2023年5月31日 バナナはおやつは入りますか?
息子のツクル氏が学校のイベントで、1泊2日の宿泊体験に行く。その準備を手伝っていたら、しおりの持ち物に「おやつ」が書いていない。「おやつはないの?」と聞いたら「そんなのないよ」と言われた。ないらしい。時代だろうか。「遠足にはおやつでしょ?」と言ったら、キョトンとされてしまった。やおら、「遠足じゃないから。宿泊体験だから」とツクル氏。「え? 宿泊体験だって遠足でしょ?」とボク。そうしたら「違うよ。遠足は泊まらないでしょ。ボクたちは一泊するんだよ?」と笑われた。えー、そうなの? 一泊したら「遠足」じゃないの?
そこで、我が家の辞書で調べてみる。まずは愛すべき「新明解国語辞典」より。
えん そく0⃣ヱンー【遠足】ーする(自サ)〔見学・運動などのため〕教員が児童・生徒を引率して、交通機関をなるべく利用しないで遠くへ行くこと。
となっている。「交通機関をなるべく利用しないで」とわざわざ書いてある。続いて「三省堂国語辞典」より。
えん そく[遠足]《名・自サ》〔見学・運動のため〕<歩いて/日帰りで>遠くへ行くこと。
なるほど、こちらも「歩いて」という点が強調されているので、新明解くんの「交通機関をなるべく利用しないで」とニュアンスは近い。そして「日帰りで」というのも明記してある。うーん。
それならば、みんな大好き「広辞苑」ではどうか。
えん-そく ヱン‥【遠足】①遠い道のりを歩くこと。また、日帰りできるくらいの行程を歩くこと。誹風柳多留49「―の達者二人で六郎兵へ」。福沢諭吉、福翁百話「強壮に誇る若紳士の仲間には、游泳競漕―等の大挙動なきに非ざれども」②学校で、見学・運動などを目的として行う日帰りの校外指導。<[季]春>
やはり「足」がつくだけあって、「歩く」という点が大事らしい。「日帰り」とも書いてある。そして、春の季語であるらしい(笑)。なるほど。
以上から、ツクル氏が正しいことが分かった。遠足はあくまでも「歩いていく」ことが原義であって、日帰りの範疇でやるものらしい。だからって「おやつ」はないわけじゃないと思うのだけれど……。さてはて。
2023年6月2日 隔日キャンペーンから2か月
「日々の雑記」の隔日キャンペーンを始めて2か月が経った。正直、インターバルは3日でもいいかな、と思う日がなかったわけではない。息切れした日もあった。それでも、書きたいことがたくさんあって言葉が溢れてくるようなときには、隔日がまだるっこしくて、毎日でも書きたいと思ったときもあった。その意味では、今のペースでちょうどいいのかもしれない。少なくとも、継続することが不可能なペース配分ではなかった。だから、もう少しだけ、このペースで続けてみようと思う。
「書きたいときに書く」というのが、本来は正解なんだと思う。でも、人間はサボってしまうので「書きたいときに書く」では続かない。一方で「毎日書く」では、何だか義務的になって苦しくなる。ちょうどいいペースを模索するのが大事だと思う。多分、もう少しペースを落として、神話・伝承に特化したネタで書くのが一番いいのだ。それがライターというものだと思うんだけど、でも、趣味でやっているウェブサイトなので、とりあえずはもう少しだけ、こんな感じでやっていこうと思っている。
2023年6月4日 LEDドームのプラネタリウム
コニカミノルタプラネタリアYOKOHAMAに行った。2022年3月24日にオープンしたプラネタリウムで、LEDドームシステムを導入している。投影機で映すのではなく、ドーム型のモニタに映像を映している。だから、館内の真ん中に、プラネタリウムで見慣れている、あの映写機がない。映像はとてもキレイだ。CGが全天を覆っていて、映像に包み込まれるようだ。没入感という表現が使われているが、まさにそんな感覚。映像が動くたびに、地面は固定されているのに、動いているような錯覚に囚われた。
上映内容は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だった。元々の話が難解だったのもあるが、KAGAYA氏の脚本も難解で、とても難解だった(語彙力……)。ちなみに、中野京子氏の「怖い絵×プラネタリウム」の上映もあるらしい。基本的には、あんまり子供向けではないのかもしれない。絢香などのアーティストの歌を聴きながらゆったりと満点の星空を眺めるというのもあって、そういうのもリラックスできてよいのかもしれない。
そんなことよりも、併設されているカフェにボクは満足してしまった。ギャラクシードーナツやブループラネットアイスクリーム、星の標本箱、そして光るボトルのブルーレモネードなど、宇宙っぽい世界観で、価格は高いんだけど、大量に買い込んで映えを目指してみた(笑)。
2023年6月6日 子供の読書体験
子供に読書をさせようと、ここ数年、隔週で図書館に通っている。ズッコケ三人組シリーズ、マガーク探偵団シリーズ、そして名探偵夢水清志郎事件ノートシリーズなど、ボクが子供の頃に夢中になっている本も、ようやくツクル氏は読める年齢になった。本棚からクレヨン王国シリーズとかナルニア国物語シリーズなんかも引っ張り出してきて、選り取り見取りでリビングに置いてある。結構、黙々と読んでくれるので、よいことである。
一方で、与えられるばかりで、自分で図書室から借りてこなくなった。自分で選ぶというのも楽しいものなので、その辺はよくよく議論だな、と感じている。でも、学童に行くとたくさんの漫画があるらしく、そこで漫画を読んでいるので、それもまた、本を読まなくなる原因だな、とも思っている。まあ、漫画も日本の誇るべき文化なので、是非是非、満喫してもらいたいが、にゃんこ大戦争のギャグマンガとか、そういうのが好みらしいので、まあ、人それぞれだ。
2023年6月8日 自分のウェブサイトを分析中。
4月の頭くらいに新しいパソコンを調達したんだけど、バタバタしていて、セットアップがいろいろと追いつかず、このたび、ようやく腰を据えて対応した。IllustratorやPhotoshopをインストールした。Google Chromeでログインしてお気に入りを移し替えたし、SNSも全てちゃんとログインをできるようにした。そして、ようやくGoogleのSearch ConsoleやAnalyticsを新しいパソコンでも見られるように設定した。
ずっと低空飛行だったウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」だったんだけど、4月に日々の雑記の隔日キャンペーンを始めてから、アクセス数が緩やかに右肩上がりだ。こういう雑記にも、一定の効果があるのだろうか。更新頻度もSEOのひとつのファクタになるので、そういう要素で、Google先生なんかが反応してくれているのかもしれない。
被リンクがたくさんあるページは、ボクが真摯に書いた記事であることも、改めて確認できた。例えば、ゴブリンやノーム、アーヴァンクなんかが評判がいいので、こういう記事を増やしていけばいいのだと再認識した。最近、少しだけ原点回帰して記事を書いているので、そういう意味では、この頃の感覚に近いイメージで執筆できているので、希望が見いだせた。
逆に、最近、力を入れていた南米の妖怪やミャンマーの妖怪は全然、かすっていない。フィリピンの妖怪も、あんまり見られていない。まあ、そりゃあそうか。でも、これはこれで、ボクが好きでやっていることなので、続けていこうかな、と思っている。実は、こういうマイナな妖怪こそ、絵にして提示して、知名度を上げていこうかな。今のところはそんなことを考えている。その名も、マニアックさをイラストで乗り越えていこう作戦であるが、さてはて。
2023年6月10日 アスワン・プロジェクト
昔から犬のクンクン by 河村賢一というウェブサイトがあって、フィリピン在住の管理人が、日本語でフィリピン文化やフィリピン情報を発信してくれていた。そこにかなり詳細に「フィリピンの妖怪」がエンタメたっぷりにまとめられていた。ボクは結構、フィリピンの妖怪に関しては、そこの情報を最初の足掛かりにして、その後、英語やタガログ語で調べてみて、情報を拾ってまとめていた。
最近、また面白いことがしたいなー、と思って、改めて「フィリピンの妖怪」を整理しようと思い立った。何しろ、ボクは2014年から2016年までに、8回もお仕事でフィリピンに行っていたのだ。フィリピンの雰囲気はよく分かる。あの国を跋扈する妖怪たちは、容易に想像ができる。それでもう一度、フィリピンの妖怪を調査し始めたら、「The Aswang Project」というウェブサイトを発見した。YouTubeもある。結構、細かくフィリピンの伝承上の妖怪たちを調査して、まとめてくれている。特にA Compendium of Creatures from Philippine Folklore & Mythology(フィリピンの神話・伝承の生き物の概要)というページがいい。
単純に「ああ、これは凄いウェブサイトだ」と思った。こういう伝承の類の妖怪は収集が要だ。日本でも、その昔、民俗学で柳田國男などの先人たちが足を使ってフィールドワークをして、妖怪や怪異の情報を収集してくれた。だから、日本は妖怪の情報が豊富にある。今はオンラインの時代だ。フィリピンでは、こうして「The Aswang Project」が始動して、オンライン上にフィリピン各地の情報を集めることができたら、ものすごい価値のあるサイトになる。まだ辞書っぽい印象もあって、解説としては物足りない側面もあるんだけど、妖怪に関わる固有名詞を大量に集めてくれているのは素敵だ。しかも知名度のある妖怪は、分析記事に書いているライタもいて、そこにリンクが貼られていたりする。YouTubeなんかでも仰々しく情報発信していて面白い。
日本では、あんまりフィリピンの妖怪って知られていないけれど、こういうプラットフォームがフィリピンに出来ているのなら、日本にフィリピンの妖怪を紹介するのも一興だなあ、と思った。しかも、YouTubeの英語を聞いていても、ちゃんと聞き取れるくらいにはボクの英語も上達している(笑)。
そんなわけで、引き続き、今年はミャンマーの37柱の精霊ナッも更新は続けつつ、一方でフィリピンの妖怪もフォローして、こういうマイナな妖怪に関しては、絵も添えて、イメージを強く喚起していく方向で進めてみようかな、と思っている。
2023年6月12日 我が家で「こねこばくはつ」がウケた!!
実はあんまり「日々の雑記」で取り上げたことはないが、昔からボクはボドゲが好きだ。YouTubeでボドゲを紹介するチャンネルをよく見るし、面白そうなボドゲだなと思ったら、密かに買ってコレクションしている。
そんな中で、息子のツクル氏と楽しめそうだと思って、最近、家族にお披露目したのが、「こねこばくはつ」だ。「こねこばくはつ」は、実は海外ではメチャクチャ、バズっていて、続編が次々に作られている。現時点では、日本では「こねこばくはつ」と「こねこばくはつ 品性下劣版」と「こねこばくしゅく」の3つが日本語に翻訳されて発売されている。
基本的には、山札の中にある「こねこばくはつ」を引いて、こねこを爆発させてしまった人が負けというロシアンゲーム的な運ゲームなんだけど、でも、「爆弾処理」とか「未来予知」、「スキップ」、「シャッフル」などのカードを駆使して、如何に他の人に「こねこばくはつ」を引かせるかを試行錯誤するゲームだ。
ルールも単純で、小学4年生の息子でも楽しめるので、いい。家族で、親戚で、大盛り上がりである。
……と、たまにはボドゲの話をしてもよいかな、と思っている。ふふふ。
2023年6月14日 ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー
5月に映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を息子のツクル氏と一緒に観に行った。単純に面白かった。マリオの世界観が映画で再現されていて、それだけで胸がいっぱいになる。しかも、我らがNintendoのマリオが世界に打って出ている。世界中をマリオの映画が席巻している。それだけで誇らしくて胸アツで、涙が溢れた。その一方で、いくばくかの悔しさもあった。どうして、日本が誇るスーパーマリオの映画が日本の映画製作・配給会社じゃなくて、アメリカのユニバーサル・ピクチャーズなんだろう。アニメーション製作がイルミネーションなんだろう。本当は、日本の映画会社やアニメ会社にもっと頑張って欲しかった。本音で言えば、日本発信でやって欲しかった。日本のエンタメに頑張って欲しかった。
正直、映画の中身もそうなんだけど、映画が始まる前のNintendoの広告に胸を打たれた。どうも、これは今回の映画用につくった広告らしく、いろんな世代の人がマリオをプレイしている様子が描かれている。そのひとつひとつのゲームで遊ぶ人々のリアクションが面白いし、自分と重ね合わせて共感もできる。それに、マリオが、実にいろんなジャンルのゲームを出しているということがよく分かる。横スクロールの、いわゆるマリオブラザーズだけではなくって、マリオカートやマリオパーティ、マリオ3Dなど、いろんな形に水平展開されているのが短時間でよくまとまった広告で、とても興味深く視聴した。
映画も面白くって、ドンキーコングの世界や、ルイージマンションの世界、マリオカートの世界など、追体験できるようになっている。面白かったのは、マリオカートの世界だ。甲羅やバナナの皮を投げて相手をクラッシュさせるシーンもあれば、1位のプレイヤー目掛けて追い掛けてくる青甲羅(トゲゾー)が出てきたときには、もう、それだけで笑ってしまった。
音楽も近藤浩治氏の楽曲がアレンジされて流れるので、それだけで感極まるものがある。ブルーレイが出たら、絶対に購入して、家でもう一度、観るぞ!!って思うくらいよかった(語彙力……)。
2023年6月16日 そもそもアリエルはデンマーク人が演じるべきでは!?
ポリコレが叫ばれる昨今である。Political Correctness(ポリティカル・コレクトネス)《政治的正しさ》という意味で、特定のグループを差別したり、誤解を招いたりしないように、中立的な表現をすることが社会的に求められている。でも、近年、ポリコレを前面に押し出して、それとは真逆の、ある種のマイノリティの側だけの立場に立った主張をする文化が横行している気がする。それはそれで中立ではないと思う。
少し前に話題になったのは、実写『リトル・マーメイド』だ。主人公のアリエルにハリー・ベイリーが起用されて、色んな意味で話題になっている。ボクは黒人起用を批判するつもりもないし、歌唱力で人選するディズニーの方針も、それはそれでよいとは思う。でも、たとえば、日本の時代劇で、芝居が上手というだけで白人や黒人が起用されてチャンバラを始めたら、それはそれで見ていて違和感があるし、気になってしまう。
そもそものディズニーの『リトル・マーメイド』は、アンデルセン童話の『人魚姫』を下書きにしている。『人魚姫』は1837年にデンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセンが発表した童話で、英語の『リトル・マーメイド』の名前でよく知られているが、本来、デンマーク語では『Den lille Havfrue(デン・リレ・ハウフル)』である。havfrue(ハウフル)はデンマーク語で《海の女》という意味で、人魚のことを指している。つまり、リトル・マーメイドの主人公は、デンマーク伝承に登場する人魚の妖怪ハウフルなのである。
当然、デンマーク伝承のハウフルは、昔のデンマーク人が想像した妖怪なので、当時のデンマーク人の肌の色で想像される。それは変なことではない。日本伝承の人魚の神社姫の頭が日本人女性で想像されるのと同じだ。だから、デンマーク伝承に根差した『リトル・マーメイド』の人魚アリエルが、デンマーク人っぽい風貌であることには妥当性がある。
だから、いくらポリコレと言っても、白人が演じることに妥当性があるキャラクターまで、黒人に置き換える必要はない。逆に言えば、それは逆差別だ。白人の枠を奪うことになるし、より一層、黒人と白人の断絶というのか対立を強める結果になりそうだ。
ディズニーのプリンセスが黒人であることは、これまで差別されてきた黒人たちへのエールになるという主張もよく分かる。でも、仮にそうであるならば、真っ正面から新しい黒人プリンセスの物語を作ればいいのである。何なら、黒人たちの間に昔から伝わる面白い昔話を発掘した方が、彼らの文化や歴史を掘り起こすことになって、大きな意味があるような気がする。
2023年6月18日 親子連弾!?
息子のツクル氏には小さい頃からピアノを習わせている。9月にピアノの発表会があるらしく、候補の3曲の楽譜を持って帰ってきた。「どれにする?」と訊くので、「気に入ったのでいいんじゃない?」と答えたら、「連弾なんだよね、親子の」と衝撃の発言。な、何だとーッ!? 親子連弾? 誰と誰が? 母と子が? 父と子が? 尋ねると「まあ、どっちでもいいんだけど、取り敢えず最初にパパに訊いてみている」と回答されてしまった。「パパ、この間、マリオの曲、上手に弾いていたから、先生に大丈夫ですって言っておいた」と追い打ちをかけられる。
結局、YouTubeで候補曲3つを聴かせて、ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」が選ばれた。……というわけで、今、夜な夜な、一所懸命、練習中である。
2023年6月20日 強いピーチ姫って本当に必要!?
映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」について大絶賛のコメントをしたが、1点、ポリコレだと感じたのは、ピーチ姫の取り扱いである。そんな想いもあって、事前に、全体を通した映画の感想(ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー)と、ディズニーのポリコレの記事(そもそもアリエルはデンマーク人が演じるべきでは!?)を先に投稿しておいた。
マリオとピーチ姫の関係は、しばしば、ペルセウス=アンドロメダ型と称される。要するに、囚われのお姫さまを英雄が助け出すという典型的な構図で、ギリシア神話の英雄ペルセウス、アンドロメダ姫、そして怪物ケートスの図式が、そのまんま、マリオ、ピーチ、クッパに対応しているわけだ。クッパは退治され、ピーチ姫は救出され、マリオは英雄として讃えられる。この構図が非常に古臭いわけだけど、でも、そういう構図の物語になっている。
でも、今回の映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」では、ピーチ姫は、マリオと戦う強い女性に修正されている。キノコ王国の危機に自ら立ち上がり、王国を救うべく冒険に繰り出す。こういうのは、ある種のポリコレの押し付けだと思う。女性が助けを待つだけの弱い存在である必要はないが、そういうか弱い女性がいたっていいのだ。それを敢えてキャラクタを変更して、強いピーチ姫像を描こうとしたのは、やっぱりその背後にポリコレ意識が見え隠れする。それが透けて見えてしまった時点で、物語の世界に入り込めないので、失敗だと思う。
そして、その癖、たくさんの人質を前に、ピーチ姫は結局、クッパに屈服して、結婚を承諾し、最後にマリオに救出される。最終的には、ペルセウス=アンドロメダ型の構図の中に落とし込まれてしまって、何のこっちゃ、と思ってしまう。そこだけが、唯一、この映画に対して不満を持ったところである。
2023年6月22日 中田敦彦が逃げたのか、松本人志が逃したのか!?
ちょっと前まで、中田敦彦氏が巷を賑わせていた。少しだけその熱狂も落ち着いてきたので、ボクの思ったことを書こうと思う。
基本的には、今回の中田敦彦氏の発言は無礼である。先輩に盾突いたのだから、当然、無礼なやつだと批判されるのは、ボクは致し方ないと思う。芸能界に限らず、どんな業界でも、立場のある人に噛みつくのは、基本的には無礼である。だから、ボクはビックリした。折角、教育系Youtuberとして優秀でやり手というブランディングしてきたのに「無礼」という色がつくのは、あんまり得策ではないし、それで離れてしまうファンもいるだろうな、と想像する。
ただ、実はボクの論点はそこではない。その後の各方面の反応が、ボクとしてはとても面白かった。ボク個人は、世代間の大きな分断を感じた。年配の世代はあっちゃんの動画に大真面目に向き合って、必要以上に松ちゃんを擁護し、あっちゃんに批判的なコメントを出した。一方で、比較的若い世代は、これは盛り上がるぞとばかりにネタにして、どんどんエンタメ化していった。この世代間の分断をどう捉えるかで、将来的なメディアの捉え方が変わるのではないかと思う。
SNSが浸透して、個人で思ったことをどんどん発信できる時代になった。そうすると、正直であること(あるいは正直であると見せかけること)が求められる。建前と本音でいうところの「本音」の部分を、みんな、聞きたがるわけだ。今までだったら、作りこまれた芸能人でよかったが、今は素の自分(あるいは素っぽく見せた自分)で勝負する時代になる。だけど、ブランディングが大事だから、本当のところは本音を言ってはいけない。ファンが喜ぶこと、求めていることを嗅ぎ取って、それっぽく言わなきゃいけない。若者たちは、そういう発信方法にとても慣れている。
もうひとつは、瞬発力だ。何かが起こったときに即座に反応する速さみたいなものも求められている。旬の話題に飛びついて、そこに乗っかって集客する方法を、若者たちは理解している。だから、あっちゃんの提言動画があがった瞬間に、若い世代は、どうやってこれをいじって再生数を稼ぐかを瞬間的に考え、企画して、実行したはずだ。それがSNS時代のエンタメの形だ。一方、年配の世代は大真面目に論じて、中田批判をした。
松ちゃんがTwitterで「テレビとかYouTubeとか関係なく2人だけで話せばいいじゃん 連絡待ってる!」と呟いて、年配の人たちは「松ちゃんがあっちゃんに反応してあげて優しい」的な評価を下し、一方でその申し出に応じないあっちゃんを「逃げた」と分析する。でも、SNS時代のエンタメの文脈で言えば「おいしいネタが振られたのだから、松ちゃんはこれをどう料理するのかな(ワクワク)」という反応が日常であり、多分、正解は「テレビでもYouTubeでもどっちでもいいから一度、対談しようぜ 連絡待ってる!」だったのではないか。もしテレビで直接対決みたいな形になったら盛り上がる。SNS時代のエンタメの文脈で言えば、松ちゃんがおいしいネタを「逃した」とも評価できる。だからこそ、あっちゃんは「あー、ノッてこないか。まあ、そりゃそうか」という冷めた気持ちなのだと思う。
決して、若者が良いとか年配が悪いという議論ではない。単なる文化の断絶だと思う。そして、よくも悪くもテレビとスマホというメディアの分断とも重なる。ボクはもうテレビを見ない。YouTubeに可処分時間を投入している。SNS時代の文脈から眺めると、松ちゃんがノッてこなかったことが残念に感じられ、時代を感じてしまうのだけれど、どうなんだろうか。
2023年6月24日 クリューサーオールが大人気!!
最近、「日々の雑記」を隔日で投稿しているが、それだけではなく、「ファンタジィ事典」も頻繁に更新しているつもりだ。学生の頃の情熱を取り戻している。そんなわけで、今までは更新だけ更新して更新しっ放しにしていたボクだけど、ちゃんとサイトを分析すべく、Googleアナリティクスを見たり、Google Search Consoleをチェックしたりしている。
今週になって、急にクリューサーオールの検索数とクリック数が増加した。クリューサーオールはギリシア・ローマ神話で、ペルセウスがメドゥーサの首を斬ったときに。その首からペーガソスとともに飛び出してきた怪物で、黄金の剣を持って生まれたと記述されている。そして、怪物ゲーリュオーンの父親となった。古代ギリシアの文献では、それだけしか記述がない非常にマイナなよく分からない怪物だ。それなのに、ここ数日で20~30件、閲覧されている。何故だろう。何かクリューサーオールが登場するゲームやアニメがあったのだろうか……。誰か、テル・ミー。
2023年6月26日 プチブロックに幻獣シリーズが!!
プチブロックに幻獣シリーズが出ていたらしい。調べてみると、去年の5月頃からダイソーで売られていたみたい。息子のツクル氏が見つけて欲しがったので、彼の分と自分の分とを買ってきた。現時点で4種類出ているみたいだけれど、1つ目は「ドラゴン」だ。早速、組み立ててみた。
赤い色のドラゴンで、タイプとしてはワイヴァーンの仲間っぽいデザインだ。脚が2つに翼が2枚。頭部からは2つの角が生えている。また、鼻のところからも1本、角が生えている。
首と翼、脚、尻尾の部分に駆動部があって比較的、自由に動く。尻尾も3か所で左右に曲げることができるし、脚の爪も広げることができる。目は青い透明パーツで、翼のところにはオレンジの透明パーツも使われている。よく出来ているなーと思った。
2023年6月28日 こねこばくしゅく!!
6月12日に「我が家で「こねこばくはつ」がウケた!!」という記事を書いた。そろそろ「こねこばくしゅく」についての記事を書こうかな、と思っていた。そして「爆縮」なんて言葉、使わないだろう、と一笑に付そうと思っていた矢先に、アメリカの潜水艦が行方不明になって、ニュースで「爆縮」という言葉を使っていた。一般に使う言葉だったのかと思ってビックリした。
「こねこばくはつ」の英語は「Exploding kittens」である。そして、続く「こねこばくしゅく」は「Imploding kittens」である。何となく、Ex-とIm-は対になっている感じがして、続編の感じがして、なるほどな、と思わせる。それが日本語になると「ばくはつ」と「ばくしゅく」なのである。
「こねこばくしゅく」は「こねこばくはつ」の拡張セットだ。だから「こねこばくはつ」を持っていないとゲームができない。「こねこばくはつ」では「こねこばくはつ」カードを引いたときに「爆弾処理」カードがあれば爆発を回避できたが、新たに加わった「こねこばくしゅく」カードは「爆弾処理」カードでは回避できない。山札の中に表向きになって紛れ込むので、「爆弾処理」以外の方法で回避しなければならない。また、従来の「アタック」「いいね」「ダメ!」「シャッフル」「スキップ」「未来予知」「ねこ」の既存カードに、新たに「リバース」「下から引く」「別の未来」「照準アタック」「やせいのねこ」が加わって、さらにいろんなアクションが選択できるようになっている。
こういう風に、新しいカードを追加して、ルールを複雑にしていけるのは、トレカっぽい感じで楽しいと思う。他の拡張セットもあるので、どんどん日本語に翻訳されればいいのになあ。
2023年6月30日 プチブロック幻獣シリーズの2つ目
ダイソーのプチブロックの幻獣シリーズの2つ目はユニコーンだ。
元々の一角獣の起源は古代ギリシアやローマで、たくさんの著述家が「モノケロース」とか「ウーニコルニス」などと言及しているが、これらは「インドサイ」のイメージを踏襲している。プチブロックのデザインは、中世のキリスト教時代のものだ。白馬としてのユニコーンがデザインされている。
このプチブロックのユニコーンもよく出来ていて、頭、首、四肢、尻尾の部分に駆動部があって、ある程度、自由に動く。四肢の関節部分も1か所、曲げられるようになっているので、色々なポーズをとらせることができる。たてがみや尻尾が青い透明ブロックになっているのも格好いい。
ちなみに、中世ヨーロッパの『フィシオロゴス』では、別に毛が青いわけではない。白馬の場合には、真っ白い毛並みであるし、実は古いものでは、茶色っぽいウマだったりする場合もある。
2023年7月2日 フィリピンは多民族国家であり、土着の精霊信仰がある。
ウェブサイト「ファンタジィ事典」ではここのところフィリピン伝承を整理しているところなので、頭の整理も兼ねて、少しだけフィリピンについてまとめておこうと思う。
フィリピンと言えば、英語ネイティブで熱心なカトリック教徒の国というイメージがある。厳格なカトリックなので、法律上、離婚制度がないというのも有名な話だ。でも、実際にはフィリピンは7,000もの島々からなる多民族国家で、180以上の民族が暮らしていて、それぞれに言語もたくさんある。
フィリピンは、オランダやアメリカに植民地支配され、一時は日本にも統治された歴史を持つが、そんな歴史の中で、独立運動の中心になったのがタガログ族だった。ルソン島を中心に暮らしていて、現在、公用語になっているフィリピン語は、タガログ語を標準化したものである。セブを中心としたヴィサヤ諸島にはヴィサヤ族が暮らしていて、セブアノ語を話す。ミンダナオ島の西部やスールー諸島では、ムスリムが暮らしている。歴史的には、インドネシアやマレーシアからイスラームが流入し、15世紀や16世紀にはフィリピンにスールー王国やマギンダナオ王国などのイスラーム国家が成立している。スールー諸島やマギンダナオに点在するこれらのイスラームの民族はモロ族と呼ばれている。その他、ルソン島の山岳部などに多数の少数民族がいて、現在でも独自の文化を残している。
実際、ボクは2014年に仕事でフィリピンに行った。そのときには、サンボアンガはイスラーム過激派の拠点になっていて、ミンダナオ島は護衛警官と一緒じゃなきゃ町中を歩けなかった。また、ルソン島の山岳民族が信じる先祖霊「アニト」とされる木製の人形がたくさん売っていた(後から調べたところ、必ずしもアニトはルソン島の少数民族だけに伝わるものではなくて、フィリピン全土で信仰されていた土着の精霊信仰のようだけれど)。
それぞれの民族には、それぞれの神話があったようで、たとえば、タガログ族では、バタラと呼ばれる創造神が最高神だとされる。ヴィサヤ族ではカプタンと呼ばれる天空神が最高神だ。その他、たとえばイフガオ族であればカブニアン神、ティンギアン族であればバガトゥラヤン神、ガダン族であればナノライ神、ヒリガイノン族であればラオン神が最高神であるらしい。当然、それぞれの民族は互いに影響を与えながらも、それぞれ独自の神さまと神話を持っていたらしい。その辺の詳細は、追々調査していかなきゃいけないなあ。
2023年7月4日 都市伝説は「偏見」や「差別」の温床だ
ウェブサイト「ファンタジィ事典」は「世界各地の神話や伝承の事典。古代の神話から都市伝説やUMA(未確認動物)まで」をモットーに「ファンタジィ」に関する言葉を事典形式で整理していくウェブサイトだ。そのように「ファンタジィ事典」のトップページに標榜している。けれども、実のところ、あんまり「都市伝説」にはタッチしてこなかった。これは偏に「偏見」とか「差別」みたいなところに触れていくので、少しだけ怖さがあったからだ。
たとえば、牛女という妖怪は、屠場の娘という設定になっていて、明らかに「屠殺」に対する差別意識に根差している。つまり、牛を殺している家だから、牛の頭がついた女の子が生まれてもおかしくはない、という気持ちが含まれている。エイズ・メアリーなんて、そのままズバリ、エイズという病気を相手にしているので、非常にセンシティブだ。「性行為を介して意図的にエイズをばら撒く女性」というイメージなので、エイズ=性的放蕩という前時代的なイメージがあって、ものすごく取り扱いが難しいし、そういうのを「ファンタジィ」だと取り扱ってしまうのは、やっぱり、どこか後ろめたさがある。でも、結局のところ、エイズ・メアリーは妖怪なのだ。本当は存在しないのに、何だかリアリティがあって、怖くなって信じてしまう。そこに「ファンタジィ」の「ファンタジィ」たる所以がある。難しいのは、このエイズ・メアリーとかエイズ・ハリーとかは80年代後半に生まれた都市伝説だが、後になって、実在の事件が発覚してしまう。少なくとも、90年代後半に、Darnell McGeeやNushawn Williamsなどの複数の男性が、意図的にエイズを蔓延させた罪で逮捕されているし、1998年にはPamela Wiserという女性も同様の罪で逮捕されている。つまり、嘘から出た実ということになる。
ボクなんかは、マラウイに行ったときに、まさに「吸血鬼」の幻想と遭遇した。マラウイの田舎で、吸血鬼だと疑われる人が次々と村人たちに火をつけられて殺された。JICAは「吸血鬼」と呼んで、我々に避難を呼びかけていたが、実は現地ではBlood Sucker(ブラッド・サッカー)と呼んでいて、曰く、「最近、外国人と仲良くなって急に羽振りがよくなったあいつは、俺たちから血液を採取して、外国人に高額で売って儲けたんじゃないか」ということなのだ。まさに腎臓ドロボーの都市伝説に近くって、決して、ドラキュラ的なものを想像してはいけない。ああいうのも、本気でマラウイ人の田舎の人たちは信じて、暴徒と化したわけだから、笑いごとではない。
ミャンマー伝承をまとめていると、ハンセン病やくる病などへの恐れを表現した精霊たちがいて、こういうのをちゃんとまとめていくと、ああ、どちらにしても「偏見」や「差別」からは逃げられないな、と感じているところだ。だから、もう諦めて、そしてある程度は覚悟して、ここのところ、まとめて都市伝説を投稿している。
2023年7月6日 プチブロック幻獣シリーズの3つ目は……
プチブロック幻獣シリーズの3つ目はフェニックスである。
フェニックスは古代ギリシアで信じられた「不死鳥」で、500年生きると火の中に飛び込んで死に、その後、復活する。
プチブロックでは、尻尾、翼、首などの部分に駆動部があって、いろいろなポーズが取れる。羽根の部分には金色のブロック、オレンジ・黄色などの透明ブロックが使われていて、非常にカラフルで格好いい。透明のブロックで台座が作られているので、駆動部を使って、いろんな空を飛んでいるポーズをさせることができるのが素敵だ。
中央に何か所か青い透明ブロックが使われているが、小学4年生の息子のツクル氏は「青いということはこの真ん中の部分は一番熱いということだよ」などとしたり顔で説明してくる。
2023年7月8日 5人の声でゼルダの伝説!!
MayTreeは韓国のアカペラ・グループだ。アカペラというか、もはや声帯模写の域に近づいている。Windowsの起動音とか、iPhoneのアプリの音なんかを真似させても凄いし、驚いたのは『Temple Run』というゲームの声真似。このゲーム自体はやったことも見たこともないが、あまりの出来栄えに見入ってしまった。
そんなMayTreeが、最近、ゼルダの最新楽曲をアカペラで歌い上げている。もう、ね。二胡の真似なんか似すぎていて笑ってしまう。ゼルダのメインテーマを5人の声だけでやってしまおうというのだから、もう脱帽だ。
そんなこんなで、是非、MayTreeにどっぷりとハマってみて欲しい。