《過去の雑記》
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2012/09/08 人権について思う。
「人権」という言葉は、何だか不可侵なイメージがあって、腫れ物に触るような感覚があるんだけど、実はそこには何らかの利権構造があるのではないか、と思うようになった。差別された人々からすれば、そりゃー、差別撤廃は悲願だ。ボクとしてはそこに異論はない。でも、差別されていた人々が、その差別の事実によって何らかの利益を得られるような構造になってしまった場合、必ずしも、単純な差別撤廃がゴールではなくなってしまうような気がする。差別されているからこそ得られる利益があって、差別されなくなってしまったら得られない利益があって、そうなったら、何としてでも差別されている状況を作らなければならない。そんな歪んだ構造があるんだけど、でも、「人権」という言葉の中で、不可侵なものに昇華されてしまって、深く切り込んでいけなくなる。
たとえば、そのひとつに「高齢者」が挙げられるかもしれない。「高齢者に優しい社会」という名目は涙が出るくらいに素晴らしい。でも、そのお題目のために無尽蔵に投資できるわけじゃない。でも、そこに投入するお金が本当に妥当かどうかの議論に発展しにくいのは、「人権」みたいな不可侵な言葉がバリアーになっているように感じる。
「建設工事の無駄を減らせ!」と言うのは簡単だけど、「高齢者対策の無駄を減らせ!」という議論は、なかなか声高に議論しにくい。でも、本当は同じ土俵に並べて議論しなきゃいけなくて、高齢者対策の中にも無駄な投資はある。何もしなくたって、高齢者は勝手にどんどん増えていくわけで、今のままの枠組みでいいのか、という問題があって、今後、多少なりとも高齢者に我慢を強いなきゃいけない部分もある。若者が虐げられるべきか、高齢者が虐げられるべきかという問題で、何となく「高齢者」は不可侵な存在にされて、本質的な議論に辿りつけない。その背後には、高齢者が弱者だという意識がある。そして、高齢者の「人権」という不可侵な文言が邪魔をしているのだ。
同和問題もそうで、彼らのつくる教材やビデオに対して、お役所は無尽蔵にお金を投資している。人権団体への出資も少なくない。気持ち悪いくらいに、お役所は彼らを擁護している。でも、人権研修だって、本来はコスト縮減の対象である。同じ教材を繰り返し使っても同程度の目標は達成されるわけだし、わざわざ高額な講演会を開催する必要はない。それに、もしかしたら、同和問題よりも深刻な格差が現代社会にはあって、そここそが本当に議論しなきゃいけないところなのかもしれないのに、あんまり、そういうことを考えている素振りはない。何となく、そこは不可侵な領域になっている。それは彼らが被差別者だからだ。
「人権」というのは魔物だと思う。そんなマヤカシみたいなものに振り回されたくはないな、と思う。誤魔化されちゃいけない。
今日のボクはと少しだけ過激だな。でも、このくらいの過激さも、ときには必要だな、とも思う。
2012/09/07 ぐるぐる回ってアウフヘーベン。
ヒップホップで踊り疲れてヘトヘトなう。でもでも、段々と感覚が戻ってきたのであることよ。うほほーいッ!
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会社が段々とざわついてきた。大きな会議を前に、みんな、思い出したかのように水面下で調整を始めたみたいだ。でも、今回はいろいろと不手際があったらしく、水面下で収まらなくなっている。こちらまで飛び火してきそうな感じだ。朝からずぅっと、電話がリンリンと鳴りっ放し。電話に出るのが怖くなるよね。これは……ネコロバになりそうだな。
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目的を見誤ったらいけない。一挙手一投足には、本当は意味がある。一歩一歩には、本当は目的がある。それを、しばしばボクたちは取り違える。没頭して、思い込んで、盲目になって、気がついたら全ッ然、違うところを歩いている。そんなことはよくあること。客観的に外側から見ている人には分かるんだけど、やっている本人には分からない。多分、今のボクは客観的に外側から見ている人にならなきゃいけなくて、適切な助言を与えなきゃいけないのだ。そして、その助言を与えるというボクの行為を、外側から客観的に眺めている人がいて、ボクに適切な助言を与えてくれる。そんな風に、ぐるぐると連鎖しながら、世の中は回っている。
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実は今日のボクは非常に技術屋さんだった。最近は、片足を事務屋さん側に突っ込んで仕事をしている。それはそれでボクには楽しいんだけど、でも、今日みたいに技術屋さんとして尖がった感覚で勝負しているときの方が純粋になれる感じがする。それにスリリングで、とても楽しいと思う。ボクはきっと技術屋さん寄りなのだろう。でも、本当は絵を描いているときの方がずぅっと真摯だし、作曲しているときの方がずぅっとセンシティヴだし、小説を書いているときの方が世界に潜り込んでいる。そういういろんな感覚の間をぐるぐると回りながら、自分の立ち位置を再認識する作業が好きで、いろんな趣味の間を遍歴するのだ。
英語で考えるというのも、ギリシア語で考えるというのも、実は同じで、言語が変わると感覚が変わる。その間をふらふらしながら、自分の中身を変えていく。役者をやっていたボクも、多分、そうやっていろんなものの間をふらふらしていた。ふらふらして、いろんな視点、いろんな感覚を味わって、そうやって、またボクに戻る。そうやってアウフヘーベンするのである。メイビィ。
2012/09/06 エンタメに満ちたインド神話サイト!?
人には色んな価値観があって、色んな捉え方がある。何をどうやって考えるのか。どうやって伝えるのか。何に意義を見い出すのか。何を是として何を非とするのか。分かり合える場合もあるし、分かり合えない場合もあるのだなあ(遠望)。だから、気を引き締めて掛からないといけない。
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取り立ててインド神話に大きな興味があるわけではないんだけど、最近、色々と手を伸ばしている先が偶然、インド神話だ。そして、意外とインド神話には良質なサイトがたくさんあることを知る。
書籍というベースでは、ギリシア・ローマ神話は豊富に資料がある。古典も大分、翻訳されているし、解説本の出版数も圧倒的に多い。北欧神話なんかは、オンラインの分野では、好事家が頑張っているのか、専門家がオンラインに進出しているのか、比較的、正確な情報を手に入れやすい。そして、インド神話だ。明らかに素人が作成しているウェブサイトが多くって、そして面白い。何しろ、表現がエンタメ性に富んでいる。よくよく読むと書いてある情報がすごくディープで、正確そうに見える。「見える」というのは、ボク自身、あんまり深く検証できていないからだ。インド神話についてはそんなに詳しくないので、記述されている情報が正しいのかどうか、判断できない。でも、膨大な書籍を読んだ上で書いているのだろうなあ、と類推させる記述が散見されるので、信頼できそうだぞ、と感じる。そういう素人の面白ウェブサイトが多いのがインド神話だな、という印象。そして、こういう、信頼できそうだぞ、という感覚は大抵、外れない。
日本人はインド神話が好きなのかな。まあ、エジプト神話とインド神話って、独特なので、面白いよね。造形があるものって、すごくイメージの部分に訴えやすくって、仏像とかって見ていて楽しいと思うし、古代ギリシアや古代ローマの彫刻もいい。でも、どっちも洗練されていて、エンタメ性は少ないのかも。それに比べると、インド神話とかエジプト神話の造形って洗練されていない。そのくせ、心に訴えかけてくるものが多い。そういう意味じゃ、独特な魅力があるのかもしれないなあ。
2012/09/05 クールに決められて、敵わないなあ、もう。
人に何かを説明するというのは難しい。それを易々とやってのけられたのでビックリした。やっぱり、頭の切れる人は違うな、と思う。「分子生物学」という難しい学問を、こんなにも分かりやすく説明されてしまった。池上彰並みの適切な噛み砕き方だった。もう、ぐぅの音も出ない。うーん、感服。若いのになあ。イケメンなのになあ。天才なんだもんなあ。
ボクはいつだって、噛み砕いた説明というのに憧れつつ、どこか壁を感じている。何よりも顕著なのが自分のウェブサイト。当初のコンセプトというか、基本的な枠組みが間違ったんだけど、あんまり噛み砕いた説明になっていない。そして、そのまんま大きくなってしまったので、簡単には直っていかない。だから、さらりとやられてしまうと(もちろん、彼は真剣に中身を吟味して戦略的に取捨選択をしているのであって、外向きにはクールにさらりと見せているだけなんだけど)、憧れてしまうなあ。
2012/09/04 デンデン、デデン、デン、レッツゴー!!
くだらない話に花は咲かない。みんな、へらへらと笑っているけれど、ボクは冷めた目で眺める。今日の面子は全ッ然、つまらない。楽しくない。どうしてくれようか。いつものボクは素敵な人々に囲まれているのだ、と再認識。「またね!」と言われても、はい、さようなら。そんな気分。
こういう気分になるときって、決まってボクの調子がいいときだ。断ッ然、気が滅入っているときではない。気分がハイでノっているとき。ノっているから、ギャップに愕然とするのだ。ボクの頭がフル回転して、いろんなことに思いを馳せているときほど、多分、こういうくだらない世界に辟易する。辟易するけれど、でも、逆に、ここにビジネスチャンスがあるのだ、という自覚もある。ボクには全ッ然、必要ないものを、彼らは欲する。だから、そこには明確なビジネスチャンスがある。このビジネスチャンスに踏み込んで、彼らを食い物にする人間が金持ちになれるのである。無自覚に、搾取されていく人間と、自覚的に搾取する人間と……。さてはて。ダークだな、自分。はっはっは。
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さて、と。話題は変わるけれど、何事も時間が経てば武勇伝になる。失敗も失態も、気がついたら伝説になって持て囃される。新宿歌舞伎町の夜の街で8万円をぼられた彼は、それだけで、もう、断ッ然、英雄だ。だから、何事も恐れることはない。
2012/09/03 抜き足、差し足、忍び足!!
ここのところ、ちょっとずつファンタジィ事典miniを軌道修正中。目指せ、エンターテイメントというわけで、お硬い文章を軟らかい文章へとシフトさせている。とは言え、現時点で420項目あるので、そんなに簡単じゃない。ゆっくり、ゆっくり、アルコール蒸留の精神でやっていこうと思っている。
それから徐々にミニコラムを展開中。まだ表には表れない。でも、少しずつ形にしていこうと思っている。
2012/09/02 発想とその対価
ベルトをし忘れたので、大船駅の駅ナカの無印にて購入する。便利な世の中になったなあ。大抵のものはコンビビや駅ナカで購入できてしまう。「すぐにお使いですか?」と店員さんに聞かれた。ベルトをしていないのに気付かれたのだろう。「はい!」と答えたら、すぐに値札を切ってくれたものの、何だか恥ずかしい。
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「アフィリエイト」という仕事は最近、浸透してきたと思う。何となくゴミみたいなウェブサイトを大量に作ったり、自動で掲示板にペタペタとリンク目的の書き込みをしていったり、と低俗なことをしている人がたくさんいるので、どうしてもボク自身、「アフィリエイト」という言葉には、低俗な印象があって、拭えない。
でも、アフィリエイトというのは、何らかの目的を持って検索する顧客がいて、その目的物を販売したいという店舗がいる。その二つを結びつける役目を果たしている。非常にロングテール的な部分でのお互いのニーズを満足させる。そういう橋渡しをする仕事である、というのが本来的なアフィリエイトである。
昔、価格.comというのが流行った。もちろん、今も健在だ。一番、安い価格で販売している店舗なんかを見つけることができるわけだ。でも、実はこれが「アフィリエイト」だって知っている人は少ないだろう。安い販売店を紹介することで、価格.comは仲介広告料をとっているわけ。
いいとか悪いとかじゃない。日本人はどうしても金儲けにマイナスの感情を抱きやすいけれど、広告料をとって儲けやがってなどと考えてはいけない。この価格.comはものすごく人の役に立っている。あるいはユーザのニーズを満足している。だから成立する。だから大きなウェブサイトに成長できる。これが本来のアフィリエイトの姿なのだ。
何事もアイディア次第だなあ、と思う。同じことをやってもダメ。結局、発想が大切なのだ、と思う。その発想に対して、それ相応の対価がついて回る。いいことではないか、と思う。
2012/09/01 パスタイムからのパスタタイム(笑)
全身筋肉痛でぐったり。アップテンポなヒップホップってキツイね。しんどくって結局、1日、ダウンしていたような感じ。
お昼は洋光台駅前のカフェ&バーのパスタイム。それから、夕餉はスパゲティ・アッラ・プッタネスカ(Spaghetti alla Puttanesca)。久々にイタリアン。まさにパスタイムからパスタタイムである(こらこら!)。
プッタネスカは楽チンでいい。何しろ、アンチョビもケッパーも黒オリーブも瓶詰の既製品だし、トマトソースさえ作っておけば、ニンニクを微塵切りに、唐辛子を輪切りにするだけだ。後はパスタを茹でて、これらの材料を炒めたところにパスタを放り込むだけでいいのだから、簡単だ。でも、アンチョビの薫りが部屋中に立ち込めて、それだけで本格イタリアンな気分になれるところがいい。
ボクの手持ちのレシピは少しオイリーな感じがしたので、自分で勝手にちょっとずつオリーブ・オイルの量を削減中。それなりに自分の味覚とか身体に合うようなパスタに移行できている。いい感じだと思う。ふふふ。
2012/08/31 ヒップ、ホップ、ジャンプ♪
久々にヒップホップを踊った。全ッ然、踊れねぇでやんの、あっはっは。人が変わればクセも変わる。すごく裏拍の取り方の難しいお姉さんだな、と思いながら、一所懸命ついていく。でも、途中で何度もドロップアウト。そんなわけで、明日はメイビィ筋肉痛。
1時間踊るだけでもいい運動になる。俺たちゃ爽ー快ー人ー間ーなのさッ♪ 結構、いい年のオジサマとかもレッスンに参加していて、それなりに踊れているのだから、すごい。それに引き替え、ボクはノー・センス。まあ、そのうち、多少は踊れるようになるだろう。頑張る。
2012/08/30 型にハマること、型からハミ出すこと
「ゆとり」というのは、あって始めて気がつくのだな、と感じる。「ゆとり」を持ってやりなさい、なんて諭す言葉には、何の意味もない。ときの流れの中で、ああ、今、「ゆとり」があるな、と感じるものなのだ。
そんなわけで、最近のボクは仕事はクソみたいに忙しいけれど、「ゆとり」がある、という非常に恵まれた状況にある。多分、俯瞰的に全体を眺める立場にいるからこそ生まれた「ゆとり」で、あれもしなきゃ、これもしなきゃ、といろんなことに目が向いて、気がつく。根回ししておこうとか、事前に報告しておこうとか、先に、先に、動いていける。心理的には、とてもいい状況だ。でも、全身は緊張していて、常に戦闘モードだと思う。戦闘モードで、全力投球で、それでいて「ゆとり」があるのだから、不思議なものだな、と思っている。
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型にハマるというのは大ッ嫌いなボクだけど、でも、型を知ることについては人一倍、努力している。型っていうのは、型っていうだけあって、むちゃくちゃ有効なのだ。有効だけど、面白みがない。でも、有効だという点では非常にイイのだ。困ったときには助けてくれる。
それは何にでも言えること。絵を描くときも、パースの考え方とか三原色の考え方とか、構図の取り方とか、基本に忠実にやれるということが大切で、そこからはみ出す応用力があれば、もっと無敵。文章を書くときだって、音楽をつくるときだって、料理をつくるときだって、一緒。だから、まずは簡単な基礎を勉強して、型を覚える。
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会議の場で、どう説明するかという道筋を考えるとする(何も考えないで喋り始める人の何と多いことか!)。で、そのときに、「起承転結」とか「目理法結」とかPREP法とか、まあ、いろんな型を知っておくことが大事だ。自分に与えられた時間と会議の面子、最終ゴールを見据えたときに、どの手段が最有力候補か。それを考えなきゃ、勝機は逃げていく。
ボクの鉄板は、全体の大枠はPREP法で攻めて、分割していった各論は「目理法結」の繰り返し。まずは結論(Point)がある。そして、そこに至った理由(Reason)があって具体的な話(Example)がある。そして、今後の予定も含めて、もう一回、結論(Point)。
その具体的な話(Example)を「目理法結」で攻める。こうしなきゃいけない。だって、こうでしょう? こうやるんです。そうしたらこうなるんです。こういう感じ。
大枠のPREP法の部分は5分以内で説明できるようなイメージ。そして「目理法結」の各論の部分もそれぞれ5分以内。それを積み上げていく。5分で説明できないものは、1時間かけても説明できない。それに、時間がない。いつ会議が終了してもいいように、結論が何度も登場して、そこで何度も議論が終わっていた方がいい。
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そんなことを、常に考えながら生きているよ、というお話。
2012/08/29 貶める!?
週刊誌なんかを読んでいて、ときに不快になることって結構あるんだけど、みんなはどうなんだろうか。誰かを貶める目的で書かれた記事って、読んでいて面白いのだろうか。誰某は視聴率が取れないとか、実は現場では性格が悪いとか、誰某と不倫しているとか、彼女はもう賞味期限だとか、いろいろと心ない言葉に満ちていて、ボクの場合、そういうのは、どうも生理的に受け付けない。読んでいて悲しくなるというか、何かが搾り出されて、ぽっかりと自分の中身が空っぽになるような感じがする。
そんなわけなので、極力、前向きかつ明るい文章を書くようにしよう。そんな風な反面教師。
あ、でも、ボクの場合、音楽は底抜けに暗くって、心を抉るような言葉が並んでいた方が、うきうきしてくるけど、ね。ふふふ。
2012/08/28 ココネーゼ
結局、9時半過ぎまで職場。最近、仕事が盛りだくさん。嬉しくない悲鳴である。
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最近、スマートフォン上で、ココネ株式会社のアプリに勤しんでいるボクだ。英語教材。毎日、イヤフォンで楽しんでいる。
随分昔(と言っても半年くらい前)、英語学習サイト「ココネ」というウェブサイトがあった。FLASHを駆使して、オンライン上で英語が学習できるという画期的なウェブサイトだった。今はもうない。何故、閉鎖してしまったのか、本当のところはよく分からない。でも、無料で大半の部分が楽しめたので、採算性の問題だろうと想像される。
正直、ボクとしては、よく、あれだけのサービスを無料で公開していたもんだな、と思う。驚きだ。本来であれば、価値あるものには、それなりの対価を支払うべきだ、とは思っている。その辺のスタート時点での設計思想が、ちょっと生温かったのかもしれない。日本人は「安い」とか「タダ」というのに弱くって、本当の物の価値を知らない人が多い。
閑話休題。今、ココネのスタッフは、スマートフォン用のアプリを鋭意、開発、販売している。当初から、徐々にスマホに意向していく雰囲気はあった。有料アプリだ。もちろん、それはいいと思う。それでいい。でも、残念ながら、無料だった頃の英語学習サイト「ココネ」ほどのクオリティはない。かつての方が断ッ然、クオリティが高かった。いろいろなゲームがあったけど、総合的に学習できた。単語は辞書とリンクしていたし、用例も豊富で、イラストで英語のニュアンスを説明してくれた。トータルで英語に向き合えた。
スマートフォン用のアプリは、だから、もう一歩という感じ。金額的には安いので、対価としてはそれで充分。文句はないんだけど、でも、どうしたって、ボクとしては、あの当時のクオリティと比較してしまう。
スマホは小さなPCとは言うものの、やっぱりPCにはなれない。単語をキーボードで打てるというのは重要で、断然、早い。マウスによる選択速度も、タッチパネルよりも断然早いのだ。だから成立していた。あれをスマホ上で再現するのは、正直、難しいだろうな、と思う。
一度はあれだけのシステムをオンライン上に作り上げたのだ。あのシステムを、無料じゃなくていいから、また復活して欲しいと思う。有料でも、月に1,000円くらいは払えるよ?
2012/08/27 バラバラの実を食べた河童!?
昨夜からイラストを描き始めた。妖怪のイラスト。ファンタジィ事典に掲載するためのイラストだ。
たまーに絵を描いてないとヘタっぴになるんじゃないかという恐怖に襲われる。文章なんかはすぐにヘタっぴになる。書けば書くほど、文章がノってくるというか、書きたいことが書けるようになってくる感覚がある。ギターもそうだ。すぐに指がプニプニしてコードが押さえられなくなる。Fコードなんか苦しくなる。
だから、絵もきっと、描かないでいる間にどんどんヘタっぴになるんじゃないだろうか。そう思って怖くなるんだけど、でも、ボクの場合、不思議なことだけど、絵はあんまりヘタっぴにならない。むしろどんどん客観的になっていく。
昔は絵がヘタっぴになる瞬間もあった。立体感とか動きとかの表現力曲線があるとすれば、ぐいぐいと落下していく感覚。そしてフリダシに戻る。でも、最近はそうならない。
このくらいのペースでイラストを描いていけたら、人生、幸せだな、と感じる。
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この絵はワロドン。鹿児島県に伝わる河童の仲間。身体をバラバラにされても再び元に戻る。ちょっとバギーみたいなヤツだな、と思ったりする。こいつが復活しないようにするには、バラバラになった肉片をひとつ食べてしまえばいいというのだけれど、河童の肉を食べるのはちょっと生臭いんじゃないか、と想像する。
2012/08/26 機関車、ソラを飛ぶ!?
蒸気機関車のモビールを作成してみた。有隣堂で売っていた。本当はコピックを買いに行ったんだけど、欲しかった商品は手に入らなかった。でも、こういう発見があるから、有隣堂みたいな老舗の本屋さんって素敵だ。
比較的、簡単に作れた。折り線のところにミシン目が入っていたので、真っ直ぐ折れる。何よりも素敵なのは、ちゃんと折り目に沿って折って糊付けすると、ちゃんときれいな箱になるということ。当たり前のようだけど、でも、意外と工作をしていて、ピシッとした箱になることって珍しい。それだけで、もう、気持ちよくなってしまう。
食卓の上にぶら下げてみた。食事をしながら、ふと見上げるとぶら下がっているという按配。
このペーパ・クラフトのモビール、いろんなシリーズがあるみたいなので、順番に作っていこうかな。穴だらけのチーズの上を、ネズミたちがモビールの糸に沿って駆け上がっていくモビールも素敵だったもんなあ。
2012/08/25 Pesto Genovese
Cafe TRYSTでパスタ。いっつもパスタを作っていて思うんだけど、ジェノヴァ・ソースってどうやって活用するのかということ。家でバジルを育てているけれど、本通りに作っても、絶対にうまくできない。草っぽい味になる。だから、こうやって外でプロフェッショナルな人のジェノヴァ・ソースを使ったパスタに挑戦してみる。うーん、こういう美味しさが、家では再現できない。大体、パサパサしちゃうんだよね。クリーミーにならないなあ。難しいなあ。
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また、ヒップホップを始めてみようかと思い立つ。それに伴って運動靴を買いに行く。洋服と同じで、靴にも流行ってあるのかも知れない。いつもボクが好んでいるメーカの靴のシリーズは、どれもあんまりピンと来ない。そういうこともある。だから、今回は趣きを変えて、いつもは選ばない靴にしてみた。そういうこともあるのだ。
2012/08/24 一見すると安全。
次から次へと攻めてくる難題を、次から次へとやっつける。最近、そんな毎日だ。倒しても倒しても湧いてくるから厄介なヤツら。えーいッ、面倒臭い。全部、薙ぎ倒してくれるわーッ。
……でも、思うこと。基本的には、深く突っ込んでいけば行くだけ、難題が立ち現れる。結局、遠巻きに見ている間は、問題の本質は立ち現れない。だから、一見すると安全だ。でもでも、よくよく覗いてみると非常に危険だったというのが露呈される。
そういう意味じゃ、ボクは機能しているといえるかもしれない。ちゃんと働いている。
2012/08/23 そういう気分なのだ。
連日連夜、Cocco漬け。album『ブーゲンビリア』から『エメラルド』まで。延々と流し続けている。きっと、そういう気分なのだ。
最近、無性に絵が描きたいと思う。ガリガリと絵を描きたい。こういう欲求って今まで味わったことがない。文章が書きたいことって結構あった。歌いたいときもあった。でも、絵を描くことに対しては、そういう衝動を感じたことがない。何があったんだ、自分!? きっと、そういう気分なのだ。
眠い。すごく眠い。寝たい。きっと、そういう気分なのだ。
2012/08/22 ダライ・ラマの国
本日、職場でビッグ・プロジェクトへの参加の打診を受けた。正式に決定したわけではない。でも、これはちょっと(ボク的には)ビックリするようなミッション。まだここには詳細は書けないし、今後もどうなっていくのか予断を許さない。でも、まあ、嬉しい悲鳴。
最近、外からの評価が、ボクという存在を飛び越えて、実態からグングンと乖離していく感じがする。ちょっと怖い。そのうち、魔法でコーティングしていたボクの正体がバレてしまうんじゃないかしら。そうなったときの処方箋を、今からせっせと用意しておかなくっちゃ。
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最近、facebookで繋がっているボクの同期たちがバリバリと働いている様子が透けて見えている。バリバリと何かを壊しているわけじゃない。あちこちに自分のフィールドを広げながら、大活躍しているのだ。だから、きっと、ボクもそういうお年頃なのだと思う。ただ、ボクとしては、まだその実感がない。まだゆるゆると物見遊山な感覚でいたいし、ふらふら、へらへらとしていたい。だから、何だか今、ソワソワしている。そろそろ覚悟を決めろ、ということかな。うーん。
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話は変わるけど、お喋りが大好きな同僚が職場にいると全ッ然、仕事が捗らない。シャットアウトしてボクを一人にしておいてくれ、と叫びたくなるときがあったりなかったり(ごにょごにょ)。
2012/08/21 テーマに沿って書くって!?
『TRUCK & TROLL』を読み終わった。『DOG & DOLL』以上に破天荒。そして、もはやタイトルの語呂もよく分からない。ロックンロール、チップンデール。アッチョンプリケ。
それにしても、音楽ってコンセプトだけで、よくもまあ、いろんなことが書けるものだなあ、と感心した。全ッ然、音楽と違うことが書いてあっても、やっぱり根底には音楽がある。そういうコラムである。
ボクもファンタジィ事典を編纂している身の上(?)。もう少し、ファンタジィにまつわる雑記を書いた方がいいんじゃないかしらといつも自問自答して満足している(こらこら)。まあ、本来ならテーマが首尾一貫していた方がコンセプチュアルでいいな、とは思っている。でも、まあ、あれだ。ボクが書いているのは「日々の雑記」なので、日々の雑記である点では首尾一貫している。別にファンタジィ雑記を書いているわけではないのだ(えっへん!)。
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ファンタジィと言えば(お、無理矢理な展開!)、最近、どこの本屋さんでも、記紀神話の特集が組まれている。日本神話ブームなんだろうか。それとも古事記編纂1300周年を記念した「神話博しまね」が開催されているからだろうか。『古事記』と『日本書紀』が平積みでずらり、と並んでいる。何だか不思議な感じ。
『古事記』は読み物として非常に面白いと思う。ちゃんとストーリィになっている。でも、それでも解釈しなきゃいけない部分が多々ある。行間を埋める作業を伴うので、結構、大変だ。1300年も前の当時としては、その当時の文化とか儀礼、文脈とか主張とかがいろいろと込められていたんだろう。でも、今となってはそれが分からなくなっている部分がたくさんある。だから、想像で補ってやらなきゃいけないし、補えない部分は解説が必要になる。だから、非常に難解だ。
昔、『極道(ゴクドー)くん漫遊記 』(角川スニーカー文庫)を読んでいたときに、騎士が現れて、その騎士の兜の描写に「ウルトラマンみたいな仮面」という表現が使われていた。ウルトラマンを知らない外国の人は、その表現じゃ多分、伝わらないし、百年くらい経って、ウルトラマンを知らない世代の人々ばっかりになったら解説が必要になるだろう。きっと、「※ウルトラマンの仮面:ウルトラマンは昭和の日本の特撮もののヒーロー。銀色の頭部に大きな丸い目がついている」みたいな解説が添えられるのだろう。そんなもんだ。『古事記』は1300年も昔に書かれた作品だ。それを読もうというのだから、分からないことだらけ。それは仕方ない。
それでも、『古事記』はストーリィになっているので、比較的分かりやすい方なのだ、と思う。本屋さんに平積みになって特集されていて、売れるのかしら。まあ、神話好きのボクとしては、こうやって神話が広く受容されていくのは大歓迎だけどさ。
2012/08/20 ファンファーレ!!!
Mr.Childrenの『Fanfare』が聴きたくって(『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』の主題歌だったのだ!)、アルバム『SENSE』を買ってきた。知っている曲がないなあ、と思っていたら、シングル曲はないらしい。すげぇ。それだけでビックリした。こんな風に、アルバム曲だけで構成するというのは、実はボクの理想形だ。シングルのところだけ、何だか流れが変わっちゃう感じがするので、丸っと全部アルバム曲だと、するーっと聞けてしまうのでいい。とは言え、まあ、ボクの中での『Fanfare』は最初っからポテンシャルが高いので、そこだけはどうしたって浮いてしまうんだけどね。
でも、1曲目が一番、よかったかなあ。『I』という楽曲。暗さが半端ない。そして歌詞カードを読んでさらに暗い。どよーん。
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さて、ここで話題は全ッ然、変わる。
プレゼンテーションで一番大切なことは、話者が聴衆に対して何を伝えるか、だ。伝えるかというよりも、むしろ、伝えようとするか、の方が近いかな。伝えようとするもの。それが明確でなければプレゼンテーションは成立しない。どこまで厳密に伝えようとするものが明確化できるか。それが肝要。
話者が、伝えたいこともないのに喋っているというのが一番、最悪。伝えたいことが明確じゃないというのもダメ。それから、あれも、これも……といろいろと伝えたいことがあって、結局、何が何やら分からないというのもよくあるパターン。今回のプレゼンテーションの話者はどのパターンだろう。どうも、最悪パターンじゃないか、と勘繰ってしまう。
そんなわけで、途中から、ボクは投げ出して、物思いに耽っていたっけ(こらこら!)。
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