《日々の雑記》

2019年7月9日 リニューアル

今、ファンタジィ事典のリニューアル作業を敢行中だ。今年中には公開に踏み切れる段取りで進めている。SNS全盛期の今、何でリニューアルをするのか、という気持ちもある。でも、どうしても、htmlでやり続けたいという信念みたいなものがボクにはある。ここで乗り越えて、新しい世界を切り開きたいな、と思っている。

htmlのウェブサイトはかなり淘汰された。昔は結構、神話サイトも多かったし、活発に交流していたけれど、今、そういう感じで動きのあるウェブサイトってほとんどない。閑古鳥が鳴いていて、開店休業中みたいな感じ。斯く言うファンタジィ事典も、手を入れていないので、似たようなものだ。リニューアルをしている意味は、まさにここにある。少し、ライトに更新できる形にしたいな、というところ。

ボクの興味が散漫だから、ついつい、いろんなジャンルのいろんな項目を更新して、ときにはアイヌ伝承、ときにはメソポタミア神話、ときには記紀神話、ときにはアステカ神話……とちぐはぐで、濃淡ンがまちまちのウェブサイトになる傾向にある。そうではなくって、ある程度、コントロールして、ひとつのジャンルとしては一応、完結していくような形のウェブサイトの在り方を模索している。たとえば、ギリシア神話について調べようと思うユーザがいたら、まずは「ゼウス」の項目はマストなのであって、「オリュムポスの12神」もマストで、それなりに有名な怪物も載っていて、ギリシア神話としては一定の水準で完結している。そんな事典構成にしたい。そのためには、古代ギリシアの地図や歴史、言語、資料などがぱぱっと参照できて、それから事典に入っていくような形を目指したい。そんな想いがある。

とは言え、これまで膨大に更新してきたので、項目としてはかなり数があって、それを移していくだけでもかなりの時間になるので、その辺、結構、リニューアル作業を進めながら苦しんでいる。

2019年7月7日 果たしてお金に善悪があるのか

最近、吉本の芸人さんが反社を相手に直営業をしたとかで、巷は騒がしい。でも、いろんなコメンテータがいろんなことを言うけれど、最後の最後で、ボクは違和感を覚えてしまうことがある。それは「おじいさんやおばあさんから巻き上げたお金」的な表現だ。お金には色はない、というのがボクの個人的な見解だ。どんな悪事で稼がれたお金でも、真っ当に稼がれたお金でも、お金の価値は変わらない。1,000円札はどんな経緯で掴んだ1,000円札であっても、1,000円の価値しかない。苦労して稼いだからと言って、1,200円や1,300円の価値は持たない。汚いお金であっても1,000円。ボクはそう考えている。芸人が詐欺集団からお金を受け取ったとして、それ自体は悪いことかもしれないけれど、だからと言って、騙されたお年寄りに謝れ、というのは違う、と思う。そんなこと言ったら、今、手にしているお金がどういう経緯のお金かなんて、誰にも分からない。

ボクたちが考えなければいけないのは、直営行をしたことの善悪とか、結果として詐欺集団からお金を受け取ったことの善悪ではない。たとえば、詐欺集団の一人が居酒屋にいって4,000円の飲み放題コースで飲んだとして、その4,000円を受け取った居酒屋は悪なのか。そうではない。詐欺集団であろうがそうでなかろうと、4,000円のサービスに対して、4,000円の対価を支払う。それは当然のことで、その4,000円の出所が詐欺集団であるかどうかというのは関係がない。だから、居酒屋が反社会勢力の人からお金を受け取ったその4,000円について謝罪する必要もないし、ましてや騙し取られた高齢者に謝罪するのはおかしな話だ。議論はそんなところにはない。

「俺が声を掛ければ誕生日に宮迫や亮が来るんだぜ!」という利益が、反社会勢力の人たちにはあったということだ。芸能人がパーティに来てくれるというのはステータスになる。きっと「親分、凄いっすね! 俺も親分みたいになれるように頑張りますよ!」みたいな感じで、部下たちの士気もあがったことだろう。そういうところに問題がある。だから、たとえば、宮迫の芸に対して100万円の価値があって、100万円の対価が支払われたのだからそれでいい、ということにはならないかもしれない。そして、それをどこまで芸人たちが自覚していたかというところが問題だ。大歓迎されるし、お金も貰えるし、多少は危険な人脈だとは思うけど、まあ、いいか、と思ってしまったかどうか。そこが一番重要なところで、そして、そういうパーティに何度か顔を出したかどうか。そういう議論をしなきゃいけない、とボクは思う。

2019年7月7日 バビロン遺跡が世界遺産に認定!?

7月5日にバビロン遺跡がユネスコの世界遺産委員会で世界遺産として認定された模様。イラク戦争で損傷して、危機に瀕しているとは言え、地元当局と共に遺跡保護に向けた行動計画を策定するというから、いいことだ。いつか、普通に行ってみたいなあ、メソポタミア神話の世界にも。

2019年5月8日 あっちゃん、Youtuberになる!?

オリラジのあっちゃんがYoutuberになったらしい。カジサックの影響だろうか。「中田敦彦のYouTube大学」と称して、教育チャンネルというのか、教養チャンネルというのか……。コラボしたときに「あっちゃんの教育チャンネルには需要がある」的な話をカジサックがしていたのを思い出す。

コメント欄はキッズたちの称賛の嵐だけれど、正直、ボクはもう一歩、足りないなー、と思ってしまう。情報が中途半端な感じがする。面白いものもあるし、正しい情報もある。斬新さもあるのだけれど、どうしても、教養の部分で詰めが甘い。あっちゃんの動画を見て、感化されて自分で調べよう、と思う人が現れれば、それはそれで成功かな、と思うけれど、多分、視聴者はそこまで真剣じゃない。あっちゃんの話を聞いて、分かった気になる。でも、全然、表層的。もっと深堀しないと、教養として薄っぺらすぎないか、と思ってしまう。当たり前のことを尤もらしく喋っているだけ。消化不良だ。たまに尖っていたり、視点が面白かったり、キレる部分があるだけに、全体として間延びしている感じで勿体ない。投稿頻度を下げてでも、クオリティを上げた方が、彼のブランディング的にはよいのではないか。キッズに対しては、あんな程度の講座で十分騙せる、という判断だろうか。少なくとも、一連の投稿を見て、ボクの中でのあっちゃんへの評価が少し下がっている。もうちょっと丁寧にやれるだろうに、と思ってしまう。あるいは、もしかしたらその程度の人物なのか、と勘繰ってしまう。そう感じさせてしまったら、負けじゃないか? ブランディングに失敗していないか?

や、コメント欄のキッズたちは称賛の嵐なんだけどね。本当に? あれで感心してしまうの? 新書で勉強したら、もう少し掘り下げて語れることなんかいくらでもあるし、情報の正確さって、もっとちゃんと担保しないと、信用を下げないか?

2019年3月7日 いいものがいいとは限らない罠!?

ここのところ、妻がせっせと自分のウェブサイトをSSL化していたが、本日「アフィリエイト収益が減ったんだよ!」と憤っている。どうやら、SSL化に未対応の広告サイトがSSL化によって表示されなくなってしまった模様。Google先生が「保護されていない通信」などと不安を煽る警告を出してきているし、SSL化していないウェブサイトの検索順位を下げてきたし、何となくみんな、SEO対策としてはSSL化がよいと信じているわけだけれど、実際問題、SSL化に対応できていないウェブサイトがたくさんあるので、こういうおかしな現象が起こる。不合理だなあ(この話が分からない人は調べてください)。

実は、最近、忙しくって、買い物にも行けずにいる。コーヒー豆を切らしてしまったので、徒歩5分のコープに豆を買いに行った。もはや「コープの豆でも飲めるのだから、それで手を打とう」という気持ちだ。ところが、思った以上に高い豆が売っていたので、これはおいしいかも、などと期待して買ってしまったわけだけれど、封を切って、挽いて、そしてお湯を入れて愕然。全ッ然、泡立たない。要するに、コープに来るお客さんはコープのコーヒー豆に期待していないので、必要以上に高い豆は買わないのだ。だから、店にずぅっと陳列されていた古い豆だった、というわけ。一番安い豆はおいしかった記憶があるので、背伸びせずに安い豆を買っていた方がよかった。何だかSSLの話に似ている。不合理だなあ。

2019年2月23日 「マジすか学園」は色褪せない名作だと思うよ!?

最近、ミーハーは記事ばかりを連投していて恐縮なのだが、ここのところ、Youtubeの急上昇に「マジすか学園」が載っている。テレビ東京がオフィシャルに公開しているらしい。期間限定とのこと。アイドルドラマだ、と思って舐めないで、是非、一度、ご覧になることをお勧めする。お芝居も、決して下手ではないし、ストーリーも手を抜いていない。原作ありの府抜けたドラマよりもよっぽど面白いし、多分、中毒性があって、12話全部をあっという間に見てしまうだろう、と思っている。

何よりも「音響」がよい。毎回、キャラクタが熱くなるのがお決まりだが、そのときのBGMが堪らない。多分、この音が鳴り始めることを期待してワクワクするようになってしまったら、中毒コースまっしぐらで、第12話までぶっ通しの展開だ。それから、台詞回しの無意味なお洒落さもよい。意味ありげで、それでいてお洒落なだけの台詞があっちこっちで飛び回っていて、真似したくなる。特に第2シリーズで大活躍のネズミの台詞は、渡辺麻友の低い声色とともに、ガガーン、と頭の中に入ってくる。

いい時代だったなあ、と思う。逆に「主演:AKB48」というのが邪魔をしているのではないか、と思うほどに名作だ。

2019年2月22日 本は目の前に現物があることが何よりも大事である。

最近、色んな本を読むけれど、そんな本の雑感。

昔、電子書籍は素敵だ、と思っていた。今でも、実はそう思っている。海外にいても、ボクの100冊は越える妖怪関係の書籍にはいつでもアクセスできて、役に立つ。どこにいても、ファンタジィ事典の準備ができる。仕事上で必要な勉強の本も、旅先などでもアクセスできるので非常に便利。

でも、ちょっとした空き時間に小説を愉しもうと思ったら、電子書籍はちょっと難しい。「積読」という言葉があるけれど、物体としての目の前に本があるから、何とかそれを減らそうと思って消化する。えいや、と鞄の中に入れて、電車移動中などに嗜む。そういう読み方をしないと、娯楽の本はどうしても後回しになってしまう。常にボクは20冊くらいの未読の本が待機していて、出掛けに選定して、鞄の中に2、3冊を詰める。小説なら、大抵は3日で読む。でも、電子書籍だと、そういう強迫観念が生じないので、放置されたら、そのまんまだ。だから、本の現物が目の前にある、という状況は、本を読み進める意味では、とても大事だ。

そして、ボクは本棚を常に目いっぱいの容量で運用している都合上、どれだけ読みたい小説があっても、絶対にハードカバーとノベルスは買わずに、文庫化されるのを待つ主義である。持ち運ぶ以上、本はコンパクトであるに越したことはない。電子化も文庫化されない小説は、残念ながら、ボクが読む機会には恵まれない。

そんな中で、最近、西尾維新の「忘却探偵シリーズ」がようやく文庫化されている。今、2冊目までが刊行された。やっと文庫本になった、と万感の思いで、密かに楽しんでいる。

西尾維新と言えば「戯言シリーズ」の印象が強いが、「忘却探偵シリーズ」になって、何だ、この作者、ちゃんとした日本語が書けるのか、とビックリしている。「戯言シリーズ」は「ぼく」の一人称なので、ぐちゃぐちゃとした変な日本語だった。でも、それが西尾維新特有の文体なのかと思っていた。意外とちゃんとした日本語だったので、ボクは驚いているし、しかも、ちゃんとミステリーになっている点も、ボクはビックリしている。

これまでのところ、新垣結衣が主演だった同名のドラマと、基本的にはストーリーはほとんど同じだ。でも、小説は小説で、読み応えがあって、非常に面白い。特に2冊目の「掟上今日子の推薦状」は最後の最後で、タイトルどおり、彼女の推薦状が登場し、1冊できれいにまとまっている。こういう醍醐味は連続テレビドラマにはない、小説1冊で完結しているからこその楽しみだな、と思った。そのうち、ドラマにはない展開も出てくるだろうから、非常に楽しみだな、と思っている。

2019年2月10日 BiSはどうかと思ったけど、BiSHは覚悟を決めたメンバだからいいよね。

今年度は、BiSHにハマっている。ももクロも個々のレベルが高かったが、BiSHも個々のレベルが高い。AKBグループみたいな数で勝負するやり方もいいが、厳選されたメンバーで、ちゃんとした世界を構築する形も、ボクとしてはよいと思っていて、その中でも、BiSHはレベルが高いな、と思っている。レコード大賞に出演していたが、あんまりうまくなかった。でも、本当はもっとうまい。LIVEが上手なグループだと認識している。だから、上手なLIVEの映像でも共有しておこうと思う。アイナ・ジ・エンドが振り付けするダンスは、癖が強いのだけれど、でも、歌唱も含めて圧巻だと思う。まあ、2つ目の「NON TiE-UP」はタイアップできないという意味では、歌詞がものすごいのだけれど、それも、BiSHっぽいというか、渡辺淳之介っぽいというか、ね。

ちなみに、avexが掲載している正規の動画だから、安心してみてもらって大丈夫(笑)。さっき、重たい記事をあげたので、軽い記事も一緒にあげておく作戦(笑)。

2019年2月10日 罪を憎んで人を憎まず。

たとえば、誰かが逮捕されたり、逮捕されないまでも、不倫だったり、差別発言みたいな失言だったりすると、その人そのものに対するものすごい苛烈な攻撃が始まる。そして、その人の社会的地位を完膚なきまでに貶めようとする「正義の群衆」が登場する。そんな訳の分からない「正義の群衆」に引き摺られて、社会がおかしな方に歪んでいく。

イジメはよくない。差別はよくない。不倫をするのはよくない。未成年飲酒もよくない。そりゃあ、そうだ。覚醒剤を嗜むのはもっとよろしくないし、ましてや強制性交等なんて許されることではない。そこを否定するつもりはない。その過ちや罪そのものは裁かれる必要がある。でも、だからと言って、その人の人間性を否定してはいけない。罪は罪で、人は人だ。罪を憎んで人を憎まず。罪を罪として捉えて、法で裁き、必要な対策を考える。それだけだ。

新井浩文氏はたくさんの作品に出演していて、逮捕の影響がデカいと言われている。映画の公開も中止になったらしい。名前こそ知らなかったが、ボクも彼が出演している作品は多数、見ていて、彼の顔は知っていたし、彼の演技そのものはインパクトがあったので、ちゃんと記憶している。その意味では、名脇役だったのだろう。ただ、ボクがいつもいつも主張しているが、罪を憎んで人を憎まず、だ。

「映画の公開中止」という判断。ボクは、これには異論がある。映画の話だけではない。テレビにしても、音楽にしても、そうだ。制作会社の勝手な判断の部分なので、公開中止の損害を新井氏に請求するのは如何なものか、と思っている。仮に犯罪を犯したとしても、芝居をしたという「業務」はこなしており、その分の対価は支払われるべきだし、犯罪者が画面に映ってはいけないという法もないだろう。確かに、俳優という業務は、イメージも必要なので、その点、「イメージを汚さない」という契約になっているのはそのとおり。その契約に違反している。その点で損害賠償を求めることは、これは認められるだろう。あるいは公開をしたところ、顧客からクレームが来たとして、そのクレームに対応した人間の労働に対する対価は請求できる。スポンサーが「降りたい」と言い出したら、その分の損害は請求してもいい。でも、映画の公開中止を決めたのは制作会社の勝手だ、と思う。法律上、禁止されていない以上、公開するもしないも、制作会社の判断だと思う。公開する選択肢があった中で、公開しないと決めてしまったら、それは制作会社の勝手な判断だ。たとえば、スポンサーが降りて、結果的に公開を断念せざるを得ないところまで追い込まれたのなら、それはそれだ。だったら、そう報告すればいい。何となく、訳の分からない「正義の群衆」という世論に忖度するんだったら、それは間違いだ。

それ以上に、過去の作品まで封印する風潮は、これはおかしな話だな、と思う。過去作品のオンデマンドを停止したり、メディア化を取りやめる動きがあるらしい。これこそ、勝手な制作会社の判断だ。スポンサーがつかずに断念したということではない。大体、勝手にリモコンを操作するだけで映るテレビ番組とは違って、買いたい人が買う作品まで勝手に自主規制するのはバカらしい。その勝手な損失は、どうぞ、制作会社で勝手に負担してくれ、と思う。

まあ、でも、訳の分からない「正義の群衆」は面倒くさいので、相手にしたくないという気持ちは分からないでもない。そういう判断なのだろう。でも、そういう訳の分からない「正義の群衆」を作り上げ、増長させるのもメディアだ。「あいつを社会的に抹殺しようぜ!」という悪意ある「正義の群衆」に勝利の満足感を与えちゃ、いけない。もしも、メディアに正義の心があるなら、そういう「正義の群衆」をつけあがらせないような、せめてもの抵抗を示してほしいな、と切に思う。

そういう意味では、最近のYoutuberのヒカルやラファエルのシニカルな態度や、カジサックのその都度、謝ってみせるパフォーマンスなんかは、いい特効薬になるのでは、と思っていて、見習うべきである。

2019年2月3日 まだまだ海外暮らしは続く!?

お仕事でインドネシアに1週間行っていた。「初めまして」の土地での調査なので、かなりタイト。それでも、楽しく調査できた。

ミャンマー、フィリピン、ナイジェリア、スーダン、パキスタン、マラウイ……と旅をして、今回はインドネシア。お仕事で外国に行ったのは、7か国8プロジェクト。合計で644日だ。もう、半ばプロフェッショナルだと思う。高校生の頃のボクは英語が苦手で、だから、英語で点差の開かない大学を選んだ。就職だって、横浜から出たくないからこそこの職業を選んだのだ。基本的に引きこもりである。それがどうだ。あっちこっち飛び回っている。信じられないことだ。

インドネシアで感じたのは、今まで変な国ばかりやらされていたな、ということ。ミャンマーでは右も左も分からない中での活動だったので、正直、正しく評価できないが、フィリピンでの仕事は非常にやりやすかった記憶がある。それでも、まだまだボクがプロフェッショナルではなかったから、苦労はした。その後、ナイジェリア、スーダン、パキスタン、マラウイ……。どの国も、やっぱり大変だった。それに比べて、インドネシアは何てやりやすい国だろう、と思う。相手の人々の理解力、仕事の進める早さ、反応がいい。うーん。こういう国ばっかりだったら、きっと大きな成果、出し放題じゃないか、とまで思う。そんな感覚。

折角、インドネシアに行ったので、今年は少し、インドネシアの妖怪というのか、未確認動物というのか……そんなものにフォーカスを当ててみてもよいかな、と思っている。乞うご期待。

2019年1月13日 正義の一般市民なんていないから!!

本当は12月のBiSHのライヴの話でも書こうかな、と思っていたんだけど、NGT48が炎上中なので、そっちについて書こうと思う。BiSHの話はまた今度。

事実関係は分からない。だから、これについては静観するしかない。まほほんの言っていることが100%正しいかどうかも分からないし、犯人だと名指しされているメンバーの関与の度合いも分からない。いずれにせよ、内部で抗争というのか、衝突があったのだろうな、ということは分かる。チームで仕事をするというのは、必ずしも正義や理想だけでは進まないし、人間関係のトラブルもあって然るべきだ。だから、いろいろあったのかもしれないし、若いから、行き過ぎた行動があった可能性もあるだろう。

いつも同じことしか言わないな、と飽きられているかもしれないけれど、ボクは何度でも書く。匿名だからって何を書いても許されるわけじゃない。「あいつが犯人だ」とか「実はこうなっていた」みたいな無責任な発言はよくないし、それ以上に、罵詈雑言は許されない。もしも、事実として暴行を示唆したメンバーがいたとして、今、名指しされているメンバーが「犯人」だったとして、それを裁くのは法だ。ネット私刑は許されない。寄ってたかって個人を攻撃することは許されない。ましてや現段階では真実は分からない。事実、犯人だったらいいということではないけれど、彼女、彼らが犯人であることも事実認定されていない中で、やっぱり行き過ぎではないか、と思う。

ボクは、もっと社会が寛容であるべきだと思っている。「罪を憎んで人を憎まず」だ。もしも罪があったなら、その罪の責任は問われなきゃいけない。でも、個人をバッシングすることではない。全ての人間性まで否定されることではない。犯した罪こそが問われるのであって、その罪にふさわしい罰則が与えられるのであって、そのための法治国家だ。罪があるからと言って、個人の全人間性まで非難していいわけではない。もしも、だ。もしも暴行を示唆する事実があったとして、そうだとしても、インスタグラムでああもバッシングされていいわけではないし、人間性を否定されていいわけではない。もしも無関係の人がいたら、尚更だ。

少なくとも、犯人と名指しされているメンバーのインスタグラムへのみんなの書き込みを見て、その残酷さや無神経さに戦慄する。

2019年1月11日 ミュージシャンは楽器と歌声で戦う

去年の12月6日に公開されて話題になっているYoutubeだから、情報としてはちょっと古いけど、紹介したくなったので貼っておく。Radwimpsの『PAPARAZZI~*この物語はフィクションです』のミュージック・ヴィデオ。

何だろう。今までのはフィクションだと思って聴けたけど、この楽曲は生々しい。息をひそめてじぃっと聴いてしまう感じ。音楽と映像、そして歌詞に没入して、ようやく全てが終わってから、息をするような感じ。言葉の選び方が少し粗い印象もあるんだけど、でも、そのストレートで愚直な感じも含めて、呑まれてしまった。

文筆家がペンで、画家が筆で、そしてミュージシャンは楽器と歌声で戦うのだすれば、これはまさにそういう作品だ。これを聴いた「パパラッチ」は何を想うのだろう。うーん。

2019年1月7日 文化を相対化して眺める

若者の気持ちが分かるかどうかは、どれだけ若者と一緒に過ごしているかどうかだと思う。幼稚園の先生は園児の気持ちがちゃんと分かるし、小学校の先生は小学生の気持ちが分かる。それは一緒になって文化を体験しているからだ。子供がシンカリオンにハマっていれば、一緒になってハマればよいのだし、価値観というのは、一緒に過ごさないと分からない。たとえば、高校生向け・大学生向けの雑誌を読んで、大いに共感できれば、多分、「分かっている」と言えるのだと思う。

文化や価値観というのは、接触時間に大きく依存すると思う。多く接していれば、そういう文化・価値観に染まっていく。文化・芸術がその世代の価値観の全ての原因者だとは思わないけれど、でも、時代の空気というのは確実にその世代に接触して、影響を与え、そうやって作られた文化や価値観が、またその世代に戻っていく。そういうものだ。

実はボク自身、昔、ジェネレーションギャップを感じたことがある。それは「SEKAI NO OWARI」だ。当時、若者の中で大ブームだったが、ボクにはどうしても理解できなかった。おっさんになったかなあ、と思った。だから、とにかくアルバムを買ってきて聞いた。そして、『Love the warz』という楽曲を聴いたときに、その歌詞に衝撃を受けた。「ラブandピース 美しい世界 完璧な時代 幸福な世代」。彼らの目には世界が美しく見え、完璧に映り、そして幸福な世代だと感じている。そして歌詞は「不自由なんかないこの世界でどんな自由を願ったらいいの?」と続いていく。自らを「幸福世代」と堂々と歌い上げてしまう感性に、ボクは唖然とし、そして、その瞬間に、生温い彼らの中二病みたいな歌詞の意味が、何となく分かったような気がした。圧倒的に、ボクらとは違う価値観で生きているのだ、と悟るともに、彼らが持て囃される事実と、彼らの良さが理解できないボクたちの世代間のギャップを思い知った。その視点で彼らの音楽を聴いてみると、その生温さの中にあるモヤモヤが分かるような気がした。

何に共感し、何に反発し、何を目標にし、どう生きるのか。それって、結局、時代の空気とか、経済、それから文化に影響される。その意味じゃ、そういうのを一緒に体験してやって初めて「分かった」と言えるのだと思う。だから、積極的に若者文化を知ることが、イコール、彼らのことを理解する一番の早道だと思うから、ボクは常にティーン誌に掲載されているような情報に触れようと必死だ。Youtuberも、ミュージシャンも、小説も、漫画も。

別に、若者に迎合しようと思っているワケではない。でも、時代は目まぐるしく変わっていき、今を生きている若者が感じるものに、今の時代が象徴される。今を生きようと思うなら、今を直視しなきゃいけない。10年前、20年前の感覚で生きていたら、取り残される。

加えて、彼らの時代や価値観に触れるだけじゃなくって、それと同時並行で、ボクたちの青春の文化と比較して、自分たちの時代の文化そのものを相対化しなきゃいけない。「今の若者の歌詞はバカみたい!」と鼻で笑う前に、LUNA SEAとかPenicillinとかのひどい歌詞を聴きながら「ああ、自分たちもこんなバカみたいな歌詞の歌をよいと思って育ったのだ」とか、あるいは「ヴィジュアル系バンド」の刹那主義的な薄っぺらい歌詞を思い出しながら、そういうのを相対化することが、やっぱり必要なのである。決して自分たちの時代の文化を賛美するわけではなく、そして、若者の文化を扱き下ろすでもなく(笑)。

2019年1月6日 懐古主義と旬の文化

最近のテレビを見ていると、どうも、我々の世代の懐古主義が蔓延っている印象を受ける。我々が子供の頃に流行っていたものを再登場させている印象だ。「懐かしいな」と思うけれど、でも、今の若者の感覚からすれば「古臭い」と感じるのではないか。我々の世代に向かって意図的に番組を作っているというのなら、それはそれでいいが、ボクはそうではないと思っている。クリエイティヴな現場で活躍している世代の意思決定をしている人たちが、ちょうどボクと同じ世代だから、何となく、彼らが懐古主義に囚われているのではないか。そう疑っている。

若かりし頃のボクは、テレビの前でずぅっとイライラしていた。古臭いスターなんかをテレビに引っ張り出してきて「昔、すごかった人です」なんて紹介されて、出演者がテレビの向こうで「すごい、すごい」と絶賛しても、ボクには全ッ然、分からなかった。「そんな過去の骨董品ではなく、今、まさに旬の人たちを出してくれないか」と憤っていた。それってボクだけではなかったはずだ。ボクたちは高校生の頃、みんなで「もっと新しい文化をテレビに映せ!」と憤っていなかったか。

ボクたちは大人になった。それなのに、ボクたちの世代が同じように懐古主義に囚われている。そんな気がする。そうだとしたら、それって「老害」だ。

懐かしさもよい。でも、それはそういう番組でやればいい。それよりも、やっぱり旬のものを旬のうちに。そういう方向転換をしてあげた方がいい。今、まさに最前線でクリエイティヴな活躍をしている上司の世代として、そんなことを思う回数が増えている。

2019年1月5日 新年のご挨拶と抱負!

あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いします。

さて、今年も無事に「近況報告の本」を発行できた。2010年の結婚式に参列者に配って以来、定期的に発行してきて、今回で8冊目。アイヌ特集を組んだが、個人的には、デザインが今までで一番、うまくまとめられた、と思っている。表紙の絵は「セーフリームニル」を描いたが、選んだ素材が悪かったのか、コンセプトが失敗したのか、あんまりうまく描けなかった(笑)。漫画家さんは小さなコマ割りの中で、小さな人をさらりと描くが、それってとても難しいのだ、ということを学んだ。ヴァルキュリャとエインヘリャルだが、小さい中で表情とか動きを表現するのが難しい。

セーフリームニル

もうひとつ、各人へのコメント記入用のカードに「オーク」を描いた。こちらは、猫背なので、自分に似ていて、まあ、それなりにいつもどおりに描けた。

オーク

「セーフリームニル」にしても「オーク」にしても、そのうち、ちゃんとファンタジィ事典で解説を書こうと思う。実は「ファンタジィ事典」が2016年9月以降、更新されていないので、ずぅっと気に病んでいる。思うところがあって、リニューアルを検討していて、すでにデザインは終わっていて、HTMLもCSSも出来上がっている。でも、PHP的な発想のプログラムのところが完成していなくって、今まで更新されていない。プログラムが出来たら、順次、更新していく予定だったので、各項目にも手をつけない状態になっている。今年は海外生活も減って、横浜にいられる見通しなので、何とか形にして、本来、やりたかったことをやろう、と思っている。お待ちいただければ、と。

リニューアルイメージ

2018年12月18日 今年も無事に雑誌を入稿!!

2019年の近況報告の雑誌、今年も無事に完成した。よかった。正直、今回は直前までファイサラバードに渡航していた関係で、どうなることかと思っていた。でも、無事に完成し、入稿に漕ぎ着けた。表紙のイラストはイマイチなのが口惜しいが、でも、完成させることに意味がある。

2018年12月13日 確かにひとつの時代が終わるのを 僕はこの目で見たよ

こんなことを書いても仕方がないのだが、一時代が終わって、ただただ悲しくなった。MEGWIN TVの件だ。真実なんてひとつじゃないし、どっちの言い分もあるだろうし、誰が正しくて誰が悪いなんてことは部外者のボクには論じられない。想いがすれ違うこともある。でも、ただただ、あのファルコンとメテオの動画内の表情に、ボクはとても胸を打たれ、悲しい気持ちになった。懐古ばかりしていても仕方がないけれど、BEGIRAGONSの時代はよかったなあ。あれがあったから、ボクはYoutubeに未来を感じた。Youtubeが、テレビ以上に面白いものが作れるのかもしれない、と期待した。ものすごいチャレンジ精神があったし、非常に先進的だった。そのBEGIRAGONSがぐちゃぐちゃーっとなし崩し的に潰れて、あれよあれよとMEGWIN TVが衰退して、それでも、なんやかんやあって、ようやく盛り返してきたかなーっと思ったら、ここでこういう展開。うーん。

ピザ窯づくりの動画が、昔のBEGIRAGONSを彷彿とさせて、ちょっと懐かしく感じていたけれど、それもまた、ファルコンとメテオ、そしてバンディの意地なのかな、と思う。そこにMEGWINが不在だったのが、とても悲しい。そんなこんな。

2018年11月30日 インスタ

これだけみんながインスタをやる時代になったので、一応、ボクも登録してみるか、とアカウントを作ってみた。作っただけで、まだ何も投稿していないうちから、あっという間に知り合いに見つかり、フォローされている。急いで何か投稿しなければ!

昔、Twitterを始めてみたが、あれはダメだった。速度についていけない。みんなのツイートを読もうとするのではなく、たまたまそのときに流れているツイートに反応しよう、という発想なのだろうけれど、その辺が馴染めなかった。まあ、Facebookでもmixiでも、もしかしたら日記的な使い方をしているblogでさえも生もので、最新の記事をそのタイミングで読まれるのかもしれない。

インスタはどんなもんかな、と今更ながらよチャレンジだ。本当に今更なのだけれど(笑)。

2018年11月6日 原始的であることが一番

ここのところ、ウェブサイトの更新が滞っている。ファンタジィ事典を大幅にリニューアルすることを検討していて、それが終わるまでは記事を投稿できない、という意識が働いている。

一方で、日々の雑記は、習慣が損なわれている。海外を飛び回るので、それなりに刺激があるし、育児も4歳児がいて、ネタもたくさんある。でも、Word Pressにすると、セキュリティが高過ぎて海外からアクセスできなくなる。海外暮らしが長いので、海外で更新しなくなると、習慣が損なわれる。結果として、更新されなくなる。

結局のところ、htmlタグ打ちでFTPで更新する方が、間違いない、ということだ。変に機能をつけると、足元を掬われる。

……と、何かの所為にせず、更新しなさい、という声が聞こえないこともないが(笑)。

2018年11月6日 映える(ばえる)!?

先日、ポップティーンの高校生のモデルたちが、キレイな写真を見て『映える(ばえる)』と言っていた。「インスタ映えする」の意味だろう。「映える」の頭の音が濁るのは連濁という日本語の文法によるものだが、複合語が分解されてなお、濁音だけ残った形だ。語感は「バズる」みたいで、なかなか悪くないので、面白いな、と思う。

個人的には、バエルと言えば、ソロモン王が使役した序列1番目の悪魔の名前なんだよなあ、とも思いつつ。