《過去の雑記》

過去の雑記446件から465件までを掲載しています。

2012/10/18 会議場で浮かれビート!!

朝から方々を回って会議、会議、会議……。1日に全部で会議が4つ。もう、ヘトヘトだ。でも、デスクに座ってまんじりとPCに向かっているよりは時間が経つのが早いし、移動中に身体を動かすので、気分的には楽ちんかな。それに、少しでも現場に出向いて、そこで直接、担当者と相対してディスカッションするというのが大切だ、と最近、強く感じている。

でも、時間外にいきなり会議勃発。もう、就業時間が終わった後に「もうひとつ、アディショナルで会議を開催したい」と言われて、まさかの場外会議に巻き込まれる。そこから2時間の長丁場。

でも、ぐねぐねうねうねと混沌とした会議ではなくって、ちゃんと建設的かつ前向きに話が進んでいったので、まあ、生産的な会議だった。珍しい。結構、ボク自身も発言できたし、参加した意味はあっただろう、と思う。

2012/10/17 ベトナムの貨幣とアメリカの貨幣を交換してくれる悪魔www!?

台風21号は「プラピルーン(Prapiroon)」という名前が付けられているらしい。これ、タイの雨の神さまなのだという。でも、ネットで検索しても出て来ない。もう、ね。台風21号関連の話題でしか引っ掛からないのだ。英語でやっても同じだ。「プラピルーン」というのをタイ文字で入力してみないと、タイの神話・伝承は引っ掛からないのかもしれない。もしかしたら、タイでもマイナな神さまなのかもしれない。タイ文字って分からないからなあ。どこかに、タイから来た留学生とかいないかなあ(遠望)。

* * *

本日、ようやくドンドルマがうまく出来た。多分、3回目だと思う。トルコのスーパーで粉末を大量に購入。帰国後、ヤギ・ミルクを通販で購入。そして、試行錯誤しながら作っていたんだけど、うまく伸びるアイスにならなかった。そんなわけで、今回はネットで事前にいろいろと調査してから作ってみたよ。事前の準備は大切だ。

凍らせたものを「よく混ぜる」という行為が重要らしいので、固くなってきても必死で混ぜる。だんだん箆(へら)を掻き回すのを大変になってくるんだけど、それでも混ぜる。混ぜる。混ぜる。そうして、だんだんとそれっぽくなってきた。やったー。

伸びろ、ドンドルマ!

そんなわけで、伸びるアイス、ドンドルマの出来上がりだ。トルコ人によれば、うっかり喉に詰まらせる危険があるとのことで、水をコップに入れて、一緒にサーブするものらしい。だから、我々も水道水を準備してから食べる。美味し。これこれ。こんな感じのドンドルマが作りたかったのだ、と嬉しくなった。

* * *

ちなみに、マイPCで「ドンドルマ」って打つと「ドンドル魔」って変換される。どんな悪魔だよ。妖艶なる飛縁魔(ひのえんま)みたいなものか? ベトナムの貨幣とアメリカの貨幣を交換してくれる悪魔だったりして(こらこら)。

2012/10/16 ベランダで燻製ライフ

今日はお仕事をお休みして、昼頃からベランダで燻製づくり。本日のスモーキング・ウッドは「サクラ」を使うことにする。木が違うことで、どれだけ燻製の出来上がりの味が変わるのだろうか。本ではいろいろと書いてあるけれど、初心者のボクには非常にクエスチョン。いろいろと試していく中で検討していこうと思っている。その第一弾として、本日は「サクラ」でチャレンヂ。サグラダ・ファミリア!

ベランダで燻製

燻製の素材としてはいろいろとやってみた。ソーセージ、たまご、チーズ、ナッツ類……。結論から言えば、前回、「ミックス」のスモーキング・ウッドで燻製にしたときよりも燻臭い感じがある。そして若干、酸味があるかな。いろいろとやっていけば、コーヒーみたいに、ある程度、こういうのもコントロールできるようになるだろうか。うん。頑張ろう。

2012/10/15 たまには本音の吐露。

現場を見ることなく設計をする。というのが巷で流行っているらしい。というのはもちろん皮肉である。などと書いてストレス発散しなきゃやっていられないのだ。という事情をご理解あれ。などとめちゃくちゃ書いている。さてはて。

そんなわけで、随分、検討を進めた挙句に、蓋を開けてみたら施工できないとか、全ッ然、現場条件が違ったとか、いろいろとトラブル続きだ。基本的には、まず、現場を知るというのが設計の大前提だ、とボクは思う。少なくとも、ボクはそうやって設計をやってきた。人間の想像力って限界があって、机上の空論じゃ追いつかない。現場の空気感とか、そこに立ったときの印象とかが物を言う。いろんなことに配慮しようと思ったら、まずはその場所に行って、現場に立って、よく見る。そうすると、想定していなかったものが見えてくる。それをちゃんと設計に反映させてあげる必要がある。現場主義って、そういうもんだと思っている。

2012/10/14 始動。

年末に向けて、もう一度、「雑誌」をつくろうと決心した。結婚式のときに「自己紹介の本」という雑誌をつくった。あれをもう一度やってみようと思ったわけ。第三者に対して自分の趣味とか世界観を説明するというのは難しい。だから、非常に勉強になるなあ、と思っている。その前段としてゆるゆると準備作業を進める。1時間くらい、ちぃ子と打ち合わせ。それからページ割に合わせて必要な素材のチェック。それから、これからつくる必要のある素材のリストアップ。おぼろげに各ページの内容のイメージが固まってきた。K係長から続編を期待されていたので、それに応えられるように頑張ろうと思う。

2012/10/13 カルボナーラ♪

今日は念願のカルボナーラをつくる。

本格カルボナーラ

サルサ・ポモドーロ(つまり、トマトソースのことだけど!)のパスタばっかりつくっていたんだけど、そろそろ自分の味がつくれるようになったので、今度は別のパスタも、ということで、カルボナーラ。

塊のままのパンチェッタを購入してきて、必要な量だけ切り取って炒める。それからチーズも、塊のまま買ってきて、卸(おろ)す。本場ローマのカルボナーラは生クリームを使わない。卵とチーズとパンチェッタを炒めた残りのオリーブ・オイルを混ぜ合わせる。そこがイイ。チーズも塊を買ってきて、それを削って粉にして振り掛ける。うん。旨し。

鳥居みゆきが好きだというカルボナーラは、ファミレスの安いカルボナーラと、本場ローマのカルボナーラと、どっちなのだろうか。ふふふ。

2012/10/12 本は一期一会である!

何が幸せって、本屋さんにいるときだ。ぐるぐると本屋さんを回っている時間。コーナを端から端まで眺めていく。そして、新しい本に出遭う。

世の中には色んな本があるもので、どんどん新しい本も出版されてはいるんだけど、大昔に出版された本で、ボクが出遭っていなかった本との邂逅の瞬間が最高にいい。ああ、そうそう。こういう本に出遭いたかったのだ、と確信する。そのうち半分は大失敗で、もう半分は大当たり。精度は大体、五分五分ってところ。

でも、逡巡すると、大抵の場合、本屋さんではもう出遭えない。そんなもんだ。だから、多少、高額でも、そこは「買い」なのだ。躊躇って帰ってきて、それから欲しいと思っても、巡り会えない。

最近は、ね。Amazonみたいな素敵本屋があるので、タイトルさえメモっておけば、フォローできる。でも、お手軽にメモで済ましてしまえるので、そういうメモが知らない間に積み重なっていて、大群になって押し寄せてくるので、頭の中で何が何やら分からない。結局、一期一会が大切なのだ。

そんな本屋さん巡りに精を出す最近である。

2012/10/11 何事も体験してみないと分からない

自家製燻製って1日置いた方がいい。燻製って基本的には、「塩漬け」→「塩抜き」→「乾燥」→「燻製」→「熟成」というプロセスを踏む。まあ、「塩漬け」のプロセスが省略できるパターンもたくさんあるんだけど、基本的には「燻製」の後には「熟成」というプロセスが入る。「熟成」と書いてあっても、何をするわけでもない。ただ、燻製が終わった食べ物を外気に晒すというだけ。要するに置いておくってこと。1日置くとか、2、3日置くとか、ものによって違う。

最初、この1日置くっていうのに何の意味があるのだろうかって思っていた。でも、やってみて分かる。全ッ然、味が違う。燻製してすぐって燻臭(いぶくさ)い。そして、表面だけが燻製って感じ。でも、1日置くと、全身に燻製の味が回って、独特の風味がつく。やっぱり、体験してみたいな分からないことっていっぱいあるよなあ。

2012/10/10 U字工事

後輩氏、ただいま会議資料のとりまとめをしている。各課から資料が提出フォルダに提出されるが、締切になったので、フォルダ名を「締め切りました(有事の際は連絡ください)」にしていた。この表現が面白いな、と思った。非常に彼らしい。素敵だ。

基本的に、彼の作成するファイルの名前はどこかおかしい。稀に、頭に「必殺~」とついていたりする。何が必殺なのか分からないけれど、彼にしてみれば、このファイルで無敵だ、という意識があるのだろう。

「有事」の意味について調べてみた。デジタル大辞泉によれば、「戦争や事変など、非常の事態が起こること」だという。「有事の際は連絡ください」ということは、戦争や事変が起こったとき、ということになる。さてはて。そんな事態になったときに、彼に連絡したら、反応してくれるだろうか(ニヤリ)。 日本語って難しい。

2012/10/09 Javascriptの可能性に嬉しい悲鳴!?

Javascriptの話。Javascriptってすごい。いろんな可能性があるんだなあ。小さい写真のアイコンがたくさん並んでいて、その小さなアイコンをクリックすると、大きな写真がふわーって画面の真ん中に出て来るウェブサイトって最近、結構、あると思うんだけど、あれってJavascriptで制御されていたんだねえ。どうやってやるのかなあって思っていて、FLASHとかPHPとか必要なのかなあって思っていたんだけど、実はただのJavascriptだったという。まあ、ね。最近はFLASHのウェブサイトも増えてきたし、同じことをFLASHでやっている人もいるのかもしれないけれど、Javascriptで出来るのなら、チャレンヂしてみてもいいなあって思ってしまった。

ちょうど、ね。結婚式を挙げた友人がいて、そのときの写真を写真共有サイトみたいなところにあげようか、と思ったりもするんだけど、意外と使い方が分からないから活用されない。そんなに難しいことはなくって、ただパスワードを入れてログインしてもらって、写真をクリックして、必要があればダウンロードするだけなんだけど、ね。複雑なシステムがあるような印象を抱かせるのだろう。

だから、html上に写真を並べて、ちゃっちゃっとウェブサイトをつくったら、抵抗なく活用してもらえるかな、というところ。で、どうせ写真をたくさん並べるのなら、上述のようなシステムを簡単につくれないかなあって思っていたら、Javascriptのサンプルがいくつか出て来た。そんなわけで、ちょっとチャレンヂ中。

2012/10/08 この博識さ加減に驚嘆!?

今日は体育の日。全ッ然、知らないでお休みしていた。だから、運動はしていない。はっははー。まあ、最近、1週間に1度の頻度でヒップホップを踊っていて、これが結構ハードなので、運動不足にはならないだろう。

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加藤元浩の漫画が面白くって、本屋さんを巡る旅。ずぅっと『Q.E.D. 証明終了』が面白いと思っていたんだけど、最近、『C.M.B. 森羅博物館の事件目録』が面白いな、と感じるようになった。同じミステリィなんだけど、前者は数学とか物理がテーマになっていて、後者は考古学とか歴史、それから生物学みたいないろんなジャンルがテーマになっていて、作者の博識さに驚かされる。テーマが広がった分、懐も広げられた感じがする。それに、警部の娘という設定で立ち回るよりも、大英博物館が認める賢者という肩書きの方がキャラクタたちを大事件に巻き込みやすそうだ。半ば立ち位置がファンタジィなので、どんな舞台設定でも、場所でも、犯人でも受け入れられる。それに、動機の部分の描き方が面白い、と思う。日常のちょっとした殺意よりも、もっといろんな動機が登場する。それって、多分、この世界観に負うところが大きいな、と思う。そんなわけで本屋さんを巡って続編を探し続けている。


『Q.E.D―証明終了―』


『C.M.B.森羅博物館の事件目録』

2012/10/07 チョッパー焼き!

チョッパーの人形焼きをつくったよ。想定以上のクオリティだった。ビックリ! ……でも、取扱説明書のとおりの分量でつくってみたものの、こんなには食べきれない。

見事なチョッパー焼き

2012/10/06 インド展に行ってきた!

横浜ユーラシア文化館で開催されている日印国交樹立60周年記念「特別展華麗なるインド神話の世界」の展覧会に行った。

ポスター

印象的だったのは、神々がそれぞれ自分を象徴するアイテムとか動物と一緒に描かれているというところ。もちろん、どこの神話の絵や彫刻だって似たり寄ったりで、その神さまを象徴するアイテムが添えられる。そうじゃなきゃ、ぱっと見て区別できない。逆に、そういうアイテムが添えられていることで、その絵がどの神さまなのか分かるって寸法。でも、インド神話の絵は、そういうところが徹底されている。シヴァ神だったら、頭からガンジス川の水が溢れていたり、白牛ナンディンが横に添えられている。ガネーシャの近くには常にネズミが描かれているし、大好物のモーダカというお饅頭も添えられている。ぱっと見た瞬間に、あっちこっちにその神さまにまつわるアイテムが散らばっている。その徹底っぷりがおかしかった。

それから、もうひとつ印象的だったのは、シヴァ・ファミリーという絵。何枚かあったんだけど、シヴァとパールヴァティーの夫婦と、息子のガネーシャが描かれている。スカンダもシヴァとパールヴァティーの息子なのに、この展覧会のシヴァ・ファミリーという絵はどれもスカンダは描かれていない。まあ、それはいいんだけど、問題はガネーシャだ。すごく小さい。シヴァとパールヴァティーの半分くらいの大きさ。半分の大きさで描くことで、さも、二人の子供だよーってアピールをしている。でも、それがものすごく違和感がある。ゾウさんの頭なのに小さいなあとか、神さまなのに小さいなあとか、神さまって成長するんだなあーみたいな不思議な感じもあるし、ガネーシャといえばでっぷりした腹で巨体で……という印象を覆して、ものすごく子供の雰囲気で描かれていて、この辺がインド人のガネーシャに対する感覚なのだろう。斬新な感覚だった。

2012/10/05 土蜘蛛との遭遇!?

静岡に向かう電車なう。

今朝、出掛けに体長10センチはあろうかという巨大な蜘蛛と遭遇。玄関先で、蜘蛛の巣にかかってしまってビックリして見上げると、黄色と黒の縞模様の巨大な蜘蛛。静岡まで行かなきゃいけないっていう状況なので、大慌てで蜘蛛の巣を振り払って出て来たけど、発狂しそうだった。

あんなに大きな蜘蛛は見たことがないなあ。妖怪みたい。土蜘蛛を思い出してしまったよ。でっかい蜘蛛の妖怪で、脇腹切ったら、そこから無数の蜘蛛が湧き出してくるの。怖いー。

土蜘蛛!

* * *

終わたー。80分喋り続けるのはしんどい。でも、たまーに頷いている人がいると安心する。観客の中に味方を見つける、というマニュアル本の記述は、本当にそのとおりだな、と思う。もう、ね。その人の反応を見ながら喋る感じだ。

……あ、でも、マニュアル人間はダメ、絶対。

2012/10/04 そして「文殊の知恵」が発動!?

やっぱり船は山に登った。そして、一度、原点回帰して、でも、それから船は新天地へと赴いた。まさかの文殊の知恵、発動である。さてさて。何の話だろうね。

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明日は静岡で講師。こういうの、基本的には全ッ然、緊張はしないんだけど、PowerPointが間に合っていないので、心の底ではあたふたしているよ。あっはっはー。珍しくここ数日、係長がテンパっているので、フォローに回る。もちろん、それが係員の心得ではあるけれど、一体、何があったのであろうか。「何でもそつなくこなす」がキャッチコピーの係長なのに。

そう言えば、全ッ然、話は変わるけど、「テンパる」って、《上がりの準備は整った》《準備万端》って意味のハズなのに、いつの頃から、アップセットしている状態のことを指すようになったんだろうね。天然パーマの人ってテンパっていると言えるだろうか。ちゃんと調律されたら、それってテンパられたピアノだろうか。何を言っているのだろうか。

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チョッパーの人形焼き!

ちぃ子がチョッパーの人形焼きマシーンを買ってきてくれた。イオンの店舗だけの限定販売。ホットサンド、ワッフル、そしてチョッパーの人形焼きが作れる優れもの。一家に一台で三役。まさに幹事長、総務会長、政調会長揃い踏みだ。あ、それじゃー役に立たないか(こらこら!)。

写真を見る限り、ものすごくキレイに作れそう。でも、どの程度の精度でチョッパーの人形焼きが作れるのか。楽しみだなあ。土日になったらさっそく、作ってみようと思う。

2012/10/03 「船頭多くして船山登る」か「三人寄れば文殊の知恵」か!?

ずぅっと昔、冗談めかして、「船頭がいっぱいいたら、船も山に登ってしまえるなんて、まるで水陸両用ですごいじゃーん」みたいなことを書いた。もちろん、冗談である。ここで言う「山」というのは、こ小さな盛り上がりのことで、正確には「船頭がたくさんいてああだこうだと指示を出すので、船が陸に乗り上げてしまったよ」というようなニュアンスの言葉である。

一方で「三人寄れば文殊の知恵」という諺もあって、凡庸な人でも、集まって知恵を出し合えば文殊菩薩に匹敵するとかしないとか。とは言え、大抵、会議をやってたくさんの人が集まっても、何もアイディアは出てこないわけで、なかなか「文殊の知恵」というのは難しい。

今日はせっかくボクが素晴らしい説明文章を作文したのに、上司、その上司の上司、その上司の上司の上司に説明しているうちに、何だか奇々怪々な文章に仕上がっていった。そうやって変質していった異形の「ナニか」が最終形態になって、もはや何が何だか分からない。それでも、それを持って我が社の社長に説明するのだという。ボクとしては、全ッ然、納得できないし、当初の意図も意味も文脈もヘルタースケルターなんだけど、でも、まあ、得てしてそういうものである。

大体、ゼロから文章を書くよりも、既存の文章を直していく作業というのは難しい。何故なら、どうしたって既存の文章の言葉や語順に引っ張られる。だから、正常な思考が阻害されて、本来であればもっと単純な表現とか、ピタっと合った素敵な表現があっても、既存の文章を何とか捏ね繰りまわそうとして、いい表現が見つからない。そして、変質してしまう。最初の思惑からちょっとズレて、ちょっとズレて、結局、船は陸に乗り上げている。

きっと、明日、この作文は社長の手によってボツになることだろう。意味が分からないと言われること請け合いだ(などと安請け合い!)。そうして、また作り直しなのだろう。そんな風にして、結局、「ああ、最初の文章がよかったね」と落ち着くのである。メイビィ。

まあ、組織なんてそんなもんだ、とシニカルに嗤っておこう。

2012/10/02 やもっちゃんJr.の侵入!?

我が家にはヤモリのファミリィが棲んでいる。我が家と言っても、アパートなんだけど、4階の我が家の玄関を出たところの踊り場にあるガスや電気、水道なんかの管やメータが収納してある開きの中で暮らしているらしい。帰宅するときに、たまにちょろちょろと動いていて、ボクが寄っていくと開きの隙間から中へと逃げ込んでいく。時期によっては、お母さんヤモリが懐妊していることもあって、ヨチヨチと逃げていく。そうすると、しばらくして子供のヤモリがちょろちょろと出没するようになって、またいなくなる。その繰り返しだ。

今日は、そんな「やもっちゃんJr.」が見事に我が家に侵入してきた。ちぃ子が帰宅し、ボクが玄関を開けて出迎える。その隙に我が家に入り込んだのだ。玄関のたたきをちょろちょろと移動すると、靴箱の下に入り込んでしまった。

ヤモリ自体はかわいいものだ、と思うけれど、家の中で変に死なれたり、靴の中に入り込まれて、履いたときにぐちゃ、というのも嫌なので、必死になって追いかける。動きが素早いので、これがなかなか重労働。箒と塵取で追い回して、やっとのことで捕獲。外に追い出すことに成功した。

やれやれ。これで枕を高くして眠れるというものだ。自分の身は自分で守れるようにならなきゃいけないぞ、やもっちゃんJr.

2012/10/01 さよなら、デジカメ。

いつもの悪い癖が出た。ストレス性の腰痛だ。多分、金曜日に静岡で発表するスライドが、まだ全ッ然、完成していないことが原因だ。でも、経常業務が落ち着かないので、なかなかそちらに時間を回せない。危険だ。というわけで、今日は時間ピッタリで帰宅することにした。うちの職場って、結構、個人戦が多いのに、個人戦に時間を割くような雰囲気になっていかないので、改善が必要だ、と思う。

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今度、お仕事でパシフィコ横浜を借りることになった。会議センターと展示ホールの一部だ。その視察に出掛ける。第一印象は「広い!」ということ。ぐるぐると会場を歩くだけでもヘトヘトになってしまった。収容1000人規模のメインホールなんか圧巻で、ステージの真ん中から客席を見ると、もう、ただただ圧倒されてしまう。ステージはかなり奥行があって、これなら大掛かりな演劇をやっても大丈夫な感じだな、という感じ。ちょっとしたオーケストラなら、ばっちり乗ってしまうだろう。でも、音楽はみなとみらいホールという素敵なホールがあって、そっちはパイプオルガンまであって本格的な感じなので、ここはそういう用途では用いられないのだろう。何しろ会議センターだ。大規模な講演会で用いられる設計になっている感じがする。一人でステージに立つには、ちょっと広いかな。

同期のまっしぃ嬢はここで発表をすることになる。しかも英語で、通訳がつかないと聞いているので、これはプレッシャだな、と勝手に想像する。でも、会場が広ければ広いほど、聴衆が多ければ多いほど興奮するのは間違いないので、きっとエキサイティングでもあるだろう。頑張れ。ふふふ。

これが会場!

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職場に置きっ放しにしているマイ・デジカメを持っていって会場をあちこち撮影したけれど、マイクロ一眼に慣れてしまうと、デジカメじゃ、全ッ然、物足りないな、と感じた。ものすごく平面的な画になる。奥行き感がないのだ。まあ、今回は視察用の撮影なので、奥行き感なんか必要ないんだけど、でも、今まで、普通にデジカメだけで生きてきたときには気がつかなかった感覚だ。気にもならず、デジカメで満足していたのに、マイクロ一眼に慣れてしまうと、もう、戻れない。当たり前のことなんだけど、でも、プチ衝撃だった。

まあ、何でもそうなのかな。アルコールも、自宅やバーで飲むようになると、もう、缶酎ハイなんかとても飲めたもんじゃないって思うし、居酒屋のカクテルが薄く感じてどうしようもない。ピアノの自由度に慣れてしまうとキーボードじゃ話にならないし、純文学を読んでしまうと、ラノベの密度の薄さに身悶えする。

デジカメはデジカメで、ちょっと気軽に撮影する用に、と思っていたんだけど、どうも、そうは問屋が卸さないらしい。デジカメで満足していた頃のボクは、もう、どこか遠くへいってしまった。

2012/09/30 方舟に向かって……

鳥居みゆきのDVD『狂宴封鎖的世界「再生」』を久々に引っ張り出してきて観た。たまーに、感情が落ち込んでいるときに観たくなる。鳥居みゆきの、腹の底から湧き上がってくるような「生」への執着が心地良く感じるのだ。鳥居みゆきのネタって「死」とか「病気」とか「出産」とか「性」とかの負の部分を取り扱うものが多いけど、でも、その実、それって「生」へのものすごい執着から来るんだと思っている。

2011年04月17日に初めてこのDVDを観たときの感想を発見した。そのときの感想とまったく同じだったので、そのまんま貼りつけておこう。ペタリコ。『狂宴封鎖的世界「方舟」』のDVD、早く発売されないかなあ。

* * *

『狂宴封鎖的世界「再生」』は『故 鳥居みゆき 告別式~狂宴封鎖的世界~』に続く作品。前作の『故 鳥居みゆき告別式~狂宴封鎖的世界~』 は「告別式」がテーマになっていて、今回のテーマは「結婚式」。だから、何となく二部構成的な雰囲気を感じた。でも、今回の「再生」の方が圧倒的に面白い。全体的なバランスとか、構成のよさとか、とにかく完成度が高い。無駄がない感じ。

大筋の物語としては、次のとおり。結婚式を目前に控えた花嫁が、ドレス姿で移動中にトラックに轢かれそうな子供を助け、代わりに交通事故に合う。そして花嫁衣裳のまま、トラックと樹木の間に挟まれて、少しでも動いたら内臓をぶちまけて死んでしまうというシチュエーション。それでも結婚式に執着する花嫁は、そのまんまの格好で結婚式を敢行しようとする。何て異常なシチュエーション! そして、鳥居みゆきの怪演。それでも結婚式に執着する女性の執念みたいなものが、すごく怖いのだ。

そんな結婚式を軸に、コントが間に差し挟まる格好で舞台は進行していくわけだけど、コントの設定だって尋常じゃない。万引きをして捕まってしまったいじめられっ娘、雪山で遭難して仲間を食べてしまった山岳部員、ゴミ屋敷に暮らす女、死刑執行を待つばかりのトラック運転手……。でも、みんな、不器用に、それでもひたむきに生きている感じがするから不思議だ。今回の作中、鳥居みゆきが「死にたくない。生きていたいよ」と呟く。それがものすごく印象的。鳥居みゆきのコントは、どうしたって「死」にまつわるものが多い。「死」とか「絶望」とか「孤独」みたいなものを剥き出しのまんま提示されるから、観ていてヒリヒリする。でも、今回のコントの中で、鳥居みゆきは「生きていくことは死への階段を一歩一歩昇っていくことだ」と言う。そして、絶望の中にありながら、それでも「生きていたい」と願う。これが、ボクにはすごく印象的だった。暗い中に、明るいものがある。

そして舞台の最後で、物語は急展開を迎える。歪な結婚式の末に訪れた意外な結末と、そして破壊。そうして、最後のコントが幕を開けて、ボクは唖然としてしまった。本当に唖然としたのだ。これまで構築していた色々な世界が、化けの皮を剥がされていくというか、ぶっ壊れていくというか。全てのコントが、結婚式を軸に次々と有機的に結びついていたのに、それが最後の最後でぶちんと断ち切られるというか。冷水を浴びせられたというのか。現実に引き戻されるというか。そのカタルシスに、圧倒された。うん。ものすごく完成された作品だと思う。

ボクも鳥居みゆきの作品って、人を選ぶよなあと思っていた。でも、今回の「再生」だったら、ボクは万人にオススメできる作品だと思う。鳥居みゆきの思想が反映されたひとつの作品として見ることができると思う。

2012/09/29 日本錫蘭化計画

スリランカ・カレーの店シンハーに行った。シンハーは元々、関内駅のそば(アパホテルの近く)にあったんだけど、ビルの老朽化の関係で馬車道駅のそばに移転していたらしい。シャッタが降りていて、そこに張り紙があったので、それを頼りに歩いていった。

スリランカといえば、魔物たちであるラークシャサ族を率いてインドラたちヴェーダ神話の神々と戦った魔王ラーヴァナの本拠地の城があったのがランカー島だったなあ、と思う。定説ではないけれど、ランカー島というのは、きっと、スリランカのことなのだろうと考えられているし、ボクもそう解釈している。トイレにスリランカの古い地図がたくさん張ってあって面白かった。こういう地図に神話の世界観を乗せながら、いろんな想像を膨らませるボクである。

スリランカ・カレー

さて、カレーの話。本格的なスリランカ・カレーだったんだろう。不思議な香草が入っていて、ちょっとびっくりした。しかもめちゃくちゃ辛い(「からい」であって「つらい」じゃない!)。非常に浅いスープ皿にカレーが入っていて、木製のスプーンですくって食べるという非効率さ。これは、現地のスタイルなんだろうか。日本のお店なのだから、そこはもう少しアレンヂしてもいいのに、と思うんだけど、でも、お店側は敢えてやっているのだろう。そうじゃなきゃ、本格っぽさが演出できない。逆に、こういうスタイルをとることで、ああ、本格なんだな、と顧客を満足させるビジネス・スタイルなのだ、と思う。

おいしかったので、また来てみたいと思う。

* * *

馬車道駅まで行ってしまうと、関内駅に戻るのも桜木町駅に戻るのもあんまり変わらないので、桜木町駅まで歩くことにした。桜木町の方が大きな書店があったりして、ボクとしては素敵タウンだ。紀伊国屋書店で1時間くらいまったりと過ごす。多分、ボクは大きな書店で過ごす時間が一番の幸せだ。小さな本屋では見ることができないようなマイナな本とか専門書なんかがあるとテンションがあがる。

今日はそんなわけで、妖怪の本を大量に購入した。民俗学のコーナとか神話・伝承のコーナではなくって、美術のコーナに並んでいた。「江戸時代の妖怪画」というイメージの配架なんだろう。百鬼夜行絵巻とか化け物づくし絵巻みたいな当時の絵巻物を大量に集めてきたような画集と、江戸時代の妖怪画から派生してジャパン・コミックが生まれたという論調の専門書を購入。

それから、ヒップホップの基礎を記述した本も買った。いろいろとワケあってミャンマーの本も買った。薫製について記述された本がないかなあ、と思って結構、粘って探したんだけど、それは見つからなかった。残念。まあ、現代はamazonみたいなツールもあるので、まあ、いいか。でも、本は開いて自分の目で中身を確かめないと、何となく本質が分からない気がするので、直接、本屋に赴いて本を片手に値踏みするのが一番いいと思っている。

お昼にスリランカ・カレーを食べたせいかな。アジア料理のコーナにスリランカ・カレーの本が大量にあった。本として、スリランカ・カレーに需要があるのだろうか。ちょっと意外だった。「日本印度化計画」ならぬ「日本錫蘭化計画」だろうか。

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