2023年6月16日 そもそもアリエルはデンマーク人が演じるべきでは!?
ポリコレが叫ばれる昨今である。Political Correctness(ポリティカル・コレクトネス)《政治的正しさ》という意味で、特定のグループを差別したり、誤解を招いたりしないように、中立的な表現をすることが社会的に求められている。でも、近年、ポリコレを前面に押し出して、それとは真逆の、ある種のマイノリティの側だけの立場に立った主張をする文化が横行している気がする。それはそれで中立ではないと思う。
少し前に話題になったのは、実写『リトル・マーメイド』だ。主人公のアリエルにハリー・ベイリーが起用されて、色んな意味で話題になっている。ボクは黒人起用を批判するつもりもないし、歌唱力で人選するディズニーの方針も、それはそれでよいとは思う。でも、たとえば、日本の時代劇で、芝居が上手というだけで白人や黒人が起用されてチャンバラを始めたら、それはそれで見ていて違和感があるし、気になってしまう。
そもそものディズニーの『リトル・マーメイド』は、アンデルセン童話の『人魚姫』を下書きにしている。『人魚姫』は1837年にデンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセンが発表した童話で、英語の『リトル・マーメイド』の名前でよく知られているが、本来、デンマーク語では『Den lille Havfrue(デン・リレ・ハウフル)』である。havfrue(ハウフル)はデンマーク語で《海の女》という意味で、人魚のことを指している。つまり、リトル・マーメイドの主人公は、デンマーク伝承に登場する人魚の妖怪ハウフルなのである。
当然、デンマーク伝承のハウフルは、昔のデンマーク人が想像した妖怪なので、当時のデンマーク人の肌の色で想像される。それは変なことではない。日本伝承の人魚の神社姫の頭が日本人女性で想像されるのと同じだ。だから、デンマーク伝承に根差した『リトル・マーメイド』の人魚アリエルが、デンマーク人っぽい風貌であることには妥当性がある。
だから、いくらポリコレと言っても、白人が演じることに妥当性があるキャラクターまで、黒人に置き換える必要はない。逆に言えば、それは逆差別だ。白人の枠を奪うことになるし、より一層、黒人と白人の断絶というのか対立を強める結果になりそうだ。
ディズニーのプリンセスが黒人であることは、これまで差別されてきた黒人たちへのエールになるという主張もよく分かる。でも、仮にそうであるならば、真っ正面から新しい黒人プリンセスの物語を作ればいいのである。何なら、黒人たちの間に昔から伝わる面白い昔話を発掘した方が、彼らの文化や歴史を掘り起こすことになって、大きな意味があるような気がする。