2023年7月10日 都市伝説を通じて、今、考えていること1

ここのところ、都市伝説について調査している。我が家には以下の本があって、それを下地にウェブサイト「ファンタジィ事典」に落とし込んでいる。

ここには載せていないけれど、2009年以降も、宇佐氏は定期的に本を出し続けていたし、並木氏も未確認生物やUFOの本と合わせて、都市伝説の本を出版し続けていた。山口氏も精力的にネット上でいろいろな情報を収集していて、定期的にいろいろと発信していた。でも、ここ最近は都市伝説と言えば朝里氏という感じ。朝里氏は都市伝説だけでなくて世界の妖怪や怪談、怪異など、幅広く手掛けているんだけど、結構、出版業界の勢力図が様変わりした印象がある。最近は犬も歩けば朝里氏というくらいたくさんの本を出版している。

実は、都市伝説に関して言うならば、ボクは松山氏、宇佐氏の頃のものが、一番、体感としてしっくり来る。並木氏は少し陰謀論寄りな雰囲気があって、「実はこの話の裏には……」みたいなオカルトライターっぽい語り方をするし、山口氏は雑多な感じで、何でもありという印象。そして、今、朝里氏の時代が来たという感覚。おそらく、山口氏の辺りが都市伝説としては転換点で、インターネットができて、SNSが発達して、都市伝説の広がり方が大きく変わったのだと思う。人の口から口へと広まっていく都市伝説は、やっぱり大きなうねりになるまでに時間が掛かって、その間にいろんなヴァージョンが生まれて、その中で面白いものが定着して収斂していく印象がある。伝播していくうちに、いろんな人の視点で揉まれて精度が上がっていく。でも、インターネット以降、オンライン上に拡散されると、その拡散速度はものすごく速くなって、発信者も多くなるので、何となく量産されて、あっという間に消費されていく。ぽっと出たものが、そのままコピペで広がっていくようなチープさもある。まさにクリーピーパスタだ。そういう雑多なものを、山口氏は精力的に拾い集めていた感じがする。そして、今、朝里氏の時代になって、そうやって拡散されたものの中で定着したものを拾い集めている印象がある。

  

2023年7月12日 SNS中心の文化とテレビ中心の文化

6月22日に「中田敦彦が逃げたのか、松本人志が逃したのか!?」という記事を書いた。あっちゃんの提言動画に対して、世間の反応が大きく二分した。それって、結局、メディアの大きな分断が原因だとボクは感じた。テレビ中心の文化と、SNS中心の文化で、受け取り方、反応が大きく異なった感じがしたのだ。

先日、カジサックとヒカルのYouTubeチャンネルで「泥酔はしご酒」という企画があって、ゲストとしてあっちゃんが呼ばれていて、カジサックはかなり攻めたトークを展開していたが、ボクの感覚は確信に変わった。ヒカルがいい意味でSNS中心の文化の代表者として話していて、カジサックもどちらかと言えば、SNS中心の文化の立場で話をしていて、どちらもあっちゃんにとても好意的な反応を示していたのだ。

実は、あっちゃんの提言動画の後、キングコングの梶原雄太とノンスタイルの石田明の反応は、たくさんいる芸人たちの中で、明らかに異質だった。松ちゃんを批判しているわけではないけれど、あっちゃんのエンタメの理解者としての立ち位置を明確にしていた。そして、それは多分、SNS中心の文化を生きる若者たちの感覚と近かったのではないか。

今回、カジサックは、あっちゃんの提言動画を見て「(うちのチームも)あの動画が出たときに無茶苦茶盛り上がった」「さぁこれ中田どうすんねやろっていうの(を考えるの)が俺は楽しかった。」「すごく面白いなって思ったな」「ワクワクしちゃったのよ。だって誰もやってないから」などと発言した。それにヒカルは「それYouTubeのノリですよ」と指摘されている。でも、カジサックの感覚が、多分、SNS中心の文化を生きている人間の感覚なのだと思う。

それでも、カジサックは芸人でもあるので、あっちゃんの言葉がときに強いと感じるし、後輩の粗品を巻き込んだという風に感じる。その辺は芸人である部分も感覚としては残している。一方のヒカルは、そういう部分がないので、「楽しいネタが来たなくらいの感じで楽しんでいました」「仮に失礼なことだとしても当事者同士の話じゃないですか。僕からすると関係が無いんですよ」という感覚である。これは完全にSNS中心の文化を生きている視聴者の感覚だと思う。

この2人を前にしたとき、吉本の芸人さんたちの反応というのは、やっぱりテレビ中心の文化の中に生きている感じがして、埋まらないギャップを突きつけられたような感じがした。ボクは多分、SNS中心の文化の中で生きているのだと思う。

2023年7月14日 都市伝説を通じて、今、考えていること2

7月10日の記事の続き。

普段、あんまり意識はしないけれど、でも、本来、妖怪や怪物には必ず作者がいる。古代ギリシアのケルベロスペーガソスキュクロープスだって、神話上の怪物たちだけど、必ず最初に言及した人物がいるはずだし、広まっていく中で、影響力のある著述家が書いた記述が「正」になるパターンだってたくさんあったはずだ。分かりやすい例を挙げれば、今やハロウィンの代名詞みたいになっているドラキュラフランケン。これらにはブラム・ストーカーとメアリー・シェリーという明確な作者がいる。それなのに、ドラキュラもフランケンも、何となく、昔からいる由緒正しい妖怪のように市民権を得て、エンタメの世界で暴れ回っている。不思議なことに、ハロウィンの世界では、オオカミ男魔女は古い伝承に根差しているけれど、ミイラ男スケルトンゾンビは比較的、新しいホラー映画やゲームの文脈から登場している。シーツおばけも、その歴史は比較的新しくて、子供向けアニメの中で生まれたとされている。そして、ドラキュラやフランケンは小説の世界から持ち込まれているわけで、そういうごった煮がハロウィンの文脈の中では、当たり前のように定着している。

都市伝説もそういう側面があって、人面犬とか小さいおじさんなんかは、いろんな芸能人たちが、我こそが創作主だと主張している(笑)。ゴム男も、テレビで的場浩司が話題にしたのが最初で、その後、連鎖的に目撃情報が寄せられた。ニンゲンとかクネクネの場合、明らかに最初のインターネットの掲示板の書き込みが特定されている。このように、匿名でありつつ、作者が特定されてしまった場合、それは都市伝説なのか創作なのかの線引きが、とても不明確になる。でも、仮に誰かの創作であっても、一般に膾炙するときに、その創作性というか、作者の顔が見えなくなって伝わったら、きっと、それは都市伝説になるのだろう。ドラキュラやフランケンが昔からの妖怪の振りをしてハロウィンのお祭りに紛れ込んでいるような感じだ。山口氏の取り扱う都市伝説の内容は、実はそういうネットロアと呼ばれるものの割合が多いので、都市伝説の創作の境界が曖昧なまんま、ごった煮になって広まっている印象がある。個人の創作が、山口氏のような影響力のある著名人がネットの記事や書籍で取り上げることで拡散されて、都市伝説と化した場合、これは都市伝説なのだろうか。その辺が今っぽくて不思議な現象である。つまり、ボクからすると、何でもない個人のTwitterの書き込みを有名人がリツイートしてバズるみたいなイメージに近い。

正直に話すと、実はニンゲンとかクネクネがばっとネット上で拡散されたとき、ボクは「それって結局、個人の勝手な書き込みじゃん」と思って、あんまり興味を持てなかった。でも、それから1年、2年経って、だんだんと様相が変わってきて、一般に膾炙される都市伝説に昇華したときに、「あ、クネクネもニンゲンも都市伝説になったなあ」と感じた。当初の書き込みからは独り立ちして、勝手に発展していったからだ。そういう意味では、インターネット時代にわーっと生まれて広がった都市伝説の芽みたいなものを、山口氏がどんどん収集していて、それを朝里氏が、改めて今の視点で振り返って整理してくれているような印象がある。

多分、今後も、こうやってオンライン上でいろんな都市伝説や現代妖怪が量産されていって、定着するものと消えていくものとがあるのだろうな、と思う。

  

2023年7月16日 トッケビは日本人によって変質させられた!?

ウェブサイト「ファンタジィ事典」には韓国伝承の項目を設けているが、韓国の妖怪と言えば、最も有名なのはトッケビクミホだ。

トッケビについて触れると、どうしても、韓国人の歴史観、日本統治時代に対する複雑な感情にあてられてしまうので、何となく避けてきた。曰く、日本統治時代、日本人がトッケビを日本の鬼と同様、2本の角を生やし、トラのパンツを履き、金棒を持った姿で描いたために、トッケビの本来の姿が失われて、変容してしまったという。そのため、韓国本来のトッケビの姿を取り戻すべく、「トッケビ復元プロジェクト」なるものも動いている。

でも、妖怪というのは想像上の存在なので、常に変容するものだ。中国文化の影響もあるし、インド文化の影響もある。いろんな文化が混ざりながら、妖怪というのは形作られていく。日本文化の影響だけを排除しようとする思想には無理がある。

そもそも、クミホにしたって、中国の九尾狐であり、中国の妖怪を韓国の中でアレンジしたものだし、プルガサリも、中国のを韓国で独自に発展させたものである。

でも、トッケビを書かないと、何となく韓国伝承について触れたという気持ちになれないので、今回、思い切って、トッケビについてまとめてみた。

  

2023年7月18日 日本の女性メタルバンドがやっぱり凄い

ボクは妖怪が好きだが、ボドゲも好きだし、ミステリー小説も好きだし、それから音楽も好きだ。だから、音楽の話をする。

NEMOPHILAというバンドが素敵だ。4月19日に日本の女性メタルバンドが凄いでLovebitesを紹介した。彼らのギターテクは圧巻だったが、歌詞も英語だし、洋楽志向まっしぐらという印象がある。でも、Nemophilaはもう少しボクたちに手加減してくれている。明らかにJ-popの土台の上に立ってロックをやっている。SAKIと葉月のギターテクは天下一品だし、ハラグチサンのベースも、むらたたむのドラムもいい。そして、ヴォーカルのmayuが変幻自在。いろんな声、いろんな歌い方ができる。しかも、面白いのは、YouTube上でいろんなミュージシャンの楽曲をカバーしている点。聖飢魔ⅡとかLUNA SEA、そしてマキシマム ザ ホルモンなんかも、安定したバンド演奏をバックに、mayuが歌ってくれる。

何より、彼らの楽曲は、ハードロックでありながら、J-popの懐かしいサウンドが随所に散りばめられている。特にシンセサイザを駆使するダンスっぽい楽曲だと、90年代、00年代に流行っていたJ-popっぽさがあって、懐かしくなる。それでいて、ちゃんとハードロックなのだから、最高である。

  

2023年7月20日 プチブロック幻獣シリーズの4つ目!!

プチブロック幻獣シリーズの4つ目はフェンリルだ。北欧神話に登場し、ラグナロクのときにまさかの最高神オージンを倒してしまうという衝撃の怪物である。

近年のイラストレータはみんな、フェンリルを白いオオカミで描く。稀に青いオーラで装飾する。その意味では、フェンリルは白と青いうイメージは現代ファンタジィの中では何となく定着しているのかもしれない。このプチブロックでも白と青を基調にデザインされている。首と四肢、そして尻尾が動く。爪も生えていて、格好いい。

今のところ、ダイソーのプチブロックでは、幻獣シリーズは4つで終わりらしい。今後も何か発売されるといいのになあ。

  

2023年7月22日 慣れない運転に齷齪

毎度のことながら、「齷齪(あくせく)」という漢字を変換するたびに、変な字だなあと思いつつ、いつだってこの漢字変換を採用してしまうボクである。

さて、最近、仕事でよく車を運転する。先日は30kmほど、その前の日は54kmほど走った。正直、学生時代に免許を取ったものの、家では車を持たないし、日常的に運転なんてしない。もう、運転なんて10年振り以上だ。運転も慣れないし、道も分からないしで、連日、緊張しっ放しで、ヘトヘトになっている。

しかも、先日は高速道路に乗っていこうと事前に道順を予習していたら、社内で有料道路の料金手続きが間に合わず、急遽、下道で行くことになった。予習なしの道路を走るという試練にあたふたした。しかも、のっけから曲がる場所を間違えたから、頭の中のGPSを大幅起動修正しなければならず、ビックリした。わははー。

そんなこんなで、今年になって、いろいろと刺激ばっかりである。海外生活も大変だけど、日本は日本で大変なのだなあ。

  

2023年7月24日 教育現場とeスポーツ!?

巷ではeスポーツが流行っているらしく、しかも教育の現場にも取り入れられているらしい。

息子が小学校からチラシをもらってきて「是非、行きたい!」と強く主張するので、夏休みでもあるので、体験入学してみた。マイクラの世界で、複数のメンバーで共同作業で建物をつくるというプログラムだ。1回目の体験では、クリエイティブ・モードで赤い枠の中で、自由に建物を建設する。どんな建物をつくるか計画段階で説明をして、30分経ったところで進捗を確認し、残りの30分の完成予想をして、軌道修正の計画を立てて、再度、建設をする。2日目はサバイバル・モードで、材料調達をしながら、建物を作成する。一応、講師の方で夜にならないように、コマンドで調整しているので、建設中にモンスターに襲われることはないが、場合によっては、洞窟まで鉱物を採りにいかなければならないので、その場合にはモンスターとの戦闘も生じる。

親の立場で、外側から見学していたけれど、マイクラの世界を活用して、こうやって共同作業をする中で、社会性を構築していくというのは、ちょっと面白かった。家で友人たちとマイクラをすると、すぐに相手の家を爆発してみたり、協力プレーの連携がうまくいかなくなったりして喧嘩になったりするけれど、学校では、講師がいて、ある程度、コントロールされた中での共同作業なので、そういう喧嘩になりにくい環境が構築されている。

新型コロナウイルス感染症の影響で、小学校ではソーシャル・ディスタンスを強いられて、社会性を築くのが難しかった。今でも、我が家に遊びに来た子供たちを見て、社会性をちゃんと身につけられていないのではないかと心配になる。何しろ、他所の家に遊びに行くという経験が少なすぎて、自宅にいるのと他人の家にいるのの区別がつかなくなっている。遊んでいても、距離感や加減が分からない。会話にもならない。そんな中で、新しい取り組みなのかもしれないな、と思う。

テレビゲームを題材にするというところは、是非があるだろうし、弊害もあるかもしれないけれど、少なくとも新しいし、面白い試みだとは感じた。後は息子がどういう判断をするか。その辺はよくよく議論しようと思う。

  

2023年7月26日 南米の妖怪は都市伝説でも活躍!?

ウェブサイト「ファンタジィ事典」では、ちょっと前に『南米妖怪図鑑』(文:ホセ・サナルディ,画:セーサル・サナルディ,ロクリン社,2019年)をベースに、南米の妖怪をまとめていた。朝里樹氏の本だと、コルポ・セーコシルボーンみたいな、いわゆる南米の妖怪たちが、都市伝説のカテゴリーとして紹介されていて、面白いな、と思っている。正直、あんまり、南米の妖怪を取り上げている日本の書籍は少なくて、ボクも『南米妖怪図鑑』を手掛かりに、スペイン語やポルトガル語のウェブサイトを当たって確認作業を行っていたわけだけど、こうやって、朝里氏が都市伝説の文脈で南米の妖怪を取り上げてくれるのは楽しい。

  

2023年7月28日 グッバィ、鳥さん!!

Twitterがxになるとかならないとかで、気づけばロゴ青地に白い鳥から白黒のxになった。xという名称はすでにいろんなところで使われている一般名詞だし、イマイチ、ピンと来ない。ロゴも地味であんまりハマっている感じじゃない。そもそもすでにTwitterの名称で定着していて、ロゴだって誰もがぱっと見たらTwitterのロゴだと分かるようになっているのに、わざわざ変更するのは短期的にはマイナスだと思う。マスク氏の長期的なビジョンで、これを巻き返せるのだろうか。まあ、Twitterの代替サービスはないので、そういう意味では、結構、乱暴なことをしても、ユーザが逃げるようなことはないと思うけれど、改悪だと感じるなあ。どうなんだろう。

毎回、facebookとTwitterとpixivのロゴを貼って、SNSとの連携を図っているボクだけれど、Twitterのロゴをxに差し替えるべきか逡巡した。でも、まだ公式からロゴがちゃんと提供されている感じじゃないので、まあ、様子見も兼ねて、青地に白い鳥のまんまにしておこう。商標権とか何だとかで当面はゴタゴタするかもしれないしなあ。何だかなあ。

  

2023年7月30日 スライムとかア・バオ・ア・クーとかショゴスとか

我が家にはたくさんの神話・伝承関連の本があって、気の向くままに調べていくと、あっちの本を参照し、こっちの本を参照し……と、次第に自分でも何をやっているのか分からなくなる。そして、手に負えなくなってくるので、最近、少しだけ起動修正して、1冊の本にフォーカスして、その本を潰していく戦法に変えた。

ここ数日は、『図説 幻獣辞典』(著:幻獣ドットコム,イラスト:Tomoe,幻冬舎コミックス,2008年)にフォーカスしている。有名どころがコンパクトにまとまって載っているものから取り掛かった方が、マイナなものを載せるよりも、読み手の知りたいものを載せられるのでよいかな、という判断だ。

それで、この本の後ろの方から潰していこうと思ってやり始めてみたら、スライムとかブロッブとかギズモショゴスア・バオ・ア・クーみたいなファンタジー世界の変わり種というか、ヘンテコ系のものばかりが載っていて、ちょっと面白いな、と思いながらやっつけている。

  

2023年8月1日 歴史至上主義者!?

ボクは少しだけ変質狂的なところがあって、たとえば、ミュージシャンのalbumを買うなら、1st albumから買わないと気持ち悪さを覚える。漫画もそうで、『ドラゴンボール』が気になる場合でも、その前段で『Dr.スランプ』を買わないと気持ち悪さを覚える。もう、これは完璧に病気なのだと思う。

最近、洋楽を聴く機会が増えた。英語で歌詞を理解できるようになったのもあるし、歴史的な経緯も少しずつ分かるようになってきたからだ。そうなると、俄然、ロックの原点であるエルビス・プレスリーのAlbumを手に入れなくては、と思ってしまう。そうして、次はThe BeatlesやThe Whoに手を出して……。つまり、後世に大きな影響を及ぼしたミュージシャンを、順番に確認して、音楽の歴史を辿らないといけないような義務感に駆られてしまう。

実は、クラシック音楽も同様で、グレゴリオ聖歌、オルガヌス、古典音楽……と音源を聴いていって、ヒンデミットやバーンスタインまでを追い掛けた。バッハやヘンデル、モーツァルト……と片っ端から歴史を追いかけて収集してCDを聞きまくった時期があった。音楽史の本を片手に、そこに出てくる作曲家と楽曲を聞き続けた。

そんなわけで、そんなことをやっているといつまで経っても最新のミュージック・シーンに辿り着けなくなってしまうので、最近は趣向を変えて、えいや、とばかりにビルボードランキングの年間ランキングを2022年、2021年……と上位10曲をダウンロードして並べて聞いている。もう、ね。完璧に病気なのである。

  

2023年8月3日 この世界は言葉には敏感なのに現実には鈍感

ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏がインスタに「この世界は言葉には敏感なのに現実には鈍感」と書いたようだが、名言だな、と思った。

彼の故郷の高浜原発が再稼働したことを受け、「事故があった時、地元の人だけじゃなく日本中が被爆しますように」とツイートして炎上したらしい。いつもどおりの彼らしい表現だ。村本氏はこのツイートに対して、インスタで「いつも地元だけが痛みを背負う」と書いていて、「万が一の時は全員が背負って欲しい、そうなればもっと一緒に考えてくれるのにって思ってこれを書いた」と釈明(?)している。総論賛成、各論反対とはよく言われることで、兎角、Not in my backyardになりがちだ。でも、当事者意識を持って考えろ、という彼なりのメッセージなのだろう。

そして、「魔法使いじゃないんだから『日本中が被爆すればいいのにー』と言ってそうなるわけじゃない、言葉は非現実的」と書いていて、続けて、「この世界は言葉には敏感なのに現実には鈍感」と書いている。まさにそのとおりだな、と思う。口では何とでも言える。その言葉尻だけをとらまえて批判することは容易だ。でも、現実にはいろいろなことが起こっている。目の前で起こっている現実よりも、表層の言葉に反応しがちな我々だ。納得して、刺さってしまったので、こうして記事にして、記憶しておこうと思う。

  

2023年8月5日 それぞれの個性が光る6人組!?

Gacharic Spinという6人組のガールズ・バンドがいて、これが圧倒的に巧い。リズム隊が安定している。それでいて、音楽はとても遊び心が満載で斬新だ。それが面白い。それぞれのメンバーが多方面から繰り出すいろいろなサウンドが、ぎりぎりのところでちゃんと融合してひとつの音楽になっている。

「MindSet」は比較的、万人受けする楽曲かもしれない。のっけからリズム隊のクールなサウンドが飛び込んでくる。単純に、格好いいし凄い。そこにアンジェリーナ1/3のマイクパフォーマンスが入ってくる。歌詞は独特だが、サビがキャッチーなのはGacharic Spinの特徴だ。

「カチカチ山」はコミックバンドっぽい雰囲気もある。こういういろんなカラーがあるのが、このバンドの特徴だ。その上、4人がヴォーカルとして歌える。だから、ヴォーカルを交代しながら、いろんな展開ができる。

PVも面白いんだけど、ライヴもちゃんと巧い。そんなわけで、オススメのガールズバンドである。チェケラ。

  

2023年8月7日 TwitterのロゴをXのロゴに変更してみた。

TwitterがXになって、アイコンも変わるということなので、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」のTwitterアイコンも、思い切ってXに変更してみた。

今までは、偶然、Facebook、Twitter、pixivが青系のロゴだったのが、Xが黒くなって、今のところ、まだ、見慣れない。でも、そのうち、このロゴにも見慣れてくるのだろうか。

SNSを駆使してみようと思って、いろいろとSNSを始めてみたものの、実はFacebookもTwitterも、更新はあんまりできていない。目標は頓挫していると言える。その代わりと言ってはなんだけど、「日々の雑記」だけは、坦々と、そして粛々と隔日更新を続けているのでご容赦願いたい。……本当は、SNSのネットワークを駆使するはずだったので、そんなんじゃ代替できないじゃんね。あっはっは。

  

2023年8月9日 YouTubeのナンバーワンはYouTuberであるべき

スパイダーメーンが日本最速でYouTubeの1,000万人登録を記念し、しかも覆面を取ったら、その正体がヴァンビだったということで話題になっている。寡聞にして、ボクはスパイダーメーンを知らなかった。どうやら、YouTube Shortのコンテンツだったらしい。ボクはYouTube Shortはほとんど見ない。元々、VineもTikTokも楽しさが分からなかったし、Facebookのリールですら煩わしいなと感じるボクだ。でも、ヴァンゆん時代のヴァンビを知っているボクからすると衝撃だったし、彼の凄まじい執念と底力を感じる出来事だった。

正直な話、ボクはヴァンゆんは最後、結ばれるのだと思っていた。カップルチャンネルの草分け的存在ではあるし、ビジネスカップルではあったけれど、多少なりとも相思相愛の関係なのだと思っていた。そうしたら、2021年12月の「ヴァンゆんチャンネル登録者250万人達成したら結婚する生配信!!」がまさかの250万人に届かず、スベりにスベって、想像を絶する大炎上となった。結婚という人生のイベントを企画にしたことも、式場まで押さえておいて結婚に至らなかったことも、何より、相方に何も伝えず、ドッキリのような形で企画を進行したことも、全てが批判に晒された。騒動後も、ゆんちゃんは健気に頑張っていたが、次第に再生数は落ちていき、メンバーを増員して、寸劇みたいな内容に方向転換し、やがてヴァンゆんは解散した。あのとき、誰もがヴァンビは終わったと認識していたと思う。

そんなヴァンビが、こうしてスパイダーメーンとして復活を果たした。登録者数1,000万人の日本最速記録を塗り替えた。彼の転落人生を知っていると、なかなかに胸アツの展開であるが、本家ヴァンビのチャンネルに足を運んで、ボクはさらに衝撃を受けた。

動画の中で、ヴァンビは、何故、スパイダーメーンという企画に挑戦したのか、その趣旨を説明していた。現在、YouTubeのチャンネル登録者ランキングの頂点に君臨するのはJunyaだ。登録者数2,710万人。大昔、Hikakinとはじめしゃちょーがナンバーワンとナンバーツーで競い合っていたときに、突如、キッズラインが現れて、二人を追い抜いて行ったところまでは、結構、話題になっていた。

その後、TikTok出身のJunyaが海外向けのYouTube Shortで大躍進して、あっという間に並み居る大物YouTuberたちを追い抜いてトップに躍り出た。海外向けの発信なので、Junyaそのものはあんまり日本での知名度は低く、YouTuberたちもライバル視していないのかもしれないが、それでも、日本のナンバーワンYouTuberはJunyaである。

ヴァンビは動画の中で、「日本のナンバーワン、登録者数1位のチャンネルがTikTokerなの。俺はそれが!ものすごく気に食わなかった。YouTubeのナンバーワンはYouTuberであるべきだってめちゃくちゃ思った」と説明する。そして、Junyaの登録者数1,000万人達成の最速記録を塗り替えた上で、ナンバーワンのYouTuberを目指すことを宣言した。

なるほど、ヴァンビを突き動かしていたのは、YouTuberとしての矜持だったのか。ちょっと感動するとともに、納得してしまったので、彼の動画をここに貼り付けて拡散しておこうと思う。

  

2023年8月11日 観たいものを観るし、読みたいものを読むし、聴きたいものを聴く。

8月9日の記事YouTubeのナンバーワンはYouTuberであるべきで、ヴァンビがスパイダーメーンだったという話をしたが、それに絡めて、Short動画についてボクの思うところを書いてみたい。

随分前から、若者たちの間でTikTokが流行っているのは知っている。それに押される格好で、YouTubeもYouTube Shortに力を入れている状況だって把握している。InstagramやFacebookでもリール動画が流れていることも知っている。

こういう短い動画は目を引く。パッと目の前に出されて、思わず見入ってしまうこともある。ボクの場合はFacebookとかで、よくそういう事態に陥る。そして、うっかりすると2つ目、3つ目と引き込まれそうになって、はたと我に返るなんてこともしばしばだ。

だから、こういう動画が、ものすごい訴求力を持っていて、意識が埋没してしまうこともよく分かる。うまいやり口だな、とも思う。

でも、積極的に自分からアクセスするかと言われると、そういうものではないような気がする。少なくとも、ボクの感覚からすれば、たまたま記事を見ているときに目の端に動画が入って、「ん? 何だろう、これ?」と引き込まれるような状況はあっても、自ら、「何か面白い動画はあるかな?」と探しに行くような類いのものではない。

電車やバスに乗っていると、若者だけではなくて、おじさんも含めて、スマホでわざわざTikTokのアプリを立ち上げて、自らアクセスして動画を楽しんでいる。そして、動画が終わればスワイプする。あるいは自動でスワイプされていく人もいる。実は、ボクにはこれが信じられない。何を見るかを閲覧者は能動的に選んでいないのだ。向こうが次々と投げつけてくる動画を「見る」か「飛ばす」の二択で選んでいる。

もちろん、見る見ないの選択をしていくプロセスの中で、AIが閲覧者の趣味嗜好に合わせてそれなりに適切な動画をチョイスしてくれているとは思う。実際、見ている人によって、流れてくる動画は全然、違う。でも、せめて可処分時間を楽しむ動画くらい、自分で選ぼうよ、と思ってしまう。

ボクは飛行機に乗るときだって、機内の映画はほとんど観ない。「観たい」と常々思っている映画がたまたまやっていれば、観ることはある。でも、たまたま機内で上映していたから観るという姿勢は、ボクは違うと思っている。ボクの場合、かねてより観たいと思って観れずに溜まっている映画はDVDで購入して、持参してパソコンで観る。積読で読めずにいる本を片っ端から機内に持ち込んで読む。ダウンロードしたものの落ち着いてゆっくり聞けなかった民族音楽のCDなんかを聴く。誰にとっても時間は有限なのだから、観たいものを観るし、読みたいものを読むし、聴きたいものを聴く。

そういう観点では、ぽん、と目の前にオススメされた動画を精査することなく、可処分時間を差し出すのは、どうなのかな、と思う。そういう意味では、Short動画の面白さは分かるんだけど、結局、時間の浪費で終わってしまうような気がして、ボクはネガティヴな印象を持っている。

  

2023年8月13日 ピーツピ・ジジジ

YouTube「ゆる言語学ラジオ」を日常的に楽しんでいるボクだが、遂には動物語に手を出したようで、シジュウカラ語について学ぼうという回が公開された。

シジュウカラ語で「ピーツピ」は《警戒せよ》、「ジジジ」は《集合せよ》という意味で、それぞれ別の語彙として、それぞれの場面で使われるらしい。たとえば、危険が迫っていれば、「ピーツピ」だけで単独で用いられるし、餌があるときに「ジジジ」と鳴いて仲間を集めることもあるらしい。

その上で、シジュウカラ語には「ピーツピ・ジジジ」という複合語もあって、これは「敵がいるので隊列を組んで威嚇行動をとれ」という意味になるらしい。シジュウカラたちが集まって、隊列を組んで、高速で羽ばたいて、モズなどの敵を威嚇するらしい。

「ピーツピ」と「ジジジ」を録音して、モズのような鳥の模型を用意して、「ピーツピ・ジジジ」と音声を流すと、威嚇行動をとる。しかし、「ジジジ・ピーツピ」の順番だと、シジュウカラは威嚇行動をとらないのだという。つまり、語順がとても大事ということだ。

シジュウカラがシジュウカラ語を話すように、シジュウカラの仲間のコガラという鳥も、コガラ語があって、《集合せよ》は「ディーディーディー」という鳴き声なのだという。そして、シジュウカラとコガラは、ときに「混群」と言って、一緒に群れをつくって行動をするらしく、シジュウカラたちは、コガラ語もちゃんと理解して、連携しているのだという。

ルー大柴のルー語(寝耳にwaterや藪からstickなど)に着想を得て、試しにシジュウカラの「ピーツピ」とコガラの「ディーディーディー」を組み合わせて、「ピーツピ・ディーディーディー」と流してみると、シジュウカラたちはちゃんと威嚇行動に移ったという。つまり、シジュウカラはルー語のような日本語と英語を組み合わせた造語(この場合、シジュウカラ語とコガラ語の組み合わせ)をちゃんと理解できるということになる。

そんなわけで、動物言語学という新しい学問が出来上がったという話である。面白いので、是非、ご視聴あれ。

  

2023年8月15日 日出づる処より

最近、定期的にお気に入りのミュージシャン(主にガールズバンドが多いけど)を紹介していて、実は今日は、別のミュージシャンを紹介しようと思って記事を準備していたところだった。でも、YouTubeのオススメでEast Of Edenというバンドがポップアップされて、あまりの格好よさに痺れてしまって、急遽、記事を変更することにした。

シンフォニックロックとかゴシックロックみたいな路線だと、バンドにヴァイオリニストを加えるという着想はあって、実際にそういう編成のロックバンドもある。East Of Edenの場合、主宰しているのがヴァイオリニストAyasa氏だから、比較的、ヴァイオリンが中心の編成になっている。ボクの彼女のイメージはヲタリストAyasaだ。アニメの主題歌もそうなんだけど、ボカロ楽曲をヴァイオリンで弾いている人という印象がある。wowaka氏の「裏表ラバーズ」をヴァイオリンで見事に弾いていたのが印象的だったし、Yoasobiの「怪物」のアレンジもよかった。最近だと、ストピのハラミちゃんとコラボして「千本桜」を演っていた。

そんなAyasa氏が、世界に打って出るために集めたメンバーらしい。ベースがわかざえもんというところも、正直、驚いた。マキシマムザホルモンのフランチャイズ企画で活躍していたから、忙しいだろうに。他のメンバーたちも、ボクは知らなかったけれど、実績のある人たちらしい。

目立ちたがり屋のAyasa氏なので、ヴァイオリンだけが目立つ構成なのかと思ったら、中盤、ギターが動き出す辺りから、ギタリストも技巧派であることが分かってくる。そして、ヴァイオリンとギターが激しい競演を繰り広げる。それがとても格好いい。ヴォーカルも、アイドル出身らしいが、尖った声で魅力的。ドラムも荒々しい感じでGood。いずれにしても、5人が5人とも主張していて、それでいてちゃんと溶け合っているから、今後の活動に期待である。

  

2023年8月17日 クトゥルフ神話のデザインって凄いよね?

ウェブサイト「ファンタジィ事典」でクトゥルフ神話の項目を粛々と更新している。文章でいろいろと怪物の容姿を描写してみるものの、いまいちイメージが湧かない。たとえば、「古のもの」だと、樽のような胴体、球根状の首、ヒトデ状の頭部、その先端に目玉、首からは長い触手、その先端には口、胴体からはウミユリ状の触手と畳める翼、球根状の脚もヒトデ状……などと描写されてもイマイチよく分からない。

だから、描いてみた。どうだろうか。