《日々の雑記》

2025年2月17日 メンフィス系神話を一気に更新だ!!

久々にウェブサイト「ファンタジィ事典」エジプト神話の項目を更新した。

エジプト神話って、いくつかの系統がある。具体的には、太陽神ラーを中心にしたヘリオポリス系神話、8柱の原初神で構成されているヘルモポリス系神話、そして創造神ペテフ(プタハ)を中心としたメンフィス系神話などがある。そんなことを考えながら、自分のウェブサイトを眺めていたら、メンフィス系神話の項目がほとんどないなあと気になって、覚悟もなく軽い気持ちで作業を始めてしまった。でも、資料も多いし、解釈も複雑怪奇だし、何よりも歴史とか地理とか文化なんかが全然、解像度高く頭の中にインストールされていなくって、結構、時間が掛かってしまった。本当は3日くらいで終わるだろうと思っていたら、1週間以上、悩んでしまった。

そんなわけで、メンフィス系神話の創造神ペテフ(プタハ)、その妻のセケメト(セクメト)、息子にして睡蓮の神ネフェルテム、原初の丘タアチェネン(タテネン)、そして冥界神セケル(ソカル)を更新してみた。

メチャクチャ、エジプト神話って入り組んでいて、ちょっとやそっとじゃまとめあげられない。それを痛感した。でも、頑張ったので、是非是非、読んでみて欲しい。そのうち、エジプト神話のイラストも描いてみようかな。図像に忠実にやれば、きっとそこそこ楽しんでくれる人もいると思うんだよね。ふふふ。

2025年2月15日 ピー・グラハンを描いてみた。

タイ伝承の「ピー・グラハン」を描いてみた。

ピー・グラハンのイラスト

グラハンはタイ中部に伝わる妖怪で、米を洗う笊(ざる)を翼に、米を搗く杵(きね)にまたがって移動する。首と臓器だけのピー・グラスーが女性版の吸血鬼で、男性版がピー・グラハン。彼らは夫婦とも恋人同士とも言われているらしい。

2025年2月13日 目指すべき方向。

妖怪を調べてまとめてウェブサイト「ファンタジィ事典」に掲載する。そんな地道な作業を2009年から始めて、早十数年。もはやライフワークになりつつある今日この頃ではあるが、最近になって、ちょっとだけ方向性が見えてきたような気がする。ボクにとって大事なのは、多分、「取材」と「想像力」だ。

妖怪サイトって、いろんなアプローチがある。面白おかしくエンタメにするアプローチもある。学術的にまとめるアプローチもある。イラストを援用して分かりやすくするアプローチもある。どれもやり方としては正解だ。でも、おそらくそのいずれもボクに向いている方向性ではない。

決して、ボクは文章が上手なわけじゃない。言語化が得意なわけでもない。エンタメ系のセンスもないし、学術的なバックグラウンドがあるわけでもない。それでも、最近、「ファンタジィ事典」を更新しながら、手応えのあるページとそうでもないページが肌感覚で分かるようになってきた。

わあっと景色が見えるような文章ってある。そこに人がいて、出来事が起こっている。それが読んでいて映像のように頭の中に流れてくる文章。そういうのって、多分、書き手の頭の中にも、明確な風景が想像されている。解像度が高いイメージが頭の中にあって、それを文章で切り取っている。だから、映像になってクリアーに伝わってくる。

最近、そういう文章を書きたいと思っている。稀に、それがうまく行くときがある。そういうときは、その時代の背景とか、その場所の地理とか、民族衣装とか、言葉とか、いろんなものが頭の中にインプットされているときだ。いろんな情報が頭の中にインプットされている状態でアウトプットすると、比較的、理想に近い文章になる。それって、結局のところ、「取材」と「想像力」だ。ちゃんとディテールまで調べて、頭の中で映像になっていると、明確に文章になる。

ボクはそういう方向性を目指したいと思っている。

2025年2月11日 このまんま、だらだらと続いていく

金原ひとみさんの『アッシュベイビー』(集英社文庫,2007年)を読んでいる。昔、『蛇にピアス』(集英社文庫,2006年)を読んで衝撃を受け、その後、Aマッソの加納さんのキウイチャンネルに出演しているのを拝見して、とても穏やかな人柄に驚いた。今更ながら、2作目に着手した感じ。

『蛇にピアス』のときには、全体的にヒリついた感じがした。舌に穴をあけるシーンなんかは、目を覆いたくなる感覚もあったし、入れ墨を入れるシーンや暴力的なシーンもあって、ある種、いろんな種類の「痛み」を見せつけられた感じがした。

今回もそういう「痛み」は健在だ。ナイフを突き刺すシーンとか、動物を殺してしまうシーンなどがある。でも、やっぱりどこか異常な世界観で、エロティックで、何より、とても飢えている感覚が伝わってきた。この「飢え」がずぅっと根底にあって、突きつけられているような感じがして、苦しくなった。

何も解決しない。救いもないのかもしれない。物語は唐突に終わってしまうけれど、多分、このまんま、だらだらと続いていくのだろう。閉塞感が残ったまんま、しこりのようになって終わる。そんな本だった。

2025年2月9日 「チョスンサジャ」を描いてみた。

朝鮮の妖怪として「チョスンサジャ」を描いてみた。あの世から遣わされた使者で、死すべき人間をあの世に連行する。

チョスンサジャのイラスト

ボクは朝鮮の妖怪を調べ始めた最初っから、このチョスンサジャが大好きだ。黒づくめでおシャレな風貌なのに、非常に官僚的な性格で、死亡予定者一覧表を片手に死すべき人間を探す。それでいて、同姓同名を間違えて連行することもあるし、賄賂をもらって見逃すこともある。こういう性格がとても東アジアっぽいなと思うわけだ。中国や韓国、そして日本も含めて、そういう一面がある。

だから、朝鮮の妖怪を描くなら、最初はチョスンサジャから描こうと決めていた。本当だったら、朝鮮の妖怪ナンバーワンと言えばトッケビなので、トッケビから描くべきなのだろうけど、それを押してのチョスンサジャだ。そして、次の朝鮮の妖怪はかわいらしいミョドゥサを描こうと決めているので、トッケビはもうしばらく後になりそうだ。

……でも、トッケビは政治的に難しいヤツ(日本の「鬼」の影響の所為で容姿が変質したと難癖をつけられている!)なので、実際のところ、どういうイラストにすべきかはちょっと悩んでしまう。角を生やしたら、韓国の学者に怒られてしまいそうだ。でも、実際には角があったという図版もあったりして……うーん。まあ、そういうところも引っ括めて、朝鮮の妖怪の面白さであることよ。ほほほ。

2025年2月7日 語られる妖怪を耳で捉えたいので

妻のちぃ子に誘われるままに、1月から「Duolingo」を始めた。言語学習アプリだ。英語はもちろんのこと、ベトナム語や中国語、韓国語、アラビア語、ラテン語など、さまざまな言語の学習を楽しんでいる。一問一答式で、いろんな問題が出題される中で、文字を読んで、文字を入力して、耳で聴いて、声に出して……を繰り返していくので、リーディング、ライティング、ヒアリング、スピーキングを次々にこなすような仕組みになっている。だから、脳みそが汗をかく感覚があって、短時間の中で脳汁がブシャーと溢れ出るようなイメージがある。もうすぐ1か月になろうとしているが、体系的というよりは感覚的に言語を覚えているような気がする。

うまくやれている気がするので、そのうち、ギリシャ語(現代ギリシャ語)やフランス語もやってみたいなあ。欲張りなボクはそんなことを思っている。ヘブライ語もあるんだよなあ。フィリピン語、とかタイ語、ミャンマー語など、ボクが今、妖怪を更新している国の言語が整備されていないのが残念ではある。

でも、ベトナム語と韓国語を学びながら、その国の言語で妖怪を調べることが苦にならなくなってきた。特に良いなあと思っているのは、最近、妖怪の解説がYouTubeになっていることが多くって、そういうのを視聴しながら「あ、今、『名前』って聞こえた!」とか「なんか分からんけど、否定文になっているぞ!」とか「あ、『パプ』って言ったから《飯》だな」などと楽しめる点だ。

妖怪は「語られる」存在なので、本来は耳で聴くのが一番いいはずだ。だから、ちょっとでもそういう境地に近づいていきたいなあと思っている次第。まあ、まだまだ入門も入門なんだけどさ。長期的な視座で頑張って行こうと思っている。そのうち、その国に行こうと思うかもしれないしね。

2025年2月5日 妖怪たちがあの世からやって来る!?

朝鮮の妖怪を更新した。「ヤグヮングィ」「サンモックー」である。本当はタイとフィリピンとベトナム、朝鮮でバランスよく更新していく計画だったんだけど、ここのところ、朝鮮語を勉強している関係で、ノリにノッてしまって、朝鮮の妖怪を2つ更新だ。

ヤグヮングィは韓国の子供向け番組に登場していたので調べてみた。旧暦の1月16日になるとあの世から地上にやって来て、靴を盗もうとするらしい。ちなみに沖縄でも旧暦の1月16日は「ジュールクニチー」と言って、あの世(グソー)とこの世が繋がる日とされている。日本でも「閻魔賽日」と言って、閻魔王がお休みするので、地獄の釜の蓋も開くと言われている。朝鮮半島でも同じで、この日は「鬼の日」とされて、ヤグヮングィは地上にやって来るのである。

サンモックーは、チョスンサジャについて詳しく調べていたら、関連ワードとして出てきた。閻魔王の下で働く三目大王がイヌの姿になって地上にやってきたものなので、こちらもあの世と繋がりのある妖怪だ。チョスンサジャもヤグヮングィもサンモックーも、ある種、閻魔王とゆかりのある妖怪たちなので、今回、一緒に紹介してみた次第。さてはて。

2025年2月3日 幸せを諦めてしまうな。人で在れ

YOASOBIの新曲『UNDEAD』が『アイドル』を超えてきたと言われているが、アカペラ集団による『UNDEAD』も凄い。想像を超えてきた。

最近、やけにYouTubeのオススメでプッシュされていたので、満を持して視聴した。何と、かつてのハイスクールバンバンの天音さんがセンターで歌っているではないか。そうか。サムネでは全然、分からなかった。

ハイスクールバンバン、好きだったなあ。みんな、個性的だったけど、ボクは特に天音さんが好きだった。彼女は演技派というのか、憑依系というのか、歌っているときの表情にも魅入られてしまう。だから、ハイスクールバンバンが解散して、ちょっと悲しかった。でも、こうしてまたアカペラ集団として歌う場所が出来て、よかったなと思う。

それにしても、この『UNDEAD』、原曲もメチャクチャ複雑怪奇で難解な曲なんだけど、改めてこうして天音さんが歌う歌を聴いて、いい歌詞なのだと気づいた。原曲はボカロ曲っぽくって、PVも目まぐるしくて、歌詞にまで目がいかなかった。「屍のように生きるな」という強いメッセージに勇気づけられた。うん。明日からも頑張ろう!!

2025年2月1日 「マーカーゾン」を描いてみた。

「アジアの妖怪をドドドドン!」(1月16日の記事)で「マーカーゾン」をイラストに描き起こしたいと宣言したが、早速、描いてみた。

マーカーゾンのイラスト

ベトナムには主に2種類の吸血鬼がいるようだ。北部の吸血鬼「マーカーゾン」と南部の吸血鬼「マーライ」だ。マーライはフィリピンのウンガウンガやタイのピー・グラスー、マレーシアのペナンガランみたいに、夜になると身体から頭だけが抜け出し、臓器をぶら下げながら空を飛んで獲物を狙う吸血鬼だ。

一方のマーカーゾンは夜になると独特のポーズで吸血鬼に変身する。両足の親指を鼻の穴に突っ込み、両手は耳を掴む。そして、空を飛んで獲物を探すのである。ベトナム人が描くマーカーゾンは結構、年配の女性である場合が多いが、ボクは比較的、若い女性で描いてみた。だって、うら若き女性がこんな変なポーズで出没すると考えたら、結構、面白い。

実際に鏡の前でこのポーズをやってみて(結局、硬くてうまくいかなかったが……)、描いてみたので、足の部分なんかはそれっぽく描けているのではないか。ポーズにこだわったあまりに、あんまり吸血鬼のおどろおどろしさとか怖さがでなかったが、まあ、それもご愛敬。

2025年1月30日 いか天の再来か!?

カリスマブラザーズのみの氏がYouTubeチャンネル「音楽深化論」で新しい企画を始めた。インディーズアーティストを集めてオーディションをするというもの。審査員が素晴らしくて、みのミュージックを筆頭に、亀田誠治、マーティ・フリードマン、ゆゆうた、そしていとうせいこうだ。

企画としては前々から告知されていたけれど、実際に大会の配信が始まったのは昨日(1月29日)。1組目はkill me Elkという3ピースバンドで、2組目は原田ねくらというシンガーソングライター。全然、毛色が違うアーティストなんだけど、どちらも世界観があって面白かった。

何だろうな。ボクは『三宅裕司のいかすバンド天国』の匂いを感じた。1990年に終わっているので、実際にはボクはど真ん中の世代じゃない。小学生の頃に終わってしまった深夜番組なのでオンタイムで番組を観たことはない。でも、ボクはBlankey Jet Cityとかたまとか人間椅子なんかをよく聴く。彼らが「いか天」の出身であることはよく知っているし、YouTubeで当時の番組を観たこともある。その雰囲気をこの企画に感じた。

インディーズシーンには若々しい才能がたくさん眠っていて、それを発掘していくというコンセプトも然ることながら、インディーズならではの売れ線じゃない尖った感じが感じられるのがよい。

初回から素敵な2組が出てきたので、今後も楽しみだなあ。期待大。こういうのがYouTubeで配信されるのだから、楽しいよなあ。

2025年1月28日 東南アジアの妖怪サイトへの道のり

ベトナムの妖怪タイの妖怪を粛々と更新している。

ベトナムの妖怪では、「クイニャップチャン」を更新した。クイニャップチャンは死にそうな人間に乗り移って身体を乗っ取ってしまう幽霊だ。病床に臥せっていたおじいさんやおばあさんが急に元気になって動き出すので、家族は大喜びである。しかし、空腹を訴えて、たくさんの食事を食べる。それに飽き足らず、アヒルやニワトリなどの家畜、果ては人間の子供まで食べようとする。結構、丁寧に調査してまとめたので、よく書けた記事だと思うので、是非、読んでみて欲しい。クイニャップチャンとタイのピー・ポープは非常に似ているので、共通の概念なのだと思う。

タイの妖怪では「ピー・ターボー」を更新した。普通の人間の姿をしているが、眼窩に目がない妖怪で、近づいてきて驚かす。そして目玉を奪おうと襲い掛かってくるという。『DACO 380号 バンコク怪奇物語』などの書籍にも載っているので、結構、有名な妖怪なのかもしれないが、タイ語のウェブサイトではあまり情報が載っていない。ピー・ターボーそのものが《目玉がないお化け》という意味なので、もしかしたら、目玉がないという外見が先行している妖怪なのかもしれない。『DACO 380号 バンコク怪奇物語』では類似の存在として口裂け女を挙げている。確かに人間に近づいてきて、裂けた口を見せて、鎌で切り付けてくるという構造は、ピー・ターボーに似ている。そういう構造の伝承なのかもしれない。

いずれにしても、絶賛、東南アジアの妖怪を更新中である。結構、項目数も集まってきたので、ベトナム妖怪やタイ妖怪のウェブサイトとしてのスタート地点には立てたのではないか。もう少し頑張って、それぞれのカテゴリィで20項目くらいの妖怪が掲載できるようになれば、ボクもベトナムの妖怪サイトとかタイの妖怪サイトと自信満々に名乗れるようになるかもしれない。そこまで頑張ろうと思う。フィリピンの妖怪については、まあ、結構、頑張っているよ? ふふふ。

2025年1月26日 創作から普遍的な妖怪への道のり

そういえば、今年は巳年なのである。毎年、1月1日に「近況報告の本」を刊行していて、その表紙の題材として、干支に因んだイラストを描く。すっかり忘れていたけれど、今年は「姦姦蛇螺」を描いた。今更ながらの「あけおめことよろ」のイラストである。

姦姦蛇螺のイラスト

姦姦蛇螺は、ネットロアの妖怪だ。初出は、今はなき「怖い話投稿:ホラーテラー」という投稿サイトらしい。2chオカルト板のスレッド「洒落怖」に転載されたので、洒落怖の妖怪として認知されているケースも見受けられる。

「姦姦蛇螺」の投稿において、若者たちが姦姦蛇螺と遭遇するシーンは滅茶苦茶臨場感があって怖い。厳重に封印されている区画の描写も丁寧だし、姦姦蛇螺が現れて「いぃぃ~っ」と笑うシーンは圧巻だ。そして、蜘蛛のように6本の手足でフェンスを伝ってくる描写なんて戦慄する。

「姦姦蛇螺」は投稿サイトに投稿されたものなので、明らかに創作だ。名乗り出ないけれども、どこかに作者がいるはずだ。それなのに、まるでネットロアのように語られ、都市伝説のジャンルで取り扱われる。この辺の境界の曖昧さが妖怪らしいところである。

大昔だって、実は作者がいたはずだ。ギリシア神話だって、ヘーシオドスの「創作」と目されている部分がある。いつも書いているとおり、「ドラキュラ」はブラム・ストーカーの創作だし、「フランケンシュタインの怪物」はメアリー・シェリーの創作だ。「クトゥルフ」だってラヴクラフトの創作だし、「オーク」はトルキーンの創作だ。そうやって、誰かのcopyrightがいつの間にか普遍的な妖怪になっていく。姦姦蛇螺もその意味では、普遍的な妖怪に片足を一歩、突っ込んでいる。そこが面白いなあと思うのである。

2025年1月24日 メールのほうが面倒臭くないか!?

「年賀状じまい」が話題になっている。まあ、ペーパーレスが叫ばれる時代に手紙を送るってどうなのよ、という声が出るのは分かる気はする。手紙だけの関係性を続ける意味なんてないじゃん、という声も、まあ、分からないではないかな。

ボクは、もう10年以上も前から、年賀状に代えて「近況報告の本」という12ページの冊子を送るというスタイルにしているので、ある意味では「年賀状」という形はやめてしまった。一応、表紙は干支に因んだイラストにしているが、喪中の人にも配布する関係で「あけおめ」みたいな表現もなくしてしまった。実は、家族会議の中では何度も「年賀状の代わり」ではなく「クリスマス号」にするという案が浮上してはいるのだが、今のところ、1年間を振り返った本をお正月にお届けするという意味では「年賀状の代わり」という位置づけは維持している。稀に面倒くさくなって、12月末に届くケースもあるんだけど、まあ、その辺はご愛敬というヤツだ。

閑話休題で、そんなこんなで、毎年、新年に向けて小冊子を送っているものだから、「年賀状じまい」を希望する人々にちょっとしたさざ波を起こしている。要するに、あちらとしては年賀状は止めたいんだけど、こちら側が送付する小冊子はこのまま送り続けて欲しいなあというムーブだ。で、どうなるかと言うと、年賀状は届かない代わりにメールを送ってくるというアクションになる。そして、「こちらは年賀状は止めたけど、来年も雑誌を楽しみにしているよ」みたいな文言が書いてある。

年賀状の最大の利点は、送りっ放しにできるところだ。こちらの近況をお伝えしつつ、向こうの幸せを祈念しつつ、それで終われる。ある意味では、送って知らんぷりできる。でも、こうやってメールで送って来られると、返信しなきゃいけない気がする。返信できる分、容易に繋がれる感じがする。そちらの方が、感覚としては手紙よりもディープな繋がりという感じがする。年に1回のコンタクトがメールだと、実はそっちの方が重たくなってしまう。

そんなわけで息苦しくなってしまって、年賀メールじまいをしたくなる今日この頃である。もう1月も終わろうとしているけれど、ほとんど返信はしていない。ふふふふふ。

2025年1月22日 East Of Eden、再始動。

予てより注目していたヲタリストAyasa率いるEast Of Eden。ベースのわかざえもんが脱退して、空中分解するのかと心配していたら、新たにMINA氏を加えて、新体制で帰ってきた。

アニソン調の楽曲がしばしば批判されてきたが、今回、わかざわもんの脱退を機にワーナーからビクターに移籍して、若干、クリエイタ陣が変わったのかもしれない。ヘヴィなサウンドになった。MINA氏のベースも上手だし、安心して聴ける。まだ1曲目ではあるけれど、新生EOEも楽しみだなあ。albumも買わなきゃナルメル!!

ステミレイツも何とかならないかなあ。あっちは看板のヴォーカル不在だから……苦しいよなあ。

2025年1月20日 需要と供給

「ご趣味は何ですか」と問われることがある。相手との関係性によって答え方はケース・バイ・ケースだが、ボクの趣味は「妖怪研究」と「創作活動」、そして「ウェブサイト運営」なのだと思う。「妖怪研究」と「創作活動」は、それこそ子供の頃から続けている趣味だが「ウェブサイト運営」は大学生の頃から絶えることなく続けているから、きっと趣味なのだろう。

昔はhtmlタグ打ちのウェブサイトにこだわっていた時期がある。途中、blogを取り入れたこともあるし、今は「日々の雑記」だけはWordPressを援用している。それでも、やっぱり、ほとんどのページは今でもhtmlのタグ打ちだ。「ファンタジィ事典」なんかは事典なので、本来はWordPressの方が向いているのかもしれない。でも、現時点では全項目をExcelで管理をしていて、Excelのマクロでメモ帳を立ち上げて、そこにhtmlでベタ打ちするという手法を採っている。

ちなみに、「日々の雑記」はWordPressなので、独自のアクセス解析がついている。こうやって日々、徒然に何かを書くわけだけど、急にアクセスが増えるときもある。最近だと『ダンダダン』に言及した記事を書いたら一気にアクセスが増えた。『ダンダダン』系の単語で検索して訪ねてくる人が多いということなのだろう。ミュージシャンについて書いても多少は伸びる。ファンが検索して来てくれるのだと思う。ちょっと前だとファントムシータについての記事がちょっとだけアクセスが多かった。

まあ、だからそっちに寄せて記事を書いていこうということではない。そうではなくって、こんなに辺境のウェブサイトであっても、ちょっと知名度のあるものを書くだけでアクセスが増えるという厳然たる事実が面白いなと思う。当然、マイナな「フィリピンの妖怪」ばっかり更新していても、ちっともアクセスは増えないのである。

ちなみに、我が家の実績から行くと「日本の妖怪」とか「中国の妖怪」の方が人気がある。でも、残念ながら、ボクはあんまり得意なジャンルじゃない。だから、更新頻度は少ない。「ベトナムの妖怪」は、他の記事に比べれば、アクセスがわずかばかり増える。どういう理由なのかは現時点では定かではない。どこかしらに需要があるのかもしれない。

2025年1月18日 「叩いていい人物」なんていないのに

一度、誰かが叩き始めると、それ以降、「この人は叩いていい人物ですよ」みたいな謎の認定がなされて、次から次へといろんな情報が飛び交う。何だか怖い時代だよね。真実を追及することと、誰かを悪し様に言うことは違う。正義の発言と悪意ある発言、露悪的な発言をちゃんと意識しなければならない。

そもそも、誰だって叩かれたくはないはずだ。仮に悪い人だったとしても、その人にだって尊厳がある。何でもかんでも暴露していいわけじゃないし、ひとつ捲れたらその先もどんどん捲っていいわけじゃない。その上、事実かどうかも分からない怪情報が飛び交っていて、もう収拾がつかない状況だ。

最悪なのは、被害者のプライベートに関わるような内容も、真偽入り混じりながらかなり大々的に拡散されている。まるでオープン情報のようになっている。そもそも、被害者の名前だって特定されるべきではない。その日の出来事だって、明け透けに語られるべきではない。それだって、本当のところは誰も分からない。もうメチャクチャだ。

いわゆる「オールドメディア」がもっとちゃんと仕切らなきゃいけなかった。二の足を踏んだり忖度したりして後手後手になっている間に、大衆の好奇心が膨らんでしまった。こうなったら、個人が好き放題に言い始める。「オールドメディア」こそが、精査された正しい情報と、解明されるべく疑惑、そして真偽不明の怪情報を全て並べて、ちゃんと整理して報道すべきだったと思う。そこをちょっとサボったから、こんな風にわけの分からない個人がつけあがってワアワア言って、結局、ひっちゃかめっちゃかだ。もうお祭り騒ぎ。よくないなあ。絶対によくないよなあ。うーん。

* * *

フジテレビもスポンサーが離れていって、結構、ヤバいよなあ。どうなってしまうんだろう。『テレビは余命7年』が2011年に発売されて、すでに14年目。結構、頑張った。でも、今年は斉藤知事の選挙報道でも議論になったように、遂にオールドメディアになった。そして、引っ繰り返るのかもしれない。怒涛の年だなあ。

2025年1月16日 アジアの妖怪をドドドドン!

アジアの妖怪をドドンと一気に更新した。フィリピンの妖怪からはキスをするだけで仲間を増やす吸血鬼バンキランベトナムの妖怪からはおかしなポーズで空を飛ぶことでお馴染みの吸血鬼マーカーゾン朝鮮の妖怪からは殺されても尚、運気を向上させてくれる聖獣ミョドゥサ、そしてタイの妖怪からは赤ん坊を守護する獣頭の女神メースーをエントリー。ちょっと本気を出してみた。「今年もアジアの妖怪を頑張る!」と宣言したので、その意気込みを形にして示してみた格好。

フィリピンは英語圏なので、比較的、資料は豊富だし、検索もしやすいし、訳すのも難しくはない。ベトナムの妖怪はベトナム語、朝鮮の妖怪は朝鮮語、タイの妖怪はタイ語のウェブサイトを参照して調査をしたので、結構、頭の中がぐるぐるしている。でも、とてもドーパミンがドバーっと出て、楽しい時間だった。結構、雑には扱わずに、丁寧に裏取りをしながら調べたので、それなりの品質の立項になっていると思う。

マーカーゾンは足の親指を鼻の穴に突っ込んで飛ぶので、近いうちにイラストに描き起こしたいと思う。ミョドゥサも文献だけ見ると子ネコの頭にヘビの身体と記されているんだけど、最近の子供向けの韓国アニメでは、でっぷり太った胴体の長いネコとして描かれているので、ちょっとそういう要素も取り込みつつ、イラスト化したいなと思う。妄想は膨らむなあ。

2025年1月14日 ベトナムのマーとクイ

ベトナムの妖怪については、基本的にはズイ・ヴァン氏のウェブサイトMa Quỷ Dân Gian Ký(ベトナム語)を参考にしている。水木しげるが描く妖怪に感銘を受けて、ベトナムで妖怪を蒐集し、イラストに描き起こしている人物だ。最近、日本でも取り上げられることがある(ベトナムスケッチ:ズイ・ヴァンが紐解くお化けの話など)。

そんなこともあって、ベトナム妖怪の調査にも精を出しているところで、ベトナム語も少しだけ勉強し始めた。ベトナム語は漢字文化圏のひとつだ。文字コード的にもCJKVとして体系化されている。中国、日本、韓国はよく知られていると思うけれど、4番目の「V」はベトナムの「V」である。現在のベトナム語では、文字はフランス語みたいにアルファベットにいろいろと装飾がついたみたいな感じになっている。でも、音を元を辿れば漢字に直せるものがほとんどだ。

たとえば、マーライとかマーヴーザーイなどの「マー」というのは漢字にすれば「魔」であるし、クイモッゾーの「クイ」は「鬼」である。ベトナム語の妖怪関連のウェブサイトを回っていると「マー」と「クイ」が併記されている表現が多い。「ma đưa lối, quỷ dẫn đường」(マーが道を示して、クイが道で導く)という表現はベトナムではよく知られた言葉らしい。

面白いのは、ベトナム語と中国語で意味が逆転しているところだ。中国語だと「鬼」は死者であり、幽霊だ。日本語にもその名残があって「鬼籍に入る」とか「鬼門」などは、この中国の鬼の《霊》という意味が残っている。一方の「魔」というのは「悪魔」とか「魔神」とか「魔物」という意味である。これがベトナム語では逆になっていて、マーが幽霊で、クイが魔物になっている。いつの間にか意味が逆転しているのが面白い。

そんなことをベトナム語を学びながら、ベトナム語のウェブサイトを散策しながら、楽しんでいるところである。

2025年1月12日 朝鮮半島で一括り

「ベトナムの妖怪」と「朝鮮の妖怪」を更新してみた。

ベトナムの妖怪は「クイモッゾー」。一本足で毛むくじゃら。森の中を跋扈する妖怪だ。タイの森にはピー・コンコーイがいるし、日本の山の奥には「山精」がいる。どちらも一本足だ。森や山の奥深くには、こういう一本足の妖怪が潜んでいるのかもしれないなあ。

朝鮮の妖怪として今回、チョイスしたのは「シンギウォンヨ」だ。「バラバラの実」を食べたバギーみたいな妖怪で、天井の梁に姿を現し、ボトリ、ボトリと手や足、頭などがバラバラになって降ってくる。想像するにとても怖い。そして、それを見た人は驚いて死に至ることもある。

ちなみに「朝鮮の妖怪」については全体的にかなり改訂した。もともとは「韓国の妖怪」というタイトルで打ち出していたし、妖怪の名称の原語も「韓国語」という風に表現していた。でも、最近、韓国の歴史とか韓国語をよくよく勉強してみると、どうも「韓国」という定義は厳密ではないっぽいと印象を受けた。もっと大きな括りで「朝鮮」にしてやらないと、歴史的につながっていかないし、言葉だって、厳密には韓国語ではなくて朝鮮語だ。韓国語としてしまうと、それなら北朝鮮で話されている言葉は何なのだという問題が生じる。たまたま現代の我々に馴染みがある国が韓国なのであって、韓国で話されている言葉を学んでいるだけだ。

そんなわけで、ウェブサイト「ファンタジィ事典」では、「韓国の妖怪」を改め「朝鮮の妖怪」とし、韓国語を改め朝鮮語とした。別に韓国を軽んじているわけではない。「韓国の妖怪」と限定してしまうと「北朝鮮の妖怪」も定義しなければいけなくなる。でも、それって大部分が同じものである。

たとえば、キジムナーを「沖縄の妖怪」として捉えるか「日本の妖怪」と捉えるか、コロポックルを「北海道の妖怪」と捉えるか「日本の妖怪」と捉えるか。まあ、ね。厳密には昔は沖縄には琉球王国があったし、北海道にはアイヌの人々が暮らしているわけで、歴史的にも文化的にも違いがある。でも、今は日本だ。朝鮮半島だって、韓国と北朝鮮に分かれているけれど、第2次世界大戦の前はひとつの国だった。李氏朝鮮という国だった。もっと遡れば、新羅、百済、高句麗に分かれていた。そういう意味では、朝鮮半島を一括りにした方が妖怪を整理しやすいんだと思う。

2025年1月10日 1月からはLEGOマリオカート

久し振りに「LEGOスーパーマリオ」を満喫している。1月からのLEGOの新シリーズは「マリオカート」なのだ。マリオやルイージ、ピーチで乗ると、スーファミ時代のマリオサーキットの音楽が流れる。とてもよい。特に今回のこのセットは3台の車両がついているのがよい。しかもベビーピーチがかわいい。ふふふ。

それにしても、LOGOのパーツが入っている袋がビニル製から紙製になった。さすがは世界のLEGOだ。キットカットが紙袋になったとき以来の衝撃である。

でも、元々、LEGOは食品ではないから、もっと早く紙袋に切り替えることもできたはずだ。思いつけばあっという間のこと。コロンブスの卵。でも、思い込みで変えられない部分って結構、あるよなあ。自分自身の生活でも、仕事でも、きっと、不合理を当たり前に受け入れていることってあると思う。発想を変えれば、もっとずぅっといろんなことができそうだ。LEGOの改革を眺めて、自分自身を自戒する。