《日々の雑記》
2023年7月26日 南米の妖怪は都市伝説でも活躍!?
ウェブサイト「ファンタジィ事典」では、ちょっと前に『南米妖怪図鑑』(文:ホセ・サナルディ,画:セーサル・サナルディ,ロクリン社,2019年)をベースに、南米の妖怪をまとめていた。朝里樹氏の本だと、コルポ・セーコやシルボーンみたいな、いわゆる南米の妖怪たちが、都市伝説のカテゴリーとして紹介されていて、面白いな、と思っている。正直、あんまり、南米の妖怪を取り上げている日本の書籍は少なくて、ボクも『南米妖怪図鑑』を手掛かりに、スペイン語やポルトガル語のウェブサイトを当たって確認作業を行っていたわけだけど、こうやって、朝里氏が都市伝説の文脈で南米の妖怪を取り上げてくれるのは楽しい。
2023年7月24日 教育現場とeスポーツ!?
巷ではeスポーツが流行っているらしく、しかも教育の現場にも取り入れられているらしい。
息子が小学校からチラシをもらってきて「是非、行きたい!」と強く主張するので、夏休みでもあるので、体験入学してみた。マイクラの世界で、複数のメンバーで共同作業で建物をつくるというプログラムだ。1回目の体験では、クリエイティブ・モードで赤い枠の中で、自由に建物を建設する。どんな建物をつくるか計画段階で説明をして、30分経ったところで進捗を確認し、残りの30分の完成予想をして、軌道修正の計画を立てて、再度、建設をする。2日目はサバイバル・モードで、材料調達をしながら、建物を作成する。一応、講師の方で夜にならないように、コマンドで調整しているので、建設中にモンスターに襲われることはないが、場合によっては、洞窟まで鉱物を採りにいかなければならないので、その場合にはモンスターとの戦闘も生じる。
親の立場で、外側から見学していたけれど、マイクラの世界を活用して、こうやって共同作業をする中で、社会性を構築していくというのは、ちょっと面白かった。家で友人たちとマイクラをすると、すぐに相手の家を爆発してみたり、協力プレーの連携がうまくいかなくなったりして喧嘩になったりするけれど、学校では、講師がいて、ある程度、コントロールされた中での共同作業なので、そういう喧嘩になりにくい環境が構築されている。
新型コロナウイルス感染症の影響で、小学校ではソーシャル・ディスタンスを強いられて、社会性を築くのが難しかった。今でも、我が家に遊びに来た子供たちを見て、社会性をちゃんと身につけられていないのではないかと心配になる。何しろ、他所の家に遊びに行くという経験が少なすぎて、自宅にいるのと他人の家にいるのの区別がつかなくなっている。遊んでいても、距離感や加減が分からない。会話にもならない。そんな中で、新しい取り組みなのかもしれないな、と思う。
テレビゲームを題材にするというところは、是非があるだろうし、弊害もあるかもしれないけれど、少なくとも新しいし、面白い試みだとは感じた。後は息子がどういう判断をするか。その辺はよくよく議論しようと思う。
2023年7月22日 慣れない運転に齷齪
毎度のことながら、「齷齪(あくせく)」という漢字を変換するたびに、変な字だなあと思いつつ、いつだってこの漢字変換を採用してしまうボクである。
さて、最近、仕事でよく車を運転する。先日は30kmほど、その前の日は54kmほど走った。正直、学生時代に免許を取ったものの、家では車を持たないし、日常的に運転なんてしない。もう、運転なんて10年振り以上だ。運転も慣れないし、道も分からないしで、連日、緊張しっ放しで、ヘトヘトになっている。
しかも、先日は高速道路に乗っていこうと事前に道順を予習していたら、社内で有料道路の料金手続きが間に合わず、急遽、下道で行くことになった。予習なしの道路を走るという試練にあたふたした。しかも、のっけから曲がる場所を間違えたから、頭の中のGPSを大幅起動修正しなければならず、ビックリした。わははー。
そんなこんなで、今年になって、いろいろと刺激ばっかりである。海外生活も大変だけど、日本は日本で大変なのだなあ。
2023年7月20日 プチブロック幻獣シリーズの4つ目!!
プチブロック幻獣シリーズの4つ目はフェンリルだ。北欧神話に登場し、ラグナロクのときにまさかの最高神オージンを倒してしまうという衝撃の怪物である。
近年のイラストレータはみんな、フェンリルを白いオオカミで描く。稀に青いオーラで装飾する。その意味では、フェンリルは白と青いうイメージは現代ファンタジィの中では何となく定着しているのかもしれない。このプチブロックでも白と青を基調にデザインされている。首と四肢、そして尻尾が動く。爪も生えていて、格好いい。
今のところ、ダイソーのプチブロックでは、幻獣シリーズは4つで終わりらしい。今後も何か発売されるといいのになあ。
2023年7月18日 日本の女性メタルバンドがやっぱり凄い
ボクは妖怪が好きだが、ボドゲも好きだし、ミステリー小説も好きだし、それから音楽も好きだ。だから、音楽の話をする。
NEMOPHILAというバンドが素敵だ。4月19日に日本の女性メタルバンドが凄いでLovebitesを紹介した。彼らのギターテクは圧巻だったが、歌詞も英語だし、洋楽志向まっしぐらという印象がある。でも、Nemophilaはもう少しボクたちに手加減してくれている。明らかにJ-popの土台の上に立ってロックをやっている。SAKIと葉月のギターテクは天下一品だし、ハラグチサンのベースも、むらたたむのドラムもいい。そして、ヴォーカルのmayuが変幻自在。いろんな声、いろんな歌い方ができる。しかも、面白いのは、YouTube上でいろんなミュージシャンの楽曲をカバーしている点。聖飢魔ⅡとかLUNA SEA、そしてマキシマム ザ ホルモンなんかも、安定したバンド演奏をバックに、mayuが歌ってくれる。
何より、彼らの楽曲は、ハードロックでありながら、J-popの懐かしいサウンドが随所に散りばめられている。特にシンセサイザを駆使するダンスっぽい楽曲だと、90年代、00年代に流行っていたJ-popっぽさがあって、懐かしくなる。それでいて、ちゃんとハードロックなのだから、最高である。
2023年7月16日 トッケビは日本人によって変質させられた!?
ウェブサイト「ファンタジィ事典」には韓国伝承の項目を設けているが、韓国の妖怪と言えば、最も有名なのはトッケビとクミホだ。
トッケビについて触れると、どうしても、韓国人の歴史観、日本統治時代に対する複雑な感情にあてられてしまうので、何となく避けてきた。曰く、日本統治時代、日本人がトッケビを日本の鬼と同様、2本の角を生やし、トラのパンツを履き、金棒を持った姿で描いたために、トッケビの本来の姿が失われて、変容してしまったという。そのため、韓国本来のトッケビの姿を取り戻すべく、「トッケビ復元プロジェクト」なるものも動いている。
でも、妖怪というのは想像上の存在なので、常に変容するものだ。中国文化の影響もあるし、インド文化の影響もある。いろんな文化が混ざりながら、妖怪というのは形作られていく。日本文化の影響だけを排除しようとする思想には無理がある。
そもそも、クミホにしたって、中国の九尾狐であり、中国の妖怪を韓国の中でアレンジしたものだし、プルガサリも、中国の貘を韓国で独自に発展させたものである。
でも、トッケビを書かないと、何となく韓国伝承について触れたという気持ちになれないので、今回、思い切って、トッケビについてまとめてみた。
2023年7月14日 都市伝説を通じて、今、考えていること2
7月10日の記事の続き。
普段、あんまり意識はしないけれど、でも、本来、妖怪や怪物には必ず作者がいる。古代ギリシアのケルベロスやペーガソス、キュクロープスだって、神話上の怪物たちだけど、必ず最初に言及した人物がいるはずだし、広まっていく中で、影響力のある著述家が書いた記述が「正」になるパターンだってたくさんあったはずだ。分かりやすい例を挙げれば、今やハロウィンの代名詞みたいになっているドラキュラやフランケン。これらにはブラム・ストーカーとメアリー・シェリーという明確な作者がいる。それなのに、ドラキュラもフランケンも、何となく、昔からいる由緒正しい妖怪のように市民権を得て、エンタメの世界で暴れ回っている。不思議なことに、ハロウィンの世界では、オオカミ男と魔女は古い伝承に根差しているけれど、ミイラ男やスケルトン、ゾンビは比較的、新しいホラー映画やゲームの文脈から登場している。シーツおばけも、その歴史は比較的新しくて、子供向けアニメの中で生まれたとされている。そして、ドラキュラやフランケンは小説の世界から持ち込まれているわけで、そういうごった煮がハロウィンの文脈の中では、当たり前のように定着している。
都市伝説もそういう側面があって、人面犬とか小さいおじさんなんかは、いろんな芸能人たちが、我こそが創作主だと主張している(笑)。ゴム男も、テレビで的場浩司が話題にしたのが最初で、その後、連鎖的に目撃情報が寄せられた。ニンゲンとかクネクネの場合、明らかに最初のインターネットの掲示板の書き込みが特定されている。このように、匿名でありつつ、作者が特定されてしまった場合、それは都市伝説なのか創作なのかの線引きが、とても不明確になる。でも、仮に誰かの創作であっても、一般に膾炙するときに、その創作性というか、作者の顔が見えなくなって伝わったら、きっと、それは都市伝説になるのだろう。ドラキュラやフランケンが昔からの妖怪の振りをしてハロウィンのお祭りに紛れ込んでいるような感じだ。山口氏の取り扱う都市伝説の内容は、実はそういうネットロアと呼ばれるものの割合が多いので、都市伝説の創作の境界が曖昧なまんま、ごった煮になって広まっている印象がある。個人の創作が、山口氏のような影響力のある著名人がネットの記事や書籍で取り上げることで拡散されて、都市伝説と化した場合、これは都市伝説なのだろうか。その辺が今っぽくて不思議な現象である。つまり、ボクからすると、何でもない個人のTwitterの書き込みを有名人がリツイートしてバズるみたいなイメージに近い。
正直に話すと、実はニンゲンとかクネクネがばっとネット上で拡散されたとき、ボクは「それって結局、個人の勝手な書き込みじゃん」と思って、あんまり興味を持てなかった。でも、それから1年、2年経って、だんだんと様相が変わってきて、一般に膾炙される都市伝説に昇華したときに、「あ、クネクネもニンゲンも都市伝説になったなあ」と感じた。当初の書き込みからは独り立ちして、勝手に発展していったからだ。そういう意味では、インターネット時代にわーっと生まれて広がった都市伝説の芽みたいなものを、山口氏がどんどん収集していて、それを朝里氏が、改めて今の視点で振り返って整理してくれているような印象がある。
多分、今後も、こうやってオンライン上でいろんな都市伝説や現代妖怪が量産されていって、定着するものと消えていくものとがあるのだろうな、と思う。
2023年7月12日 SNS中心の文化とテレビ中心の文化
6月22日に「中田敦彦が逃げたのか、松本人志が逃したのか!?」という記事を書いた。あっちゃんの提言動画に対して、世間の反応が大きく二分した。それって、結局、メディアの大きな分断が原因だとボクは感じた。テレビ中心の文化と、SNS中心の文化で、受け取り方、反応が大きく異なった感じがしたのだ。
先日、カジサックとヒカルのYouTubeチャンネルで「泥酔はしご酒」という企画があって、ゲストとしてあっちゃんが呼ばれていて、カジサックはかなり攻めたトークを展開していたが、ボクの感覚は確信に変わった。ヒカルがいい意味でSNS中心の文化の代表者として話していて、カジサックもどちらかと言えば、SNS中心の文化の立場で話をしていて、どちらもあっちゃんにとても好意的な反応を示していたのだ。
実は、あっちゃんの提言動画の後、キングコングの梶原雄太とノンスタイルの石田明の反応は、たくさんいる芸人たちの中で、明らかに異質だった。松ちゃんを批判しているわけではないけれど、あっちゃんのエンタメの理解者としての立ち位置を明確にしていた。そして、それは多分、SNS中心の文化を生きる若者たちの感覚と近かったのではないか。
今回、カジサックは、あっちゃんの提言動画を見て「(うちのチームも)あの動画が出たときに無茶苦茶盛り上がった」「さぁこれ中田どうすんねやろっていうの(を考えるの)が俺は楽しかった。」「すごく面白いなって思ったな」「ワクワクしちゃったのよ。だって誰もやってないから」などと発言した。それにヒカルは「それYouTubeのノリですよ」と指摘されている。でも、カジサックの感覚が、多分、SNS中心の文化を生きている人間の感覚なのだと思う。
それでも、カジサックは芸人でもあるので、あっちゃんの言葉がときに強いと感じるし、後輩の粗品を巻き込んだという風に感じる。その辺は芸人である部分も感覚としては残している。一方のヒカルは、そういう部分がないので、「楽しいネタが来たなくらいの感じで楽しんでいました」「仮に失礼なことだとしても当事者同士の話じゃないですか。僕からすると関係が無いんですよ」という感覚である。これは完全にSNS中心の文化を生きている視聴者の感覚だと思う。
この2人を前にしたとき、吉本の芸人さんたちの反応というのは、やっぱりテレビ中心の文化の中に生きている感じがして、埋まらないギャップを突きつけられたような感じがした。ボクは多分、SNS中心の文化の中で生きているのだと思う。
2023年7月10日 都市伝説を通じて、今、考えていること1
ここのところ、都市伝説について調査している。我が家には以下の本があって、それを下地にウェブサイト「ファンタジィ事典」に落とし込んでいる。
- 『真夜中の都市伝説 3本足のリカちゃん人形』(著:松山ひろし,イラスト:児嶋都,イースト・プレス,2003年)
- 『真夜中の都市伝説 壁女』(著:松山ひろし,イラスト:児嶋都,イースト・プレス,2004年)
- 『THE 都市伝説』(著:宇佐和通,新紀元社,2004年)
- 『THE 都市伝説 NEXT』(著:宇佐和通,新紀元社,2005年)
- 『THE 都市伝説 RELOADED』(著:宇佐和通,新紀元社,2007年)
- 『本当にいる日本の「現代妖怪」図鑑』(著:山口敏太郎,笠倉出版社,2007年)
- 『最強の都市伝説』(著:並木伸一郎,経済界,2007年)
- 『都市伝説の正体 こんな話を聞いたことはありませんか?』(著:宇佐和通,祥伝社新書,2009年)
- 『日本の妖怪&都市伝説事典』(著:ながたみかこ,大泉書店,2011年)
- 『ぼくらの昭和オカルト大百科 70年代オカルトブーム再考』(著:初見健一,大空ポケット文庫,2012年)
- 『大迫力! 日本の都市伝説大百科』(監:朝里樹,西東社,2019年)
- 『大迫力! 世界の都市伝説大百科』(監:朝里樹,西東社,2020年)
ここには載せていないけれど、2009年以降も、宇佐氏は定期的に本を出し続けていたし、並木氏も未確認生物やUFOの本と合わせて、都市伝説の本を出版し続けていた。山口氏も精力的にネット上でいろいろな情報を収集していて、定期的にいろいろと発信していた。でも、ここ最近は都市伝説と言えば朝里氏という感じ。朝里氏は都市伝説だけでなくて世界の妖怪や怪談、怪異など、幅広く手掛けているんだけど、結構、出版業界の勢力図が様変わりした印象がある。最近は犬も歩けば朝里氏というくらいたくさんの本を出版している。
実は、都市伝説に関して言うならば、ボクは松山氏、宇佐氏の頃のものが、一番、体感としてしっくり来る。並木氏は少し陰謀論寄りな雰囲気があって、「実はこの話の裏には……」みたいなオカルトライターっぽい語り方をするし、山口氏は雑多な感じで、何でもありという印象。そして、今、朝里氏の時代が来たという感覚。おそらく、山口氏の辺りが都市伝説としては転換点で、インターネットができて、SNSが発達して、都市伝説の広がり方が大きく変わったのだと思う。人の口から口へと広まっていく都市伝説は、やっぱり大きなうねりになるまでに時間が掛かって、その間にいろんなヴァージョンが生まれて、その中で面白いものが定着して収斂していく印象がある。伝播していくうちに、いろんな人の視点で揉まれて精度が上がっていく。でも、インターネット以降、オンライン上に拡散されると、その拡散速度はものすごく速くなって、発信者も多くなるので、何となく量産されて、あっという間に消費されていく。ぽっと出たものが、そのままコピペで広がっていくようなチープさもある。まさにクリーピーパスタだ。そういう雑多なものを、山口氏は精力的に拾い集めていた感じがする。そして、今、朝里氏の時代になって、そうやって拡散されたものの中で定着したものを拾い集めている印象がある。
2023年7月8日 5人の声でゼルダの伝説!!
MayTreeは韓国のアカペラ・グループだ。アカペラというか、もはや声帯模写の域に近づいている。Windowsの起動音とか、iPhoneのアプリの音なんかを真似させても凄いし、驚いたのは『Temple Run』というゲームの声真似。このゲーム自体はやったことも見たこともないが、あまりの出来栄えに見入ってしまった。
そんなMayTreeが、最近、ゼルダの最新楽曲をアカペラで歌い上げている。もう、ね。二胡の真似なんか似すぎていて笑ってしまう。ゼルダのメインテーマを5人の声だけでやってしまおうというのだから、もう脱帽だ。
そんなこんなで、是非、MayTreeにどっぷりとハマってみて欲しい。
2023年7月6日 プチブロック幻獣シリーズの3つ目は……
プチブロック幻獣シリーズの3つ目はフェニックスである。
フェニックスは古代ギリシアで信じられた「不死鳥」で、500年生きると火の中に飛び込んで死に、その後、復活する。
プチブロックでは、尻尾、翼、首などの部分に駆動部があって、いろいろなポーズが取れる。羽根の部分には金色のブロック、オレンジ・黄色などの透明ブロックが使われていて、非常にカラフルで格好いい。透明のブロックで台座が作られているので、駆動部を使って、いろんな空を飛んでいるポーズをさせることができるのが素敵だ。
中央に何か所か青い透明ブロックが使われているが、小学4年生の息子のツクル氏は「青いということはこの真ん中の部分は一番熱いということだよ」などとしたり顔で説明してくる。
2023年7月4日 都市伝説は「偏見」や「差別」の温床だ
ウェブサイト「ファンタジィ事典」は「世界各地の神話や伝承の事典。古代の神話から都市伝説やUMA(未確認動物)まで」をモットーに「ファンタジィ」に関する言葉を事典形式で整理していくウェブサイトだ。そのように「ファンタジィ事典」のトップページに標榜している。けれども、実のところ、あんまり「都市伝説」にはタッチしてこなかった。これは偏に「偏見」とか「差別」みたいなところに触れていくので、少しだけ怖さがあったからだ。
たとえば、牛女という妖怪は、屠場の娘という設定になっていて、明らかに「屠殺」に対する差別意識に根差している。つまり、牛を殺している家だから、牛の頭がついた女の子が生まれてもおかしくはない、という気持ちが含まれている。エイズ・メアリーなんて、そのままズバリ、エイズという病気を相手にしているので、非常にセンシティブだ。「性行為を介して意図的にエイズをばら撒く女性」というイメージなので、エイズ=性的放蕩という前時代的なイメージがあって、ものすごく取り扱いが難しいし、そういうのを「ファンタジィ」だと取り扱ってしまうのは、やっぱり、どこか後ろめたさがある。でも、結局のところ、エイズ・メアリーは妖怪なのだ。本当は存在しないのに、何だかリアリティがあって、怖くなって信じてしまう。そこに「ファンタジィ」の「ファンタジィ」たる所以がある。難しいのは、このエイズ・メアリーとかエイズ・ハリーとかは80年代後半に生まれた都市伝説だが、後になって、実在の事件が発覚してしまう。少なくとも、90年代後半に、Darnell McGeeやNushawn Williamsなどの複数の男性が、意図的にエイズを蔓延させた罪で逮捕されているし、1998年にはPamela Wiserという女性も同様の罪で逮捕されている。つまり、嘘から出た実ということになる。
ボクなんかは、マラウイに行ったときに、まさに「吸血鬼」の幻想と遭遇した。マラウイの田舎で、吸血鬼だと疑われる人が次々と村人たちに火をつけられて殺された。JICAは「吸血鬼」と呼んで、我々に避難を呼びかけていたが、実は現地ではBlood Sucker(ブラッド・サッカー)と呼んでいて、曰く、「最近、外国人と仲良くなって急に羽振りがよくなったあいつは、俺たちから血液を採取して、外国人に高額で売って儲けたんじゃないか」ということなのだ。まさに腎臓ドロボーの都市伝説に近くって、決して、ドラキュラ的なものを想像してはいけない。ああいうのも、本気でマラウイ人の田舎の人たちは信じて、暴徒と化したわけだから、笑いごとではない。
ミャンマー伝承をまとめていると、ハンセン病やくる病などへの恐れを表現した精霊たちがいて、こういうのをちゃんとまとめていくと、ああ、どちらにしても「偏見」や「差別」からは逃げられないな、と感じているところだ。だから、もう諦めて、そしてある程度は覚悟して、ここのところ、まとめて都市伝説を投稿している。
2023年7月2日 フィリピンは多民族国家であり、土着の精霊信仰がある。
ウェブサイト「ファンタジィ事典」ではここのところフィリピン伝承を整理しているところなので、頭の整理も兼ねて、少しだけフィリピンについてまとめておこうと思う。
フィリピンと言えば、英語ネイティブで熱心なカトリック教徒の国というイメージがある。厳格なカトリックなので、法律上、離婚制度がないというのも有名な話だ。でも、実際にはフィリピンは7,000もの島々からなる多民族国家で、180以上の民族が暮らしていて、それぞれに言語もたくさんある。
フィリピンは、オランダやアメリカに植民地支配され、一時は日本にも統治された歴史を持つが、そんな歴史の中で、独立運動の中心になったのがタガログ族だった。ルソン島を中心に暮らしていて、現在、公用語になっているフィリピン語は、タガログ語を標準化したものである。セブを中心としたヴィサヤ諸島にはヴィサヤ族が暮らしていて、セブアノ語を話す。ミンダナオ島の西部やスールー諸島では、ムスリムが暮らしている。歴史的には、インドネシアやマレーシアからイスラームが流入し、15世紀や16世紀にはフィリピンにスールー王国やマギンダナオ王国などのイスラーム国家が成立している。スールー諸島やマギンダナオに点在するこれらのイスラームの民族はモロ族と呼ばれている。その他、ルソン島の山岳部などに多数の少数民族がいて、現在でも独自の文化を残している。
実際、ボクは2014年に仕事でフィリピンに行った。そのときには、サンボアンガはイスラーム過激派の拠点になっていて、ミンダナオ島は護衛警官と一緒じゃなきゃ町中を歩けなかった。また、ルソン島の山岳民族が信じる先祖霊「アニト」とされる木製の人形がたくさん売っていた(後から調べたところ、必ずしもアニトはルソン島の少数民族だけに伝わるものではなくて、フィリピン全土で信仰されていた土着の精霊信仰のようだけれど)。
それぞれの民族には、それぞれの神話があったようで、たとえば、タガログ族では、バタラと呼ばれる創造神が最高神だとされる。ヴィサヤ族ではカプタンと呼ばれる天空神が最高神だ。その他、たとえばイフガオ族であればカブニアン神、ティンギアン族であればバガトゥラヤン神、ガダン族であればナノライ神、ヒリガイノン族であればラオン神が最高神であるらしい。当然、それぞれの民族は互いに影響を与えながらも、それぞれ独自の神さまと神話を持っていたらしい。その辺の詳細は、追々調査していかなきゃいけないなあ。
2023年6月30日 プチブロック幻獣シリーズの2つ目
ダイソーのプチブロックの幻獣シリーズの2つ目はユニコーンだ。
元々の一角獣の起源は古代ギリシアやローマで、たくさんの著述家が「モノケロース」とか「ウーニコルニス」などと言及しているが、これらは「インドサイ」のイメージを踏襲している。プチブロックのデザインは、中世のキリスト教時代のものだ。白馬としてのユニコーンがデザインされている。
このプチブロックのユニコーンもよく出来ていて、頭、首、四肢、尻尾の部分に駆動部があって、ある程度、自由に動く。四肢の関節部分も1か所、曲げられるようになっているので、色々なポーズをとらせることができる。たてがみや尻尾が青い透明ブロックになっているのも格好いい。
ちなみに、中世ヨーロッパの『フィシオロゴス』では、別に毛が青いわけではない。白馬の場合には、真っ白い毛並みであるし、実は古いものでは、茶色っぽいウマだったりする場合もある。
2023年6月28日 こねこばくしゅく!!
6月12日に「我が家で「こねこばくはつ」がウケた!!」という記事を書いた。そろそろ「こねこばくしゅく」についての記事を書こうかな、と思っていた。そして「爆縮」なんて言葉、使わないだろう、と一笑に付そうと思っていた矢先に、アメリカの潜水艦が行方不明になって、ニュースで「爆縮」という言葉を使っていた。一般に使う言葉だったのかと思ってビックリした。
「こねこばくはつ」の英語は「Exploding kittens」である。そして、続く「こねこばくしゅく」は「Imploding kittens」である。何となく、Ex-とIm-は対になっている感じがして、続編の感じがして、なるほどな、と思わせる。それが日本語になると「ばくはつ」と「ばくしゅく」なのである。
「こねこばくしゅく」は「こねこばくはつ」の拡張セットだ。だから「こねこばくはつ」を持っていないとゲームができない。「こねこばくはつ」では「こねこばくはつ」カードを引いたときに「爆弾処理」カードがあれば爆発を回避できたが、新たに加わった「こねこばくしゅく」カードは「爆弾処理」カードでは回避できない。山札の中に表向きになって紛れ込むので、「爆弾処理」以外の方法で回避しなければならない。また、従来の「アタック」「いいね」「ダメ!」「シャッフル」「スキップ」「未来予知」「ねこ」の既存カードに、新たに「リバース」「下から引く」「別の未来」「照準アタック」「やせいのねこ」が加わって、さらにいろんなアクションが選択できるようになっている。
こういう風に、新しいカードを追加して、ルールを複雑にしていけるのは、トレカっぽい感じで楽しいと思う。他の拡張セットもあるので、どんどん日本語に翻訳されればいいのになあ。
2023年6月26日 プチブロックに幻獣シリーズが!!
プチブロックに幻獣シリーズが出ていたらしい。調べてみると、去年の5月頃からダイソーで売られていたみたい。息子のツクル氏が見つけて欲しがったので、彼の分と自分の分とを買ってきた。現時点で4種類出ているみたいだけれど、1つ目は「ドラゴン」だ。早速、組み立ててみた。
赤い色のドラゴンで、タイプとしてはワイヴァーンの仲間っぽいデザインだ。脚が2つに翼が2枚。頭部からは2つの角が生えている。また、鼻のところからも1本、角が生えている。
首と翼、脚、尻尾の部分に駆動部があって比較的、自由に動く。尻尾も3か所で左右に曲げることができるし、脚の爪も広げることができる。目は青い透明パーツで、翼のところにはオレンジの透明パーツも使われている。よく出来ているなーと思った。
2023年6月24日 クリューサーオールが大人気!!
最近、「日々の雑記」を隔日で投稿しているが、それだけではなく、「ファンタジィ事典」も頻繁に更新しているつもりだ。学生の頃の情熱を取り戻している。そんなわけで、今までは更新だけ更新して更新しっ放しにしていたボクだけど、ちゃんとサイトを分析すべく、Googleアナリティクスを見たり、Google Search Consoleをチェックしたりしている。
今週になって、急にクリューサーオールの検索数とクリック数が増加した。クリューサーオールはギリシア・ローマ神話で、ペルセウスがメドゥーサの首を斬ったときに。その首からペーガソスとともに飛び出してきた怪物で、黄金の剣を持って生まれたと記述されている。そして、怪物ゲーリュオーンの父親となった。古代ギリシアの文献では、それだけしか記述がない非常にマイナなよく分からない怪物だ。それなのに、ここ数日で20~30件、閲覧されている。何故だろう。何かクリューサーオールが登場するゲームやアニメがあったのだろうか……。誰か、テル・ミー。
2023年6月22日 中田敦彦が逃げたのか、松本人志が逃したのか!?
ちょっと前まで、中田敦彦氏が巷を賑わせていた。少しだけその熱狂も落ち着いてきたので、ボクの思ったことを書こうと思う。
基本的には、今回の中田敦彦氏の発言は無礼である。先輩に盾突いたのだから、当然、無礼なやつだと批判されるのは、ボクは致し方ないと思う。芸能界に限らず、どんな業界でも、立場のある人に噛みつくのは、基本的には無礼である。だから、ボクはビックリした。折角、教育系Youtuberとして優秀でやり手というブランディングしてきたのに「無礼」という色がつくのは、あんまり得策ではないし、それで離れてしまうファンもいるだろうな、と想像する。
ただ、実はボクの論点はそこではない。その後の各方面の反応が、ボクとしてはとても面白かった。ボク個人は、世代間の大きな分断を感じた。年配の世代はあっちゃんの動画に大真面目に向き合って、必要以上に松ちゃんを擁護し、あっちゃんに批判的なコメントを出した。一方で、比較的若い世代は、これは盛り上がるぞとばかりにネタにして、どんどんエンタメ化していった。この世代間の分断をどう捉えるかで、将来的なメディアの捉え方が変わるのではないかと思う。
SNSが浸透して、個人で思ったことをどんどん発信できる時代になった。そうすると、正直であること(あるいは正直であると見せかけること)が求められる。建前と本音でいうところの「本音」の部分を、みんな、聞きたがるわけだ。今までだったら、作りこまれた芸能人でよかったが、今は素の自分(あるいは素っぽく見せた自分)で勝負する時代になる。だけど、ブランディングが大事だから、本当のところは本音を言ってはいけない。ファンが喜ぶこと、求めていることを嗅ぎ取って、それっぽく言わなきゃいけない。若者たちは、そういう発信方法にとても慣れている。
もうひとつは、瞬発力だ。何かが起こったときに即座に反応する速さみたいなものも求められている。旬の話題に飛びついて、そこに乗っかって集客する方法を、若者たちは理解している。だから、あっちゃんの提言動画があがった瞬間に、若い世代は、どうやってこれをいじって再生数を稼ぐかを瞬間的に考え、企画して、実行したはずだ。それがSNS時代のエンタメの形だ。一方、年配の世代は大真面目に論じて、中田批判をした。
松ちゃんがTwitterで「テレビとかYouTubeとか関係なく2人だけで話せばいいじゃん 連絡待ってる!」と呟いて、年配の人たちは「松ちゃんがあっちゃんに反応してあげて優しい」的な評価を下し、一方でその申し出に応じないあっちゃんを「逃げた」と分析する。でも、SNS時代のエンタメの文脈で言えば「おいしいネタが振られたのだから、松ちゃんはこれをどう料理するのかな(ワクワク)」という反応が日常であり、多分、正解は「テレビでもYouTubeでもどっちでもいいから一度、対談しようぜ 連絡待ってる!」だったのではないか。もしテレビで直接対決みたいな形になったら盛り上がる。SNS時代のエンタメの文脈で言えば、松ちゃんがおいしいネタを「逃した」とも評価できる。だからこそ、あっちゃんは「あー、ノッてこないか。まあ、そりゃそうか」という冷めた気持ちなのだと思う。
決して、若者が良いとか年配が悪いという議論ではない。単なる文化の断絶だと思う。そして、よくも悪くもテレビとスマホというメディアの分断とも重なる。ボクはもうテレビを見ない。YouTubeに可処分時間を投入している。SNS時代の文脈から眺めると、松ちゃんがノッてこなかったことが残念に感じられ、時代を感じてしまうのだけれど、どうなんだろうか。
2023年6月20日 強いピーチ姫って本当に必要!?
映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」について大絶賛のコメントをしたが、1点、ポリコレだと感じたのは、ピーチ姫の取り扱いである。そんな想いもあって、事前に、全体を通した映画の感想(ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー)と、ディズニーのポリコレの記事(そもそもアリエルはデンマーク人が演じるべきでは!?)を先に投稿しておいた。
マリオとピーチ姫の関係は、しばしば、ペルセウス=アンドロメダ型と称される。要するに、囚われのお姫さまを英雄が助け出すという典型的な構図で、ギリシア神話の英雄ペルセウス、アンドロメダ姫、そして怪物ケートスの図式が、そのまんま、マリオ、ピーチ、クッパに対応しているわけだ。クッパは退治され、ピーチ姫は救出され、マリオは英雄として讃えられる。この構図が非常に古臭いわけだけど、でも、そういう構図の物語になっている。
でも、今回の映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」では、ピーチ姫は、マリオと戦う強い女性に修正されている。キノコ王国の危機に自ら立ち上がり、王国を救うべく冒険に繰り出す。こういうのは、ある種のポリコレの押し付けだと思う。女性が助けを待つだけの弱い存在である必要はないが、そういうか弱い女性がいたっていいのだ。それを敢えてキャラクタを変更して、強いピーチ姫像を描こうとしたのは、やっぱりその背後にポリコレ意識が見え隠れする。それが透けて見えてしまった時点で、物語の世界に入り込めないので、失敗だと思う。
そして、その癖、たくさんの人質を前に、ピーチ姫は結局、クッパに屈服して、結婚を承諾し、最後にマリオに救出される。最終的には、ペルセウス=アンドロメダ型の構図の中に落とし込まれてしまって、何のこっちゃ、と思ってしまう。そこだけが、唯一、この映画に対して不満を持ったところである。
2023年6月18日 親子連弾!?
息子のツクル氏には小さい頃からピアノを習わせている。9月にピアノの発表会があるらしく、候補の3曲の楽譜を持って帰ってきた。「どれにする?」と訊くので、「気に入ったのでいいんじゃない?」と答えたら、「連弾なんだよね、親子の」と衝撃の発言。な、何だとーッ!? 親子連弾? 誰と誰が? 母と子が? 父と子が? 尋ねると「まあ、どっちでもいいんだけど、取り敢えず最初にパパに訊いてみている」と回答されてしまった。「パパ、この間、マリオの曲、上手に弾いていたから、先生に大丈夫ですって言っておいた」と追い打ちをかけられる。
結局、YouTubeで候補曲3つを聴かせて、ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」が選ばれた。……というわけで、今、夜な夜な、一所懸命、練習中である。