2022年5月6日 南米の妖怪をまとめてみた。

9月頃から、『南米妖怪図鑑』(文:ホセ・サナルディ,画:セーサル・サナルディ,ロクリン社,2019年)に載っている妖怪を軸にウェブサイト「ファンタジィ事典」を順次、更新して来た。中南米の妖怪について言及するウェブサイトは少なく、一方で紹介されている妖怪の特徴がそれなりに面白そうだったので、せっかくならこの本に載っている妖怪を一気に紹介してしまおうという試みだ。

こうやって、1冊の本を潰していく作業は、中途半端にあちこちつまみ食いしながら自由気ままに更新作業をしてきた今までのボクにしては珍しい方向性だ。でも、あるジャンルを突き詰めることは、事典としての価値を高めるので、いずれは必要な行為だと思っていた。その意味では、本書は項目数も記述量もちょうどよかった。そういう新しい試みのつもりで始めてみた。

しかしながら、南米の妖怪となると、参照できる資料はなく、ほぼこの本だけが頼りになる。そうなると、畢竟、この本の写しになってしまうので、それはそれで問題だ。そこで、まずはスペイン語とポルトガル語のWikipediaを参照して、スペルや字義、特徴を確認することとした。それから、Wikipediaで英語表記を確認して、Googleで英語検索して、上位5件くらいの内容を確認した。その上で、Google画像検索で外見の描かれ方を確認した。英語であんまり引っ掛からないものは、スペイン語やポルトガル語で検索して、上位5件を確認した。基本的には、そうやって確認が取れた内容を掲載することにした。

このプロセスでやってみた結果、著者のホセ・サナルディ氏が、日本で南米の妖怪があんまり知られていないのをいいことにいい加減に書いた素人というわけではなく、信憑性の高い著述家であることが確認できた。また、本書を書くに当たって、おそらく彼がスペイン語やポルトガル語のWikipediaを参照していないだろうことも確認できた。ほぼ全ての項目で、Wikipediaに書いてある内容と本書の内容は合致するんだけど、Wikipediaにかなり詳述されている内容が、本書ではほとんど触れられていない。だから、Wikipediaとは別の情報に基づいて本書を記述しただろうことが分かった。アルゼンチンの人だけあって、スペイン語圏の妖怪の記述はほぼインターネット上の情報と合致する一方で、グアラニー神話やインカ神話などはあんまりフォローされていなくて、あくまでもそういう神話から派生した民間伝承的な要素だけが拾われている印象を受けた。大昔の神話・伝承は彼の対象の外にあって、あくまでも、現代の人々の間で語られる妖怪像にフォーカスしているようだ。

いくつか、本書でしか見つけることができなかった記述もある。カアーポラの記述の中で、マテ茶と結び付けるような記述はインターネット上で見つけることができなかった。また、イルペの二人の女も、インターネット上で見つけることができなかった。そういうものは、その旨を記述して、項目を記載した。

南米の妖怪へのアプローチは初めてなので、どの程度、自分の解説が妥当なのかは自分自身では評価できないが、発想として面白いな、と思ったのは、チェルーフェという妖怪だ。岩石とマグマでできた巨人ということで、最近のファンタジー映画のラスボスとしてCGで登場しそうな新しさを感じる。パテターロは糞尿で満たされた桶に片足を突っ込んだ格好の妖怪だが、どうしてこういう妖怪を着想したのかな、と思うと妙におかしい。セグアなんて、とても今風で、都市伝説っぽい。いずれにしても、一応、丁寧な確認作業は実施した上で、ウェブサイト「ファンタジィ事典」南米の妖怪をまとめてみたので、是非、参考にしてもらえればいいな、と思う。

2022年3月13日 少年たちが戦車に乗って敵陣に進撃する!?

息子のツクル氏と一緒に『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』を観に行った。小さな宇宙人のハピはピリカ星の大統領。しかし、反乱軍に国を占拠され、ロケットに乗って地球に亡命していた。のび太たちが乗り込んだピリカ星の首都ピリポリスは、内戦の名残りで建物があちこち破壊されている。反乱軍に囚われた大統領ハピは、メディアに向かって独裁者を糾弾し、偽りなく生きることを訴える。国民たちは大統領の演説のメッセージに心を打たれて暴動を起こし、反乱軍に立ち向かう。のび太たちはラジコンの戦車を改造して敵陣に侵攻し、あるいはジェット機に乗って空中戦を繰り広げる。

ツクル氏は単純に楽しんでいたようだが、ボクはロシアのウクライナ侵攻とリンクして、非常に複雑な気持ちだった。悪しき「独裁者」による市街地の破壊。演説によって国民の信頼を勝ち取る「大統領」。こんなのは偶然で、映画の制作陣は、こんな未来は予想していなかっただろう。元々は2021年の夏に公開予定だった映画だ。偶然、新型コロナウイルス感染症で延期し、今月の公開になった。もしかしたら、この時期の公開を巡って、制作陣はその是非を議論したのかもしれない。戦争の恐ろしさや愚かさを実感しながら今を生きているボクたちだから、この映画のメッセージは強くボクたちに突き刺さる。ハピの演説も、とても強く心を打つ。

それでも、のび太たちが自ら志願して戦争に参加するシーンや、最終的には運も味方につけながら、のび太たちの大活躍で正義が圧勝してしまうところなど、少しだけ、滑ってしまう。まあ、子供向けの物語だし、偽善で構わないんだ。でも、時期が時期だけに、いろいろと考えさせられてしまった。そして、こうやっていろいろと考えさせられてしまうところ、いい作品だったのかもしれない。

2021年12月19日 こんな大らかな時代に生まれたかった

『ダンジョン飯』の10巻に「迷宮の兎」というのが登場して、一部のウィザードリィ・ファンの間で話題になっていた。ウサギが首を刈るというのは、ヴォーパル・バニーである。最近、『ダンジョン飯』の11巻を読んでいた妻のちぃ子が「そう言えば、ダンジョン飯に出てきた『迷宮の兎』には元ネタがあるのか?」と訊いてきた。どうも、かわいいウサギが首を刈るという設定にインパクトを受けたらしい。そんなこともあって、ウィザードリィのヴォーパル・バニーの話をして、現代の創作ではあるものの、面白いからウェブサイト「ファンタジィ事典」に載せてやろうと思って調べていたら、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』という映画が初出だと分かったので、ブルー・レイを調達して、観てみた。アーサー王と円卓の騎士が聖杯を求める物語のパロディ作品だ。でも、正直、とても面白かった。こんなにバカバカしい映画が作れるんだなあ、と思って感動した。いい時代だったんだなあ。大らかな時代だ。映画の終わり方も含めて、ふざけ散らかしている。ボクたちが生きている「今」は、もはや、こういう「遊び」が許容されにくい時代なのかもしれない。

2021年12月18日 絵巻物を漫画にしてしまう斬新さ!!

本屋に行ったら『まんが訳 稲生物怪録』(ちくま新書)が並んでいた。久々の本屋散策だったが、どうも2021年10月に出版されたらしい。ノーチェックだった。

監修が大塚英志氏だったので、彼好みの独特のタッチの画家による漫画なのかな、と思って本を開いたら、全然、そういうものではなくって、妖怪絵巻『稲生家妖怪傳巻物』そのものを写真で取り込んで、それを素材にしてうまくコマ割りして、吹き出しをつけている。まさに再構築といった様相で、全く新しい手法だった。このアイディアは面白い。

寡聞にして知らなかったが、実はこのアプローチは2作目で、『まんが訳 酒呑童子絵巻』というのが2020年5月にすでに出版されていたらしい。ともすれば、さらっと眺めて終わってしまう絵巻物だけれど、コマ割りがとても上手で、細部にフォーカスされるので、じっくりと絵巻物そのものを堪能できる仕掛けになっている。斬新だけど、これは発想として大成功しているな、と感じた。

近日中に『酒呑童子絵巻』も入手してみよう、と決意した。

本のページ

2021年6月6日 ほぼ1か月振りの投稿

最後の投稿が5月5日で、本日は6月6日。まるでCandy Foxxの新曲発表のような間隔での雑記の投稿だ。

実は、いろいろと書きたいことはあった。書けないほど忙しかったわけでもないし、書こうと思えば書けた。でも、書かなかった。何となく、話題のニュースに飛びついてネタにするみたいな物申す系YouTuberみたいなことをすると疲れるなあ、と感じた。だから、自制していた。Candy FoxxのPVが炎上したり、大坂なおみが記者会見を拒否して叩かれたり、なかなか新型コロナウイルス感染症のワクチンが進まなかったり、勿論、いろいろと思うところはある。ダイバーシティの時代を謳いながら、社会はものすごく画一的で、攻撃的だなあ、と思う。どんな在り方も、まずは受け容れる必要がある。そんなことを思いながら、何とか優しい社会にならないものか、と思ったりもした。でも、そういうことを書くのは思いの外、しんどいので、ROMっていた。

一方で、個人的には楽しい1か月でもあって、コロナ禍の影響もあってか、いろんな学問の専門家がYouTubeに活躍の場を見い出して参入してきていて、それに後押しされた格好なのか、「ゆる言語学ラジオ」みたいなレベルの高い教養あるYouTubeチャンネルが増えてきた。いろいろな分野で、好事家が知識を披露してくれていて、それを視聴者が楽しめるようになって、新しい時代だな、と感じている。

それから、最近は本を乱読していた。オズの魔法使いシリーズは15冊、全部、読んでしまった。メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』とかカレル・チャペックの『R.U.R.』も読んだ。マクシム・ゴーリキーの『どん底』みたいな本も読んでいた。中野美代子訳の『西遊記』シリーズ全10冊も、ちょうど読み始めたところだ。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』も読み始めた。そんなわけで、世界文学大系みたいな本を順次、読んでいこうと思っている昨今だ。

こういう話題だったら、「日々の雑記」に書いてもよいなあ、と思っている。

2021年5月5日 妖怪図書館 – 冥途のミヤゲ

最近、YouTubeで注目しているアカウントがある。「妖怪図書館 – 冥土のミヤゲ」(YouTube)だ。すでに1年ほど運営されていて、ボク自身は半年前くらいから見ていた。日本の妖怪について、熱く語っている。登録者数が1,000人にいかないので、収益化はできていないんだろうけれど、それでも、諦めずに定期的に投稿を続けている。すごいのは、情報のクオリティが高いこと。ちゃんと一次資料を参照していることが分かる。それでいて、分かりやすくて噛み砕かれていて、ちゃんとエンタメになっている。

正直、このクオリティでこの更新頻度なら、もっと登録者数が増えてもいいのにな、と思う。でも、YouTubeはコラボで登録者数を増やしていく側面があるので、このアプローチだとなかなか認知度が上がっていかないよなあ、とも思う。だから、こうやって陰ながら応援していこうと思って、小さいウェブサイトながら、紹介してみた。

2021年4月5日 朝令暮改……それとも君子豹変す?

新年度入っていきなりの衝撃。中田敦彦が「4月から顔出し引退」の前言を撤回して、もう5日にして顔出しを再開した。決断が早い。「中田敦彦のYouTube大学」では2つだけ、動画がアップロードされた。「デス・ノート」を解説する動画の前編と後編だ。だから、この2つの動画だけでジャッジして、即決即断したことになる。

ボクとしても、結構、どうなるんだろうか、と注目していたところだったので、この動画は見た。そして、勢いがなくなった、と感じた。こちらに語り掛けてくる熱量が少なくなったな、と感じた。てっきり、アバター化と同時に、立って観客に向けてプレゼンをするスタイルじゃなくして、ラジオっぽい録音に変更したのかな、と思ったぐらいだ。それでも、慣れも必要だろうし、様子見かな、と思っていた。再生数の走り出しも、大幅に下がったわけではない。

でも、中田敦彦は結果が失敗だと判断した。その判断基準は「視聴者維持率」なのだという。今までの「中田敦彦のYouTube大学」は、この視聴者維持率が高かったのだという。でも、今回の2本は少なかったらしい。確かに、中田敦彦に語り掛けられているという印象が薄くなって、熱量がなくなった分、飽きてしまう。怒涛のように喋っているから、実は、ラジオのように音声コンテンツとしてゆっくりは聞けない。それを、中田敦彦の動きがカバーしていたということなのだろうか。

それにしても、たったの2本、しかも前編・後編という意味では、ひとつのコンテンツだけで、もう、ジャッジして決断をする。この早さみたいなものは、柔らかいなあ。まあ、失敗というレッテルを視聴者サイドに貼られる前に自分から先に撤回した方が圧倒的に失敗のダメージは少ないので、正しい判断だとは思う。でも、その正しさを貫くのは、意外と難しい、と思う。

中田敦彦のチャンネルでは、高評価が多く、意外とポジティブに受け入れられている印象だけれど、同じ内容を報じたYahooニュースのコメントは結構、辛辣で、信用できないというトーンのコメントが多い。どっちが多数派で、どっちが世論になっていくのかは分からない。朝令暮改? それとも君子豹変? その辺の視聴者の今後のジャッジも楽しみなところ。ボクは、現時点では、意外と、ポジティブに受け止めた……かな? 多分、データに基づく判断というよりは中田敦彦の作り手としての直感なのだと思う。自分でやってみて、出来上がったものを見てみて、それでダメだな、と感じた。その直感を信じた。そのジャッジは信頼ができる。そんな感じ。

2021年4月4日 アイドルって何だ!?

ここのところ、アイドルグループ(?)の「我儘ラキア」にハマっている。たまたまファミリーマートの窓のところに彼女たちのライブのポスターが貼ってあって、琴線に引っ掛かった。「我儘ラキア」というワードの妙と、そのロゴの格好よさ。そして、彼女たちのビジュアルが格好よかった。ボクは最初、勘違いしていて、最近、流行りのガールズバンドなのかな、と思った。そして、その場でYouTubeを立ち上げて、PVを視聴して……青い髪の女の子が歌い始めて、ああ、彼女がヴォーカルなのだな、と認識した。結構、強めの声で、歌唱力もある。ロックだ。いい。でも、他の3人は楽器を演奏しない。踊っている。変なPVだな、と思っていたら、突然、金髪ショートめの女の子がゴリゴリのラップを始める。あれれ、ラッパーだ。しかもかなり本格的。そして、2番になったら、残りの2人も歌い始める。ここに至って、ようやく、どうやらこのグループはバンドじゃないっぽいぞ、と気がつく。思い込みって恐ろしい。Wikipedia先生にお伺いを立てる。

「我儘ラキア(ワガママラキア)は、日本の女性アイドルグループである。」

あ、アイドルなんだ。や、アイドルの定義って何? こんなにゴリゴリにロックをやっていて、アイドルとか言うのか。たとえば、アイドルグループの「神使轟く、激情の如く。」も、ミクスチャーロックっぽいことをやっていて、もはやアイドルなのか何なのかよく分からないけれど、でも、何となく彼女たちはアイドルだな、と思わせる何かがあった。つまり、自分の「かわいい」という容姿をウリにしていて、着せ替え人形のようにいろんな格好をして、いろんなポーズで写真をとって、ファンに媚びている。でも、「我儘ラキア」みたいに、ここまでファンを突き放していると、もう、アーティストだよね、と思う。作詞・作曲も、青い髪の女の子(星熊南巫)ややっているらしい。ラップの作詞は金髪ショートめの女の子(MIRI)。作曲まで踏み込んでやっている点も、アイドルとしては珍しい。

2021年3月6日 ワンピース的観光地に行ってみたくなったよ!!!!!

たまたまAmazonで調べ物をしていたら、『るるぶ ONE PIECE』がオススメされて、そのまま勢いで購入してしまった。それが届いたので読んでいる。面白い。何が面白いって、るるぶ編集部が総力をあげてワンピース的な場所を調べて掲載しているらしいのだけれど、尾田っちの絵との一致の度合いが半端ない。元ネタなのか、偶然の一致なのか、その辺は分からない。でも、尾田っちはかなり初期の頃から、ちゃんと舞台を想定して、下調べして世界観を確定して絵を描いていることになる。

尾田っちの絵は結構、デフォルメされている。でも、ちゃんと動物はよく調べられているし、特徴を捉えている。そういうところにフォーカスして絵を捉えていたけれど、実は背景の建物も、ちゃんと練りに練られて、調べに調べて検討されているとしたら、ものすごいことだ。そんなことに感動してしまった。

2021年2月27日 時代の寵児、新人類

最近、『Win Win Wiiin』は欠かさずに「テレビ」で観ている。今までのゲストは、いわゆるテレビを主戦場にする「芸能人」だった。初回ゲストは手越祐也、第2回ゲストは西野亮廣、第3回ゲストは極楽とんぼの山本圭壱で、一癖も二癖もある「芸能人」。そして、第4回の今回のゲストはヒカルだ。

「今回は大丈夫かな? コケないかな?」といつも心配になる。ずぅっと急上昇にランキングされているわけだし、それに続く出演者は相当なプレッシャーだろう。何しろ、第2回までは注目もされていたし、それなりに旬の人というか、順当に来ていた。ジャニーズを退所した手越祐也、映画「えんとつ町のプペル」で映画デビューを果たした西野亮廣……。でも、山本圭壱のときには「何で今? 大丈夫?」と思った。でも、いろいろあったし、ドキドキ感もあった。その上で、あっちゃんはちゃんと「けいちょんチャンネル」のサクセス・ストーリーを示しながら「今が旬のYouTubeチャンネル」というキーワードで、うまくゲストをWinnerにした。それでは、ヒカルは? どうやって料理する? しかも、今回は初めて、ゲストを事前に周知した状態でのプレミアム配信だ。「どんな大物芸能人が来るかな?」というワクワク感ではなく、「ヒカルにフィーチャーするよ」と喧伝するアプローチだ。宮迫と頻繁にコラボしている相手だし、あっちゃんの「XENO」でも対決している相手なので、伏せておいて直前に「どーん!」と紹介されたときに「何だよ、ヒカルかよ!」となるだろうから、事前周知は正しい判断だ。しかも、ヒカルは生粋のYouTuberだから、コラボを全面に出して、ヒカルファンを『Win Win Wiiin』に誘導した方が再生数もとれる。そういう戦略なのだろう。

ヒカルのトーク力はこれまでの「芸能人」たちと遜色なかった。特に、おしゃべりのプロフェッショナルである芸人が2回も続いていて、それでも遜色なく宮迫とあっちゃんと対峙して見せる腕はさすがだ。ただ、これまではテレビ業界の闇にかなり踏み込んで、ヒリヒリした感じがあったのに対して、今回は彼がYouTubeを主戦場とする人だからか、その辺の話題からは少し離れた。ちょっと距離を置く方向に舵取りをした。そういう意味では、次回以降のゲストに繋げていく意味でのクッション的な回になっていて、テレビとYouTubeの仲介者であるヒカルを、そういう風に使うのだな、と思って、あっちゃんの技量に感心した。その意味では、ヒカルの「どんな風に利用してもらっても構わない」的な割り切りや覚悟も感じた。

そして、タイトルのとおりだ。「時代の寵児、新人類」。ちょうど2021年2月24日の記事で『スマホ脳』という本を紹介したが、情報技術の発展が速すぎて、人間の進化が追いついていない。追いつかないからストレスを感じる。でも、ある意味、ヒカルはこのオンラインの時代に適合して生まれた人間だなあ、と感じた。

2021年2月24日 「私が子供の頃にスマホがなくてよかった」

妻のちぃ子が『スマホ脳』を読んでいる。ボクがオススメしたからだ。子供にスマホを与えるべきか否か。そんな壁がやってきて、読んでみたらどうか、とオススメした。

スマホが普及するだけでなく、新型コロナウイルス感染症はさらにデジタル化、オンライン化を押し進めるだろう。そんな中で、それらの流れを否定することはできない。でも、問題点も理解しておく必要がある。

2021年2月23日 ゲームとしての終わり

夜なべして、SFC『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』をやっている。懐かしいし、改めてよく出来たゲームだな、と感じる。ダンジョンには謎解きの要素もあって、解決できたときの達成感があるし、隠しイベントや隠しアイテムがたくさんあって、やり込み要素もある。そして、アクションRPGなので、ボスとの戦いには、一定の技術を求められる。

何よりも素晴らしいのは、このゲームには終わりがある。ラスボスがいて、倒せばクリアーになって、エンドロールがある。どれだけの時間を投入しても、最後には、エンドロールがあって、「ああ、終わった!」と思って終わりになる。

最近のスマホのゲームは、ひとつのイベントが終わると、新たに次のイベントが始まる。ゲームとしてのゴールが設定されておらず、制作会社は遊び手を囲い込んで、手を変え、品を変え、商品をゲットさせて課金させる。そういうビジネスモデルになってしまっている。こういうのは、どうなのかな、と思う。だらだらと中毒のように続けさせることがよいことだとは思えない。

2021年2月22日 オズの国の住民たちは素敵だ!?

最近、小1のツクル氏が寝る前、毎晩、本の読み聞かせをしている。今はフランク・ボームのオズ・シリーズだ。日本ではかかしやブリキのきこり、臆病ライオンが登場する1作目『オズの魔法使い』しか有名ではない。でも、オズ・シリーズは本当は全部で14作品(+短篇集が1作品)ある。それを順番に読んでいこうというプロジェクトだ。

すでに6作目『オズのエメラルドの都』に突入しているが、面白い。オズ・シリーズは突飛なキャラクターが登場して、面白いんだけど、6作目は集大成という感じで、本当にファンタジーをやっている。何しろ、ロクワットというノームの王が、周辺の極悪な民族と手を組んでオズの国に攻め込んでくるというシナリオだ。ロクワットに将軍に任命されたガプが休むことを知らないキテレツ族、筋肉だけのガリゴリ族、魔法に長けたマボロシ族と交渉して、同盟を組んでいく。その一方で、何も知らずに暢気にオズの国を旅して新しい出会いをするドロシー一行。この2つのプロットが、交互に入りながら、話は進んでいく。

ドロシー一行の旅も面白い。切り紙でつくられた人々が暮らすチョキリンの村、まるでパズルのように、ちょっとした衝撃でバラバラに崩れてしまうゴチャマゼ族の町、包丁や鍋、スプーンなどのキッチン用品の王国、パンが暮らす町、そして野ウサギが暮らす町、クドクドと訳の分からない理屈で話し続けるクドクド族の町、起こりもしないことを心配して大慌てするトリコシ族の村などだ。

ロクワット率いる乱暴な種族たちに対して、オズはどうやって危機を脱するのか……。そして、呆気ない終わり方。それがとてもオズらしくて面白い。

……問題は第6作『オズのエメラルドの都』がどうやっても手に入らないということ。仕方ないので、図書館から借りてきている。いつか入手したいなあ。我が家の本棚に正式にお招きしたい本である。

2021年2月19日 相手に対峙するときには対等である!

寺田有希という女性がいる。YouTube「ホリエモンチャンネル」に出演している人で、結構、真面目なんだなあ、という印象を持っていた。真面目なんだなあ、というのは、しなやかではないという意味で、ホリエモンと一緒になってバカをやっているようでいて、どこか冷めているし、ドッキリを仕掛けられると、本気で怒る。そういう硬さみたいなのがあって、個人的には扱いづらそうな女性だな、と勝手に思っていた。でも、知性的ではあるし、リアクションがかわいらしいので、そういうところをホリエモンが評価しているのかな、とも思っていた。

そんな彼女が「対峙力」という本を出した。その内容というか、切り口がすごくて、ちょっとビックリした。相手との向き合い方というか、コミュニケーションの本なのだと思うけれど、「対峙」という言葉のチョイスや、そこで説明される心構えがすごい。いつも、こんな風に相手と対峙していたら、そりゃあ、相手も評価するよな、と思う。帯にホリエモンが「驚いた! これほど工夫していたとは。だからこんなに話しやすいのか」とコメントを寄せている。まさにこの帯に書かれているホリエモンの感想が全てだ。ノウハウ本ではあるけれど、でも、驚嘆した。心構えもそうなんだけど、それをこうやって適切に文章化できるセンスがすごい、と思う。

本を読むのが苦手な人は、こちら。この対談も見応えがある。

2021年2月5日 号令をかけるのは誰だ!?

本日もウェブ会議。同僚のM氏が俄然、しっかりしてきていて「ああ、任せられるなあ」と思っている。専門分野以外のことでも、ちゃんと適切に喋る。飛躍的な成長。役職が人をつくる。プロジェクトのリーダーに据えたことで、自信がついたのかもしれない。

そして、ボクはちょっと喋り過ぎたかもしれない。別に悪いことではない。結果、会議はよい方向に向かったし、結論も悪くはなかった。でも、こういうのは難しくって、誰の号令で進めるかが問題になることもある。本来、号令をかけるのはボクではなかったはずだ。いや、まあ、立場から言えば、自由に発言してよかったし、それが許される立場だし、全体的には参加者の満足度も高かったとは思う。でも、若干、相手にもう少し花を持たせてもよかった。多分、ウェブ会議だから、その辺の距離感とかチームプレイが難しいのだ。

 * * *

最近、スーパーファミコンを引っ張り出してきて『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』を思い出したようにプレイしている。ハマっている。懐かしい。音楽がよい。謎解きがよい。ドット絵がよい。世界観がよい。楽しい。意外と今はインターネットで情報が得られてしまうので、本当に悩んだら、検索したら答えが乗っていて、先に進めてしまう。だから「ウェブは見ないぞ!」と覚悟を決めないと、ついついGoogle先生に助けを求めてしまいそうだ。そういう意味では「検索ツール」は人間をあらゆる情報に繋いでくれるけれど、忍耐強さみたいなものを損なう気がする。気がするだけかもしれないけれど。

2021年1月31日 攻めるあっちゃん、慌てる宮迫、そして何故だかニコニコ顔の山ちゃん!?

オリエンタルラジオ・中田敦彦と雨上がり決死隊・宮迫博之のYouTube番組「Win Win Wiiin」が本当に面白かった。手越祐也、キングコングの西野亮廣に続いて、第3段は極楽とんぼ・山本圭壱。

前半は、長い間、吉本復帰できなかった山ちゃんの復活劇について、あっちゃんが得意のプレゼンで説明する。山ちゃんのYouTubeチャンネル「けいちょんチャンネル」の変化と動向についてフォーカスする。最近、カジサックやオリラジ藤森と絡んでいる動画はハチャメチャで、めちゃイケを彷彿とさせるシーンが多かったので、確かに山ちゃん復活というプレゼンはその通りだな、と思った。

そんなこんなで山ちゃんの面白さにゲラゲラ笑っていたら、油断も隙もない。後半は、宮迫の吉本復帰に迫るプレゼン。あっちゃんは忖度なしに、ガチンコで吉本の経営陣を批判する。本来なら、彼は吉本の所属だったので、内部からの批判だった。撮影そのものは吉本に所属していたときのものらしいが、独立した今となっては、視聴者的には、かなり、ヒリヒリする感覚になると思う。その辺のギリギリのプレゼンと、それを受け止める宮迫のマジな顔が、結構、スリリングで面白い。

これは、吉本の経営陣的にはどういう風に映っているのか。宮迫復帰を先延ばしにすればするほど、中田敦彦に攻め立てられる。そういう腹積もりなのだろうか。どちらが先に陥落するのか。そんなドラマを見せつけようとしているような、そんな気迫をあっちゃんに感じた。……宮迫にとって、この作戦は吉と出るのか凶と出るのか。

2021年1月23日 意外と映画『ポケットモンスター ココ』が面白かった件

標題のとおり。映画『ポケットモンスター ココ』を観た。ちゃんとした映画だった。映像もきれいだし、脚本は決して子供向けにはなっていない。とても面白かった。

父と子の絆、父親とは何かみたいなテーマもあったし、人間の自然への侵略みたいな環境保全的なテーマもあったけれど、何よりもザルード(ワルザルポケモン)の社会とその他のポケモンたち、そして人間たちとが一緒になってひとつの課題解決に取り組むことで乗り越えていくというダイバーシティと共生の物語だったと思う。人間として生まれてポケモンとして育てられたココと、ココを拾って群れを追われたザルードを軸に、どうやって異世界・異文化が共生していくか。そんな壮大なテーマだった。

ただ、たった1人を悪人にして勧善懲悪に落とし込んでしまうのはどうかな、と思った。とても分かりやすいし、ワンピース的な安易な手法ではあるけれど、そこはもう一捻りして、彼にも正義を与えてほしかったし、彼の賛同者がいてもよかったかな、と思う。

2021年1月16日 映画『えんとつ町のプペル』を観た

映画『えんとつ町のプペル』を観た。緊急事態宣言が出される前に観に行こうと思って、実は1月6日に観に行った。それから、バタバタと緊急事態宣言の対応に追われていて、今頃の感想だ。

「ちゃんとした映画だった」。これがまさに感想だ。いや、勿論、映画を観に行っているのだから、映画なのだけれど、最近、何となく、ドラマの映画化とか、アニメの映画化とか、漫画の実写化とか、そういうのが多かったような印象だ。映画のために作られたのではなく、別のものを映画化したものが多い。そうではなく、この『えんとつ町のプペル』は、冒頭から最後まで、徹頭徹尾、映画だった。映画のためにつくられた映画だ。当たり前のことなのだけれど、でも、実はそこが当たり前になっていない映画が、実は意外と多い。そして、絵本とはまるで違った。根っこの部分は同じだし、西野さんは映画を作ることを前提にして、その中から一部を絵本として切り出したと説明はしていた。でも、映画の台本を絵本にするに当たって、絵本のために再構築したのだ、ということが、映画を観るとすごく分かる。絵本は、必要なのだけれど難解になる部分を全て取っ払って、分かりやすく、そしてシンプルに作っている。映画はそうではない。だから、全然、同じシーン、同じ台詞でも、印象が異なる。

そして、世界に没入できる作品だった。見終わった後に、えんとつ町の中にいたような気持ちがずぅっと残っていて、何だか劇場を離れるのがもったいないな、と感じた。これは、映像も綺麗だったし、世界の作り込みがよかったからだと思う。ものすごく精緻に世界が描かれていた。

映画上映中も、勿論、泣いたんだけど、でも、ボクは映画を観終わって、家に帰る道すがら、何度も泣いてしまった。仕事帰りで、とても遅い時間の回だったので、終わったのは11時過ぎ。そこから歩いて家まで帰った。その道すがら、自分のファイサラバードでの奮闘(「水なんて出せない」と散々に言われながら、何とか水を出したこと)や、今の業務のオンライン化の奮闘(ZoomやYouTubeを導入するまでの苦難)なんかを思い出して、ルビッチと自分を重ねた。ずぅっと1人で戦っていたと思っていたけれど、実はいろんな人に支えられて、応援されて前に進んでいたんだなあ、ということも、いろんなしがらみで邪魔をしてきた人たちがいたことも、そんな人たちをねじ伏せて乗り越えてきたことも、いろんなことを怒涛のように思い出して、何だか泣けてきた。決してネガティブな気持ちではなくって、乗り越えた達成感を思い出したし、応援してくれたみんなの顔も思い出せた。そして、これからも頑張らなくてはならない、と気持ちを新たにした。

そんな映画だった。

2020年9月22日 神の手を持つのび太だ!!

『映画ドラえもん のび太の新恐竜』を観てきた。のび太って恐竜の卵の化石を見つける才能が桁違い。誰にも真似できない。神の手か!?

シナリオは恐竜の進化に関わるミッシング・リンクで面白かったけれど、ボクは個人的にオープニングがピカイチだと感じた。エディアカラ紀から始まって、カンブリア大爆発。アノマロカリスやら何やら。そして魚になって、ダンクレオステウスだと思うんだけど、それが泳いでいて、両生類になって、浅瀬で植物をかき分けて泳いでいて、そのうち、陸上を這い回る両生類が現れて、メガネウラが飛んで、その後、小型の恐竜が走り回って、そして白亜紀!! ここまでの歴史を、ざざーっとオープニングで流した。これ、ピカイチだと思う。あっという間の映像だけど、生命の歴史がものすごく凝縮されている。もう、それを見ただけで、ボクは満足してしまって、「ああ、これはいい映画だ!」と拍手喝采していた。

2006年の『映画ドラえもん のび太の恐竜』では、のび太は恐竜の卵の化石を発見して、タイム風呂敷で時間を戻してフタバサウルスを孵してしまう。今回も、恐竜の卵の化石を発見して、新種の恐竜を孵してしまう。で、白亜紀に戻しに行く。筋書きは同じ。「昔も同じようなことをのび太は首長竜でもやっていたよ」と、そんな話を息子のツクル氏(6歳)にしたところ、「首長竜は水の中で暮らすのに、のび太はどうやって家で育てたの? お風呂じゃすぐにママにバレるよ」と言われてしまった。はっはっは。当時は首長竜が常時、水の中にいて、胎生だなんて思っていなくて、水陸両用で、陸地を這うこともあると信じられていた。時代だなーって思う。息子は恐竜の図鑑をよーく読み込んでいる。

2020年8月15日 のび太ジュース水道局!?

今週の『ドラえもん』が「水道ジュース変換アダプター」というお話だった。面白かったので紹介したい。

 * * *

ドラえもんが未来から取り寄せたのは「水道ジュース変換アダプター」。水道の蛇口にこのアダプターを取りつけると、水道水がジュースに変換されて出てくるという代物で、さまざまな味が楽しめる。のび太とドラえもんは自宅の散水栓に「水道ジュース変換アダプター」を設置し、さらに「亜空間パイプ」を使って、亜空間に水道管を布設して自分の部屋まで水道システムを引っ張ってくる。部屋にいながらにしてジュースが飲めるので、のび太もドラえもんも大喜びだ。

ここで、いつものとおり、のび太は悪賢さを発揮し、これで一儲けしようと「のび太ジュース水道局」を設立し、300円でみんなにジュースを提供することを考える。のび太の自宅から「亜空間パイプ」で友人たちの各部屋にジュース水道を引き込む。友人たちはいつでもジュースが飲み放題、という寸法だ。なかなかいいアイディア。

ところが、ジュース水道の事業運営は簡単ではない。水圧が確保できず、のび太の家から遠いスネ夫の家にはジュースが届かない。そこで、今度は水圧を上げる。それでスネ夫の家でジュースが出るのを確認すると、今度はジャイアンの家から水が出ないというクレーム。水圧を上げたせいで、公園で大規模な漏水が起こっていた。漏水による水圧低下で、そこから先の家でジュースが出なくなっている。公園にいる子供たちは大喜びでジュースを飲んでいて、誰も漏水をのび太たちに教えてはくれないのだ。その上、高水圧によってウォーターハンマーが起こって、ゴンゴン音がすると苦情が入る。のび太とドラえもんはその対応に追われる。

一番、リアルだったのは、スネ夫が1000円を払って「オレンジジュースじゃなくてブドウジュースにしろ」と言うシーン。のび太がブドウジュースに切り替えた瞬間、女の子から「ジュースの色がおかしい」とクレームの電話だ。のび太は説明を余儀なくされる。

いろんな対応に追われることに疲れて、ついにのび太は事業を畳むことを決意して顧客を集めて説明会を開く。けれど、顧客からは「子供たちのライフラインだぞ」と突き上げられる。そこで値上げするで事業継続することを提案しても、それも反対される。何とか説得して事業を畳めたのび太とドラえもんだが、蛇口の撤去に追われる。事業運営というのは案外、難しいものだ。

最大のオチは、野比家の水道料金が跳ね上がることだ。全てのジュースの水源は野比家の散水栓だったので、ママの大目玉を喰らう。

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水道管の老朽化が進み、値上げしなければいけないと各自治体が頭を悩ませている。民営化で何とかなるんじゃないかという議論も始まっている。そんな中で、結構、攻めたテーマだと思うし、なかなかリアルだ。企画の裏に、厚労省か水道事業体が噛んでいるのではないか、と勘繰ってしまう。でも、本当に、インフラを維持管理するというのは大変だよなあ、と思う。みんなで考えていかなきゃいけないよね。