愛宕山太郎坊

分 類日本伝承
名 称 愛宕山太郎坊(アタゴサンタロウボウ)【日本語】
容 姿大天狗。猪にまたがって武装する烏天狗の絵が有名。
特 徴愛宕山に棲む天狗の総大将。
出 典『今昔物語集』(12世紀頃)、『天狗経』(年代不詳)ほか

八百億の天狗の総大将!?

愛宕山太郎坊(あたごさんたろうぼう)は京都の西の愛宕山に祀られている天狗。単に太郎坊、あるいは栄術太郎とも呼ばれる。日本には八百億の天狗が棲んでいるとされるが、それらを従えている日本一の大天狗で、天狗の総大将として知られる。『天狗経』に書かれている四十八天狗では1番目に名前が挙げられている。八天狗にも名前を連ねる。天地を引っくり返すほどのものすごい神通力を持っている。弟分として比良山次郎坊が挙げられることも多い。

役小角が泰澄を連れて愛宕山を開山しようと入山したとき、暗雲が立ち込め、雷鳴が轟き、雨が降り始めて前に進めなくなった。そこで呪文を唱えると、地蔵菩薩や龍樹菩薩、毘沙門天、愛染明王などが出現して空を晴れさせた。すると、杉の上に、天竺(インド)の大天狗・日羅(日良、ニチラ)、中国の大天狗の是界(善界、ゼカイ)、そして日本の大天狗・太郎坊が9億4万匹ほどの天狗を率いて出現し、愛宕山は天狗でびっしりと埋め尽くされていたという。そして「我々は2000年前に、この場所が霊山で、神霊たちが集まる場所なので護るように、仏の頼まれて、大魔王として山を占領して、人々に利益を与えている」と説明したという。そこで、二人は杉の木を「清滝四所明神」と名付け、朝廷の許しを得て、この山に神廟を建てたという。これが愛宕山の始まりだという。

なお、愛宕神社に祀られる若宮は太郎坊大権現とされ、カグツチの化身とされる。

愛宕山の天狗は古くから文献に登場する。久慈2年(1155年)に第76代の近衛天皇が眼病で若くして亡くなったとき、藤原頼長とその父忠実が愛宕山の天狗像の目に釘を刺して呪詛を掛けたと疑われている。ただし、その頃には「太郎坊」という名称までは言及されていない。「太郎坊」という名前は鎌倉時代の『源平盛衰記』の巻8「法皇三井灌頂の事」で初めて言及された。また、安元3年(1177年)の京都の大火は愛宕山の天狗が引き起こしたとして「太郎焼亡」と呼ばれている。京の3分の1を焼いた。『太平記』にも愛宕山の天狗集会の長老として登場する。

(参考)八天狗とは

八天狗といえば、京都の愛宕山太郎坊、滋賀の比良山次郎坊、京都の鞍馬山僧正坊、長野の飯縄山三郎坊、神奈川の大山伯耆坊、福岡の英彦山豊前坊、奈良の大峰山前鬼坊、香川の白峯相模坊の8人の強力な天狗のこと。その中でも、愛宕山太郎坊がその筆頭である。

《参考文献》

Last update: 2021/03/26

サイト内検索