2024年1月29日 フィリピンの妖怪を可視化【8】カプレ

フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクト第8弾。カプレのイラストを投稿してみる。

カプレはバレテの木などの巨木の上に棲む巨人で、森の守護者的な存在で、森の中で視線を感じるときはカプレが木の上から見ているとされる。大のタバコ好きで知られ、匂いでカプレが近くにいることが分かる。

ちなみにバレテの木はフィリピンに棲息する絞め殺しイチジクの一種で、他の木を宿主として寄生して、宿主の枝から根を地上に降ろして根を張っていく。やがて宿主が死ぬと、真ん中が空洞になる。フィリピンではバレテの木は妖怪たちの棲み処だと信じられていて、カプレ以外にもたくさんの妖怪たちが棲んでいる。

  

2024年1月25日 フィリピンの妖怪を可視化【7】チャナック

フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクト第7弾。チャナックのイラストを投稿してみる。

チャナックは赤ん坊の姿をした妖怪だ。森の中で赤ん坊が泣いていると思って通り掛かった旅人がうっかり抱き上げようものなら、突如、その正体を現し、鋭い牙で旅人の首筋にガブリと噛みついて貪り喰ってしまう。

徳島県にはコナキジジイという妖怪がいるが、これも赤ん坊の姿をして泣いていて、通り掛かったが抱き抱えるとどんどん重くなっていき、手から離れなくなって、最終的には押し潰されてしまう。赤ん坊の振りをして気を惹くところがチャナックとコナキジジイは手口が一緒である。しかもチャナックの正体は老人だと言われていて、その点でも似ていてとても不思議だ。

  

2024年1月23日 ビジュアル図鑑 ドラゴン

最近、仕事で帰宅が遅い日が続いていたが、ようやく本屋さんに行くことができた。辰年ということもあって、龍やドラゴンにまつわる本が特集されていた。そんな平積みの本の中で、『ビジュアル図鑑 ドラゴン』の表紙が白地に赤いドラゴンでオシャレだったので思わず手に取ってしまった。


『ビジュアル図鑑 ドラゴン』(監:健部伸明,カンゼン,2024年)

ページを捲ったら、フィリピンの竜であるバクナワが載っているではないか。あまりの衝撃に、深く中身を精査することもなくレジに持って行ってしまった。会計している最中に、この本の監修者が健部伸明氏であることに気づく。懐かしい。

イラストは好みが分かれるかもしれないし、神話に忠実ではない側面もあるのかもしれない。でも、文章全体のまとめ方は、今までの健部さんのふざけた感じも、マニアックな感じもなくて、よくある動物図鑑のようにきれいに要点がまとまっている。世界各地のドラゴンのセレクションがマニアックなのはさすが健部さんと言ったところ。

それにしても、健部さん! 『幻獣大全』の続きはどうなってしまったの?

  

2024年1月21日 フィリピンの妖怪を可視化【6】シグビン

フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクト第6弾。シグビンのイラストを投稿してみる。

シグビンはフィリピン各地に知られる吸血獣。狙った獲物の影から生き血を啜るという。ちなみにセブ島などでは実際にシグビンに家畜を襲われたという報告もあって、昨今では未確認生物(UMA)のような扱いをされるケースも増えている。そう言えば、姿は中南米のチュパカブラに似ているような気がしないでもない。

シグビンを飼い慣らすと富と幸運をもたらすと信じられていて、ヴィサヤ地方にはシグビンを飼育する「シグビナン」という一族が存在するという。シグビナンはシグビンを土の壺に入れて大切に保管しているという。この点は日本のイヌガミやクダキツネみたいな憑き物筋のイメージにも重なるところがあって、とても興味深い。

  

2024年1月17日 フィリピンの妖怪を可視化【5】ウンガウンガ

フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクト第5弾。ウンガウンガのイラストを投稿してみる。

マナナンガルが上半身を切り離すのに対して、ウンガウンガは首だけの姿で、空を飛ぶ。ただし、首から下に、肺や胃、腸などの臓器が垂れ下がっているという不気味な姿だ。ウンガウンガに襲われた場合、地面に腹ばいになっていれば襲われないという言い伝えがある。何故なら、ウンガウンガは自分の垂れ下がった臓器が地面に触れることを嫌がると信じられている。

ちなみに、似た妖怪として、マレーシアにはペナンガラン、インドネシアにはクヤン、バランバラン、タイにはガスーなどが知られている。これらも首だけの妖怪で、臓器をぶら下げて空を飛ぶ。日本の轆轤首(ロクロクビ)も、これらの妖怪たちの系譜だと言われることもある。

  

2024年1月13日 フィリピンの妖怪を可視化する【4】ティクバラン

フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクト第4弾。ティクバランのイラストを投稿してみる。ティクバランも、日本ではあまり知られていない妖怪かもしれない。

ティクバランは森の精霊だ。森の中で旅人を道に迷わせる。森の中ではティクバランを怒らせないように静かにしていなければならない。堕胎した赤ん坊の霊魂がティクバランになると信じられている。ときどき、里に降りてきて、女性を妊娠させることもある。こうやって生まれる子供もティクバランになるという。

オランダ人が入植するまではフィリピンにはウマはいなかったとされるので、古い時代のフィリピン人にとってウマは身近な動物ではなかったはずである。なので、ティクバランは中国やインドの妖怪のイメージを踏襲したのか、オランダ人が入植した後に今のような姿に変質したのか……。いずれにしても手足も長くて不気味な姿をした不思議な妖怪である。

  

2024年1月9日 フィリピンの妖怪を可視化する【3】ブギスギス

フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクト第3弾。ブギスギスのイラストを投稿してみる。ブギスギスになると、日本での知名度はかなり下がるかもしれない。

ブギスギスは森の一つ目巨人だ。フィリピン版サイクロプス(キュクロープス)などと言われるが、よく昔話なんかに登場する愚鈍な巨人のイメージに近い。たとえば「ジャックと豆の木」とか「長靴を履いた猫」に登場するような巨人だ。非常に怪力で、水牛(カラバオ)を圧倒するというので、水牛を担いだような姿で描いてみた。

ちなみに、古代ギリシアのキュクロープスにしても、このフィリピンのブギスギスにしても、一つ目巨人というのは、ゾウの頭蓋骨からの連想ではないかと言われる。ゾウの頭蓋骨は鼻孔の部分がまるで一つ目のように見えるのだ。特にこのフィリピンのブギスギスは、長い牙を持った姿で描かれることが多く、まさにゾウの牙を連想させる。

  

2024年1月5日 フィリピンの妖怪を可視化する【2】バクナワ

フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクト第2弾。バクナワのイラストを投稿してみる。毎年、我が家では年賀状代わりに「新年の雑誌」を発行して各方面にお届けしている。辰年に相応しい表紙のイラストとして、何かいいアイディアはないかなーと思って探していて、今回、めでたくフィリピンの竜として抜擢された格好だ。

バクナワはフィリピン伝承に登場する竜だ。元々、ヴィサヤ地方では、この世界には月が7つあったと伝えられている。しかし、バクナワが次々と月を呑み込んでしまった。残された最後の月を守るために、バクナワが月を呑み込もうとするたびに、ヴィサヤ地方の人々は太鼓などを叩いてバクナワを脅して月を吐き出させたという。

つまり、これは月食を説明する神話と言える。似たような話で9つの太陽のうち8つを射落としたという羿という人物の物語が中国神話にあるし、バクナワの伝承そのものはインド神話で日食・月食を引き起こすラーフの影響を受けているとも言われている。

  

2024年1月1日 あけましておめでとうございます

2024年は辰年なので、まずはケートスのイラストを投下。ケートスはギリシア神話の海の怪物。世界各地のドラゴンの原型になったとも言われている。本当はもう少し魚っぽく描いでよかったかなと反省している。もう少し太く描くとぬめっして魚っぽくなったかも知れない。

というわけで、2024年。新しい年になると、いろいろをリセットして、気持ちを新たに歩き出せる。ウェブサイト「ファンタジィ事典」では、フィリピンの妖怪を可視化する取組に舵を切ってみようと準備をしてきた。年が明けたので、いよいよ緩やかにリリースしていこうと思う。

  

2023年12月31日 フィリピンの妖怪を可視化する【1】マナナンンガル

先般から予告していたとおり、フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクトを開始してみる。フィリピンの妖怪は日本ではまだまだ知名度はそれほど高くない。こういうマイナな妖怪をイラストにしてイメージを喚起することで、日本でフィリピンの妖怪の認知度を上げていこうという試みだ。これがうまく行けば、他の国の妖怪にも水平展開していきたい。

本日はその第1弾として、マナナンガルのイラストを投稿してみよう。

フィリピンの妖怪と言えば、やっぱり最も有名なのはマナナンガルだ。夜になると上半身と下半身を切り離して空を飛び、獲物を探して飛び回る。そして胎児を啜る。

結構、フィリピンの妖怪は胎児や妊婦を狙うことが多い。実はインドネシアにも多い。日本だと、産女(ウブメ)なんかのイメージが近いかもしれない。今でも妊娠・出産で亡くなることはあるけれど、昔はもっとずっと多かっただろう。こういう痛ましい死や、ある種の妊娠・出産に伴う死への恐れから、こういう妖怪が生まれるのかもしれない。

  

2023年12月29日 復活!?

久しぶりの投稿! 隔日更新と称して2日おきに投稿してきて、12月に入って3週間とちょっと、更新が途絶えた。手が腱鞘炎になってパソコンが全然打てない問題もあったし、年の瀬で仕事が押していたのもあった。それから、立て続けに体力仕事が続いて、グロッキーになっていたのと、息子のためのクリスマスパーティの準備でおおわらわだったのもあった。いろんなことがあって、サボってしまった(>人<;)

それでも、新年に向けて、毎年の雑誌の準備は順調にできていて、12月の頭には入稿できて、準備万端、印刷待ちの状態だった。新年に合わせてお届けできる見通しだ。フィリピンの妖怪特集を組んだので、乞うご期待。フィリピンの妖怪の絵も6体ほど描いたので、年が明けたら順次、リリースできる予定だ。

今日は息子のツクル氏とスキーを満喫した。腱鞘炎の手でストックを握るので、結構ダメージを負っているが、まあ、あまりストックに頼らない滑りを満喫したぜ!

  

2023年11月27日 イトマキエイは空を飛ぶ!?

フィリピンの妖怪について調べていて、今、パティン・ナ・パクパカン(Pating na Pakpakan)をまとめている。空飛ぶサメの妖怪である。そして、アスワン・プロジェクトの記事に、実はパティン・ナ・パクパカンは「マンタ」がモデルではないかと書かれていて、マンタについて調べてみたら、マンタが空を飛んでいた。マジか! イトマキエイって、空まで飛ぶのか。是非、ナショジオの映像でご確認ください。

ボク的には、イトマキエイがものすごい数の群れで泳いでいるシーンに度肝を抜かれて、こんなのに遭遇したら、失神してしまうと思った。でも、たくさんのイトマキエイが空を飛んでいるのを目の当たりにして、さらに度肝を抜かれた。知らないことってたくさんあるのだなあ。妖怪について調べていて、生命の不思議にぶち当たった日だ。

  

2023年11月21日 サンタ・システム

そろそろ息子のツクル氏にクリスマスプレゼントを決めてもらうシーズンになった。ツクル氏の誕生日が12月なのもあって、一気にプレゼントをもらう格好になるので、なかなか彼も決めあぐねている。LEGOマインクラフトシリーズや「マインクラフト・ダンジョンズ」(Switch)などを検討している。

早々にサンタクロースのプレゼントを決めて欲しくて「サンタには何を頼む?」と訊いてみたところ、ツクル氏はニヤニヤしながら「親に言わないとサンタには伝わらないわけ? 心で思ってみたら伝わらないのかな?」などと言ってくる。どうやら、彼はサンタの正体に気づき始めているのかもしれない。小癪な! 面妖な! そんなわけで、そろそろ卒業なのかもしれない。

妻のちぃ子にそんな話をしたら、「ん? 両親がサンタ・システムに加入して申請してやらないとプレゼントは届かない仕組みだよ? サブスク的な? 子供の意向だけでは届きません。そう説明すればよかったのに」と返されてしまった。むむむ。こちらもこちらで面妖な!!

ちなみに、サンタクロースの元ネタになったのは聖ニコラスだけど、彼には従者がいる。クネヒト・ルプレヒト、クランプス、ペレ・フェタール、ベルスニッケル、ズワルテ・ピートなどなど。どの面々も子供たちを罰する存在で、子供にプレゼントをあげる聖ニコラスと対になっている。クネヒト・ルプレヒトなんかはブラック・サンタとも呼ばれるし、クランプスは悪魔のような姿をしている。大昔は、子供に対する二面性があったのである。

来月のクリスマスに向けて、この辺の詳細を調べて、ウェブサイトファンタジィ事典に反映させてみても面白いかなあ。

  

2023年11月17日 バハムートがはらぺこになったら大変だよねwww

先日、はらぺこバハムートをゲットした。これ、全部でカードが16枚しかなくて、全てが異なるカードである。山札からカードを引く呪文がたくさんあって、山札がなくなると捨て札が山札に早変わりするので、畢竟、相手のカードが読めるようになってくる。そうなると、カードを出す順番がとても重要になるので、単純なようでいて戦略性が高い。だから、面白い。絵もかわいい。

結局、ボクはこういう絵が素敵なカードゲームが好きなんだなあ、と思う。オススメ。ちなみに、バハムートはドラゴンだという言説がまかり通っているが、本来はアラビア伝承に登場する巨大な魚だよ! なぁんて、どうでもよいことを書いておくボクであることよ。

  

2023年11月15日 コピーライト的なものから普遍的なものへ

息子のツクル氏が父の影響で「妖怪」に興味を持ち始めた。何しろ、ボクがスマホやパソコンに向かって何か描いているときは、常に「妖怪」なのだ。「パパの描く絵は首がなかったり、目がいっぱいあったり、手がいっぱい生えていたり、変な絵ばっかりだよね」と幼稚園の頃に言われた。教育的にどうなんだろうか……と真剣に悩んだのも、今となっては懐かしい思い出(笑)。そんなツクル氏も、ゲームや小説、漫画を読みながら、朧げに「幻想生物」という概念が分かるようになってきた。どうやらドラゴンやペガサス、ユニコーン、ゴーレム、ゾンビなどは、ピカチューやクッパとは毛色が違うようだと気づいてきたみたいだ。

ピカチューはポケモンの世界に存在し、クッパはマリオの世界に存在する。でも、「幻想生物」はいろんな作品で取り上げられるので、共通の概念やイメージが相互のメディアの中で共有されている。そんな事実が感覚として分かってきて、そういう存在をツクル氏は「妖怪」と称するようになってきた。「これはパパの好きな『妖怪』でしょ。この現実世界にはいない動物でしょ」などと言っている。かわいいやつめ。

この辺、実はすごく難しくて、いつも例に出すんだけど、ドラキュラはブラム・ストーカーの創作だし、フランケンはメアリー・シェリーの創作だ。エントはトルキーンの創作だ。ミミックは本来は「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のオリジナル・モンスターだ。全部、コピーライトがある。でも、メディアの中で繰り返しモチーフとして使われていく中で、いつの間にか共通の概念として普及する。そうなると、いつの間にかコピーライト的なものがなくなって、普遍化されていく。作者とは離れて、独立していく。

大昔の神話の中の幻想生物だって、結局は全て、誰かが語ったものだ。最初に言及した「作者」に当たる人物がいるはずだ。それが分からなくなって、普遍化したら「妖怪」になる。その辺の不思議な線引きが、ツクル氏にも分かってきたみたいだ。

だから『ダンジョン飯』を父の本棚から解放してみた。このタイミングなら、きっと面白く読めるのではないだろうか。

  

2023年11月13日 このギリシア神話は良本!?

図書館に行ったら、『ギリシア神話 オリンポスの神々(新装版)』(著:遠藤寛子,絵:小林系,青い鳥文庫,2011年)が置いてあって、絵がメチャクチャよい。これだったら、息子のツクル氏にオススメできる。嬉しくなって、ついついAmazonでポチってしまった。

最近の子供向けの本は、素人っぽい2次元系のイラストレータの絵が添えられていることが多いんだけど、この小林系氏の絵はチープじゃない。ちゃんと立体として人物が描かれているし、ギリシア神話の世界観を壊していない。格好いい。個人的にはとても好ましく感じる。こういう画家をもっと活用すべきだ。

内容も適切で、創世神話も簡単に載せているが、星座にまつわるようなエピソードもあれば、ペルセウスやヘーラクレースの冒険譚もあり、イーリアスやオデュッセイアの要約も載っている。この1冊でギリシア神話の全体がコンパクトに把握できるようになっている。良本だと感じた。

  

2023年11月7日 「ドラクエみたいなゲームをつくる」

プログラミングが小学生の必修科目になって久しい。我が家では、試しに息子のツクル氏にプログラミングを習わせている。小学4年生のツクル氏は、結構、こういうトライアル・アンド・エラー的な作業が好きみたいで、かなり熱中している。プログラミング教室でテンプレートをもらうと、大幅にアレンジしてみせる。先日は横スクロール系のゲームで、敵を避けてゴールを目指すプログラミングをしていたが、最初はアイテムをとったらジャンプ力が上がるみたいな改造をしているなあ、と眺めていたが、気づいたらレーザー銃を手に入れて敵を倒し、ひび割れた壁を破壊して先に進むなどの大幅改変を加えていてビックリした。

先日、「ドラクエみたいなゲームをつくる」と言い出した。直感的に、これはしんどいぞ、と思ったボクだ。ボクはツクールをベースにRPGをつくったことがある。結構、大変な印象がある。何しろ、マップをつくることが大変だ。16×16なのか32×32なのかは分からないが、格子状にして、そこにマップを配置していかないといけない。通り抜けられるマップと通り抜けられないマップの判定も必要だ。そもそも、RPGの場合、プレイヤーが上下左右を向かなければいけない。それも結構、大変。でも、ここまで作っても、あくまでもマップ上を歩くだけだ。戦闘になったら、変数をたくさん作らなきゃいけないので、超大変だ。

「大丈夫だよ。最初は簡単なダンジョンを歩くだけにする。敵も味方も1種類でつくるから」などと言っている。そうかなあ。仕方ないので、昔取った杵柄で、かつてお世話になったフリー素材サイトを巡回してみたが、時代は変わったなあ。もう、最近はドット絵を配布しているところが数が限られてしまっている。しかも、パッケージで販売しているところもあって、商売になっている場合もある。

ボクがウェブサイト「ファンタジィ事典」を編纂するようになったキッカケも、ウィザードリィやファイナル・ファンタジーだったりするので、息子を応援してあげようと重い腰をあげるボクである。願わくは、モンスターはボクのウェブサイトを参考に設定なんかを考えてくれるとよいのだけれど……むにゃむにゃ。

  

2023年11月3日 小説『らせん』を読んだ。

貞子繋がりで『リング』を読み、そして『らせん』を読んだ。『リング』については小説『リング』を読んだ。で書いたので、今回は『らせん』の感想を書いてみたい。

超絶、面白かった。滅茶苦茶、ホラーだった。高野舞という女性は何を生んだのか。そして、高野舞の部屋から出てきた謎の女性は誰なのか。友人の宮下は山村貞子を追い掛けて、劇団「飛翔」のメンバーに会いに行く。そして、ファックスを送ってくる。ファックスを受け取った安藤は、その瞬間にすべてを了解し、謎が氷解する。ここが一番のホラーで、この作品のクライマックスだ。でも、映画にはこのシーンは存在しない。ここを描かずして、どうして『らせん』になり得るのか。ボクはこのシーンこそ、映画で見たかった。『らせん』を読んでいくと、徐々に読者は結論は分かってくる。繋がってくる。でも、その瞬間を目の当たりにするまでは信じられない。確認しなくてはいけない。そんな気持ちでページを繰っていく。そして、安藤が全てを了解して戦慄して、やっぱりそうだよね、と思う。ここが『らせん』の一番の見せ場ではないだろうか。

 

ウェブサイトでどれだけ「あらすじ」を把握していても、映画を観ていても、原作の小説を堪能しなきゃ分からないことってある。やっぱりエアプはダメだよねって思い知った。だからこそ、妖怪たちが登場する過去の作品(古典みたいなもの)は、エアプじゃなくって読んで解説しないとダメだよねって思うので、今、10,000円くらいする原典完訳の『アヴェスタ』を手に入れて読んでいる。意外と、これも面白い。ゾロアスター教って、なんて理性的かつ概念的な宗教なんだろうなって思う。神さまがみんな抽象度が高くって、全然、共感ができないんだよなあ。

  

2023年10月16日 アイルランド神話、始めました。

2009年からウェブサイト「ファンタジィ事典」を運営してきたボクであるが、実は最近になって、ケルト神話に一切、触れていないことに気がついた。大抵、世界の神話を挙げていけば、5本の指にケルト神話が入ってくる。日本神話は当然として、ギリシア・ローマ神話、北欧神話、ケルト神話、メソポタミア神話、エジプト神話、そしてインド神話なんかを解説するはずだ。それなのに、当ウェブサイトでは、どうしたことか、ケルト神話がすっかりと抜け落ちている。

正直、若かりし頃のボクにとって、ケルト神話って難解だったのだ。資料に乏しく、断片的で、だから、何となく敬遠していたのは事実だ。そもそも一言でケルト神話と言っても、「島のケルト」と「大陸のケルト」で全然、内容が違うし、「島のケルト」の中だって、アイルランドとウェールズで異なっているのだ。

それから、古アイルランド語の正しい発音が難しくて分からなかったというのも大きかったと思う。どういう呼称で固有名詞を立項していくか悩んでいたら手が止まってしまった。

そして、当時の気持ちのまんま、すっかり忘れてしまっていたのだ。そんなわけで、まずは緩やかにアイルランド神話をまとめていかねばと、重たい腰を上げた次第。とりあえずケルト神話のページを立ち上げて、項目をゆるゆると作成中。

  

2023年10月14日 日本人の緩やかな信仰スタイルと無神論

ボクはあんまり宗教の話は深追いせずに、しれっとヤハウェとかアッラーフとかアマテラスとか釈迦なんかを「ファンタジィ事典」に掲載している。ファンタジィと言い切ってしまうのは、あまりにも不遜と言えば不遜だし、信者の方々には失礼千万な話だ。でも、すべての神話・伝承・宗教を、えいや、と同列に横に並べないと、ボクのイメージする世界観にならないので、そういうものだと割り切って載せている。結構、原理主義的な人もいるので、怖いところではある。

ボクは海外で仕事をすることも多いので、宗教の話をすることもある。文化によっては、無神論者を受け入れないところもあると聞いているので、ボクは無難に「仏教徒です」と答えるようにしている。でも、本当のところのボクは無神論者だ。無神論者だなどと言うと、もしかしたら多くの日本人は「私もそうだよ!」と答えるかもしれない。でも、ボクは日本人は無神論者だとは思っていない。キリスト教のように日曜日に教会に通うようなものを信仰だと定義すると、日本人のいい加減な信仰というのは宗教ではないと感じるかもしれないが、たとえば、お盆になると実家に帰って墓参りしたり、定期的に故人を悼んで法要を執り行ったりするのは、立派な宗教だと思う。何となくお正月に初詣に行くのもある種の宗教だと思う。葬式に行った帰りに塩を撒くのも宗教だし、神社仏閣に入る前に敷居を踏むと気持ち悪さを覚えるのも、立派な宗教だ。

ボクの父方の祖父はどちらかと言えば無神論者だった。どうせ死んだらお終いだから、葬式はいらないと言って憚らなかったし、もしも葬儀を上げるなら、どうせなら踊り仏教にして、みんなで踊って楽しく送り出せばいいじゃないかと笑っているような人だった。ボクもそういう意識を持っている。祖母が死んでも、祖父が死んでも、ボクは喪中はがきを出したことはない。喪に服すというのも、多分、ひとつの宗教だ。ボクには、そういう意識はない。それでも、母からは「せめて私が死んだら喪に服して欲しい」と言われているので、母のために喪中はがきを出すのかもしれない。

そんなボクなので、本当の意味での無神論者である。そして、無神論者だからこそ、神道も仏教もキリスト教もイスラームも横並びにして論じられるのではないかと思っているんだけど、どうだろうか。さてはて。