2023年6月10日 アスワン・プロジェクト

昔から犬のクンクン by 河村賢一というウェブサイトがあって、フィリピン在住の管理人が、日本語でフィリピン文化やフィリピン情報を発信してくれていた。そこにかなり詳細に「フィリピンの妖怪」がエンタメたっぷりにまとめられていた。ボクは結構、フィリピンの妖怪に関しては、そこの情報を最初の足掛かりにして、その後、英語やタガログ語で調べてみて、情報を拾ってまとめていた。

最近、また面白いことがしたいなー、と思って、改めて「フィリピンの妖怪」を整理しようと思い立った。何しろ、ボクは2014年から2016年までに、8回もお仕事でフィリピンに行っていたのだ。フィリピンの雰囲気はよく分かる。あの国を跋扈する妖怪たちは、容易に想像ができる。それでもう一度、フィリピンの妖怪を調査し始めたら、「The Aswang Project」というウェブサイトを発見した。YouTubeもある。結構、細かくフィリピンの伝承上の妖怪たちを調査して、まとめてくれている。特にA Compendium of Creatures from Philippine Folklore & Mythology(フィリピンの神話・伝承の生き物の概要)というページがいい。

単純に「ああ、これは凄いウェブサイトだ」と思った。こういう伝承の類の妖怪は収集が要だ。日本でも、その昔、民俗学で柳田國男などの先人たちが足を使ってフィールドワークをして、妖怪や怪異の情報を収集してくれた。だから、日本は妖怪の情報が豊富にある。今はオンラインの時代だ。フィリピンでは、こうして「The Aswang Project」が始動して、オンライン上にフィリピン各地の情報を集めることができたら、ものすごい価値のあるサイトになる。まだ辞書っぽい印象もあって、解説としては物足りない側面もあるんだけど、妖怪に関わる固有名詞を大量に集めてくれているのは素敵だ。しかも知名度のある妖怪は、分析記事に書いているライタもいて、そこにリンクが貼られていたりする。YouTubeなんかでも仰々しく情報発信していて面白い。

日本では、あんまりフィリピンの妖怪って知られていないけれど、こういうプラットフォームがフィリピンに出来ているのなら、日本にフィリピンの妖怪を紹介するのも一興だなあ、と思った。しかも、YouTubeの英語を聞いていても、ちゃんと聞き取れるくらいにはボクの英語も上達している(笑)。

そんなわけで、引き続き、今年はミャンマーの37柱の精霊ナッも更新は続けつつ、一方でフィリピンの妖怪もフォローして、こういうマイナな妖怪に関しては、絵も添えて、イメージを強く喚起していく方向で進めてみようかな、と思っている。

  

2023年6月8日 自分のウェブサイトを分析中。

4月の頭くらいに新しいパソコンを調達したんだけど、バタバタしていて、セットアップがいろいろと追いつかず、このたび、ようやく腰を据えて対応した。IllustratorやPhotoshopをインストールした。Google Chromeでログインしてお気に入りを移し替えたし、SNSも全てちゃんとログインをできるようにした。そして、ようやくGoogleのSearch ConsoleやAnalyticsを新しいパソコンでも見られるように設定した。

ずっと低空飛行だったウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」だったんだけど、4月に日々の雑記の隔日キャンペーンを始めてから、アクセス数が緩やかに右肩上がりだ。こういう雑記にも、一定の効果があるのだろうか。更新頻度もSEOのひとつのファクタになるので、そういう要素で、Google先生なんかが反応してくれているのかもしれない。

被リンクがたくさんあるページは、ボクが真摯に書いた記事であることも、改めて確認できた。例えば、ゴブリンノームアーヴァンクなんかが評判がいいので、こういう記事を増やしていけばいいのだと再認識した。最近、少しだけ原点回帰して記事を書いているので、そういう意味では、この頃の感覚に近いイメージで執筆できているので、希望が見いだせた。

逆に、最近、力を入れていた南米の妖怪ミャンマーの妖怪は全然、かすっていない。フィリピンの妖怪も、あんまり見られていない。まあ、そりゃあそうか。でも、これはこれで、ボクが好きでやっていることなので、続けていこうかな、と思っている。実は、こういうマイナな妖怪こそ、絵にして提示して、知名度を上げていこうかな。今のところはそんなことを考えている。その名も、マニアックさをイラストで乗り越えていこう作戦であるが、さてはて。

  

2023年5月27日 ヨーウィーはトカゲと虫の混成獣なのか!?

今日はちゃんとウェブサイト「ファンタジィ事典」の話。アボリジニ伝承に「ヨーウィー」という怪物が登場する。実はオーストラリアには2種類のヨーウィーの伝承があって混乱するんだけれど、イエティみたいな獣人型のヨーウィーではなくって、爬虫類型のヨーウィーの話をしている。このヨーウィーは6本脚のトカゲの怪物なんだけど、しばしば、昆虫のような脚で描かれる。

でも、海外のウェブサイトを見ると、結構、普通に6本脚のトカゲで描かれていたりする。サイズも思った以上に大きくて、複数の部族が集まって、総がかりで戦って退治していて、まるで洞窟に棲み、村を襲うドラゴンのようなイメージである。Wikipediaの記述も、特に昆虫の脚とは明示されていない。さてはて。

実は明確に「昆虫の脚」という表現をしているのは、草野巧氏だ。『幻想動物博物館』(1993年)では、

ヨーウィーはカブト虫のように、とげとげした六本の足を持った鱗のある巨大なトカゲである。

と記載されている。以降、『幻想動物事典』(1997年)では

犬くらいの大きさがあり、身体つきは蜥蜴のようだが、胴体には鱗があり、蛇のような尾がある。奇妙なのは足で、かぶと虫のようなとげとげの足が6本ある。

と書かれている。

参考文献には『想像と幻想の不思議な世界』が挙げられている。これはオーストラリア在住のマイケル・ページとロバート・イングペンの共著の辞典である。英語のタイトルは『Encyclopedia of things that never were』である。1985年にイギリスで発行されている。日本語訳は教育社から1889年に出版されている。ページの文章、イングペンのイラストでまとめられているが、そこにヨーウィーが登場する。

オーストラリアの夜行性の生き物。爬虫類と昆虫の中間の形態をしているらしい。目撃者は、昆虫のような6本の足を持ち、頭はオオトカゲで、胴体は爬虫類のようなうろこに覆われ、ヘビのような尾をしていたと言っている。

とあって、イングペンはアリのような身体にトカゲの頭、ヘビの尾を生やした怪物を描いている。草野巧はこれを参考にしたのだろう。

セガサターンの『真・女神転生デビルサマナー』(1995年)では、妖虫としてヨーウィーが登場していて、その後、2021年には『遊戯王』のカードにも登場した。これらの作品でも、昆虫の脚を持った爬虫類の怪物として描かれている。

マイケル・ページもロバート・イングペンもオーストラリア在住の作者だから、一見するとアボリジニ伝承に関する情報は正しそうな印象を受けるが、虹蛇のユルルングルの記述などもほとんどなくて、どこまで信用していいのかはよく分からない。そもそも「昆虫のような6本の足」という部分をマイケル・ページがどのような意図で書いたのかはよく分からない。でも「6本脚であることがまるで昆虫のようだ」とも読める。ロバート・イングペンは明確にアリのような身体を描いているが、果たして、ロバート・イングペン以前にこのような昆虫と爬虫類の混成動物としてのヨーウィーを描いた人がいるのだろうか。

そんなこんなで、「ファンタジィ事典」の記事をどのようにまとめるか悩んでいる。

  

2023年5月13日 知的好奇心を掻き立てる。

本屋に『中野京子の西洋奇譚』(著:中野京子,中公新書ラクレ,2023年4月)が平積みになっていた。ハードカバーで出版されていたのは前から知っていたが、ボクは文庫や新書が好きなタイプなので、この機会に買ってみた。

カラーの絵が豊富に載っていて、それも楽しいし、いろんな文献に当たって調査されているのも好印象。「ハーメルンの笛吹き男」や「ジェヴォーダンの獣」、「ファウスト伝説」などの古い話もあれば、「コティングリー事件」やロバート・ジョンソンの十字路の悪魔などの比較的、新しい話もあって、全部で21の西洋奇譚が載っていた。新旧あるところが面白かった。資料性も高くて、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の参考文献としても十分活用できそうな印象も受けた。

その意味で、とても興味深かったのが「マンドラゴラ」の章だ。マンドラゴラは、人間の姿に似た根を持つ植物で、引き抜くときに大きな悲鳴を上げ、その悲鳴を聞くと気が狂うとか死んでしまうと言われている。だから、犬に引き抜かせて、自分は耳を塞いでおく。引き抜いた植物は毒にも薬にもなってとても有用だとされる。その辺までは、おそらく、何となくみんなが知っているところかと思う。でも、『ロミオとジュリエット』でジュリエットを仮死状態にした薬がマンドラゴラだとか、旧約聖書での言及、ローマ時代の挿絵、古代エジプトのレリーフ、映画「ハリーポッター」での描写など、さまざまなマンドラゴラについて書かれていて、面白かった。いろいろと調べて、確認したいなと思った次第。

こういう風に、読んで、知的好奇心を掻き立ててくれる本に、ボクは魅力を感じてしまう。

  

2023年5月9日 久々にイラストを描いてみた。

ゴールデン・ウィークで時間もあったので、イギリス伝承のインプを描いてみた。相変わらず、iPhoneにタッチペンという状況。彩色もしてみたが、どうやって塗るのが正解なのかよく分からない。ClipStudioでの色の塗り方を勉強した方がよいかなあ。ガリガリな感じとかは表現できたので、その点は気に入っている。

  

2023年4月23日 原点回帰:自分らしい文章を書くこと。

ウェブサイト「ファンタジィ事典」は「世界の妖怪」に関わる情報を集めてまとめているウェブサイトだ。でも、本音を述べると、Wikipediaが登場したときに、その存在意義を見失っていた。何しろ、ボク個人が一人で集められる情報なんて限られているし、アクセスできる情報も限られている。複数の人が同じように情報を集めてまとめるなら、圧倒的に数の論理でWikipediaの勝ちだ。

特に、一時期、北欧神話に関するWikipediaは、レベちでクオリティが高くなった。かなり専門家や専門家に近い人が中に入ったのだろうなという印象があって、情報の出典明示度が極めて高くなった。原典のどの部分にどのように書いてあるのかが、Wikipedia上で明確に分かるようになった。正直、これはお手上げだな、と思った。

そんなことを頭の片隅で考えながら、数年間、漫然と項目を更新していたような気がする。極力、読める範囲で原典を読む。原語にこだわる。そして、絵を描いてみる。でも、ChatGPTが登場して、もう、そういうのはやめようと思った。情報量で勝負するのではなく、自分らしい文章で自分らしい感性で記述することが、唯一の価値だ。やっと、そういう境地に至って、最近、自由に更新している。

そうしたら、また昔みたいに楽しくなって、生き生きとファンタジィ事典を更新している。「日々の雑記」を隔日で開始したのも、そういう背景がある。文章を自由に書いて、記事にする。当たり前の出発点に、再び戻ってきた。

  

2023年4月21日 隠棲動物学

4月5日に13歳の少女が目撃したネッシーの画像が、このたび、「オフィシャル・ロッホ・ネス・モンスター・サイティングス・レジスター」に公式認定されたというニュースが流れてきた。目撃情報を公式に認定する仕組みがあるというのがそもそも面白いし、21世紀のこのご時世に、「未確認生物(UMA)」というジャンルがまだ健在なのかと感じる人もいるかもしれない。

日本では、「未確認生物(UMA)」はオカルトとかファンタジィのジャンルに区分されて、妖怪や幽霊、宇宙人などとごちゃまぜになって扱われがちであるし、ボクのウェブサイト「ファンタジィ事典」も御多分に洩れず、未確認生物も含めて、「世界の妖怪」と定義して取り扱っている。

海外では、隠棲動物学(Cryptozoology)と言って、学問ジャンルとして扱われていて、アメリカには「国際隠棲動物学会」も設置されている。こういう隠棲動物の事例としてよく引き合いに出されるのが「ゴリラ」だ。ゴリラは当初は「隠棲動物」として取り扱われていて、19世紀に「発見」された。コモドオオトカゲも恐竜の生き残りとされていて、20世紀になって「発見」された。コビトカバもそう。パンダやオカピもそうだ。日本だと、イリオモテヤマネコが同様のジャンルだ。

つまり、未確認の生物が実際に存在することは論理的にはあり得る。そういう学問が隠棲動物学……なのだが、ネッシーの場合はどうだろうなあ……。植物プランクトンの量、魚類の量などから、大型肉食獣の生存は困難だとか、肺呼吸の生物だと仮定すると湖面に顔を出す頻度が低いとか、1987年の大規模なソナー調査の結果、大型生物が発見されなかったとか、いろいろと科学的裏付けのある否定がたくさんあって、やっぱり、少しだけオカルトっぽい印象がある。多分、隠棲動物学で真正面から取り扱うべきジャンルではなくて、イロモノではないかな、とは思う。

13歳少女のネッシー画像が2023年初の公式認定 4月5日午前11時52分に目撃(東スポWeb)

  

2023年3月14日 粛々とミャンマーの精霊信仰について整理中

どこにニーズがあるのかも、誰に刺さるのかもよく分からないまんま、粛々とミャンマーの妖怪を更新し続けている最近のボクである。日本ではミャンマーの妖怪の知名度は高くない。ミャンマーの地理や歴史もよく分からない。ミャンマーのくるくる文字だって、読めない。そういうのをちゃんと丁寧に調べて積み上げていけば、それなりに資料性は高くなる。だから、やってみる価値はあるのではないか。そう信じてやってみている。

ミャンマーの公式の神々である「37柱の精霊ナッ」のドゥッタバウン群、タビンシュエーティー群、バインナウン群をまとめ終わって、今、ようやくアノーヤター群に着手した。ある意味では「37柱の精霊ナッ」の大枠を作ったのがパガン朝のアノーヤター王だとすれば、そのアノーヤター王に関わる精霊たちであるアノーヤター群は本丸に相応しい。日本人でも、観光の本なんかで取り上げられることがあるので、もしかしたらタウンピョン兄弟(シュエピーンチーシュエピーンゲ)を知っているという人もいるかもしれない。彼らはアノーヤター群の中核をなす精霊たちだ。実はミャンマーでは、タウンピョン兄弟の物語もそうだが、彼らの父親である超人ビャッタの物語もよく知られていて、ビャッタとビャッウィの兄弟の物語は映画になったり、絵本になったりしている。

「37柱の精霊ナッ」が整理できたら、イラストも描いてみて、ひとつの完成形を提示したい。ファンタジィ事典の目指す方向性みたいなものを示せればよいな、と思っている。

2023年3月2日 タビンシュエーティー群

久々にミャンマー伝承を更新した。前回まではかなり伝説に近い「ドゥッタバウン群」を整理したが、今回は16世紀の「タビンシュエーティー群」を整理した。どちらかと言えば、史実に近い部分なので、神話としては面白くないし、どうしてこれらの人物が37柱の精霊ナッの親玉たちの仲間入りを果たして、現在まで引き継がれて崇拝されているのかはよく分からないが、取り敢えず、37柱を全部、制覇するまでは走り続けるしかないな、と思っている。

2023年2月4日 妖怪の絵を描く。

パキスタンにいる間にたくさん絵を描いていたのに、後で彩色しようと思ったまま忘れていた。明日からパキスタンに行くので、その準備をしていたら発見した。折角なので、スキャンしてアップしてみた。オトロシワイラだ。

最近はiPhoneにタッチペンで描く。でも、この頃はまだ紙にGペンで手書きで描いていた。色も、本当はコピックで塗ろうと思っていた。気が向いたら、色もつけてみようと思うけれど、デジタルに挑戦している最中なので、しばらくは色がつかないだろうな、と想像する。だから、取り急ぎ、白黒でアップしておこうと思う。

オトロシの絵 ワイラの絵

  

2023年1月29日 性的な表現が含まれている!?

猫も杓子もコンプラの時代である。

先日、pixiv事務局から「性的な表現が含まれている投稿作品に関するご連絡」というメッセージをいただいた。「性的な表現が含まれている作品の閲覧制限がR-18に設定されていなかったため、閲覧制限をR-18に変更いたしました」とのご報告。突然の連絡だったのでビックリして確認したところ、該当した作品は……

セイレーンの絵だった。……なるほど。これでもpixivの規約では「性的な表現」になるのか。ボクからすれば、もっと官能的な表現ってたくさんあると思っていて、まさかこんなエロさの欠片もない絵が引っ掛かるとは思っていなかった。迂闊だった。

実は、この絵には明確なモデルがあって、古代ギリシアの壺絵を参考にしている。人間の上半身に対して海鳥の下半身が圧倒的に小さくて、これじゃひっくり返っちゃうよ、という古代ギリシア人の妙を、そのまんま持ってきて描いてみた。でも、これでも引っ掛かってしまうのかあ。


出典:Theoi Project

昔はドリフのコントで上半身裸の女性が普通に出てきて、両親が気まずい顔をしていて、見ている子供たちも淫靡なものを見たという居心地の悪さを感じていた。今の子供たちはそういう刺激がないまま育ってしまうので、耐性がなくなってしまう。それはそれで怖いことじゃないのかなあ。うーん。

まあ、プラットフォームの規約なので、文句は言わないけれど。さてはて。

  

2023年1月21日 『古事記』だけじゃなくて『日本書紀』も読まなきゃ!?

最近、精力的にウェブサイト「ファンタジィ事典」「日本神話」を更新している。日本神話と言えば『古事記』だとずっと思い込んでいた時期があって、『古事記』をベースに更新していた。何故なら、『古事記』を軸に神話を解説している二次的な文献が多かったからだ。でも、最近になって、『日本書紀』を読んでみて、いやいや、『古事記』をベースにしていてはいけないのではないかと思い直した。

『日本書紀』にはなくて、『古事記』だけに登場する神やエピソードがたくさんあって、おそらく、こういうのは『古事記』の編纂者(要するに、天武天皇になるわけだが)がかなり意図的に書かせた部分だ。『古事記』にしても『日本書紀』にしても、一応、天武天皇が命じてまとめさせたことになっている。上納された年も、8年しか変わらない。それなら、どうして2つの書物が同時並行的に書かれたのかはよく分からないらしい。でも、天武天皇と言えば、日本の土着文化の掘り起こしに精を出していた人物だ。日本に古くからあった伝統的な神話や祭りなどを掘り起こして、整理しようという精神が彼の中にはあったはずだ。『古事記』にはそういう側面が強く打ち出されているのだろう。

一方で、『日本書紀』は複数の編纂者の合議制で編纂されていて、客観的にまとめられていると言える。中国の文献をモティーフにした表現も多い。想像だけれど、たくさんの知識人たちがああでもないこうでもないと整理したのだろう。だから、『古事記』よりも編纂に時間が掛かった。そういうことなのだろう。

その辺の2つの書籍のギャップを感じながら神話を整理する方が、本当は意味があるのではないか。最近になって、そんなことを思い始めた。だから、『古事記』と『日本書紀』を両方とも参照しながら、もう一度、日本神話の項目を再構築している。

  

2023年1月14日 遅まきながらのウサギの絵 第2弾

卯年なので描いたシリーズ第2弾として、アルミラージキラー・ラビットに引き続き、iPhoneで描いてみた。ソフトウェアはCLIP STUDIO PAINT。彩色までやってみた。コピックでやっていたようにはうまく塗れない。でも、iPhoneだけあれば描けるので楽ちんと言えば楽ちんだ。

アルミラージはアラビア伝承に登場するツノウサギだが、ヨーロッパには、こういう類いのツノウサギの伝承はたくさんあるので、そういうのもまとめて調べて、ウェブサイト「ファンタジィ事典」に掲載してみようと思っている。

  

2023年1月7日 遅まきながらのウサギの絵

あけましておめでとうございます。遅まきながら、ウサギの絵をご紹介。今回は映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1974年)に登場するキラー・ラビット。一見、かわいらしいシロウサギのように見えて、近づくと飛び掛かってきて首を嚙みちぎられる。辺りは血の海だ。

例によって、iPhoneで描いてみたシリーズ。そろそろいい加減にタブレットを購入して、ちゃんとお絵描きしようよ、という声が聞こえてきそうだけれど、もうしばらくはこのままのスタイルでやってみようと思っている。

  

2023年1月3日 美しきタロットの世界

本屋に行ったら『美しきタロットの世界 その歴史と図像の秘密』という本が平積みされていたので読んでみた。ボク自身は、特段、占いをするわけではない。信じているわけでもない。でも、ウェブサイト『ファンタジィ事典』を運営する好事家のボクからすれば、「タロット」も研究対象のひとつに含まれる。

過去にいろいろな解説本があったけれど、この本の内容は知らないことばかりだった。当初のタロットが「占い」の道具としてではなくてカードゲームとして普及していたことも、占いの道具としては黄金の夜明け団によって広く普及した事実も、ボクたちがよく知っているタロットの図版を監修していたのが黄金の夜明け団のウェイトだったことも、ボクは寡聞にして知らなかった。世界各地のタロットをたくさん蒐集して展示している「東京タロット美術館」の監修なので、おそらくは妥当な記述なのだろう。とても面白かった。

本書のオススメのポイントは、17~18世紀のタロット(「マルセイユ版」)のイラストが載っているところ。何となく北欧神話の神々のイラストに似たような雰囲気の絵があって、それとウェイトの監修した「ライダー版」やその他の版の絵が紹介されている。こういうのは、東京タロット美術館が監修している強みだろう。


『美しきタロットの世界 その歴史と図像の秘密』(著:読売新聞社「美術展ナビ」取材班,監修:東京タロット美術館,祥伝社,2022年)

2022年11月29日 神話のエピソード解説ページを構築中

10月からパキスタンに出張していて、音信不通になっていた。帰国してからは新年の雑誌づくりに余念がなかった。それもようやく落ち着いてきて、こうして日々の雑記を更新している。ウェブサイトを1か月以上、放置していてスミマセンm(_ _ )m

現在、緩やかに、シュメル神話の記事を準備中なので、乞うご期待。事典だけを粛々と作成しても「引き」がないので、『エンリル神ニンリル女神』とか『エンキ神ニンフルサグ女神』みたいなシュメル神話のエピソードを解説するページを構築しようかと思っている。そして、そこに登場する神々(あるいは怪物)を事典に追加していくイメージだ。実際の神話のエピソードを当たると、神々の関係性とかがうまく描けて、より深掘りした世界観を提示できるのではないか。そんなことを企画している。

2022年9月19日 玉石混交だけどいい時代。

ガシャドクロの出典のひとつに山内重昭氏の『世界怪奇スリラー全集 2 世界のモンスター』(秋田書店,1968年)とあったので、実際に読んでみようと思って図書館で借りてみた。昭和43年の本なので、 ボクが生まれるよりも10年以上も前の本だ。期待どおり、ガシャドクロの絵が描いてあった。腹部にたくさんの髑髏がくっついている。これが野垂れ死にした人間たちの髑髏なのだとしたら、おそらく身長は4メートルほど。目玉が飛び出ている。この本自体は山内重昭氏が著者だが、このコーナーは斎藤守弘氏が執筆したらしい(というか、別の雑誌で連載していたものを転載したものらしい)。このイラストと説明を見る限り、少なくとも斎藤氏は歌川国芳の浮世絵を念頭にこのガシャドクロを着想したわけではないのだろう。この文章を読んだ水木しげるが、歌川国芳の浮世絵と紐づけたとするのが正しそうだ。

それにしても、昭和の妖怪本はいい加減で、面白い。山内氏も、斎藤氏も、どちらもかなりいい加減に書いている。いろんな国の妖怪が紹介されているようでいて、出典がよく分からないものがたくさんある。オリジナルのものも紛れ込ませている。情報の程度は玉石混交だし、2ちゃんねる以上に、読み手側に能力が求められる。

本来は、大昔の原典(江戸時代とか)を当たって、「ああ、当時はこういう妖怪だったんだ!」と理解すればよいのに、昭和の妖怪本がいろいろと創作も交えながら、捻じ曲げていくので、昭和の本を読み解きながら、いろいろと妖怪の成立を整理していかなければいけないのは、とてもナンセンスだ。でも、それがきっと妖怪の本質なのだ、と最近は思えるようになってきた。ゆる形而上学ラジオ的に言うなれば、存在はするけれど、実在はしないので、人々の頭の中でどのように顕在したか。顕在の形こそが妖怪の本質なのだから、昭和の妖怪本が不正解なわけではない。昭和の妖怪本の中に顕在したのだから、それもそれで妖怪としては正解なのである。……と最近は思っている。

意外といい加減なこの本で、遮光器土偶を宇宙人だと唱えたデニケンの主張を踏まえて、山内氏は勝手にその遮光器土偶のモデルになったであろう宇宙人のことを「テラコッタル」と命名している。昔、pixivで「テラコッタル」という名称で遮光器土偶を描いている人がいて「何それ」と単なる駄洒落かと一笑に付していたら、実は山内氏がそのように命名していたらしい。今になって了解した。そして「テラコッタル」と一緒になって「ジャバレン」という名称で、タッシリ・ナジェールの岩絵の巨人も紹介されていて、何でもありありでとても面白かった。真面目な本よりも、こういう何でもありでゴチャマゼになっている本の方が、子供的には遥かに想像力を刺激されて、妖怪好きになるよなあ、と思った。そういう意味じゃ、いい時代だったし、そうやって育った子供は想像力豊かになるなあ、と思った。

2022年9月10日 ドキドキもせず、落ち着く気持ちになる範囲で「ぼくが作った」と断言する凄さ!!

9月2日に、水木しげるの生誕100周年の「百鬼夜行展」に行ってきた。生憎、天気はよくなかったし、東京は少しだけ眩しかった。その上、六本木ヒルズの中で迷い込んで、なかなか東京シティビューに辿り着けなかった。でも、いろいろと示唆に富む展示で、楽しかった。今まで、水木しげるの妖怪についてまとめた図鑑の類いは読んでいたが、直接の漫画や伝記の類いは読んだことがなく、どの程度、水木しげるが自覚的に妖怪を創造し、模写していたのかがよく分からなかったが、結構、考えに考えて、かなりの部分、意識的に妖怪を写し、妖怪を創作していたことが分かったのが一番の収穫だった。

「妖怪の姿形については、昔から形の定まっていると思われるものはそれに従い、文章だけで形のないものはぼくが作った」

これは水木しげるの言葉らしい。ここで水木しげるは『ぼくが作った』と明言している。「描いた」のではない。「作った」のだ。しかも、水木しげるは鳥山石燕や竹原春泉斎などの古い時代の妖怪の画集もかなり収集している。そして、既存の絵が残されている妖怪については、それに従ったわけだ。創作をしないで、そのまま写し取った。かなり意識的にやっている。そういう妖怪との向き合い方だったことが分かって、ボクは単純に感動した。

実は、父が『週刊朝日百科 動物たちの地球』を毎週、購入していた。この雑誌の最後のページに水木しげるの妖怪コラムがあって、ボクはそこで初めて『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』などで知られる漫画家ではない、妖怪研究家としての水木しげるに出会った。そして、父親にねだって、1992年に岩波新書が発売した水木しげるの『妖怪画談』から連なる4作品を購入した。中学生の頃だと思う。その後、講談社+α文庫の『図説 日本妖怪大全』とその続編を自分のお金で買った。妖怪研究家としての水木しげるとの接点はそれだけだ。絵はとてもいい。でも、意外と文章がいい加減だな、というのが、当時の正直な感想だった。非常に感覚的で、個人の感想みたいな解説だな、と思っていた。

でも、今回の展示を見て、ちゃんと下調べしていたのだな、というのが分かった。下調べした上で、いい加減に書いていたのだ。それがいいじゃないか、と思った。しかも、「ぼくが作った」と断言した後に、

「しかしそれはあくまでも祖霊たちが『うん、それでよろしい』と言うような形にしておいた。祖霊たちがイエスかノーかは、形を作るときイエスの場合は心静かであり、ノーの場合はなんとなくドキドキして落ち着かない」

と書いている。ボクも最近、妖怪の絵を描いていて思う。オリジナリティを詰め込み過ぎて、明らかにやり過ぎたな、と思うときとか、違ったな、と思ったときには、アップロードしたときにものすごくドキドキする。これでよかったのだろうか、と煩悶する。そういうものなのだと思う。だから、とても、水木しげるに共感した。共感して、ドキドキしない範囲で「ぼくが作った」と言い切れることに、ボクは感銘を受けた。

2022年8月30日 ガシャドクロ推し!?

のん(能年玲奈)のYouTube『のんやろが!ちゃんねる』にて、「のん、妖怪に会いに行きました。」が公開されている。水木しげるの生誕100年を記念して、六本木の東京シティービューで「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~」を開催しているらしい。のんが、とても楽しそうに妖怪を紹介しているので、動画を見ているこっちまで楽しくなる。

彼女は今回、何故か「ガシャドクロ」をもの妙に推しているので、ちょっとガシャドクロについて紹介しておきたい。

実はガシャドクロは比較的、新しい妖怪で、昭和になって妖怪本が出版される中で生まれたものだ。元ネタは歌川国芳の浮世絵『相馬の古内裏』で、十数メートル程もある巨大な骸骨が大宅太郎光国に襲い掛かっている。この浮世絵はすごくて、当時は蘭学の影響もあって、解剖学が日本に入ってきているので、かなりリアルな骸骨を描いていて、迫力がある。で、実は、この浮世絵のモチーフになっているのは、江戸時代の山東京伝『善知安方忠義伝』で、滝夜叉姫がたくさんの骸骨を呼び出して、大宅太郎光国を襲っているシーンなのである。歌川国芳は、このたくさんの骸骨を描かずに、巨大な1体の骸骨にして描いた。この迫力のある浮世絵に着想を得て、昭和の妖怪本の中で、たくさんの骸骨が合体した妖怪として、「ガシャドクロ」が説明されるようになった。

だから、元々の浮世絵『相馬の古内裏』に登場する妖怪は「ガシャドクロ」とは呼ばれていないし、当時の作品に、骸骨が合体する妖怪という物語が伝わっているわけではない。あくまでも、歌川国芳が浮世絵を描くときに、たくさんの骸骨を描くのではなく、巨大な1体の骸骨にデザインしたのである。骸骨をたくさん描くのが面倒くさかったのかもしれないし、「たくさんの骸骨」というのを「巨大な骸骨」にすることで迫力を出したかったのかもしれないし、その方が構図として面白いと思ったのかもしれない。いずれにしても、昭和になって、この浮世絵から「ガシャドクロ」という妖怪が着想されたのである。

2022年8月8日 さらに描くものたち!

ここのところ、すっかりiPhoneとタッチペンで絵を描くことにハマっている。

iPhoneのイヤホンジャックにタッチペンを挿すだけ。これだけで準備完了だ。これはいい。今までなら、A4の紙や複数のGペン、2Bの鉛筆、消しゴム、ライト版などを準備していた。卓上のスペースも必要だった。でも、今はスマホ片手にタッチペンがあれば、どこでも絵が描けるし、いつ中断しても、片付けもいらない。本当に隙間時間に進められるところまで描いて、途中でやめられる。

しかも、若干、邪道で罪悪感に苛まれるんだけど、何度でもやり直せる。気に入らない線になっても、「戻る」ボタンひとつでやり直せてしまう。だから、何度でも気にいるまで線を引き直せる。これは大きな違い。紙にGペンで描いているときには、えいや、と覚悟を決めて線を引く。そして、これは元には戻せない。「あ、しまった!」と思っても、やり直せないのだ。そりゃあ、緊張感があった。デジタルには、そういう緊張感がない。気持ち的にはかなり楽になる。

そんなわけで、アラビア伝承の精霊ジン・シリーズのマーリドイフリートを描いてみた。