《過去の雑記》

過去の雑記146件から165件までを掲載しています。

2013/08/13 軍艦じゃんけん!!

移動中の電車の中で、軍艦じゃんけんをする小学校低学年くらいの子供たちに遭遇してびっくりした。

軍艦じゃんけんって、「せーんーそっ(戦争)! 軍艦、軍艦、ハワイ! ハワイ、ハワイ、朝鮮! 朝鮮、朝鮮、ハワイ!」という掛け声でじゃんけんをする、アレである。という説明で通じるかしら? 軍艦、朝鮮、ハワイなんて、朝鮮戦争とか真珠湾戦争を連想させる。

きっと、子供たちは軍艦、朝鮮、ハワイの意味なんて分かっていない。それが成立した背景に思いを馳せたりなんかしちゃいないだろう。でも、語感とかリズムの妙なのか、楽しそうにやっている。

バルチック艦隊を破り、朝鮮を併合し、真珠湾を爆撃する。そんな時代の子供たちが始めたのだろう、と類推できる軍艦じゃんけんが、その意味を失いながらも、まだ廃れることなく残っていて、現代の日本の子供たちが日常の中で遊んでいる。歴史や文化って、思っている以上に根が深いのだなあ、と思わずにはいられない。

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ちょうど、タイミングを同じくして、サザンの新曲の歌詞が物議を醸しているようだけど、ホント、分かり合える時代になればいいのになあ。難しいんだなあ。

2013/08/12 Doodleを見てシュレーディンガーの猫を思い出す!!

シュレーディンガーの猫のDoodle
シュレーディンガーの猫のDoodle

本日はシュレーディンガーの誕生日らしい。google先生のdoodleが元気な猫と死んだ猫とが箱から飛び出しているイラストになっている(笑)。シュレーディンガーが揶揄するところによれば、箱の中の猫は箱を開けてみるまでは死んでいる可能性と生きている可能性が混在した状態で存在している。そして、箱を開けたときに初めて猫の生死が確定するのである。何じゃそりゃ、と思った人が正解。でも、量子力学って、そんな理論がまかり通る世界である。そして「2重スレット実験」の謎が解けない限りは、そんな理論がまかり通るのである。

2重スレット実験とシュレーディンガーの猫について、多分、誰よりも分かりやすく書いてくれているウェブサイト:http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/slit.html

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さて、と。引っ越しを前にして、ボクらそっちのけで両親が大騒ぎしている。あれも買わなきゃ、これも買わなきゃ。あれが必要、これが必要……。何だかボクらが蚊帳の外。

2013/08/11 パズドラ♪

遅ればせながら『パズドラ』にハマっている(今更かよ!!)。話題になっていたのは知っていたけれど、スマホの課金ゲームと思って侮っていた。でも、非常によく出来ている。

ぷよぷよみたいなパズル・ゲームの要素もあるし(しかもよく考えられている!)、モンスターを次々仲間にできるという意味でコレクション・ゲームの要素もあるし(絵がかわいい!)、モンスターを合成して育てていくという育成ゲームの要素もあるし(進化すると絵が変わる!)、ダンジョンを進んでいくというRPGゲームの要素もある(攻撃魔法とか回復魔法を使わないと勝てない!)。チーム編成によって勝敗を左右するので、戦略ゲームの要素もある。

そして、何よりもすごいのが、それぞれの要素がバラバラじゃなくって、有機的につながりながら、ゲームとしてちゃんと成立しているところ。ホント、よく出来ているなあ、というのが正直な感想。課金と無料のバランスもちょうどいい。ボクは基本的にゲームに対して真剣にやらないんだけど、でも、真剣にやろうと思ったら、きっと、ボクも課金するだろうなあ、と思う。

などと大絶賛して、理屈をごねながらも、日々、エンジョイしているボクがいる(笑)。

まだ始めたばっかりだからレヴェル低い(笑)
まだ始めたばっかりだからレヴェル低い(笑)

2013/08/10 エンタ芸人のその後は!?

久々に「エンタの神様」がやっていた。当時は、荒っぽい芸風の芸人さんがたくさん出演していた番組だったような記憶があるんだけど、今回のゲストは、結構、安定した芸人さんばっかりの印象。「当時はヘンテコな芸風だったけど成長してまあまあ安定してきたよ」的な芸人さんが出演しているという側面もあるし、「当時はちょろっと持て囃されて出演していたけどもはや消えちゃったよ」的な芸人さんがいなくなったという側面もある。加えて、最近、売れてきた出演者をゲストとして新規に連れてきたという側面もあって、この3拍子で、意外と楽しく見ることができた。当時は、ね。当たり外れがあるというか。学芸会みたいな笑いも入り混じった玉石混交だったけど、ね。まあ、渡辺直美が相変わらず、あの当時のクオリティでやっていたのが、逆に懐かしかったし、新鮮だった(笑)。

2013/08/09 死語。

フリーダイヤルの「ダイヤル」って、もはやナンセンスだ。最近は「チャンネルを変える」というのが主流らしいけれど、たまにボクも「チャンネルを回す」って使うよなあ。回したことなんかないクセに。「筆を執る」……とパソコンで打つこの気持ち悪さ。キセル乗車の語源は、煙管(きせる)の両側に金属がついているからだ。出口と入り口では金を使うけれど、真ん中は金を使わない、という妙意。両A面って言うけど、レコードじゃないんだから、A面もB面もないよね。「フラッシュを焚く」というのも、もはやナンセンスもいいところだな。そんなくだらないことを連々と考えた日。

2013/08/08 青行燈と怪人アンサーはどっちが馬鹿馬鹿しいか!?

「手薬煉を引く」からの連想で、妖怪も同じだなあ、と思った。妖怪も言葉と同じ。それが流布した文化的土壌がなくなってしまえば、意味を喪失することもある。何しろ、妖怪は、当時の人々が、何らか不気味に感じたり、不安に感じたりしたことが具現化されたものが多いのだ。

そういう意味じゃ、どれだけ博物誌のように妖怪を蒐集して「どうだ怖いだろう!」と示して見せても、もう時代遅れになって、現代には通用しなくなる「妖怪」もたくさんいるのかもしれない。長々と時代背景や文化的土壌を説明しなきゃ、理解できない妖怪なんて、もう、妖怪としての本来の機能は失われてしまったことになるのだろう。

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「青行燈(あおあんどん)」という妖怪がいる。江戸時代の妖怪だ。今でも、よく林間学校の夜に、みんなで布団の上で輪になって順番に怪談を話したりするけれど、江戸時代も同じようなことをやっていて、「百物語」と呼ばれていた。「百物語」は、結構、手が込んでいる。青い紙を張った行灯(あんどん)を100個用意して、順番に怪談を話していく。そして、ひとつの話が終わると、行灯をひとつ消す。ひとつ、ひとつ、行灯が消えていって、100番目の話が終わると真っ暗になる。そうすると、妖怪・青行燈が出現するのである。姿も能力も伝えられていない。でも、「百物語」の最後に行灯を消して真っ暗になると、何かが起こる。それが怖かったのだ、と思う。当時の人々にはリアリティがあったのだろう。

似たような儀式妖怪として「怪人アンサー」がいる。これは都市伝説の範疇かもしれないし、個人の創作だと看過されている都市伝説という意味でもイレギュラな存在だけど、でも、まあ、ちゃんと手続きを踏んでいくと現れる、という意味では、似たような妖怪だ。

怪人アンサーは、2002年以降にインターネット上で流布した都市伝説だ。さすがに現代の妖怪だ。携帯電話を用いた儀式で呼び出す。10人が円形に並んで、みんなで同時に隣の人に電話を掛ける。そうすると全てが通話中になる。でも、ひとつだけ電話が繋がる。それが怪人アンサーだ。どんな質問にも答えてくれるらしい。でも、最後に怪人アンサーが質問してくる。この問題に答えられないと「今から行くね」という声とともに、体の一部を引き千切って行くという。何故なら、怪人アンサーは頭だけで生まれてきた奇形児で、そうやって体のパーツを集めて完全な人間になろうとしているのだという。

怪人アンサーは今風と言えば今風だ。でも、どっちもやっていることは実に馬鹿馬鹿しくって、100個の怪談を語るのも大変だし、10人が頭を突き合わせて一斉に電話するというのも馬鹿馬鹿しい。その馬鹿馬鹿しさが、でも、後者の方がリアリティを感じるのは、怪人アンサーが今風だからだ。今風の怪人アンサーの方が、何だかリアリティがあって怖く感じる。青行燈はあんまり怖くない。そんな風に思ったりする。

2013/08/07 手薬煉なんて引いたことないしさ。

先日の飲み会で「手薬煉(てぐすね)を引くってどういう意味ですか?」とY嬢。ボクの中では「準備万端整えて待ち構える」というイメージがあって、日常的に使う言葉だったので、ちょっと意外だった。でも、よくよく考えてみれば、全ッ然、現代的な言葉ではないので、知らなくても当たり前かもしれないな、と思った。

「薬煉(くすね)」というのは弓の弦に塗る薬のこと。松脂(まつやに)と油を練り固めたもので、弓を長持ちさせるためのお手入れ用に使う。それに加えて、弓を射るときに、手が滑らないように塗ることもあって、「手薬煉を引く」というのは、この後者の使い方による。戦の前に、手に「薬煉」を塗って、手が滑らないようにして、攻めてきた敵を射る、というわけ。まさに「準備万端整えて待ち構える」感じがビンビン伝わってくる。

言葉というのは、その時代、その文化を背景にして誕生する。「ヤグられる」なんて、「浮気現場を目撃してしまう」という意味の最近の若者言葉だけど、矢口真理の浮気を背景に生まれた言葉で、まさに現代を生きるボクたちには体感として理解できても、5年、10年経てば、誰も意味が分からなくなる。フリーダイヤルってあるけど、今じゃ、ダイヤル電話なんて存在しないのに、みんな、分かってて使っているのかなあ。

「手薬煉を引く」も一緒で、弓矢で戦をしていた時代の人々にとっては理解しやすい言葉でも、平和な日本じゃ、イメージが湧きにくい。「薬煉」だって、今じゃ、弓道部員くらいしか使わないだろうし、使うとしてもお手入れ用。手が滑らないことを目的で手に塗るのは今じゃ、「薬煉」ではなく「筆粉」だろう。

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文化を継承するということはそういうことで、文化がひとつなくなると、それに関わる言葉とか概念とか感覚も一緒になくなってしまう。そんなことを考えた。でも、あっちでもこっちでも戦があって、弓矢を持って戦場に行かなきゃいけない時代じゃないってことは幸せなことで、「薬煉」が日常的な道具じゃないってことはいいことで、だから「手薬煉を引く」の意味が分からなくなっているってことも、もしかしたら、いいことなのかもしれない。

2013/08/06 ヒエログリフのあしらわれたメモ帳

本日は飲み会。誰が探してきたのか、ハワイアンの食べ放題。素敵な店だ。素晴らしい。

Y嬢が異動してきたとき、ヒエログリフでデザインされていたメモ帳を片手にボクの話を聞いていたので、エジプトが好きなのかな、と思っていた。アルコホルのチカラも手伝って、思い切って訊いてみた。そうしたら、ドンピシャもドンピシャだ。どうやら彼女はエジプトが大好きだったらしい。しかも、当初は某Y村研究室を志望していたらしい(笑)。どこかのエジプト・サイトの管理人さんなんか、顔を顰めるかもしれない(笑)。ボクも彼のことは胡散臭いと思うけど、でも、まあ、人の好みはそれぞれなので、ボクは何も言わない。結局は別の大学の宗教学を専攻したとのことで、それは良かったね、というところか。それにしても、宗教学かあ。へえ。面白い人なんだなあ、Y嬢(笑)。

2013/08/05 殺人予告。

テレビと現実をごちゃまぜにしちゃ、駄目だ。アイドルに蹴りを入れたことで、芸人に殺害予告まで飛び出すなんて、世も末というか何というか。果たして、どこまで本気で冗談なのか。でも、ホントに殺害予告として受け取られれば、罪に問われる可能性もあるわけで、「冗談でした」では済まされない。

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人の頭を蹴るのが「笑い」なのかどうか。その点は、正直、ボクには分からない。それを面白いと感じる人がいれば成立するのだろう。でも、頭を蹴ることそのものが「笑い」に繋がらないとしても、暴走していくお父さん、という設定の中で、どんどん過激になっていく様相それ自体は面白いかな、と思う。その暴走の中身が、どこまでが白で、どこまでが黒かは、必ずしも明確ではない。でも、お父さんがそのギリギリのところで凌ぎ合っている姿そのものは面白い。

「みんなが真似をするから止せ」というPTA的な論調は好きじゃない。それはあまりにもテレビを見る側の人間を過小評価している。でも、頭を蹴る行為は危険だ、という論点で、あの行為を非難する論調も分からないではない。そんなわけで、そういう議論は議論として勝手にやればいいと思う。ボクにはどうでもいい話だ。

でも、そんなことに対して殺害予告を出すのはあんまりにもあんまりで、ああ、低脳だなあ、と悲しくなる。それに、ボクが許せないのは、番組内容を芸能人が大慌てでフォローしなきゃいけないという現実。あまりにもお寒い。そういう風潮を、視聴者サイドが作っていることが大問題だ、と思う。

「頭に蹴り」を受け入れろ、というわけではない。でも、それを差し引いたって、いろんなものが許容できない器の小さな人間があまりに多い。そして、そんな人間のために、娯楽が面白くなくなる。ひいては社会が面白くなくなる。そんなのはクソ食らえだ、とボクは思っている。

2013/08/04 「放っといてくれ!」と人面犬。

新居を買ったよ、と昨日、facebookに記事を投下したところ、大変な反響だ。あっという間に29人も「いいね!」が押されてしまった。基本的には、ボクは好きなタイミングで好きなことを書いていて、まあ、みんな、興味ないだろうなーって思っているスタンスでfacebookをやっていたので、この反響にはビビってしまった。書かなきゃよかった。まあ、内容が内容だけに「いいね!」を押しやすいは押しやすいんだけど、さ。ボクの友達が90人いるので、3割が反応したということだ。SNSって自己顕示欲を満足させるツールなんだ、とは思っている。でも、そんなに注目されたいわけでもなくって、ほどほどが気持ちいいのである。……などと思うボクは我が儘なのだろう。

人面犬はゴミを漁りながら言う呟くわけだ。「放っといてくれ!」 あれだけ目立つ格好をしている分際で!! ……みたいな。

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今日、概ね、本の箱詰め作業は完了した。段ボールで35箱。多いなあ。しかも、後半、このまんまじゃ段ボールが足りなくなってしまうと思って、かなり無理矢理詰め込んだ。最初は作業員さんのことを思って、少し隙間を作って入れたりもしていだんだけど、形振り構っていられなくなってしまった(笑)。

2013/08/03 新居にてゴロリ♪

わーい。ようやく新居が出来上がったよ。想定以上の出来栄えだ。それにしても、3階建ては意外と足腰が辛かったので、ボクはヒィヒィ言っている(笑)。

まだ家具は入っていないので、いろいろとシミュレーションなう。実際にメジャーを持って行ったり来たりしていたら、意外とうまく配置できそうな気がしてきたぞ。楽しみだなあ。

階段にて
階段にて

新居にてゴロリ♪
新居にてゴロリ♪

2013/08/02 変容、変化、そして変質……。

民話の舞台は農村。農村の姿、様相が変わってしまったら、どうしてそのような物語が生まれたのかが分からなくなる。だから農村を引き継いでいかなければならない。そんな論調の対談が某雑誌に載っていた。そういう見方もあるのかもね。でも、何でもかんでも昔のものを残していくことはできない。残す以上は、そこでの暮らしを続ける人が必要になる。昔ながらの生活は大変だ。だから、そんなにお気軽に「残しましょう! 残しましょう!」とは言えないよなあ、とボクは思っている。

時代が変化して、ニーズが変化すると、社会は変容する。変容したら、何かが変質してしまうこともあるかもしれない。宗教も、言葉も、信仰も、妖怪も、どんどん変化し、変質していく。それはそれで仕方ないもの、として受け止めることも大切じゃないか、とボクは思っている。

2013/08/01 8月。

気がつけば、8月になった。なので、そろそろ真剣に試験勉強を始めよう。うむ。がんばるぞ。……という気合だけ入れて、今日の雑記はおしまい。仕事上は、ようやく、いろんなことが落ち着き始めたよ。プライベートでは、8月は引っ越しがあるので、ちょっとずつ、気持ちをそちらにシフトしていかなきゃいけないなあ、と思っている。

2013/07/31 日本の新宗教入門

遂に持ち家をゲットだ。3階建ての素敵ハウス。ふふふ。でも、既存の家具がたくさんあって、その配置計画がまるでパズルだ。多分、今、借りているアパートの部屋が広い所為だ。2部屋をぶち抜いて、1部屋にして使えている。部屋が広いということは幸運なこと。でも、その分、家具が全体的に大振りになっている。引っ越す家じゃ、部屋をぶち抜けないので、うまく家具の配置ができないなあ。どうしようかなあ。そんな贅沢な悩みを抱えながら、トライアル・アンド・エラーの日々だ。

そうそう。本屋さんで最近、平積みにされていて、ちょっと気になっていたので、「一個人」の9月号を買ってみた。特集タイトルは「日本の新宗教入門」。オウム真理教とか大本とか、創価学会、幸福の科学など、日本にはいろんな新興宗教があって、そういう宗教の思想や成立の歴史、信仰スタイルなんかが一挙にまとめてある本だ。

ちょっとレジに持っていくのに勇気が必要だった(笑)。「学研ムー」を買うときと同じくらいのドキドキだ。大川隆法の写真なんかがどどーん、と載っていたりするので、腰が引けてしまう。でも、神話・伝承、宗教の延長線上に新興宗教がある。だから、ボクとしてはアンテナをピン、と張っていたいところだ。

「新興宗教」などと呼ぶと非常にエセ臭く感じるけれど、でも、大昔はキリスト教だって仏教だって新興宗教だったはずだ。ユダヤ教やバラモン教が普及する社会の中では、過激な一派だったことは想像に難くない。でも、今や宗教のメインストリームだ。カトリックの社会からすれば、商人たちの支持を得たプロテスタントは、ある種、新興宗教的だっただろう、と思う。既存のキリスト教は、第三次産業を受け入れられなかった。だから、新たにプロテスタントが生まれる必要があった、と見ることもできる。

時代が変わり、ニーズが変われば、宗教のスタイルも信仰のスタイルも変容していく。新興宗教が生まれる背景には、いつだって、それなりに合理的な理由があるように思う。

そんな視点で読んでいる「日本の新宗教入門」。非常に面白いなあ。意外と若い人が楽しそうに写っている写真が多くって、篤い信仰心を持ち合わせないボクとしては、ちょっとドキ<ドキしてしまうぞ。

『一個人 2013年 09月号』

2013/07/30 尖った音楽。

パスピエというバンドが素敵だ、と最近、思っている。東京カランコロンもいい。八十八か所巡礼もいい。最近、YouTubeのお陰で、マイナなアーティストを知る機会が増えた。いい傾向だ。当たり障りのない音楽をやるアーティストたちが並ぶランキングを見ているよりも、こうやってYouTubeをハシゴしてアーティストを探した方がツボにハマるアーティストに出会える。結局、ランキングは総合的な評価になるので、尖ったものって現れにくい。そういう意味じゃ、ネット社会って素敵だ、と思う。そんなわけで、パスピエを載せておこう。

2013/07/29 飲み会信号、察知せず!?

係長は来週からダナンへ出張するので、どうやら課の暑気払いに参加できなそうだ。そうしたら係長、「係の暑気払いとかないですかねぇ」とボソリと呟く。後輩氏、気づけ。上司からの飲み会信号だぞ、と思ったんだけど、全ッ然、うごく気配がないので、仕方なく、ボクが出張ることに。急ぎ、係の暑気払いを設定した。

お店のチョイスにちょっと悩んだんだけど、でも、結果として、概ね好評。ものすごく大人な飲み会になったなあ。きっと、お店が大人な雰囲気だったからだろうね。ふふふ。いろいろと情報提供してくれたN嬢に感謝だ。

2013/07/28 家が建つ。

今日は新居の内覧会。あっと言う間に3階まで建ってしまった。まだ舗装なんかは出来ていなかったけれど、そんなのはすぐに出来上がるだろう。思っていたよりもいい仕上がりだ。建売だから、ある程度、クオリティは低くても仕方ないかな、と思っていただけに、嬉しい想定外だ。それぞれの部屋の大きさも十分だし、居住空間として、使いやすそうだな、と思う。特に2階がぶち抜きなのが素敵。しかも設計士さんの洒落ていることは、2階だけ天井が高い点。ものすごく広く感じる。後は既存の家具をどうやって配置するか。今まで住んでいた場所が無駄に広かっただけに、それが懸案事項だ。

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ティー・タイム♪
ティー・タイム♪

その後、両親を伴って、たきざわ茶寮でティー・タイム。初めて行ったけど、なかなかいい雰囲気のお店だ。今後、活用しようと思う。

2013/07/27 春巻まきまき

明日、新居の内覧会があるので、ちぃ子と二人、実家へ帰っている。夕餉のレシピは、ボクの大好きな中華が次々と登場する。春巻き、酢豚、中華サラダ……。ママンはボクの心を繋ぎ止めようと必死なのだな。ふふふ。そんなわけで、ちぃ子と一緒に春巻きを巻いている。子供の頃は、餃子とか春巻きの皮を巻く作業とか、コロッケの衣つけとか、お手伝いしたよなあ。懐かしくなった。

春巻まきまき
春巻まきまき

そうそう。実家がリフォームしていて、音楽室が出来た。いいなあ、音楽室。防音設備だけじゃなくって、吸音設備もついているらしい。そして、我が家の人間は誰も弾かないクセに、ピアノまで新調したらしい。YAMAHAのリニューアル・ピアノ。両親が室内楽をやるときに、お客さんが弾くことを想定して買ったらしい。ちょっと調子外れだったけれど、古いピアノでも十分だったのに。仕方ないので、今日はボクが弾く。『ビックブリッジの死闘』。そらで弾ける楽曲なんて、こんなもんしかないなあ(笑)。

2013/07/26 妖怪旅行!!!!

いつもよりちょっとだけ早い帰宅。最近じゃ、ちょっと珍しい。だから、そんなことでもすごく嬉しい。

そんなワクワク感を胸に本屋へ繰り出す。ゆっくりと本屋を巡れるこの幸せ♪ そうしたら、もっと素晴らしい幸せがッ!!

『妖怪旅行』という旅行雑誌を発見。日本各地の妖怪スポットをじっくりと紹介してくれている素敵な1冊。しかも妖怪についての解説は比較的、正確で、写真もイラストも場所のチョイスも、全部、センスがいい。「親子で楽しむ! 妖怪スポット・トラベルガイド」という副題がついているけれど、ポケモンみたいなかわいいイラストで妖怪を紹介してくれているのも、取っつきやすくていい、と思う。ああ! ボクもこういう絵が描きたいのだ。

『妖怪旅行』(三栄書房,2013年)

2013/07/25 ブラウン・シケイダーの襲来!?

蝉の大合唱を潜り抜ける。出たな、ブラウン・シケイダー。また、憂鬱な季節の幕開けだ。

毎年、ボクはこの時期になると、玄関で立ち往生することになる。我が家の玄関前の壁は蝉には居心地がいいらしい。きっと、天上の灯りを拠り所にしているのだろう。夕刻、帰宅しようとするボクの入室を、やつらが阻むのだ。バタバタバタ、と豪快な音を立てて、飛び回る。特に死ぬ直前のやつらが難敵で、方向感覚を失いながら、あっちにこっちに突撃を繰り返す。急降下したり、急旋回したり……。

遂にそんな季節がやってきたのだなあ。蝉の大合唱をBGMに、ボクは悲壮な覚悟を胸に、扉を開けて外に飛び出すのだ。……帰宅時、蝉がいませんように。

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