《過去の雑記》

過去の雑記466件から475件までを掲載しています。

2012/10/05 土蜘蛛との遭遇!?

静岡に向かう電車なう。

今朝、出掛けに体長10センチはあろうかという巨大な蜘蛛と遭遇。玄関先で、蜘蛛の巣にかかってしまってビックリして見上げると、黄色と黒の縞模様の巨大な蜘蛛。静岡まで行かなきゃいけないっていう状況なので、大慌てで蜘蛛の巣を振り払って出て来たけど、発狂しそうだった。

あんなに大きな蜘蛛は見たことがないなあ。妖怪みたい。土蜘蛛を思い出してしまったよ。でっかい蜘蛛の妖怪で、脇腹切ったら、そこから無数の蜘蛛が湧き出してくるの。怖いー。

土蜘蛛!

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終わたー。80分喋り続けるのはしんどい。でも、たまーに頷いている人がいると安心する。観客の中に味方を見つける、というマニュアル本の記述は、本当にそのとおりだな、と思う。もう、ね。その人の反応を見ながら喋る感じだ。

……あ、でも、マニュアル人間はダメ、絶対。

2012/10/04 そして「文殊の知恵」が発動!?

やっぱり船は山に登った。そして、一度、原点回帰して、でも、それから船は新天地へと赴いた。まさかの文殊の知恵、発動である。さてさて。何の話だろうね。

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明日は静岡で講師。こういうの、基本的には全ッ然、緊張はしないんだけど、PowerPointが間に合っていないので、心の底ではあたふたしているよ。あっはっはー。珍しくここ数日、係長がテンパっているので、フォローに回る。もちろん、それが係員の心得ではあるけれど、一体、何があったのであろうか。「何でもそつなくこなす」がキャッチコピーの係長なのに。

そう言えば、全ッ然、話は変わるけど、「テンパる」って、《上がりの準備は整った》《準備万端》って意味のハズなのに、いつの頃から、アップセットしている状態のことを指すようになったんだろうね。天然パーマの人ってテンパっていると言えるだろうか。ちゃんと調律されたら、それってテンパられたピアノだろうか。何を言っているのだろうか。

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チョッパーの人形焼き!

ちぃ子がチョッパーの人形焼きマシーンを買ってきてくれた。イオンの店舗だけの限定販売。ホットサンド、ワッフル、そしてチョッパーの人形焼きが作れる優れもの。一家に一台で三役。まさに幹事長、総務会長、政調会長揃い踏みだ。あ、それじゃー役に立たないか(こらこら!)。

写真を見る限り、ものすごくキレイに作れそう。でも、どの程度の精度でチョッパーの人形焼きが作れるのか。楽しみだなあ。土日になったらさっそく、作ってみようと思う。

2012/10/03 「船頭多くして船山登る」か「三人寄れば文殊の知恵」か!?

ずぅっと昔、冗談めかして、「船頭がいっぱいいたら、船も山に登ってしまえるなんて、まるで水陸両用ですごいじゃーん」みたいなことを書いた。もちろん、冗談である。ここで言う「山」というのは、こ小さな盛り上がりのことで、正確には「船頭がたくさんいてああだこうだと指示を出すので、船が陸に乗り上げてしまったよ」というようなニュアンスの言葉である。

一方で「三人寄れば文殊の知恵」という諺もあって、凡庸な人でも、集まって知恵を出し合えば文殊菩薩に匹敵するとかしないとか。とは言え、大抵、会議をやってたくさんの人が集まっても、何もアイディアは出てこないわけで、なかなか「文殊の知恵」というのは難しい。

今日はせっかくボクが素晴らしい説明文章を作文したのに、上司、その上司の上司、その上司の上司の上司に説明しているうちに、何だか奇々怪々な文章に仕上がっていった。そうやって変質していった異形の「ナニか」が最終形態になって、もはや何が何だか分からない。それでも、それを持って我が社の社長に説明するのだという。ボクとしては、全ッ然、納得できないし、当初の意図も意味も文脈もヘルタースケルターなんだけど、でも、まあ、得てしてそういうものである。

大体、ゼロから文章を書くよりも、既存の文章を直していく作業というのは難しい。何故なら、どうしたって既存の文章の言葉や語順に引っ張られる。だから、正常な思考が阻害されて、本来であればもっと単純な表現とか、ピタっと合った素敵な表現があっても、既存の文章を何とか捏ね繰りまわそうとして、いい表現が見つからない。そして、変質してしまう。最初の思惑からちょっとズレて、ちょっとズレて、結局、船は陸に乗り上げている。

きっと、明日、この作文は社長の手によってボツになることだろう。意味が分からないと言われること請け合いだ(などと安請け合い!)。そうして、また作り直しなのだろう。そんな風にして、結局、「ああ、最初の文章がよかったね」と落ち着くのである。メイビィ。

まあ、組織なんてそんなもんだ、とシニカルに嗤っておこう。

2012/10/02 やもっちゃんJr.の侵入!?

我が家にはヤモリのファミリィが棲んでいる。我が家と言っても、アパートなんだけど、4階の我が家の玄関を出たところの踊り場にあるガスや電気、水道なんかの管やメータが収納してある開きの中で暮らしているらしい。帰宅するときに、たまにちょろちょろと動いていて、ボクが寄っていくと開きの隙間から中へと逃げ込んでいく。時期によっては、お母さんヤモリが懐妊していることもあって、ヨチヨチと逃げていく。そうすると、しばらくして子供のヤモリがちょろちょろと出没するようになって、またいなくなる。その繰り返しだ。

今日は、そんな「やもっちゃんJr.」が見事に我が家に侵入してきた。ちぃ子が帰宅し、ボクが玄関を開けて出迎える。その隙に我が家に入り込んだのだ。玄関のたたきをちょろちょろと移動すると、靴箱の下に入り込んでしまった。

ヤモリ自体はかわいいものだ、と思うけれど、家の中で変に死なれたり、靴の中に入り込まれて、履いたときにぐちゃ、というのも嫌なので、必死になって追いかける。動きが素早いので、これがなかなか重労働。箒と塵取で追い回して、やっとのことで捕獲。外に追い出すことに成功した。

やれやれ。これで枕を高くして眠れるというものだ。自分の身は自分で守れるようにならなきゃいけないぞ、やもっちゃんJr.

2012/10/01 さよなら、デジカメ。

いつもの悪い癖が出た。ストレス性の腰痛だ。多分、金曜日に静岡で発表するスライドが、まだ全ッ然、完成していないことが原因だ。でも、経常業務が落ち着かないので、なかなかそちらに時間を回せない。危険だ。というわけで、今日は時間ピッタリで帰宅することにした。うちの職場って、結構、個人戦が多いのに、個人戦に時間を割くような雰囲気になっていかないので、改善が必要だ、と思う。

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今度、お仕事でパシフィコ横浜を借りることになった。会議センターと展示ホールの一部だ。その視察に出掛ける。第一印象は「広い!」ということ。ぐるぐると会場を歩くだけでもヘトヘトになってしまった。収容1000人規模のメインホールなんか圧巻で、ステージの真ん中から客席を見ると、もう、ただただ圧倒されてしまう。ステージはかなり奥行があって、これなら大掛かりな演劇をやっても大丈夫な感じだな、という感じ。ちょっとしたオーケストラなら、ばっちり乗ってしまうだろう。でも、音楽はみなとみらいホールという素敵なホールがあって、そっちはパイプオルガンまであって本格的な感じなので、ここはそういう用途では用いられないのだろう。何しろ会議センターだ。大規模な講演会で用いられる設計になっている感じがする。一人でステージに立つには、ちょっと広いかな。

同期のまっしぃ嬢はここで発表をすることになる。しかも英語で、通訳がつかないと聞いているので、これはプレッシャだな、と勝手に想像する。でも、会場が広ければ広いほど、聴衆が多ければ多いほど興奮するのは間違いないので、きっとエキサイティングでもあるだろう。頑張れ。ふふふ。

これが会場!

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職場に置きっ放しにしているマイ・デジカメを持っていって会場をあちこち撮影したけれど、マイクロ一眼に慣れてしまうと、デジカメじゃ、全ッ然、物足りないな、と感じた。ものすごく平面的な画になる。奥行き感がないのだ。まあ、今回は視察用の撮影なので、奥行き感なんか必要ないんだけど、でも、今まで、普通にデジカメだけで生きてきたときには気がつかなかった感覚だ。気にもならず、デジカメで満足していたのに、マイクロ一眼に慣れてしまうと、もう、戻れない。当たり前のことなんだけど、でも、プチ衝撃だった。

まあ、何でもそうなのかな。アルコールも、自宅やバーで飲むようになると、もう、缶酎ハイなんかとても飲めたもんじゃないって思うし、居酒屋のカクテルが薄く感じてどうしようもない。ピアノの自由度に慣れてしまうとキーボードじゃ話にならないし、純文学を読んでしまうと、ラノベの密度の薄さに身悶えする。

デジカメはデジカメで、ちょっと気軽に撮影する用に、と思っていたんだけど、どうも、そうは問屋が卸さないらしい。デジカメで満足していた頃のボクは、もう、どこか遠くへいってしまった。

2012/09/30 方舟に向かって……

鳥居みゆきのDVD『狂宴封鎖的世界「再生」』を久々に引っ張り出してきて観た。たまーに、感情が落ち込んでいるときに観たくなる。鳥居みゆきの、腹の底から湧き上がってくるような「生」への執着が心地良く感じるのだ。鳥居みゆきのネタって「死」とか「病気」とか「出産」とか「性」とかの負の部分を取り扱うものが多いけど、でも、その実、それって「生」へのものすごい執着から来るんだと思っている。

2011年04月17日に初めてこのDVDを観たときの感想を発見した。そのときの感想とまったく同じだったので、そのまんま貼りつけておこう。ペタリコ。『狂宴封鎖的世界「方舟」』のDVD、早く発売されないかなあ。

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『狂宴封鎖的世界「再生」』は『故 鳥居みゆき 告別式~狂宴封鎖的世界~』に続く作品。前作の『故 鳥居みゆき告別式~狂宴封鎖的世界~』 は「告別式」がテーマになっていて、今回のテーマは「結婚式」。だから、何となく二部構成的な雰囲気を感じた。でも、今回の「再生」の方が圧倒的に面白い。全体的なバランスとか、構成のよさとか、とにかく完成度が高い。無駄がない感じ。

大筋の物語としては、次のとおり。結婚式を目前に控えた花嫁が、ドレス姿で移動中にトラックに轢かれそうな子供を助け、代わりに交通事故に合う。そして花嫁衣裳のまま、トラックと樹木の間に挟まれて、少しでも動いたら内臓をぶちまけて死んでしまうというシチュエーション。それでも結婚式に執着する花嫁は、そのまんまの格好で結婚式を敢行しようとする。何て異常なシチュエーション! そして、鳥居みゆきの怪演。それでも結婚式に執着する女性の執念みたいなものが、すごく怖いのだ。

そんな結婚式を軸に、コントが間に差し挟まる格好で舞台は進行していくわけだけど、コントの設定だって尋常じゃない。万引きをして捕まってしまったいじめられっ娘、雪山で遭難して仲間を食べてしまった山岳部員、ゴミ屋敷に暮らす女、死刑執行を待つばかりのトラック運転手……。でも、みんな、不器用に、それでもひたむきに生きている感じがするから不思議だ。今回の作中、鳥居みゆきが「死にたくない。生きていたいよ」と呟く。それがものすごく印象的。鳥居みゆきのコントは、どうしたって「死」にまつわるものが多い。「死」とか「絶望」とか「孤独」みたいなものを剥き出しのまんま提示されるから、観ていてヒリヒリする。でも、今回のコントの中で、鳥居みゆきは「生きていくことは死への階段を一歩一歩昇っていくことだ」と言う。そして、絶望の中にありながら、それでも「生きていたい」と願う。これが、ボクにはすごく印象的だった。暗い中に、明るいものがある。

そして舞台の最後で、物語は急展開を迎える。歪な結婚式の末に訪れた意外な結末と、そして破壊。そうして、最後のコントが幕を開けて、ボクは唖然としてしまった。本当に唖然としたのだ。これまで構築していた色々な世界が、化けの皮を剥がされていくというか、ぶっ壊れていくというか。全てのコントが、結婚式を軸に次々と有機的に結びついていたのに、それが最後の最後でぶちんと断ち切られるというか。冷水を浴びせられたというのか。現実に引き戻されるというか。そのカタルシスに、圧倒された。うん。ものすごく完成された作品だと思う。

ボクも鳥居みゆきの作品って、人を選ぶよなあと思っていた。でも、今回の「再生」だったら、ボクは万人にオススメできる作品だと思う。鳥居みゆきの思想が反映されたひとつの作品として見ることができると思う。

2012/09/29 日本錫蘭化計画

スリランカ・カレーの店シンハーに行った。シンハーは元々、関内駅のそば(アパホテルの近く)にあったんだけど、ビルの老朽化の関係で馬車道駅のそばに移転していたらしい。シャッタが降りていて、そこに張り紙があったので、それを頼りに歩いていった。

スリランカといえば、魔物たちであるラークシャサ族を率いてインドラたちヴェーダ神話の神々と戦った魔王ラーヴァナの本拠地の城があったのがランカー島だったなあ、と思う。定説ではないけれど、ランカー島というのは、きっと、スリランカのことなのだろうと考えられているし、ボクもそう解釈している。トイレにスリランカの古い地図がたくさん張ってあって面白かった。こういう地図に神話の世界観を乗せながら、いろんな想像を膨らませるボクである。

スリランカ・カレー

さて、カレーの話。本格的なスリランカ・カレーだったんだろう。不思議な香草が入っていて、ちょっとびっくりした。しかもめちゃくちゃ辛い(「からい」であって「つらい」じゃない!)。非常に浅いスープ皿にカレーが入っていて、木製のスプーンですくって食べるという非効率さ。これは、現地のスタイルなんだろうか。日本のお店なのだから、そこはもう少しアレンヂしてもいいのに、と思うんだけど、でも、お店側は敢えてやっているのだろう。そうじゃなきゃ、本格っぽさが演出できない。逆に、こういうスタイルをとることで、ああ、本格なんだな、と顧客を満足させるビジネス・スタイルなのだ、と思う。

おいしかったので、また来てみたいと思う。

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馬車道駅まで行ってしまうと、関内駅に戻るのも桜木町駅に戻るのもあんまり変わらないので、桜木町駅まで歩くことにした。桜木町の方が大きな書店があったりして、ボクとしては素敵タウンだ。紀伊国屋書店で1時間くらいまったりと過ごす。多分、ボクは大きな書店で過ごす時間が一番の幸せだ。小さな本屋では見ることができないようなマイナな本とか専門書なんかがあるとテンションがあがる。

今日はそんなわけで、妖怪の本を大量に購入した。民俗学のコーナとか神話・伝承のコーナではなくって、美術のコーナに並んでいた。「江戸時代の妖怪画」というイメージの配架なんだろう。百鬼夜行絵巻とか化け物づくし絵巻みたいな当時の絵巻物を大量に集めてきたような画集と、江戸時代の妖怪画から派生してジャパン・コミックが生まれたという論調の専門書を購入。

それから、ヒップホップの基礎を記述した本も買った。いろいろとワケあってミャンマーの本も買った。薫製について記述された本がないかなあ、と思って結構、粘って探したんだけど、それは見つからなかった。残念。まあ、現代はamazonみたいなツールもあるので、まあ、いいか。でも、本は開いて自分の目で中身を確かめないと、何となく本質が分からない気がするので、直接、本屋に赴いて本を片手に値踏みするのが一番いいと思っている。

お昼にスリランカ・カレーを食べたせいかな。アジア料理のコーナにスリランカ・カレーの本が大量にあった。本として、スリランカ・カレーに需要があるのだろうか。ちょっと意外だった。「日本印度化計画」ならぬ「日本錫蘭化計画」だろうか。

2012/09/28 国盗りですじゃ!!

本日は我が社の社長との懇談会。いつから始まった制度なのか分からないけれど、社長が各事業所を回って、1時間くらい現場の担当者と話し合いをする。最初はランチミーティングだったかもしれない。お昼休みに一緒に食事をしながら……みたいなイベント。現在は業務時間内の打ち合わせになっている。

こういうイベントっていいよね。多分、お殿様が庶民のところへ遊びに来た、みたいな感覚だ。社長だって平社員だって同じ人間なんだけど、でも、ただそれだけのことで、社長がすごく身近に感じられる。だから、経営者の戦略としては非常にいい、と思う。

2012/09/27 金星人、地球人、火星人……

火星人と言えば、大抵の人はタコみたいな宇宙人を想像すると思う。大きな頭がふわふわと宙に浮かんでいて、そこから細い触手みたいな脚が申し訳程度にたくさん伸びている感じだ。このタコ型宇宙人のイメージって、あんまり深く考えている人はいないと思うんだけど、実はSF作家のH.G.ウェルズ(H.G.Wells)の描いた火星人のイメージなのだ。それ以降、SF作家たちはウェルズのイメージを踏襲していないんだけど、何故だか「火星人=タコ型宇宙人」という図式は根強く残っているから不思議だ。

最近じゃ、宇宙人といえばグレイみたいなひょろっとしたヒト型のものが多くって辟易するけど、こういうタコ型宇宙人って非常に前時代的で、アメリカの安っぽいSF最盛期の宇宙人って感じがする。古いなあって感じ。タコ型宇宙人が出てきたら、途端に世界がコメディになっちゃう感じがする。でも、相変わらず、こういう宇宙人も描かれて続けている気がする。

ところで、金星人ってどんな姿で想像するだろうか、というのが今回の本題。これは、人によって随分、違うかもしれないし、金星人なんて知らないよ、と思う人もいるかもしれない。

でも、オカルト好きなら、金星人と言えばオーソンだ。有名なコンタクティーといえば、ジョージ・アダムスキー(George Adamski)だ。え? 知らない? 知らない人はよく勉強するように(笑)。アダムスキーは宇宙人と25回も遭遇してコミュニケーションをしている人で、彼によれば、金星人は金髪で美形なのだという。名前はオーソン。金星には地球よりも進んだ高度な文明が築かれていて、テレパシーで心の中を読んでくるという。その後のコンタクティーたちも、金髪美女の宇宙人との遭遇などを語っていく。ハリウッド女優かと見紛うような金髪美女のクリスティーナという金星人の写真なんかも有名だ。

火星と金星は太陽系の中じゃ、地球のお隣さんだ。だから、非常に身近な惑星と言える。一方の火星にはタコ型のグロテスクな怪物のような宇宙人が棲み、一方の金星には高度な文明を持った金髪美形の宇宙人が棲んでいる。地球を挟んで、これだけ格差があるのには、実は思想的な背景がある。大昔のSFの世界観では、太陽系の惑星は太陽に近い側(すなわち内側)から出来上がっていったという思想が根強くあった。だから、地球よりも早く誕生した金星には、地球よりも進んだ文明がある、というわけだ。一方、地球よりも後に出来た火星、木星、土星は未開の地で、タコ型宇宙人とか怪物みたいな宇宙人が棲んでいるものとして描かれる。だから、冒険して、襲われるのである。それに、金星はヴィーナスの星なので、そのイメージも手伝って、金髪碧眼の美女として描かれることが多いというわけだ。

何となく、ね。歴史的な文脈から切り離されて、何となくそんなもんだとイメージを受け入れていることって多々あるんだけど、でも、実はちゃんと調べていくと、その背後には、何らかの文化的価値観や理由、理屈があったりする。ウェルズも、多分、そういう価値観から抜け出せていなくって、火星にタコ型の宇宙人を住まわせたのだろう。

2012/09/26 嵐。

不平や不満って、聞いているだけで疲れるので困ってしまう。出来れば楽しい話、前向きな話を聞いていたいなって思う。だから、楽しい人生を謳歌するためには、周囲の面子って非常に重要だ。ボクは、基本的に楽しい輪っかにしか入らない。前向きで、向上心があって、楽しい話をする輪っかにしか入らない。そうやって生きてきたつもりなんだけど、どうにもならないこともあるよなあ。

そんな風に思いながら、嵐が通り過ぎるのを待つ。

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