《日々の雑記》

2025年3月23日 1言語に短期集中で絶賛、言語学習なう

2月7日の記事「語られる妖怪を耳で捉えたいので」で、Duolingoを始めて、各国語を学習しているという話を書いた。ボクはいろんな国の言葉に興味があるので、学ぶことそのものはとても楽しいし、多方面に気持ちが向かってしまう。しかも中途半端に器用だから、こなせてしまうんだけど、でも、先日、14か国語学習者のkazuさんがYouTubeの中で、言語学習のコツとして、取り敢えずは1か国語に絞って短期集中した方がよいと語っていたので、それならば1か国語に専念しようということで、現在点は韓国語(厳密には朝鮮語だと思うんだけど)にフォーカスして学習することにした。そして、もう少しで1か月くらいが経とうとしている。結論から述べると、kazuさんは正しい。今、日常生活の中で、簡単なことであれば、韓国語で表現できることができるようになってきた。

たとえば「バスが8時半に到着する」とか「今日は子供と一緒に公園に行く」とか「家でテジコギとピビンパを食べる」みたいなことは韓国語(朝鮮語)で空でも言えるようになった。厳密には時制とかモダリティは合っていないのかもしれない。でも、多分、韓国人相手に言いたいことは伝わるだろう。全く知らない言語でも、1か月集中するとここまで来れるのかと、正直、驚いている。ヒアリングとスピーキングが含まれているので、Duolingoの教材が優れているのかもしれない。朝と夕方、15分×2回を毎日、続けているので、継続はチカラなりということなのかもしれない。kazuさんは1か月半くらいで1つの言語はある程度まで行けると言っていたが、それも一理あるのかもしれないなと感じている。

このペースで韓国語(朝鮮語)をある程度、会得したら、ベトナム語も同じくらいに持っていきたいなあ。Duolingo、タイ語が搭載されないかなあ。今、タイの妖怪の調査に難航しているので、タイ語がマスターできたらよいよなあ。

  

2025年3月21日 人間と妖怪の距離感

香月日輪氏の『妖怪アパートの幽雅な日常①』(講談社文庫,2008年)を読んだ(表紙はミヤマケイ氏のヴァージョン)。

「妖怪」というキーワードがあるものの、文体に少しだけラノベっぽさがあって、今まで敬遠していた。でも、覚悟を決めて読み始めてみたら、とても面白かった。人間と妖怪、こっち側とあっち側との距離感が不思議な物語だと感じた。主人公の夕士は寿荘で人間と妖怪と一緒に暮らしている。それでいて、学校生活では日常を送っている。そこがものすごく地続きになっていて、でも、決して完全には繋がっていかない。夕士が寿荘を退去して日常に戻ろうとすると、あっという間に妖怪たちはいなくなって、寿荘の不思議なゲートは閉じたようになってしまう。でも、戻って来ると、再び、不思議な世界が現れる。この繋がっていそうで繋がっていなそうな距離感がずぅっと続いているのが凄いなあと感じた。

タイトルに「日常」とあるとおり、本当に「日常」が描かれている。そりゃあ、途中、怨霊が出てきて、バトルものめいた展開にはなりかける。強力な妖怪たちも現れて参戦する。でも、それだって、結局、その怨霊を退散させるだけで、退治はしない。怨霊は再びやってくるだろうし、事態は何も解決していない。1冊を通して、ずぅっとそんな感じ。主人公の夕士の家族とのギクシャクした関係も変わらないし、学校生活のギクシャクした感じも変わらない。抱えている悩みも解消しないし、後悔も消えない。少しだけ経験を積んで成長の兆しがある程度。ずぅっと日常があって、それを切り取った感じで、それもまた、人間と妖怪の関係と同様に、ふわっとしていて、リアルだったりする。

そんなわけで、結構、長く続いている人気作品みたいなので、もう少し読み進めてみようかな、と思う。

  

2025年3月19日 電脳空間の大掃除に齷齪。

最近はみんな、どういう風に音楽を聴くのだろうか。ボク自身は、書籍の電子化は一向に進んでいかないんだけど、音楽の電子化は随分と進んでいる。昔はCD音源を買ってCDラックに並べて保有していたけれど、今ではほとんどmp3でダウンロードして、スマホで聴いている。ラックに並んでいるCD音源はすでにほとんどmp3に変換してあって、ハードディスクに格納して、スマホに放り込んで聴いている。

ただ、どうなんだろう。最近はサブスクで音楽を聴いている人が多いのかもしれない。あるいはYouTubeみたいなストリーミングで音楽を聴いているという人もいるのかもしれない。ボクはストリーミングは新しい曲を探すときには便利だから使っている。知らないアーティストの音楽を聴くのに、ストリーミングはよい。YouTubeやニコニコ動画であれば、MVもセットだったりするので、歌っている人の顔も見れるし、場合によっては字幕で歌詞も見れたりするので、便利だ。一方、音源をmp3には変換したけれど、サブスクには手を出していない。この辺は電子書籍にしない理由と同じかもしれない。自分で所有しているという感じにならないと、ボクは安心できないのかもしれない。

でも、冷静に考えると、全世界に散らばっているあらゆる音楽にアクセスできて、聴けるというのは、全世界の人で音楽財産を共有しているという意味で、そういう未来は本来的には素晴らしいよなあ、と思ったりもする。たとえば、ボクは最近、60年代の音楽を聴く。プレスリーだったり、ビートルズだったり、ドアーズだったり、ローリングストーンズだったりするわけだけど、全て購入して聴いている。だから出費が嵩んで大変だ。でも、これらの楽曲がサブスクのサービスに登録してさえあれば、あるいはストリーミングサービスにアップされてさえいれば、みんな、それを聴くことができるわけだ。人類全部で、これまでの過去の音源も、世界各地の音源も聴けるというのは、実はすごいことだ。文学もそうだと思う。最近じゃ、楔形文字の文献も、江戸時代の絵巻物も、オズの魔法使いやメアリー・ポピンズみたいなファンタジー文学も、インターネット上で調べればアクセスできて、読める。音楽も同様だ。

それでも、何だろうなあ。自分のものとして所有したいという欲求がボクにはある。ダウンロードして、自分のハードディスクに格納されているという事実に安心してしまうのは、ボクが古い人種なのかもしれないぞ、と最近、ちょっと震えている。

そんなボクのハードディスクのmp3ファイルの数が、最近、15,000を超えた。仮に毎日10曲聞いたとしても、4年ではすべてを聞き終わらない数。で、そんな楽曲群の中から、適宜、スマホに入れたり出したりして、毎日、仕事の行き返りに聴いていて、平均で1日20曲くらい聞いている格好になる。単純計算では2年で1順のペースだけど、好きな曲はヘビロテでリピっているので、多分、全部を聴くのはやっぱり4年くらいのペースなのだろう。

ところが、先日、iPhoneを買い替えたときに、あまりに数が多すぎた所為なのか、音楽の移行がうまくいかなかった。移行された楽曲とされなかった楽曲が混在して、全部の移行がされなかったっぽい。そんなわけで、ゼロからミュージックを再整理する必要が生じて、大変なことになっている。ようやく5,000曲くらいの整理が終わったところで、あまりのことに悲鳴を上げている。CDラックが場所をとるし、並び替えるのが面倒臭かったから、電子化してラクチンだと思ったのも束の間、電子化したって、結局、電子データが電脳空間の場所を占有していて、整理が必要なのだから、嫌になるなあ。サブスクの方がよいのかなあ。うーん。どう思う?

  

2025年3月17日 「妖怪」の定義について考える(1)

「妖怪」の定義は人それぞれだ。もちろん、それはそれでいいと思う。でも、お互いに話すときには定義が異なると議論がすれ違うから厄介で、それぞれの定義を明確にしてから議論しないととんでもないことになる。

ボクなんかは「妖怪」をかなり幅広に捉えている。日本だけじゃなくて、海外を跳梁跋扈するやつらも十把一絡げに「妖怪」の範疇にしている。たとえば、ヘーラクレースが退治したレルネー沼のヒュドラーだって、ボクの定義の中では妖怪だ。いやいや、それは妖怪じゃなくて怪物だろうという人もいるかもしれない。でも、たとえば、ヒュドラー退治を表現した壷絵(前6世紀)と源頼光の土蜘蛛退治を描いた絵草子(1837年)を比較すれば、大して変わらない。ヒュドラーが怪物なら、土蜘蛛だって怪物だ。逆も然りで、土蜘蛛が妖怪なら、ヒュドラーだって妖怪だ。

ヒュドラー退治
土蜘蛛退治

ベッレロポンテースが退治したキマイラと源頼政が撃ち落とした鵺だって、絵として並べてみれば一緒だ。姿・形も似ているし、描かれているサイズ感だって似ている。キマイラが怪物だと言うのなら、鵺だって怪物だ。

キマイラ退治
鵺退治

詰まるところ、ボクは「妖怪」は世界中にいる存在だと定義している。日本では「妖怪」と呼ばれるけれど、こういう「妖怪」的な存在を各国が現地語でどんな言葉で呼ぼうとも、日本語に翻訳したらそれは結局、「妖怪」と訳すんじゃないのか。そんな感覚だ。Appleでもpommeでも苹果でも사과でもتفاحةでも、日本では「リンゴ」だ。イギリスのリンゴはアップルと呼んで、韓国のリンゴはサグヮと呼んで……と呼び分けない。もっと大きな括りで言えば、日本の「果物」とイギリスの「フルーツ」と韓国の「クヮイル」は結局、全部、「果物」であって、中に含まれる個々の果物は違うけれど「果物」でしかない。だったら、世界各地を跳梁跋扈するやつらは日本語に訳したら、結局、全部「妖怪」じゃん、と思っている。

  

2025年3月15日 裏でいろいろと動いている。

ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は、2014年6月22日に「日々の雑記」をWordPressに切り替えた。その辺の心情は、2014年6月21日の記事「WordPressにてウェブサイトを再構築!?」で書いている。要するに、どこからでも更新できる強みを信じて、WordPressに踏み切ったわけだ。このジャッジは大成功で、海外でも記事を投稿できたし、場合によっては予約投稿も活用できた。手動の投稿よりも随分と助かった。

そんなこんなで10年以上、特に何の問題も生じなかったので、そのまんま、当時のデザインのままひた走ってきた。今でも、問題だとは思っていない。それでも、時代を経て、システムも新しくなって、WordPress側の中身も大幅に変化した。ギリギリ、古い仕組みのまんま、最新のヴァージョンに合わせながらやってきた印象だ。だから、今回、最新の仕組みも取り入れつつ、よりシンプルな形にリニューアルすることにした。もちろん、ね。裏側の話だ。表面的には何も変わらない。あくまでも、中の仕組みだけを最新に沿わせる格好。今回もプログラマの妻のちぃ子が頑張ってくれる。ボクは横からやいのやいの言うだけだ。

……というわけで、何が変わるわけでもないけれど、大幅に手を加えている最中で、ウェブサイトの更新そのものは滞っている。

  

2025年3月13日 「禁じられた果実」から「希望の種」へ

Ayasa氏率いるEast Of Edenが昨日、album『The First Eden – Seeds Of Hope』を発売した。1月22日の記事「East Of Eden、再始動。」でも書いたんだけど、ベースのわかざえもんが抜けて、MINA氏を加えた新体制になった。albumは11曲で、すでにsingleとして発表されている「Shooting Star」で幕を開け、album発売に合わせてYouTubeで公開された「IKIZAMA」で幕を閉じる。

East Of Edenは基本的に楽曲の振れ幅がメチャクチャ大きい。いろんなジャンル、いろんな雰囲気の楽曲にチャレンジする印象だ。過去の2枚のEPでもそうだった。そのコンセプトは今回のalbumにも健在だ。3曲目の「Darkside Lotus」などは「和」のテイスト満載で、まるで歌唱は歌謡曲のような雰囲気がある。ヴォーカルの湊あかね氏がふざけ半分でやってみたらハマったということで、器用な人だ(笑)。

そして、これまで通り、技巧的であり、全体的にガチャガチャしている。足し算の発想で音を重ねていく。全ッ然、引き算してやろうとか、自然体でやろうという意図はない。これでもかというくらいにみんなが演奏する。楽曲全体に演者の意図が十全に張り巡らされている感じで、まるで競技みたいだ。とてもスリリングで、聴いていて痺れた。

  

2025年3月11日 クジラの天敵と宇宙人の話

3月9日の記事「朝鮮の妖怪をインプット中」でも書いたが、現在、朝鮮の妖怪を大量にインプット中である。そして、ある程度、インプットができたので、緩やかにアウトプットしていこうと思っている。

最初は有名どころから攻めるのが順当だとも思ったんだけど、せっかく、大量の妖怪のリストを作成してみたので、ちょっとマニアックで(日本では)知名度の低いヘンテコな妖怪を試しに紹介してみようと思って、取り急ぎ、2つを選定してアウトプットしてみた。

ひとつはクミョロだ。小さな魚なのに、数百匹、数千匹の群れになってクジラを襲って骨だけになるまで食べてしまうという怪魚だ。しかもよくよく調べると、チャンスピという類似の怪魚も知られているらしい。韓国の海には、こういうクジラをも襲う小さな魚が信じられていたようだ。

もうひとつはタンピモンドゥだ。こちらは『朝鮮王朝実録』にちょこっと載っているだけの非常にマイナーな存在なのかもしれない。頭巾をかぶった2~3メートルの人型の鬼が空から降りてきて、金持ちの家に住みついて、毎食米を1合食べ、果ては「弟も降りてくる」などと言ったという。そして、未来の豊作を予言したという。実は宇宙人だったのだとも言われている。

以上、ちょっとマニアックで(日本では)知名度の低いヘンテコな妖怪を2つ、紹介してみた。引き続き、リストを足掛かりに、朝鮮の妖怪の情報を蒐集して紹介していきたいと思う。

  

2025年3月9日 朝鮮の妖怪をインプット中

人生にはインプットのフェーズとアウトプットのフェーズがある。こうやってウェブサイト運営なんかをやっていると、ついついアウトプットに追われてしまう。でも、本当はインプットの方がずぅっと大事。なので、あんまり無理をしないで緩やかにやりたいなとは思っている。でも、ついついアウトプットに気持ちが向かってしまうんだよなあ。

そんなわけで、今日はずぅっとインプット。一日中、朝鮮の妖怪をインプットしていた。否、厳密にはインプットするための下地作りをしていた。

朝鮮語を学んだので、朝鮮語でいろいろとネットサーフしていたら、朝鮮の妖怪が比較的、たくさんまとまっているウェブサイトがいくつか見つかって、それなりの品質が確保されていそうだったので、それらを拾い出して、一日中、朝鮮の妖怪リストを作成していた。すでに120項目くらいの一覧になっているので、これらを順繰りと情報収集していけば、順次、「ファンタジィ事典」に朝鮮の妖怪を更新していけるのではないか。

フィリピンの妖怪をまとめるときにも、同様に一覧を作成している。もちろん、こういう一覧というのは玉石混交で、有名な存在もあれば、地方の非常にマイナな妖怪もいる。でも、こうやって一覧にしておくことが重要で、そこを起点に調査を進めて、面白かったらピックアップして「ファンタジィ事典」に掲載するアプローチがとれる。データベースは取捨選択の基礎だ。

フィリピンの妖怪も、実はすでに300項目くらいの妖怪の一覧が手元の資料として準備されている。妖怪の名前だけでなく、各項目について、ある程度、英語とフィリピン語の簡単な情報も拾ってある。こういうのを足掛かりに深堀していって、情報が少ないものとか、掲載してもあんまり面白くなさそうなものは載せていない。ベトナムの妖怪も同様で、すでにかなりの量の妖怪の一覧は出来上がっていて、かなりの量のベトナム語の情報は拾ってある。ここから深掘りして、面白ければ載せていく次第だ。

一方、タイの妖怪はあんまり、一覧になっているようなウェブサイトがないので、なかなか情報収集に苦慮している。

今回、朝鮮の妖怪について、朝鮮語で拠って立つべき情報源がいくつか見つかったので、ここを足掛かりに、項目を広げていけそうだ、などと密かに思っている。

そんなわけで、表面的にはウェブサイトは更新されない。でも、粛々と情報収集は進んでいるよ、というお知らせというか、言い訳というか。まあ、これからちょっと朝鮮の妖怪にアプローチするよ、という予告でもあるわけで……

  

2025年3月7日 下着を盗んでいく悪癖

相変わらず、絵はうまくならない。むしろ、奇跡的にうまく描けて大満足……という瞬間がたまのたまーに訪れて「おお、天才かも!」と思った矢先に、また絵がヘタクソになって「あれれ、あんな風に描けないな」と落ち込む……みたいなことが多い。

面白いのはSNSで、うまく描けたときにも一定の反響はあるんだけど、それ以上に、絵がヘタクソでも面白い題材を選ぶとハネることがある。そりゃあ、ね。絵のうまい人はたくさんいるわけだから、ボクがちょっとぐらいうまく描けた程度の絵ではバズらない。でも、思わずコメントを入れたくなる妖怪を題材に選ぶとハネる。

最初にハネたのはウォウォグ。首から下に臓器がぶら下がって飛んでいるのだから、これはインパクトがある。フィリピンのマイナーな妖怪だったけれど、ちょっとハネた。それからプゴット。これは絵そのものがハネたというよりは「下着を盗んでいく悪癖がある」という説明文と下着を持った姿がハネたような気がする。多分、ボクの中でのナンバワンのバズりで、Xでインプレッションが6,000を超えている。

ウォウォグのイラスト プゴットのイラスト

最近だと足の親指を鼻の穴に突っ込んで空を飛ぶマーカーゾンとか、米を洗うときに用いる竹笊でワサワサと空を飛ぶグラハンなんかもちょっと話題になった。メジェドと甲府星人も一部にファンが多いので、それなりにウケた。

マーカーゾンのイラスト グラハンのイラスト

メジェドのイラスト 甲府星人のイラスト

SNSで何がウケて、何がウケないかが分かるようになると、多分、ウケに行くことを意図して投稿することができるようになる。そうなると、バズらせる確度があげられる。そういうゲームとしてSNSを楽しむこともできるのかなあとは思うし、そういう魅力がSNSにはある。

でも、まあ、ボクはそういうバズりとは無関係に、マイナーな妖怪の認知度を上げるべく、粛々とイラストを描いていければよいかな、とは思っている。バズらせに行くのも楽しそうだけどね。ふふふ。

  

2025年3月5日 甲府星人を描いてみた。

少しだけ時節を逸している感じもあるんだけど、甲府星人を描いてみたので載せてみる。

甲府星人のイラスト

1975年2月23日に2人の小学生がこの宇宙人と遭遇して、今年で50年目。甲府ではお祭りもあったようで、新聞にも載っていた。だから、今更ながら描いてみた。

本当に宇宙人が甲府にやってきたのかどうかは分からない。でも、ボクは小学生の微に入り細を穿つ説明には舌を巻く。ものすごく詳細に観察して、それを丁寧に説明している印象がある。だから、もしかしたら本当にいたのかもしれないと思わされる。しかも小学2年生なのに絵がうまい。ボクなんかの絵よりもずぅっと宇宙人の本質を捉えているかもしれない。

  

2025年3月3日 メジェドを描いてみた。

ちょっとだけ、ファンタジィ事典エジプト神話の調査に精を出しているところで、新調したiPhoneのケースもメジェドにしたところで、よくよく考えたらメジェドの項目がファンタジィ事典にないということに気づいて、急遽、作成した。それに合わせて、メジェドの絵も描いてみた。

メジェドのイラスト

もっとマスコットっぽくかわいく描くこともできたんだけど、ちょっとだけ生っぽくしてみた。『死者の書』なんかを見ると、神々が座ったときの背丈というか、女の人が屈んで祈っている高さと同じくらいの背丈で描かれるので、子供くらいの人が中にいて、シーツをかぶっているみたいな頭身で描いてみた。

これで、目からビームが出るらしいから、凄いよね(笑)。2021年に日本でネットミームとしてバズったわけだけど、そこから世界に発信されて、知名度が爆上がりした存在。英語のWikipediaのメジェドの項目でも、日本のムーブメントがちょっと紹介されていて可笑しい。そうやって、何でも面白がって盛り上がっちゃうところが、ある種、日本人の良さだとは思う。

  

2025年3月1日 アン・ドゥ・トロワで眠りましょう

2月25日の記事「Have you ever seen Heaven?」でYouTubeのAIオススメのアーティストを紹介したけれど、第2弾として、Serraを紹介しようと思う。

彼女はYouTubeショートで結構、頻繁にプッシュされていた。短い動画の中で歌唱力を存分に示していたんだけど、フルで楽曲を聴いたことはなかった。でも、何度もプッシュされるので、重い腰を上げて聴いてみたところ、抜群にいい。

まず、楽曲がいい。展開はアニソンっぽさもありつつ、言葉のテンポはボカロ曲っぽさもありつつ、ロックでもある。それでいて、歌唱力は抜群だ。いろんなコンポーザに楽曲の提供を受けているようだけど、彼女自身もソングライティングができるようで、この『ViVALE』は彼女の手によるもの。彼女がつくった楽曲のクオリティも高いのがすごい! 声を張って激しく歌う方向性が多いんだけど、意外とバラードこそが彼女の本領発揮なのだと思うけど、歌詞の世界観も含めて、きっと彼女は激しい楽曲が好きなのだろうなあ。

そして、彼女が所属していたSalty Dogが何よりもいい。すでに活動は休止しているんだけど、何故、売れなかったんだろうと首を傾げたくなるような名曲がたくさんある。まあ、どちらにしても、ボクにとっては出会った瞬間が新曲なので、これから聴いていこうと思う。……何だろうな。ちょっと複雑すぎたのかもしれない。復活の含みを持たせているので、復活することを祈ろう。

  

2025年2月27日 技術の革新は便利さと不便さが混交する!?

スマホの電池の持ちが悪くなったので、iPhone 14を購入した。ホームボタンがなくなって、指紋認証ができなくなった代わりに、顔認証になった。便利ではあるけれど、暗いところでは使えないし、顔が正面にないと開かない。作業の片手間にちょっとスマホを開きたいときに、わざわざスマホを持って顔の正面に持ってくる必要がある。

昔、森博嗣がパワーウインドウはエンジンを切ったら動かなくなると嘆いていた。実際、ガソリンスタンドでエンジンを切った後に「しまった!」と思っても後の祭りで、カードやレシートの授受の際に、ドアを開けるという恥ずかしい事態になるので、便利ながらも不便さもある。

まあ、何だろう。今更、iPhoneのホームボタンがなくなったことを話題にしても、時節には合っていないんだけどさ。でも、実際に体験してみるといろいろと思うことがあるから書いている。

メジェド様のスマホケース

ちなみに、これまでずぅっと妖怪関連の浮世絵のスマホケースだった。最初は歌川国芳の『相馬の古内裏』(いわゆる「ガシャドクロ」で認知されている絵)で、その後は玉園の『画本西遊記百鬼夜行ノ圖』、直前までは歌川国芳の『源頼光公館土蜘作妖怪図』を使っていた。今回はちょっと趣向を変えて、メジェド様のスマホケースにしてみた。一気にポップになった(笑)。

  

2025年2月25日 Have you ever seen Heaven?

最近、AIの能力が高くてエグい。YouTubeでいろんなアーティストの音楽を聴いているわけだけど、オススメの精度が高くなってきた。

本日はそんなAIオススメのアーティストの中から、Reiを紹介しようかな、と思う。

ギターがお洒落で格好いい。巧い。ジャジーだったり、ファンキーだったりもするし。本人はブルーズが好きらしいので、そういうバックグラウンドがあるのだろう。ちょっと日本人離れした感性で、いい。でもね。このHeavenの歌詞は要チェックだ。彼女の音楽的なバックグラウンドやギターテクとかが注目されると思うんだけど、歌詞もいい。

天国って見たことある? ねえねえ、天国って信じる? 天国に行ったことある? だって、あなたと一緒にいるとほとんど天国じゃん。

みたいな英語で始まる。でも、その天国が永遠じゃない。Wi-Fiも繋がらない。逃げ出したりもする。作詞家としての能力も高いという。

そんなわけで、本日のオススメのミュージシャン!

  

2025年2月23日 ニャンニャンニャンの日

昨日は2月22日ということで、たくさんの人が「ニャンニャンニャンの日」だと盛り上がっていたようだ。近所の百貨店もネコの飾りがたくさん飾られていたし、SNSもネコのネタがたくさん投稿されていた。

ボクもウェブサイト管理人の端くれなのだから、本当なら、何かネコにまつわる妖怪とかを準備して投稿しなきゃいけなかったのかもしれない。でも、どうもボク自身、そういう巷の小ネタについていける感覚がない。みんな、ネタを探して、準備して、それに乗っかるみたいなムーブをしているのだろうか。うーん。

最近、エジプト神話にどっぷりハマっていたので、バセテトくらい調べて更新すればよかったのだろうし、バセテトの絵くらい描けばよかったのかもね。こういうところが、うまく時節の波に乗れていないボクである。うまくアンテナを張れていないんだろうなあ。難しいなあ。

  

2025年2月21日 「ペテフ(プタハ)」を描いてみた。

2月17日の記事「メンフィス系神話を一気に更新だ!!」でも書いたとおり、ここのところ、エジプト神話に熱を入れて資料整理を進めていた。先日、メンフィス系の神話に関して一気に更新をかけてみたわけだけれど、どうせなら理解促進のため、絵もつけてみようと思い、今回、手始めにメンフィス系神話の創造神ペテフ(プタハ)を描いてみた。

惜しむらくは、非常に静的な絵になってしまった。手足が包帯で巻かれていて、台形の台座の上に直立している姿をそのまんま再現した結果、動きがなくなってしまった。まあ、心臓(思考)と舌(言葉)で世界を創造したのだから、身動きがとれなくても活躍できる。そういう意味では、静的な姿でも間違いではないのかもしれない。しかも台座を描いた所為で、何だかフィギュアか何かの模写にも見える。うーん。

ペテフ(プタハ)のイラスト

一応、古代エジプトの壁画とかパピルスに描かれた画を参考にして、衣装や持ち物、色なんかは比較的、忠実に描いているつもりだ。美しい神様(=若い神様)らしいので、青年の顔で描いている。一般的には肌は緑色で描かれるので、その辺も忠実に再現している。ファンタジィ事典ペテフ(プタハ)の項目にも書いたが、ペテフは「生命の象徴である『アンク』、支配の象徴である『ウアス』、安定の象徴である『ジェド』を組み合わせた杖」を持っている。それもイラストに描き起こしてあるので、文章だけの説明よりは理解が進むのではないか。

正直なところ、ペテフはあんまり「うまく描けた」という実感はない。でも、これに懲りずにほかのエジプトの神々も描いていこうと思っているので乞うご期待(?)。次は睡蓮(スイレン)の神のネフェルテムにしようかなあ。

  

2025年2月19日 ジェネ氏、『地獄の辞典』を語る!?

昨日、好事家ジェネ氏がYouTubeでコラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』について熱く語っていた。ボクは昔からジェネ氏の動画はよく観る方で、深い洞察が好きで、いつも楽しく視聴しているが、今回もネタがネタだけに興味深く拝見した。

『地獄の辞典』(著:コラン ド=プランシー,訳:床鍋剛彦,講談社+α文庫,1997年)と言えば、ボクが中学生か高校生の頃、珍しく東京の本屋さんに行った際に、そこで平積みになって売っているのを発見して「何これ、すごい!」と感動して買った鮮烈な記憶がある。だから、ボクなんかはこの辞典に登場する悪霊たちを昔から詳しく知っているし、ルイ・ル・ブルトンのイラストにはかなり馴染みがあったりする。

ジェネ氏は動画の中で『地獄の辞典』の影響で知名度爆上がりになった悪魔について解説している(厳密にはゲティングズ氏の『悪魔の事典』からの引用)。でも、ボクは子供の頃から『地獄の辞典』に慣れ親しんでいるので、すでにこの「知名度爆上がり」の洗礼というヤツを受けてしまっている状態だ。だから、あんまりフラットな目線で『地獄の辞典』について語りにくかったりする。ブルトンのインパクトのあるイラストが学生の頃から頭の中に叩き込まれているってわけだ。

ジェネ氏は『地獄の辞典』を真っ新な気持ちで読んだのか、かなりフラットな目線で読み込んでいるのが面白かった。特に「梟頭シリーズ」みたいな解説は何だか笑ってしまった。梟頭シリーズの悪魔として紹介されていたアモンもアンドラスもストラスも、その界隈ではとても有名な悪魔たちだ。でも、そういう事前情報なしに読むと、確かにフクロウ頭の悪魔がたくさんいるという驚きが生じるのかもしれない。そういう発見が個人的にはとても面白かった。

ジェネ氏はゲティングズの言葉を引きながら、プランシーの解説のいい加減さについても言及している。実際、動画の中では、プランシーが紹介する日本の妖怪や伝説についても紹介していて、かなりいい加減な解説になっていることを暴いている。それはそのとおりで、プランシーの解説というのは、案外、的を外したものも多いし、胡散臭さも多分にある。

ウェブサイト「ファンタジィ事典」の中で、魔法書文献に関する悪魔たちについて、ボクはヨーハン・ヴァイヤーの『悪魔の偽王国(プセウドモナルキア・ダエモヌム)』(ラテン語)とメイザース&クロウリィ版の「ゲーティア」(英語)、そしてこのコラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』(フランス語)の3つを並べて訳しているので、プランシーが『悪魔の偽王国』を引きながら、どういう風に解説しているのか、比べながら読んでもらえれば幸いだ。

  

2025年2月17日 メンフィス系神話を一気に更新だ!!

久々にウェブサイト「ファンタジィ事典」エジプト神話の項目を更新した。

エジプト神話って、いくつかの系統がある。具体的には、太陽神ラーを中心にしたヘリオポリス系神話、8柱の原初神で構成されているヘルモポリス系神話、そして創造神ペテフ(プタハ)を中心としたメンフィス系神話などがある。そんなことを考えながら、自分のウェブサイトを眺めていたら、メンフィス系神話の項目がほとんどないなあと気になって、覚悟もなく軽い気持ちで作業を始めてしまった。でも、資料も多いし、解釈も複雑怪奇だし、何よりも歴史とか地理とか文化なんかが全然、解像度高く頭の中にインストールされていなくって、結構、時間が掛かってしまった。本当は3日くらいで終わるだろうと思っていたら、1週間以上、悩んでしまった。

そんなわけで、メンフィス系神話の創造神ペテフ(プタハ)、その妻のセケメト(セクメト)、息子にして睡蓮の神ネフェルテム、原初の丘タアチェネン(タテネン)、そして冥界神セケル(ソカル)を更新してみた。

メチャクチャ、エジプト神話って入り組んでいて、ちょっとやそっとじゃまとめあげられない。それを痛感した。でも、頑張ったので、是非是非、読んでみて欲しい。そのうち、エジプト神話のイラストも描いてみようかな。図像に忠実にやれば、きっとそこそこ楽しんでくれる人もいると思うんだよね。ふふふ。

  

2025年2月15日 ピー・グラハンを描いてみた。

タイ伝承の「ピー・グラハン」を描いてみた。

ピー・グラハンのイラスト

グラハンはタイ中部に伝わる妖怪で、米を洗う笊(ざる)を翼に、米を搗く杵(きね)にまたがって移動する。首と臓器だけのピー・グラスーが女性版の吸血鬼で、男性版がピー・グラハン。彼らは夫婦とも恋人同士とも言われているらしい。

  

2025年2月13日 目指すべき方向。

妖怪を調べてまとめてウェブサイト「ファンタジィ事典」に掲載する。そんな地道な作業を2009年から始めて、早十数年。もはやライフワークになりつつある今日この頃ではあるが、最近になって、ちょっとだけ方向性が見えてきたような気がする。ボクにとって大事なのは、多分、「取材」と「想像力」だ。

妖怪サイトって、いろんなアプローチがある。面白おかしくエンタメにするアプローチもある。学術的にまとめるアプローチもある。イラストを援用して分かりやすくするアプローチもある。どれもやり方としては正解だ。でも、おそらくそのいずれもボクに向いている方向性ではない。

決して、ボクは文章が上手なわけじゃない。言語化が得意なわけでもない。エンタメ系のセンスもないし、学術的なバックグラウンドがあるわけでもない。それでも、最近、「ファンタジィ事典」を更新しながら、手応えのあるページとそうでもないページが肌感覚で分かるようになってきた。

わあっと景色が見えるような文章ってある。そこに人がいて、出来事が起こっている。それが読んでいて映像のように頭の中に流れてくる文章。そういうのって、多分、書き手の頭の中にも、明確な風景が想像されている。解像度が高いイメージが頭の中にあって、それを文章で切り取っている。だから、映像になってクリアーに伝わってくる。

最近、そういう文章を書きたいと思っている。稀に、それがうまく行くときがある。そういうときは、その時代の背景とか、その場所の地理とか、民族衣装とか、言葉とか、いろんなものが頭の中にインプットされているときだ。いろんな情報が頭の中にインプットされている状態でアウトプットすると、比較的、理想に近い文章になる。それって、結局のところ、「取材」と「想像力」だ。ちゃんとディテールまで調べて、頭の中で映像になっていると、明確に文章になる。

ボクはそういう方向性を目指したいと思っている。