2020年11月29日 猫も杓子も謝罪会見!?

最近では、よく芸能人が謝罪会見をしている。YouTuberもする。もう、猫も杓子も謝罪会見の世の中だ。で、それを拒んでいる珍しい芸人がいる。年末の「ガキ使」で復帰すると噂されている彼だ。

彼の復帰に葉賛否両論あるらしい。むしろ、否の方が多いという印象で報じられている。「彼が出演しても笑えない」という声がある。まあ、笑いの感性は個々で違うので、笑えない人は笑えないし、笑える人は笑える。「彼が出演するなら見ない」という声もある。見るも見ないも個人の勝手。見たくない人は見なければいいし、見たい人は見ればいい。テレビは義務教育のような類いではないので、みんなが見なければならないものではない。見たくなければ見なければいい。少しだけ気になるのは「彼を出演させるべきではない」というコメントか。出演させるさせないは事務所とテレビ局、スポンサーが判断するもので、ちゃんと議論して決めたことだろうから、その「べき論」は視聴者が論じることではない。彼の出演に違法性がなくて、視聴率がとれると判断されれば、出演する。それだけだ。「見ない」という形で抗議をするのは自由だから、是非、そうすればよいと思う。

でも、何よりも違和感を覚えるのは「会見が先だ!」というコメント。謝罪会見って、そもそも必要なのだろうか。前例踏襲でみんな、謝罪会見をするけれど、謝罪は、謝罪すべき対象に向かってするものだ。たとえば、商品の不具合があった場合などはお客さまに謝罪する必要がある。会社に損失を出したときや不正があったときには、もしかしたら会社は株主に向かって謝罪をするのかもしれない。でも、不倫は、配偶者への裏切りであり、配偶者に謝罪すべきだ。番組降板によってスタッフやスポンサーに迷惑を掛けたなら、スタッフやスポンサーに謝罪すべきだ。謝罪会見をすべきだと言う声は、ボクには違和感しかない。謝罪は関係者に対してすべきであって、謝罪をどこまで公開すべきかは本人が決めればよい。配偶者に対して謝罪し、スタッフやスポンサーに対して謝罪すれば、その形は問われるべきものではない。それが不特定多数のお客さまであったり、株主みたいな場合には、公の場で謝罪することが有効なだけで、芸能人であるから駆らなず公の場で謝罪しなければならないわけではない。公の場で謝罪をすることで初めて許されるとか、マスコミの前でボコボコにされてから再出発みたいな発想は、陰湿なイジメ的な発想で、何となく、芸人仲間がそんな論調になっていることが、すでにズレた議論のような気がする。

彼が謝罪会見しないままリスタートしてどうなっていくのかはよく分からないが、謝罪会見をしないというのも、ひとつの選択肢だという世界であって欲しいな、と思う。それこそがダイバーシティを認めることだと思う。

2020年11月24日 新しい時代の幕開けに立ち会え!?

オリラジのあっちゃんと雨上がりの宮迫が反撃の狼煙(のろし)を上げた。YouTubeで新しい挑戦だ。テレビでうまく立ち回れなかったあっちゃんと、忖度によってテレビに弾かれてしまった宮迫。この2人が、YouTubeを舞台に、今のテレビではできない、それでいて面白く斬新な企画として「Win Win Wiiin」を開始。これは、テレビ制作者の目にどう映ったのだろう。忖度なしのぶっちゃけトーク。尺にとらわれない長尺の編集。組織の理論から外れて、企画者のやりたいようにできる自由。ロコンドというスポンサーはついているし、YouTubeのCMは入るものの、長いコマーシャルはない。従って、コマーシャルを考慮した時間配分や編集も不要だ。それでいて、いつでもどこでも何度でも見ることができる利便性がある。そんな中でできる限界に、彼らは挑戦している。少なくとも、ボクは、テレビ制作に携わる人間からすれば、羨ましいだろうな、と思うだろう。悔しいだろうな、と思うだろう。きっと、いろんなやりたい企画があって、でも、組織の理論の中で無難な仕上がりになっていく。本当だったらこんなことがやりたい。そんな想いをふっ飛ばして、あっちゃんがやりたいことが、こんなにも凝縮されている。勿論、責任も問われる。ゲストの手越も言っていた。個人だったら自由。だけど責任は取らなきゃいけない。数字で評価されるえぐい世界。それでも、楽しそうな2人がいて、純粋に、羨ましいな、悔しいな、と思ったはずだ。そうじゃなかったら、嘘だ。

手越の心の叫びも、まさに多くの視聴者の感覚や意見を代弁している。本当に、おかしな世の中だ。理不尽な世の中だ。それを、ぶっ飛ばしていこうとする2人(あるいはゲストの手越もいれれば3人)の在り方に心打たれる。おそらく、あっちゃんにとっては新しい挑戦なのだろう。そして、あっちゃんは間違いなく勝った。でも、宮迫にとっては、正直、危険な賭けだったと思う。これで、テレビ復帰の道は遠退いたかもしれない。それでも、やる価値のある挑戦だと思ったのかもしれない。ここで乗ることがスターとして正しい道だと感じたのかも知れない。一世一代の賭けだったと思う。これが吉と出るか凶とでるか。正直、テレビ復帰がゴールだとすれば、結果は五分五分だと思う。でも、新しい時代を切り開いた。それだけの評価は、ちゃんとついてくるだろう。

ボクは、その瞬間に立ち会えたことが幸せだなーっと思った。電車の中で、号泣しそうだった。

2020年11月8日 好きなことで、生きていく

レペゼン地球のYouTubeで、DJ社長が「好きなことで、生きていく」ということの彼なりの答えを語っている。夢を持つこと。だけど、ちゃんと現実も鏡も見ること。やりたいことをやるために、やりたくないこともやること。全て正しいと思った。そして、そんなことよりも、DJ社長が意外とマニュアル人間で、ちゃんと教則本に則って考えているところにウケた。ボクも自由人に見えて、実は型通りにやってみるタイプだから、共感もした。

2020年10月25日 YouTuberに、俺はなる!?

ボクは会社で国際人材育成を担当していて、2か月に1度の頻度で、研修を主催している。とは言え、新型コロナウイルス感染症対策として三密回避をしなければならないため、人を集めにくい状況は続いており、仕方がないので、会場を2つや3つに分けて、Zoomで繋いで、オンラインで研修を実施したりしている。

研修にはワークショップはつきもので、お互い、顔を突き合わせてグループワークをするのが有効だと思っているので、メンバーが分断されてしまう状況は苦しいところだ。一方で、文明の利器として、ZoomやYouTubeを活用する気運が高まっていて、ボクもそういうものに触れる機会が多くなって、畢竟、そういうスキルがどんどん上がっている。先日はZoomで複数の会場を中継しながら、それをYouTubeでストリームライブ配信をして、会場に来ることができない人々にも情報を届けようと画策して、うまく行った。

実際にやってみた感想として、研修会場に人を集めるよりも、ずぅっと簡単に参加者を増やせそうな印象があって、今まで30~40人にしか伝えられなかった講義が、容易にたくさんの人に届けられるのではないかという可能性を感じた。単なる一方通行の講義でよければ、全然、いいアプローチだ。さらにはYouTubeにアーカイブが残る。その瞬間に立ち会えなかったとしても、後から見ることができるので、その意味では、さらにたくさんの人に見せることができるので、その可能性も大いに感じた。

多くの人は「研修イコール講義」だと勘違いしている。実際にはそれは間違いで、受講者の情報を引っ張り出したり、ワークショップをしたりして、研修で伝えたい情報を記憶に定着させ、行動変容を促すところまで持って行かなければいけないので、講師の情報を届けるデリバリースキルだけではなく、当日のファシリテーションも大事だし、如何にして参加者に関与させ、行動変容させるかという研修デザインも重要だ。その意味では、やっぱり、インタラクティヴでなければ研修は成立しない。でも、依然として「研修イコール講義」スタイルが蔓延していて、そういう要素がメインになっている。であるならば、実は一方通行でもよくて、こういう研修スタイルなのであれば、YouTube配信やアーカイブでも十分であることになる。そういう意味では、研修の前段になる「情報付与型」の部分だけは、YouTubeを活用するのは有効だ。

そんなことで、実は新コロの煽りを受けながらも、情報付与型の一方通行の講義は、もう、人を1か所に集める必要はないし、同じ時間を共有する必要すらないことに気づかされる。そして、そういう情報付与型の研修はYouTubeを活用することで、一度、録画したもので繰り返しアプローチできてしまうので、改めて毎回、講師がわざわざ登壇しなくてもよいということになる。とても効率的。そして、我々は、本来の研修の役割であるインタラクティブな部分にのみ、注力すればよいということになる。

そんなわけで、ボクは今、ちまちまと情報付与型の一方通行の講義資料をYouTubeにアップロードする作業を繰り返している。この動画の情報が色褪せるまでは、ずぅっとこれを視聴してもらえばいいということにして、ボクはそれ以外のことに時間を割けばいい。そのために「これを見ればこの内容が分かるのか!」と印象付けられるような素敵なサムネイルの作成にご執心なのである。わっはっは。

2020年10月24日 近況報告。

随分と雑記の更新の日が空いてしまった。楽しみにしてくれている人がいるのかどうかは定かではなく、その辺のモチベーションはないのだけれど、でも「書くぞ!」と決めて書いているので、その覚悟が続かないことに対する罪悪感には苛まれる。

近況を報告すると、新型コロナウイルス感染症の影響で、海外からの研修員が日本に来ることができない中、次善の策としてウェブ会議システムを用いたオンライン研修に代えて対応している。それでも、時差の関係で、複数の国を相手にすると、オンラインとは言え、みんなで顔を突き合わせるのは難しい。そんな中、動画教材を作成して配信することになり、今、その資料作成にあくせくしている。オンライン研修だと、ある種、相手の反応を見ながら現場合わせができる。でも、動画教材の配信だと、完成形が相手の許に届く。万が一、それが不発だった場合、もう、どうにも軌道修正はできない。だから、企画の段階がとても重要になってくる。今、まさにその企画の段階にあって、研修を担う講師との調整に追われて、忙しくしていた。ボク個人としても、会社としても、全く新しい取組なので、結構、チャレンジングだな、と思っている。

また、今月の上旬に祖父が体調を崩し、18日に亡くなった。無事、22日に山梨にて葬儀を執り行った。そういうことも重なって、珍しくバタバタしていた。

その上、毎年1月に発行する「近況報告の本」の作成も佳境に入っていて、連夜、妻と編集会議に明け暮れている(笑)。おそらく、12月までは走りっ放しだな、と思っている。気が抜けない。

そんな近況ではあるものの、何らかウェブサイトも動かしていければよいな、と思っている。

2020年10月5日 インド神話に力を入れつつも……

ここのところ、ファンタジィ事典では「インド」に注力している。草野巧の『Truth In Fantasy 事典シリーズ 2 幻想動物事典』の索引でインドの項目に載っているものを全てやっつけながら、そこから派生していくものを潰していくという機械的な作業を進めている。そして、はたと困っている。

分類として「インド神話」という項目を立てている。ここにはヴェーダ神話とヒンドゥー神話が含まれる。それとは別に「仏教」という項目も立てている。けれども、この分類だと、厳密にはチュレルとかピシャーチャマサーンのような宗教学、神話学ではなくって、民俗学っぽいジャンルに含まれる現代に比較的近いところで信じられている(あるいは信じられていた)インドの妖怪の置きどころがない。歴史は必ずしも大昔のものではなくって、断絶せずに現在まで連綿と続いた地続きの存在だ。その途上にいる存在をうまく分類できない。仕方がないので、取り敢えずは「インド伝承」とでもしながら「インド神話」の中に仮置きしている。

昔、トルコに行ったときに、あの山にはゴルゴーンが棲んでいたなどと大真面目に現地ガイドに説明された。現地に根差した伝説みたいになっていて、すでに神話とは切り離されていた。ギリシアにも、ギリシア神話だけでなく、現在も巣食う妖怪や精霊たちがいる。そういうのはギリシア伝承とでもいいのだろうか。そういう意味じゃ、神話で分類していては、この辺が収まらない。そのうち、整理しなければいけないなあ、とは思っている。

2020年10月4日 軸足を恐竜に置きつつ……

最近、映画ドラえもん「のび太の新恐竜」を満喫したり、国立科学博物館に行って恐竜の化石を見たり、大和市の「古代レストランバー・ダイナソー」で恐竜に囲まれてランチを食べたりしている。小学生の息子のツクル氏が恐竜に興味を持っているので、そこを掘り下げながら、映画、博物館、異国料理などの幅を広げている。古代レストランではジャンバラヤを食べさせることに成功した。育児の難しさと、それを乗り越える工夫に日々、煩悶しているところである。

2020年10月2日 よりひとは「一般男性」なのか否か!?

伊勢谷氏が保釈されたタイミングで、よりひとが突撃した。これ自体は他愛のない話というか、取り上げるようなことではない。よりひとらしいな、と思うし、彼としてはこれだけ話題になったから満足だろうな、とも思う。昔から、彼の「笑い」は根っこの部分が暗く、陰湿で、じめじめしている。彼はネタをやっているんだけど、彼の動画を見た後には気持ち悪さとか不快感が残る。だから、何となく怖いもの見たさみたいな感じがあって、それが不思議と人を惹きつける。そういう構造の特殊な笑いであり、ネタである。伊勢谷氏サイドにしてみれば、罪を犯したとは言え、保釈のタイミングは殊更注目されるので、次のステップに向かうためには大舞台だったはずだ。それなのに、話題をよりひとにかっさらわれた。邪魔が入ったという感じで、怒りを覚えているかもしれない。そういう台無しにする感じが、よりひとらしい。悪意がある。

ただ、ボクが書きたいのはそういうことではない。記事によって、よりひとの取り上げられ方があまりにも違うので、単純に面白いな、と思った次第。ある記事では「人気YouTuberのよりひと」と紹介していて、別の記事では「YouTuberの男」と書いていて、その後、よりひとを紹介している。記事によっては「YouTuberの男性」だけで、よりひとの名前を出していないものもある。さらには「一般男性」と書いている記事もある。

この記事の間に存在する揺らぎは、YouTuberに対する記者の認知度の違いだろう。YouTubeに触れる機会の多い記者からすれば「あのよりひとが!」と思うだろうし、YouTubeに馴染みのない記者からすれば「誰だ、あの男。何かYouTuberらしいけど……」となる。さらにはYouTubeを見ない人からすれば、YouTuberは「一般男性」となる。

でも、客観的に見れば、よりひとは登録者59万人のYouTuberだ。最近、人気に陰りがあるとは言え、概ね動画は10万再生はされていて、かなりの頻度で50~60万再生を叩き出している。それなりい知名度はある。これを「一般男性」と書いてしまうのは、あまりにも記者として鈍感だな、と思う。

そういう意味で、記者の質にばらつきがあることがよく分かる今日この頃である。

2020年10月1日 予想外の緊張にやられる!?

普段、あまり緊張しないボクだけれど、今日は久々に変な緊張をした。

我が社の社長はペーパーレスを徹底している。本日、上司が説明をするタイミングに他の人が不在で、メモ係として説明の場に入った。会議室にはパソコンがあって、大きなモニタに資料が投影されている。そして、秘書の方に「あそこのパソコンを操作してください」と言われる。こんなのは初めての体験なので、驚く。

誘導されるままにパソコンの前に座る。隣で上司が説明を開始。説明に合わせて、ボクはスクロールバーをそっと操作しながら、字を上へ、上へと送っていく。そして、最後まで説明が終わる。

すると社長から「はじめのページに戻って」との指示。ボクは急ぎ、スクロールする。すると、「この資料、ここはこういう表現に直して欲しい」との指示。すると秘書がそっと寄ってきてボクに耳打ちする。「ここで直せるなら直して」。おお、さすがペーパーレス。すごいな、と思ってキーボードに手を置いた瞬間、ものすごい緊張が身体を襲う。

そう。経営層がモニタに注目している。その視線が突き刺さる。大衆に見られながら、タッチタイピングをするというのが、こんなに緊張するものだとは思わなった。しかも「ここをこうして、そこをこうして」という指示に合わせて、大慌てでキーボードを叩く。別に気にすることではないんだろうけれど、ミスタッチしないように、と細心の注意を払うことになる。

いやー、ビックリした。確かに、普段でも人が見ている前で検索するときとかに文字を打つのって、結構、緊張するよな、と思った。それが経営層の前だから、尚更だ。ものすごく緊張した。……というような他愛のないお話(笑)。

2020年9月30日 実は日本こそが発展途上国だ!?

仕事でマラウイに行ったのは2017年のこと。行ったのは商業都市ブランタイヤだ。2019年には首都リロングウェに行った。頻繁に停電するし、通信状況も安定しないし、水も出ない。幹線道路沿いにてんてんと井戸があって、女性が水汲みをしている。ザ・アフリカのイメージそのままだった。

新型コロナウイルス感染症の影響で、世界の行き来ができなくなった。だから、今、ボクたちはZoomやTeamsなどを駆使して、世界とつながろうとしている。

我が社は、ようやく9月になってZoomが使える端末を会社として3台購入して、テレビ会議で世界に挑む体制が整った。そして、先日、満を持してブランタイヤとテレビ会議を試みた。ブランタイヤの通信状況を心配していたが、難なくつながる。音声は途切れないし、映像もクリアーだ。モニタの向こう側で、懐かしい顔。レナさんが手を振っている。

通信環境と契約状況を尋ねてみたら、会社としてちゃんとTelekom Networks Malawiと契約して、端末も1人1台と言えないまでも、それに近いくらい整っているという。新型コロナウイルス感染症の状況を踏まえて、現在は国内他社との会議も全てZoomを使用しているという。もう、当たり前のように、遠隔会議ができるインフラ環境が整備されている。

ボクたちはウェブ会議ひとつ、まともに開催できず、世界に取り残されている。日本が先進国なんて言うのは幻想で、実はボクたちこそが支援を受けなきゃいけない途上国なのではないか。そんな風に思った。ああ、大きな分岐点に立たされているな、と痛感する。

実は、2013年にミャンマーに行ったときにも、不思議な気持ちになったことがある。ボクたちはミャンマーの本屋さんで地図を購入して、紙を広げながら、ミャンマー人に「今、どこにいるのか」と尋ねた。そうしたら、ミャンマー人はささっとスマホを立ち上げて、Googleマップを示し、「ここだ!」と指し示した。当時の日本のスマホ普及率は25%で、ボクたちはそこまでスマホを使いこなしてはいなかった。カルチャーショックを覚えた。

そして2020年。そのギャップはどんどん大きくなる。「ハンコ禁止」とか「いやいや押印禁止だろう」なんて冗談を言っている場合じゃないのかもしれない。

2020年9月25日 それじゃあ、二重苦、三重苦じゃない!?

不倫問題でスポーツ選手が問題になっている。すれ違いコントで有名な芸人のときにも思ったことなので、改めて書いておこうかな、と思う。

不倫って、ボク自身は、まずは夫婦の問題だと思う。多分、不倫が発覚して、一番、ショックなのは、配偶者だ。その上で、配偶者が何を望むか。そこを考えて対応しないと、逆効果になる。

たとえば、夫が不倫をしたとして、それが発覚して、ショックを受けるわけだけど、それが報じられて、白日の下に晒される。これもまた、ショックだとボクは思う。さらに追い打ちをかけるように職を奪われるとする。もしもそれを妻が望んでいたならよいだろう。でも、離婚せず、修復してやり直したいと思っていた場合に、夫が社会的に攻撃され、職を奪われ、収入が絶たれて、結局、一番、社会的制裁の被害を受けているのって、不倫した本人ではなくって、その配偶者にならないか? オリンピックに出られないのではないかとか言われているけれど、夫が批判されること、夫の仕事が制限されること、夫の収入が途切れることは、そのまんま、生計をともにする妻への攻撃になる。

……なんてことを考えて、やりきれないな、と思っている。メディアって罪よね。

2020年9月22日 神の手を持つのび太だ!!

『映画ドラえもん のび太の新恐竜』を観てきた。のび太って恐竜の卵の化石を見つける才能が桁違い。誰にも真似できない。神の手か!?

シナリオは恐竜の進化に関わるミッシング・リンクで面白かったけれど、ボクは個人的にオープニングがピカイチだと感じた。エディアカラ紀から始まって、カンブリア大爆発。アノマロカリスやら何やら。そして魚になって、ダンクレオステウスだと思うんだけど、それが泳いでいて、両生類になって、浅瀬で植物をかき分けて泳いでいて、そのうち、陸上を這い回る両生類が現れて、メガネウラが飛んで、その後、小型の恐竜が走り回って、そして白亜紀!! ここまでの歴史を、ざざーっとオープニングで流した。これ、ピカイチだと思う。あっという間の映像だけど、生命の歴史がものすごく凝縮されている。もう、それを見ただけで、ボクは満足してしまって、「ああ、これはいい映画だ!」と拍手喝采していた。

2006年の『映画ドラえもん のび太の恐竜』では、のび太は恐竜の卵の化石を発見して、タイム風呂敷で時間を戻してフタバサウルスを孵してしまう。今回も、恐竜の卵の化石を発見して、新種の恐竜を孵してしまう。で、白亜紀に戻しに行く。筋書きは同じ。「昔も同じようなことをのび太は首長竜でもやっていたよ」と、そんな話を息子のツクル氏(6歳)にしたところ、「首長竜は水の中で暮らすのに、のび太はどうやって家で育てたの? お風呂じゃすぐにママにバレるよ」と言われてしまった。はっはっは。当時は首長竜が常時、水の中にいて、胎生だなんて思っていなくて、水陸両用で、陸地を這うこともあると信じられていた。時代だなーって思う。息子は恐竜の図鑑をよーく読み込んでいる。

2020年9月21日 もうすぐプペルが始まるよ!!

2020年9月20日 マティーニがカクテルの王様と言われるのは何故か!?

よくカクテルは宝石に譬えられる。でも、正直、ボクは実感を伴って「そうだよなー」って感じたことがなかった。確かにいろんな色がある。キレイだ。だから宝石だとか言われているのだろうなー、と漠然と感じていただけだ。ところが、最近、ステアのカクテルをつくるようになって、考え方が変わった。カクテルと言えばシェイクだと思っていたので、ずぅっとシェイカーを使うお酒ばかり使っていたんだけど、ベルモットはステアのカクテルが多い。前の記事にも書いたけど、ベルモットは足が速い。すぐに酸化する。だから、極力、ベルモットの使うカクテルをつくろうと頑張る。畢竟、ステアのカクテルをつくることになる。

シェイクのカクテルは、材料と氷をシェイカーに入れて、よく振る。中に小さな空気穴があって、空気が混ざるような仕掛けになっている。それがまろやかな味をつくりだす。でも、空気が入り込むので、カクテルとしては少しだけ白濁する。一方、ステアは材料と氷をミキシング・グラスに入れて、そぉっと掻き混ぜる。シェイクもステアもよく冷えるまで混ぜるわけだけど、ステアの方は決して濁らない。透き通っている。ステアのカクテルをカクテル・グラスに注ぐと、キラキラしてとてもキレイなカクテルが出来上がる。

マティーニというお酒が大人気なのも分かるな、と最近になって思うようになった。シェイクよりもステアのカクテルの方がまろやかではないけれど、キレイだ。まさに宝石のよう……。

マンハッタン・ドライ
マンハッタン・ドライ

2020年9月19日 足の速いベルモットとの戦いの日々!?

最近、カクテル生活を再び、取り戻した。子供が小さいときには、酒瓶の類いは危ないということで、全部、撤去した。まあ、それは体のいい理由で、本当のところは、授乳で妻のちぃ子がアルコールを摂取できないというところが大きな理由だったのだと思う。でも、ある程度、ツクル氏も大きくなってきたので、改めてカクテル生活のリ・スタート。

若い頃は、ひとつひとつのアルコールを入手するのにも、ちょっとした勇気が必要だった。たとえば、ジン、ウォッカ、テキーラ、ラム、ウィスキー、ブランデーくらいなら、ベースのお酒だから容易に手を出せる。でも、ベルモット、キュラソー、各種リキュールなんて、使用頻度も多くない中で、1本買うのは、結構、覚悟が必要だった。でも、今はあっという間に、お店が開けるくらいの種類のアルコールを一式、揃えられる。贅沢なことだ。コアントロー(ホワイト・キュラソー)、グラン・マルニエ(オレンジ・キュラソー)、ブルー・キュラソー、ノイリーのドライ・ベルモット、チンザノのスイート・ベルモット、ミント・リキュール、カカオ・リキュール、カシス・リキュール、そして、ペルノーとアロマティック・ビター。いろんなカクテルがつくれる体制が整った。

ベルモットは足が速いが難点だ。あっという間に酸化して酸っぱくなる。だから、ここ数日は、もう、ベルモットを使ったお酒ばっかり飲んでいる。バーなんか開いたら、きっとベルモットの扱いが難しいだろうな、と思う。そんなに減っていかないのに、すぐにダメになる。うーん。

青い珊瑚礁
青い珊瑚礁

2020年9月16日 もらい事故、ご愁傷さま

つるの剛士氏のツイートが粘着質な人に絡まれて炎上……否、話題になっている。以下、つるの剛士氏のツイート。

これが外国人に対するヘイトスピーチだと絡まれたのが発端だ。うーん。ボクはこういうのはエピソードトークの一種だ、と思う。犯人が「日本語が分からない」の一点張りで、それにイライラしたのだろう。日本語が分かろうが分かるまいが、犯罪は犯罪で、それで逃げられるわけではない。そんな気持ちが伝わってくる。こういうのは、外国人差別ではない。一件案件のエピソードだ。登場人物の犯人が外国人だっただけだ。もし、仮につるの剛士氏が、この文章の後に「だから外国人は嫌なんだ」的な発言で、十把一絡げに『外国人』というレッテルを貼って非難していたら、そういうのが外国人差別だ。そこには明確な違いがある。彼のツイートは、ただのエピソードトークであり、事実だ。

ところが、その後もいろんな人が絡んでいる。つるの剛士氏は農林水産省の盗難被害への注意喚起をしたツイートを引用していることを踏まえて、やれ、つるの剛士氏の発言は、家畜や農作物、トラクター等の盗難まで外国人の仕業だと誤認させる的な攻撃をしかけている、というのだ。うーん。こういうのに絡まれたら、大変だよね。有名人って大変だな、と思う。そういう恣意的な誤読をしてしまう人こそ、実は色眼鏡で世界を眺めていて、差別しているのだろうな、と思う。そんなこんなで、こんなことをニュースに取り上げるなよ、と思う。ただのもらい事故じゃないの。

2020年9月13日 大麻はドーピングなのか!?

当然のことだけれど、ボクは大麻を経験したことがないので、大麻を摂取して創作したときに、結果がよい方向に行くのか悪い方向に行くのかは分からない。それって未知の世界だ。

伊勢谷氏の件で「作品に罪はない」という論調に松本人志が異を唱えていた。「俺が例えば、シャブをガンガンきめて、コント10本ぐらい撮ったら何本かすごい名作生まれると思うんやけど、それで作品の罪はないのか?」とのこと。松ちゃんはピエール瀧のときにも「ドーピング」という言葉を使っている。ボクは、そもそも、この論点が間違っていると思う。つまり「薬物の使用=ドーピング」ということは、薬物が潜在的な能力を引き出すということを大前提としている。でも、本当にそうなのか。薬物に才能を引き出す力があるのなら、大麻を使用する人はなくならないだろう。そうじゃない。メディアは「大麻を摂取したらすごい作品がつくれるかも」という幻想を視聴者に抱かせたらいけない。

たとえば、アルコールを摂取して閃いたアイディアなんか、酔いが醒めたら使えないものが多い。そりゃあ、発想が自由になるとか思うのかもしれないけれど、ボクはそうは思わない。創作は感性と理性の狭間でつくるものだ。理性をふっ飛ばしてしまったら、いいものなんかつくれない。だから、薬物を使ったって、ものすごいものなんかつくれない。そういうことにしておいてくれないと、メディアとしては失格だ、と思う。変に薬物を神格化したり、美化したりしてはいけない。本当のところは摂取したことないから知らない。でも、事実よりも報道の在り方として、そういうことにしておいてくれないと、ダメだ。だから、「薬物を摂取してドーピングしたからいいものがつくれた」なんて報じてはいけない。

ここからは、ボクがアルコールを飲んだ経験からの想像だけど、多分、薬物は一瞬だけ、恐怖とかストレスをなくしてくれるんじゃないかな、と思う。心が弱ったときに、幻想でも、一時的に復活させてくれるんじゃないかな、と。そういう意味じゃ、心のドーピングではあるのかもしれない。でも、それでインスピレーションが湧いて、天才になれるようなものではないのだ、と思う。芸の卓越した人たちは、かなりロジカルに考えて生きているとボクは信じている。試行錯誤して、分析して、成功者になっている。決して、感覚だけを頼りに成功しているわけじゃない。そういうのは、たとえばカジサックにゲストとして呼ばれるお笑い芸人の話を聞けば分かる。みんな、研究している。訓練を積んでいる。そういう結果が、成功に繋がる。そういうことにしておかないと、ダメだ。

2020年9月12日 技術革新とギャップ

最近、ようやく重たい腰を上げて、iPhoneをSEから7に更新した。少しだけ大きくなって、ポケットにうまく入らないので、SEがよかったな、と思っている。でも、モニタを大きくしていくのが時代の流れだ。

何も考えずに写真を撮ってパソコンにダウンロードしたら、拡張子がjpegじゃなくて、heicになって、表示されなくなった。何てこと。慌ててjpegに変換する方法を検索する。圧縮率が高い効率的な画像なのに、敢えて非効率なjpegに戻す作業をしなければならないとは。何てこと。

iOSサイドの技術革新と、Windowsサイドの技術革新でズレが生じるわけだ。そういう時代なのかなあ。パソコン側でheicに対応することは容易だ。でも、それで使い慣れて、他の人に送付したら、見えないなどと言われるわけだ。ウェブで使おうと思っているボクとしては、やっぱりjpegに落とさざるを得ない。

こういう技術革新は、各社で勝手にやらずに、プラットホーム全体で議論して進めてくれればいいのにな、と思う。うーん。

(ってぇか、今更、heicの話!? ……と思われているのではなかろうか)

2020年9月10日 作品と演者

伊勢谷友介が逮捕されて、作品の行く末がどうなるのか議論されている。

正直、ボクは伊勢谷氏の記事が出たときに、名前と顔が一致しなかった。「誰ー?」って感じ。名前の字面は見たことがあったし、耳で聞いたことがあった。ニュースにもなっているし、有名なのだろうな、と思った。でも、名前と顔は一致しなかった。だから検索をした。そして、「ああ、知っている!」とすぐに思った。でも、どの作品に出ている人かというと、実はピン、と来なかった。いろんなところで見るなあ、CMで見たことがあるのかなあ、という感じ。

これは決して、伊勢谷氏が悪いということではなくって、ボクが芸能について不勉強なだけ。いずれにせよ、ボクにとって伊勢谷氏の印象はそんなもんだ、ということを、まずはここに書いておく。その上で、作品と演者について書こうと思う。だから、決して、伊勢谷氏を擁護するわけでも、何でもない。

日本では、演者が何か問題を起こしたときに、作品そのものを封印する傾向がある。そして、勝手に自粛しておいて、演者に違約金を求める。でも、それっておかしい。ファンは作品を求めていて「買うよ!」と言っているのに、それで得られる利益を勝手に放棄しておいて、生じた損害を演者に請求する。つまり、世論と一緒になって法律以上の罰を犯罪者に科して気持ちよがっているだけだ。たとえば、不特定多数の人が見る可能性のあるテレビでの放送を自粛するのは分かる(これも、最近は見たい人が見るんだからいいじゃん、と思うけど)。でも、映画は見たい人が映画館に行くのだ。DVDは買いたい人が買うのだ。今や、どんな手段でも顧客に作品を提供できる時代だ。

それに、罪を犯した個人以外の損失が大きすぎる。たとえば、すごく名演技をした他の役者が、それでもって注目されてスターダムにのし上がれるかもしれないのに、それを封印することで、その役者の人生を潰す。その役者に何の非がある? あるいは監督だってそうだ。長年構想してきた作品で評価される道を潰されて、その監督に何か非があるのか。連帯責任という得体のしれない何かをおっかぶせて、社会のマスターベーションだと思う。

ここまで過激に書くのは、ボクが伊勢谷氏を知らないからだ。擁護じゃないからだ。大抵の場合、薬物や性犯罪や……こういう事態になると、ボクが知っている人が多いので、どうしてもその人の才能に肩入れして、勿体ないじゃん、という論調になりがちなのだけれど、今回は伊勢谷氏を知らないので、自由に書けるなあ、と思って書いている。そんなこんな。

2020年9月8日 それ以上面白い動画を出せばいいんです。

最近、女性同士の諍いがあちこちで起こっていて、悲しくなる。家政婦が猫を殺した問題でねじれた二人もそうだし、北海道のアウトドア女子二人もそう。どちらに正義があるとか、そういう話ではなくって、一方的にどちらが粘着質に相手に絡んで爆弾を投下し続けている。真実は当事者にしか分からないから全体の評価はできない。でも、ボク個人としては、攻撃している側がアウトだ、という印象。どちらも公開を前提としていない資料を勝手に公開している。たとえば、友人同士のLINEでのやりとりとか、ドライブ中の私的な会話などだ。こういうのは、いくら相手に非があったとしても、公開したらアウト。ボクはそう思う。

誰だって、プライベートには弱音を吐く。本音を吐く。それは、決して清廉潔白でもなければ、聖人君子でもない。だけど、クローズドな空間で、プライベートだから吐き出すのだ。それを勝手にオープンにするのは、ルール違反だし、浅ましいし、アウトだ。その意味で、ボクはそちら側には与することができないな、と思っている。

たとえば、ね。豊胸詐欺を告発するのはいいと思う。薬物疑惑を告白するのも悪くはない。でも、ファンに対して吐いた暴言を勝手に公開するのは……これは正義じゃない。正当化できない。たとえば、ね。テンプレートをパクったとか、経歴を査証しているとか、実は組織で活動しているとか、そういう告発は、まだ許される。でも、やっぱり、ファンに対して吐いた暴言を晒したり、煽り運転を彷彿とさせる発言を切り取って発信したりするのは、これは正義じゃない。人を貶めることだけを目的にした活動になってしまっている。

ちょっと前には、「孤独を孤立させない」を標榜するアイドルが揉めていた。暴露合戦になっていた。結局、ファンはどちらに転んでもハッピィじゃない。両方の評価が下がって、悲しくなる。

相手を貶めることではなくって、自分を高めることに人生のエナジーを費やした方がよい。悪の秘密ぼっち「ヘライザー」が言っていた。「(テンプレートをパクられたら)それ以上面白い動画を出せばいいんです」。ホントだよ。そこに執念を燃やさなきゃ、ダメだ。人を貶めても、自分の地位は上がらない。そんな悲しいことに躍起になっているのを見るのは辛い。