《日々の雑記》

2024年10月14日 ゼロワングランドスラム

昨日は全国小学生プログラミング大会「ゼロワングランドスラム」がイオンレイクタウンkazeで開催されていて、息子のツクル氏と参加してきた。ここのところ、腰痛に悩まされているんだけど、ツクル氏のためならえんやこら。久々に遠出してみた。

「ゼロワングランドスラム」は「ロボット競技」、「デバッグ競技」、そして「ハッカソン」という3つの競技で構成されている。ロボット競技は、事前に組み立てたロボットに、当日の障害物の配置を踏まえてプログラミングし直して、障害物を避けながら得点を入れていく。操縦はしない。すべて打ち込んだプログラムのとおりにロボットが動作して、目的を達成する。思った通りに動く場合もあるし、動かない場合もあって、悲喜交交。「床の材質が違って、摩擦が家とは違った」などと悔しがる少年もいれば、「計算通りに動いた」と喜ぶ少年もいる。

続くデバック競技はバグを含むスクラッチのプログラムを仕様のとおりに正しく修正する時間を競う。全部で8問あって、バグを見つけて、それを修正する。8問目くらいまで行くと、普通にゲームになっている。キャラクタを操作して岩を避け、当たってしまうとダメージを受けるような挙動をきっちりと再現しなければいけない。つまり、ちゃんとダメージが反映されるようなライフを変数として設定して、当たり判定の後にライフを減じるようなプログラムにしなければいけないわけである。

最後のハッカソンは仕様に合わせたゲームを30分でゼロから作り上げる。今回のお題はブロック崩し。ボールを跳ね返しながら、ブロックを消していくゲームを30分で作り上げるわけだけど、参加している小学生たちは、ほぼほぼ10分くらいでブロック崩しの基本的な骨格を完成させて、そこから先の時間はオリジナルの仕様を持ち込んで、アイディア勝負に挑んでいる。妨害する敵が出てきたり、お助けアイテムが出てきたり、セリフが出てきたり、そりゃあ、いろんな発想がある。すごいなあ。ただただ感心してしまう。ゲームを完成させるだけでもすごいのに。

そんなわけで、ツクル氏と楽しく参加してきた。わっはっは。あー、腰が痛い。越谷だけに(なんじゃそりゃ!!)。

2024年10月13日 シェムハザを描いてみた。

堕天使の「シェムハザ」を描いてみた。

シェムハザのイラスト

『エノク書』(前2~前1世紀)によれば、彼は地上の見張りを任される天使の一団「ウォッチャーズ(グリゴリ)」の指導者であり、200人の天使を率いて地上にやってきて、それぞれが人間の女性を妻に娶って、さまざまな知識を人間に授けたとされる。これによって地上は荒廃し、大天使ミカエルによって討伐された。また、この出来事が原因で、神は大洪水を引き起こして地上を洗い流してしまったとされる。

シェムハザに関する姿・形について言及する書物はなく、また、それっぽい図もないので、今回ばかりは、かなり勝手なイメージでイラストに描き起こしている。服装だけは当時のキリスト教の絵画に描かれる天使の服装を元にしているが、それ以外は完全にオリジナルだ。天使たちがそれぞれ女性を娶って子をなそうと囁き合う中、シェムハザは「俺だけが罰せられることはないだろうな。みんなで一緒にやるんだぞ! 裏切るなよ」的なことを言っているので、かなり神経質なやつだと思っている。だから、そういう顔にしてみた(笑)。

2024年10月10日 妖怪イラストbot!?

最近、Xもpixivも、妖怪のイラストだけが4日おきに7時半に更新される。まるで妖怪イラストbotみたいだ。

何しろ、ここのところ、本格的に体調が悪くなっている。腰痛と腹痛に悩まされている。起き上がれないことも多い。ストレスなのかもしれないし、疲労が蓄積しているのかもしれない。

幸い、過去に描いたイラストのストックがあって、それが予約投稿で定期的に更新されている。それ以外の更新が滞っている。それで、妖怪イラストbotみたいになっている。でも、そのストックも残りわずかで、そろそろもう一度、再始動しないと、妖怪イラストbotすら途切れてしまう。

そんな焦りもありつつ、それでも、体調の悪化で、仕事を終えて帰ってくると、家で倒れ伏している。うーん、苦しいところだ。

2024年10月9日 「怪人アンサー」を描いてみた。

都市伝説の怪人アンサーを描いてみた。

怪人アンサーのイラスト

10人で円になって、一斉に携帯電話で隣の人に電話をかける。みんな話し中になる中、一人だけが怪人アンサーと繋がる。怪人アンサーはどんな質問にも答えてくれるが、怪人アンサーの質問に答えられないと、液晶画面から手が出てきて、身体の一部をもぎ取られるという。9つの質問に答えてくれて、10番目の質問は怪人アンサーが問い掛けてくるらしい。

2002年頃にネット上に広まった怪談なので、イラストとしては折り畳み式のガラケーにしてみた。10人が円になって携帯電話を掛け合うというのは、実はとてもシュールだよな、と思う。

ちなみに、この怪談は、都市伝説の流布を調べるために、ある人物が創作して意図的に流したということが、2003年に作者と目される人物より暴露(?)されている。都市伝説は匿名性が肝なので、そういう意味では、都市伝説ではなくて創作になったと言える。でも、最近の洒落怖も、匿名性は残しつつも、明確に作者がいて、書き込みが残されているので、この怪人アンサーと同様と言える。そういう意味では、最近の洒落怖系の都市伝説(?)のはしりとも言える現代妖怪かもしれない。

2024年10月5日 「愛宕山太郎坊」を描いてみた。

愛宕山太郎坊を描いてみた。京都の愛宕山に棲む。日本全国の天狗たちの総大将だ。天狗と言えば、鼻高天狗をイメージする人も多くて、総大将も当然、鼻高天狗だと勝手に認識している人も多いかもしれない。でも、由緒正しき古来からの天狗と言うのは、実は烏天狗の方である。鼻高天狗を最初に描いたのは、室町時代の狩野元信だと言われている。鞍馬山僧正坊を描いたときに、現在のイメージのような鼻の高い天狗を描いたのが始まりだと言われている。だから、漠然と、次は鞍馬山僧正坊を描こうかなあ、などと考えている。

愛宕山太郎坊のイラスト

今回、結構、描き直しをした。小道具も多くて、結構、立体感のあるいい感じの絵になったと思う。自信作ではある。まあ、よくよく眺めるとあっちこっちデッサンの乱れはあるんだけど、これだけバチっと描くと、意外と誤魔化されてしまうかもしれない。

2024年10月1日 グラス・キャットを描いてみた。

オズ・シリーズに登場する「グラス・キャット」を描いてみた。

グラス・キャットのイラスト

グラス・キャットはライマン・フランク・ボームの『オズのパッチワーク娘』(1913年)で初登場したキャラクター。魔法の粉で命を得たガラス製の猫だ。疲れ知らずで、オズの国中を走り回って情報を収集している。ピンク色の粒々の脳みそが自慢で、よくこの脳みそがくるくると動いているところを見せつけて、自慢してくる。高慢ちきなやつである。

ツンとしたおしゃまな感じは表現できたが、正直、ガラスの素材感はうまく描けなかった。どうやればガラスっぽくなるんだろうなあ。難しいなあ。

2024年9月29日 日本酒を片手に

今日は今日とて、大百足七歩蛇を更新。日本の妖怪が続いている。うーん。苦しい(笑)。七歩蛇は『伽婢子』(1666年)に載っているので、ちょうど『東洋文庫 480 伽婢子 2』(著:浅井了意,校訂:江本裕,平凡社,1988年)で補完できた。大百足の方は、「俵藤太の百足退治」みたいな昔話の断片しかないので、ここはもう少しフォローが必要かもしれないなあ。そもそも御伽草子系のものって、書籍化されているのかなあ。

いずれにしても、河津酒造の日本酒「七歩蛇」を飲みながら、七歩蛇の項目をまとめるという優雅なボクであることよ。

2024年9月29日 一次資料を求めて外界に繰り出す!?

ランダム更新が、ちょうど十二様とか大人(おおひと)とか、ちょっと資料の少ない正体不明の妖怪が当たってしまったので、苦戦していた。でも、まあ、そういう妖怪から逃げないで真正面から取り組むのも、ときには必要だと思うので、まあ、よいか。

最近、日本の妖怪を更新する機会が増えた。『Truth In Fantasy 事典シリーズ 2 幻想動物事典』(著:草野巧,画:シブヤユウジ,新紀元社,1997年)をベースにランダムに更新しているから、結果として、そうなっている。でも、今まで、日本の妖怪は勝手に敬遠していたので、資料の持ち合わせが圧倒的に少なくて、新たにいろいろと仕入れなきゃいけなくなっている。浅井了意の『伽婢子』(1666年)、『狂歌百物語』(1853年)なんかをせっせと仕入れて、読んでいる。だから、出費が大変だ。わっはっは。

意外なことに、Wikipediaを確認していると、日本の妖怪で、必ずしも一次資料に当たっていない雰囲気の項目があったりする。出典が村上健司だったり、草野巧だったりする。どちらの著者も一次資料の出典をちゃんと書いてくれている傾向にあるのだから、直接、それを当たって書けばいいのに、と思ったりするが、結局、一次資料に当たるのは面倒だからか、村上健司が言っているとか、草野巧がそう書いているという文章になっている。だったら、ちょっと一次資料に当たってみるか。そんな風に考えて、最近、極力、一次資料を求めて、外界に繰り出している感じ。

2024年9月27日 チャオドイノンメを描いてみた。

ようやく念願のベトナムの妖怪にも着手している。第1弾が首だけお化けの「マーライ」で、第2弾として「チャオドイノンメ」を描いてみた。ベトナムでは長生きしたイヌはやがて霊力を得て、妖怪になるようだ。さらに長生きして霊力を得るためには血が必要で、周辺の家畜を襲う。ときには人間も襲う。屋根の上にチャオドイノンメが現れたら、その家の人間の魂が吸われている。やがて家人は死に至る。

チャオドイノンメ

面白いのは、チャオドイノンメが小動物の妖怪たちの親玉ということだ。ネコやフクロウ、アヒル、ニワトリなどの妖怪たちを率いて、屋根の上で作戦会議をしているらしい。

2024年9月26日 最近のイラストレータ界隈について思うこと。

Instagramを始めてから、いろいろと不思議に思うことがある。

たくさんのイラストレータがリール動画をつくっていることだ。ボクは、イラストレータって、自分の絵を見てもらいたいのだと思っている。それなのに、動画にしてしまうことで、絵そのものをじっくり見ることができなくなっている。個人的には、ものすごいフラストレーションだ。

結構、多いのは、下書きから清書して、彩色するプロセスを見せるリール動画。でも、ボクはこういうプロセスというか、舞台裏じゃなくって、完成形の絵をちゃんとじっくり見たいな、と思ってしまう。そりゃあ、さ。大好きなイラストレータがいて、その人がどうやって絵を仕上げているのかな、と思ったときに、絵が出来上がっていくプロセスを紹介するリール動画なんかがあると、それには価値が見出せる気がする。でも、それって、ファンに向けてのサービスだ。ファンになる前の集客の段階では、全然、価値を持たない。絵を描くプロセスばっかりをせっせとアップしているイラストレータって、なんなんだろうな、と不思議に思う。絵の指導をしたり、イラストレータに技法を紹介しているのだろうか。でも、どうもそういう方向性の編集にはなっていないような気がする。

そもそも、ボクは動画は動画のプロがつくるべきであって、イラストのプロはイラストで勝負すべきだと思っている。せっかく絵がうまいのに、チープな動画を見せられても、編集がヘタクソすぎて、ブランディングに失敗している気がする。もしも動画をつくりたいなら、もっとちゃんと動画の勉強をして、動画ならではの見せ方をしないと作品としてレベルが下がってしまう。

そもそも下書きみたいな絵とか、いろんなカラーバリエーションの絵とかを完成のイラストと一緒に並べているイラストレータも多くって、ボクはその文化もちょっとだけ理解ができない。特にいろんなカラーバリエーションがボクには理解ができなくて、「これが最善だ!」という追及の結果、完成形があるのであって、その途上でちょっと出来の悪い色違いを見せられても、それに何の意味があるのかな、と思う。これって、絵だけの話ではなくって、小室哲哉氏のリミックスにも感じていた。ヴァージョン違いをたくさん並べて、結局、どれがいいと思っているんだい? そんな風に思ってしまう。たとえば、ね。全然、違うアレンジで、デジタルとアコースティックくらいに別物だったら、それはそれで面白いと思うけど、ちょっとだけ差をつけたカラーバリエーションをいくつも提示されたって、それって何なのさ、と思う。最高の1つを決めて提示してくれよ、と思う。

1枚の絵のあっちこっちを切り抜いて拡大して見せるパターンもちょっと疑問だ。絵のどの部分を見るかは、見る側が決めればいいのであって、「ここに注目してー!」みたいなクローズアップはちょっとだけ冷めてしまう。大体、全体の構図を練って絵を描いているはずなのに、一部分だけを切り取って、もう一度、提示してくるっていうのは、一体、どういうことなんだい? なんて思ってしまうのである。絵の解説者が「ここを見てください。ここ、工夫しているんです」みたいに解説することがあるが、それを自分でやってしまうのは、ちょっとどうなんだろうか。

そんなわけで、誰かを非難したり、攻撃したりしたいわけではないんだけど、結果としては疑義を呈しているので、攻撃的な雑記になってしまった。でも、本当。そういうニーズがあるのかな。そういうのがウケるのかな。ボクは作者の独りよがりな感じがするんだけどなあ。

2024年9月23日 ティジー・ウィジーを描いてみた。

本日はイギリス伝承の「ティジー・ウィジー」を描いてみた。

ティジー・ウィジーのイラスト

あんまり有名な妖怪ではないかもしれない。イングランドのウィンダミア湖に棲息していて、弾丸のように飛ぶという。ボウネスという町の船頭が発見して、写真も撮影された。多分、元々はボウネスの船頭が町興しというか、話題作りというのか、ボート業界を盛り上げるために作り上げた生き物だったんだと思う。でも、その後、多数の目撃情報が寄せられて、未確認生物的な存在になった。

最近、Instagramを始めた。Instagramは写真や動画、イラストがメインで、あんまり文字を介在させないコミュニケーションがとれるので、結構、海外の人との交流が容易だ。だから、いろいろと海外のイラストレータさんとフォローし合っている。日本ではマイナーな妖怪がイラストの題材に取り上げられていることが多くって、勉強になる。ああ、そんな妖怪がいるんだなあ、知らなかったなあ、みたいな感じで、とても刺激を受けている。この刺激をそのままお伝えしたくて、今回、敢えてティジー・ウィジーを描いてみた。

まあ、ね。日本人でもティジー・ウィジーをネタにしている人は多いんだけど、あんまり神話・伝承系の本でも、未確認生物関連の本でも取り上げられないので、知名度はそんなに高くはないのではないかと思っている。ふふふ。

2024年9月22日 基礎は大事だ(それはそう!)

本日は息子のツクル氏の「ピアノの発表会」。で、ボクも連弾の相方として登壇。ジョプリンの『エンターテイナー』。そんなこんなで、メチャクチャ緊張する1日であったことよ。

そもそも、ピアノに限らず、音楽全般、ちゃんと基礎をやることが大事だ。それこそ、バイエル、ブルグミュラー、ソナチネ……みたいに、ステップアップしていく。こういうのを学んで、弾いてきた人たちってちゃんと基礎がある。でも、ボクの場合、バイエルすらまともにやらずに、先生に怒られていたタイプの人間なので、そういう基礎がなっていない。それなのに、子供の相方として、連弾して登壇させられるのは、ちょっと苦しい。ああ、こんなことなら、ちゃんと基礎をやっておけばよかった。

若かりし頃のボクは、こういう基礎全般をないがしろにしていた。ピアノの習い事の日に、自分で作曲した楽曲を持って行って先生に聞かせたり、勝手にアレンジして面白がったりしていて、今思えば、先生は手を焼いただろうな、と思う。それでも、先生側もボクのやる気を出させるために手を変え品を変え。ファイナルファンタジーの楽曲をやらせたり、ドラゴンクエストの楽曲をやらせたりしてボクを鍵盤の前に座らせていた。

息子と連弾で舞台に立つという未来が来るなら、もっとちゃんとやっておけばよかったなあ。(つд⊂)エーン

2024年9月19日 プゴットを描いてみた

世の中、何が起こるか分からない。本日はフィリピン妖怪の第37弾で「プゴット」を描いてみたわけだけど、Xで珍しくバズっている。吃驚仰天。

プゴットのイラスト

まあ、そもそものバズるの定義がよく分からないし、バズるほどのアクセスでもないんだけど、でも、少なくとも、今までは平均でインプレッションが大体、150~200回くらいで、うまく絵が描けたなあと思っていると500回に届くくらいのときがあった。ところが、今回はあっという間に2000回を超えた。しかも、フォロワーでもないし、今まで絡んだことのない人たちがリポストしたり、いいねを押したりしている。要するに、妖怪界隈ではない人たちの目に触れたということになる。こんな恐ろしい姿なのに「下着泥棒」というところがハネた理由なのかもしれない。うーん。

正直、絵としてはうまく描けなかった。何度か描き直してはみたんだけど、どう直しても、結局、立体感がちょっとだけ足らなくって、色味も淡くって、イマイチだなあ、と思っていた。何ならゼロから描き直すことにして、投稿そのものをやめて、別の絵に差し替えようかと思っていたくらいだ。それなのに、投稿してみたら、案外、バズったものだから、驚いている。何がウケるのかは分からないものだなあ。

2024年9月17日 日本の妖怪には少しだけ苦手意識がある

ウェブサイト「ファンタジィ事典」、粛々と更新作業を進めている。15日には「大入道」「遣ろか水」、16日には「ブラーク」を更新して、本日は「人面瘡」「二口女」を更新した。『幻想動物事典』をランダムに開き、そこに載っている妖怪を問答無用に更新するスタイルに切り替えて運用しているが、どの妖怪を取り扱うかの取捨選択のプロセスで悩まなくなって、いい感じ、いいペースで更新ができている。

『幻想動物事典』は意外と日本の妖怪が多いのが難点だ。ボクは西洋の妖怪から入った口なので、あんまり日本の妖怪は専門ではない。だから、日本の妖怪を更新するときには内心ではドキドキしてしまう。それこそ、日本の妖怪だったらほかに得意な人がいっぱいいるし、当然、ボクたちは日本人なので、日本の妖怪を対象に調査・研究、あるいは創作している人はたくさんいる。ある種のレッドオーシャンだ。激戦区に切り込んでいく怖さはある。だから、あんまり独自の路線にはせずに、たんたんと事実のみを書くように心掛けている。

ただ、日本の妖怪も、ちゃんと勉強するとそれなりの面白さはある。たとえば、昔話の「食わず女房」と「二口女」は、どうも出自が異なるようだとか、二口女は実は人面瘡の系列ではないかとか、深堀するとそういう議論があって、資料を読んでいて、ちょっとニヤニヤしてしまう。あるいは「大入道」は山の怪なので、ブロッケン現象と結び付けて議論されているところもあって、そういうのも、ああ、なるほどな、と思う。『狂歌百物語』の大入道の画なんて、真っ黒い影で、確かにブロッケン現象だと言われれば、そうかもしれないと思わせられる。

ボクはそこまで踏み込んで議論できるほど、情報を持っていないので、ちょっと触れる程度で逃げてしまうんだけど、まあ、そのうち、時間ができたら、日本の妖怪を深堀ってみても面白いかもしれないなあ。

2024年9月16日 善意だけでは運用されないのが技術だ。

昨日はヤマノケをアップしてみたものの、Xでもpixivでも、そんなにバズらず。まあ、そういうこともある。

それはそうと、最近、ニュースでAI画像生成が問題視されている。ちょっと前の文脈だと、クリエイタの著作権が課題だとされていた。要するに、学習させるプロセスで過去のクリエイタの作品を学ばせていくわけで、誰かの作風を簡単に模倣できてしまうし、アイディアも真似できてしまう。それは如何なものかという文脈だったように思う。

Xのポストなんかでは、相当数のクリエイタたちがAI画像生成に対して否定的な意見を持っていて、ピリついている。pixivはその辺が寛容で、AI生成の作品の投稿もオーケィにしているので、かなりの数のクリエイタたちがpixivと言うプラットフォームからは離れていったように思うし、pixivそのものの態度や対応は常に批判にさらされている。この辺って、多分、クリエイタ界隈と触れ合っていない人には、全ッ然、空気感が伝わらないかもしれない。一般的には「新しい技術だし、面白そうだな」くらいの印象の人も多いかもしれないけれど、まあ、クリエイタ界隈ではものすごく批判的な人も多く、ホントに、ピリついているという雰囲気はある。

そんな流れに加えて、最近はフェイク作品も話題になっている。既存の写真を加工して、それこそ、ポルノっぽい画像を生成する人もいるらしい。自分の写真が勝手にポルノ作品に加工されて公開されるケースもあるようだし、最近だとハリーポッターの子役に煙草を吸わせるようなフェイク写真を生成するみたいな事例も流れてきた。つくっている人は面白半分(?)なのかもしれないが、やられる側はたまったものではない。そういう意味では、技術的にはいろいろと可能性は広がりそうだけど、倫理的なところでは課題が多い。

ボクの本職は絵描きではない。あくまでも妖怪をイラストに描き起こして、そのイメージを喚起したいだけだ。そういう意味では、別に画像生成AIに妖怪の絵を描いてもらって、それをファンタジィ事典の項目に載せるのも、全ッ然、アリだと思っていた。マナナンガルから開始したタブレットお描きによるボクの妖怪画も、すでに70作品くらいのストックが溜まってきたので、こいつをAIに学ばせて、ボクのイラストを引き継いでくれないかな、と期待していたんだけど、第三者の作風を勝手にパクる人も多くって、恣意的に誰かの作品を学ばせるようなプログラミングは市販されていないようで、自作でやるしかないようだ。難しいなあ。技術というのは、必ずしも善意だけでは運用されないからなあ。

2024年9月15日 ヤマノケを描いてみた

9月11日の記事「トイレの花子さんを描いてみた」でも宣言したとおり、今後、洒落怖系の妖怪の絵を描いていくぞ、という決意を固めたわけだが、早速、ヤマノケを描いてみた。

ヤマノケのイラスト

ヤマノケは、2ちゃんねるのオカルト板「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?(洒落怖)」に2007年2月に投稿された怪談だ。車中泊とは言え、山の中でこんな怪物に遭遇したら、そりゃあ、怖いよね。しかも女性にとり憑いて、憑かれた女性は気が触れてしまうわけだから、メチャクチャ、怖い。

1本足という特徴なんかは、山の怪に共通するところなので、そういうイメージが踏襲されているんだと思う。胸に顔がついているのは、中国の刑天とかインドのカバンダ、エティオピアのアケパロスがいる。そういうイメージもあるのかもしれない。日本だと胴面(ドウノツラ)という妖怪画も知られる。でも、1本足で白っぽいというのも相俟って、ブキミな感じの妖怪だなと思う。

2024年9月14日 鬼とか天狗とか。

「日々の雑記」が1日空いてしまった。最近、締め切りの仕事をたくさん抱えていて、正直、日常がワチャワチャしている。ウェブサイト「ファンタジィ事典」も連投できず。まあ、そういう日もある。

本日は前鬼後鬼を更新。昨日の分と今日の分……というわけでもないが、一応、2項目を更新だ。鬼とか天狗って、王道と言えば王道だけど、実は難しい。こういう鬼とか天狗の類いは、飛鳥時代、奈良時代、平安時代に跋扈しているわけだけど、資料としては断片的な部分もありつつ、現在まで何となく地続きで繋がっている感じもあって、その怪しさは魅力だけど、よく分からないのも事実だ。

実は、ボクの「ファンタジィ事典」のアクセス解析を見ると、妙に天狗に人気が集まっている。八大天狗を全部、それなりの分量を載せているからだと思う。どれも概ね平均エンゲージメント時間が2分近くになっている。読まれているということだ。鬼関連もそういう傾向にある。Google検索でも上位に来るものが多い。だから、人気コンテンツと言えば、人気コンテンツ。そういう意味では、前鬼と後鬼もハネるといいのだけれど、こればっかりは何がバズるのかよく分からない。だから、あくまでもランダムに『幻想動物事典』を開いて、それを足掛かりに更新するスタイルである。

鬼とか天狗のイラストを描くというのも、やってみてもよいよなあ、と思っている。こっちは、別にランダムの世界線ではないので、自分で描きたいものを描く。コントロールできる。やってみようかなあ。我がウェブサイトで大人気の愛宕山太郎坊かなあ。どうだろう。ふふふのふ。

2024年9月12日 常に原典に当たることの重要性!?

『エノク書』を読んで、アザゼルシェムハザの項目を更新したので、ついでに関連ワードとしてネフィリムグリゴリを更新することにした。

そんな作業の過程で、過去の自分の記述の誤りに気付く。ネフィリムの身長が「3,000キュビット」と書いてある。正しくは「300キュビット」だ。この誤りの出典は何かなあと思ったら、どうも『幻想動物事典』だったようだ。確かに『幻想動物事典』のネフィリムの項にはそう書いてある。でも、まあ、原典を確認しなかったボクが悪い。本を鵜吞みにしてはいけない。

ちなみに1キュビットというのは肘の長さを基準にした単位で、時代によって若干、異なる。一般的には46センチメートルくらいとされている。それで行くと、300キュビットは約140メートルになる。もしも3,000キュビットだったら、1,400メートルの大男ということになる。それではさすがに大きすぎるだろう。人間の女性と天使の間に生まれて、成長したら1,400メートルになるなんて、とても想像できない。140メートルなら、まあ、まだ許容範囲か。

ちゃんと一次資料に当たることは、とても大事である。ついつい、ね。サボっちゃうというか。本に書いてあるからいいか、と裏取りしないで突き進むこともある。資料がなくて原典に当たれないことだってある。でも、今はオンライン上に比較的、いろんな資料がアップされているので、昔に比べれば、事実確認がしやすい。それってとても幸せなことだし、手を抜いてはいけない。

というわけで、しっかりと原典に当たって裏取りを進めつつ、ネフィリムとグリゴリを更新した日である。

2024年9月11日 トイレの花子さんを描いてみた。

学校の怪談に登場する「トイレの花子さん」を描いた。こんなのは、別にボクが描かなくても、たくさんのイラストレータさんが描いてくれている。もっとうまい絵もたくさんある。それでも、今後、都市伝説系とか洒落怖系の妖怪をバンバン描いていこうと思っているので、有名どころはしっかりと押さえておかなきゃ、ウェブサイトとしての体裁がおかしいかな。そんなことをぼやっと考えて、重たい腰をあげて描いてみた。

トイレの花子さんのイラスト

多分、ほかにも、口裂け女くらいは押さえておいた方がいいよなあ。ターボババアも有名どころなのかなあ。いろいろと調べると、何が有名で何がマイナなのかが分からなくなる。

ちなみに、今、ボクが目下のところ、興味があるのは、実はオーソドックスな学校の怪談とか都市伝説ではなくって、「洒落怖」の妖怪たちや、その他ネットロアの妖怪たちだ。

「洒落怖」というのは、2ちゃんねるの「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」というスレッドのことで、そこではさまざまな怪異が語られる。当然、どこかの誰かの「創作」と言えば「創作」だ。でも、2ちゃんねるの匿名性も相俟って、伝承っぽくなっている。

意外とそういうのを朝里さんが「都市伝説」という文脈の中で紹介していて、徐々に市民権を得てきたような印象がある。その辺をウェブサイト「ファンタジィ事典」としても、とらまえていこうと画策している。そのためには、まずは有名どころの都市伝説の妖怪たちをイラスト化して、そこに並べる格好で、新しい妖怪たちを描きたいなあと思っているところである。

2024年9月10日 古代エチオピア文字でも印字できる世界線

久々に休暇を取得して羽を伸ばす。と言っても、やることはいつもの日常だ。昨日に引き続き、『エノク書』を黙々と読む。昨日はアザゼルさんだったけど、本日はシェミハザさん。アザゼルは旧約聖書『レビ記』にも登場するので、そちらに主眼を置いて整理したが、シェミハザは『エノク書』がメインの悪魔なので、大真面目に『エノク書』を読む。

便利な世の中なので、古代エチオピア語のヴァージョンもウェブサイトに載っているし、英語でいくつかの写本を比較したものもある。グリゴリの指導者の名前も写本によってまちまちだ。そういうのも、ちゃんと追いかけられるのがいい時代。古代エチオピア語なんて、知らない文字なので、ボクにとってはもはや暗号の世界だ。でも、ちゃんとブラウザでも古代エチオピア文字が印字されちゃうんだよなあ。すごいよなあ。

以下、試しに古代エチオピア語の『エノク書』第6章を引用。シェミハザが仲間の天使たちを集めて、人間の娘を妻に娶ろうと相談しているシーンだ。

ወኮነ ፡ እምዘ ፡ በዝኁ ፡ ውሉደ ፡ ሰብእ ፡ በእማንቱ ፡ መዋእል ፡ ተወልደ ፡ ሎሙ ፡ አዋልድ ፡ ሠናያት ፡ ወላህያት ። ወርእዩ ፡ ኪያሆን ፡ መላእክት ፡ ውሉደ ፡ ሰማያት ፡ ወፈተውዎን ፡ ወይቤሉ ፡ በበይናቲሆሙ ፡ ንዑ ፡ ንኅረይ ፡ ለነ ፡ አንስተ ፡ እምውሉደ ፡ ሰብእ ፡ ወንለድ ፡ ለነ ፡ ውሉደ ። ወይቤሎሙ ፡ ስምያዛ ፡ ዘውእቱ ፡ መልአኮሙ ፡ እፈርህ ፡ ዮጊ ፡ ኢትፈቅዱ ፡ ይትገበር ፡ ዝንቱ ፡ ግብር ፡ ወእከውን ፡ አነ ፡ ባሕቲትየ ፡ ፈዳዪሃ ፡ ለዛቲ ፡ ኅጢአት ፡ ዐባይ ። ወአውሥኡ ፡ ሎቱ ፡ ኵሎሙ ፡ ወይቤሉ ፡ መሐላ ፡ ንምሐል ፡ ኵልነ ፡ ወንትዋገዝ ፡ በበይናቲነ ፡ ከመ ፡ ኢንሚጣ ፡ ለዛቲ ፡ ምክር ፡ ወንግበራ ፡ ለዛቲ ፡ ምክር ፡ ግብረ ። አሜሃ ፡ መሐሉ ፡ ኵሎሙ ፡ ኅቡረ ፡ ወአውገዙ ፡ ኵሎሙ ፡ በበይናቲሆሙ ፡ ቦቱ ፡ ወኮኑ ፡ ኵሎሙ ፡ ፪፻ ። ወወረዱ ፡ ውስተ ፡ አርዲስ ፡ ዝውእቱ ፡ ድማሑ ፡ ለደብረ ፡ አርሞን ፡ ወጸውዕዎ ፡ ለደብረ ፡ አርሞን ፡ እስመ ፡ መሐሉ ፡ ቦቱ ፡ ወአውገዙ ፡ በበይናቲሆሙ ። ወዝንቱ ፡ አስማቲሆሙ ፡ ለመላእክቲሆሙ ፡ ስምያዛ ፡ ዘውእቱ ፡ መልአኮሙ ፡ ኡራኪበራሜኤል ፡ አኪበኤል ፡ ጣሚኤል ፡ ራሙኤል ፡ ዳንኤል ፡ ኤዜቄኤል ፡ ሰራቁያል ፡ አሳኤል ፡ አርምርስ ፡ በጥረአል ፡ አናንኢ ፡ ዘቄቤ ፡ ሰምሳዌኤል ፡ ሰርተኤል ፡ ጡርኤል ፡ ዮምያኤል ፡ አራዝያል ። እሉ ፡ እሙንቱ ፡ ሀበይቶሙ ፡ ለ፪፻መላእክት ፡ ወባዕዳን ፡ ኵሉ ፡ ምስሌሆሙ ።

図書館で『聖書外典偽典』の第4巻を予約したので、ちゃんとした日本語訳で今度、読んでみようと思う。多分、解説も付されているんじゃないかなあ。どうだろう。補足や追記が必要になったら、そのタイミングで、また、アザゼルとシェミハザを更新しようと思う。