《日々の雑記》

2021年5月5日 妖怪図書館 – 冥途のミヤゲ

最近、YouTubeで注目しているアカウントがある。「妖怪図書館 – 冥土のミヤゲ」(YouTube)だ。すでに1年ほど運営されていて、ボク自身は半年前くらいから見ていた。日本の妖怪について、熱く語っている。登録者数が1,000人にいかないので、収益化はできていないんだろうけれど、それでも、諦めずに定期的に投稿を続けている。すごいのは、情報のクオリティが高いこと。ちゃんと一次資料を参照していることが分かる。それでいて、分かりやすくて噛み砕かれていて、ちゃんとエンタメになっている。

正直、このクオリティでこの更新頻度なら、もっと登録者数が増えてもいいのにな、と思う。でも、YouTubeはコラボで登録者数を増やしていく側面があるので、このアプローチだとなかなか認知度が上がっていかないよなあ、とも思う。だから、こうやって陰ながら応援していこうと思って、小さいウェブサイトながら、紹介してみた。

2021年5月1日 経験値

結局のところ、人間のスキルは、その活動と接している時間とその濃さに結びつく。何でも、やったらやっただけ、そのスキルは高まる。できるようになる。それを1年間かけて実証したような気がする。

動画を企画し、プロットを書いて、撮影(出演)し、編集する。それを去年の4月はボクが一人で担っていた。プロットもボクが書き、プレゼンもボクがして、そして撮影・編集もボクがした。でも、1年間かけて、チームの中で、この一連の活動ができる人間が4人になった。

演者のスキル、撮影機材操作のスキル、動画編集のスキルなんて、職場内じゃ、限られた人間のスキルだと思っていた人が大半だ。でも、いまや、そんなスキルを持った人の方がマジョリティだ。

2021年4月30日 YouTuberの時代!?

強制的にYouTuberにならざるを得ない時代だ。コロナ禍で3密回避が求められる中、説明会や報告会などのイベントが出来ない。新年度を迎えて、情報発信したり、説明をしなきゃいけないことはたくさんあるので、畢竟、YouTube配信に頼ることになる。勿論、YouTubeで収益を稼ぐわけじゃないから、厳密には職業YouTuberではない。でも、企画、撮影、出演、編集をこなさなければならない。

チームで、誰もができることを考えて、Zoomで撮って、Shotcutで編集する体制を採用した。そうすれば、簡単に画面共有ができて、PowerPointやWordも使える。原稿も画面上に写しながら、ウェブカメラに向かって話せる。編集はフリーソフトのShotcutだ。音声の波が見やすいので、切り貼りが容易だ。

気づけば、昨年度末から、チームメンバーはPowerPointをつくって、台本を書いて、小部屋で撮影して、そして編集する体制になっている。執務室で、みんな、Shotcutで動画を切り貼りしているので、後ろから見ていると、まるでYouTuberの編集チームみたいだ。社内の人にもたくさん出演をしてもらっている。みんな、「よい経験をさせていただいた」と言っている。そういう感性が素晴らしい。

とは言え、演者になるためには、はっちゃけが必要だ。さて、今年、我々のチームに配属になった新しい後輩はどうなるか。楽しみだなあ。

Zoomで撮ってShotcutで編集

2021年4月28日 屋外撮影!?

例によって例の如く、最近は職場内YouTuberと化している。本日はプロジェクト関係者の声を収録しに、繰り出した。「会議室の様子だけじゃ面白くないから、外で撮ろう」。みんな、いろいろなことを考える。ちょうど一年前にも、ある人が「コロナ禍だから室内はダメだよ。外で撮ろう」と当日に言い出して外で収録したら、風の音がゴウゴウとマイクに入り込んで、そりゃあ、酷い出来栄えだった。何しろ、こちらは本職のYouTuberではないので、野外撮影の機材なんて持っていない。

今回は同じ轍を踏まないように、二の舞いを演じないように、ちょっとだけ、機材を検討する。前回はビデオカメラに内蔵のマイクで撮ったので、当然、海風の音も拾ってしまった。今回は、さすがにガンマイクを購入する予算はないので、スポンジつきのピンマイクで距離を縮めてやってみる。風の音はゼロではないが、かなり軽減され、聞くに堪えるクオリティになった。

……いろんなことに挑戦すると、知らず知らずのうちにいろんなスキルやノウハウが身につく。そんなのばっかりだな。

2021年4月27日 意思決定の主体を誰にするか問題。

意思決定をするときに、その主体を誰にするかはとても重要だ。

たとえば、こちら側で予め案を作成して持って行くのがふさわしいときがある。「結局、お前はどうしたいんだ」と会議中に問われるようなら、多分、こちら側の方で、事前にもう少し方向性を決めて臨むべきだったのだろう。

逆に相手側に主体性や責任を持たせたいときには、こちらであまり詰めないで、相手の裁量権に任せてみる。そういう必要性もある。たとえば「この条件に合致する適切な人材を選んでいただきたい」みたいな議論のときに、こちらで人選ができていて、コントロールしたいときには、こちらで例示みたいな形で案を出すことも必要だが、でも、大抵、それはうまく行かない。「そっちで勝手に決めるな」と言われる場合もあるだろうし、「そちらがそれでいいなら、どうぞ。でも、あなたが選んだんだからね」とプロジェクトの成否に対して他人事になってしまう場合もある。

本来、組織として一丸となってプロジェクトを進めることが必要で、決して、他人事にしてはいけない。だから、相手側に主体性や責任を持たせるしくみが必要になる。「この条件に合った適切な人材を選んでいただきたい」という議論のときに、相手側がより主体的に考えて、人選に関与することが、無関心の回避につながる。その一方で、完全に相手任せにあいて、ババを引くこともあるわけで、そのさじ加減が難しい。腹の中に自分の案を準備しておきながら、ギリギリまでそれは外には出さずに、相手が自ら決めているように議論を進め、自分の案に向かって、徐々に誘導していくのが、本当は、最良のやり方なのだろう。

そんなことを戦略的に考える必要があるときに、身内に「あの人、仕事のことは分からないけど、話してみたらいい人だったから、あの人を出してもらう?」とか言って、調整を始める上司がいると、辟易する。プロジェクトは仲良しこよしのお遊びじゃない。成果が求められている。「いい人」で成り立つわけじゃないのに……。

2021年4月26日 ファジィさを受け容れる心が大事

新しく異動して来た後輩は、繊細で、こだわりが強くて、ちょっと変質的。Excelの表の文字を左寄せにすべきか中寄せにすべきかで議論を吹っかけてくる。「この資料、左寄せになっているじゃないですか。中寄せにすべきだと思うんですけど、どうですか」。気になるなら直せばいいし、本質的ではないので、議論しないで好みで勝手にやってくれ、と思う。出来上がってみて、あまりに変なデザインだったら、後で修正すればいいから、取り敢えず、本質的なところを完成させてくれ、と思う。

20スライドの既存のPowerPointで、来週、発表するように指示したら「PowerPointには目次が必要だ」というので、勝手につくるように言ったら、「3つに分類して目次をつくったんですけど、このスライドだけうまくカテゴリーができないから目次がうまくつくれない」と相談される。余談の部分だから、そりゃあ、分類はできないだろう。何でもかんでもうまく分類できると思っているのだな。そもそも、分類ではなく、目次をつくっていたのではなかったか。分類は頭の整理には役立つけど、万能じゃないし、キレイに分類できるほど、世の中は優しくない。そういう割り切れないファジィなところが、とても大事なのだ。

……まあ、うまくやっていこう。

2021年4月25日 実験的YouTube番組は続く。

明日はYouTube番組「Win Win Wiiin」だ。中田敦彦はシンガポールにいるため、プレゼンターは藤森慎吾に選手交代。そしてゲストはてんちむ。6回目にして初の女性ゲストだ。しかも絶賛炎上中。そして、今までは土曜(あるいは日曜)にやっていたのに、今回は月曜日。初の平日公開だ。いろいろと新しいことにチャレンジし続けるあっちゃんだけど、今回も非常に実験的。予告では、結構、炎上に切り込んでいくスタイルで、攻めている印象もある。

女性ゲストと藤森は相性が良さそうなので、今後、女性ゲストを招いていくための布石としてはよい走り出しになりそうな予感もする。てんちむ、炎上して、いろいろと浅はかなところも露呈しているけれど、トークスキルは高く、会話の進め方も賢いので、あっちゃんとの舌戦が見たかったような気もするが、藤森がどこまであっちゃんのプレゼンを自分のものとして語れるのか。楽しみだなあ。ふふふ。

2021年4月21日 お前は敵か、味方か!?

ここにきて、非常に難しい立場に立たされている。

4月からずぅっと一緒に戦ってきた新しい上司が、遂に戦うのを止めた。難しい勝負ではあったんだけど、勝てないと踏んで、諦めた格好だ。

でも、正直、ボクはまだまだ諦めていない。諦めが悪いことが絶対的な取り柄だ。だから、動く。上司を戦わざるを得ない方向に追い込むシナリオだ。明らかに上司の意図しない動き方で、上司もバカではないので、ボクによって戦いの最前線に追い込まれていることは自覚しているだろう。

4月にチームを組んだばかりで、いくつか苦しい戦いを勝利してきたものの、まだ、がっちりと信頼関係を構築できていない。だから、不信を感じていることだろうな、と想像する。困ったなあ。こんなはずではなかった。でも、ボクは諦めたくない。絶対に勝つ。そのためには、ラフプレーではあるけれど、でも、あらゆる措置を講じたいところ。

お前は敵か、味方か。そう問われそうだ。でも、ボクはただただ自分の信じるところを突き進みたい。それだけ。

2021年4月20日 プログラムって、実に難しい。

本日はベネッセのチャレンジ・タッチの話。4月号のイベントは「ふしぎなすいそう」。課題をクリアーして、餌やりをして、魚を育成していくゲームだ。「4月号の国語と算数の課題を少なくとも1つずつやらないと、水槽の画面に入れない」。そして「1日1回だけ魚に餌やりができる」。そういうアルゴリズムになっていて、餌のやり方によって、魚の形態が変わる。息子のツクル氏は毎日、いそいそと育てているが、最近では、魚というよりは、何だかドラゴンっぽい感じの生き物になっている。

さて、ツクル氏、せっせと国語と算数の課題を進めた結果、4月号が予定よりも大分、早く終わってしまった。そうしたら、解く問題がなくなってしまったので、水槽の画面に入れなくなった。そして、期日よりも早く終わってしまったので、当然、餌やりの回数が足りず、魚は最終形態に辿り着けない。完全に手詰まりである。早く課題をこなしたのに、大損した結果だ。

最初、息子はものすごい憤慨していたが、アルゴリズムはよくよく理解しているらしい。しばらくして呟いた。「4月号の問題をやれないから、もうゲームはできないんだよ。まだ時間はあるのに。急いでやらずに、ゆっくりやればよかった」。うーん。どうなのよ、このプログラム。ベネッセ~!?

2021年4月19日 ゆたぼんは学校に行くべきか問題。

もしも、ゆたぼんが日本においてチームで仕事をする未来を志向するなら、学校に行った方がよいのだろうな、と思う。社会性や協調性が大事になるからだ。ちゃんとした大人は理性があるから、お互い、いろんなものを飲み込んで寄り添って生きている。でも、子供は、そういう忖度や配慮、想像力が足りないから、結構、衝突したり、傷つけたりする。そういう積み重ねの中で、相手との距離感や思い遣りなんかを学ぶ。「ああ、こういうことをすると嫌われるのだな」とか「こういうことを言うと傷つくのだな」とか「ちょっと距離を詰め過ぎたな」とか「今のは理不尽だ」とか、まあ、そんないろんなことを感じる。

よく、大人になって意気投合して、それで一緒に旅行して喧嘩するみたいなことがある。距離というのはとても大事で、ちょっと離れた距離で付き合っていると見えないものが、近づくと分かるみたいなことはある。同棲してみて、彼女との相性が合わないみたいなこともある。学校というのは、いろんな個性を無理矢理、ひとつの教室に詰め込んで、濃厚接触する。そこで得られるものって、一定の価値はあるだろうな、と思う。

とは言え、人生、何事も可能性の取捨選択であり、一方を取ったら、一方は捨てることになる。決断というのはそういうで、常に何かを取り、何かを捨てている。たとえば、ピアノを習わせる選択をすると、音楽的素養は高まる。でも、それ以外のことをする時間は減る。水泳を習わせれば、泳げるようになる。でも、それ以外のことをする時間は減る。たとえば、その時間に、友達とサッカーや野球をすることができたかもしれない。選ぶということは可能性を広げることではなくて、一方の可能性を狭めることだ。だから、学校に行くことも行かないことも、どちらが正しいということではない。学校に行くことで経験できることと、行かないことで経験できることがある。

そして、マジョリティを選択した方が、圧倒的に楽チンだ。世界は意外とマイノリティには優しくない。はみ出す人間には優しくない。そういう仕組みになっている。だから、そういう取捨選択をしているのだ、という自覚は必要だろう。

ゆたぼんは今、YouTuberで、個として生きている。マイノリティな世界だ。ビジネスライクな感じで、いろいろな大人と付き合っていて、刺激もあって、それはそれでちょうどよい適度な距離感で、楽しいだろう。そういう生き方を志向するなら、それでよいような気もする。

現状、不登校小学生、そして不登校中学生だからこそ、コンテンツになっている。ずぅっとこのままの立ち位置でYouTubeは続けられないだろう。現状、YouTuberとしての彼の個性は「学校に行くことを拒否する中学生」だ。「中学校に通わなかった高校生」になったときに、ゆたぼんがどれだけのコンテンツを提供できるか。ここがひとつの分かれ目だと思う。そのときに、彼が新しい価値を生み出して、マイノリティとして飛躍できれば、それはそれでよい。でも、うまく行かなかったときに、新しい道を模索ことになる。そのときに、社会性や協調性の不足が障害になることもある。それを覚悟して、自分の道を自分で決断すればよいのだ。

問題は、子供が、どこまで自覚的に取捨選択して決断できるのか。そこは、大人のサポートなり指導が必要であり、そこをちゃんとやっているのか、というのが、父親に問われるのだろう。

2021年4月17日 天狗の絵を描こう!!

天狗の絵を描こうかと思って、いろいろと素材を集める。実は、ボクはひとつの絵を描くのに、いろいろと情報収集する。たとえば、今回の天狗であれば、過去の天狗の絵をたくさん集める。江戸時代の天狗の浮世絵もそうだし、天狗の神社の縁起に描かれている天狗の絵もそうだ。天狗のお面やお土産屋に売られている天狗の土鈴などの写真も収集する。それから、ゲームのデフォルメされた天狗の絵も参考になる。パズドラとか。そして、山伏の衣装の写真もたくさん情報収集する。今回は本山派を採用しようと思うけれど、山伏にもいろいろな派があることが分かった。他にも、ヤツデの写真、法螺貝の写真、八角棒の写真、鳥の翼の写真など、関連するものをできるだけたくさん集める。その上で、絵を描く。本日は、そういう下調べの日である。今月中には形にしたい。

2021年4月13日 尻よ、割れろ!?

「早く寝ないと尻を割るぞ、この野郎!」「もう割れてるよー!! ギャハハハー」というのが父と息子の寝る前のテッパンのネタだったのに、今晩は「早く寝ないと尻を割るぞ、この野郎!」と言ったら「ぎゃあ、4つになっちゃうー!」との反応。4つ? え? 何? 横方向に割るの? 子供の発想には敵わないなー。

2021年4月12日 「漢字『聞』の耳の形」問題と「漢字『聞』の部首」問題!?

息子のツクル氏が「チャレンジタッチ(進研ゼミ小学講座)」をやっている。結構、算数なんかはスラスラとやるが、国語、特に漢字は苦戦していて、いつもマスコットキャラクターのコラショに「ざんねんっ!!」と言われている。どうやら、お手本の漢字の模写をするというのが苦手のようだ。今日は「聞」という漢字で、「あれれー、形が違うよー」とコラショに言われていた。でも、何度やってもうまく書けないようで、いらいらし始めて、最終的には激怒した。だから、途中で「一緒にやろうかー」と割って入った。そして、ビックリした。「聞」という字は「門」と「耳」の組み合わせだと思っていたら、「耳」の形は、5画目の横棒が6画目の縦棒を突き出さないらしく、厳密には「耳」とは形が違う。ツクル氏は「門」に「耳」と思って書いているから、何で「あれれー、形が違うよー」と言われているのか分からずにイライラしていたらしい。そうかー、ボクも知らなかった。「耳」とは少し形が違うのだ。

……というわけで、漢字辞典で調べようとして、「聞」を「門部」で探したら見つからず、実は「聞」は「耳部」だった。本日、2度目のビックリ。「問」も「門部」ではなくて「口部」だった!! へえ。世の中、知らないことばっかりだ。

その後、いろいろとリサーチしたので補足説明をしておくと、漢字には「意符」と「音符」があって、字のとおり「意味を表わす部分」と「音を表わす部分」がある。「聞」の場合には「耳」は「意符」で、「門」は「音符」だ。「ぶん」とか「もん」という発音は「門」で表現されている。そして、部首というのは、基本的には「意符」の方で分類するのだそうだ。だから、「閂」とか「開」、「閉」みたいに「門」に意味があるときには「門部」になるけれど、同じような形でも、「聞」とか「問」のように「門」が「音符」として用いられているときには「門部」ではなくて「耳部」や「口部」に分類される形になる。

ちなみに「聶」とか「囁」は「耳」が3つついているけれど、上と右下は「耳」だけど、左下はやっぱり5画目の横棒の払いは6画目を突き出していない。同じ「耳」なのに、形が違うんだなあ。

2021年4月11日 「#マリエさんに連帯します」とはどういう意味!?

「#マリエさんに連帯します」というハッシュタグが話題になっている。内容そのものについては8日の記事で書いたが、そもそも「連帯する」とはどういう意味なのか。「連帯」という言葉そのものは「連帯責任」とか「連帯保証」みたいな場面でよく使う。あるいは「連帯感」みたいな言葉もある。でも、「連帯する」という動詞の形では、あんまり使わない。少なくとも、ボクは使ったことがなかったし、「マリエさんに連帯します」という言葉が明確に何を指すのか、よく分からなかった。思わず、辞書を開いてしまった。

れんたい【連帯】ーする(自サ)二人以上の人が協力・提携して事に当たること。「ー責任・ー保証人・ー感・ー意識・ーストライキ」(『新明解』より)

れん-たい【連帯】 ①むすびつらねること。連繋。「ーを強める」「ー感」 ②二人以上が連合して事に当たり同等の責任を帯びること。「ー保証」(『広辞苑』より)

れん-たい【連帯】 (名)スル (1)お互いが,結びついていること。気分が一つになっていること。「―感」 (2)二人以上の者が共同で責任をとること。「―して債務を負う」(『大辞林』より)

『大辞林』は、少しハッシュタグの意味に通じるかもしれない。気分が一つになっていること。つまり、「マリエさんと気分をともにします」という感じだろうか。

Google先生に「連帯する」で尋ねてみても、今回の騒動の件と、いくつかの本のタイトルと英語の訳くらいしか引っ掛からない。もしかしたら、何かの訳語なのかもしれない。solidarityが連帯と訳されていて、これが団結とか結束みたいな意味で使われているので、もしかしたら、こういう運動のときに賛同するイメージで、何か外国語があって、それを訳しているのかもしれない。

いずれにしても、そういう明解じゃない言葉がハッシュタグになって巷に出回っていることが不思議な感じ。みんな、意味が分かって使っているのだろうか。

2021年4月8日 芸能界の闇!?

マリエのインスタライブでの暴露が一部では話題になっている。でも、大手ニュースサイトではあまり取り上げられていない。平時、どうでもいいYouTubeやインスタ、Twitter上の芸能人の雑談は、たちどころに取り上げて、さも重大ニュースであるかのように騒ぐメディアが、ものすごく慎重になっている。事実が確認できないというのもあるが、でも、普段、根も葉もないことをああでもないこうでもないと報じている分際で、こういうときだけ慎重になっている意味が分からないし、事実関係はともかく、マリエがこういう風にインスタライブで声をあげているということくらいは報じるべきだろうな、と思う。結構、根が深いような気がする。

酔っ払った勢いでの発言みたいに言われていたので、実際に動画を見てみた。時折、感情的になる部分もありながら、でも、ものすごく言葉を選んで、慎重に、冷静に話している印象を受けた。カメラを回している男性が面白おかしく茶化しても、それには応じず、あくまでも「自分の体験」という枠の中だけで話している。「他の人のことは知らない。私はこうだった」という一貫した話し方は、真摯だと思う。

マリエに名前を挙げられた芸人たちは、青天の霹靂だろう。もう十数年も前の話だし、事実だとしたら、本来、主犯となるべき人は引退してしまっているので、悪意は全て、テレビ業界に残っている人間に向かう。ボクはいつも言うけれど、罪を憎んで人を憎まずだ。もしも事実だとして、彼らを叩いて、業界から追放して、ああ楽しいという展開は、回避したいなあ。どうかなあ。もう十数年も前の話だし、しらばっくれて沈静化する……のだろうか。うーん。

ただ、カメラを操作している男性の発言がいかにもチンピラっぽくて、それがマリエの評価を下げている。

2021年4月8日 権力と傲慢

マリエのインスタライブでの暴露が一部では話題になっている。一億総発信時代だ。でも、大手ニュースサイトではあまり取り上げられていない。平時、どうでもいいYouTubeやインスタ、Twitter上の芸能人の雑談は、たちどころに取り上げて、さも重大ニュースであるかのように騒ぐメディアが、ものすごく慎重になっている。影響が大きい割りに裏が取れない話だから、というのもあるかもしれないけれど、結構、根が深いような気がする。

酔っ払った勢いでの発言みたいに言われていたので、実際に動画を見てみた。時折、感情的になる部分もありながら、でも、ものすごく言葉を選んで、冷静に話している印象を受けた。カメラを回している男性が面白おかしく茶化しても、それには応じず、あくまでも「自分の体験」という枠の中だけで話している。「他の人のことは知らない。私はこうだった」という一貫した話し方は、真に迫っている。

もう、10年以上も前の話だから、事実であったとしても時効という気もするし、名前を出された芸能人からしたら、青天の霹靂という感じかもしれない。マリエサイドとしては多分、事実関係を証明できないので、「知らぬ存ぜぬ」で有耶無耶に終わるのだろうし、反対に「事実無根の言いがかり」として、マリエ側が訴えられるということもあるかもしれない。事務所としてはそういうポーズを示さざるを得ないかもしれない。泥沼だなあ、という気もする。それでも、芸能界に一石は投じられるので、それだけでも意味はあって、それで救われる人もいるのかもしれない。me too運動みたいなものを期待しているのかもしれない。

ただ、難しいのは、名前を出された芸能人で、おそらく、しばらくはメディアは騒ぐし、世論(という名の粘着な正義)もしばらくは彼らを排除するような方向で動くのだろう。事務所と世論のせめぎあいみたいなことになるのだろう。業界の体質の改善は大事だけれど、ただの個人攻撃になりそうな予感もあって、その辺は、マリエとしてはどこまでを意図しているのだろうなあ、と思う。

権力を持つと、ときには傲慢になる。それは、多分、枕営業だけの話ではなくて、実は、あちこちに転がっている構造だ。だから、個人個人、みんながそれぞれに注意をしなければいけない。ボクも、社内で、特定のある一分野においては他者の追随を許さないところまで来てしまった。その分野においては、ボクが右と言えば右だし、左と言えば左。畢竟、ボクの発言がまかり通ってしまう。それが正しくなかったとしても。そして、そこから食み出す人間は、ボクが否定することで、追放されてしまう。そのくらいに発言が重たい。だからこそ、ボクが間違えるわけにはいかないし、常々、自分の意見に異論を唱える人を排除していないか、慎重になる。でも、もしかしたら、小さいところで、無自覚に誰かを虐げているかもしれない。その辺は、ものすごく怖いし、常にそういう恐怖と戦いながら仕事を進めている。責任というのはそういうことなのかもしれない。だから、「芸能界の闇」と片付けないで、ちゃんと他山の石にしなくちゃいけない。

……それにしても、マリエと一緒にいて、カメラを操作している男性がいかにもチンピラっぽくて、それが、マリエの評価を下げている。うーん。

2021年4月6日 「直感」は、実は正しい!?

直感で決める。これは実は正しいという話。

「現代の知の巨人」などと紹介される出口治明さんが、よくいろいろな書籍で「直感」について言及していて、基本的には「直感」を肯定している。下記、ちょっとひとつ、引用してみる。

直感というのは何も考えずに決めることではありません。人間の脳は問題に直面した瞬間に、頭の中に蓄積されている情報を高速でサーチし、最適な答えを導き出すようにできているのです。つまり、脳が最速で必要な情報処理を行った結果が「直感」なのです。直感の精度はその人のインプットの集積で決まります。だからこそ、日ごろから読書をしたり、さまざまなジャンルの人に会ったりして経験の幅を広げインプットの量を増やしておくことが大切なのです。

つまり、「直感」でこうだ、と感じたことは、決して、感覚的なものではなくて、これまでのインプットの蓄積に裏打ちされた判断なのだ、ということだ。

中田敦彦の「顔出し引退撤回」が結構、いろんなところで話題になっている。ジャッジが速すぎる点については賛否があって、メンタリストDaigoも、データに基づかない感覚的な判断だとして、批判的なコメントを出していた。視聴者に寄り添っていると評価されていたり、視聴者に流されていると批判されたりもしている。いずれにしても、賛否両論の状態だ。

でも、ボクは中田敦彦の「顔出し引退撤回」の動画を見て「直感」なのだろうな、と感じた。中田敦彦は「デスノート」を解説する動画を、自分の目で見た。そして、苦痛だったと言った。つまり、直感で「違う」と判断したのだと思う。これは、多分、中田敦彦の中にある蓄積が、そう叫んでいたのだと思う。

だから、アバターが悪いとか、視聴者に流されたとか、そういうのではないのだろう。おそらく、職人・中田敦彦が、計画して、実際にやってみて、出来上がったものを見て、そして、直感で「違う」と感じた。中田敦彦の動画の説明を聞いて、ボクはそういうことなのだと感じた。

2021年4月5日 朝令暮改……それとも君子豹変す?

新年度入っていきなりの衝撃。中田敦彦が「4月から顔出し引退」の前言を撤回して、もう5日にして顔出しを再開した。決断が早い。「中田敦彦のYouTube大学」では2つだけ、動画がアップロードされた。「デス・ノート」を解説する動画の前編と後編だ。だから、この2つの動画だけでジャッジして、即決即断したことになる。

ボクとしても、結構、どうなるんだろうか、と注目していたところだったので、この動画は見た。そして、勢いがなくなった、と感じた。こちらに語り掛けてくる熱量が少なくなったな、と感じた。てっきり、アバター化と同時に、立って観客に向けてプレゼンをするスタイルじゃなくして、ラジオっぽい録音に変更したのかな、と思ったぐらいだ。それでも、慣れも必要だろうし、様子見かな、と思っていた。再生数の走り出しも、大幅に下がったわけではない。

でも、中田敦彦は結果が失敗だと判断した。その判断基準は「視聴者維持率」なのだという。今までの「中田敦彦のYouTube大学」は、この視聴者維持率が高かったのだという。でも、今回の2本は少なかったらしい。確かに、中田敦彦に語り掛けられているという印象が薄くなって、熱量がなくなった分、飽きてしまう。怒涛のように喋っているから、実は、ラジオのように音声コンテンツとしてゆっくりは聞けない。それを、中田敦彦の動きがカバーしていたということなのだろうか。

それにしても、たったの2本、しかも前編・後編という意味では、ひとつのコンテンツだけで、もう、ジャッジして決断をする。この早さみたいなものは、柔らかいなあ。まあ、失敗というレッテルを視聴者サイドに貼られる前に自分から先に撤回した方が圧倒的に失敗のダメージは少ないので、正しい判断だとは思う。でも、その正しさを貫くのは、意外と難しい、と思う。

中田敦彦のチャンネルでは、高評価が多く、意外とポジティブに受け入れられている印象だけれど、同じ内容を報じたYahooニュースのコメントは結構、辛辣で、信用できないというトーンのコメントが多い。どっちが多数派で、どっちが世論になっていくのかは分からない。朝令暮改? それとも君子豹変? その辺の視聴者の今後のジャッジも楽しみなところ。ボクは、現時点では、意外と、ポジティブに受け止めた……かな? 多分、データに基づく判断というよりは中田敦彦の作り手としての直感なのだと思う。自分でやってみて、出来上がったものを見てみて、それでダメだな、と感じた。その直感を信じた。そのジャッジは信頼ができる。そんな感じ。

2021年4月4日 アイドルって何だ!?

ここのところ、アイドルグループ(?)の「我儘ラキア」にハマっている。たまたまファミリーマートの窓のところに彼女たちのライブのポスターが貼ってあって、琴線に引っ掛かった。「我儘ラキア」というワードの妙と、そのロゴの格好よさ。そして、彼女たちのビジュアルが格好よかった。ボクは最初、勘違いしていて、最近、流行りのガールズバンドなのかな、と思った。そして、その場でYouTubeを立ち上げて、PVを視聴して……青い髪の女の子が歌い始めて、ああ、彼女がヴォーカルなのだな、と認識した。結構、強めの声で、歌唱力もある。ロックだ。いい。でも、他の3人は楽器を演奏しない。踊っている。変なPVだな、と思っていたら、突然、金髪ショートめの女の子がゴリゴリのラップを始める。あれれ、ラッパーだ。しかもかなり本格的。そして、2番になったら、残りの2人も歌い始める。ここに至って、ようやく、どうやらこのグループはバンドじゃないっぽいぞ、と気がつく。思い込みって恐ろしい。Wikipedia先生にお伺いを立てる。

「我儘ラキア(ワガママラキア)は、日本の女性アイドルグループである。」

あ、アイドルなんだ。や、アイドルの定義って何? こんなにゴリゴリにロックをやっていて、アイドルとか言うのか。たとえば、アイドルグループの「神使轟く、激情の如く。」も、ミクスチャーロックっぽいことをやっていて、もはやアイドルなのか何なのかよく分からないけれど、でも、何となく彼女たちはアイドルだな、と思わせる何かがあった。つまり、自分の「かわいい」という容姿をウリにしていて、着せ替え人形のようにいろんな格好をして、いろんなポーズで写真をとって、ファンに媚びている。でも、「我儘ラキア」みたいに、ここまでファンを突き放していると、もう、アーティストだよね、と思う。作詞・作曲も、青い髪の女の子(星熊南巫)ややっているらしい。ラップの作詞は金髪ショートめの女の子(MIRI)。作曲まで踏み込んでやっている点も、アイドルとしては珍しい。

2021年4月1日 どっちもスペックが高いのが稀有!?

中田敦彦の顔出しは昨日が最後ということで、昨晩、オリエンタルラジオのそれぞれのYouTubeチャンネルに2人が出演して、今後のことを話し合っていた。ボクは最近、寝るのが早いので、今朝、通勤中にこの動画を見ている。こういう好きなタイミングに見られるというのが、テレビにはないYouTubeの利点だ。そして、中田敦彦と藤森慎吾の、お互いがお互いを信頼し、尊敬し合っている関係なのだということを、モニタ越しにヒシヒシと感じて感激したし、どっちも才能のあるすごい人なんだな、と改めて思った。うかつにも、2人のトークを聞きながら、通勤中に泣きそうになってしまった。

中田敦彦のチャンネルでは、あっちゃんが藤森の才能を認めつつ、WinWinWiiinの司会を藤森に依頼するという流れで、この考え抜かれた司会交代プランと発表の仕方に感心した。おそらく、藤森だったらやれるだろう。中田敦彦の真意を正しく理解して、面白おかしくやれる。ベストなチョイスだ、と心から思える。WinWinWiiinの視聴者に向けた、そんなプレゼンになっているところも、そういうストーリーを提示しているところも、あっちゃんらしさ全開だ。

一方の藤森慎吾のチャンネルでは、藤森があっちゃんの顔出し引退の真意に迫る構成になっていて、藤森が上手に聞き役に回りながら、あっちゃんの本音を引き出していく。こういうのは、自分のチャンネルでおいそれと語りにくい部分なので、藤森のチャンネルで、藤森が聞き役に回ることによって、初めて喋れる内容で、そういう風に仕向けている藤森の聡明さを感じられる。そして「顔出し引退」が「マスではなくコアに向けて発信する実験」であることが分かってくる。

こういう動画を、実は3月31日まで温存して、最後の最後に公開するところも、また、戦略家だなあ、と思う。そして、フランクにトークして、決して、シリアスにしないところも、オリラジらしいな、と思った。