2019年10月27日 馬から落ちて落馬する!?

意外と略語というのは危険だ。たとえば「HTML言語」という表現を見かけるが、厳密には「HTM言語」だ。何故なら、「HTML」の「L」は「language(言語)」だからだ。ボクはよく知らずに使っていたこともあるが「HIVウイルス」も、実は「V」が「Virus(ウイルス)」なので重複している。意外と当たり前に使われている「IT技術」も「T」は「Technology(技術)」なので、おかしなことになる。「JIS規格」の「S」も、厳密には「Standard(規格)」なので、本来は「JI規格」とすべきだったのだろうが、もう広まってしまったので今更、という感じだろう。「SUV車」というのも、「V」が「Vehicle(車)」だ。

実は外来語というのは、我々はよく理解しないで使っているケースも多い。「サハラ」は《砂漠》なので、「サハラ砂漠」は「砂漠砂漠」になってしまう。「ゴビ」もそうだ。「ゴビ砂漠」は「砂漠砂漠」。有名なのが「チゲ鍋」。「チゲ」が「鍋」なので「鍋鍋」になっている。意外と知られていないかもしれないのは「サンスクリット」。これは《洗練された言語》という意味なので、「サンスクリット語」とは言わない。専門家は気をつけているけれど、素人は「サンスクリット語」と呼んでいるだろうな、と思う。「ハングル」も同じ。「ハン」が韓国、「グル」が「語」なので「ハングル語」と訳したら間違い。

日本語でも重語というのはしばしばやってしまうのであって「違和感を感じる」などと言ってしまったりするけれど、日本語だとおかしいな、と気づくことができる。でも、略語や外来語は、深くその意味を考えないことが多いので、ともすれば、誤用する。

2019年10月26日 新しいことを学ぶ。

高校になると、科目が選択制になる。だから、たとえば、理科だと、物理、化学、生物、地学などの中から1つないしは2つを選択することになる。社会だと世界史、日本史、倫理、現代社会、地理などから選ぶ。

ボクは高校生のときに、理科の中からは物理と化学、社会の中からは世界史と倫理を選択した。でも、今になって、ボクは理科・社会のおさらいをしつつ、新たに生物や現社の勉強を始めた。いくつになっても、新しいことを知るのは楽しいもので、いろいろな発見がある。

2019年8月12日 N国党が暴れている……

政治的な発言をする意図はないが、ここのところ、N国党が大暴れだ。「NHKをぶっ壊す!」をスローガンにしていたが、今度は「マツコをぶっ壊す!」に切り替えて、メディアを駆使してマツコ・デラックスを口撃している。「ふざけて(票を)入れている人も相当数いる」という一部分を切り取って、「有権者をバカにした」と煽情的に叩かれ、一部では、多少、マツコ・デラックスの印象が悪くなったのではないか、と思うから、彼の口撃は成功しているのではないか。

正直、立花さんって政見放送にしても、今回の動き方にしても、メディア戦略がうまい。視聴者を盛り上げていく。悪い言い方をすれば、厚顔無恥で、手段を選ばないからこそ出来る戦略とも言える。こういうのと戦っていかなきゃいけない他の政党やメディアも、大変だなあ、と思う。インターネットが生まれ、SNS、YouTubeが生まれて、みんなが発信者になった。これまでみたいに紳士協定的にやってくれるわけではなく、こういうあざといこともやってくる発信者も登場する。そして、その方が面白く見えるときだってあるだろう。

ある意味では、NGT48の事件でも、吉本騒動でも同じで、メディアの中で大衆の心を捕まえ損なうとダメージを負う。我々は、まさにメディアを使った弱肉強食の世界にいる。そう割り切って、メディアをガンガン活用しながら、視聴者を煽りながらひた走るN国党のやり方は、まさに現代の政党なのだなあ、と思う。いい悪いではなくって、そういう時代だからこそ、我々は気を引き締め、メディアに踊らされないようにしなきゃいけないな、と思う。

ちなみに、ボク個人的には、NHKの教育チャンネルは大好きだし、このまま視聴率を気にせずにクオリティの高いものを作ってもらえればいいなあ、と思っている。一方で、大河ドラマにしろ朝ドラにしろ紅白歌合戦にしろ、ちょっと視聴率に振り回さ過ぎじゃないか、と思う。今回の大河ドラマの視聴率が振るわないという点で、いろいろと叩かれているが、本来、スポンサーがいるわけじゃないので、視聴率なんてどうでもいいはずだ。それに、有名人を駆使して、民放でも視聴率が取れそうな番組をつくって、それって民業圧迫じゃないか、とも思ったりする。民放がやって採算がとれるだろう分野はNHKがやる必要はない。そして、これだけネットやメディアが発達してきて、各人がいろいろな手段で情報を得られるようになった今、実は公共放送って何なのかという点を改めて議論すべきだろう、と思う。

総務大臣が「政見放送」と「災害情報」を挙げて公共放送の必要性を訴えていたが、どちらも、ちょっと考えれば代替手段がたくさん出てきそうだから、NHKだけの専売特許ではないし、NHKが担保しなくちゃ成り立たないものでもないような気がする。もっともっとNHKは公共放送とは何か、という議論をして、民放とのデマケーション、他のメディアとのデマケーションを考える。そういう時期に来ているのだろうな、とは思っている。

2019年8月11日 LGBTQIA+

言葉は日々、変化していく。知らない間に「ディスる」とか「エモい」という言葉が浸透して、普通に使われるようになった。「GAFA」という語もビジネスシーンで見かける。新しい概念が生まれるたびに、言葉は変化していく。「LGBT」という言葉があったが、今ではその4つの枠にハマらない性も意識されて、もっともっと多様になっているらしい。最終的にどういう言葉に落ち着くのかは分からないけれど、「LGBTQ」とか「LGBTQIA」、あるいは「LGBTQIA+」という語になってきている。カナダでは「LGBTTIQQ2SA」と呼んでいる事例もあるらしい。でも、そういうのは、正直、覚えにくいし、定着しないと思う。

そもそも、それぞれの事象に次々に名前をつけて細分化していったら、微に入り細に行って非常に難解になるような気がする。「LGBTの4つです」という定義の仕方そのものが誤りのような気がする。多様な性を認めよう、という広い定義にしておけばよかったのかもしれない。人はそれぞれで、多様なのだから、多様だ、というだけの定義でよかったのだ。

時代が変わって、新しい概念が生まれれば、新しい言葉が生まれる。でも、無理矢理に捻り出した言葉は、多分、定着しないのではないか、と思う。「LGBT」は語呂がいい。「LGBTQ」も、まあ、悪くはない。でも、それ以上に長くなると、何だかちょっと違うような気もする。その言葉の意味する多様性は否定しないが、言葉としての在り方に対しては、ボクは懐疑的だ。

2019年8月10日 時代は変わる……恐竜も変わる……

5歳の息子のツクル氏。マクドナルドのハッピーセットが大好物なわけだけれど、最近のハッピーセットは小学館と組んでハッピーセットオリジナルの「小学館の図鑑NEO」のミニ図鑑を出している。単なるオモチャではなくって、こういう教育的なオマケというのは悪くない。そんなわけで、息子がここ最近、恐竜に超ハマっている。奇しくも横須賀で「ヨコスカ恐竜パーク」がやっているので、そのうち連れて行こうと思っていた矢先だったので、その予習としてはちょうどよい感じ。勢いに任せて「小学館の図鑑NEO」も購入して息子に与えた。それを黙々と読んでいてくれるので、楽チンだ。

それにしても、ボクが子供の頃に説明されていた中身とは全ッ然違うことに驚かされた。「恐竜」と言えば、ティラノサウルス、ステゴサウルス、トリケラトプス、プテラノドン、フタバスズキリュウ、イクチオサウルス……と思っていたら、最近の定義では、プテラノドンのような「翼竜」やフタバスズキリュウのような「首長竜」、そしてイクチオサウルスのような「魚竜」は「恐竜」とは別の爬虫類にされている。また、「恐竜」の枠の中に「鳥類」が定義されていて、鳥類は恐竜の生き残り的な位置付けにされている。

研究が進んで、いろいろと分類も変わっていくらしい。しかも、かなり生態も判明しているらしく、恐竜の暮らしぶりが分かってきていることにも驚いた。

子供の本を介して、いろいろなことを学ぶ今日この頃である。

2019年8月3日 南米の妖怪の本が出た!!

久々に時間に余裕ができたので本屋に行く。たまたま児童書コーナに足を向けたら、『南米妖怪図鑑』が平積みになっている。引き寄せられるように手に取る。7月20日出版だったらしい。まさに出版されたばかり。そのままの勢いで購入した。

中南米の妖怪なんて、あんまり紹介してくれる本がない。著者はアルゼンチンの人らしいから、それなりに情報は信用できるのだろうか。アルゼンチンの作家と言えば、『幻獣辞典』のホルヘ・ルイス・ボルヘスを思い出す。小学校のときに図書館で見つけて、それから新書を本屋で購入した。ちょっと前に文庫本になっていて驚いたけれど、この本には彼が創作した妖怪が混ざっていて、見事、騙された。

いずれにせよ、中南米の妖怪について、こうやって紹介してくれる本は少ない。それを日本人が企画して、日本に在留のアルゼンチン人が書いたというのが面白い。知らない妖怪も多かったので、これから勉強していこうと思う。

2019年7月9日 リニューアル

今、ファンタジィ事典のリニューアル作業を敢行中だ。今年中には公開に踏み切れる段取りで進めている。SNS全盛期の今、何でリニューアルをするのか、という気持ちもある。でも、どうしても、htmlでやり続けたいという信念みたいなものがボクにはある。ここで乗り越えて、新しい世界を切り開きたいな、と思っている。

htmlのウェブサイトはかなり淘汰された。昔は結構、神話サイトも多かったし、活発に交流していたけれど、今、そういう感じで動きのあるウェブサイトってほとんどない。閑古鳥が鳴いていて、開店休業中みたいな感じ。斯く言うファンタジィ事典も、手を入れていないので、似たようなものだ。リニューアルをしている意味は、まさにここにある。少し、ライトに更新できる形にしたいな、というところ。

ボクの興味が散漫だから、ついつい、いろんなジャンルのいろんな項目を更新して、ときにはアイヌ伝承、ときにはメソポタミア神話、ときには記紀神話、ときにはアステカ神話……とちぐはぐで、濃淡ンがまちまちのウェブサイトになる傾向にある。そうではなくって、ある程度、コントロールして、ひとつのジャンルとしては一応、完結していくような形のウェブサイトの在り方を模索している。たとえば、ギリシア神話について調べようと思うユーザがいたら、まずは「ゼウス」の項目はマストなのであって、「オリュムポスの12神」もマストで、それなりに有名な怪物も載っていて、ギリシア神話としては一定の水準で完結している。そんな事典構成にしたい。そのためには、古代ギリシアの地図や歴史、言語、資料などがぱぱっと参照できて、それから事典に入っていくような形を目指したい。そんな想いがある。

とは言え、これまで膨大に更新してきたので、項目としてはかなり数があって、それを移していくだけでもかなりの時間になるので、その辺、結構、リニューアル作業を進めながら苦しんでいる。

2019年7月7日 果たしてお金に善悪があるのか

最近、吉本の芸人さんが反社を相手に直営業をしたとかで、巷は騒がしい。でも、いろんなコメンテータがいろんなことを言うけれど、最後の最後で、ボクは違和感を覚えてしまうことがある。それは「おじいさんやおばあさんから巻き上げたお金」的な表現だ。お金には色はない、というのがボクの個人的な見解だ。どんな悪事で稼がれたお金でも、真っ当に稼がれたお金でも、お金の価値は変わらない。1,000円札はどんな経緯で掴んだ1,000円札であっても、1,000円の価値しかない。苦労して稼いだからと言って、1,200円や1,300円の価値は持たない。汚いお金であっても1,000円。ボクはそう考えている。芸人が詐欺集団からお金を受け取ったとして、それ自体は悪いことかもしれないけれど、だからと言って、騙されたお年寄りに謝れ、というのは違う、と思う。そんなこと言ったら、今、手にしているお金がどういう経緯のお金かなんて、誰にも分からない。

ボクたちが考えなければいけないのは、直営行をしたことの善悪とか、結果として詐欺集団からお金を受け取ったことの善悪ではない。たとえば、詐欺集団の一人が居酒屋にいって4,000円の飲み放題コースで飲んだとして、その4,000円を受け取った居酒屋は悪なのか。そうではない。詐欺集団であろうがそうでなかろうと、4,000円のサービスに対して、4,000円の対価を支払う。それは当然のことで、その4,000円の出所が詐欺集団であるかどうかというのは関係がない。だから、居酒屋が反社会勢力の人からお金を受け取ったその4,000円について謝罪する必要もないし、ましてや騙し取られた高齢者に謝罪するのはおかしな話だ。議論はそんなところにはない。

「俺が声を掛ければ誕生日に宮迫や亮が来るんだぜ!」という利益が、反社会勢力の人たちにはあったということだ。芸能人がパーティに来てくれるというのはステータスになる。きっと「親分、凄いっすね! 俺も親分みたいになれるように頑張りますよ!」みたいな感じで、部下たちの士気もあがったことだろう。そういうところに問題がある。だから、たとえば、宮迫の芸に対して100万円の価値があって、100万円の対価が支払われたのだからそれでいい、ということにはならないかもしれない。そして、それをどこまで芸人たちが自覚していたかというところが問題だ。大歓迎されるし、お金も貰えるし、多少は危険な人脈だとは思うけど、まあ、いいか、と思ってしまったかどうか。そこが一番重要なところで、そして、そういうパーティに何度か顔を出したかどうか。そういう議論をしなきゃいけない、とボクは思う。

2019年5月8日 あっちゃん、Youtuberになる!?

オリラジのあっちゃんがYoutuberになったらしい。カジサックの影響だろうか。「中田敦彦のYouTube大学」と称して、教育チャンネルというのか、教養チャンネルというのか……。コラボしたときに「あっちゃんの教育チャンネルには需要がある」的な話をカジサックがしていたのを思い出す。

コメント欄はキッズたちの称賛の嵐だけれど、正直、ボクはもう一歩、足りないなー、と思ってしまう。情報が中途半端な感じがする。面白いものもあるし、正しい情報もある。斬新さもあるのだけれど、どうしても、教養の部分で詰めが甘い。あっちゃんの動画を見て、感化されて自分で調べよう、と思う人が現れれば、それはそれで成功かな、と思うけれど、多分、視聴者はそこまで真剣じゃない。あっちゃんの話を聞いて、分かった気になる。でも、全然、表層的。もっと深堀しないと、教養として薄っぺらすぎないか、と思ってしまう。当たり前のことを尤もらしく喋っているだけ。消化不良だ。たまに尖っていたり、視点が面白かったり、キレる部分があるだけに、全体として間延びしている感じで勿体ない。投稿頻度を下げてでも、クオリティを上げた方が、彼のブランディング的にはよいのではないか。キッズに対しては、あんな程度の講座で十分騙せる、という判断だろうか。少なくとも、一連の投稿を見て、ボクの中でのあっちゃんへの評価が少し下がっている。もうちょっと丁寧にやれるだろうに、と思ってしまう。あるいは、もしかしたらその程度の人物なのか、と勘繰ってしまう。そう感じさせてしまったら、負けじゃないか? ブランディングに失敗していないか?

や、コメント欄のキッズたちは称賛の嵐なんだけどね。本当に? あれで感心してしまうの? 新書で勉強したら、もう少し掘り下げて語れることなんかいくらでもあるし、情報の正確さって、もっとちゃんと担保しないと、信用を下げないか?

2019年3月7日 いいものがいいとは限らない罠!?

ここのところ、妻がせっせと自分のウェブサイトをSSL化していたが、本日「アフィリエイト収益が減ったんだよ!」と憤っている。どうやら、SSL化に未対応の広告サイトがSSL化によって表示されなくなってしまった模様。Google先生が「保護されていない通信」などと不安を煽る警告を出してきているし、SSL化していないウェブサイトの検索順位を下げてきたし、何となくみんな、SEO対策としてはSSL化がよいと信じているわけだけれど、実際問題、SSL化に対応できていないウェブサイトがたくさんあるので、こういうおかしな現象が起こる。不合理だなあ(この話が分からない人は調べてください)。

実は、最近、忙しくって、買い物にも行けずにいる。コーヒー豆を切らしてしまったので、徒歩5分のコープに豆を買いに行った。もはや「コープの豆でも飲めるのだから、それで手を打とう」という気持ちだ。ところが、思った以上に高い豆が売っていたので、これはおいしいかも、などと期待して買ってしまったわけだけれど、封を切って、挽いて、そしてお湯を入れて愕然。全ッ然、泡立たない。要するに、コープに来るお客さんはコープのコーヒー豆に期待していないので、必要以上に高い豆は買わないのだ。だから、店にずぅっと陳列されていた古い豆だった、というわけ。一番安い豆はおいしかった記憶があるので、背伸びせずに安い豆を買っていた方がよかった。何だかSSLの話に似ている。不合理だなあ。

2019年2月10日 BiSはどうかと思ったけど、BiSHは覚悟を決めたメンバだからいいよね。

今年度は、BiSHにハマっている。ももクロも個々のレベルが高かったが、BiSHも個々のレベルが高い。AKBグループみたいな数で勝負するやり方もいいが、厳選されたメンバーで、ちゃんとした世界を構築する形も、ボクとしてはよいと思っていて、その中でも、BiSHはレベルが高いな、と思っている。レコード大賞に出演していたが、あんまりうまくなかった。でも、本当はもっとうまい。LIVEが上手なグループだと認識している。だから、上手なLIVEの映像でも共有しておこうと思う。アイナ・ジ・エンドが振り付けするダンスは、癖が強いのだけれど、でも、歌唱も含めて圧巻だと思う。まあ、2つ目の「NON TiE-UP」はタイアップできないという意味では、歌詞がものすごいのだけれど、それも、BiSHっぽいというか、渡辺淳之介っぽいというか、ね。

ちなみに、avexが掲載している正規の動画だから、安心してみてもらって大丈夫(笑)。さっき、重たい記事をあげたので、軽い記事も一緒にあげておく作戦(笑)。

2019年2月10日 罪を憎んで人を憎まず。

たとえば、誰かが逮捕されたり、逮捕されないまでも、不倫だったり、差別発言みたいな失言だったりすると、その人そのものに対するものすごい苛烈な攻撃が始まる。そして、その人の社会的地位を完膚なきまでに貶めようとする「正義の群衆」が登場する。そんな訳の分からない「正義の群衆」に引き摺られて、社会がおかしな方に歪んでいく。

イジメはよくない。差別はよくない。不倫をするのはよくない。未成年飲酒もよくない。そりゃあ、そうだ。覚醒剤を嗜むのはもっとよろしくないし、ましてや強制性交等なんて許されることではない。そこを否定するつもりはない。その過ちや罪そのものは裁かれる必要がある。でも、だからと言って、その人の人間性を否定してはいけない。罪は罪で、人は人だ。罪を憎んで人を憎まず。罪を罪として捉えて、法で裁き、必要な対策を考える。それだけだ。

新井浩文氏はたくさんの作品に出演していて、逮捕の影響がデカいと言われている。映画の公開も中止になったらしい。名前こそ知らなかったが、ボクも彼が出演している作品は多数、見ていて、彼の顔は知っていたし、彼の演技そのものはインパクトがあったので、ちゃんと記憶している。その意味では、名脇役だったのだろう。ただ、ボクがいつもいつも主張しているが、罪を憎んで人を憎まず、だ。

「映画の公開中止」という判断。ボクは、これには異論がある。映画の話だけではない。テレビにしても、音楽にしても、そうだ。制作会社の勝手な判断の部分なので、公開中止の損害を新井氏に請求するのは如何なものか、と思っている。仮に犯罪を犯したとしても、芝居をしたという「業務」はこなしており、その分の対価は支払われるべきだし、犯罪者が画面に映ってはいけないという法もないだろう。確かに、俳優という業務は、イメージも必要なので、その点、「イメージを汚さない」という契約になっているのはそのとおり。その契約に違反している。その点で損害賠償を求めることは、これは認められるだろう。あるいは公開をしたところ、顧客からクレームが来たとして、そのクレームに対応した人間の労働に対する対価は請求できる。スポンサーが「降りたい」と言い出したら、その分の損害は請求してもいい。でも、映画の公開中止を決めたのは制作会社の勝手だ、と思う。法律上、禁止されていない以上、公開するもしないも、制作会社の判断だと思う。公開する選択肢があった中で、公開しないと決めてしまったら、それは制作会社の勝手な判断だ。たとえば、スポンサーが降りて、結果的に公開を断念せざるを得ないところまで追い込まれたのなら、それはそれだ。だったら、そう報告すればいい。何となく、訳の分からない「正義の群衆」という世論に忖度するんだったら、それは間違いだ。

それ以上に、過去の作品まで封印する風潮は、これはおかしな話だな、と思う。過去作品のオンデマンドを停止したり、メディア化を取りやめる動きがあるらしい。これこそ、勝手な制作会社の判断だ。スポンサーがつかずに断念したということではない。大体、勝手にリモコンを操作するだけで映るテレビ番組とは違って、買いたい人が買う作品まで勝手に自主規制するのはバカらしい。その勝手な損失は、どうぞ、制作会社で勝手に負担してくれ、と思う。

まあ、でも、訳の分からない「正義の群衆」は面倒くさいので、相手にしたくないという気持ちは分からないでもない。そういう判断なのだろう。でも、そういう訳の分からない「正義の群衆」を作り上げ、増長させるのもメディアだ。「あいつを社会的に抹殺しようぜ!」という悪意ある「正義の群衆」に勝利の満足感を与えちゃ、いけない。もしも、メディアに正義の心があるなら、そういう「正義の群衆」をつけあがらせないような、せめてもの抵抗を示してほしいな、と切に思う。

そういう意味では、最近のYoutuberのヒカルやラファエルのシニカルな態度や、カジサックのその都度、謝ってみせるパフォーマンスなんかは、いい特効薬になるのでは、と思っていて、見習うべきである。

2019年2月3日 まだまだ海外暮らしは続く!?

お仕事でインドネシアに1週間行っていた。「初めまして」の土地での調査なので、かなりタイト。それでも、楽しく調査できた。

ミャンマー、フィリピン、ナイジェリア、スーダン、パキスタン、マラウイ……と旅をして、今回はインドネシア。お仕事で外国に行ったのは、7か国8プロジェクト。合計で644日だ。もう、半ばプロフェッショナルだと思う。高校生の頃のボクは英語が苦手で、だから、英語で点差の開かない大学を選んだ。就職だって、横浜から出たくないからこそこの職業を選んだのだ。基本的に引きこもりである。それがどうだ。あっちこっち飛び回っている。信じられないことだ。

インドネシアで感じたのは、今まで変な国ばかりやらされていたな、ということ。ミャンマーでは右も左も分からない中での活動だったので、正直、正しく評価できないが、フィリピンでの仕事は非常にやりやすかった記憶がある。それでも、まだまだボクがプロフェッショナルではなかったから、苦労はした。その後、ナイジェリア、スーダン、パキスタン、マラウイ……。どの国も、やっぱり大変だった。それに比べて、インドネシアは何てやりやすい国だろう、と思う。相手の人々の理解力、仕事の進める早さ、反応がいい。うーん。こういう国ばっかりだったら、きっと大きな成果、出し放題じゃないか、とまで思う。そんな感覚。

折角、インドネシアに行ったので、今年は少し、インドネシアの妖怪というのか、未確認動物というのか……そんなものにフォーカスを当ててみてもよいかな、と思っている。乞うご期待。

2019年1月13日 正義の一般市民なんていないから!!

本当は12月のBiSHのライヴの話でも書こうかな、と思っていたんだけど、NGT48が炎上中なので、そっちについて書こうと思う。BiSHの話はまた今度。

事実関係は分からない。だから、これについては静観するしかない。まほほんの言っていることが100%正しいかどうかも分からないし、犯人だと名指しされているメンバーの関与の度合いも分からない。いずれにせよ、内部で抗争というのか、衝突があったのだろうな、ということは分かる。チームで仕事をするというのは、必ずしも正義や理想だけでは進まないし、人間関係のトラブルもあって然るべきだ。だから、いろいろあったのかもしれないし、若いから、行き過ぎた行動があった可能性もあるだろう。

いつも同じことしか言わないな、と飽きられているかもしれないけれど、ボクは何度でも書く。匿名だからって何を書いても許されるわけじゃない。「あいつが犯人だ」とか「実はこうなっていた」みたいな無責任な発言はよくないし、それ以上に、罵詈雑言は許されない。もしも、事実として暴行を示唆したメンバーがいたとして、今、名指しされているメンバーが「犯人」だったとして、それを裁くのは法だ。ネット私刑は許されない。寄ってたかって個人を攻撃することは許されない。ましてや現段階では真実は分からない。事実、犯人だったらいいということではないけれど、彼女、彼らが犯人であることも事実認定されていない中で、やっぱり行き過ぎではないか、と思う。

ボクは、もっと社会が寛容であるべきだと思っている。「罪を憎んで人を憎まず」だ。もしも罪があったなら、その罪の責任は問われなきゃいけない。でも、個人をバッシングすることではない。全ての人間性まで否定されることではない。犯した罪こそが問われるのであって、その罪にふさわしい罰則が与えられるのであって、そのための法治国家だ。罪があるからと言って、個人の全人間性まで非難していいわけではない。もしも、だ。もしも暴行を示唆する事実があったとして、そうだとしても、インスタグラムでああもバッシングされていいわけではないし、人間性を否定されていいわけではない。もしも無関係の人がいたら、尚更だ。

少なくとも、犯人と名指しされているメンバーのインスタグラムへのみんなの書き込みを見て、その残酷さや無神経さに戦慄する。

2019年1月11日 ミュージシャンは楽器と歌声で戦う

去年の12月6日に公開されて話題になっているYoutubeだから、情報としてはちょっと古いけど、紹介したくなったので貼っておく。Radwimpsの『PAPARAZZI~*この物語はフィクションです』のミュージック・ヴィデオ。

何だろう。今までのはフィクションだと思って聴けたけど、この楽曲は生々しい。息をひそめてじぃっと聴いてしまう感じ。音楽と映像、そして歌詞に没入して、ようやく全てが終わってから、息をするような感じ。言葉の選び方が少し粗い印象もあるんだけど、でも、そのストレートで愚直な感じも含めて、呑まれてしまった。

文筆家がペンで、画家が筆で、そしてミュージシャンは楽器と歌声で戦うのだすれば、これはまさにそういう作品だ。これを聴いた「パパラッチ」は何を想うのだろう。うーん。

2019年1月7日 文化を相対化して眺める

若者の気持ちが分かるかどうかは、どれだけ若者と一緒に過ごしているかどうかだと思う。幼稚園の先生は園児の気持ちがちゃんと分かるし、小学校の先生は小学生の気持ちが分かる。それは一緒になって文化を体験しているからだ。子供がシンカリオンにハマっていれば、一緒になってハマればよいのだし、価値観というのは、一緒に過ごさないと分からない。たとえば、高校生向け・大学生向けの雑誌を読んで、大いに共感できれば、多分、「分かっている」と言えるのだと思う。

文化や価値観というのは、接触時間に大きく依存すると思う。多く接していれば、そういう文化・価値観に染まっていく。文化・芸術がその世代の価値観の全ての原因者だとは思わないけれど、でも、時代の空気というのは確実にその世代に接触して、影響を与え、そうやって作られた文化や価値観が、またその世代に戻っていく。そういうものだ。

実はボク自身、昔、ジェネレーションギャップを感じたことがある。それは「SEKAI NO OWARI」だ。当時、若者の中で大ブームだったが、ボクにはどうしても理解できなかった。おっさんになったかなあ、と思った。だから、とにかくアルバムを買ってきて聞いた。そして、『Love the warz』という楽曲を聴いたときに、その歌詞に衝撃を受けた。「ラブandピース 美しい世界 完璧な時代 幸福な世代」。彼らの目には世界が美しく見え、完璧に映り、そして幸福な世代だと感じている。そして歌詞は「不自由なんかないこの世界でどんな自由を願ったらいいの?」と続いていく。自らを「幸福世代」と堂々と歌い上げてしまう感性に、ボクは唖然とし、そして、その瞬間に、生温い彼らの中二病みたいな歌詞の意味が、何となく分かったような気がした。圧倒的に、ボクらとは違う価値観で生きているのだ、と悟るともに、彼らが持て囃される事実と、彼らの良さが理解できないボクたちの世代間のギャップを思い知った。その視点で彼らの音楽を聴いてみると、その生温さの中にあるモヤモヤが分かるような気がした。

何に共感し、何に反発し、何を目標にし、どう生きるのか。それって、結局、時代の空気とか、経済、それから文化に影響される。その意味じゃ、そういうのを一緒に体験してやって初めて「分かった」と言えるのだと思う。だから、積極的に若者文化を知ることが、イコール、彼らのことを理解する一番の早道だと思うから、ボクは常にティーン誌に掲載されているような情報に触れようと必死だ。Youtuberも、ミュージシャンも、小説も、漫画も。

別に、若者に迎合しようと思っているワケではない。でも、時代は目まぐるしく変わっていき、今を生きている若者が感じるものに、今の時代が象徴される。今を生きようと思うなら、今を直視しなきゃいけない。10年前、20年前の感覚で生きていたら、取り残される。

加えて、彼らの時代や価値観に触れるだけじゃなくって、それと同時並行で、ボクたちの青春の文化と比較して、自分たちの時代の文化そのものを相対化しなきゃいけない。「今の若者の歌詞はバカみたい!」と鼻で笑う前に、LUNA SEAとかPenicillinとかのひどい歌詞を聴きながら「ああ、自分たちもこんなバカみたいな歌詞の歌をよいと思って育ったのだ」とか、あるいは「ヴィジュアル系バンド」の刹那主義的な薄っぺらい歌詞を思い出しながら、そういうのを相対化することが、やっぱり必要なのである。決して自分たちの時代の文化を賛美するわけではなく、そして、若者の文化を扱き下ろすでもなく(笑)。

2019年1月6日 懐古主義と旬の文化

最近のテレビを見ていると、どうも、我々の世代の懐古主義が蔓延っている印象を受ける。我々が子供の頃に流行っていたものを再登場させている印象だ。「懐かしいな」と思うけれど、でも、今の若者の感覚からすれば「古臭い」と感じるのではないか。我々の世代に向かって意図的に番組を作っているというのなら、それはそれでいいが、ボクはそうではないと思っている。クリエイティヴな現場で活躍している世代の意思決定をしている人たちが、ちょうどボクと同じ世代だから、何となく、彼らが懐古主義に囚われているのではないか。そう疑っている。

若かりし頃のボクは、テレビの前でずぅっとイライラしていた。古臭いスターなんかをテレビに引っ張り出してきて「昔、すごかった人です」なんて紹介されて、出演者がテレビの向こうで「すごい、すごい」と絶賛しても、ボクには全ッ然、分からなかった。「そんな過去の骨董品ではなく、今、まさに旬の人たちを出してくれないか」と憤っていた。それってボクだけではなかったはずだ。ボクたちは高校生の頃、みんなで「もっと新しい文化をテレビに映せ!」と憤っていなかったか。

ボクたちは大人になった。それなのに、ボクたちの世代が同じように懐古主義に囚われている。そんな気がする。そうだとしたら、それって「老害」だ。

懐かしさもよい。でも、それはそういう番組でやればいい。それよりも、やっぱり旬のものを旬のうちに。そういう方向転換をしてあげた方がいい。今、まさに最前線でクリエイティヴな活躍をしている上司の世代として、そんなことを思う回数が増えている。

2019年1月5日 新年のご挨拶と抱負!

あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いします。

さて、今年も無事に「近況報告の本」を発行できた。2010年の結婚式に参列者に配って以来、定期的に発行してきて、今回で8冊目。アイヌ特集を組んだが、個人的には、デザインが今までで一番、うまくまとめられた、と思っている。表紙の絵は「セーフリームニル」を描いたが、選んだ素材が悪かったのか、コンセプトが失敗したのか、あんまりうまく描けなかった(笑)。漫画家さんは小さなコマ割りの中で、小さな人をさらりと描くが、それってとても難しいのだ、ということを学んだ。ヴァルキュリャとエインヘリャルだが、小さい中で表情とか動きを表現するのが難しい。

セーフリームニル

もうひとつ、各人へのコメント記入用のカードに「オーク」を描いた。こちらは、猫背なので、自分に似ていて、まあ、それなりにいつもどおりに描けた。

オーク

「セーフリームニル」にしても「オーク」にしても、そのうち、ちゃんとファンタジィ事典で解説を書こうと思う。実は「ファンタジィ事典」が2016年9月以降、更新されていないので、ずぅっと気に病んでいる。思うところがあって、リニューアルを検討していて、すでにデザインは終わっていて、HTMLもCSSも出来上がっている。でも、PHP的な発想のプログラムのところが完成していなくって、今まで更新されていない。プログラムが出来たら、順次、更新していく予定だったので、各項目にも手をつけない状態になっている。今年は海外生活も減って、横浜にいられる見通しなので、何とか形にして、本来、やりたかったことをやろう、と思っている。お待ちいただければ、と。

リニューアルイメージ

2018年12月18日 今年も無事に雑誌を入稿!!

2019年の近況報告の雑誌、今年も無事に完成した。よかった。正直、今回は直前までファイサラバードに渡航していた関係で、どうなることかと思っていた。でも、無事に完成し、入稿に漕ぎ着けた。表紙のイラストはイマイチなのが口惜しいが、でも、完成させることに意味がある。

2018年12月13日 確かにひとつの時代が終わるのを 僕はこの目で見たよ

こんなことを書いても仕方がないのだが、一時代が終わって、ただただ悲しくなった。MEGWIN TVの件だ。真実なんてひとつじゃないし、どっちの言い分もあるだろうし、誰が正しくて誰が悪いなんてことは部外者のボクには論じられない。想いがすれ違うこともある。でも、ただただ、あのファルコンとメテオの動画内の表情に、ボクはとても胸を打たれ、悲しい気持ちになった。懐古ばかりしていても仕方がないけれど、BEGIRAGONSの時代はよかったなあ。あれがあったから、ボクはYoutubeに未来を感じた。Youtubeが、テレビ以上に面白いものが作れるのかもしれない、と期待した。ものすごいチャレンジ精神があったし、非常に先進的だった。そのBEGIRAGONSがぐちゃぐちゃーっとなし崩し的に潰れて、あれよあれよとMEGWIN TVが衰退して、それでも、なんやかんやあって、ようやく盛り返してきたかなーっと思ったら、ここでこういう展開。うーん。

ピザ窯づくりの動画が、昔のBEGIRAGONSを彷彿とさせて、ちょっと懐かしく感じていたけれど、それもまた、ファルコンとメテオ、そしてバンディの意地なのかな、と思う。そこにMEGWINが不在だったのが、とても悲しい。そんなこんな。