《日々の雑記》

2024年10月21日 ジャック・オ・ランタンを描いてみた。

10月はハロウィンの季節なので、「ジャック・オ・ランタン」を描いてみた。

ジャック・オ・ランタンのイラスト

通常、ジャック・オ・ランタンと言えば、カボチャ頭のお化けを連想するが、本来、アイルランドでは、ジャック・オ・ランタンは西洋カブ(ルタバガ)でつくる。カボチャでランタンをつくるようになったのは、アメリカに入植して以降である。アイルランドには次のような古い伝承が残されている。

その昔、ジャックという男は、盗みや詐欺などを繰り返し、遂には悪魔を騙して地獄行きを阻止した。しかし、酒を飲みすぎて死んでしまった。しかし、日頃の悪行のために天国に行くこともできなくなった。これを憐れに思った悪魔は、ジャックに火を与え、以降、ジャックは西洋カブのランタンを手にこの世を彷徨い続けているのだとか。

そんなわけで、西洋カブのランタンを手に現世を彷徨うジャック・オ・ランタンを描いてみた。なお、西洋のお化けが足がないというわけではないんだけど、その方がお化け感が出るかと思って、今回はそういうデザインにしてみた。

2024年10月20日 ハイレタハイレタハイレタハイレタ

トイレの花子さんを描いてみたの記事でも書いているとおり、最近、都市伝説系の絵を連投しているボクだ。ネットロアや「洒落怖」に興味があって、その辺をリサーチしている関係で、そういう系のイラストに徐々にシフトしている。トイレの花子さん(学校の怪談)を皮切りに、ヤマノケ(洒落怖)、怪人アンサー(ネットロア)、マッド・ガッサー(アメリカの都市伝説)なんかを描いてきた。次はいよいよ口裂け女(日本の都市伝説)を描こうと思っているので、乞うご期待だ。そうして、近いうちに都市伝説(特に匿名性と作家性の部分)について一考してみたいなと思っている。

漫画『ダンダダン』はオカルトと妖怪をモチーフにした漫画で、10月からアニメ化された。アニマックスでの公開はまだなので、ボクはそちらを楽しみに待っている状況だが、ここでもターボババアアクロバティックサラサラなどがたくさん登場する。そういう意味では、現代妖怪たちのオンパレードだ。鳥山明の再来と言われるほどの見事な立体造形とぶっ飛んだ世界観が素敵な漫画だ。

アニメの主題歌はCreepy Nutsの「オトノケ」だ。これはもちろん、ヤマノケのパロディだろう。歌詞の「ハイレタハイレタ」と連呼するところなんて、メチャクチャ、怖さがある。でも、ラッパーのR-指定的には自分の歌がリスナーの中に入っていくイメージなのかもしれない。そういう意味で「オトノケ」なのだろう。オトノケの歌詞については、各所で考察がなされていて、いろんな都市伝説の妖怪たちが練り込まれているようだから、是非、聴いてみて欲しい。

2024年10月19日 孤島、仮面、密室……に斜め上を行く展開!?

体調は相変わらず絶不調。遂に動けなくなってしまった。うーん。

そんなわけで、本日は『〇〇〇〇〇〇〇〇殺人事件』(著:早坂吝,講談社文庫,2017年)を読んだ。ものすごいハイペースで読書が進んでいる。

これもメフィスト賞の作品。当然の如く、風変りな作品である。何が風変りかを説明すると、トリックに関わってしまうので不用意には書けない。でも、斜め上を行く展開には驚かされる。Amazonの書評は大きく割れているが、でも、ロジックは合理的で、フェアな作品である。「孤島」「仮面」「密室」という今までの古典作品をオマージュしながらも、どれも少しずつずらしながら、意味のある展開になっている。何故、「孤島」が舞台になっているのか。圧倒的に怪しい「仮面」をつけた男が存在しているのか。手垢のついた「密室」が用いられるのは何故なのか。バカバカしいけれど、全てにちゃんと意味と答えが用意されている。そういう意味では、従来の本格ミステリを読みつくした人ほど、その素材の使い方に驚く展開だと思う。それが1本の糸でちゃんと結ばれていることに、驚きを禁じ得ない。

まあ、だからと言って、おいそれと人にオススメできないのは、風変りな設定のせいだ。でも、それが何か説明できないところが、何とも歯がゆいのである。わははー。

2024年10月18日 Adoの新章が始まった!?

Adoと言えば「歌ってみた」の歌い手で、その代表格という感じで目覚ましくデビューした印象がある。歌ってみた文化の時代の寵児という感覚だ。ところが、最近、そうではないAdoの一面がたくさん現れた。

そのひとつはプロデューサとしてのAdo。ファントムシータというアイドルグループをプロデュースしたわけだが、歌唱指導などもYouTubeに上がっていて、見事な指導をしている。Adoがひとたび「こういう風に歌ってみてもらっていいですか?」などとアドバイスすると、飛躍的にアイドルの歌唱がアップする。感覚ではなく、ロジカルに歌唱を捉えている上、それを明確に言語化している。プロデューサとして一流であることが証明された格好だから、是非、ファントムシータのAdoによる歌唱指導の様子を確認して欲しい。

そして、もうひとつはクリエイタとしてのAdoだ。10月14日に、Adoが作詞・作曲した「初夏」という楽曲が公開された。どうやら、LIVEなんかではすでに公開済みだったようだが、いずれにしても、Adoが自ら手掛けた楽曲がこのたびYouTubeに公開されたことになる。10年くらい前のボカロ楽曲の雰囲気をまとった楽曲で、思わず懐かしさを覚えた。おそらく、彼女が「歌ってみた」で大活躍していた頃の楽曲に近い。彼女のその時代の憧憬が含まれているような気がする。歌詞もボカロっぽい感じで尖っている。楽曲に緩急があって、ちゃんと成立している。クリエイタとしての彼女の才能も証明されてしまった。

うーん、多才なんだなあ。ワンピースの映画の中で、ウタとして活躍するAdoを見ながら、ああ、こういうAdoの見せ方もあるのだなあなどと思っていたボクは甘かった。感服だ。

2024年10月17日 マッド・ガッサーを描いてみた。

アメリカの都市伝説に登場する「マッド・ガッサー」を描いてみた。

マッド・ガッサーのイラスト

マッド・ガッサーは1933年にバージニア州、1944年にイリノイ州に現れた黒ずくめの怪人で、甘い匂いのガスを撒き、人々は眩暈、痺れ、吐き気などに悩まされた。結局、犯人は謎のままで捕まらなかったという。

最近、絵を描くときには、動きというか、物語性みたいなものを組み込んでみようかと思っているので、まさにガスを散布している瞬間の動きを描いてみた。甘い匂いのガスということで、ピンク色にしてみた。

ちなみに、実際のイリノイ州の事件での目撃証言では、ピッタリとしたニット帽を被って、黒ずくめの背の高い華奢な男性(あるいは男装した女性)とされ、ガスマスクに関する記載はない。また、絵ではガスタンクを背負わせてみたが、実際にはフリットガンと呼ばれる殺虫剤のような機構を持った水鉄砲の延長みたいなものを所持していたとも言われている。

2024年10月16日 好きな作風の好きな作品を読むという営み

体調不良は相変わらず。仕方ないので読書を続けている。本日は『謎解きはディナーのあとで』(著:東川篤哉,小学館文庫,2012年)を読んだ。東川さんは「烏賊川市シリーズ」で読んでいたので、作風はよく知っている。『謎解きはディナーのあとで』そのものもドラマ化していたので、何となく内容は知っていた。でも、あまりにポピュラーになってしまったので、敬遠して、手を出さなかった印象だ。久々に本屋に行ったら、『新 謎解きはディナーのあとで』ということで、新しいシリーズが平積みになっていて、ああ、まだ続いているんだなあ、と思って、久々に手に取ってみた次第。

相変わらずの東川さんのユーモアに富んだシニカルな文体。懐かしいなあ。キャラクターたちが生き生きとしているのも「烏賊川市シリーズ」と変わらず。懐かしくなってしまった。最近、芥川賞、直木賞の作家を順繰り読んでいて、好きな作風の好きな作品を読むという当たり前の営みを、ここのところ、実践していなかったなあ、と反省した。だから、改めて東川さんのシリーズにハマってみてもよいかもしれないなあ、と思った。

2024年10月15日 表と裏と……人間の本質はどこにあるのか!?

今日は『六人の嘘つきな大学生』(著:浅倉秋成,角川文庫,2023年)を読んだ。

最近、漫画の『ショーハショーテン!』を読んでいる。たくさんの芸人コンビ(あるいはトリオ)が登場する群像劇で、それぞれのキャラクタの人生が丁寧に、そして仔細に描かれている。面白いなあと思って、原作者・浅倉秋成の小説を読んでみたくなったのだ。

純粋に面白かったし、読んでよかった。オススメの1冊だ。基本的には就活生たちの物語だ。大学生が自己と向き合いながら、あるいは自己を必要以上に飾り立てて企業面接に臨んでいく。最終面接まで進んだ6人は、グループでの課題解決というグループ面接を課されて、それに備えて事前に何度も集まって作戦会議をして結束していく。しかし、最後のグループ面接の中で、次々とメンバーたちの嘘が露呈していく……という物語だ。ホラーのような展開。それでも、ボクがこの作品が面白いと思ったのは、作者の強いメッセージだ。面接では一瞬一瞬で、その人間性が切り取られる。表もあれば、裏もある。でも、何がその人間の本質なのか。そこに深く斬り込んでいく。それが強いメッセージになって、現代社会に問題提起する。

本作を読んで、としか言えない。でも、常々、ボクが感じている現代社会への違和感が見事に言葉になって綴られている。そのとおりだと思った。それを読んでいると体感できるので、是非、多くの人に読んで欲しいなと思う。だから、強くオススメしたい本だ。

2024年10月14日 ゼロワングランドスラム

昨日は全国小学生プログラミング大会「ゼロワングランドスラム」がイオンレイクタウンkazeで開催されていて、息子のツクル氏と参加してきた。ここのところ、腰痛に悩まされているんだけど、ツクル氏のためならえんやこら。久々に遠出してみた。

ゼロワングランドスラムの写真

「ゼロワングランドスラム」は「ロボット競技」、「デバッグ競技」、そして「ハッカソン」という3つの競技で構成されている。ロボット競技は、事前に組み立てたロボットに、当日の障害物の配置を踏まえてプログラミングし直して、障害物を避けながら得点を入れていく。操縦はしない。すべて打ち込んだプログラムのとおりにロボットが動作して、目的を達成する。思った通りに動く場合もあるし、動かない場合もあって、悲喜交交。「床の材質が違って、摩擦が家とは違った」などと悔しがる少年もいれば、「計算通りに動いた」と喜ぶ少年もいる。

続くデバック競技はバグを含むスクラッチのプログラムを仕様のとおりに正しく修正する時間を競う。全部で8問あって、バグを見つけて、それを修正する。8問目くらいまで行くと、普通にゲームになっている。キャラクタを操作して岩を避け、当たってしまうとダメージを受けるような挙動をきっちりと再現しなければいけない。つまり、ちゃんとダメージが反映されるようなライフを変数として設定して、当たり判定の後にライフを減じるようなプログラムにしなければいけないわけである。

最後のハッカソンは仕様に合わせたゲームを30分でゼロから作り上げる。今回のお題はブロック崩し。ボールを跳ね返しながら、ブロックを消していくゲームを30分で作り上げるわけだけど、参加している小学生たちは、ほぼほぼ10分くらいでブロック崩しの基本的な骨格を完成させて、そこから先の時間はオリジナルの仕様を持ち込んで、アイディア勝負に挑んでいる。妨害する敵が出てきたり、お助けアイテムが出てきたり、セリフが出てきたり、そりゃあ、いろんな発想がある。すごいなあ。ただただ感心してしまう。ゲームを完成させるだけでもすごいのに。

そんなわけで、ツクル氏と楽しく参加してきた。わっはっは。あー、腰が痛い。越谷だけに(なんじゃそりゃ!!)。

2024年10月13日 シェムハザを描いてみた。

堕天使の「シェムハザ」を描いてみた。

シェムハザのイラスト

『エノク書』(前2~前1世紀)によれば、彼は地上の見張りを任される天使の一団「ウォッチャーズ(グリゴリ)」の指導者であり、200人の天使を率いて地上にやってきて、それぞれが人間の女性を妻に娶って、さまざまな知識を人間に授けたとされる。これによって地上は荒廃し、大天使ミカエルによって討伐された。また、この出来事が原因で、神は大洪水を引き起こして地上を洗い流してしまったとされる。

シェムハザに関する姿・形について言及する書物はなく、また、それっぽい図もないので、今回ばかりは、かなり勝手なイメージでイラストに描き起こしている。服装だけは当時のキリスト教の絵画に描かれる天使の服装を元にしているが、それ以外は完全にオリジナルだ。天使たちがそれぞれ女性を娶って子をなそうと囁き合う中、シェムハザは「俺だけが罰せられることはないだろうな。みんなで一緒にやるんだぞ! 裏切るなよ」的なことを言っているので、かなり神経質なやつだと思っている。だから、そういう顔にしてみた(笑)。

2024年10月11日 メタ構造による新たな本格(?)ミステリ!?

10月10日の記事にも書いたが、すこぶる体調が悪い。妖怪の絵を描く元気もないし、「ファンタジィ事典」の更新もままならない。最早、ごろごろと横になって過ごすしかなさそうなので、のんべんだらりと本でも読むしかないや、と勝手気儘に本屋さんでたくさんの本を選んで買ってきた。

そんなわけで、最初の1冊目として『NO推理、NO探偵? 謎、解いてます!』(著:柾木政宗,講談社文庫,2024年)を読んでみた。「メフィスト賞史上最大の問題作」とか帯に書かれていたら、そりゃあ、読んでみるしかない。

感想は……他の人には薦められないな、ということ。これは……もう、何だろうな。読み手を選ぶ感じだ。文章がラノベっぽい感じで、女子高生の会話がうにょうにょと繰り広げられるので、苦手な人は読むのが苦痛かもしれない。しかも、書き手であるワトソン役の取手ユウの地の文が、どんどん本文に介入するメタ小説の構造になっている。これもどうなのかと思う。しかも冒頭、催眠術師によって探偵の美智駆アイは「推理」を封じられる。だから、「推理」は登場しない。いろいろとあった謎や不可解な伏線は、事後、実はこういうことだったのだという情報開示があって、なるほど、そういうことだったのね、と納得するタイプの短篇が続いていく。しかも日常ミステリ、サスペンス、旅情ミステリ、エロミスなんかのあるあるネタをぶち込みながら、それをなぞるように物語が進められる。

しかし、最終話になって、改めて過去の事件が振り返られる。実はちゃんと推理で結論に辿り着けることが改めて示されて、メタ小説であることも合わせ技になって、本格(?)謎解きが始まる。その一瞬のカタルシスは、確かに間違いなく本格ミステリなのかもしれない。でも、そこまで辿り着くまでは、ラノベ調の女子高生のうにょうにょ会話に付き合わなきゃいけないし、メタ構造の文章にも付き合わなきゃいけない。でも、まあ、そうね。それを乗り越えたら、面白いと思うし、そういう作品である必要性もあるわけで、面白かった。うん。面白かったさ。

というわけで、のんべんだらりと本を読むこの頃である。

2024年10月10日 妖怪イラストbot!?

最近、Xもpixivも、妖怪のイラストだけが4日おきに7時半に更新される。まるで妖怪イラストbotみたいだ。

何しろ、ここのところ、本格的に体調が悪くなっている。腰痛と腹痛に悩まされている。起き上がれないことも多い。ストレスなのかもしれないし、疲労が蓄積しているのかもしれない。

幸い、過去に描いたイラストのストックがあって、それが予約投稿で定期的に更新されている。それ以外の更新が滞っている。それで、妖怪イラストbotみたいになっている。でも、そのストックも残りわずかで、そろそろもう一度、再始動しないと、妖怪イラストbotすら途切れてしまう。

そんな焦りもありつつ、それでも、体調の悪化で、仕事を終えて帰ってくると、家で倒れ伏している。うーん、苦しいところだ。

2024年10月9日 「怪人アンサー」を描いてみた。

都市伝説の怪人アンサーを描いてみた。

怪人アンサーのイラスト

10人で円になって、一斉に携帯電話で隣の人に電話をかける。みんな話し中になる中、一人だけが怪人アンサーと繋がる。怪人アンサーはどんな質問にも答えてくれるが、怪人アンサーの質問に答えられないと、液晶画面から手が出てきて、身体の一部をもぎ取られるという。9つの質問に答えてくれて、10番目の質問は怪人アンサーが問い掛けてくるらしい。

2002年頃にネット上に広まった怪談なので、イラストとしては折り畳み式のガラケーにしてみた。10人が円になって携帯電話を掛け合うというのは、実はとてもシュールだよな、と思う。

ちなみに、この怪談は、都市伝説の流布を調べるために、ある人物が創作して意図的に流したということが、2003年に作者と目される人物より暴露(?)されている。都市伝説は匿名性が肝なので、そういう意味では、都市伝説ではなくて創作になったと言える。でも、最近の洒落怖も、匿名性は残しつつも、明確に作者がいて、書き込みが残されているので、この怪人アンサーと同様と言える。そういう意味では、最近の洒落怖系の都市伝説(?)のはしりとも言える現代妖怪かもしれない。

2024年10月5日 「愛宕山太郎坊」を描いてみた。

愛宕山太郎坊を描いてみた。京都の愛宕山に棲む。日本全国の天狗たちの総大将だ。天狗と言えば、鼻高天狗をイメージする人も多くて、総大将も当然、鼻高天狗だと勝手に認識している人も多いかもしれない。でも、由緒正しき古来からの天狗と言うのは、実は烏天狗の方である。鼻高天狗を最初に描いたのは、室町時代の狩野元信だと言われている。鞍馬山僧正坊を描いたときに、現在のイメージのような鼻の高い天狗を描いたのが始まりだと言われている。だから、漠然と、次は鞍馬山僧正坊を描こうかなあ、などと考えている。

愛宕山太郎坊のイラスト

今回、結構、描き直しをした。小道具も多くて、結構、立体感のあるいい感じの絵になったと思う。自信作ではある。まあ、よくよく眺めるとあっちこっちデッサンの乱れはあるんだけど、これだけバチっと描くと、意外と誤魔化されてしまうかもしれない。

2024年10月1日 グラス・キャットを描いてみた。

オズ・シリーズに登場する「グラス・キャット」を描いてみた。

グラス・キャットのイラスト

グラス・キャットはライマン・フランク・ボームの『オズのパッチワーク娘』(1913年)で初登場したキャラクター。魔法の粉で命を得たガラス製の猫だ。疲れ知らずで、オズの国中を走り回って情報を収集している。ピンク色の粒々の脳みそが自慢で、よくこの脳みそがくるくると動いているところを見せつけて、自慢してくる。高慢ちきなやつである。

ツンとしたおしゃまな感じは表現できたが、正直、ガラスの素材感はうまく描けなかった。どうやればガラスっぽくなるんだろうなあ。難しいなあ。

2024年9月29日 日本酒を片手に

今日は今日とて、大百足七歩蛇を更新。日本の妖怪が続いている。うーん。苦しい(笑)。七歩蛇は『伽婢子』(1666年)に載っているので、ちょうど『東洋文庫 480 伽婢子 2』(著:浅井了意,校訂:江本裕,平凡社,1988年)で補完できた。大百足の方は、「俵藤太の百足退治」みたいな昔話の断片しかないので、ここはもう少しフォローが必要かもしれないなあ。そもそも御伽草子系のものって、書籍化されているのかなあ。

いずれにしても、河津酒造の日本酒「七歩蛇」を飲みながら、七歩蛇の項目をまとめるという優雅なボクであることよ。

2024年9月29日 一次資料を求めて外界に繰り出す!?

ランダム更新が、ちょうど十二様とか大人(おおひと)とか、ちょっと資料の少ない正体不明の妖怪が当たってしまったので、苦戦していた。でも、まあ、そういう妖怪から逃げないで真正面から取り組むのも、ときには必要だと思うので、まあ、よいか。

最近、日本の妖怪を更新する機会が増えた。『Truth In Fantasy 事典シリーズ 2 幻想動物事典』(著:草野巧,画:シブヤユウジ,新紀元社,1997年)をベースにランダムに更新しているから、結果として、そうなっている。でも、今まで、日本の妖怪は勝手に敬遠していたので、資料の持ち合わせが圧倒的に少なくて、新たにいろいろと仕入れなきゃいけなくなっている。浅井了意の『伽婢子』(1666年)、『狂歌百物語』(1853年)なんかをせっせと仕入れて、読んでいる。だから、出費が大変だ。わっはっは。

意外なことに、Wikipediaを確認していると、日本の妖怪で、必ずしも一次資料に当たっていない雰囲気の項目があったりする。出典が村上健司だったり、草野巧だったりする。どちらの著者も一次資料の出典をちゃんと書いてくれている傾向にあるのだから、直接、それを当たって書けばいいのに、と思ったりするが、結局、一次資料に当たるのは面倒だからか、村上健司が言っているとか、草野巧がそう書いているという文章になっている。だったら、ちょっと一次資料に当たってみるか。そんな風に考えて、最近、極力、一次資料を求めて、外界に繰り出している感じ。

2024年9月27日 チャオドイノンメを描いてみた。

ようやく念願のベトナムの妖怪にも着手している。第1弾が首だけお化けの「マーライ」で、第2弾として「チャオドイノンメ」を描いてみた。ベトナムでは長生きしたイヌはやがて霊力を得て、妖怪になるようだ。さらに長生きして霊力を得るためには血が必要で、周辺の家畜を襲う。ときには人間も襲う。屋根の上にチャオドイノンメが現れたら、その家の人間の魂が吸われている。やがて家人は死に至る。

チャオドイノンメ

面白いのは、チャオドイノンメが小動物の妖怪たちの親玉ということだ。ネコやフクロウ、アヒル、ニワトリなどの妖怪たちを率いて、屋根の上で作戦会議をしているらしい。

2024年9月26日 最近のイラストレータ界隈について思うこと。

Instagramを始めてから、いろいろと不思議に思うことがある。

たくさんのイラストレータがリール動画をつくっていることだ。ボクは、イラストレータって、自分の絵を見てもらいたいのだと思っている。それなのに、動画にしてしまうことで、絵そのものをじっくり見ることができなくなっている。個人的には、ものすごいフラストレーションだ。

結構、多いのは、下書きから清書して、彩色するプロセスを見せるリール動画。でも、ボクはこういうプロセスというか、舞台裏じゃなくって、完成形の絵をちゃんとじっくり見たいな、と思ってしまう。そりゃあ、さ。大好きなイラストレータがいて、その人がどうやって絵を仕上げているのかな、と思ったときに、絵が出来上がっていくプロセスを紹介するリール動画なんかがあると、それには価値が見出せる気がする。でも、それって、ファンに向けてのサービスだ。ファンになる前の集客の段階では、全然、価値を持たない。絵を描くプロセスばっかりをせっせとアップしているイラストレータって、なんなんだろうな、と不思議に思う。絵の指導をしたり、イラストレータに技法を紹介しているのだろうか。でも、どうもそういう方向性の編集にはなっていないような気がする。

そもそも、ボクは動画は動画のプロがつくるべきであって、イラストのプロはイラストで勝負すべきだと思っている。せっかく絵がうまいのに、チープな動画を見せられても、編集がヘタクソすぎて、ブランディングに失敗している気がする。もしも動画をつくりたいなら、もっとちゃんと動画の勉強をして、動画ならではの見せ方をしないと作品としてレベルが下がってしまう。

そもそも下書きみたいな絵とか、いろんなカラーバリエーションの絵とかを完成のイラストと一緒に並べているイラストレータも多くって、ボクはその文化もちょっとだけ理解ができない。特にいろんなカラーバリエーションがボクには理解ができなくて、「これが最善だ!」という追及の結果、完成形があるのであって、その途上でちょっと出来の悪い色違いを見せられても、それに何の意味があるのかな、と思う。これって、絵だけの話ではなくって、小室哲哉氏のリミックスにも感じていた。ヴァージョン違いをたくさん並べて、結局、どれがいいと思っているんだい? そんな風に思ってしまう。たとえば、ね。全然、違うアレンジで、デジタルとアコースティックくらいに別物だったら、それはそれで面白いと思うけど、ちょっとだけ差をつけたカラーバリエーションをいくつも提示されたって、それって何なのさ、と思う。最高の1つを決めて提示してくれよ、と思う。

1枚の絵のあっちこっちを切り抜いて拡大して見せるパターンもちょっと疑問だ。絵のどの部分を見るかは、見る側が決めればいいのであって、「ここに注目してー!」みたいなクローズアップはちょっとだけ冷めてしまう。大体、全体の構図を練って絵を描いているはずなのに、一部分だけを切り取って、もう一度、提示してくるっていうのは、一体、どういうことなんだい? なんて思ってしまうのである。絵の解説者が「ここを見てください。ここ、工夫しているんです」みたいに解説することがあるが、それを自分でやってしまうのは、ちょっとどうなんだろうか。

そんなわけで、誰かを非難したり、攻撃したりしたいわけではないんだけど、結果としては疑義を呈しているので、攻撃的な雑記になってしまった。でも、本当。そういうニーズがあるのかな。そういうのがウケるのかな。ボクは作者の独りよがりな感じがするんだけどなあ。

2024年9月23日 ティジー・ウィジーを描いてみた。

本日はイギリス伝承の「ティジー・ウィジー」を描いてみた。

ティジー・ウィジーのイラスト

あんまり有名な妖怪ではないかもしれない。イングランドのウィンダミア湖に棲息していて、弾丸のように飛ぶという。ボウネスという町の船頭が発見して、写真も撮影された。多分、元々はボウネスの船頭が町興しというか、話題作りというのか、ボート業界を盛り上げるために作り上げた生き物だったんだと思う。でも、その後、多数の目撃情報が寄せられて、未確認生物的な存在になった。

最近、Instagramを始めた。Instagramは写真や動画、イラストがメインで、あんまり文字を介在させないコミュニケーションがとれるので、結構、海外の人との交流が容易だ。だから、いろいろと海外のイラストレータさんとフォローし合っている。日本ではマイナーな妖怪がイラストの題材に取り上げられていることが多くって、勉強になる。ああ、そんな妖怪がいるんだなあ、知らなかったなあ、みたいな感じで、とても刺激を受けている。この刺激をそのままお伝えしたくて、今回、敢えてティジー・ウィジーを描いてみた。

まあ、ね。日本人でもティジー・ウィジーをネタにしている人は多いんだけど、あんまり神話・伝承系の本でも、未確認生物関連の本でも取り上げられないので、知名度はそんなに高くはないのではないかと思っている。ふふふ。

2024年9月22日 基礎は大事だ(それはそう!)

本日は息子のツクル氏の「ピアノの発表会」。で、ボクも連弾の相方として登壇。ジョプリンの『エンターテイナー』。そんなこんなで、メチャクチャ緊張する1日であったことよ。

そもそも、ピアノに限らず、音楽全般、ちゃんと基礎をやることが大事だ。それこそ、バイエル、ブルグミュラー、ソナチネ……みたいに、ステップアップしていく。こういうのを学んで、弾いてきた人たちってちゃんと基礎がある。でも、ボクの場合、バイエルすらまともにやらずに、先生に怒られていたタイプの人間なので、そういう基礎がなっていない。それなのに、子供の相方として、連弾して登壇させられるのは、ちょっと苦しい。ああ、こんなことなら、ちゃんと基礎をやっておけばよかった。

若かりし頃のボクは、こういう基礎全般をないがしろにしていた。ピアノの習い事の日に、自分で作曲した楽曲を持って行って先生に聞かせたり、勝手にアレンジして面白がったりしていて、今思えば、先生は手を焼いただろうな、と思う。それでも、先生側もボクのやる気を出させるために手を変え品を変え。ファイナルファンタジーの楽曲をやらせたり、ドラゴンクエストの楽曲をやらせたりしてボクを鍵盤の前に座らせていた。

息子と連弾で舞台に立つという未来が来るなら、もっとちゃんとやっておけばよかったなあ。(つд⊂)エーン