《過去の雑記》

過去の雑記66件から85件までを掲載しています。

2013/11/01 上大岡散策。

本日は早く帰宅。時間どおりの帰宅なんて珍しいことだ。せっかくなので上大岡でお買いもの。ウィンドウ・ショッピング in 本屋さんってヤツだ。上大岡のあおい書房が意外と広いことに驚く。実は何度も来たことはあったけど、こんなにゆっくりとこの本屋さんを歩いたのは初めてだ。大抵、ちぃ子と二人なので、全部はぐるりと巡回できていなかった。特に専門書。豊富に取り揃えられていてイイ。せっかくなので、コピック彩色の解説本を購入。しめしめ。これで年賀雑誌の表紙をうまく塗ってやるのだ。ふふふ。

2013/10/31 胎教のためにクラシックを(笑)

ハッピィ・ハロウィーーーーーンっ!!!

最近、日本でも大盛り上がりだ。みんな、仮装しているし、お祭り騒ぎ。雑貨屋さんじゃ、カボチャ商品が並ぶし、J-POPシーンでもハロウィン・ネタの歌が流れる。でも「仮装」の面が強調されてはいるものの、「トリック・オア・トリート」と言ってお菓子を求めて隣家を巡る文化は浸透しないなあ。まあ、危ないからなあ。アメリカでも銃で打たれたりしたし。地域社会の関係性が希薄だ、ということかもしれない。

* * *

胎教にいい、という都市伝説を鵜呑みにすることに決めて、最近、クラシック音楽のCDを買ってきては家で流している。クラシック音楽が胎児に効果があるかどうか。正直、ボクは懐疑的だ。流している音楽は胎児も聞こえる。だから、音楽によっては何らかの影響を与えるだろう。うるさいロックをガンガンにかけるのと、静かなバラードをゆったりとかけるのでは、きっと違う効果が現れるだろう。でも、だからと言って、クラシック音楽に格別素敵な効果がある、とボクは正直、思っていない。本当のところは、ちぃ子が好きな音楽を聴いて、ワクワク・ドキドキしていれば、それが一番、胎児にいい影響を与えるだろう、と思う。

そんなわけで、ボクが最近、家の中でクラシック音楽を流しているのは、胎教にいいと信じての振る舞いではない。あくまでも「胎教にいい」という都市伝説を「信じて」流しているというボクのポーズを見せている。ボクが「胎教にいい」ことをしているというポーズを示すことでちぃ子が喜べば、それが巡り巡って胎児にいい影響を与える。そう思っている。

クラシックのCD
クラシックのCD

本日はベートーヴェンの交響曲全集とドヴォルザークの交響曲全集を買ってきた。どっちも9番まである。そして、どっちもボクは9番が好きだ(笑)。基本的に、クラシック音楽に対してはミーハーのボク。それにしても、ベートーヴェン、意外とマイナが楽曲は知らないもんだなあ。ベートーヴェンの交響曲なんか、あっちこっちで流れているから、聞いたことくらいあるだろう、と高を括っていたんだけど、7番、5番、9番くらい。後はサッパリ知らなかった。あっはっは。

2013/10/30 構想時間なきプロジェクトに覚悟する。

時間がない中で必死になってポスターをつくっている。2週間前に突然、企画が立ち上がって、そこから走りながら考えてきた。でも、やっぱり、それなりの出来にしかならない。ものづくりが大好きなボクとしては、正直、ちょっと不満。否。大いに不満である。

ものづくりにおいては、結局、時間は大切な要件だってこと。しかも、作業期間よりも、もっとずぅっと大切なのは構想期間。そこでいろんなアイディアなり発想なりを出し切っておかないと、いい仕上がりにはならない。作業時間すらままならないこのプロジェクトは果たしてどうなってしまうのだろう。

もう時間はない。それは分かった。だけど、ここから少しでも挽回できるだろうか。うーん。正直、よく分からない。でも、頑張るしかない、とボクは内心、思っている。そのためにボクがとれるあらゆる手段を講じなきゃいけないなあ、という覚悟もある。それが結局、ボクに対する評価に繋がるのだ、という自覚があるからだ。頑張れ、自分。ファイト!!

2013/10/29 ボクは密かにヒソカみたいな服を買う

西松屋に行って、いろいろと買い込む。子供の服って小さいなあって思ったよ。しかも、西松屋の服って、何だかちゃっちい。でも思った以上に安い。多分、赤ちゃん服ってすぐに着れなくなっちゃうからだろう。すぐに汚すだろうし。それにいろいろと必要なものが多いので、そんなに高価なお洋服は買えないのだ。需要と供給があって商品が成立するのだな。

でも、一般の赤ちゃんの服と比較して、新生児の服って圧倒的にデザインが劣る。何故だろう。着せやすい脱がせやすいとか、かぶれないとか、ちゃらちゃらとひっかからない方がいいとか、そういういろんな機能性が大事だ、ということだろうか。70cmくらいのサイズになると素敵デザインの服がたくさん並んでいる。でも、50~60cmだと、うーん。もう一歩、という印象の服ばかりになる。それでも、端から端まで眺めて、少しでも素敵デザイン側の服を探すボクだ。

そんなわけで、ヘンテコな服をゲットした。ふふふ。

某マンガのヒソカみたいな服
某マンガのヒソカみたいな服

2013/10/28 上司からのSNS申請はパワハラか!?

上司が部下にSNS申請をする。これって白か、黒か。ボクは知らなかったんだけど、結構、あちこちで話題になっている。正直、難しいところだな、と思う。友達同士の申請でも、何だかんだ断りにくい。それが上司と部下だ。そもそも、SNSの申請って変な圧力があって、断らないことが大前提なのだ。もっとフランクにお断りできる環境が構築できればいいんだけど、なかなか難しくって、申請するときも、承認するときも、いっつも悩んでしまう。

実は、ボクの今の上司は申請してこない。結構、ネットワークを持っていて、あちこちで繋がっているっぽいので、基本的にはSNSが好きなのだろうし、たまにfacebookの話をしていて、結構、ヘヴィ・ユーザなんだろうな、と思っている。それでも、申請してこないのは、上司と部下という人間関係を踏まえた上で、線を引いて、自ら申請しない、と決め込んでいるのかもしれない。

ここは大人な対応で、部下から上司へ申請すべきなのだろうか。……うーん。そんなことで悩んでいるあたり、日本って平和だなあ(遠望)。

2013/10/27 山全部が蜜柑畑!?

ロープウェイで伊豆葛城山の山頂へ。ものすごい長いロープウェイ。しかも高い。絶景。

ロープウェイ、イェイ。
ロープウェイ、イェイ。

伊豆葛城山の百体地蔵尊
伊豆葛城山の百体地蔵尊

午後からは蜜柑狩り。山全部が蜜柑畑。どこから捥(も)いでもいいですよ、というコンセプトがすごい。約5ヘクタールもあるらしい。おいしい蜜柑の木を見つけてロック・オン。

さあ、蜜柑狩り!
さあ、蜜柑狩り!

2013/10/26 飯田さんの「沼津みなと新鮮館」♪

毎年恒例になっている「おっさんたちの修学旅行」が今年もやってきた。今年の行き先は伊豆長岡。ニーチェの運転する車に乗って、まずは沼津を目指す。

「沼津みなと新鮮館」という歌が某所で流行っているらしい。ボクは全ッ然知らなかったけれど、さすが博識ニーチェは押さえるところは押さえている。車中で無限ループで再生して、みんなで歌うというドンちゃん騒ぎ(笑)。

沼津みなと新鮮館の入り口にて
沼津みなと新鮮館の入り口にて

こんな変な煽り文句を発見したよ。

当店で使用している魚はすべて、死ぬまで生きていました
当店で使用している魚はすべて、死ぬまで生きていました

……って、そりゃそうだ。なんて哲学的な文章なんだ。分かった気にさせて、実は何も分からない煽り文句だ。

意外とよかったのが沼津港深海水族館。珍しい生き物がたくさんいて、見せ方も面白い。どこかの動物園の形態展示、という程ではないけれど、でも、深海魚が海底で光る様子を見せたり、それぞれの生き物の特徴をキャッチーなコピーを振って紹介してみたり。なかなか工夫が行き届いている。

深海水族館の入り口にて
深海水族館の入り口にて

深海の生き物に興味津々なニーチェとみなとん
深海の生き物に興味津々なニーチェとみなとん

伊豆の国ハワイアンにてフラを踊る。ニーチェの企画するおっさんたちの修学旅行では、こういう体験型の企画が盛り込まれることがしばしばある。もう、筋肉痛コースまっしぐらだ。でも、楽しかった。意外と初心者向けにやさしく教えてくれたし、エッセンスは習得できた。ヒップホップを学習していたというのも大きかったかもしれない。多少、応用が利くんだな、と思った。

レッツ・フラ
レッツ・フラ

2013/10/25 技術屋さんと事務屋さん

今年、ボクらの課に配属された事務職のY嬢の「技術的な話」を理解するスピードが飛躍的にアップした。これって、とてもすごいことだ、と思う。

技術屋さんって、いろんな仕事をするときに、必要に迫られて、事務の世界に踏み込んでいかなきゃいけなくなる。何をするにも予算を申請しなきゃいけないし、いろいろな調査研究、その他、業務には契約行為がつき纏う。どうしたって、大なり小なり事務的な手続きが必要で、だから事務的な世界に足を踏み込んでいくことになる。当然、事務屋だって同じで、技術屋さんと仕事をしようと思ったら、その技術屋さんの業務内容を知らなきゃいけない。そうじゃなきゃ、予算を要求されても、それが適切な業務なのか分からない。「この実験をするのにこの計測器が必要です」と技術屋に言われて「はい、そうですか!」じゃ、事務屋はやっていけない。何を目的にした実験で、その計測器が何の役に立つのか分からなきゃ、本当のところ、ダメだ。

我が社はこれまでん、あんまり事務屋さんが技術屋さんの世界に足を踏み入れて来なかった。技術は技術が判断すればいいや、という感じだろうか。技術が事務で必要なことがあるなら手伝うけれど、勝手にやってよね、というスタンスだった。だから、技術サイドが必要だと言えば、吟味することもなかった。積み上げたら積み上げた分だけお金が使える状態だから、これってとっても危険な香りがする。

でも、最近の事務屋さんは熱心だ。技術的な内容にまで興味を持ってくれて、いろいろなテクニックとかアドバイスも授けてくれる。そんな中でも、Y嬢の「技術的な話」を理解するスピードは断トツだ。先日は2次元動的解析の構造部材と非構造部材の違いをあっという間に理解してくれた。

* * *

「施設の耐震化」って何だろう。施設が壊れないことか。施設がちゃんと機能することか。非構造部材が壊れても構造物としては壊れないという状態と、機能を担保するためには非構造部材であっても壊れないという状態。さあ、どっちだ。

2013/10/24 カラオケ・イン・イングリッシュ♪

本日は海外からの研修員に講義。今回、通訳はつかないので、全部、英語で対応しなきゃいけない。なかなか大変だ。言いたいことの20%も言えなかったんじゃないか。でも、いつも思うのは、台本を書いていくと失敗するということ。台本が完璧に出来上がっている部分と、アドリブで喋ったところでは、多分、アドリブで喋っているところの方が、研修員の喰い付きがよかった。でもでも、だからって台本を書かないと不安になるし、行き詰まるのも見えているので、その辺、どれだけアドリブを想定した台本を作るかだ、と思う。その辺はとっても難しい。

その後、大宴会。それからみんなでカラオケ。英語の歌を覚えておくというのは、こういうときに役に立つんだなあ、と思った。海外の人を相手にJ-POPを歌ったって、そりゃー、盛り上がらない。ボン・ジョヴィなんかはみんな知っているらしいので、大いに盛り上がる。

2013/10/23 アイディア・マン

アイディア・マンはどこにでもいる。そして見かけによらないものだなあ。隣りの課の人が、実に素敵なアイディア・マンで、ユニークなアイディアを次から次へと出してくる。一緒のプロジェクト・メンバになって、初めてそういう才能がある人なのだ、と知った。普段は寡黙なんだけど、実は胸に秘めた想いはすごかった、というところか。

こういう仕事って楽しいよね。ついつい、ボクも頑張っちゃおうかなあって思ってしまう。そうなるとお互いウィン・ウィンの関係になれる。そういうビジネスが理想形だ。だから、ボクも楽しいアイディアをいっぱい出して、みんなを触発しなきゃ、と思って行動している。

2013/10/22 たまにはただの独り言。

何度も言おうと思う。誰が見ているわけでもないし、届くかどうかも分からないけど。ボクは英語が苦手だ。ホント、心の底から思っている。それなのに、どうしてボクのところに英語の仕事が舞い込んでくるのか。ボクが英語が出来る人だというのは、絶ッ対に幻想だ。ファンタジィだ。どこでどう捻くれたのか分からない。ボクが英語喋っているところなんて、誰も見たことがないクセに。もう、いつだって必死だ。でも、だんだんと与えられる仕事が重たくなっていく。うへー。

というわけで、まあ、何だろう。ただの愚痴だよ? たまにはいいよね?

2013/10/21 出雲阿国

「出雲阿国(いずものおくに)」って、名前はよく聞くんだけど、具体的に何なのか、よく分かっていなかった。でも、歌舞伎の創始者だったんだね。全ッ然、知らなかったなあ。コンビビで『ニッポンの伝統芸能』という本が売っていたので購入してみた。能、狂言、歌舞伎について解説してくれている本で、なかなか眼の付け所がマニアックというか。ボクとしては、こういうのは専門外というか、門外漢なので、ちょっとドキドキしながら読んでいる。もしかしたら、こういう資料の中にファンタジィ事典の要素が含まれているかもしれないなあ、という淡い期待もある。

人間、学習できることには限りがあるので、何でもかんでも知ることは出来ない。知的欲求に対して、世の中の知識の方が圧倒的に多いのだ。だけど、なるべくいろんな情報に触れておきたいなあ、と思って、たまに変な本を買ってみたりする。それって、経済の本かもしれないし、心理学の本かもしれない。歴史の本、医学の本、科学の本。新しい知識を得て、そして、ある瞬間に思考回路が飛躍したり、変なところで知識と知識が結びついたりする。そういうのが面白いなあ、と思う。


『ニッポンの伝統芸能』(枻出版社,2011年)

2013/10/20 パズドラのキーホルダ。

長野から帰宅。ヘトヘトだ。いろいろと予定が入っていたが、スケジュールはがらがらぽん。まあ、それでも、得るものは多かった。お葬式は外から見ると分からないことだらけだ。中に入ってみて、初めて、いろいろなことが分かる。

* * *

あ、そうそう。佐久平の駅のおみやげ屋さんで、パズドラのキーホルダーが売っていた。昔、流行ったご当地キティとかリラックマ、カトちゃん、チョッパーみたいな感じで、パズドラの3体のモンスターたちが長野県仕様になっている。パズドラって、そんなに認知されているのかしら? まあ、そういう風にプロモーションしたいんだろうなあ。

* * *

引っ越しハガキが完成した。試しに印刷してみた。インクジェット紙って、綺麗に印刷できるから素敵だ。それにしても、いつも思うことだけど、EPSONのフチ無し印刷って、サイズ調整が難しいよなあ。なかなか、デザインしたとおりのサイズに印刷されない。ちょっとだけ、コツが必要だ。結局、いつものとおり、何枚か試し印刷することになる。

2013/10/19 読経って宗教音楽だなあ。

本日は告別式。まず、これだけは書いておこうと思う。ボクは読経に感動した。人様の告別式に出席しておいて感動するのも不謹慎な話だけど、でも、なかなか得がたい体験だった。快感音楽というのかな。マーラーみたいな感じ。ピヤーッと心が気持ちよくなっていく。ああ、読経って宗教音楽だなあ、と思った。教会が天井を高く作って、賛美歌を高らかに響かせるのと同じで、読経も頭がぼうっとして、洗脳されていく感じがある。それぐらい気持ちが良かった。

それから、火葬。これって何度見ても、圧倒的だ。「これでお別れだぞ」という圧倒的な破壊力。強力なメッセージ。死者との明確な決別を演出してくれる。これぞまさに遺族にとって必要なセレモニィだ。

2013/10/18 お葬式は誰が為にある?

義祖父のお通夜に参加している。ちぃ子の実家なので、ボクはほとんど面識のない人々だ。結婚式で一度会ったことのある人もちらほらいるけれど、正直、ちぃ子の従兄弟も、叔父さんも叔母さんもよく知らない。しかも「本家の人々」なんかも登場して、ボクとしては右往左往する感じ。緊張甚だしい。

それにしても、他人様のことながらも、ちょっと前時代的だな、と思う。

個人的な意見だし、誤解を招く恐れはあるけれど、極論、ボクは、死者にとってお葬式って何の意味も持たない、と思っている。もちろん、宗教的にはそういう解釈をしちゃ駄目だ。たとえば、仏教で言えば、死者は四十九日かけて転生の準備をするので、そのための祭儀は必要になる。六道輪廻、何に転生するかは、死者にとっては非常に重要な問題だ。そして、何故だか知らないけれど、読経によって、罪が軽減されるらしいので、死者の立場からすれば、必要なタイミングで必要な法要を実践してもらわなきゃ、困るわけ。まあ、ボクは仏教徒じゃないのでよく分からない。

でも、それって宗教的な意味であって、この場合、厳密に、宗教の文脈に則って実践してこそ意味のあるものだ。だから、簡略化してしまったり、商業化されたりすると、本質から外れてくる。もちろん、信仰は自由だから、信じる人は好きにやればいい。でも、今となっては、お葬式の大半は、そういう意味を持った行為じゃなくって、単なるセレモニィに成り下がっている。そういう意味じゃ、死者にとっては、そういう「お葬式」って、どうでもいい話なんじゃないか。

それじゃ、お葬式なんて必要ないのか、というと、実のところ、ボクはそうも思っていないのだ。ボク自身は、遺族のためにこそ、お葬式が必要だ、と思っている。死者とうまく決別するために必要なセレモニィもある。心の整理というか、ね。どれだけ馬鹿馬鹿しくっても、儀式めいていても、それで遺族がうまく死者と決別して日常に戻っていけるのなら、お葬式には大きな意味がある。むしろ、そこにこそ、お葬式の価値がある、とすら思っている。もう一度、言う。誤解を恐れずに書いている。

そういう意味じゃ、ゴテゴテして飾り立てたお葬式に、そういう作用がたくさん含まれている可能性はあるんだけど、それにしても、前時代的だなあ、という印象を受けた。装飾過多で、あれもこれもあって、多分、もう少しいろいろ省略しても、人々はうまく死者と決別できる。

2013/10/17 冠婚葬祭の線引きって曖昧で難しい。

ちぃ子から、義祖父が亡くなったとのメールがあって、急遽、長野へ向かうことになった。ある程度、切りのいいところまで仕事を進めて、それから後のことは全部、頼れる先輩に託して帰省。義祖父は5年くらい入院していたので、ある程度、覚悟は出来ていたんだけど、それでも、大慌ての帰省である。

亡くなったのはボクの直接の祖父母じゃない。妻の祖父母なので、忌引きにしてお仕事を休む程の案件ではないかもしれない。妻の両親は「嫁いで行ったのだから来る必要はない」と言っているらしい。本当のところはどうなのだろうか。悩んでしまったので職場でいろいろと相談してみた。そうしたら「田舎のお葬式は忙しいのだから、行けるのなら行った方がいいだろう」というのが多数派だ。その忠告に従って長野に向かうことにする。

こういうのって、どうなんだろうね。冠婚葬祭って、明確な決まりがないので、空気を読まなきゃいけない。職場の空気もあるし、田舎の空気もあるし、当事者たちの空気もある。何が正解なのか、全ッ然、分からないよなあ。

2013/10/16 間引き運転に意味はあるのか!?

台風一過。超暑い。それにしても、間引き運転って、どういう効果があるの? 誰か、鉄道関係者、ボクにメリットを教えてくれないかね。……と言いながら、ボクは全ッ然、台風の影響を受けず、いつもどおりに通勤できたし、混雑もしていなかった。ビバ、横浜市営地下鉄。

まあ、それはそれとして、ボクは間引き運転のメリットが、全ッ然、思いつかないんだよね。うーん。結局、電車の本数を間引いても、乗る人は乗るわけで、車両はパンクする。乗れない人が出る。でも、乗客はクールじゃないので、無理やり乗ろうとする。押し合い圧し合い。ドアがなかなか閉まらない。駅員さん、頑張って押し込んで、何とかドアを閉める。列車が発車する。そんなこんなで、出発までに時間が掛かって、ダイヤが乱れる。結果、どんどん、ヴィシャス・スパイラル。……とボクは思う。

徐行でも何でも、いつもと同じだけ人を乗せて、ゆるゆる走った方がいいのではないのか? それとも、押し合い圧し合いして遅れることも想定したダイヤで運行していて、全て、想定どおりなのか?

ボクとしては、この押し合い圧し合いのストレスの方が、よっぽど社会損失だ、と思っている。精神的にも、体力的にも。

2013/10/15 フランスのAmazon排斥運動は如何なものか。

フランスがAmazon排除に動き出したらしい。基本的に、フランスではイギリス系の企業は敬遠される傾向にあるらしい。でも、法律で規制して、結果、該当する大手企業がAmazonだけ、というあからさまなやり方を取るところ、流石にフランス、という感じ。

でも、既得権益と新規参入。どっちが大事だろうか。文化を守るために出版社と本屋を守る、ということらしい。それはそれでオーケィだ。でも、絶対にオンラインで本を買う習慣を持つ人が不便になる。そういう人種が本を読むことに億劫になって、読書人口が減った場合、それって文化を守っていることになるのか。ボクはちょっと疑問だ。

まあ、政治的にいろんな思惑があるのは分かるけど、ね。フォアグラを流通させてくれないAmazonへのフランスの嫌がらせなのだろう。でも、結果として、オンラインで家で気軽に本が買えるということで消費行動に傾いていた読者層には、マイナスに作用する。結果的に、読者人口は減ることになるだろうし、読書文化はマイナスにシフトする、と思う。

2013/10/14 イメージとアウトプットのギャップを縮めるために

ようやく念願の引っ越しハガキのデザインが出来上がった。ふふふ。年賀状など、ハガキでのお付き合いがある方にはお送りいたします。お楽しみに。9割方、イメージどおり。こういうのは、結構、珍しいことだ。大体、頭の中のイメージが劣化した形でアウトプットされる。今回は、まあまあ、思っていたとおりの仕上がり。ボクのアウトプットの腕が上がったのか、アウトプットとの誤差が小さくなるように、出来上がりを下方修正する能力が上がったのか……。多分、後者だろうな、と思っている。

若干、コピックの色合いが薄かったかな、と思っている。この辺はスキャナの性能もあるので、今でもなかなかコントロールできない。紙面上では、結構、いい具合に塗れているな、と思っていたんだけど。それから線画。もう少し太い線で描いた方が、写真に対して映えたかも知れない。辰年のときの年賀状で、何となくそんな気がしていたのだから、それを踏まえて、今回、絵を描くべきだったなあ、と反省。今後の創作には、ちゃんと反映させよう、と思う。

それにしても、美味しそうなパンの絵が描けたので、それはそれで大変、満足している。

2013/10/13 原始的な道具って偉大だ。

せっせと野良仕事。まさに「開墾」という言葉がピッタリだ。草ぼうぼうの土地。そこを立鎌で草を刈って、鍬で土を掘り起こして、畝を作って畑にしていく。でも、農業の道具というのはすごい。まさにその役目に特化している。あっという間に、多分、3時間くらいかな。草ぼうぼうの土地が畑に変わってしまった。立鎌は、慣れてしまえば、草を刈るのに最適な形、角度で、チカラを入れなくっても草が刈れて、浅い根っこならほじくり返せる。鍬は土を掘り起こすのに最適の道具で、あっという間に地表面の土が柔らかくなる。空気を入れられる。

カナヅチとかもそうだけど、それに特化した道具っていうのは素晴らしいな、と思う。PCとか自動車とか、複雑なアイテムも、テクノロジィではあるんだけど、原始的な道具のシンプルさには敵わないな、と思う。

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