2025年4月20日 まだまだフィリピンの妖怪を更新!!
久々に「ファンタジィ事典」にフィリピンの妖怪を更新してみた。もう、結構、やり尽くした感じもあったし、ネタ切れかなあと息切れしていたところ、時間が経ったので改めて自分のデータベースを見直してみたら、視点が変わっていて、新たに更新できそうな項目を見つけたので、やってみた感じ。
吸血獣のシグビンを使役する憑き物筋系のシグビナン、月の満ち欠けで善にも悪にもなるタガマリン、夜の森で旅人を驚かせるだけのヤサウとラキなどを更新してみた。
特に今回、タガマリンが面白かった。善と悪の二面性があって、それが月の満ち欠けで変わるという発想は凄いなと感じる。満月の日に悪に転じて、新月まで人喰いの怪物になるが、新月を迎えると善神になって人々を守護する。しかし、また満月になると人喰いの怪物になる。広い意味で、満月をきっかけに怪物になるオオカミ人間なのかもしれない。
それにしても、まだまだやれるもんだなあ。フィリピンの妖怪のイラスト化のプロジェクトも、まだまだやれるかもしれないなあと思ったので、ちょっと空き時間を見つけて描いてみようかな、と思った次第。ふふふ。
2025年4月18日 白蔵主に化けた老キツネは狂言師に演技指導をした!?
もう少しだけ「日本の妖怪」に手を入れてもよいかな。最近になってそんなことを思い始めた。ボク自身もこれまで「日本の妖怪」に対する解像度が粗かったと痛感している。面白い妖怪が日本にももっとたくさんいる。そんな風に感じ始めた。だから、そういう面白さを伝えていければよいと思っている。
江戸時代の妖怪と言えば、鳥山石燕の画集は有名だ。『画図百鬼夜行』、『今昔画図続百鬼』、『今昔百鬼拾遺』、『百器徒然袋』の4つ。水木しげるはこのシリーズからたくさんの妖怪を取り上げた。これと対になって昔から語られるのが桃山人の『絵本百物語』だ。どちらも京極夏彦が作品のモティーフにしている。『姑獲鳥の夏』から始まる百鬼夜行シリーズは鳥山石燕の画集に描かれている妖怪からお題を採っている。巷説百物語シリーズは『絵本百物語』に描かれている妖怪からお題を採っている。だから、京極ファンや根っからの妖怪ファンからしたら、どちらの本もよく知られている。
でも、江戸時代の本なので、必ずしも分かりやすくはない。断片的であったりもする。だから、もう少し真正面から向き合って、ウェブサイト「ファンタジィ事典」でも取り上げてみてもよいかもしれない。最近、大昔の絵巻を眺めながら、そんなことを考えた。絵巻に描かれた妖怪を紹介していくなら、まずは有名な鳥山石燕の画集と桃山人の『絵本百物語』。ここから始めてもよいかもしれない。
そんなわけで『絵本百物語』巻第壱第壱の「白蔵主」から着手してみたんだけど、大変だった。たった1匹の妖怪なのに、調べ始めたら1週間以上、掛かってしまった。当然、『絵本百物語』は読むわけだけど、これは角川ソフィア文庫から出版されているから問題ない。でも、調べていくと、狂言『釣狐』とか『和泉各所図会』とか、いろいろと調べることが増えて、あれよあれよと情報量が増えてしまった。
多少、難解な部分も残っているけれど、でも、よくまとめられたと思う。まずは狂言『釣狐』の白蔵主を紹介して、『和泉各所図会』を紹介して、それらを大幅にアレンジした『絵本百物語』を紹介する。説明の並べ方としては、こんなもんだろう。
『和泉各所図会』については、書籍として出版されていないのだろうか。仕方がないので、原文を当たった。早稲田大学が『和泉名所圖會 巻之一』を公開してくれている。リンク先のPDFの43ページと45ページを参照した。Wikipediaの「白蔵主」のページには竹原春朝斎の絵が載っているんだけど、肝心の文章の中身は載せてくれていない。そこにいろいろと興味深い話が載っていたので、それも載せてみている。Wikipediaではキツネが狂言師に演技指導した説明のところが[要出典]になっている。でも、ちゃんと『和泉各所図会』に載っているじゃん、などと思っている。
2025年4月14日 巨大化する影!?
年度末の忙しさを乗り越えたものの、疲労困憊でダウン気味だ。それでも、頑張ろうと思って、ようやく「ファンタジィ事典」を更新してみた。朝鮮伝承からはオドゥクシニとクスンデ。どちらも闇を具現化したような妖怪だ。
オドゥクシニの方は日本の見越し入道や乗越みたいな妖怪で、見上げれば見上げるほど大きくなって押し潰されてしまうという。暗闇への恐怖がどんどん肥大化していくイメージなのかもしれない。逆に恐怖に打ち克てば消えてしまう。
クスンデも暗闇を具現化した妖怪だが、もっと悪性で、最初は子供の姿で暗闇に現れ、うっかり近づこうものなら、影のような姿になって、どんどん巨大化し、最終的には覆いかぶさって、獲物を殺してしまうという。切っても切っても切れないということで、松明などの明かりで照らすことが有効だとされる。
そんなわけで、引き続き、朝鮮半島の妖怪を蒐集して順次、紹介していきたいと思っているので、乞うご期待。
2025年4月12日 雷神になった道真公!?
最近、日本の妖怪の絵巻なんかを眺めるのが趣味のひとつになっていて、いろんな絵巻を眺めながら、「へぇ」とか「ほぅ」などと溜息を吐いている。今日はそんな絵巻の中から『北野天神縁起絵巻』を紹介してみたい。
菅原道真が雷神になって京都の清涼殿を襲ったという話がは非常に有名で、よく御霊信仰の例として紹介される。現代人のボクたちからすると、菅原道真が怨霊と化したと聞くと、垂纓冠をかぶって着物を着た道真公がおどろおどろしい姿になって出現するようなイメージを持ってしまう。でも、『北野天神縁起絵巻』を見ると、完全に「鬼」として描かれている。まさに赤鬼で、もはや人間としての面影はない。そこが現代人の感覚とは違っていて、面白いところだ。
ちなみに、絵巻そのものを丁寧に眺めていくと、宮中の人々が逃げまどっている様がうまく描けていて、とても臨場感があってよい。一方の雷神そのものは結構、お道化た表情で、滑稽な感じがして、あんまり怖くない。それもまた面白いなと思う。
2025年4月4日 日本の妖怪の解像度を上げている最中
最近になって、日本の妖怪、特に絵巻物にハマっている。文献に文字情報に載っている「妖怪」だけでも、伝承上語られてきたものを蒐集した「妖怪」だけでもなくって、絵に描かれてきた妖怪に興味が向いたのは、ボク自身が「世界の妖怪」を描く機会が増えてきたせいかもしれない。過去に妖怪がどのように描かれてきたのかに意識が向いてきた証左だ。
今はもっぱら、『妖怪萬画 Vol.1 妖怪たちの競演』(青幻舎ビジュアル文庫,2012年)を読んでいる。読んでいるというか眺めている。
この本の表紙に描かれているのは作者不詳の『百鬼夜行絵巻』(京都市立芸術大学芸術資料館蔵)に描かれた「朧車」(あるいは「天狗車」)だけど、メチャクチャ迫力がある。こんなの、ボクなんかはとても描くことができない。カエルみたいなのが牽引していて、イヌたちが誘導している。動きがある。
もうひとつ、ボクが恐れを感じたのは神虫。平安時代末期の『辟邪絵(益田家本地獄草紙乙巻)』の中に描かれている。これも凄まじい。とても平安時代末期のものとは思えない。今の漫画家さんが描いたのかと思うほど、漫画っぽい。大迫力。こういう妖怪画の延長線上に、ボクたちの漫画文化があるのだと思わされてしまう。ちなみに、逃げまどっているのは疫鬼たちで、この怪物みたいなものは疫鬼たちを退散させる善神なのだとか。この恐ろしげなヴィジュアルで「善神」というのも凄い。
こういうところにも意識が向けられるとよいなあと思って、目下、日本の妖怪に関する解像度をあげているところ。こういうところもフォローしていきたいなとは思っている。
2025年3月31日 年度末最後の更新
年度末って大抵、忙しい。何しろ会社としては締めの時期だから仕方がない。これまでの十数年間も慌ただしかったけれど、今回の部署は殊更、報告書の作成とか業務の精算とか、そういう作業がどっと押し寄せてきて、齷齪していた。Xにもポストしたが、そんなもんだから、世界の妖怪のイラストを描く作業は勝手に中断している。でも、ファンタジィ事典は何とか形にしたいなあと悪戦苦闘して時間を捻出し、更新に臨む。一応、年度末の最後に無事にアウトプットに漕ぎ着けた。乾杯!!
朝鮮伝承から「ケヨシ」と「チャンサンボム」を更新してみた。どちらと道の怪とでも言うべき妖怪だ。ケヨシは峠で出遇った人間の頭の上を飛び越して魂を抜いてしまう。それが現在でもオートバイのツーリング客を追いかけて殺すというのだから、伝統的な妖怪が現代にも生き残っているような感じで、連続性を感じる。チャンサンボムはどちらかと言えば都市伝説的で、インターネット時代の道の妖怪だけど、ケヨシにも通じるところがあって、面白い。
他にも細々とたくさん更新したので、是非、ご確認あれ。
2025年3月29日 ゲーマーが妖怪退治やってみた!
『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』(小松清太郎,コロコロコミックス)が面白かったので紹介したい。
ボクが「世界の妖怪」蒐集に精を出していることは、小学5年生の息子のツクル氏もよく知っている。そんなツクル氏がちょっと前にこんなことを言い出した。「パパ、コロコロに面白い漫画があるんだよ。『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』っていうヤツで、妖怪がたくさん出てくるから、パパは買った方がいいと思うよ」。この野郎、その気にさせて買わせる気だな、と思って無視していたら、遂に断念したのか、お小遣いで5冊、大人買いしてきた。そしてこれ見よがしに机の上に置いてあるので、どれどれと思いながら読んだ。
物語の展開は子供向けと言えば子供向けなんだけど、でも、面白かった。主人公の西京芸麻(さいきょうげいま)はプロゲーマーを目指してゲームに心血を注ぐ。そんな主人公の魂が込められて、ゲーム画面で実際の人間を操作して戦わせることができるようになる。妖怪退治屋見習いの刀道巫女(とうどうみこ)を操って、次々と現れる妖怪たちを退治する……というような話なんだけど、でも、ツクル氏の言わんとするところは分かった。「妖怪」が題材になっているけれど、決してオリジナルの妖怪ではなくて、ちゃんと伝承に基づいた妖怪たちが登場している。だから、「買った方がいいと思うよ」などと言ったのだろう。『ダンダダン』や『ダンジョン飯』みたいに、『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』もネタにできるよ、ということだろう。
というわけで載せてみた。ちなみに1巻には伝承上の妖怪として「大蜘蛛」「人面犬」「泥田坊」「水虎」が出てくる。名前だけだけど「大嶽丸」も出てくる。2巻には「鬼婆」や「牛鬼」、「のっぺら坊」が出てくる。「水虎」が水をまとったトラだったり「牛鬼」がミーノータウロスみたいなまっちょのウシ頭だったりと、あんまり元の伝承の設定が活かされていない妖怪も多いので、その辺、ちゃんと解説してあげるとよいかなとも思った。一方で、面白かったのは、「のっぺら坊」がペンで自分の顔に絵を描くと、その顔に合わせた能力を得られるという話。ちょっとその発想は面白いなと思った。
2025年3月17日 「妖怪」の定義について考える(1)
「妖怪」の定義は人それぞれだ。もちろん、それはそれでいいと思う。でも、お互いに話すときには定義が異なると議論がすれ違うから厄介で、それぞれの定義を明確にしてから議論しないととんでもないことになる。
ボクなんかは「妖怪」をかなり幅広に捉えている。日本だけじゃなくて、海外を跳梁跋扈するやつらも十把一絡げに「妖怪」の範疇にしている。たとえば、ヘーラクレースが退治したレルネー沼のヒュドラーだって、ボクの定義の中では妖怪だ。いやいや、それは妖怪じゃなくて怪物だろうという人もいるかもしれない。でも、たとえば、ヒュドラー退治を表現した壷絵(前6世紀)と源頼光の土蜘蛛退治を描いた絵草子(1837年)を比較すれば、大して変わらない。ヒュドラーが怪物なら、土蜘蛛だって怪物だ。逆も然りで、土蜘蛛が妖怪なら、ヒュドラーだって妖怪だ。
ベッレロポンテースが退治したキマイラと源頼政が撃ち落とした鵺だって、絵として並べてみれば一緒だ。姿・形も似ているし、描かれているサイズ感だって似ている。キマイラが怪物だと言うのなら、鵺だって怪物だ。
詰まるところ、ボクは「妖怪」は世界中にいる存在だと定義している。日本では「妖怪」と呼ばれるけれど、こういう「妖怪」的な存在を各国が現地語でどんな言葉で呼ぼうとも、日本語に翻訳したらそれは結局、「妖怪」と訳すんじゃないのか。そんな感覚だ。Appleでもpommeでも苹果でも사과でもتفاحةでも、日本では「リンゴ」だ。イギリスのリンゴはアップルと呼んで、韓国のリンゴはサグヮと呼んで……と呼び分けない。もっと大きな括りで言えば、日本の「果物」とイギリスの「フルーツ」と韓国の「クヮイル」は結局、全部、「果物」であって、中に含まれる個々の果物は違うけれど「果物」でしかない。だったら、世界各地を跳梁跋扈するやつらは日本語に訳したら、結局、全部「妖怪」じゃん、と思っている。
2025年3月11日 クジラの天敵と宇宙人の話
3月9日の記事「朝鮮の妖怪をインプット中」でも書いたが、現在、朝鮮の妖怪を大量にインプット中である。そして、ある程度、インプットができたので、緩やかにアウトプットしていこうと思っている。
最初は有名どころから攻めるのが順当だとも思ったんだけど、せっかく、大量の妖怪のリストを作成してみたので、ちょっとマニアックで(日本では)知名度の低いヘンテコな妖怪を試しに紹介してみようと思って、取り急ぎ、2つを選定してアウトプットしてみた。
ひとつはクミョロだ。小さな魚なのに、数百匹、数千匹の群れになってクジラを襲って骨だけになるまで食べてしまうという怪魚だ。しかもよくよく調べると、チャンスピという類似の怪魚も知られているらしい。韓国の海には、こういうクジラをも襲う小さな魚が信じられていたようだ。
もうひとつはタンピモンドゥだ。こちらは『朝鮮王朝実録』にちょこっと載っているだけの非常にマイナーな存在なのかもしれない。頭巾をかぶった2~3メートルの人型の鬼が空から降りてきて、金持ちの家に住みついて、毎食米を1合食べ、果ては「弟も降りてくる」などと言ったという。そして、未来の豊作を予言したという。実は宇宙人だったのだとも言われている。
以上、ちょっとマニアックで(日本では)知名度の低いヘンテコな妖怪を2つ、紹介してみた。引き続き、リストを足掛かりに、朝鮮の妖怪の情報を蒐集して紹介していきたいと思う。
2025年3月9日 朝鮮の妖怪をインプット中
人生にはインプットのフェーズとアウトプットのフェーズがある。こうやってウェブサイト運営なんかをやっていると、ついついアウトプットに追われてしまう。でも、本当はインプットの方がずぅっと大事。なので、あんまり無理をしないで緩やかにやりたいなとは思っている。でも、ついついアウトプットに気持ちが向かってしまうんだよなあ。
そんなわけで、今日はずぅっとインプット。一日中、朝鮮の妖怪をインプットしていた。否、厳密にはインプットするための下地作りをしていた。
朝鮮語を学んだので、朝鮮語でいろいろとネットサーフしていたら、朝鮮の妖怪が比較的、たくさんまとまっているウェブサイトがいくつか見つかって、それなりの品質が確保されていそうだったので、それらを拾い出して、一日中、朝鮮の妖怪リストを作成していた。すでに120項目くらいの一覧になっているので、これらを順繰りと情報収集していけば、順次、「ファンタジィ事典」に朝鮮の妖怪を更新していけるのではないか。
フィリピンの妖怪をまとめるときにも、同様に一覧を作成している。もちろん、こういう一覧というのは玉石混交で、有名な存在もあれば、地方の非常にマイナな妖怪もいる。でも、こうやって一覧にしておくことが重要で、そこを起点に調査を進めて、面白かったらピックアップして「ファンタジィ事典」に掲載するアプローチがとれる。データベースは取捨選択の基礎だ。
フィリピンの妖怪も、実はすでに300項目くらいの妖怪の一覧が手元の資料として準備されている。妖怪の名前だけでなく、各項目について、ある程度、英語とフィリピン語の簡単な情報も拾ってある。こういうのを足掛かりに深堀していって、情報が少ないものとか、掲載してもあんまり面白くなさそうなものは載せていない。ベトナムの妖怪も同様で、すでにかなりの量の妖怪の一覧は出来上がっていて、かなりの量のベトナム語の情報は拾ってある。ここから深掘りして、面白ければ載せていく次第だ。
一方、タイの妖怪はあんまり、一覧になっているようなウェブサイトがないので、なかなか情報収集に苦慮している。
今回、朝鮮の妖怪について、朝鮮語で拠って立つべき情報源がいくつか見つかったので、ここを足掛かりに、項目を広げていけそうだ、などと密かに思っている。
そんなわけで、表面的にはウェブサイトは更新されない。でも、粛々と情報収集は進んでいるよ、というお知らせというか、言い訳というか。まあ、これからちょっと朝鮮の妖怪にアプローチするよ、という予告でもあるわけで……
2025年3月3日 メジェドを描いてみた。
ちょっとだけ、ファンタジィ事典でエジプト神話の調査に精を出しているところで、新調したiPhoneのケースもメジェドにしたところで、よくよく考えたらメジェドの項目がファンタジィ事典にないということに気づいて、急遽、作成した。それに合わせて、メジェドの絵も描いてみた。

もっとマスコットっぽくかわいく描くこともできたんだけど、ちょっとだけ生っぽくしてみた。『死者の書』なんかを見ると、神々が座ったときの背丈というか、女の人が屈んで祈っている高さと同じくらいの背丈で描かれるので、子供くらいの人が中にいて、シーツをかぶっているみたいな頭身で描いてみた。
これで、目からビームが出るらしいから、凄いよね(笑)。2021年に日本でネットミームとしてバズったわけだけど、そこから世界に発信されて、知名度が爆上がりした存在。英語のWikipediaのメジェドの項目でも、日本のムーブメントがちょっと紹介されていて可笑しい。そうやって、何でも面白がって盛り上がっちゃうところが、ある種、日本人の良さだとは思う。
2025年2月21日 「ペテフ(プタハ)」を描いてみた。
2月17日の記事「メンフィス系神話を一気に更新だ!!」でも書いたとおり、ここのところ、エジプト神話に熱を入れて資料整理を進めていた。先日、メンフィス系の神話に関して一気に更新をかけてみたわけだけれど、どうせなら理解促進のため、絵もつけてみようと思い、今回、手始めにメンフィス系神話の創造神ペテフ(プタハ)を描いてみた。
惜しむらくは、非常に静的な絵になってしまった。手足が包帯で巻かれていて、台形の台座の上に直立している姿をそのまんま再現した結果、動きがなくなってしまった。まあ、心臓(思考)と舌(言葉)で世界を創造したのだから、身動きがとれなくても活躍できる。そういう意味では、静的な姿でも間違いではないのかもしれない。しかも台座を描いた所為で、何だかフィギュアか何かの模写にも見える。うーん。

一応、古代エジプトの壁画とかパピルスに描かれた画を参考にして、衣装や持ち物、色なんかは比較的、忠実に描いているつもりだ。美しい神様(=若い神様)らしいので、青年の顔で描いている。一般的には肌は緑色で描かれるので、その辺も忠実に再現している。ファンタジィ事典のペテフ(プタハ)の項目にも書いたが、ペテフは「生命の象徴である『アンク』、支配の象徴である『ウアス』、安定の象徴である『ジェド』を組み合わせた杖」を持っている。それもイラストに描き起こしてあるので、文章だけの説明よりは理解が進むのではないか。
正直なところ、ペテフはあんまり「うまく描けた」という実感はない。でも、これに懲りずにほかのエジプトの神々も描いていこうと思っているので乞うご期待(?)。次は睡蓮(スイレン)の神のネフェルテムにしようかなあ。
2025年2月19日 ジェネ氏、『地獄の辞典』を語る!?
昨日、好事家ジェネ氏がYouTubeでコラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』について熱く語っていた。ボクは昔からジェネ氏の動画はよく観る方で、深い洞察が好きで、いつも楽しく視聴しているが、今回もネタがネタだけに興味深く拝見した。
『地獄の辞典』(著:コラン ド=プランシー,訳:床鍋剛彦,講談社+α文庫,1997年)と言えば、ボクが中学生か高校生の頃、珍しく東京の本屋さんに行った際に、そこで平積みになって売っているのを発見して「何これ、すごい!」と感動して買った鮮烈な記憶がある。だから、ボクなんかはこの辞典に登場する悪霊たちを昔から詳しく知っているし、ルイ・ル・ブルトンのイラストにはかなり馴染みがあったりする。
ジェネ氏は動画の中で『地獄の辞典』の影響で知名度爆上がりになった悪魔について解説している(厳密にはゲティングズ氏の『悪魔の事典』からの引用)。でも、ボクは子供の頃から『地獄の辞典』に慣れ親しんでいるので、すでにこの「知名度爆上がり」の洗礼というヤツを受けてしまっている状態だ。だから、あんまりフラットな目線で『地獄の辞典』について語りにくかったりする。ブルトンのインパクトのあるイラストが学生の頃から頭の中に叩き込まれているってわけだ。
ジェネ氏は『地獄の辞典』を真っ新な気持ちで読んだのか、かなりフラットな目線で読み込んでいるのが面白かった。特に「梟頭シリーズ」みたいな解説は何だか笑ってしまった。梟頭シリーズの悪魔として紹介されていたアモンもアンドラスもストラスも、その界隈ではとても有名な悪魔たちだ。でも、そういう事前情報なしに読むと、確かにフクロウ頭の悪魔がたくさんいるという驚きが生じるのかもしれない。そういう発見が個人的にはとても面白かった。
ジェネ氏はゲティングズの言葉を引きながら、プランシーの解説のいい加減さについても言及している。実際、動画の中では、プランシーが紹介する日本の妖怪や伝説についても紹介していて、かなりいい加減な解説になっていることを暴いている。それはそのとおりで、プランシーの解説というのは、案外、的を外したものも多いし、胡散臭さも多分にある。
ウェブサイト「ファンタジィ事典」の中で、魔法書文献に関する悪魔たちについて、ボクはヨーハン・ヴァイヤーの『悪魔の偽王国(プセウドモナルキア・ダエモヌム)』(ラテン語)とメイザース&クロウリィ版の「ゲーティア」(英語)、そしてこのコラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』(フランス語)の3つを並べて訳しているので、プランシーが『悪魔の偽王国』を引きながら、どういう風に解説しているのか、比べながら読んでもらえれば幸いだ。
2025年2月17日 メンフィス系神話を一気に更新だ!!
久々にウェブサイト「ファンタジィ事典」のエジプト神話の項目を更新した。
エジプト神話って、いくつかの系統がある。具体的には、太陽神ラーを中心にしたヘリオポリス系神話、8柱の原初神で構成されているヘルモポリス系神話、そして創造神ペテフ(プタハ)を中心としたメンフィス系神話などがある。そんなことを考えながら、自分のウェブサイトを眺めていたら、メンフィス系神話の項目がほとんどないなあと気になって、覚悟もなく軽い気持ちで作業を始めてしまった。でも、資料も多いし、解釈も複雑怪奇だし、何よりも歴史とか地理とか文化なんかが全然、解像度高く頭の中にインストールされていなくって、結構、時間が掛かってしまった。本当は3日くらいで終わるだろうと思っていたら、1週間以上、悩んでしまった。
そんなわけで、メンフィス系神話の創造神ペテフ(プタハ)、その妻のセケメト(セクメト)、息子にして睡蓮の神ネフェルテム、原初の丘タアチェネン(タテネン)、そして冥界神セケル(ソカル)を更新してみた。
メチャクチャ、エジプト神話って入り組んでいて、ちょっとやそっとじゃまとめあげられない。それを痛感した。でも、頑張ったので、是非是非、読んでみて欲しい。そのうち、エジプト神話のイラストも描いてみようかな。図像に忠実にやれば、きっとそこそこ楽しんでくれる人もいると思うんだよね。ふふふ。
2025年2月9日 「チョスンサジャ」を描いてみた。
朝鮮の妖怪として「チョスンサジャ」を描いてみた。あの世から遣わされた使者で、死すべき人間をあの世に連行する。
ボクは朝鮮の妖怪を調べ始めた最初っから、このチョスンサジャが大好きだ。黒づくめでおシャレな風貌なのに、非常に官僚的な性格で、死亡予定者一覧表を片手に死すべき人間を探す。それでいて、同姓同名を間違えて連行することもあるし、賄賂をもらって見逃すこともある。こういう性格がとても東アジアっぽいなと思うわけだ。中国や韓国、そして日本も含めて、そういう一面がある。
だから、朝鮮の妖怪を描くなら、最初はチョスンサジャから描こうと決めていた。本当だったら、朝鮮の妖怪ナンバーワンと言えばトッケビなので、トッケビから描くべきなのだろうけど、それを押してのチョスンサジャだ。そして、次の朝鮮の妖怪はかわいらしいミョドゥサを描こうと決めているので、トッケビはもうしばらく後になりそうだ。
……でも、トッケビは政治的に難しいヤツ(日本の「鬼」の影響の所為で容姿が変質したと難癖をつけられている!)なので、実際のところ、どういうイラストにすべきかはちょっと悩んでしまう。角を生やしたら、韓国の学者に怒られてしまいそうだ。でも、実際には角があったという図版もあったりして……うーん。まあ、そういうところも引っ括めて、朝鮮の妖怪の面白さであることよ。ほほほ。
2025年2月5日 妖怪たちがあの世からやって来る!?
朝鮮の妖怪を更新した。「ヤグヮングィ」と「サンモックー」である。本当はタイとフィリピンとベトナム、朝鮮でバランスよく更新していく計画だったんだけど、ここのところ、朝鮮語を勉強している関係で、ノリにノッてしまって、朝鮮の妖怪を2つ更新だ。
ヤグヮングィは韓国の子供向け番組に登場していたので調べてみた。旧暦の1月16日になるとあの世から地上にやって来て、靴を盗もうとするらしい。ちなみに沖縄でも旧暦の1月16日は「ジュールクニチー」と言って、あの世(グソー)とこの世が繋がる日とされている。日本でも「閻魔賽日」と言って、閻魔王がお休みするので、地獄の釜の蓋も開くと言われている。朝鮮半島でも同じで、この日は「鬼の日」とされて、ヤグヮングィは地上にやって来るのである。
サンモックーは、チョスンサジャについて詳しく調べていたら、関連ワードとして出てきた。閻魔王の下で働く三目大王がイヌの姿になって地上にやってきたものなので、こちらもあの世と繋がりのある妖怪だ。チョスンサジャもヤグヮングィもサンモックーも、ある種、閻魔王とゆかりのある妖怪たちなので、今回、一緒に紹介してみた次第。さてはて。
2025年2月1日 「マーカーゾン」を描いてみた。
「アジアの妖怪をドドドドン!」(1月16日の記事)で「マーカーゾン」をイラストに描き起こしたいと宣言したが、早速、描いてみた。
ベトナムには主に2種類の吸血鬼がいるようだ。北部の吸血鬼「マーカーゾン」と南部の吸血鬼「マーライ」だ。マーライはフィリピンのウンガウンガやタイのピー・グラスー、マレーシアのペナンガランみたいに、夜になると身体から頭だけが抜け出し、臓器をぶら下げながら空を飛んで獲物を狙う吸血鬼だ。
一方のマーカーゾンは夜になると独特のポーズで吸血鬼に変身する。両足の親指を鼻の穴に突っ込み、両手は耳を掴む。そして、空を飛んで獲物を探すのである。ベトナム人が描くマーカーゾンは結構、年配の女性である場合が多いが、ボクは比較的、若い女性で描いてみた。だって、うら若き女性がこんな変なポーズで出没すると考えたら、結構、面白い。
実際に鏡の前でこのポーズをやってみて(結局、硬くてうまくいかなかったが……)、描いてみたので、足の部分なんかはそれっぽく描けているのではないか。ポーズにこだわったあまりに、あんまり吸血鬼のおどろおどろしさとか怖さがでなかったが、まあ、それもご愛敬。
2025年1月28日 東南アジアの妖怪サイトへの道のり
ベトナムの妖怪では、「クイニャップチャン」を更新した。クイニャップチャンは死にそうな人間に乗り移って身体を乗っ取ってしまう幽霊だ。病床に臥せっていたおじいさんやおばあさんが急に元気になって動き出すので、家族は大喜びである。しかし、空腹を訴えて、たくさんの食事を食べる。それに飽き足らず、アヒルやニワトリなどの家畜、果ては人間の子供まで食べようとする。結構、丁寧に調査してまとめたので、よく書けた記事だと思うので、是非、読んでみて欲しい。クイニャップチャンとタイのピー・ポープは非常に似ているので、共通の概念なのだと思う。
タイの妖怪では「ピー・ターボー」を更新した。普通の人間の姿をしているが、眼窩に目がない妖怪で、近づいてきて驚かす。そして目玉を奪おうと襲い掛かってくるという。『DACO 380号 バンコク怪奇物語』などの書籍にも載っているので、結構、有名な妖怪なのかもしれないが、タイ語のウェブサイトではあまり情報が載っていない。ピー・ターボーそのものが《目玉がないお化け》という意味なので、もしかしたら、目玉がないという外見が先行している妖怪なのかもしれない。『DACO 380号 バンコク怪奇物語』では類似の存在として口裂け女を挙げている。確かに人間に近づいてきて、裂けた口を見せて、鎌で切り付けてくるという構造は、ピー・ターボーに似ている。そういう構造の伝承なのかもしれない。
いずれにしても、絶賛、東南アジアの妖怪を更新中である。結構、項目数も集まってきたので、ベトナム妖怪やタイ妖怪のウェブサイトとしてのスタート地点には立てたのではないか。もう少し頑張って、それぞれのカテゴリィで20項目くらいの妖怪が掲載できるようになれば、ボクもベトナムの妖怪サイトとかタイの妖怪サイトと自信満々に名乗れるようになるかもしれない。そこまで頑張ろうと思う。フィリピンの妖怪については、まあ、結構、頑張っているよ? ふふふ。
2025年1月26日 創作から普遍的な妖怪への道のり
そういえば、今年は巳年なのである。毎年、1月1日に「近況報告の本」を刊行していて、その表紙の題材として、干支に因んだイラストを描く。すっかり忘れていたけれど、今年は「姦姦蛇螺」を描いた。今更ながらの「あけおめことよろ」のイラストである。
姦姦蛇螺は、ネットロアの妖怪だ。初出は、今はなき「怖い話投稿:ホラーテラー」という投稿サイトらしい。2chオカルト板のスレッド「洒落怖」に転載されたので、洒落怖の妖怪として認知されているケースも見受けられる。
「姦姦蛇螺」の投稿において、若者たちが姦姦蛇螺と遭遇するシーンは滅茶苦茶臨場感があって怖い。厳重に封印されている区画の描写も丁寧だし、姦姦蛇螺が現れて「いぃぃ~っ」と笑うシーンは圧巻だ。そして、蜘蛛のように6本の手足でフェンスを伝ってくる描写なんて戦慄する。
「姦姦蛇螺」は投稿サイトに投稿されたものなので、明らかに創作だ。名乗り出ないけれども、どこかに作者がいるはずだ。それなのに、まるでネットロアのように語られ、都市伝説のジャンルで取り扱われる。この辺の境界の曖昧さが妖怪らしいところである。
大昔だって、実は作者がいたはずだ。ギリシア神話だって、ヘーシオドスの「創作」と目されている部分がある。いつも書いているとおり、「ドラキュラ」はブラム・ストーカーの創作だし、「フランケンシュタインの怪物」はメアリー・シェリーの創作だ。「クトゥルフ」だってラヴクラフトの創作だし、「オーク」はトルキーンの創作だ。そうやって、誰かのcopyrightがいつの間にか普遍的な妖怪になっていく。姦姦蛇螺もその意味では、普遍的な妖怪に片足を一歩、突っ込んでいる。そこが面白いなあと思うのである。
2025年1月20日 需要と供給
「ご趣味は何ですか」と問われることがある。相手との関係性によって答え方はケース・バイ・ケースだが、ボクの趣味は「妖怪研究」と「創作活動」、そして「ウェブサイト運営」なのだと思う。「妖怪研究」と「創作活動」は、それこそ子供の頃から続けている趣味だが「ウェブサイト運営」は大学生の頃から絶えることなく続けているから、きっと趣味なのだろう。
昔はhtmlタグ打ちのウェブサイトにこだわっていた時期がある。途中、blogを取り入れたこともあるし、今は「日々の雑記」だけはWordPressを援用している。それでも、やっぱり、ほとんどのページは今でもhtmlのタグ打ちだ。「ファンタジィ事典」なんかは事典なので、本来はWordPressの方が向いているのかもしれない。でも、現時点では全項目をExcelで管理をしていて、Excelのマクロでメモ帳を立ち上げて、そこにhtmlでベタ打ちするという手法を採っている。
ちなみに、「日々の雑記」はWordPressなので、独自のアクセス解析がついている。こうやって日々、徒然に何かを書くわけだけど、急にアクセスが増えるときもある。最近だと『ダンダダン』に言及した記事を書いたら一気にアクセスが増えた。『ダンダダン』系の単語で検索して訪ねてくる人が多いということなのだろう。ミュージシャンについて書いても多少は伸びる。ファンが検索して来てくれるのだと思う。ちょっと前だとファントムシータについての記事がちょっとだけアクセスが多かった。
まあ、だからそっちに寄せて記事を書いていこうということではない。そうではなくって、こんなに辺境のウェブサイトであっても、ちょっと知名度のあるものを書くだけでアクセスが増えるという厳然たる事実が面白いなと思う。当然、マイナな「フィリピンの妖怪」ばっかり更新していても、ちっともアクセスは増えないのである。
ちなみに、我が家の実績から行くと「日本の妖怪」とか「中国の妖怪」の方が人気がある。でも、残念ながら、ボクはあんまり得意なジャンルじゃない。だから、更新頻度は少ない。「ベトナムの妖怪」は、他の記事に比べれば、アクセスがわずかばかり増える。どういう理由なのかは現時点では定かではない。どこかしらに需要があるのかもしれない。