《過去の雑記》

過去の雑記186件から205件までを掲載しています。

2013/07/04 ヤグる。

「お笑い芸人なんて誰でも出来る。。。。って意見にイラっとくる。。。けれど。。。そう騙せてることにホッとする。。。」

うーん。これが名言かどうかは微妙。でも、心には引っ掛かる。だから、メモ。それにしても「。」が多い気がする。その点にイラっとくる(笑)。

もうひとつ。誰が言った言葉なのか知らないけれど、最近、ネットでよく見かける言葉。

一人目は異端と呼ばれ、二人目はパクリと呼ばれ、三人目からはジャンルと呼ばれる。

へえ。

言葉の話。

キラキラした言葉ってある。琴線に引っ掛かる言葉。もちろん、いろんなパターンがある。ひとつには、衒学的な言葉。哲学用語とか心理学用語とか、テクニカル・タームみたいなマイナな言葉を散りばめると、何だかハイ・ソサエティな感じがしてお洒落だ。「アウフヘーベン」とか「コーギトー・エルゴー・スム」とか「アニマ・アニムス」とか「リビドー」とか。それから「ルサンチマン」も心惹かれる。デザイン学の「アフォーダンス」も何だか分からないところがいい。量子力学だと「シュレーディンガーの猫」とか。あとは「ペダンチック」とか「メタファ」みたいな学者が使う英語も格好いい。

一方で、「造語」も、ときにキラキラする。流行の造語だと、「おこ」とか「あげぽよ」みたいなヤツ。ボクの中で最近のヒットは「エゴサーチャー」だ。「エゴサーチャーの八朔シータです!」とか言ってみたい(笑)。「ぼっち」もいいよね。ぼっち、イエーイ。

新しい「造語」に限らず、「キダルト」(Kidult=「Kid」と「Adult」を組み合わせた造語)もお洒落だな、と思う。「アダルト・チルドレン」とか「ピーターパン・シンドローム」もいいけれど、自らが「私はキダルトだよ!」と使用できるくらいのポップな感じがいい。多分、「アダルト・チルドレン」とか「ピーターパン・シンドローム」にはすでにマイナスな印象の手垢がついてしまっていて、それを回避するために新しく作られた造語だから、お洒落なのだろう。

最近、「ヤグる」って言葉が流行っているらしい。浮気を目撃された状況で使うらしい。「ヤベー、ヤグっちゃったよ!」みたいな感じなのかな? 浮気を目撃してしまった場合には「ヤグられた」。何のこっちゃ、と思って調べようとして、ふと気が付いた。ああ、そういうことね。矢口の状況をしてしまった、ということなのかー。へぇ。女子高生って恐ろしいなあ。

2013/07/03 思考のクセ!?

聞いた話では、人間には思考のクセがあるらしい。ボクはあんまり思考のクセを自分で意識したことがない。思考のクセによって迷路に迷い込んだり、困った経験もないし、自分の中の鉄板の思考方法があって、それでピンチを切り抜けてきた、みたいな成功体験とか十八番の発想法があるわけでもない。

もしかしたら、イマイチ、客観的に自分を分析できていないのかもしれない。でも、ボク自身、同じような発想でぐるぐる回っていて、他の人に指摘されて、「ををっ、その手があったか! アフフヘーベン↑↑」みたいな経験ってあんまりないのが実状だ。

そういうのは、大学の先生に卒論の指導をされたときくらいかな。ああ、そういう思考方法は思いつかなかったぞ、と驚いた。でも、驚いたのは、自分が思考のクセの中にはまり込んでいたというよりは、そういう発想方法を知らなかったのであって、新しい発想方法をゲットしたボクは、次回以降、その発想方法を取り入れて考えるようになった。だから、こういうのは、多分、思考のクセとは違うのだろう。

最近、お仕事の関係で大学の先生方がたくさん集まって、議論する場に立ち会うことが多い。さすがに大学の先生たちって優秀なので、ボクたちとは全然、発想方法が違う。まあ、それがお仕事なのだから、すごくないと困るわけだけど、ね。ボクらとは全然、違う次元で議論していくので、ボクの気持ちの中では、とてもセンセーショナルな感じ。だけど、それでも、ある瞬間、先生の議論が型にハマる瞬間がある。特に、それが自分の専門になった瞬間に顕著だ。自分の研究分野に近づいた瞬間に、その分野の文法で語ろうとするし、強引にそこに結論を持っていこうとする。

ああ、こういうのが思考のクセなのだな、と客観的に分析する。斬新で、客観的で、柔軟な大学の先生であっても、時に思考のクセにはまり込むのだから、きっと、ボクも無自覚のうちに思考のクセにはまっているのだな、と、どこか客観的なボクは思うんだけど、でも、ボク自身、自分の思考のクセが分からないのだから、これは由々しき事態である。ちょっと一歩引いて、自分の思考回路を分析してみようかしら。

2013/07/02 楽しむことと極めることと。

ちぃ子が最近、ビデオ編集に凝っている。でも、詰めが甘い。いつも最後の最後で映像の確認をしないのだ。そんなわけで、ビルドしてDVDに焼くまで7時間、PCがぐるぐる廻っていて、結局、音声が入っていなかったのでやり直しになる(笑)。どうも、Premiereの時点で音声が入っていなかったらしい。一度でも再生してみれば分かったのに。一度も再生しないでビルドするものだから、Encoreにリンクして、メニューを作成して、DVDに焼くまでの作業が全部、無駄になってしまう。やれやれだ。

* * *

趣味は次々と殖え続けて、とどまることを知らない。雑誌の趣味ページを作っているんだけど、企画がどんどん出て来て、ネタが尽きることがない。これってすごいことだ。あれもやろう、これもやろう。そう思って、着々と実現している感じ。まあ、言い換えれば、浮気性ということだ。でも、趣味が増える一方で、極められないぞ、という感覚もある。たったひとつのことに打ち込んだ方が、極められる感覚が残るので、この辺のバランスは微妙だな、と思う。極めたいのなら、絞るべきだし、極めなくてもいいや、楽しいから、というポジションで行くのなら、このまんま、趣味を殖やし続けていくべきだろう。うーん。

2013/07/01 海は見ている~♪ 世界の始まりも~♪

海は見ている~♪ 世界の始まりも~♪
海は知っている~♪ 世界の終わりも~♪

というワケで。『ワンピースフィルムZ』のDVDが届いたー。特典映像もついたスペシャルエディション!!

前回の『ストロングワールド』は、若干、ルフィが弱いなあ、と思った。やっぱり主人公が負けちゃダメというか、さ。一度、負けて、それから本気になって勝ったって、何だかなあ、な感じだ。人生は時としてワン・チャンスで、絶ッ対に逃しちゃいけないタイミングってある。特に仲間のピンチなんて、絶ッ対に負けられない。負けてしまったら、取り返しのつかない展開にだってなるかもしれないのだ。それなのに、「あのときは本気じゃなかった」「今度は本気で行くぞ」なんて、ご都合主義というか、ダサいよね。だったら最初っから本気でやれよ、と思ってしまう。一度負けて、そこから学んで、工夫して勝つ、という展開なら、まあ、いいかな、と思うけど。

今回の『ワンピースフィルムZ』は、そういう意味じゃ、最高の出来だった。脚本の鈴木おさむがどこかに書いていた。脚本にキャラクタを合わせるのではなくって、キャラクタに脚本を合わせることを意識したそうだ。つまり、どれだけ面白い脚本を書いても、そこにキャラクタを乗っけると、脚本に振り回されて、キャラクタがブレることがあるらしい。「ONE PIECE」なら、例えばルフィがルフィっぽくなくなる。そうではなくって、今回の脚本は、ルフィがルフィっぽいことを大事に脚本を書いたのだそうだ。

これって、すごく難しいことだな、と思う。面白いストーリィを考えたときって、多少なりとも、キャラクタの造形や意思決定に違和感があっても、辻褄を合わせることがある。要は、ストーリィを優先させるのだ。その方が面白くなることもある。でも、大抵の場合、確かに、違和感が残るので、気持ち悪くなる。その辺のバランスが難しくって、この程度の違和感ならいいだろう、という線引きってすごく難しい。

そういう意味じゃ、ルフィがルフィっぽくある、ということに主眼を置くことはとても大事なこと。でも、それって意外と言うは易しで難しいぞ、とも思う。特に今の麦わら海賊団は、クルーも多くなって、みんな、それぞれに価値観が違う。ルフィがルフィっぽく、ウソッポがウソップっぽく、サンジがサンジっぽく行動するって、とても難しいなあ、と思う。

『ワンピースフィルムZ』は、ルフィはルフィっぽいけど、他のクルーたちはどうだろうか、と考えてしまう。

2013/06/30 「自炊」もありだろうか!?

8月の引っ越しに向けて本棚を整理している。すでに本だけで段ボールが14箱。まだまだ全ッ然、片付かない。今後も増えていく見込みだ。うーん。やっぱり電子書籍って魅力的だよなあ。場所を取らないということが、何よりもメリットだと思う。そういう意味じゃ、話題の本で、一度は読んでみたいな、と思うような本なんかは電子書籍で充分かもしれない。どうしても取っておきたい本だけ、形として残しておく。そういうスタイルを取らないと、ちょっと大変だぞ、と本を整理しながら、今更ながら、危機感を覚えている。でも、新しい本は比較的、電子書籍化されていくんだろうけれど、古い本なんかは電子書籍にはならなそうだ。岩波文庫の本とか、すでになくなってしまった教養文庫とか、そういう本は、電子書籍化するだけのニーズはないんだろうなあ。ここは一発、「自炊」でもすべきか?

……そんなことを考えながら、悶々とネットサーフしていたら、「自炊」を研究しているウェブサイトがあった。研究? 実践? うーん。ここまで来ると「研究」だろうなあ。トレビアーン。もう、第一人者の域だなあ、と思う。すごい。ボクも彼を参考に「自炊」にチャレンジしてみようかしら。そんなことを思う今日この頃。

参考サイト:おまスキャ:本の自炊方法まとめ。裁断、スキャンからタブレット・Kindleでの読書まで徹底解説!

2013/06/29 アリババ!!

最近、国際的な話題ばっかり書いているな。国際人になったのかもしれない。

そんなわけで、本日は留学生と市民の井戸端フォーラム2013「考えよう!アフリカの水」というイベントに参加してみた。昨日は昨日で、フランス語圏のアフリカの人々とのパーティに参加したけれど、英語というのは、気持ち的にはちょっと楽チンだ。しかも学生や市民が参加するフォーラムなので、敷居も低くていいよね。知り合いも数名、プレゼンテーションしていて、楽しかった。

個人的には「水売り」と「水道事業」という利害関係が相対するビジネス関係者たちをどうやって整理していくか、という点に興味があった。その点までボクの英語力が追い付かなかったので、うまくディスカッション出来なかった。安価で安全な浄水技術が導入されて、水道事業が発展途上国に根付いたときには、水売りというビジネスは消失する。彼らは失業してしまう。横浜も近代水道が出来たときには、水売りさんたちが失業したのだろう。これからの発展途上国も同様だ。その辺、どういう整理をしていくべきだろうか。うーん。

井戸端フォーラム1
井戸端フォーラム1

井戸端フォーラム2
井戸端フォーラム2

* * *

ちょっと早いけれど、結婚式記念日ということで、関内のトルコ料理屋さん「アリババ」へ。トルコへ旅行したのが懐かしくなった。ちゃんとトルコ紅茶やトルコ珈琲があったし、キョフテやケバブがあった。壁はトルコのブルーを効かせたタイルで装飾されていて、天井からはたくさん、ランプがぶら下がっていた。料理はトルコで堪能した味だった。現地の方がも少し酸味があったかな。多分、日本人に合わせて、酸味は抑えてあるのだろう。でも、十分、異国情緒があってよかった。

アリババにて
アリババにて!!

2013/06/28 以心伝心

本日はフランス語漬け。意味は分からないまんま、一日中、ひたすらフランス語を聴いている。我が社としては初めてフランス語圏のアフリカ人を研修員として受け入れていて、彼らが自国の現状や課題についてプレゼンテーションする。それを聴いて、質疑応答をする。もちろん、日仏の通訳はつく。でも、PowerPointの文字はみんなフランス語なので、眺めていても全ッ然、分からない。数字と写真、イメージ図くらいが分かる程度だ。通訳さんを挟んでのフランス語、日本語、フランス語、日本語……。何となく1時間のうちの30分、損をしているような気がする。うーん。

でも、驚いたのは、ある研修員のプレゼンテーション。コートジボアールの研修員だったと思うけれど、フランス語で流暢に喋るんだけど、何故だろう。言っていることが分かった。非常に論理的だったし、スライドの作り方も上手だった。通訳が訳す前に、彼が何を言っているのか、何となく分かった。不思議な感覚だけど、でも、「分かった」のだ。フランス語なんか全ッ然、分からないのに、するするする、と頭の中に入ってきた。そういうこともあるのだね。

結局のところ、大切なのは中身であって、ロジックであって、心意気なのだ、と実感した日だ。言語なんか分からなくっても、通じるものは通じる。

* * *

プレゼンテーションが終わった後に、彼に「フランス語は分からないんだけど、何故だかあなたのプレゼンテーションは理解できた」と英語で伝えた。彼は「プレゼンテーションには個性が出る。気に入ってもらえて嬉しいよ」みたいなことを英語で喋っていた。何とかボクのこの気持ちを伝えたかったんだけど、果たして伝わっただろうか。

2013/06/27 ズルっこフランス語でGO!?

そろそろ本腰を入れるか。と、いろんな本を買ってきた。基本的には不勉強のボク。でも、負けず嫌いだったりするので、試験に落ちるのとかは嫌なのだ。自分でも面倒くさい性格だな、と思う。試験に受かりたいなんて気持ちはさらさらないのだ。でも、落ちたくないという気持ちはあって、それを原動力に動くから、すごく後ろ向きだ。

でも、まあ、理由はどうあれ、それで以って前に進もうというのだから、それはそれでいいか。大人になったボクは、最近、そういう割り切りが出来るようになった。

* * *

今日は一日、フランス語でPowerPointを作っていた。ボクのところに仕事の依頼が来たときには、フランス語翻訳の業務は完了していて、前任者が作ったらしい不充分なフランス語のPowerPointが渡された。でも、これじゃ、ちょっとプレゼン出来ない。だから、しぶしぶ自らフランス語でPowerPoint作成だ。

もちろん、ボクはフランス語なんて出来ない。他の言語と一緒で、文法書や辞書はいくつか持っているし、それをパラパラと眺めることはある。でも、あくまでも文字を眺めて楽しんでいるだけだ。eの上に飾りがついていたり、cの下にひげがついていたり、そういうのを見て、異国を旅した気分になって面白いなあ、と眺めているだけ。

でも、言語というのは不思議なもので、何となく触れ合っていると、抵抗がなくなる。フランス語でPowerPointを作ろうなんて、普通だったら絶対に思わないような無謀なチャレンジでも、「仕方ない。ちょっとやってみるか!」と踏み出す気にもなるのだ。

手法はズルっこだ。まずはgoogle先生に登場いただいて、英語からフランス語に翻訳してもらう。変だな、と感覚的に思ったら(感覚的に思うものだ!)、ちょっと文章を細分化したり、文法はそのまんまで簡単な単語に置き換えてみたりとトライアル・アンド・エラーを繰り返しながら、google先生に翻訳してもらう。それから、何となく満足したら(満足するという感覚が大事だ!)、今度はエキサイト先生の登場だ。先程とは逆に、フランス語から英語に翻訳してもらう。そうしてみて、最初の英語と同じような意味の文章に戻ったら、きっと正しいフランス語に仕上がっているのだろう、と納得する。そんな作業を繰り返しながら、1日で30スライドくらいのフランス語のPowerPointが出来上がったのだから、集中したものである。

まあ、ね。ほら。言語なんてツールだから。伝わればいいのだ。意味不明のブロークン・イングリッシュでも、相手には伝わることもある。そのくらいクオリティで、フランス語圏の人たちに、ボクの意図が伝わるスライドになっていれば、それでいい。そう割り切って作るしかないよね? あっはっは。

2013/06/26 カタカナ地獄!?

NHKが「英語使いすぎ」ということで訴訟(笑)。

テレビ番組で理解できない外国語が多く精神的苦痛を負ったとして、岐阜県可児市の元公務員で、「日本語を大切にする会」世話人の高橋鵬二さん(71)が25日、NHKに対し141万円の慰謝料を求める訴えを名古屋地裁に起こした。

訴状などによると、高橋さんはNHKと受信契約を結び、番組を見ているが、必要がない場合でも外国語が乱用されていると主張。例として「リスク」「ケア」「トラブル」「コンシェルジュ(総合案内係)」などを挙げ、「不必要な精神的苦痛を与える」として、民法709条の不法行為に当たるとしている。

高橋さんは「若い世代は分かるかもしれないが、年配者は、アスリートとかコンプライアンスとか言われても分からない。質問状を出したが回答がないので提訴に踏み切った」と説明した。原告代理人の宮田陸奥男弁護士は、「外国語の乱用は全ての報道機関に言えることだが、NHKは特に公共性が強く影響力がある。日本文化の在り方を社会に広く考えてほしいという趣旨もある」と述べた。

地裁では「140万円を超える請求」を求める訴訟を扱うとされており、慰謝料を141万円とした。

NHK名古屋放送局は「訴状の内容を把握しておらずコメントできない」としている。

こんな訴訟があるんだね。ビックリだ。英語が多くて精神的苦痛を味わったなんて、笑ってしまう。でも、ボクとしては日本語大好きっ子なので、英語の氾濫には常々、疑問を感じている。だから、こういう訴訟をやって、みんなでいろいろと考えたらいい、とは思う。

でも「リスク」や「トラブル」、「ケア」なんて、もはや日本語だ。横浜は在宅介護支援施設のことを「地域ケアプラザ」と呼んでいる。

* * *

芸能人の父親が国際手配になったらしい。でも、ボクとしてはこの報道の姿勢に疑問がある。父親が罪を犯しても、子供には何の関係もない話だ。それを子供と絡めて報道するのは異常だ、と思うし、悪質だ、と思う。

最近、加害者家族の問題がクローズ・アップされるようになった。こういう話では、宮崎勤の家族がよく引き合いに出される。家族に対して、苛烈なバッシングがたくさんあったらしい。脅迫めいた手紙も家族に届いたという。宮崎の父親は最終的には自殺してしまったし、長女は職を辞めることとなった。次女も決まっていた婚約を破棄している。2人の兄弟も職を辞めている。ちょっと、どうかしている、と思う。

それだけじゃない。宮崎の叔父さんのうち一人も、会社の役員を辞職をしている。さらには宮崎からすれば従姉妹までもが職を辞めている。また、別の叔父さんは、家族を旧姓に戻してやるために離婚している。

両親や兄弟姉妹も然ることながら、叔父さんや従姉妹なんか、全ッ然、事件には無関係だ。それでも、結果として、社会的な制裁を受けた恰好になる。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。いい日本語だ、と思う。人を憎んじゃいけない。ましてや、無関係の家族がバッシングされたり、社会的な制裁を受けるのは、ちょっと違う。それって行き過ぎた報道だ、と思う。

* * *

「ぼっち」という言葉があるらしい。友達のいない人のことを指すらしい。まさにボクのことだなあ(遠望)。

2013/06/25 有象無象の悪意と本音!?

議員さんblog炎上で自殺。結構、ショッキングなニュースだ。もちろん、自殺の理由なんて本当のところは分からないし、blog炎上が直接的な原因になったのかもよく分からない。でも、いずれにしてもショッキングなニュースだ。

blog炎上って、結構、キツい。ボク自身、ウェブサイトを長く運営しているのでよく分かる。匿名からの強い口調でのバッシングというのは、結構、堪えるものがある。人格を否定するような表現も平気で使う。相手が匿名なので、こちらからは釈明もできないし、反撃もできない。相手の顔も人数も、立場も、何も分からない。まるで正体不明の真っ黒い霧みたいな敵と戦っているような感じ。最終的には一人相撲になっちゃう。

何回もそういう経験を積むと、何だかどうでもよくなって、「勝手に言ってろよ!」って思えるようになる。でも、それでも少しだけ気になってしまうボクはエゴサーチャーだ。いや、みんな、そんなもんかな。

ネットの悪意に直面したときに、それが全てだ、と思っちゃいけない。少なくとも、本気でその事象について考えた上で発言している人はほとんどいない。大部分は、たまたま目にしたニュースや記事、書き込みに反応している無関心な第三者に過ぎなくって、彼らに当事者意識なんてもんはない。自意識過剰にも、自分が注目されているなんて勘違いしちゃいけない。関心なんかないクセに、たまたま通りすがっただけの集団だ。

とは言え、ボクは頭のどこかで考える。一方で、匿名というのは、建前とか偽善を取っ払った、本音の部分が食み出しているのかもしれない。だとすると、本当の「声」は、案外、ネットの悪意として表出しているものに近いのかもしれないな、と。おべっかもお世辞も世間体もいらないもんね、匿名の世界じゃ。

だから、その辺のバランスを考えながら、意見を拾い集めなきゃいけない。ネットの悪意を妄信しちゃダメだし、無視するのもよくない。そういうバランス感覚に自信のない人は、ネットなんかやらない方がいい、とも思う。

2013/06/24 妖怪好きを公言してよかった。

隣りの課のS係長から、そごう美術館で開催されている「幽霊・妖怪画大全集」のチケットを貰ったよ。イエイイエイ。「妖怪がスキ!」などと日頃からアピールしていてよかった。ありがたいことです。

昨年度くらいかな。福岡市博物館が「YKI48」などとふざけた企画をぶち上げていた(YKI=妖怪)。そんなこんなで、わざわざ福岡に行こうか、と本気で思っていたボクだけど、結局、忙しくて行けなかった。

チケットGet!!
チケットGet!!

そう思っていたら、横浜でも開催されるらしい。そしてチケットをゲット。素晴らしい巡り合せ。S係長に感謝して、楽しんできたい。楽しみだなあ。わーい。

2013/06/23 シュレッダ。

シュレッダを買ってきた。別に個人情報なんてクソ喰らえだ、と思っているんだけど、捨てにくいものがあるのは事実だ。通帳とか契約書、公共料金の明細書、領収書なんて、非常に捨てにくい。仕事のペーパなんかも捨てにくい。なので、我が家にもシュレッダが常設されることとなった。何だか会社みたいだな、我が家(笑)。

不思議なもので、紙は紙として捨てる方が嵩張らない。シュレッディングした瞬間に、膨大な量に膨らむ。何だろう。空隙ができる所為だろうか。ゴミが倍以上に膨らんだぞ?

2013/06/22 横浜にまた新しい施設が増えた!!

みなとみらいに新しい商業施設「マークイズ」がOpenした。しかも昨日から。ロゴの字体が不思議。多分、ぱっと見た感じじゃ読めないし、覚えにくい。よくよく読むと「MARKIS」と書いてあるなあ、と思い至る。でも、発音についてしばらく考えて込んでしまった。「IS」だけがちょっと小さいところがミソだ。

MARKISのマーク

近くまで行ってみたものの、さすがに2日目。しかも土曜日。混雑していたので、早々に退散だ。人ごみが嫌いなボクだ。

MARKIS
MARKIS

* * *

『リアル 完全なる首長竜の日』を観た。……うーん。「このミス」満場一致の大賞作品……という出来ではなかった……かな。全体的にふわふわしていて、独特の世界観ではあった。でもミステリィでもないしなあ。小説を読んでから、また、感想を書こう。映画は、ちょっと、消化不良……だったかな?

2013/06/21 自主規制って何だ!?

『図書館危機』を読んだ。図書館戦争シリーズの3巻。実は、ボクはこの本の「あとがき」に一番、衝撃を受けた。「図書館戦争シリーズ」がテレビアニメ化されたとき、小牧と毬江のエピソードは地上波では放送されなかったのだという。その理由は「毬江」が聴覚障害者という設定だから。つまり、アニメ制作サイド側の自主規制だったのだという。えええーッ!!! 作品の根幹を揺るがす事態だ。聴覚障害者をアニメに登場させることに、何の問題があるのか。

そもそも、この小牧と毬江のエピソードそのものが、聴覚障害者が主人公の作品を聴覚障害者に進めたという事実で小牧が問責されるストーリィで、聴覚障害者である毬江自身が、聴覚障害者を主人公にした作品の何がいけないのか、と訴えている。そのエピソードを、アニメ制作サイドが放送しなかったという事実が大問題ではないか、と思ったりする。

だって、「図書館戦争シリーズ」の根底に流れるテーマは何か。検閲や規制、表現の自由の侵害といった問題について、考えている作品ではなかったか。うーん。それを根本からひっくり返す事態。それを「あとがき」に書いてしまうこの作者のあざとさ!! すごいなあ、と思ったり。ふふふ。そういう過激な姿勢は嫌いじゃない……かな。


『図書館危機 図書館戦争シリーズ3』(著:有川浩,角川文庫,2011年)

2013/06/20 ぬらりひょん、会議の場でぬらりくらり……

今日はI神先輩の発表。それから怒涛の会議が4連荘。相変わらずS山さんは曲者だ。ぬらりくらりとボクらの発言をすり抜けて、曖昧なまんま逃げようとするから、みんな、尻尾を捕まえるのに必死だ。困っちゃう。いい加減、観念して引き受けてくれればいいのに。なかなか面倒臭い人である。まさに妖怪「ぬらりひょん」。いつか、うやむやのうちに妖怪の総大将になってしまんじゃないかしら。ふふふ。いやいや。いろんなところで尊敬しているんだけど、さ。

* * *

ぬらりひょんって、謎めいた妖怪だ、と思う。江戸時代の妖怪画には、特に何の説明も付されていない。頭のでっかいおっさんの絵が描かれているだけ。その名前から「ぬらり」とした滑らかな様子と「ひょん」とした奇妙さが連想されるだけだ。でも、昭和になると、いつの間にか「忙しいときに勝手に家に入ってきてお茶を啜っているが、家の人は誰も気がつかない」という特殊能力が添えられる。そして妖怪の総大将の地位に居座っている。昭和の作家が、江戸時代の妖怪画を見ながら、勝手にいろいろと創作していったのだ。そして、気がつけば、昭和に創作された部分で有名な妖怪になってしまって、ゲゲゲの鬼太郎の宿敵になり、『ぬらりひょんの孫』という漫画にもなってしまった。

こういう捉えどころのないところこそが、ぬらりひょんという妖怪の本性なのだ。そして、昭和になって進化した部分も含めて、遂にはこの妖怪の総体となってしまった。

* * *

……というような曲者っぷりがS山さんなのである。ということが書きたかったのである(笑)。

2013/06/19 本の段ボールが堆く……

本日は我が家の隣りにある事務所にて打ち合わせ。朝起きて、そのまんまてくてくと5分も歩くと会議室。楽チンだ。結構、会議は大盛り上がりだった。いろいろと難題が降ってきて、トラブル続きの工事の打ち合わせだ。でも、最近、こうやって意見交換できるのが楽しいな、と感じる。今までは問題が起きても、お互い、腹の探り合いみたいな感じで、本音でトークできなかった。ボクたちが歩み寄って、毎月、事務所に足を運んでいるので、明け透けに話ができる関係が築けた。そういうことだ。

会議が終わったら今日はお休み。そのまま、また5分歩いたら我が家だ(笑)。引っ越しに向けて本棚の整理を始めてみたものの、すでに10箱。部屋の隅に堆(うずたか)く本が積まれていく。知らず知らずのうちに、我が家は本だらけになっていた模様。困ったな(困っていないけど!)。

2013/06/18 歴史的感覚を養うことが大切。

『知りたいことがなんでもわかる 音楽の本』。三枝さんの本だ。意外とコンパクトに音楽史が掲載されている。しかも、グレゴリオ聖歌から始まって、ジャズやロックまで説明してくれているし、民族音楽にも触れてくれている。まさに「音楽」についての総論的な本だ。それにしても、タイトルはものすごいよね。「知りたいことがなんでもわかる」なんて、ボクは怖くてこんなタイトルはつけられないなあ。でも、この本は音楽を知るためには、いい入門書だ、と思う。


『知りたいことがなんでもわかる音楽の本―クラシック、ジャズ、ロックから日本の伝統音楽まで』(著:三枝成彰,知的生きかた文庫,1999年)

閑話休題。

音楽史を勉強しているといつも思うのは、いわゆるクラシック音楽と言いながらも、全ッ然、歴史的には古くないよなあ、ということ。音楽の教科書だと、最初の方に登場するのは「バッハ」とかだろうか。それとも「ヴィヴァルディ」か。それとも「ヘンデル」か。

ヴィヴァルディもバッハもヘンデルも、みんな、17世紀後半から18世紀前半の人だ。ニュートンが万有引力の法則を発見した頃だし、松尾芭蕉が旅を終えた頃だし、海賊キャプテン・キッドが絞首刑にされた頃だし、江戸城本丸御殿で浅野さんが吉良さんを斬ったり赤穂浪士が暴れ回ったりした頃だ。生類憐みの令が出た頃でもある。……などと、いろいろと例を挙げてみたけれど、どれかひとつでもピン、と引っ掛かればいいと思う。いずれの出来事にしてみたところで、そんなに古い出来事じゃない。まさに江戸時代真っ盛りだ。

音楽の父バッハが、江戸時代の人だというのが、どうも、ボクとしてはピン、と来なくって、いつも戸惑う。もっと古い人のイメージがあるんだよね。クラシック音楽の歴史というのは、ボクが子供の頃に抱いていたイメージよりも、ずぅっと新しいのだ。その辺の感覚のギャップが、いつも居心地が悪いような感じで、もやもやするのは、きっと、小学生の頃の音楽の先生が、クラシック音楽を語るときに、いかにも古めかしい伝統的なもののように語ったからだろう。

イメージって大事だよね。卑弥呼って古いなあ、と思っていても、ローマじゃ、全市民が市民権を得ていた。中国じゃ、三国志。劉備、孫権、曹操が戦っていた時代。そして、案外、古いな、と思われているマヤ文明は、この頃に興っているので、そういう意味じゃ、古代文明って感じでも、ないよなあ。

こうやって、並列に歴史を眺めると、思っていた感覚と違うことって、結構、あるんじゃないか、と思う。

2013/06/17 見よ、これがM浦先輩の雑誌!!

今日は嬉しいことがあった。朝、職場に行ったら、机の上に封筒が置いてあった。開けてみると、M浦さん作成の雑誌だった。フィリピンの人と結婚したらしい。その報告で、雑誌を作ったのだ。

実は、1か月くらい前かな? 事前に相談があった。ボクが過去2回、雑誌を作成したのを見て、同じようなものが作りたいと訊かれた。紙のチョイス、印刷の仕方、印刷業者への発注方法、作成上の留意点なんかを答えていた。

実のところ、こう見えてボクは人を選ぶ。通常、雑誌作成の相談なんかお断りするだろう。だって、そんなに簡単には作れないもん。もし作りたいというのなら、正式に依頼を受けてボクが作ってあげるという選択肢もある。でも、今回はM浦さんだから、直観的にイケる、と思った。面白い雑誌を独力で作り上げるだろう、と踏んだ。だから、作り方だけお知らせして、後はおまかせコースにしていた。

あれ以来、全ッ然、連絡が来ないから、どうなったかなあ、とちょっと心配していた。そうしたら、こうして現物が手元に届いたわけだ。いい出来だった。思っていた以上。とてもWord入稿とは思えないクオリティ。素敵!! 思わず、そう叫んでしまう感じ。

M浦先輩の雑誌!!
M浦先輩の雑誌!!

2013/06/16 ヘベレケの語源は《ヘーベーの御酌》というのは真っ赤なウソ!?

数年前に盛り上がっていた検定ブーム。今でもまだ根強いファンは多いらしい。blogで検索すると、日本各地にいろんな検定があって、それを次々に制覇している人々もいる。そんな我が社も検定を実施していて、本日はその会場試験の日。ボクも駆り出されて、試験官として立ちんぼだ。小学生からお年寄りまで、いろんな人に受検していただけた。継続にしろ、拡大にしろ、お金が掛かることなので、経営陣がどういう判断をしていくかは分からないけれど、でも、こういう楽しいことは、どんどん続けていきたいよなあ。そのためにいろいろと準備しなきゃなあ。

そんなわけで、午前中には試験が終わってしまって、お昼から打ち上げ。関内の中華料理屋さんで大宴会。お昼から飲むと馬鹿になっちゃうよね(笑)。そして、ワンピース話に花が咲く。K出係長が熱くワンピースについて語るのでビックリした。その上、いろんなウェブサイトで予想されている今後の展開について、独自の考察を加えながら、講釈を打つのだ。そんなに好きか、ワンピース。へぇ。意外。ボクはあんまり考察して読んでいなかったので、単純に、読み込んでいるんだなあ、と思ってビックリしてしまったよ。

その後、その足で品川へ。大学時代の劇団「娘の予感」の仲間たちとの飲み会に合流。真っ昼間から飲んでいて、そこからの飲み会だったので、もう、ヘベレケよ。ヘベレケ。

2013/06/15 地図、歴史、それから文章。

そろそろ雑誌を作らにゃー、とミャンマーの地図を作成し始める。ミャンマーへ出張したので、その報告を雑誌でやってしまおう、と企画しているのだ。なるべく簡便に、ミャンマーの歴史や文化、妖怪なんかを紹介できればいいなあ。そんな理想を掲げながら、まずは地図の作成。

どうも、ボクは何を始めるにしても、地図から入りたいらしい。ファンタジィ事典をつくるときも、まずは簡単な地図をつくる。それから年表。地名が出てきたり、年代が出てきたりすると、その都度、立ち返って調べることになる。そんな経験から、まずは地図、そして年表だ、という方法論が出来上がったようだ。そして、今のところ、それは有効な手段になっている。今回も、大分、ミャンマーの歴史、地理を覚えられた。

こういう情報を噛み砕いて、分かりやすく文章にする、というのは至難の業だ。だから四苦八苦している。いいものが出来るといいなあ。うーん。

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