2019年1月13日 正義の一般市民なんていないから!!

本当は12月のBiSHのライヴの話でも書こうかな、と思っていたんだけど、NGT48が炎上中なので、そっちについて書こうと思う。BiSHの話はまた今度。

事実関係は分からない。だから、これについては静観するしかない。まほほんの言っていることが100%正しいかどうかも分からないし、犯人だと名指しされているメンバーの関与の度合いも分からない。いずれにせよ、内部で抗争というのか、衝突があったのだろうな、ということは分かる。チームで仕事をするというのは、必ずしも正義や理想だけでは進まないし、人間関係のトラブルもあって然るべきだ。だから、いろいろあったのかもしれないし、若いから、行き過ぎた行動があった可能性もあるだろう。

いつも同じことしか言わないな、と飽きられているかもしれないけれど、ボクは何度でも書く。匿名だからって何を書いても許されるわけじゃない。「あいつが犯人だ」とか「実はこうなっていた」みたいな無責任な発言はよくないし、それ以上に、罵詈雑言は許されない。もしも、事実として暴行を示唆したメンバーがいたとして、今、名指しされているメンバーが「犯人」だったとして、それを裁くのは法だ。ネット私刑は許されない。寄ってたかって個人を攻撃することは許されない。ましてや現段階では真実は分からない。事実、犯人だったらいいということではないけれど、彼女、彼らが犯人であることも事実認定されていない中で、やっぱり行き過ぎではないか、と思う。

ボクは、もっと社会が寛容であるべきだと思っている。「罪を憎んで人を憎まず」だ。もしも罪があったなら、その罪の責任は問われなきゃいけない。でも、個人をバッシングすることではない。全ての人間性まで否定されることではない。犯した罪こそが問われるのであって、その罪にふさわしい罰則が与えられるのであって、そのための法治国家だ。罪があるからと言って、個人の全人間性まで非難していいわけではない。もしも、だ。もしも暴行を示唆する事実があったとして、そうだとしても、インスタグラムでああもバッシングされていいわけではないし、人間性を否定されていいわけではない。もしも無関係の人がいたら、尚更だ。

少なくとも、犯人と名指しされているメンバーのインスタグラムへのみんなの書き込みを見て、その残酷さや無神経さに戦慄する。

2019年1月11日 ミュージシャンは楽器と歌声で戦う

去年の12月6日に公開されて話題になっているYoutubeだから、情報としてはちょっと古いけど、紹介したくなったので貼っておく。Radwimpsの『PAPARAZZI~*この物語はフィクションです』のミュージック・ヴィデオ。

何だろう。今までのはフィクションだと思って聴けたけど、この楽曲は生々しい。息をひそめてじぃっと聴いてしまう感じ。音楽と映像、そして歌詞に没入して、ようやく全てが終わってから、息をするような感じ。言葉の選び方が少し粗い印象もあるんだけど、でも、そのストレートで愚直な感じも含めて、呑まれてしまった。

文筆家がペンで、画家が筆で、そしてミュージシャンは楽器と歌声で戦うのだすれば、これはまさにそういう作品だ。これを聴いた「パパラッチ」は何を想うのだろう。うーん。

2019年1月7日 文化を相対化して眺める

若者の気持ちが分かるかどうかは、どれだけ若者と一緒に過ごしているかどうかだと思う。幼稚園の先生は園児の気持ちがちゃんと分かるし、小学校の先生は小学生の気持ちが分かる。それは一緒になって文化を体験しているからだ。子供がシンカリオンにハマっていれば、一緒になってハマればよいのだし、価値観というのは、一緒に過ごさないと分からない。たとえば、高校生向け・大学生向けの雑誌を読んで、大いに共感できれば、多分、「分かっている」と言えるのだと思う。

文化や価値観というのは、接触時間に大きく依存すると思う。多く接していれば、そういう文化・価値観に染まっていく。文化・芸術がその世代の価値観の全ての原因者だとは思わないけれど、でも、時代の空気というのは確実にその世代に接触して、影響を与え、そうやって作られた文化や価値観が、またその世代に戻っていく。そういうものだ。

実はボク自身、昔、ジェネレーションギャップを感じたことがある。それは「SEKAI NO OWARI」だ。当時、若者の中で大ブームだったが、ボクにはどうしても理解できなかった。おっさんになったかなあ、と思った。だから、とにかくアルバムを買ってきて聞いた。そして、『Love the warz』という楽曲を聴いたときに、その歌詞に衝撃を受けた。「ラブandピース 美しい世界 完璧な時代 幸福な世代」。彼らの目には世界が美しく見え、完璧に映り、そして幸福な世代だと感じている。そして歌詞は「不自由なんかないこの世界でどんな自由を願ったらいいの?」と続いていく。自らを「幸福世代」と堂々と歌い上げてしまう感性に、ボクは唖然とし、そして、その瞬間に、生温い彼らの中二病みたいな歌詞の意味が、何となく分かったような気がした。圧倒的に、ボクらとは違う価値観で生きているのだ、と悟るともに、彼らが持て囃される事実と、彼らの良さが理解できないボクたちの世代間のギャップを思い知った。その視点で彼らの音楽を聴いてみると、その生温さの中にあるモヤモヤが分かるような気がした。

何に共感し、何に反発し、何を目標にし、どう生きるのか。それって、結局、時代の空気とか、経済、それから文化に影響される。その意味じゃ、そういうのを一緒に体験してやって初めて「分かった」と言えるのだと思う。だから、積極的に若者文化を知ることが、イコール、彼らのことを理解する一番の早道だと思うから、ボクは常にティーン誌に掲載されているような情報に触れようと必死だ。Youtuberも、ミュージシャンも、小説も、漫画も。

別に、若者に迎合しようと思っているワケではない。でも、時代は目まぐるしく変わっていき、今を生きている若者が感じるものに、今の時代が象徴される。今を生きようと思うなら、今を直視しなきゃいけない。10年前、20年前の感覚で生きていたら、取り残される。

加えて、彼らの時代や価値観に触れるだけじゃなくって、それと同時並行で、ボクたちの青春の文化と比較して、自分たちの時代の文化そのものを相対化しなきゃいけない。「今の若者の歌詞はバカみたい!」と鼻で笑う前に、LUNA SEAとかPenicillinとかのひどい歌詞を聴きながら「ああ、自分たちもこんなバカみたいな歌詞の歌をよいと思って育ったのだ」とか、あるいは「ヴィジュアル系バンド」の刹那主義的な薄っぺらい歌詞を思い出しながら、そういうのを相対化することが、やっぱり必要なのである。決して自分たちの時代の文化を賛美するわけではなく、そして、若者の文化を扱き下ろすでもなく(笑)。

2019年1月6日 懐古主義と旬の文化

最近のテレビを見ていると、どうも、我々の世代の懐古主義が蔓延っている印象を受ける。我々が子供の頃に流行っていたものを再登場させている印象だ。「懐かしいな」と思うけれど、でも、今の若者の感覚からすれば「古臭い」と感じるのではないか。我々の世代に向かって意図的に番組を作っているというのなら、それはそれでいいが、ボクはそうではないと思っている。クリエイティヴな現場で活躍している世代の意思決定をしている人たちが、ちょうどボクと同じ世代だから、何となく、彼らが懐古主義に囚われているのではないか。そう疑っている。

若かりし頃のボクは、テレビの前でずぅっとイライラしていた。古臭いスターなんかをテレビに引っ張り出してきて「昔、すごかった人です」なんて紹介されて、出演者がテレビの向こうで「すごい、すごい」と絶賛しても、ボクには全ッ然、分からなかった。「そんな過去の骨董品ではなく、今、まさに旬の人たちを出してくれないか」と憤っていた。それってボクだけではなかったはずだ。ボクたちは高校生の頃、みんなで「もっと新しい文化をテレビに映せ!」と憤っていなかったか。

ボクたちは大人になった。それなのに、ボクたちの世代が同じように懐古主義に囚われている。そんな気がする。そうだとしたら、それって「老害」だ。

懐かしさもよい。でも、それはそういう番組でやればいい。それよりも、やっぱり旬のものを旬のうちに。そういう方向転換をしてあげた方がいい。今、まさに最前線でクリエイティヴな活躍をしている上司の世代として、そんなことを思う回数が増えている。

2019年1月5日 新年のご挨拶と抱負!

あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いします。

さて、今年も無事に「近況報告の本」を発行できた。2010年の結婚式に参列者に配って以来、定期的に発行してきて、今回で8冊目。アイヌ特集を組んだが、個人的には、デザインが今までで一番、うまくまとめられた、と思っている。表紙の絵は「セーフリームニル」を描いたが、選んだ素材が悪かったのか、コンセプトが失敗したのか、あんまりうまく描けなかった(笑)。漫画家さんは小さなコマ割りの中で、小さな人をさらりと描くが、それってとても難しいのだ、ということを学んだ。ヴァルキュリャとエインヘリャルだが、小さい中で表情とか動きを表現するのが難しい。

セーフリームニル

もうひとつ、各人へのコメント記入用のカードに「オーク」を描いた。こちらは、猫背なので、自分に似ていて、まあ、それなりにいつもどおりに描けた。

オーク

「セーフリームニル」にしても「オーク」にしても、そのうち、ちゃんとファンタジィ事典で解説を書こうと思う。実は「ファンタジィ事典」が2016年9月以降、更新されていないので、ずぅっと気に病んでいる。思うところがあって、リニューアルを検討していて、すでにデザインは終わっていて、HTMLもCSSも出来上がっている。でも、PHP的な発想のプログラムのところが完成していなくって、今まで更新されていない。プログラムが出来たら、順次、更新していく予定だったので、各項目にも手をつけない状態になっている。今年は海外生活も減って、横浜にいられる見通しなので、何とか形にして、本来、やりたかったことをやろう、と思っている。お待ちいただければ、と。

リニューアルイメージ

2018年12月18日 今年も無事に雑誌を入稿!!

2019年の近況報告の雑誌、今年も無事に完成した。よかった。正直、今回は直前までファイサラバードに渡航していた関係で、どうなることかと思っていた。でも、無事に完成し、入稿に漕ぎ着けた。表紙のイラストはイマイチなのが口惜しいが、でも、完成させることに意味がある。

2018年12月13日 確かにひとつの時代が終わるのを 僕はこの目で見たよ

こんなことを書いても仕方がないのだが、一時代が終わって、ただただ悲しくなった。MEGWIN TVの件だ。真実なんてひとつじゃないし、どっちの言い分もあるだろうし、誰が正しくて誰が悪いなんてことは部外者のボクには論じられない。想いがすれ違うこともある。でも、ただただ、あのファルコンとメテオの動画内の表情に、ボクはとても胸を打たれ、悲しい気持ちになった。懐古ばかりしていても仕方がないけれど、BEGIRAGONSの時代はよかったなあ。あれがあったから、ボクはYoutubeに未来を感じた。Youtubeが、テレビ以上に面白いものが作れるのかもしれない、と期待した。ものすごいチャレンジ精神があったし、非常に先進的だった。そのBEGIRAGONSがぐちゃぐちゃーっとなし崩し的に潰れて、あれよあれよとMEGWIN TVが衰退して、それでも、なんやかんやあって、ようやく盛り返してきたかなーっと思ったら、ここでこういう展開。うーん。

ピザ窯づくりの動画が、昔のBEGIRAGONSを彷彿とさせて、ちょっと懐かしく感じていたけれど、それもまた、ファルコンとメテオ、そしてバンディの意地なのかな、と思う。そこにMEGWINが不在だったのが、とても悲しい。そんなこんな。

2018年11月30日 インスタ

これだけみんながインスタをやる時代になったので、一応、ボクも登録してみるか、とアカウントを作ってみた。作っただけで、まだ何も投稿していないうちから、あっという間に知り合いに見つかり、フォローされている。急いで何か投稿しなければ!

昔、Twitterを始めてみたが、あれはダメだった。速度についていけない。みんなのツイートを読もうとするのではなく、たまたまそのときに流れているツイートに反応しよう、という発想なのだろうけれど、その辺が馴染めなかった。まあ、Facebookでもmixiでも、もしかしたら日記的な使い方をしているblogでさえも生もので、最新の記事をそのタイミングで読まれるのかもしれない。

インスタはどんなもんかな、と今更ながらよチャレンジだ。本当に今更なのだけれど(笑)。

2018年11月6日 原始的であることが一番

ここのところ、ウェブサイトの更新が滞っている。ファンタジィ事典を大幅にリニューアルすることを検討していて、それが終わるまでは記事を投稿できない、という意識が働いている。

一方で、日々の雑記は、習慣が損なわれている。海外を飛び回るので、それなりに刺激があるし、育児も4歳児がいて、ネタもたくさんある。でも、Word Pressにすると、セキュリティが高過ぎて海外からアクセスできなくなる。海外暮らしが長いので、海外で更新しなくなると、習慣が損なわれる。結果として、更新されなくなる。

結局のところ、htmlタグ打ちでFTPで更新する方が、間違いない、ということだ。変に機能をつけると、足元を掬われる。

……と、何かの所為にせず、更新しなさい、という声が聞こえないこともないが(笑)。

2018年11月6日 映える(ばえる)!?

先日、ポップティーンの高校生のモデルたちが、キレイな写真を見て『映える(ばえる)』と言っていた。「インスタ映えする」の意味だろう。「映える」の頭の音が濁るのは連濁という日本語の文法によるものだが、複合語が分解されてなお、濁音だけ残った形だ。語感は「バズる」みたいで、なかなか悪くないので、面白いな、と思う。

個人的には、バエルと言えば、ソロモン王が使役した序列1番目の悪魔の名前なんだよなあ、とも思いつつ。

2018年7月2日 メソポタミア神話のキャラクタを描いてみた(2)!

昨日の続き。


ナンナ/シン

ウトゥ/シャマシュ

2018年7月1日 メソポタミア神話のキャラクタを描いてみた!

と書いても、去年の11月頃に描いたものだ。そのうち、ペン入れして、色でもつけようかと思っていたけど、なかなか進まないので、取り敢えず、あげてみようと思う。


アン/アヌ

エンキ/エア

エンリル

イナンナ/イシュタル

メソポタミアでは、メインは木製の像だったので、ほとんど現在に残るような図像はないので、これを形にするのが難しい。だから、こうやって絵に落とし込むアプローチも意味があるのではないか、と少しだけ思っている。

2018年6月30日 Yes or No

久しぶりの更新。別にウェブサイトを放置する意思があったわけではないのだけれど、ある種、リア充だった。子供も4歳でワチャワチャしているし、仕事も中堅にになってワチャワチャしている。そういう意味じゃ、ハードな日々を送っている。

最近のヘビロテは東京ゲゲゲイの『Yes or No』だ。東京ゲゲゲイと言えば、元々はダンスユニットで、ダンスの技巧面も然ることながら、ストーリィ仕立てのダンスの構成が面白く、また、ホラーっぽい演出も得意で、個人的にはとても気に入っていた。途中から、音楽方面に進出して、アルバムも出すようになった。今、2枚のアルバムが出ている。

『Yes or No』は楽曲としてよく出来ている。緩急があるし、何度も転調を繰り返しながら、キーが上昇していく。そして、最後にはサビでハモる。このハモりが非常に格好いいんだけど、でも、最後までとっておく奥ゆかしさ。それが最高にいい。こういう凝った構成は、ダンスのときのストーリィ仕立ての演出と一緒だ。そして、PVの2発撮りという発想もいい。大変だっただろうなあ、これ撮るの。

そんなわけで、死んでいるわけでも、放置する意思があるわけでもないのだ、と示すだけ示しつつ。次の更新はいつになることやら。

2018年3月5日 海外で個人宅に招待されること

パキスタンのプロジェクトでコーディネータを務めてくれているAzhar Ali氏が、自宅に招待してくれた。

プロジェクトでいろんな国に行くが、どうしてもホテル暮らしになる。食事も自炊するかレストランに行く機会が多い。そんな中、個人宅で家庭料理を振舞われたりすると、本当にその国の文化に触れられたようなハッピィな気分になる。フィリピンでは総裁の家、スーダンでは通訳の方の家に遊びに行った。こういう体験はなかなか得難いものである。

料理上手なAli氏の奥さんがせっせと料理を作ってくれる。でも、食卓まで料理を持ってくるのは息子で、終ぞ我々は奥さんの顔を見る機会がなかった。これはイスラームの文化なのだろうか。それともパキスタンの文化か。ついつい直接、奥さんにお礼を言いたいなどと思うが、レストランではシェフの顔は見えないのが普通。それと同じと思えばいいのかもしれない。昭和の日本もそういう傾向は多少、あったはずなので、夫婦で客人を出迎えるという文化の方が新しい発想なのかもしれない。

パキスタンと言えば、イスラーム国家だし、ウサーマ・ビン・ラーディンを匿っていたし、隣接する国がアフガニスタンだし、最近でもラホールでテロルがあった。日本ではそういう側面が強調されて、非常に危険な国というイメージがある。でも、ボクはパキスタンを満喫している。ハラッパーの遺跡にも行ったし、ラホールではムガル帝国時代の宮殿やモスクも見た。観光資源も豊富だし、料理もおいしい。そして、こうやってAli氏の家にお招きされている。

もう少しだけ情勢が変われば、パキスタンは本当にいい国だと思う。ボクはどうしたってギリシア押しで、そこは譲れないけれど、でも、それに次いでパキスタンを押してもよい。

2018年2月20日 パキスタン。

これからパキスタンに行ってくる。1か月の渡航。Twitterみたいな使い方だな(笑)

2018年2月3日 バナペン。

バナナやパイナップルで有名なDoleが「バナペン」というのを販売していた。お酢を使ってバナナの皮に絵が描ける。
https://www.dole.co.jp/bananamessage/ja/

1つ目のはボクが描いたもの。バナナ3本のものは妻のちぃ子の作品(笑)。意外と面白くって、子供にウケている。

 

2018年1月12日 キッチンに足のあるお化け、現る!?

朝、ボクが朝食のサラダの準備をして、妻のちぃ子が息子のツクル氏を起こしに行った。目を擦りながら階段を下りてきた息子に「おはよう」と声を掛けるが、彼は無視。そのままトイレに直行して、「パパはまだ上で寝てるよー。ボクが起こしに行かなくちゃ!」などと言っている。ちぃ子は「パパは起きてるでしょ」と言う。でも、息子は譲らない。「寝てるよ。ボクが起こしに行くんだから!!」。仕方がないので、ここはひとつ、息子の猿芝居にお付き合いしよう。ボクは3階のベッドに潜り込んで、目を閉じる。やがて、ドタドタと階段を昇ってくる足音。「パパー、起きてー!!」。そして、ほっぺたにチュー。ボクはパッチリと目を覚まして「わあ、おはよう! もう朝かー! 眠いー。まだ寝ていたーい!!」などと返す。平和な朝だ。こんなことでツクル氏は大満足。ベッドに寝転がったまま、足をバタバタさせて大喜び。子供だなあ。

ところが話はこれでは終わらない。大急ぎで朝ごはんを食べていると、ツクル氏が顔を寄せてくる。「何?」と尋ねると、声を潜めて「パパ、ボク、お化けを見たよ」と恐々と言う。「いつ?」と訊くと「朝。起きたら、台所に」。ん? 「それって、もしかして、パパそっくりだった」。「そうそう」。何てヤツだ。ボクは「それって、本当にお化けだった?」と訊いてみる。「うん。でも、足があったから怖くはなかった」。何てヤツ。あのとき、ちゃんと認識していたんじゃないか。こっちの挨拶を無視しやがって。その上、「お化けなのに、ちゃんとお皿を机に運べていたよ!」と彼はご丁寧にそんな状況まで説明する。「でも、何でパパ、台所のお化けのこと、知っているの?」。えーい、クソ。「足がある方が、実は怖いんだよ」と脅かしてみる。「えー、怖いー!!」とケラケラ笑う。

それにしても、この息子の帳尻合わせって、一体、何なのだろう。「3階ですやすやと眠っているはずのボク」を創造し、一方で、「実際に台所に立っていたボク」をただの「お化け」に仕立てあげる。こういう想像力というのか、妄想力というのか……。いやはや、子供の発想って、摩訶不思議である。

2018年1月3日 あけおめ。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

毎年恒例の『近況報告の本』を今年も無事にお届けできました。10月、11月とマラウイ、パキスタンに行っていたので、実のところ、何度、原稿を落としてしまうかと危惧していましたが、何とか発行まで漕ぎ着けられました。やれやれです。

今年は例年以上に「絵」に注力しようと思っていて、今回の雑誌の中でもかなり絵を描きました(印刷が何故か薄いのだけれど……)。文章は読んでもらうまでの取っ掛かりが弱いので、絵を活用しながら、ウェブサイトをヴィジュアル的に面白くしていきたいな、と思っているので、今年はそういう年にしようと画策中。

2017年11月4日 近況報告。

本日、パキスタンに旅立ちます。1か月の渡航。帰国は12月3日の予定。ではでは。

2017年10月28日 帰国!!

ついさっき、マラウイから帰国して、成田空港から横浜までの移動中である。

マラウイは想像以上にネット環境は悪く、1,000クワチャ(150円ちょっと)で250MBのバウチャーを買う。そんなものはすぐになくなってしまうので、その都度、またバウチャーを買う。おちおち動画も見ていられない。しかも朝昼晩と停電するので、Wi-Fiルータが沈黙してしまう。そんな世界。経済の成長に合わせて、電気と水道が追いついていない。

でも、食事には苦労しない。どの店に行っても味は間違いない。人々もフレンドリィ。そして、観光資源が多い。湖、山、動物。安全だし、言うことはない。

少し落ち着いたら、マラウイの状況でも書こうか、とも思うけど、また4日にはパキスタンに飛ぶので、スケジュール的には忙しい日々である。まあ、精神的には忙しくはないけどね。はっはっは。