《過去の雑記》

過去の雑記496件から505件までを掲載しています。

2012/09/05 クールに決められて、敵わないなあ、もう。

人に何かを説明するというのは難しい。それを易々とやってのけられたのでビックリした。やっぱり、頭の切れる人は違うな、と思う。「分子生物学」という難しい学問を、こんなにも分かりやすく説明されてしまった。池上彰並みの適切な噛み砕き方だった。もう、ぐぅの音も出ない。うーん、感服。若いのになあ。イケメンなのになあ。天才なんだもんなあ。

ボクはいつだって、噛み砕いた説明というのに憧れつつ、どこか壁を感じている。何よりも顕著なのが自分のウェブサイト。当初のコンセプトというか、基本的な枠組みが間違ったんだけど、あんまり噛み砕いた説明になっていない。そして、そのまんま大きくなってしまったので、簡単には直っていかない。だから、さらりとやられてしまうと(もちろん、彼は真剣に中身を吟味して戦略的に取捨選択をしているのであって、外向きにはクールにさらりと見せているだけなんだけど)、憧れてしまうなあ。

2012/09/04 デンデン、デデン、デン、レッツゴー!!

くだらない話に花は咲かない。みんな、へらへらと笑っているけれど、ボクは冷めた目で眺める。今日の面子は全ッ然、つまらない。楽しくない。どうしてくれようか。いつものボクは素敵な人々に囲まれているのだ、と再認識。「またね!」と言われても、はい、さようなら。そんな気分。

こういう気分になるときって、決まってボクの調子がいいときだ。断ッ然、気が滅入っているときではない。気分がハイでノっているとき。ノっているから、ギャップに愕然とするのだ。ボクの頭がフル回転して、いろんなことに思いを馳せているときほど、多分、こういうくだらない世界に辟易する。辟易するけれど、でも、逆に、ここにビジネスチャンスがあるのだ、という自覚もある。ボクには全ッ然、必要ないものを、彼らは欲する。だから、そこには明確なビジネスチャンスがある。このビジネスチャンスに踏み込んで、彼らを食い物にする人間が金持ちになれるのである。無自覚に、搾取されていく人間と、自覚的に搾取する人間と……。さてはて。ダークだな、自分。はっはっは。

* * *

さて、と。話題は変わるけれど、何事も時間が経てば武勇伝になる。失敗も失態も、気がついたら伝説になって持て囃される。新宿歌舞伎町の夜の街で8万円をぼられた彼は、それだけで、もう、断ッ然、英雄だ。だから、何事も恐れることはない。

2012/09/03 抜き足、差し足、忍び足!!

ここのところ、ちょっとずつファンタジィ事典miniを軌道修正中。目指せ、エンターテイメントというわけで、お硬い文章を軟らかい文章へとシフトさせている。とは言え、現時点で420項目あるので、そんなに簡単じゃない。ゆっくり、ゆっくり、アルコール蒸留の精神でやっていこうと思っている。

それから徐々にミニコラムを展開中。まだ表には表れない。でも、少しずつ形にしていこうと思っている。

2012/09/02 発想とその対価

ベルトをし忘れたので、大船駅の駅ナカの無印にて購入する。便利な世の中になったなあ。大抵のものはコンビビや駅ナカで購入できてしまう。「すぐにお使いですか?」と店員さんに聞かれた。ベルトをしていないのに気付かれたのだろう。「はい!」と答えたら、すぐに値札を切ってくれたものの、何だか恥ずかしい。

* * *

「アフィリエイト」という仕事は最近、浸透してきたと思う。何となくゴミみたいなウェブサイトを大量に作ったり、自動で掲示板にペタペタとリンク目的の書き込みをしていったり、と低俗なことをしている人がたくさんいるので、どうしてもボク自身、「アフィリエイト」という言葉には、低俗な印象があって、拭えない。

でも、アフィリエイトというのは、何らかの目的を持って検索する顧客がいて、その目的物を販売したいという店舗がいる。その二つを結びつける役目を果たしている。非常にロングテール的な部分でのお互いのニーズを満足させる。そういう橋渡しをする仕事である、というのが本来的なアフィリエイトである。

昔、価格.comというのが流行った。もちろん、今も健在だ。一番、安い価格で販売している店舗なんかを見つけることができるわけだ。でも、実はこれが「アフィリエイト」だって知っている人は少ないだろう。安い販売店を紹介することで、価格.comは仲介広告料をとっているわけ。

いいとか悪いとかじゃない。日本人はどうしても金儲けにマイナスの感情を抱きやすいけれど、広告料をとって儲けやがってなどと考えてはいけない。この価格.comはものすごく人の役に立っている。あるいはユーザのニーズを満足している。だから成立する。だから大きなウェブサイトに成長できる。これが本来のアフィリエイトの姿なのだ。

何事もアイディア次第だなあ、と思う。同じことをやってもダメ。結局、発想が大切なのだ、と思う。その発想に対して、それ相応の対価がついて回る。いいことではないか、と思う。

2012/09/01 パスタイムからのパスタタイム(笑)

全身筋肉痛でぐったり。アップテンポなヒップホップってキツイね。しんどくって結局、1日、ダウンしていたような感じ。

洋光台バーガー

お昼は洋光台駅前のカフェ&バーのパスタイム。それから、夕餉はスパゲティ・アッラ・プッタネスカ(Spaghetti alla Puttanesca)。久々にイタリアン。まさにパスタイムからパスタタイムである(こらこら!)。

娼婦風スパゲッティ

プッタネスカは楽チンでいい。何しろ、アンチョビもケッパーも黒オリーブも瓶詰の既製品だし、トマトソースさえ作っておけば、ニンニクを微塵切りに、唐辛子を輪切りにするだけだ。後はパスタを茹でて、これらの材料を炒めたところにパスタを放り込むだけでいいのだから、簡単だ。でも、アンチョビの薫りが部屋中に立ち込めて、それだけで本格イタリアンな気分になれるところがいい。

ボクの手持ちのレシピは少しオイリーな感じがしたので、自分で勝手にちょっとずつオリーブ・オイルの量を削減中。それなりに自分の味覚とか身体に合うようなパスタに移行できている。いい感じだと思う。ふふふ。

2012/08/31 ヒップ、ホップ、ジャンプ♪

久々にヒップホップを踊った。全ッ然、踊れねぇでやんの、あっはっは。人が変わればクセも変わる。すごく裏拍の取り方の難しいお姉さんだな、と思いながら、一所懸命ついていく。でも、途中で何度もドロップアウト。そんなわけで、明日はメイビィ筋肉痛。

1時間踊るだけでもいい運動になる。俺たちゃ爽ー快ー人ー間ーなのさッ♪ 結構、いい年のオジサマとかもレッスンに参加していて、それなりに踊れているのだから、すごい。それに引き替え、ボクはノー・センス。まあ、そのうち、多少は踊れるようになるだろう。頑張る。

2012/08/30 型にハマること、型からハミ出すこと

「ゆとり」というのは、あって始めて気がつくのだな、と感じる。「ゆとり」を持ってやりなさい、なんて諭す言葉には、何の意味もない。ときの流れの中で、ああ、今、「ゆとり」があるな、と感じるものなのだ。

そんなわけで、最近のボクは仕事はクソみたいに忙しいけれど、「ゆとり」がある、という非常に恵まれた状況にある。多分、俯瞰的に全体を眺める立場にいるからこそ生まれた「ゆとり」で、あれもしなきゃ、これもしなきゃ、といろんなことに目が向いて、気がつく。根回ししておこうとか、事前に報告しておこうとか、先に、先に、動いていける。心理的には、とてもいい状況だ。でも、全身は緊張していて、常に戦闘モードだと思う。戦闘モードで、全力投球で、それでいて「ゆとり」があるのだから、不思議なものだな、と思っている。

* * *

型にハマるというのは大ッ嫌いなボクだけど、でも、型を知ることについては人一倍、努力している。型っていうのは、型っていうだけあって、むちゃくちゃ有効なのだ。有効だけど、面白みがない。でも、有効だという点では非常にイイのだ。困ったときには助けてくれる。

それは何にでも言えること。絵を描くときも、パースの考え方とか三原色の考え方とか、構図の取り方とか、基本に忠実にやれるということが大切で、そこからはみ出す応用力があれば、もっと無敵。文章を書くときだって、音楽をつくるときだって、料理をつくるときだって、一緒。だから、まずは簡単な基礎を勉強して、型を覚える。

* * *

会議の場で、どう説明するかという道筋を考えるとする(何も考えないで喋り始める人の何と多いことか!)。で、そのときに、「起承転結」とか「目理法結」とかPREP法とか、まあ、いろんな型を知っておくことが大事だ。自分に与えられた時間と会議の面子、最終ゴールを見据えたときに、どの手段が最有力候補か。それを考えなきゃ、勝機は逃げていく。

ボクの鉄板は、全体の大枠はPREP法で攻めて、分割していった各論は「目理法結」の繰り返し。まずは結論(Point)がある。そして、そこに至った理由(Reason)があって具体的な話(Example)がある。そして、今後の予定も含めて、もう一回、結論(Point)。

その具体的な話(Example)を「目理法結」で攻める。こうしなきゃいけない。だって、こうでしょう? こうやるんです。そうしたらこうなるんです。こういう感じ。

大枠のPREP法の部分は5分以内で説明できるようなイメージ。そして「目理法結」の各論の部分もそれぞれ5分以内。それを積み上げていく。5分で説明できないものは、1時間かけても説明できない。それに、時間がない。いつ会議が終了してもいいように、結論が何度も登場して、そこで何度も議論が終わっていた方がいい。

* * *

そんなことを、常に考えながら生きているよ、というお話。

2012/08/29 貶める!?

週刊誌なんかを読んでいて、ときに不快になることって結構あるんだけど、みんなはどうなんだろうか。誰かを貶める目的で書かれた記事って、読んでいて面白いのだろうか。誰某は視聴率が取れないとか、実は現場では性格が悪いとか、誰某と不倫しているとか、彼女はもう賞味期限だとか、いろいろと心ない言葉に満ちていて、ボクの場合、そういうのは、どうも生理的に受け付けない。読んでいて悲しくなるというか、何かが搾り出されて、ぽっかりと自分の中身が空っぽになるような感じがする。

そんなわけなので、極力、前向きかつ明るい文章を書くようにしよう。そんな風な反面教師。

あ、でも、ボクの場合、音楽は底抜けに暗くって、心を抉るような言葉が並んでいた方が、うきうきしてくるけど、ね。ふふふ。

2012/08/28 ココネーゼ

結局、9時半過ぎまで職場。最近、仕事が盛りだくさん。嬉しくない悲鳴である。

* * *

最近、スマートフォン上で、ココネ株式会社のアプリに勤しんでいるボクだ。英語教材。毎日、イヤフォンで楽しんでいる。

随分昔(と言っても半年くらい前)、英語学習サイト「ココネ」というウェブサイトがあった。FLASHを駆使して、オンライン上で英語が学習できるという画期的なウェブサイトだった。今はもうない。何故、閉鎖してしまったのか、本当のところはよく分からない。でも、無料で大半の部分が楽しめたので、採算性の問題だろうと想像される。

正直、ボクとしては、よく、あれだけのサービスを無料で公開していたもんだな、と思う。驚きだ。本来であれば、価値あるものには、それなりの対価を支払うべきだ、とは思っている。その辺のスタート時点での設計思想が、ちょっと生温かったのかもしれない。日本人は「安い」とか「タダ」というのに弱くって、本当の物の価値を知らない人が多い。

閑話休題。今、ココネのスタッフは、スマートフォン用のアプリを鋭意、開発、販売している。当初から、徐々にスマホに意向していく雰囲気はあった。有料アプリだ。もちろん、それはいいと思う。それでいい。でも、残念ながら、無料だった頃の英語学習サイト「ココネ」ほどのクオリティはない。かつての方が断ッ然、クオリティが高かった。いろいろなゲームがあったけど、総合的に学習できた。単語は辞書とリンクしていたし、用例も豊富で、イラストで英語のニュアンスを説明してくれた。トータルで英語に向き合えた。

スマートフォン用のアプリは、だから、もう一歩という感じ。金額的には安いので、対価としてはそれで充分。文句はないんだけど、でも、どうしたって、ボクとしては、あの当時のクオリティと比較してしまう。

スマホは小さなPCとは言うものの、やっぱりPCにはなれない。単語をキーボードで打てるというのは重要で、断然、早い。マウスによる選択速度も、タッチパネルよりも断然早いのだ。だから成立していた。あれをスマホ上で再現するのは、正直、難しいだろうな、と思う。

一度はあれだけのシステムをオンライン上に作り上げたのだ。あのシステムを、無料じゃなくていいから、また復活して欲しいと思う。有料でも、月に1,000円くらいは払えるよ?

2012/08/27 バラバラの実を食べた河童!?

昨夜からイラストを描き始めた。妖怪のイラスト。ファンタジィ事典に掲載するためのイラストだ。

たまーに絵を描いてないとヘタっぴになるんじゃないかという恐怖に襲われる。文章なんかはすぐにヘタっぴになる。書けば書くほど、文章がノってくるというか、書きたいことが書けるようになってくる感覚がある。ギターもそうだ。すぐに指がプニプニしてコードが押さえられなくなる。Fコードなんか苦しくなる。

だから、絵もきっと、描かないでいる間にどんどんヘタっぴになるんじゃないだろうか。そう思って怖くなるんだけど、でも、ボクの場合、不思議なことだけど、絵はあんまりヘタっぴにならない。むしろどんどん客観的になっていく。

昔は絵がヘタっぴになる瞬間もあった。立体感とか動きとかの表現力曲線があるとすれば、ぐいぐいと落下していく感覚。そしてフリダシに戻る。でも、最近はそうならない。

このくらいのペースでイラストを描いていけたら、人生、幸せだな、と感じる。

* * *

ワロドン

この絵はワロドン。鹿児島県に伝わる河童の仲間。身体をバラバラにされても再び元に戻る。ちょっとバギーみたいなヤツだな、と思ったりする。こいつが復活しないようにするには、バラバラになった肉片をひとつ食べてしまえばいいというのだけれど、河童の肉を食べるのはちょっと生臭いんじゃないか、と想像する。

>> もっと古い雑記を見る