていなかったり、トータルでの判断ができなかったり、部署をまたぐような内容に踏み込むと戸惑ったりする。それを外部から客観的な目線で眺めて、適切に指導して、遅れがあったり、トラブルが拡大しないように取り計らうのが、いわゆるボクの部署の仕事である。

結構、上から目線になりがちで、ガンガンと叱りつけるパターンの人もいる。「どうしてこういう検討を事前にやらなかったんだ!」と怒鳴ってみたり、「遅れているんじゃないのか!」と言ってみたりするわけ。でも、最近になって思うのは、そういうのは、相手が委縮するだけである。そして、やがて本当に重要な情報を持ってきてくれなくなる。

そんなわけで「動機付け」が大切だと感じている。結局、事業というのは執行部署がしゅくしゅくと進めていくわけ。ボクたちが何かを形にして行くわけじゃない。ボクたちは、それをサポートするしかない。彼ら自身が適切に機能して、適切な判断をして、適切に執行管理してくれれば、極論、ボクらの部署はいらない。でも、内部的な管理では難しいから、ボクらみたいな外部的な管理が必要になる。

というわけなので、内部の側がいかにして自発的かつ能動的に機能して、判断できるようにしていくか。その動機付けのために、いろいろなツールをつくったり、きっかけを提供したりするのだ。

2012/08/13 雑記システム構築中

先週、ハイ・フィーバでほとんど仕事に行けなかったので、今週は大変だ。病み上がりの自分、Fight!!

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ここ数日、ウェブサイトの更新作業を頑張っている。更新作業といっても、ほとんど「日々の雑記」である。実はここ1か月くらいの間に、VBAで「雑記システム」を構築してみた。Excel上で日付と記事のタイトル、ジャンルをコントロールして、日々の雑記をメモ帳に書いて日付のファイル名で保存していく。そしてVBAを回して、それを指定の順番で並べながら、htmlに吐き出していく。

そういうシステムを構築してみた。だから、ものすごく更新作業がイージィだ。メモ帳に記事を書いておけば、後はボタンひとつでhtmlになるし、日付順に並ぶし、6件目以降の記事は過去の雑記として整理される。まだ活用はしていないけれど、実は月ごとにhtmlファイルをつくったり、ジャンル別にhtmlファイルをつくることも可能だ。

……などと偉そうに書いてみても、実のところ、blogにある通常の機能をExcel上で再現しているだけだ。でも、掲載する記事の件数を自分で決められるし、分類方法や並び順も自分で決められるので、既存のblogよりはコントロールしやすいし、後から機能を拡張することもできる。デザインの自由度も高い。

そんなわけで、今年度中には、もう少しblogに近い形での「日々の雑記」を展開したいと考えている。

2012/08/12 動物姿の素敵ドーナッツ屋さん!!

大学時代の知人つっちぃの紹介で「イクミママのどうぶつドーナツ」を知った。ちぃ子(奥様です!)が「かわいい!」と大絶賛。いたく気に入った様子だったので、一緒に東横線元住吉駅まで繰り出す。

いかにも東急という感じの街並みが我々二人をお出迎え。駅の周辺は何でもござれという感じで、まるであらゆるチェーン店があるんじゃないかと錯覚するくらい。歩いていて楽しい。「ブレーメン通り」という名前があるらしい。400メートルくらい歩いたところに小さなお店があった。「イクミママのどうぶつドーナツ」だ。

店舗、発見!

店舗にはずらり、とどうぶつドーナツが並んでいる。日によって作っているものは違う。大抵、5種類を作っているらしい。味は全粒粉入りオールド・ファッション・ドーナッツで、普通に美味しい。でも、やっぱり卓越しているのはこのデザインだろう。ドーナッツにアーモンドを刺して、その上からチョコレートでコーティングして耳を作っている。ちょっとした工夫。学生の頃、ミスター・ドーナッツで働いていた過去があるので、自分でもやればできそうだとは思ったけれど、こういうのは最初にやったもん勝ちだ。こういう発想力というのは、やっぱりすごい。

ショーウィンドウ

ネコのドーナッツがずらり!

そうそう。ネット通販もできるので、是非、お試しあれ。ちなみに、ボクはこの「イクミママのどうぶつドーナツ」、ウェブサイトのデザインが最高だと思っている。いろんなウェブサイトを見てきたけど、なかなかこれだけのクオリティのウェブサイトってない。ユーザビリティには多少、欠くところがないわけではないんだけど、素敵なウェブサイト。そういうところでも高い評価だ。

我が家のコーヒーとともに

2012/08/11 チキチキタンタン、タンタンタン♪

体調が少し回復したので関内まで繰り出した。今週はほとんどずぅっと寝ていたので、運動不足になっている。全身が痛い。だから、多少、動き回る必要があると判断した。ちぃ子(奥様です)が関内でお仕事だったので、それが終わる頃の時間に駅で待ち合わせして、マリナード地下街を抜けて吉田町の方へ向かって歩く。実は関内で働いていた頃から気になっていたお店があったのだ。その名も「dining cafe CHIKI CHIKI & TAN TAN」。お洒落なインテリアで飾った創作イタリアンって感じのお店。外観は最高にいいし、価格もちょうどいいしで、ずぅっと行ってみたかったのだ。

そんなわけで本日のお昼を一眼レフにて撮影(笑)。

CHIKI CHIKI & TAN TAN

パスタ1 パスタ2

非常に凝った料理にビックリした。美味しかったし、何よりも店内の落ち着いた雰囲気とスタッフの生き生きと働いている感じが素敵なお店だった。ここはボクのお気に入りのお店になるな、と予感した。

2012/08/10 大人の事情。大人の情事。

発熱は止まらない。止まることを知らない。そんなわけで、予定していた伊東の花火大会へのプティ旅行はキャンセル。ギザ悲しす。

そんなわけで、熱に浮かされながら、たまに訪れる安定期に『金色のガッシュ!!』を読んで過ごす。そして本日、全部読み終わった。

最終巻の盛り上がりは最高だった。すぅっと物語が一本に収束していく感覚が気持ちいい。「金色」というのがタイトルに冠されているわけだけど、「金色」に輝いた本がガッシュと清麿に奇跡を起こすという筋書きだ。そして、その奇跡も、これまでのガッシュたちの戦い方、ガッシュたちの決断の積み重ねが引き起こしているというのだから、圧倒的な破壊力。これまでの長い戦い、長い物語がすぅっと一本に繋がっていくのだ。

全体的な印象としては、強さのインフレが激しい漫画だ。そして、その圧倒的な強さに打ち勝つのが「絆」だというのだから、これはもう、王道の少年漫画である。最終巻を読んで、改めて『金色のガッシュ!!』が面白い漫画だったと思い知らされた。「やさしい王様」を目指して戦ってきたガッシュの道の末路に、温かい世界があることがとても素敵だ。

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……正直なところを言えば、ちょっと長すぎた気がする。真ん中辺が中弛みしている。でも、それは明らかに出版社の事情であって、最近の漫画界全体にある大人の事情である、と思う。ビジネスとエンタメの関係性ってすごく難しいな、と思う。漫画に限ったことではなくって、音楽も小説も、まあ、いろいろとあるんだろう。作品の引き際を作者が自分で決められるような体制を作らないと、本当にハッピィな世界にはならない。そんなことを強く感じさせられた漫画でもあった。最初と最後がキレイに結び付いているからこそ、一層、そう感じるのだろうなあ。

2012/08/09 大真面目な雑記

森博嗣のエッセイ集『DOG & DOLL』を読んだ。多分、ロックンロールを文字っていて、ドックンドールと読むのだろう。まさにチップンデールみたいな感じだ。もしかしたら、プッチンプリンもプッチ&プリンのことかもしれない。プリンは少なくともお菓子だから、プッチもお菓子なのだろう。

実はまだ熱に浮かされている。38度のハイ・フィーバだ。もちろん、これはセルシウス温度で数えている。ファーレンハイト温度だったら100.4度。

そんなこんなで、閑話休題。『DOG & DOLL』の話だ。久々に森博嗣のエッセイを読んだ。エッセイってその人の思考回路が透けて見える気がするから、読んでいて楽しい。思考回路の純度が高い、というそこはかとない期待感もある。もちろん、そういう偽装工作がなされている場合もある。


『DOG & DOLL』(講談社文庫)

また、日々の雑記を大真面目に書いてみたくなった。これからしばらくは大真面目に雑記を書くお。

2012/08/08 ハイ・フィーバー

38度のハイ・フィーバー。全ッ然、動けなくって、ベッドでダウンしていた。ちぃ子(妻ですよ!)が帰宅したので、急ぎ、桜木町の救急病院へ。でも、病院へ行ったからといって何が判明したわけでもない。ただ抗生物質と解熱剤をもらっただけ。なかなか病院選びって難しい。磯子区へ引っ越して来てから、素敵な病院と巡り合えていない。本来なら、ちゃんとした「かかりつけ」のお医者さんがいるのがベストだ、とは思っている。だから、体調が元に戻ったら、そういうお医者さんを探さなきゃいけない。うん。

2012/08/07 手に入れたければ沈黙よりも雄弁だ!!

しばしば、日本人はシャイだと言われる。「質問はありますか?」と問われても質問しないらしい。あるいは会議の場で積極的に発言しないと言われることもある。まあ、あくまでも「海外」と比較しての話だから、日本人社会で暮らしているボクには、正直、よく分からない。

でも、今日、ジンバブエから我が社に来た研修生は、非常にシャイだった。「質問はありますか?」という我々の問い掛けに対して、困ったような顔をしてこっちを見て、それから研修資料に目を落とした。日本人と対して変わらないな、と思う。

大体、こういうのって「教育」だと思う。後天的なものだ。恥ずかしがり屋な子供はたくさんいると思うんだけど、でも、基本的に子供って好奇心旺盛だから、疑問が次から次へと湧いてくる。言葉にする方法さえちゃんと教えてあげれば、次から次へと子供は喋り出すんだろう。それで、だんだん質問が核心に迫って来て、まるで禅問答みたいな世界になって、困った大人は「うるさい!」とか「自分で考えろ!」とか怒鳴り散らす。そういう経験が積み重なって、子供はだんだん、大人しくなるのだと思う。

大人になってからのボクは、数多くの失敗体験を経て、随分、大人しくなった。大昔はところ構わず喧嘩していたと思う。多分、何でも出来ると自分のことを過信していたのだ。だから、悪意が先行して、尖がって、それで空回る。そして冷たい目で見られる。ああ、失敗したなあ。そんな積み重ねが積年の恨みのように積もり積もって、セーフティ側に立つのだ。黙っている方が安全。

でも、これは大間違いだ。黙っていることは決して「安全」ではない。「危険でない」というくらいのもの。本当に自分の望むもの、正しいと思うものに辿り着こうと思ったら、発信しなきゃいけない。人間は思っている以上にバカなので、阿吽の呼吸は通じない。特に、価値観が多様化した現代だったら尚更だろう。ボクはすでに20代のゆっくりした感覚が理解できない。背中で語るから理解しろ、という40代とも分かり合えない。ITが万能だと思っている尖った若者とも理解し合えない。離散的じゃない、もっと、ずぅっと感性的な部分が大事だと思ってしまう。

だから、シャイであることも、発言しないことも基本的には不利益である。

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先日、後輩氏が会議の場で積極的に発言していた。発言のピントはズレていたけれど、その心意気は万々歳だ。ところが、ある人から「それはこの場で議論する内容じゃないから後でやろう」と窘(たしな)められた。その後の彼は委縮してしまった。こういうことの積み重ねが、人間をセーフティの側に押しやる。

何度も言うけれど、コミュニケーションは「教育」だ。親が子供の声を聴いてやるという体制が大切なのだ。バカなことを言っていても、ワケのわからないことを言っていても、難しい話になっちゃっても、真摯に対応することが大切。発信した内容に問わず、まずは発言した事実を評価し、受け入れる。褒めてやる。そういう環境が必要だ。

日本人がシャイで発言しないと言われる背景には、そういう環境を構築できていないという社会的、あるいは文化的な理由があるんじゃないかと最近、思っている。

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そんなわけで、会議に同席していた先輩と一緒に、後輩を褒めちぎっておいてあげた。絶賛、褒めちぎり中。

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