2016年1月11日 シヌログ祭

セブのカウンターパートの執務室に行ったら、部屋中がピンクや黄色、緑の色紙でド派手に装飾されている。ボクはフィリピンなので、てっきりクリスマスの名残かな、と思った。あるいは1月なので、新年のお祝いの名残なのかもしれない。ところが、マム・ヘレンに説明を求めると、これはシヌログ祭の期間中だからだという。

フィリピン各地には町の守護聖人がいて、それを祝う「フィエスタ」という祭りがある。セブはマゼラン大佐が持ち込んだ幼きイエスの像「サント・ニーニョ」を祀る。これを祀ったお祭りが「シヌログ祭」で、9日間、続く。最終日には、幼きイエスの像が登場する。ホント、フィリピン人はお祭り大好きで、1年中、お祭りばっかりだ。

最近では、シヌログ祭といえば、ダンスの祭典として有名になっている。各地のダンス・チームの代表が集まって、町中で競い合うらしい。みんな、シヌログ祭への参加を勧めてくるが、残念ながら、本番は日曜日らしい。その頃には日本だ。あらまあ。残念。

2015年12月24日 分かりやすさのひとつの事例

『マンガ はじめて読むギリシア神話』を購入。こういういわゆる「初心者向け」の本にしては非常にいい。絵柄は今風の絵で、ギリシア神話同人誌的なお楽しみもたくさんあるが、監修をしている2人がちゃんとした専門家なので、漫画ならではの軽いノリがありながら、学問的な内容からは大きく外れていかない。それでいて、史学や文学だけでなく、流行りの漫画や芸能分野など、幅広いジャンルに言及していて、素晴らしいなあ、と思う。厳密に言えば、分かりやすさを追求している結果、異説・他説が漏れていくので、その部分は理解して読む必要があるだろう。でも、それは元々、両立できないので、いつだって、読者の側が了解しておくべき視点だ。

結構、この年になっても、児童書コーナに並ぶ、漫画で解説された書籍を手に取るボクだ。「分かりやすさ」を勉強しようと思ったら、児童書コーナを巡るのが一番の勉強法だ。元々、ボクは日本の歴史なんか、小学館の『学習まんが 少年少女日本の歴史』で学んだ口で、今でも桓武天皇とか足利尊氏とか、ついつい、あおむら純氏のイラストで想像してしまう。実はあんまり個性的な絵じゃない方が、こういう漫画の場合、本当はいい。その意味じゃ、大変、失礼な言い方になるかもしれないけれど、あおむら純氏の絵は最適だった。

この『ギリシア神話』の場合、伊勢田健一氏という人物(検索しても引っ掛からない!)がイラストを担当しているようだが、多少、クセはあって、全体的に美化されているとは言えるが、最近流行りの萌え要素も強調されていないし、もちろん、好みの問題はあるが、個人的には大きな違和感はない。こういうイラストを使った解説手法、もっともっと普及してもいいなあ。裾野が広がる。こういう手法だけが正解だとは思わないけれど、是非是非、学者先生には参考にしてもらいたい。

2015年11月30日 水木先生が亡くなられた

ナイジェリアで朝、目を覚まして「今、何時だろうか」とiPhoneのホームボタンを押したら、画面の真ん中に水木さんが亡くなったニュースが通知されていた。現地時間で4時30分の出来事。思わず、起き上がってしまった。

ボクは日本が大好きだ、と自称している割に、実のところ、あんまり日本の妖怪には興味がない。ファイナルファンタジーやウィザードリィなどのゲームから妖怪の世界に入ったという経緯もあるんだろうけれど、妖怪というと水木しげるの印象が強くって、幼い頃のボクには、あんまり好きな絵柄じゃなかったことも影響しているだろうな、と想像する。大人になった今となっては、迫力のある個性的な絵で、案外、好きなんだけれど。だから、ゲゲゲの鬼太郎も、実は大真面目に観たことがない。たまたまテレビをつけたらやっているので観た、くらいのものだ。

そんなボクなので、水木先生が亡くなっても、93歳だし、天寿を全うしたよなあ。大往生だよなあ、などと思う。その一方で、ああ、一時代が終わったなあ、という感慨もある。

日本の妖怪の好事家たちは、大なり小なり、水木しげるの影響を受けている。特に、一反木綿や塗壁、小豆洗いや子泣き爺など、彼の絵が与えたインパクトはあまりにも大きくて、それが彼の創作であるにも関わらず、なかなかそのイメージから抜け出せない。多分、多くの妖怪好事家たちは、必死にそのイメージから逃れよう、逃れよう、と抗っているのではないか。特にイラストやデザインを生業にしている人にとって、脱水木しげるは、大きな命題のはずだ。

絵やイメージのない妖怪をヴィジュアル化する。これって、簡単なようでとても難しいことだ。それをたくさんやってのけたのが水木先生で、その功績も大きい。絵にならない言葉だけの妖怪は、ポピュラーにはなり得ない。その意味じゃ、たくさんの妖怪ファンを生み出したはずだ。その一方で、イメージを固定化させたという弊害(などと言うとかなり言葉が過ぎるが!)もあって、この戦いは続いていくのだろう。それだけ偉大だったということなのだけれど。

そんなことを考えつつ、本日は水木先生に思いを馳せながら、ナイジェリアで粛々と業務をしていたよ、というお話。

2015年10月13日 「くじら座問題」と「ティアマト≠ドラゴン問題」

ツクル君はイヤイヤ期に突入で、何を言ってもまずは「やや!」と言って拒否する。「ご飯食べるよ」「やや!」「お風呂入るよ」「やや!」「服着るよ」「やや!」「歯、磨こう」「やや!」「ねんねするよ」「やや!」。まったく困ったものである。夕餉から睡眠までの毎日のルーチンワークが地獄のようであることよ。

* * *

さて、近藤二郎さんの『わかってきた星座神話の起源 古代メソポタミアの星座』を読んでいる。星座と言えばギリシア・ローマ神話だけれど、その起源が、実はメソポタミアに遡れる、という視点でまとめられた本。たとえば「山羊座」と言えば上半身が山羊、下半身が魚の怪物だけれど、実はメソポタミアの水神エンキの象徴である上半身が山羊、下半身が魚の怪物スフルマシュに由来しているとか、「乙女座」が麦の穂とナツメヤシの葉を持っているのは、実はメソポタミアでは「畝」と「葉」という2つの星座だったとか、その内容は興味深い。でも、この本では、ボクがずぅっと懸案にしている「くじら座問題」は、結局、解けなかった。

「くじら座問題」(とボクが勝手に命名している!)というのは「くじら座の起源がメソポタミアのティアマトだ」とする説の真偽だ。そもそもの「くじら座」というのは、ギリシア神話では、ペルセウスとアンドロメダーのエピソードに登場する「海の怪物」のこと。簡単にあらすじを紹介すると、あるとき、エティオピア(現在のエチオピアとは場所が異なる!)の王妃カッシオペイアが調子に乗って「私はネーレーイス(海の精霊)たちよりも美しい!」などと自慢したため、ネーレーイスたちが怒って父親の海神ポセイドーンに「何とかしろ!」と泣きつき、ポセイドーンは海の怪物(ケートス)をエティオピアに差し向けた。困ったエティオピア王のケーペウスが神託を立てると、この怪物を鎮めるためには娘のアンドロメダーを差し出さなければならないという。そこで岩に王女アンドロメダーを縛り付けて怪物に捧げていたところ、ちょうど通りかかった英雄のペルセウスが怪物を退治して、アンドロメダーと結ばれた、めでたしめでたし、というお話。で、ここに登場する海の怪物(ケートス)を星座にしたのが「くじら座」、というわけ。ちなみに、このエピソードに登場するケーペウスもカッシオペイアーもアンドロメダーもペルセウスも、みんな星座になっている。

で、「くじら座問題」。インターネットで「くじら座」を検索すると、どうしてだか「海の怪物の名前はティアマト」と書いている頭のおかしいウェブサイトが大量に引っ掛かる。ん? ティアマトはアッカド神話の登場人物で、ギリシア神話には登場しないし、残念ながら(というほど残念ではないが)ボクは「海の怪物(ケートス)」の固有名詞を記載しているギリシア語文献に出会ったことがない。「海の怪物の名前はティアマト」という記述は間違いである。

もう少しだけましなウェブサイトになると「くじら座はメソポタミアではティアマト座」と書いてある。でも、ボクはこの出典がよく分からないでいる。そういうウェブサイトによれば、どうやら「ペルセウス座はメソポタミアではマルドゥク座」だったらしく、メソポタミアでマルドゥクがティアマトを退治した神話が、ギリシアではペルセウスがケートスを退治した神話になっている、ということらしい。バビロニアの主神マルドゥクが、単なる英雄に格下げになってしまうところには哀愁は漂うが、一見すると面白い解釈だ。でも、これ、本当なのだろうか。これがボクの掲げる「くじら座問題」だ。ずぅっと、いろんな本を読んでいて、この出典がよく分からない。

そもそもの近藤さんの本では、ペルセウス座に該当するところに記載があるのは「Old Man」であって、マルドゥクではない。くじら座に該当するところに至っては何の星座もない。つまり、古代メソポタミアの時代に、マルドゥク座とかティアマト座があったような印象が全ッ然、感じられない。それなのに、インターネット上には「くじら座の起源がメソポタミアのティアマトだ」という言説で溢れているのである。これ、何なのだろう。何の本が出典なのだろう。実は、英語で同様のキーワードで検索しても、同様のサイトがちょこちょこ引っ掛かるので、どうやら、これは日本だけで展開されている言説ではないようだ。

何故、ボクがこんなに「くじら座問題」にこだわっているのか、というと、この「くじら座問題」が、ひいてはtoroiaさんが提唱している「ティアマト≠ドラゴン問題」にも関わってくるからである。アッカド神話に登場する「ティアマト」は海水の女神さまで、多くの神々と怪物を生み出した母である。ところが、うるさいという理由で息子である神々を滅ぼそうと画策し、マルドゥク神に倒され、その身体は引き裂かれて、この世界の礎にされる。ちょっとウェブサイトで検索すると、ティアマト=ドラゴンと説明したサイトがたくさん見つかると思う。実際、ゲームなどではドラゴンとして描かれる。ところが、楔形文字の文献を見ても、容姿に関する記述はないし、「これがティアマト!」という絵も残されていないので、ティアマトがドラゴンであるという根拠は、実のところ、どこにもない。それでも、何故か巷ではティアマトはドラゴン、という言説が流れている。海外でもそう。でも、普通に神々を生み出した女神さまなので、人間の姿ではないか。

さて、ここで「くじら座問題」が重要になる。もし仮に「くじら座の起源がメソポタミアのティアマトだ」ということであれば、ティアマトは海の怪物であり、ドラゴンのような姿だったと想像されていた可能性が高まる。でも、残念ながら、ボクはこの説を支持する文献に出会わない。出会わないのに、巷では「くじら座の起源はティアマト」説が広く出回っている。うーん。この辺の謎を解明したくって、この近藤さんの本を読んでみたんだけど、少なくとも、この本を読む限り、「くじら座」はティアマトではなさそうだなあ。

「くじら座の起源がメソポタミアのティアマト」説、誰がどの本で唱えているんだろうか。

2015年10月8日 密かな野望の準備作業

久々に森博嗣の『MORI LOG ACADEMY 1』(ダ・ヴィンチ ブックス,2006年)
を引っ張り出して読んでみる。あんまりテーマを定めずに、その日に思ったことや感じたこと、考えたことがつらつらと書いてある。ああ、そうか。あんまりテーマを固めると書くのが大変だよなあ、と思う。もっと自由にフランクに書くのも悪くないかもしれない。

最近はシュメル関連の本を読んでいる。いつかメソポタミア神話のウェブサイトを立ち上げても面白いかもしれない、と密かに企んでいて(もう公言してしまった!)、その準備作業だ。厚さが少し薄いのでどうかな、と思っていた前田徹氏の『世界史リブレット 1 都市国家の誕生』は都市という切り口で非常に練られていて面白いし、小林登志子氏の『五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語』は王侯貴族のものではあるけれど、人々の日常が抜き出されていて面白い。松島英子氏の『メソポタミアの神像 偶像と神殿祭儀』 はシュメル人とアッカド人のそれぞれの文化の混合という視点で神話を整理しようとしていて、その試みに非常に惹かれる。現在のボクは情報を貯め込む期間である。そのうち、自分の中で一定の整理ができたら、情報発信の側に回りたいな、と思う。ひとつの目標としては、シュメル・アッカド神話の神々の姿を確立することだ。他の神話の神々と違い、シュメル・アッカド神話の神々は明確にヴィジュアル化されていない。だから、イマイチ、ぱっとしないのだ。当時の髪型、当時のファッション、当時の食文化、当時の道具なんかをちゃんと頭の中に叩き込んで、ヴィジュアル化する。そのときに、きっと、シュメル・アッカド神話が、もう少し身近なものとして再構築されるのではないか。そんなことをぼんやりと頭の中に思い描いている。

そうそう。ようつべを散策していたら、懐かしいPVを発見。ファンが衝撃を受けた話題作(笑)。どうせなら、これもCDに入れてくれればよかったのにね。

2015年10月3日 無宗教形式の葬儀

28日に父方の祖母が亡くなったが、火葬場の都合で本日の告別式。祖父は無宗教を気取っているので、葬儀も無宗教形式だ。坊主も牧師も神父も神主も不在。

祖母はクリスチャン系の学校に通っていた時期があって、よく賛美歌をピアノで演奏して披露してくれた。だから、みんなで賛美歌を歌おう、ということになり、叔母がギターで伴奏。賛美歌312番「いつくしみ深き」を歌う。

ところが練習していないから、叔母は3小節目で間違えて、前奏がストップしてしまう。しーん、と静まり返る式場。仕方がないので、ボクは4小節が終わったところで勝手に歌い出す。みんな、それに釣られて歌い出す。叔母のギターが慌ててついてくる。何の学芸会だろうか。こんなへんてこな葬儀ってあるものだろうか。

その後、祖父が祖母との思い出を語る。夫婦で寺巡りをしては、般若心経を写経して楽しんでいたらしく、突如、祖父が般若心経を朗々と読み上げる。キリスト教も仏教もごった混ぜ。罰当たり甚だしい葬儀である。

でも、我が家らしいな、と思う。ボクは本当の意味での無宗教。そんなボクを育てたのは、この祖父母なのだな、と強く思う。

2015年10月2日 不思議な歌

最近、ツクル君のお陰でNHK教育を見る。朝から「0655」や「ピタゴラスイッチ」、「デザインあ」など、なかなか秀逸な番組をやっている。今日は「シャキーン!」で変な歌をやっていた。タイトルは『ぼくはしらない』。地球が主人公の歌で、この世界について問うている。歌詞を引用してみよう。

『ぼくはしらない』
作詞・作曲:岩見十夢

教えてくれないか ぼくの 本当の姿を

とぐろを巻いた ヘビの上 一匹 カメが 乗っかっている
カメの 甲羅に ゾウ 四頭 背中で 大地を 支えてる

そういうふうに ぼくのこと 言う人達がいるんだ

世界の 中心 大きな木 しっぽ くわえた ヘビがすむ
海が 大地を 囲んでる さらに 山が すべてを 包む

こんなふうに ぼくのこと 思ってる人たちもいるんだ

他にも 丸くて 青いっていう話も あるみたいなんだけど
本当のところは どうなんだい?

教えてくれないか ぼくの 本当の姿を
自分を写す 鏡を 持っては いないから

教えてくれくれないか 確かめたことが ないから

ぼくは しらない 本当の姿を

不思議な歌詞だ。古代インドの世界観や古代ゲルマン人の世界観(ただしどちらも異説あり)について歌っている。そして、科学技術が証明した球体としての地球についてもさらりと歌う。子供番組なのに、変な歌だなあ、と思う。子供たちは、この歌の意味、分かっているのだろうか。

2015年10月1日 ポーランドにてマーマンが確保!?

ネッシーやイエティの記事でよく登場するイギリスのデイリー・ミラー紙。9月26日にはポーランドで人魚が確保されたと報じている。白い防護服みたいなものを着た集団に、マーマンが連れていかれる映像だ。

こんな画像が、今でも普通に出回ってデイリー・ミラー紙で紹介されるんだねえ。面白いなあ。確保されたのに、その後の報告がないのが未確認生物らしさを物語っている(笑)。

2015年9月23日 はらぺこあおむしが……

はらぺこあおむしがクトゥルフ神話になってしまったぞッ! 気持ちの悪さがうまい具合にクトゥルフっている(笑)。

というわけで、面白かったので、以下のウェブサイトでチェック。

http://www.c-lab.link/nettrend/49172

2015年7月30日 水木しげる不在の一反木綿なんてアリ!?

7月30日時点の英語のWikipediaから「一反木綿」の項目を丸々、引用してみよう。

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Ittan-momen

Ittan-momen (一反木綿 “one bolt(tan) of cotton”?) is a Tsukumogami formed from a roll of cotton in Japanese myth. Most has been handed down to the Kagoshima Osumi district. The Ittan-momen “flies through the air at night” and “attacks humans, often by wrapping around their faces to smother them.”

In popular culture

  • In the anime/manga series, Inu x Boku SS, one of the characters; Renshō Sorinozuka, is an Ittan-momen.
  • In the tokusatsu franchise, Super Sentai, the Ittan-momen was seen as a basis of a monster in series installments themed after Japanese culture.
    • In Ninja Sentai Kakuranger, one of the Youkai Army Corps members the Kakurangers fought was an Ittan-momen.
    • In Samurai Sentai Shinkenger, one of the Ayakashi, named Urawadachi, served as the basis of the Ittan-momen within the series.
    • In Shuriken Sentai Ninninger, one of the Youkai the Ninningers fought was an Ittan-momen, with elements borrowed from a carpet and a magician.
  • In the Yokai Watch franchise features a Ittan-momen yokai called “Ittan-gomen”. Instead of attacking humans, it makes people do something bad then insincerely apologize for it.

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そこはかとなく違和感を覚える解説である。そもそも一反木綿って付喪神なのだろうか。たとえば『付喪神絵巻』には「器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり」とあって、付喪神は道具が長い年月を経て、化けて出るものである。一反木綿は「道具が長い年月を経て化けた存在」ではないだろう。そもそも、一反木綿というのは鹿児島県肝属郡という狭いエリアに伝わる妖怪だが、一反ほどの木綿のようなものが、夕方にふわっと飛んできて、首に巻き付いて人を窒息死させる、というもの。「木綿」と断定しているのではなく、その外観から、何だかよく分からないけれど「木綿のようなもの」と言っているわけである。

「大衆文化における一反木綿」として挙げられている作品にも違和感を覚える。最初に挙げられているのが『妖狐×僕SS』。確かにこの漫画は長い間、本屋に平積みにされていて、一部では大人気の作品だ。でも、英語圏の人が真っ先に挙げるような作品なのかは甚だ疑問である。二番目に挙げられているのは戦隊もの。忍者戦隊カクレンジャー、侍戦隊シンケンジャー、手裏剣戦隊ニンニンジャー。いずれも「和」の雰囲気を持った戦隊ものなので、外国人にはウケているのかもしれない。最期に挙げられているのは『妖怪ウォッチ』で、これは「大衆文化における一反木綿」として挙げるには順当かもしれない。

でも、日本人だったら、10人が10人、『ゲゲゲの鬼太郎』を挙げると思う。ちょこんと生えた2本の手、吊り上がった2つの目、先端が尻尾のように細くなって、背中に人を乗せて空を飛ぶ一反木綿のイメージは、実のところ、水木しげるの創作だ。実際の鹿児島県の伝承では「木綿のようなもの」とだけあって、姿に関する明確な記述はない。水木しげるがうまく視覚化した産物と言える。境港市が2007年に開催した妖怪人気投票で、一反木綿は鬼太郎を押し退けて堂々の1位に選ばれているが、これは彼の影響が大きいだろう。『ゲゲゲの鬼太郎』や水木しげるが紹介されない点が、何とも不思議な感じがする。

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英語圏では、まだまだ日本の妖怪の知名度は低いのかもしれない。その一方で、『妖怪ウォッチ』や『妖狐×僕SS』、戦隊モノなど、日本の最新の文化は英語圏に着実に流入していて、その中に登場することで、英語圏の人々は日本の妖怪と触れ合っている、とも言える。また、Wikipediaには、最新の情報にはただちに反応できるが、『ゲゲゲの鬼太郎』のような古くから存在する情報はうまく反映させられない、という特徴があるのかもしれない。実際、『ゲゲゲの鬼太郎』のWikipediaの登場人物の項目には、ちゃんと一反木綿の名前が挙がっていて、結構な分量を割いて解説されている。

一般的な日本人が抱く一反木綿のイメージと、英語のWikipediaの記述には、若干の乖離があるわけだが、翻れば、日本人が抱く海外の妖怪のイメージも、現地の人からすれば、的外れだったり、乖離があったりすることも大いに考えられる。特に資料の乏しい国の妖怪だったら、尚更だ。ボクも、海外の妖怪をリサーチするときには気をつけなきゃいけない。

2015年7月3日 シュメル・アッカド神話の好感度アップ作戦が必要!?

シュメル・アッカド神話がいまいち浸透しないのは、イラストとしてインパクトを与えられないからだ、とちぃ子が言う。エジプト神話と言えば、ハヤブサの頭をしたヘル(ホルス)、ジャッカルの頭をしたインプゥ(アヌビス)、緑の顔のウセル(オシリス)など、明確なイメージが湧く。インド神話と言えば、ゾウの頭をしたガネーシャ、真っ青で3つ目のシヴァなど、明確なイメージが湧く。ギリシア・ローマ神話も、北欧神話も、そうだ。仏教も、如来、菩薩、明王で違いがあるし、分かるようになれば、持ち物なんかで誰が誰なのかを区別できる。でも、たとえば、記紀神話だと、みんな、髪型が角髪(みずら)で、誰が誰かを区別しにくい。理解しにくいと言えば、そうだろう。

シュメル・アッカド神話は、イナンナとかエンリル、エンキ、アンなどと言っても、イラストとして「これだ!」というイメージは湧かないかもしれない。ボクなんかは、白目のイナンナが両腕で円盤を掲げている姿とか、肩から水が魚と一緒に溢れ出しているエンキなんかを思い浮かべる。でも、それもあくまでも貧弱な彫刻のイメージであって、キャッチーなイラストではない。だから、シュメル・アッカド神話の神々を具体的にはイラスト化できない。

もしも、これらの神々をうまくイラスト化できれば、シュメル・アッカド神話の認知度も上がって、もう少し親しめるようになるかもしれない。その辺、チャレンジしてみてもいいかなあ、と思い始めた今日この頃である。

2015年4月23日 宇宙人には固有名詞が少ない!?

22日の記事の続き。妖怪の固有名詞と言えば、宇宙人には固有名詞が非常に少ない。大概、「○○事件の宇宙人」などと呼ばれていて、宇宙人と遭遇した場所を冠される。例えば、宇宙人の中でも有名な「フラットウッズ・モンスター」はアメリカのウェストヴァージニア州、フラットウッズ町に現れたから、フラッドウッズ・モンスターだ。しかも別名「3メートルの宇宙人」などと呼ばれていて、センスもへったくれもない。そんな中じゃ、「グレイ」は非常に珍しいパターンだし、「火星人」とか「金星人」だって、全体から見れば、非常に珍しい事例と言える。「ウンモ星人」とか「プレアデス星人」なんて、もっともっと珍しくって、非常に貴重な存在だ。

多分、宇宙人に固有名詞が少ないのは、彼らが知的生命体だから、勝手に名前をつけられないからだ。どこの星から来たのかは、目撃しただけでは分からない。彼らの名前だって、実際、コンタクトしてみなきゃ分からない。「体色が灰色だからグレイだ」と命名するのが関の山で、彼ら自身は自分たちのことを「我々はグレイです!」と名乗ったわけではない。

宇宙人に命名するということは、宇宙人とのコンタクティであるということで、頭のおかしい人レッテルを貼られてしまう。それよりも、宇宙人を目撃した、という方が圧倒的にハードルは低い。だから、きっと、「こんな姿のこんな特徴の宇宙人を見た!」という証言で終わってしまう。その結果、「○○事件の宇宙人」という整理になってしまう。

コンタクティの証言の中では、固有名詞が語られる。コンタクティの第一人者と言えば、アダムスキーだけど、彼はちゃんと宇宙人に名前をつけている。金星人オーソン、火星人ファーコン、土星人ラミューだ。コンタクティのカヴァロはクラリオン星人と何度もコンタクトをしている。ビリー・マイヤーもプレアデス星人のアスケット、セムジャーゼとコンタクトしている。要するに、宇宙人と話をしたという域に達しないと、固有名詞が出てこないのである。

そんなわけで、ファンタジィ事典がターゲットにしている妖怪の中には、ボク的には宇宙人も含まれると考えているわけだけど、なかなか更新されないのである。

2015年4月22日 アイダハルという未確認生物の正体!?

アイダハルという未確認生物がカザフスタンのコッコーリ湖に棲んでいるらしい。でも、英語で調べても「アイダハル」という表現に該当する英語には出会えない。大抵、コッコーリ・モンスターとか、コッコーリ・レイク・モンスターと表現されている。ネッシーではなくてロッホ・ネス・モンスターの方が世界一般で知られている名前なのと同様だ。ただし、ネッシー(Nessie)という表現自体は、日本だけではなくて、外国人が使っている例もあるが、アイダハルについては、ほとんど使われていない。どういうことだろうか。

悩んでいたボクは、ふと閃いた。カザフスタンはカザフ語の国なので、アイダハルをカザフ語にすればいいのである! キリル文字でアイダハルっぽい感じにして検索すれば引っ掛かるだろう。そうしたら、驚いたことに、google翻訳にカザフ語がある。だから、まずはこれでやってみたら、ビンゴだ!!

20150422

出た! Айдаһарだ。どうやら《竜》を意味する一般名詞らしい。こうなると、するするといろんなことが諒解されてくる。つまり、トルコのジャノと同じパターンじゃないか、と疑ってしまうわけだ。

トルコのジャノはワン湖に棲む未確認生物だ。トルコ版ネッシーみたいなやつ。ジャノという名称は、Van Gölü Canavarı(ワン・ギョリュ・ジャナワル)に由来していて、Van Gölüが《ワン湖》、canavarが《怪物》を意味する。従って、Van Gölü Canavarıを直訳すれば《ワン湖の怪物》ということになる。ネス湖の怪物、すなわちロッホ・ネス・モンスターと同じだ。

ところが、日本では、この「怪物」の部分だけを抜き出してきて、「ジャノワール」と呼んでしまっていて、誰がつけたのか、愛称「ジャノ」になっている。でも、これは明らかに誤りで、「ワン湖の怪物」を固有名詞的に「ジャノワール」と呼ぶということは、ネス湖の怪物を固有名詞で「モンスター」と呼んでいるようなものだ。

……というような事実は某ウェブサイト上で、トルコ在住の人と高野氏のトラブルですでに周知の事実なのだけれど、このアイダハルも同じパターンっぽいな、と思う。現地の誰かが「コッコーリ湖の竜」と呼んでいたのを、「竜」の部分だけ拾ってきてしまったのだろう。

ボクも含めて、事典をつくる人間は、とかく固有名詞を求めたがる。「テーバイの竜」とか「カウカソス山の鷲」とか「レルネー沼の水蛇」みたいな名前のない怪物よりも、ちゃんと固有名詞がばばーん、とあった方が格好いい。だから、無理矢理、固有名詞を引っ張り出す。そんな事情があったために、コッコーリ湖の「竜」は日本人の誰かによって「アイダハル」という名前を与えられてしまったのだろう。でも、現地でアイダハルを探しても、多分、コッコーリ湖だけに棲んでいるわけではないのだろうな、と想像する。

2015年4月21日 外科医の写真

4月21日は、ネッシーが最初に写真に撮影された日らしい。あの有名な「外科医の写真」というのがそれで、81周年らしい。あの写真、そんなに昔の写真だったのだなあ。今はカラーだし、画質もよくなってしまっているので、もう、ああいうペテンみたいなことはしにくいだろうなあ、と思う。その反面、合成とかCGみたいな技術が上がっているので、そういう疑いがかけられる。複雑なものである。

今日のGoogleのDoodleが、そんな「外科医の写真」をシニカルに笑い飛ばす絵だったので、面白かった。

20150421

2015年3月10日 スリュムの歌(Þrymskviða)

昨日の記事の続き。スリュム(古ノルド語で書けばÞrymr)と言えば、ヨートゥン族(霜の巨人族)で、雷神ソールからミョッルニルを盗み出して、武器の返還と引き換えに女神フレイヤとの結婚をアース族に要求する。このエピソードは「スリュムの歌(Þrymskviða)」に載っている。粗筋は次のとおりだ。

あるとき、ソールが目を覚ますと、大切なミョッルニルが失くなっていた。ソールの叫び声を聞いたロキは事情を理解すると、フレイヤから鷹の羽衣を借りて、ヨートゥンヘイムを飛んでいき、ミョッルニルを盗み出した犯人が巨人の王スリュムであることを知る。スリュムはミョッルニル返還の条件として、フレイヤとの結婚を要求する。神々は集い、対策会議を開く。ヘイムダッルの提案で、ソールがフレイヤの身代わりとして花嫁姿に扮してヨートゥンヘイムに向かうことになった。ロキも侍女に化けてそれに同行する。ヨートゥンヘイムでは、スリュムが結婚の宴の準備を進め、フレイヤの訪問を待っている。二人はそこに乗り込む。食事が供され、ソールは次々と平らげる。あまりの大食漢にスリュムが驚くと、ロキは慌てて「フレイヤ様は巨人国に来るのを心待ちにして8日間も何も食べていなかった」と言う。スリュムは口吻をしようと花嫁のベールを取ろうとすると、ソールのあまりに鋭い視線に驚く。するとロキは「フレイヤ様は巨人国に来るのを心待ちにして8日間寝ていないのだ」と取り繕う。こうして、スリュムはまんまと騙されて、ミョッルニルを取り出してしまう。ソールはミョッルニルを掴むと、宴の場で大暴れして、スリュムや巨人族たちを殴り殺すのである。

ゆるドラシルの今回のイベント名は「ドキッ!男だらけの結婚式」。花婿も花嫁も、花嫁に同行する侍女も、全部、男だから、そういう名前になっているのだろう。ヘイムダッルがソールの女装を提案しているのも神話のとおり。ロキが同行するのも神話のとおり。なかなか面白い企画である。ボクは今、ようやくソールが「女装トール」から「花嫁トール」に進化して、いよいよスリュムの館に乗り込むところ。今後、どういう展開になるのだろうなあ。楽しみだなあ(ワクワク)。

2015年3月9日 傘立てにミョッルニルを置き忘れた!!

ソーシャル・ネットワーク・ゲームの『ゆるドラシル』で新しいイベントが始まった。「ドキッ!男だらけの結婚式」というイベント(ひどいタイトルだww)だけど、ソールが巨人スリュムにミョッルニルを奪われ、取り戻すために女装する羽目になったエピソードをモティーフにしている。今まで、季節のイベントとか、コラボ・イベントとかをやっていたけれど、こうしてちゃんと神話のエピソードに正面から向き合った展開をしていなかったので、ちょっとビックリしている。

ゲーム上では、スリュムがコンビニを経営していることになっていて、ソール(トール)が傘立てにミョッルニルを置き忘れた(!)、というアレンジが加わっている。また、神話同様、スリュムはミョッルニル返還のためにフレイヤとの結婚を要求するわけだけれど、フレイヤはヘイムダッルに嫁き遅れとして茶化されている。曰く、スリュムは結婚していない女神と言えばフレイヤしか思いつかなかったのだろう、と笑われているのである。こういうゆるーい現代風のアレンジがある点が、まさに『ゆるドラシル』の魅力なのである。

ラベル
左からヘイムダッル、ソール、フレイヤ。
ソールがディズニーのジーニーに似ている(笑)。

こういう面白さを、ずぅっと継続してもらえたら楽しいよなあ。頑張って、製作者様。そして、ボクもこういう楽しい仕掛けを考えたいぞ、ファンタジィ事典。

2015年2月6日 イナンナ女神よ、何想う!?

大昔にウルクがあった場所は、今はイラク領で、ムサンナー県のサマーワになっている。豊穣の女神イナンナさまが祀られていた都市だ。ウルがあったところはジーカール県ナーシリーヤ。ここは月神ナンナさまの都市だ。

今や、イラクとシリアは危険な紛争地帯になっているわけだけど、最近、その近辺で新しい仕事がある、と聞いた。やってみたい、と手を挙げて、挑戦したら、もしかしたら行けるかもしれない。うーん。どうだろうか。

ちぃ子には「そんなところに行ったって、神さまはいないよ?」と言われた。まあ、確かに、神さまはいない。でも、ボクは別に神さまを拝みたいわけでも、神さまに面会を求めているわけでもない。

2010年にギリシアに行って、パルテノン神殿を訪問してみたけれど、アテーナー女神を求めて行ったわけではない。そこに行って、当時の人々の気持ちを感じてみたかっただけだ。実際、パルテノン神殿はものすごく高いところにあって、アクロポリスの丘なんて言うんだけれど、頂上まで登るのに一苦労。小一時間くらい掛かって辿り着く。アテーナイの街が一望できる場所。よくもまあ、そんなところまで資材を運んで、巨大な神殿を作ったものだ。行ってみて、初めてその建設の大変さを思い、彼らの信仰心を思った。

書籍から学ぶことも多い。でも、現地に足を運んで、空気を感じて、想像する。それが出来たら幸せだ、とボクは思う。早く戦争が終わって、平和になればいいなあ。石油が採れるばっかりに……不幸なことだよなあ。

2015年1月11日 動物園にて

野毛山動物園に行ってみる。横浜市民なのに初めての来園だ。ツクル君は初めて目の当たりにする動物たちに興奮しているように見えるが、果たして、分かっていて眺めているのかどうなのか?


アムールトラ、でかいッ!?

それにしても、動物園なんで高校生以降、行ったことなかった。思いのほかトラやライオン、クマが大きくてビックリする。写真で見慣れていても、テレビで動いているところを観ていたって、現実にこうやって目の当たりにすると迫力があるし、イメージとのギャップがある。トラもライオンも、何度も図鑑を広げて絵に描いてきたボクなのになあ……。

大昔には、ライオンはもちろんのこと、トラだって日本に棲んでいなかった。誰も見たことはなかっただろう。それでも、インドや中国の文献を経由して、そういう動物の名前とイメージは日本に輸入されていた。鬼はトラのパンツを履いているし、一休さんは屏風からトラを出してくれ、と要求するのだ。ましてやライオンなんかもっとよく分からないから、もう、獅子という別の怪物になってしまっている。

そういう時代から比べれば、写真や動画があって、メディアがあるボクたちはラッキィで、幸せだ。それでも、現物を見ると、やっぱり感動するし、イメージとギャップがあるのだから、昔だったら尚のことだ。

古事記に「和邇(わに)」という生き物が出て来る。「いなばのしろうさぎ(敢えて平仮名!)」が背中をピョンピョンと渡って行く例の生き物だ。これはサメのことだ、と説明している本もある。日本にはワニがいないし、サメのことをワニと呼んでいる地方がある、というのがその理由だ。でも、それって本当だろうか。何故、サメのことをワニと呼ぶのか。先にワニのイメージがあって、混同された、と考えるべきで、やっぱり、「和邇」は読みの通りにワニなのでは……?

そんなことを、動物園で考え込むボクである。

2014年10月26日 久々に落書きディ!!

久々に集中して妖怪の絵なんか描いてしまった。鉛筆で一気にがががーっと下絵を描いて、それから丸ペンでぐいぐいと線画を仕上げて、PhotoShopでベタ塗りで彩色。あっという間に2つも描いてしまう。多分、1時間ちょっとじゃないかな。どちらもフィリピンの妖怪。このくらいのクオリティなら、ガンガン行ける。もっと定期的に絵を描くようにしたいなあ、と思った。絵があった方が、楽しいファンタジィ事典になると思う。

残念ながら、今回の2枚は雑誌に使うことを意図して描かれているので、1月になるまでは非公開。乞うご期待。とは言え、本音じゃ、さっさと公開したいなあ。来週中にもう一枚、羊の絵を描いて、それで雑誌用の絵はおしまいだ。頑張るぞー。なんか、楽しいじゃん!! コピックよりもPhotoShopの方が楽チンかもしれない。でも、ベタ塗り限定だ(笑)。濃淡つけたり色を重ねたり、という芸当は、PhotoShopじゃ出来ないなあ、ボクは。

2014年10月24日 リスクとマネー。おでん。

来月、仕事でナイジェリアに行くので、予防接種を受ける。先日は狂犬病。本日はA型肝炎。月曜日には黄熱を受ける予定になっている。非常に高額で苦しい。

正直、エボラやマラリア、デングなど、予防接種じゃどうにもならない病気ばっかりが蔓延している中で、狂犬病やA型肝炎、黄熱の予防にお金掛けて、何だかなあ、という感じがしないでもない。でも、やらないよりはリスクは低下するだろう。リスクとマネー。どう評価すべきか。価値観の問題だ。昔のボクだったら受けなかったかもしれない。でも、今のボクはしぶしぶ受ける。保守的になった。丸くなった。さてはて。

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SNSゲームの「ゆるドラシル」のゆるさ加減が、ボクにはちょうどいいらしい。あっはっは、と笑いながらゲームをやっている。オージンとソール、フレイヤがいい感じ。何しろ、あのオージンが「おでん」Tシャツを着ているんだよ? スレイプニルなんて、魔ゼルな規犬かと思ったよ。え? あはは。

うーん。こういうエンタメ性は理想だなあ。頭の切れるスタッフがいるんだなあ。まあ、現時点では、ゲームとしての面白さはよく分からない。戦略性とか技術とかが必要なのだろうか。ボクのユニットのレベルが低いせいなのか、ゲームに慣れていないせいなのか、何が何やらだ。それでも、神々の愉快な会話の続きが見たくって続けてしまう。そういう魔力を持っている。