《日々の雑記》
2026年9月14日 ラテン語版『悪魔の偽王国』が面白すぎる件について
ここのところ、ずぅっとヨーハン・ヴァイヤーの『悪魔の偽王国(プセウドモナルキア・ダエモヌム)』(1577年)を読んでいる。大元はラテン語で記述されていて、69体の悪魔たちが紹介されている。レジナルド・スコットが『妖術の暴露』(1584年)の中で、英訳したヴァージョン(実際にはラテン語を英訳したのはエイブラハム・フレミングだとされている)を掲載している。おそらく、原典のラテン語版ではなく、この英訳版がヨーロッパ中に膾炙したのだろう。ラテン語から英語に翻訳された時点で、若干、訳し間違えていて、中身が変容している。変容した方の中身が、以降、ヨーロッパの悪魔関連の文献に引き継がれていく。だからこそ、しっかりとラテン語版で読む意味がある。
ラテン語版にしても英語版にしても、ちゃんと日本語にして出版されたものはないと思われる。解説サイトもない。正直、ボク自身は、ほとんど魔法書『レメゲトン』「ゴエティア」(17世紀)と同じような内容だと思い込んでいた。「ゴエティア」が参考にした文献という認識だった。でも、読み進めてみると、悪魔のリストの中にも、悪魔たちの面白エピソードがあったり、悪魔と術者とのスリリングなやりとりがあったり、悪魔の世界のパワーバランスなんかがあったりと、結構、いろんなことが情報として詳しく書いてある。全体を通して読むと、悪魔たちのいろいろな事情が透けて見えて、実に面白い。
そんなわけで、鋭意、ラテン語を読み込んで、ウェブサイト「ファンタジィ事典」に落とし込んでいるところである。乞うご期待。
2026年9月6日 ベトナム妖怪を2体追加!!
ベトナムからズイ・ヴァン氏の『Ma Quỷ Dân Gian Ký(ベトナム民間妖怪記)』を調達した記事を2026年8月15日の「念願のベトナムの妖怪図鑑を手に入れた!」で書いたが、その後、ようやくウェブサイト「ファンタジィ事典」を更新できた。ベトナムの妖怪クイルンとンガイを追加した。
クイルンは森の魔物で、日本の山姥やイギリスのハッグに似ていて、森の奥深くの家で老婆の姿で暮らしていて、訪問者を喰らう。しかも彼女が提供する肉粥は過去の犠牲者の肉で、喰われた犠牲者も肉粥にされてしまうという。ただし、AIにファクトチェックをしてもらったところ、このようなクイルンはベトナム伝承としては一般的ではないらしく、もしかしたらズイ・ヴァン氏の創作である可能性もあるらしい。とは言え、一応、参考文献に載せているので、そのまま、彼の本の記述を紹介してみた。
ンガイは恐ろしい呪いの力を持った薬草で、血を吸って強力になっていく。こちらはAIのファクトチェックで、一般的なベトナム伝承の内容と合致しているようだ。AIというのは便利だな、と感じる。
さてさて。引き続き、ベトナム語の勉強もしつつ、ベトナム妖怪について理解を深めていきたい。
2026年8月15日 念願のベトナムの妖怪図鑑を手に入れた!
ズイ・ヴァン(Duy Văn)氏の著作『Ma Quỷ Dân Gian Ký』をベトナムより調達した。ベトナムの妖怪図鑑だ。ズイ・ヴァン氏の絵があって、ベトナム語で解説が載っている。大阪・関西万博に彼の展示があったのだが、結局、行けなかった。ようやく手に入れたので、これからベトナム妖怪を蒐集していくぞ!


ちなみに、Duolingoでベトナム語(英語版)をやっているが、後ろから後ろから修飾していくので、日本語話者的には結構、難しい。たとえば「ボクの弟の英語の先生」をベトナム語にすると「giáo viên tiếng Anh của em trai tôi」となる。Giáo viên(ザオ・ヴィエン)が《先生》。tiếng Anh(ティエン・アン)が《英語》、của(クア)が所有格の《の》、em trai(エン・チャイ)が《弟》、そしてtôi(トイ)が《私》である。このように、後ろから後ろから修飾していく。だから、なかなか難しい。
2026年8月9日 中国とベトナムでなぜ違う? 「魔」と「鬼」の漢字の歴史
中国語では、死者の霊は「鬼(グイ)」という言葉が使われている。日本でも、たとえば「鬼籍に入る」とか「鬼門」などの使い方で、死者の霊という意味で鬼の字が用いられている。一方で、中国語では、「魔(モオ)」という語がある。これはインドのマーラを魔羅と音写したものの略で、悪魔とか魔物、魔王などの意味で、宗教的な悪の力を指していた。
一方のベトナムでは、妖怪の類を表現するときに、Ma(マー)とQuỷ(クイ)を用いることが多い。たとえば、舌の長いお化けはマーレー、首だけで臓器をぶら下げたマーライ、長い乳房のマーヴーザイなどはマーの系統だ。一方で、一本足の妖怪クイモッゾー、お盆のような丸い顔のクイマッマム、グールのようなクイニャップチャンなどはクイの系統だ。
漢字で書くとマーが「魔」、クイが「鬼」である。しかし、中国の漢字の用例からすると、ベトナムの用例は「魔」と「鬼」で反対になっている。すなわち、マー(魔)の方が死者の霊であり、クイ(鬼)の方が魔物、妖怪的な用例になっている。実は、ベトナムでは古来より、死者の霊のことをMa(マー)と呼んでいたらしい。マーというのは、ベトナム固有の語なのである。そのため、中国語の「魔」と「鬼」を輸入した際に、漢字のニュアンスが逆転してしまったのかもしれない。
2026年8月8日 「ファンタジィ事典」の現在地点
最近、ウェブサイト「ファンタジィ事典」では、日本の妖怪をアップデートしている。もう、10年以上、ファンタジィ事典の編纂を続けているので、当然、ボクの中の妖怪に対する向き合い方とか、情報に対する精度・感度みたいなものもアップデートされている。そのギャップを埋めていかないといけない。比較的、有名な妖怪の見直しを図っている。だから、ここ数日間に更新した日本の妖怪たちは、ボクの現在地点と言える。
一方で、引き続き、アジアの妖怪も拡大していきたいなあと考えている。ベトナムから書籍を2冊、調達したので、緩やかにベトナムの妖怪を準備しているので、それはそれで楽しみにしてほしいなと思っている。
2026年7月26日 視野を広げる読書
『トランスジェンダー入門』(著:周司あきら/高井ゆと里,集英社新書,2023年)を読んでみた。最近、極力、自分の興味から外れたものを読んでみることにしている。その方が視野は広がるのではないか。
この本を手に取ったのは、ずぅっとボク自身が女性的だと感じていたからだ。女性社会の中で生きてきて、その方が居心地はよかった。でも、この本を読んで分かったのは、男性として生きることへの違和感と、男性らしく生きることへの違和感は、似て非なるものなのだということ。男性らしく生きることへの強い違和感はあっても、男性として生きることへの違和感はボクにはなかった。そこは、決定的に違うのだという学びがあったし、男性(あるいは女性)として生きることへの違和感があるというのは、想像を絶する苦しみだと思う。
それじゃあ、彼らのためにどうしてあげればよいのかという点については、正直、ボクは答えを持たない。でも、そういう世界を生きる人がいるのだという想像力を持つことはとても大事だ。
2026年7月23日 体調不良と復活の兆し
白状すると、ここ1か月ほど、仕事が終わると家で爆睡する日々が続いていた。SNSからも遠ざかっていたし、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の更新も途絶えていた。何だか1月に入院したときと同じ症状だなあと思って病院に行って、対処療法的に同じ薬を貰って飲んだら、少しだけ復活した。
そんなわけで、緩やかに更新を再開してみている。体調が悪いとQOLが下がるよなあ。困ったものだなあ。でも、復活の兆しがあるのは助かっている。
2026年6月17日 『韓国怪物百科』をゲット。
また、韓国から新たな書籍を取り寄せた。韓国のSF作家である곽재식(クァク・ジェシク)氏の『한국 괴물 백과(韓国怪物百科)』(2024年)。作家らしく、学問横断的に再解釈した320体の朝鮮伝承の妖怪たちのエッセイである。

コ・ソンベ氏とは違う視点、違うアプローチなので、比較ができる。また、同じ妖怪なのに別の名前で立項されていることもあるので、それもまた面白い。でも、個人的には大混乱である。おそらく、韓国で一般に膾炙している名称はコ・ソンベ氏なのだろう。その辺もフォローしつつ、また、新たな視点で朝鮮半島の妖怪を整理できるのではないかと期待している。もう少し『韓国怪物百科』の内容を咀嚼できたら、また別の書籍を韓国から取り寄せてみてもいいかなあ、と思っている。実はすでに候補は3つ、決まっている。韓国人がどういう風に自国の妖怪を捉えるかという視点が大事なので、今度は韓国のイラストレータさんの視点で妖怪の描かれ方を抽出してみてもよいかなあなどと思っている。ふふふ。
2026年6月13日 朝鮮半島にはカテクシン(家宅神)というのがいるらしい。
先日、手に入れたコ・ソンベ氏の『意外と奥深い鬼神図鑑(의외로 사연 많은 귀신 도감)』(2023年)にカテクシン(家宅神)
がたくさん載っていたので、今回、彼らを重点的に調べてみた。便所の女神、竈(かまど)の女神、居間の神、そして正門の神だ。他にも煙突の神とか裏庭の女神とか、いろいろといるんだけど、取り急ぎ、メインの4柱の神々をアップしてみた。
済州島のシャーマンたちの間に伝わる口伝説話『門前本神話(ムンジョンボンプリ)』の中に、これらの神々の誕生秘話が語られている。でも、コ・ソンベ氏の本では、居間の神を中心とした世界観になっていて、これらの神々の誕生秘話はほとんど触れられていない。正門の神もほぼ触れられない。もしかしたら、済州島と朝鮮半島本土では、若干、信仰や世界観が異なるのかもしれない。その辺の温度差を踏まえつつ、一応、コ・ソンベ氏の本と、『門前本神話』の両方からアプローチして、記事をまとめてみた次第。さてはて。
2026年5月31日 トラに喰われた人間はトラの下僕に!?
最近、韓国との物流経路を確保したので、韓国より韓国の書籍をゲットできるようになった。コ・ソンベ(고성배)氏の『韓国妖怪図鑑(한국 요괴 도감)』(2019年)を活用して、ガンガン、朝鮮半島の妖怪を更新していたが、今回、新たにコ・ソンベ氏の『意外と奥深い鬼神図鑑(의외로 사연 많은 귀신 도감)』(2023年)を調達してみた。『意外と奥深い鬼神図鑑』はイラストも多いし、コラムも多いし、読んでいて非常に楽しい。しかも、『韓国妖怪図鑑』には載っていなかった民間伝承の神々も載っている。面白かったのが、竈の女神とトイレの女神の対立の神話。こういうのも、ちょっとずつ紐解いて、更新していこうと思う。

今日は、中国伝承の倀鬼(チャングイ)と、それに紐づく形で朝鮮半島のチャングィ(倀鬼)とベトナム伝承のマーチャインを更新してみた。トラに襲われて死んだ人間が、死後、トラの下僕になる点は一緒だ。でも、中国の場合、あくまでも山の怪であって、山に立ち入った旅人をチャングイがトラの前に誘って襲う。そうやって新たな獲物を身代わりに、自分は成仏するという筋書きだ。朝鮮半島では、何故か1匹のトラに3人のチャングィがとり憑いている。恐ろしいのは、チャングィが成仏するためには自分の親類を生贄にしなければならないという点。誰でもいいわけじゃないのが朝鮮半島のチャングィの悲惨な点である。ベトナムのマーチャインは1匹のトラの尾にたくさんのマーチャインがとり憑いている。マーチャインがたくさんとり憑けばとり憑くほど、トラの霊力が高まるというから、それはそれで恐ろしい。
というわけで、同じトラに襲われた人間がなる妖怪なんだけど、国によって若干の違いがあったので、それを比較してみた格好だ。さてはて。
2026年5月17日 朝鮮半島の妖怪たちに向き合って試行錯誤!?
ウェブサイト「ファンタジィ事典」に朝鮮伝承のソンガクシ(孫閣氏)とモンダルグィ(夢達鬼)を更新。久々にガッツリ、朝鮮半島の妖怪と向き合った。結構、ソンガクシにしてもモンダルグィにしても、韓国では知名度のある妖怪なので、情報が多くって、うまくまとめられなかった。最近じゃ、文章が多いだけでも拒否反応を示す勢が多いので、もう少し短く要点を絞ってまとめないと、読んでもらえないよなあ、と思いつつも、長文になってしまっている点は反省だ。でも、今時点で答えを持っていないので、当面はこんな文章だなあ。イフリートも少し長い印象があったけど、読み物としては興味を惹けた。ソンガクシとモンダルグィは若干、冗長かもしれないなあ。うーん。
2026年5月6日 80年代モンスターへの回帰
ゴールデン・ウィークだから、張り切ってウェブサイト「ファンタジィ事典」を更新している。今回、ちょっと趣向を変えて、ジャイアントを更新してみた。ジャイアントというのは、英語で《巨人》という意味なので、実は幅広くてとても難しい。ただ、今回、ジャイアントという英語そのものにフォーカスして、イギリス伝承におけるジャイアントに限定して整理して立項してみた。そういう意味では、とてもチャレンジングだった。
それから、もうひとつ、今回、チャレンジングだったのは、イフリートとワイヴァーンだ。ゲームの世界において、当たり前に認知されている有名なモンスターというのは、情報が膨大なので、調べることもたくさんある。それをどうやって整理していくか。そこが難しい。イフリートもワイヴァーンも大昔に立項したことがあって、今回、それを改めて再構築してみた感じ。
5月3日から6日までのゴールデン・ウィーク中にまとめたのは23項目。結構、頑張った。フィリピンや朝鮮半島、インドネシアなどのアジアの妖怪はもちろん、フランス伝承やイギリス伝承、アラビア伝承など、多岐に渡って調査してまとめてみた。
1,500項目を達成したので、少しだけ、原点回帰しようかなと思っている。だから、『ファンタジー・ファイル モンスター・コレクション RPGの世界』(安田均/グループSNE,富士見文庫,1986年)を読んで、項目を拾っている。ボクの原点はファイナル・ファンタジーだ。そこから世界の妖怪に興味を持って、今に至っている。だからこそ、80年代のゲーム世界のモンスターというのは、ボクにとってはスタート地点みたいなもの。『ファンタジー・ファイル モンスター・コレクション RPGの世界』の最初の章がイフリートで、最後の章がワイヴァーンだったので、そこから項目を拾ってきて、ゴールデン・ウィーク中に整理してみた次第。さてはて。
2026年5月3日 燃え尽き気味の4月を越えて、更新再開の狼煙
気付いたら「日々の雑記」の最後の記事が4月11日だった。随分とウェブサイトの更新をサボってしまった。ウェブサイト「ファンタジィ事典」で1,500項目を達成して、そこから「SNSも頑張る!」と張り切っていたのに、のっけから大ブレーキ。4月は職場の人の入れ替わりがあって、体制が大きく変わるので、結構、しんどいんだなあ。ボク自身がプレイヤーから半分マネージャーに軸足を移したものだから、尚更そうなのかもしれない。
ここまでの間に何もしていなかったわけじゃない。ちゃんと映画『えんとつ町のプペル~約束の時計台~』を観に行った。Netflixで『記憶にございせん!』も観た。石持浅海氏の『扉は閉ざされたまま』も読んだ。大谷亨氏の『中国TikTok民俗学』も読んだ。それでも、ウェブサイト運営から遠ざかっていたのは、ある種の燃え尽き症候群だったのかもしれない。
そんなわけで、緩やかに再開の狼煙をあげようと思う。ちょっと前から吸血鬼の調査をしていたが、ポーランドの吸血鬼オヒンとヴィエシュチを更新だ。それから、『ダンダダン』にも登場して話題になっていた台風人間。その他は、久々にシェイクスピアの『テンペスト』を読んだので、エアリアルとキャリバン。後は思いついてヤ=テ=ベオとンデンデキ。
2026年4月11日 吸血鬼小説の源流をたどる:ポリドリからストーカーまで
吸血鬼小説の全体像を把握しようと思って、このところ、ポリドリの『吸血鬼』(1819年)、レ・ファニュの『カーミラ』(1872年)、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897年)を立て続けに読んでいた。それぞれがギリシャ、モラヴィア(チェコ)、トランシルヴァニア(ルーマニア)の吸血鬼伝承を下地にしながら、現代的な吸血鬼を創作している点で非常に面白いな、と思っている。
たとえば、ポリドリの『吸血鬼』では、ギリシャの宿屋の娘のイアンテがギリシャ土着の吸血鬼ヴリコラカスについて語り、吸血鬼の恐怖を煽る。そこへ、イギリスからやってきた貴族のルスヴン卿(実はその正体は吸血鬼)が現れ、ギリシャの地でイアンテを襲う。
レ・ファニュの『カーミラ』では、吸血鬼カーミラが暗躍するのはオーストリアのシュタイアーマルク地方だが、すぐ北の隣国チェコのモラヴィアの貴族がかつて吸血鬼退治でシュタイアーマルクに招聘された話が出てきて、モラヴィアの吸血鬼伝承(ナヴラチレツ)を想起させる構造になっているのが面白い。
ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』では、ドラキュラ伯爵はトランシルヴァニア(ルーマニア)の古城を根城にしているが、現地ルーマニアの吸血鬼(ストリゴイ・モルツィ)の伝承を下敷きに創作している。オオカミへの変身、ニンニク嫌い、棺桶で眠る、杭で心臓を突き刺すなどの要素はストリゴイ伝承に由来する。
後続のドラキュラやカーミラは何度も映画化もされているし、吸血鬼としては非常に有名だ。ルスヴン卿は貴族的な吸血鬼の元祖にも関わらず、吸血鬼としてあんまり認知されていない気がする。もっともっと知名度を高めていった方がよいのではないか。
そんなことを考えながら、ウェブサイト「ファンタジィ事典」にルスヴン卿、ヴリコラカス、カーミラ、ナヴラチレツ、ドラキュラ、ストリゴイなんかを追加してみた。意外と、ストリゴイなんかは調べていて面白かった。2004年でも墓を暴いて心臓を取り出し、焼いて食べるという儀式が行われたというのは、結構、衝撃だ。
2026年4月2日 春と息子と固定電話
ときは春休み。小6の息子のツクル氏を単身、実家に預けている。一人でうまくやれているだろうか。そう思って、実家に電話を掛けてみた。嬉しそうに息子が電話に出たが、音声は途切れ途切れ。返事も曖昧。レスポンスも遅い。どうしたのかと思ったら、唐突に「父、いつものスマホでお話ししませんか」と告げられた。どうやら、固定電話の受話器を片手に立ち往生している様子がスマホ越しに伝わってきた。ああ、時代だなあ。
でも、確かにボクたちも家の電話からケータイ、スマホに切り替わっていくときに、ケータイやスマホのどこに耳を当てて、どこに向かって喋ればよいのかが分からなくって戸惑い、慣れるまで大変だった。固定電話が古臭くなってしまったので、息子にしてみれば、使い方が分からないということなのだろう。
LINE通話に切り換えたら、生き生きと今日の出来事を説明してくれた。本日は公園に花見に行ってきたらしい。嬉しそうに語ってくれた。ふふふ。
2026年3月31日 現在と未来:AI時代の到来──「情報」から「解釈」へ
ウェブサイト「ファンタジィ事典」が1,500項目を達成したことを受けて、ちょっとだけ自分のウェブサイト運営を振り返ってみている。
第1回は黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代、第2回は転換と挫折:集合知の台頭と一度目の幕引き、第3回は再起と適応:スマホ上陸と独自ドメイン、抗い続ける編纂者と自分のウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」の歴史を書いてきた。
今回は第4回。ここからは、少しだけ「未来」の話をしたい。モバイルやスマホ、タブレットへの対応、プラットフォームによる囲い込み、Wikipediaの集合知などとボクは必死になって戦ってきた。全部うまく行ったとはとても言えない。それでも、何とかしのいできた感覚はある。そこに新たなる壁が立ちはだかる。それが「AI」だ。2022年にChatGPTが公開され、まさにAIの時代に突入した。もはや検索すらしてもらえない時代になってしまった。
たとえば、誰かが、どこかの地域のとある妖怪について知りたいと思ったとする。ひとたびAIに尋ねれば、その地域の言語で書かれたサイトであれ、英語のサイトであれ、AIはそれらを軽々と横断し、要約して回答してくれるだろう。さらには、そういう情報を積み上げて、新しいウェブサイトを作ることだって簡単にできる。おそらく、今後、実際にそういうAI由来の情報に基づいたウェブサイトは増えていくだろう。そんな中で、ボクたちはどんな価値を提供していけばいいのだろう。
現時点でボク自身、明確な答えが出ているわけではない。それでも、歴史的背景や地理的背景の分析、地域や時代横断の比較、個人の分析や感想には意味があるのではないか。今、そんなことを考えている。AIが吐き出す情報はきっと均一化しているので、ボクたちはそこからの「差別化」を図らなければいけない。
たとえば、実際に妖怪が跋扈していた時代がどんな時代で、暴れ回っていた場所がどういう場所なのか。ボクの強い興味関心はそこにある。そこにフォーカスして整理する情報には一定の価値が生まれる。また、その妖怪についてボクが調査してみて、どのように感じたのか。その感想にも、きっと価値はある。1,500項目を積み上げてきたボクの視点で、単なる「情報」から「解釈」に転換していけば、それはAIには真似ができない。
もうひとつ、今、漠然と考えているのは、編纂者の顔が見えるSNS発信だ。今、ボクは正直、SNSをうまく使えていない。けれども、こつこつと事典を編纂しているボクとそのプロセスを、SNSで発信していけば、もしかしたら、そこには新たな価値が生まれるのではないか。
現時点でのボクの結論は、そんなところ。だからボクは、これからもそれを着実に実行していこうと思う。
2026年3月29日 再起と適応:スマホ上陸と独自ドメイン、抗い続ける編纂者
ウェブサイト「ファンタジィ事典」が1,500項目を達成したことを受けて、ちょっとだけ自分のウェブサイト運営を振り返ってみている。
第1回は黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代、第2回は転換と挫折:集合知の台頭と一度目の幕引き。そして今回は第3回。
それでも、ボクはどこかで負けたくなかったのだと思う。個人サイトが消滅していくことが悔しかったのだと思う。白鷹るいさんの「幻想図書館」が2004年11月に閉鎖したときの感情がずぅっと心の中に残っていた。だから、2008年11月、再び、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」の再開を決意した。日本へのiPhoneの上陸が2008年7月。TwitterとFacebook、YouTubeが主戦場となり、まさにスマホとSNSの時代の幕が開けた。個人サイトにとっては冬の時代である。それでも、負けるもんかと思った。
もちろん、明確な戦略があったわけではない。2009年4月に「ヘタっぴなアルコール蒸留」からウェブサイト「ファンタジィ事典」だけを分離・独立させる。ウェブサイト運営の目的を明確化して「ファンタジィ事典」に専念しようと思ったわけだ。けれども、これはうまくいかなかった。事典編纂者の顔が見えなくなって、ただの事典サイトになってしまった。
2011年7月には「hetappi.info」という独自ドメインを取得する。そして、再度、「ファンタジィ事典」を「ヘタっぴなアルコール蒸留」の中に再統合する。個人サイト文化が衰退する中、敢えて自分の場所を確保する決意表明でもあったし、少しでも個人サイトとして有利な戦いを仕掛けようと奮闘していた。「日々の雑記」で中の人の生活を見せながら、コツコツと事典を編纂していくスタイルに切り替えたわけである。
WordPressを2014年6月に「ヘタっぴなアルコール蒸留」に部分的に導入した。WordPress自体はすでに2003年に誕生していたが、ボクとしてはずぅっと拒み続けてきた。アップデートのためにメンテナンスしなければならないからだ。でも、導入を決めた。これはボク自身が仕事で海外を飛び回ることが多くなったからだ。SEO的に高く評価してもらうためには、常時、更新して、動いているウェブサイトだと認識させる必要があった。海外に行っている間、ウェブサイトの更新が滞るのはよろしくない。そのため、「日々の雑記」の部分だけをWordPress化して、いつでもどこでもスマホから更新できる体制を構築した。それ以外のコンテンツは静的HTMLのまま据え置いた。
2014年10月にHTML5が標準化され、Webアプリ時代が本格化した。2017年にはそれに合わせて、大幅なリニューアルを実施する。こうして、現在の「ヘタっぴなアルコール蒸留」に至っている。
2026年3月27日 転換と挫折:集合知の台頭と一度目の幕引き
ウェブサイト「ファンタジィ事典」が1,500項目を達成したことを受けて、ちょっとだけ自分のウェブサイト運営を振り返ってみている。
第1回は黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代。そして今回はその続き。
そんなわけで、個人ホームページの黄金期であった2003年1月19日、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は誕生した。時代は3G。1999年にi-modeが出来て、人々はガラケーでもインターネットにアクセスするようになった。ボクたちはガラケーに対応するウェブサイトを作らなければいけなくなる。一時期はキャリアごとにページを作る必要があって、パソコン用に加えてi-mode用、EZweb用、Vodafone用のページを作っていた時代もあった。
1999年にはすでにHTML 4.01が標準化されていて、文書構造(HTML)と見た目(CSS)を分離させるように提唱されていたが、日本への本格導入はかなり遅れて2000年代中頃だった。ボクはこれにも対応しなければいけなかった。ガラガラとウェブサイトを再構築した記憶がある。
さらには1999年に登場したブログが日本にも到来し、眞鍋かをり(2004-2006年)や中川翔子(2007-2009年)がブログの女王として大活躍した。ブログにはトラックバック機能がついていた。自分の発信した情報が参照される等の反応があって、当時は非常に画期的だった。ボク自身も、実は2005年に「飛べない試作品第7号」という名称でブログを試行していた時期もある。結局、HTMLのウェブサイトとの統一感を担保できなくて、このアプローチはすぐに諦めてしまった。
その後、2004年にmixi、Facebook、2005年にYouTube、2006年にTwitterが産声を上げ、次第にウェブサイトの重心が個人サイトからプラットフォームに移っていった。目に見えて、掲示板でのコミュニケーションが減って、SNS上でのやり取りが中心になっていく。SNSの囲い込みで顧客が奪われていく感覚を実感したのは2000年代後半かもしれない。
2001年に運営を開始したWikipediaが普及したのもこの時期で、2007年に40万項目を達成して、Google検索でもWikipediaがトップに来るようになった。まさに「出典はWikipedia」という時代が到来した。
2007年12月に、ボクは一旦、ウェブサイトを全て閉鎖する決断をした。モチベーションが続かなくなったのだ。特にウェブサイト「ファンタジィ事典」の編纂作業は難しかった。どう頑張っても、個人の事典では集合知には勝てない。それでも、必死で抗って、Wikipedia的な網羅性を追求してしまった。それで限界を迎えたのだと思う。だから、閉鎖することにした。
「まあ、ボクは気まぐれですから。ひょい、とまた始めちゃうかもしれません。でも、まあ、それはそれ。とにかく今は一度、閉鎖してみようと思います。みんな、みんな、ありがとう。またお会いする日まで」
2026年3月25日 黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代
ウェブサイト「ファンタジィ事典」では3月20日に1,500項目を達成した。これを機に、ちょっとだけ自分の歩みを振り返るとともに未来を語ってみようなどと色気を出しているボクである。
そもそも、ボクがウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」を立ち上げたのは2003年1月19日で、大学生の頃だった。時代としては、個人が世界に向けて自由に発信できる黄金期だったと言える。ちょっとだけ、HTMLの歴史と結びつけながら、ボクのウェブサイト運営について振り返ってみたい。
HTMLという概念そのものは、1991年にティム・バーナーズ=リーによって公開された。これは文書構造にハイパーリンクを組み合わせたものだ。その後、1993年にWWWが一般公開され、HTMLの最初の仕様も提示され、誰もがウェブサイトを構築できるようになった。
1995年にはHTML 2.0が標準化され、フォームやリストなどの概念が出揃った。掲示板やカウンター、コメント入力など、CGIを用いた双方向のコミュニケーションができるようになった。
1997年には、ブラウザごとに勝手に独自展開していた見た目の要素を追認する形でHTML 3.2が標準化され、フレーム(独自拡張)やテーブルレイアウトなどを用いて手軽にリッチなホームページが作れるようになった。
ボクの最古のウェブ体験というのは、まさにこの時代のものだ。数は少ないながら、先人たちがすでに個人ホームページを作り始めていた。まさに個人ホームページの黎明期だ。信じられないかもしれないが、その界隈であればこのサイトというのがあって、みんな、そこに集って交流していた。当時の個人ホームページというのは、大抵、ウェブ日記、カウンター、掲示板、リンク集がセットになっていて、ボクもこれらを模倣して、最初のウェブサイトを作り始めた。
ちなみに、ボクが目標としていたのは白鷹るいさんの「猫の夜会」で、創作サイトの傍ら「幻想図書館」という神話・伝承の事典があって、ものすごく憧れていた。「猫の夜会」そのものは1997年に運営を開始しているので、かなりの古参と言える。古い時代のウェブサイトとして必ず名前が挙がる「侍魂」とか「ちゆ12歳」なんかも2001年に運営が開始されているので、ボクも群雄割拠の個人サイト時代の一翼としてウェブサイト運営を始めたと言える。
1998年にはロボット型検索とPageRankという概念を引っ提げて、Googleが誕生し、SEOという概念が重要視されるようになっていくが、ボクがウェブサイトを作り始めた頃は、まだリンク集が非常に重要だった。リンク集を辿って新しいウェブサイトと出会う必要があったし、Yahoo!はディレクトリ検索と言って、手作業でリンク集を作成していた。相互リンクや同盟、ウェブリングみたいな独特の概念もあって、いかにその界隈で繋がって交流するかがサイト拡大の肝だった。掲示板を介して人々は交流していて、熱気があった。
2026年3月22日 1,500項目のお祝いに、AIと対談してみた
3月20日の記事「ファンタジィ事典」1,500項目達成!でも書いたように、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の項目が通算で1,500項目になった。何か面白い企画はないものかと考えあぐねていたが、最近のAIブームの流れに思い至った。そうだ、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の1,500項目達成を記念し、AIとの対談企画をやってみようということで、Geminiに相談してみた次第。
今回、事前にGeminiにウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」をよくよくリサーチさせ、その内容をもとにインタビュー記事を組み立ててもらった。Geminiが投げかけてくる質問にボクが順次、答えていき、最終的にそれをGeminiが独自にまとめ上げている。
もちろん、言ったことと言っていないことが混ざっていたり、ニュアンスが微妙に違っていたりもする。でも、ボクがAIと対談するというのはそういうことだ。そういう企画として楽しむべきだと思って、あえて修正せず、そのまま掲載することにした。
というわけで、「1,500項目記念AIインタビュー」を是非是非、お楽しみあれ。あっはっは。







