《日々の雑記》
2024年7月10日 ベトナムの妖怪!?
ベトナムの妖怪について調べていたら『MA QUỶ DÂN GIAN KÝ』という本が出版されていることを知る。これ、ベトナムの本なので、当然、ベトナム語だし、ベトナム国内で流通しているものなので、日本では手に入らないんだと思う。でも、とても興味がある。人づてにうまく手に入らないかなあ。奥さんがベトナム人の知人がいるので、その人つてに調達してみようかなあ。うーん。
で、調べていたら、作者がfacebookをやっていた(参照)。そこにたくさんのベトナムの妖怪が詳細に載っていたので、それを足掛かりにインターネットの海を探索開始だ。……というわけで、早速、3項目を更新してみた。しつけお化けのオンケー、首だけお化けのマーライ、空き缶お化けのマーロンである。
徐々にベトナムの妖怪も埋めていければよいなと思っている。
2024年7月9日 プチブロック幻獣シリーズの6つ目
ダイソーのプチブロック「幻獣シリーズ」の6つ目は神獣青龍だ。5つ目が瑞獣麒麟なので、中国の幻獣シリーズだ。
麒麟と言えば「四霊」のグループで、麒麟、鳳凰、霊亀、応竜でユニットを組んでいる。一方、青龍と言えば「四象」のグループで、青龍、白虎、朱雀、玄武でユニットを組んでいる。だから、同じ中国の妖怪だけど、ちょこっとだけチームが異なる。このズレが「幻獣シリーズ」のセレクションの妙だな、と思う。なかなかに一筋縄ではいかない。
青龍という名称だけに、ブルーで想像される人も多いかもしれないが、本来はグリーンだ。プチブロックも緑色のブロックを使っているので、非常に忠実だ。その辺もよく練られている。
可動部がたくさんあって、透明の台座の上に、いろんなポーズで飾れるのがよいよね。前脚の接合が不安定で、すぐに取れてしまいそうな構造なのが玉に瑕である。まあ、プチブロックは全体的に1つの凸で固定すると不安定になりがちではあるけれど……。
2024年7月7日 ティユ・アンを描いてみた
フィリピンの妖怪をイラストに描き起こす企画第32弾でティユ・アンを描いてみた。実はずぅっと描きたいと思っていたフィリピンの妖怪のひとつだ。
ティユ・アンは《小犬を連れた女》という意味。フィリピンでもそんなにメジャーな妖怪ではないのかもしれない。でも、ちょっと面白い妖怪だ。
彼女が飼っているのは永遠に年を取らない小犬だ。母から娘へと代々引き継がれている。日本で言えば、狐憑きとか犬神憑きみたいな感じで、その家にとり憑いているわけだ。そして、小犬が彼女の足をペロペロと舐め始めたら、それは狩りの合図だ。彼女は吸血鬼となって、屋根の上に跳躍し、寝ている妊婦の子宮に長い舌を差し入れて、胎児の血を吸う。
結局のところ、このかわいい小犬こそがこの妖怪の本体だというところがとても変わっていて、それが面白いなと思って、イラストに描き起こしたいと思っていた。世界的に見ても、こういう妖怪って珍しいのでは?
だから、女性の方は意外と普通の女性にして、犬も普通に描いて、両者を繋げるように、紫色のオーラでつなげてみた。彼女が操られているようなイメージだ。どうだろうか。
2024年7月6日 プチブロック幻獣シリーズの第2弾が発売された!?
プチブロック「幻獣シリーズ」の第2弾が出た。実際には2024年3月頃の発売だと思う。ダイソーで気がついて、5月頃には購入していたんだけど、結局、組み立てる時間がなくって今頃になって組み立てて悦に浸っている。第1弾についてはドラゴン、ユニコーン、フェニックス、フェンリルを参照して欲しいんだけど、第2弾の今回も全部で4種類。1つ目は「瑞獣麒麟」だ。早速、組み立ててみた。
プチブロックって意外と難しいんだよね。説明書も、この凸とこの凸を繋ぎますみたいなのが線で図示されているだけで、線の引かれているところを数えながら、考えながら組み立てる。今回もどうなることかと思ったけど、うまくできた。
駆動部が多いので、いろんなポーズがとれるのは前回と同様。麒麟(チーリン)って、本当は一角獣なので、角は1本がよかったなあ。ちなみに、最近、思い至ったんだけど、「麒麟」の角って「麟角」と言って「麟(リン)」の方にしか生えないんだけど、よくよく考えると「麟(リン)」って雌なんだよね。「麒(チー)」が雄。シカとかって、雄に立派な角が生えるのに、「麒麟」の場合は、角が生えるのは雌なんだなあ。自然の観察から行くと、逆な気がするんだけどなあ。
2024年7月5日 インターネットで広まった怪異が検索しても出てこないのはなぁぜ?
インターネットが登場して、どのジャンルにおいてもプロとアマの区別が曖昧になった。誰もが情報発信できる時代になって、必ずしも大手の後ろ支えがなくっても活躍できる。クリエイターにとっては喜ばしいことだと思う。
同じような流れが「都市伝説」のジャンルでも起こっている。昔は、誰かが語った「怪異」は、雑誌や本に載ることである程度、箔がついた。誰もが勝手に「怪異」を語ることはできても、それで終わってしまう。それを追認するプロセスを経て、一般に膾炙した。でも、今はオカルト掲示板などに投稿して、それなりの評価がなされれば、あっという間に「都市伝説」の仲間入りをしてしまうし、「現代妖怪」の仲間入りをしてしまう。本来、都市伝説というのは、多くの人たちが信じてこそだった。今はネタとして投稿され、ネタとして消化され、それが「都市伝説」的な整理で本やウェブサイトで紹介される。結果として、都市伝説の敷居がものすごく低くなってしまった気がする。
データベースを扱う人間は、メジャーなものは当然として、マイナーなものを蒐集して紹介したくなる。ウェブサイト「ファンタジィ事典」を編纂しているボクだってそうだ。非常にマイナーなものにこそ、情報の価値がある。でも、そうなると、オカルト板の端っこで語られている「怪異」を「こんな怪異があるよー」って紹介したくなる。「こんな現代妖怪がいるよー」って紹介したくなる。一旦、本や雑誌、まとめサイトに紹介されると、メジャーな都市伝説もマイナーな都市伝説も横並びだ。さも有名な「怪異」のようになってしまう。
今、都市伝説関連の書籍には、インターネットで語られるいろんな都市伝説(ネットロアという呼び方もあるけれど)が玉石混交、紹介されている。読者の人には、一度、インターネットで調べ直して欲しいなと思う。「〇〇年頃にインターネットで広まったもので……」みたいに実しやかに書いてある。でも、検索しても、まったくヒットしないものも多い。あるいは検索しても、本当に数件しかヒットしないものもある。それって、インターネットで語られる都市伝説なのだろうか。まあ、「インターネットで広まった」という言説そのものが事実ではないということも含めて都市伝説っぽさはあるので、それはそれで面白いんだけど、でも、ライトな読者には、どの程度の知名度で語られている怪異なのかは、全く判断できない。
クリエイターにとって、プロとアマの垣根がなくなるのはよいことだ。純粋に作品の良さで勝負できるようになった。都市伝説も同じであればよいと思う。でも、必ずしもそうではない現状がある。
2024年7月4日 18÷0ってどういうことなのか!?
巷では18÷0が話題になっているようだ。基本的には0で割ってはいけない。そんな風に説明されることもあるし、18÷0=0ということにしましょうという説明もなされるらしい。でも、ボクは基本的にはそういうことではないと思っている。
試しに算数が得意な我が家の息子のツクル氏(小学5年生)に18÷0の答えを訊いてみた。
「ツクル氏、18÷0っていくつになると思う?」
「え? 無限じゃない?(即答)」
「おお、無限か。どうして?」
「え? 違う?」
「や、どうしてそう思った?」
「だって、割り算って、割る数が割られる数の中にいくつ入るかって話でしょ?」
「なるほど、割り算をそういう風に定義しているのね。まあ、その通りだね。完璧だね」
「で、0ってものすごい小さい数だから、18の中にものすごくたくさん入るじゃん」
「うん。たくさん入りそうだね」
「だから無限だよ」
なるほど。ツクル氏は割り算の定義に対して難しいことを言っているが、基本的にはその通りで、a÷bというのは、aの中にbがいくつ含まれるかという意味にとることができる。たとえば、10÷5=2というのは、10個の枠を5人で使うと1人2枠使えるねという意味でもあるし、10個の枠の中に5人組は2組入るという意味にもなる。ツクル氏が言っているのは後者の解釈である。
さて、その上で、このツクル氏の18÷0=∞という解答は正しいのだろうか。イメージを喚起するために、試しに18をいろいろな数で割ってみよう。
18÷18=1
18÷9=2
18÷6=3
18÷2=9
18÷1=18
18÷0.5=36
18÷0.1=180
18÷0.01=1800
18÷0.001=18000
割る数が小さくなればなるほど、答えは大きくなる。割る数が0に近づけば、何だか答えは無限に近づいていきそうな感じではある。おそらく直感的に、こんなイメージが彼の頭の中にあったのだろう。
ところで、割る数をマイナス側から0に近づけたらどうなるだろう。
18÷(-1)=-18
18÷(-0.1)=-180
18÷(-0.01)=-1800
18÷(-0.001)=-18000
負の数で割っていくと、0に近づけば近づくほど、答えはマイナス無限になっていく。というわけで、どうやら18÷0=±∞というのが正解な気がする。どうだろうか。一意に定まらないという意味では、計算機がErrorを返してしまうのも正しいとは思う。でも、少なくとも「18÷0=0ということにしましょう」という感じではなさそうだ。そして、数学的な考え方というのは、こういう風に考えることだとボクは思う。
2024年7月3日 エンキを描いてみた。
アン、キ、エンリルに続いて、エンキを描いてみた。これもアン、エンリルと同様に、昔、描いたラフ画があって、それにペン入れをして彩色したものだ。
エンキはエリドゥ市の守護神で、地下から湧き出る淡水の神さま。両肩からはチグリス・ユーフラテス河が流れ出ていて、まさにその説明のとおりの図像が残されている。それをそのまんまイラストに描き起こしてみた格好だ。その図像では、コイが河を遡上している。デザイン的には赤い色があった方が映えるんだけど、実際にメソポタミア地方の河川を泳ぐコイは銀色っぽい、黄色っぽい色なので、赤ではなくって現地のコイの色にしてみた。
2024年7月2日 バスの時刻表が変わったー!!
7月1日からバスの時刻表が大幅に変わった。バスの運転手不足が叫ばれていたわけだけれど、おそらくその影響だろう。比較的、大通りを走る路線に「連接バス」が導入された。ボクはトミカの「連接バス」は持っているけれど、乗車するのは初めてのことだったので、昨日、ドキドキしながら乗り込んだ。今日もドキドキしながら乗り込んでいる。でも、結構、お客さんの数が多いので、降りるときのことを考えると、降り口の近くに乗っていた方がよいので、結局、前の方に乗り込んで、景色としては普通のバスとあんまり変わらない。余裕ができたら、後ろの方の座席とか、連接部に近いところの座席とかにも乗ってみたいなあ。
さて、「連接バス」を導入したことで、輸送量が増えた一方で、減便になった。まあ、バス会社からすれば効率的だけれど、便数が減るのは利用者としては不便である。でも、運転手不足なので、これは致し方ないのかなとも思う。運転手さんは牽引の資格が必要だと思うのだけれど、給与面で優遇されているといいなあ。そして、真っ赤な連接バスが、いままで見慣れていた町の中を走り回っているのは不思議な感じだ。
2024年7月1日 アルゴー号が遭遇した出来事を順次、まとめているボクであることよ。
最近、ギリシア・ローマ神話の「アルゴー号の冒険」にハマっている。アポッロドーロスの『アルゴナウティカ』が面白いからだ。だから、クリューソマッロス・クリオス(金羊毛のヒツジ)とか、スパルトスとかをアップしていた。昨日も、この流れの中でシュムプレーガデスとプランクトスを更新した。どちらも妖怪というよりは単純に海の上を動く岩なんだけど、まあ、それもひとつの怪現象という位置づけで、十把一絡げに「妖怪」ということにして記事を書いた。意外と、いずれもギリシア・ローマ神話の中では、そんなに有名ではないかもしれない。それでも、こうやってちょっとずつ積み重ねて更新している。
結構、『アルゴナウティカ』が迫力があって面白いのだ。たとえば、シュムプレーガデスを通過するシーンなんかは、両側の岩が迫ってくるわけだけど、岩に挟まれて、海面が上昇する様子とか、妙にリアルで迫力がある。プランクトスの間を通過するときも、サポートにテティスとネーレーイスたちがついているんだけど、描写としてはイルカが船に周りを泳ぐように(実際にそういう説明になっているんだけど)、ネーレーイスたちが船の両側を泳いで、船と岩の間を泳ぎながら、船を誘導するシーンも、映像がイメージができて、迫力がある。紀元前3世紀の文章なのに、すごいなあって思って、感心してしまう。
是非、『アルゴナウティカ アルゴ船物語』(著:アポロニオス,訳:岡道男,講談社文芸文庫,1997年)を読んでみて欲しい。絶対、面白いから!!
2024年6月30日 ストーリーを消してもスクショで残り続ける!?
新しいプロジェクトが始まった。あのAdoがプロデュースする5人組のアイドルグループ「ファントムシータ」だ。約4000人の中から選ばれた5人ということで、よくも悪くもAdoっぽい歌唱だ。しかも1曲目の「おともだち」の楽曲提供はチャラン・ポ・ランタンのお姉さま、小春である。アイドルと言いながら、とってもダークでグロテスク。ボクの好きなものの詰め合わせという感じ。
でも、受け容れられるのかな。企画としては面白いし、一部のコアなファンにはバズるかもしれないけれど、一般大衆にはウケなそうな感じがする。結局、いつの時代も分かりやすくてシンプルなものがウケる。大多数が「是」としないとハネない。続けていった先で、新しい展開があるのかなあ。あるといいなあ。どこかでポップだったりロックだったりするアイドル路線もいけたら、バズるのかもしれない。幅のある音楽性を示せれば、もしかしたらハネるのかもしれないよなあ。これからの楽曲が楽しみだなあ。
それにしても、小春嬢はグロテスクな歌詞を書くなあ。三上悠亜が裏垢流出を番組で面白可笑しく語っていたけど、まさにそういう時代だよなあ。表面上、仲良しこよしでも、腹の中では何を考えているか分からない。そういう怖さって、現実世界にはたくさんある。そんなひりひりした歌だ。
最近、妹は椎名林檎とコラボしていたけれど、姉は姉でAdoとタッグを組んでいるわけで、意外とチャラン・ポ・ランタンって息が長いよなあ。ボクは好きよ、チャラン・ポ・ランタン。
2024年6月29日 エンリルを描いてみた。
アン、キに続いて、エンリルを描いてみた。これも大昔に描いたラフ画があって、それにペン入れをして彩色したものだ。
アンとキは、結構、白地っぽい色の服にしてみたんだけど、メソポタミア文明の衣装を調べてみたら、結構、派手な色のものも多くって、エンリルではそっちに路線を変更して彩色してみた。どうなんだろうなあ。でも、メソポタミアっぽさは感じられる気がする。次はエンキの彩色・最終化かなあ。それともスド女神の描き下ろしかなあ。何しろ、エンリルの妻だもんなあ、スド女神は。そういう風な攻め方もいいよなあ。あるいはもう一度、フィリピンの妖怪に戻るパターンもあるなあ。まだまだ描いていないフィリピン妖怪もたくさんいるからなあ。
2024年6月28日 イラストを印刷してみたよ
12月にフィリピンの妖怪を描き起こそうと決意して、ソフトウェアをCLIP STUDIO PAINTに定め、タブレットとタッチペンでイラストを描き、彩色するスタイルに決めて、ずぅっと半年間、続けてきた。そのスタイルに決めてから最初に描いたイラストがマナナンガルで、以降、順次、妖怪のイラストを描き続けてきて、先日のアン/アヌのイラストが50枚目になる。
そんなわけなので、ちょっとこれまでの50枚のイラストを家に飾ってみようかと思って、取り敢えず、半分くらいを印刷して、正方形に切り出してみた。うまく描けた絵もあれば、そうでない絵もある。でも、こうやって半年間続けてきたことには重みがあるなあと思って、感慨深さを覚えている。
これを自分の部屋の壁にでも貼ってみようかしら。それだけでやる気が出てくるよね。ふふふ。
2024年6月27日 電氣ブランに痺れる
近所のヨークマートに電氣ブランが売っていた。珍しいので、応援の意味も込めて早速、購入。飲んでみた。
ものすごい独特な味だ。ウィスキィの香りに、薬草の強烈なフレーバー。結構、パンチがあって、あっという間に酔っぱらってしまいそうだ。名前にもなっている「電氣」は、本来、このような刺激を表しているわけではなく、当時の最先端の感覚が「電氣」にあったので、そのイメージからを命名したらしい。でも、結果として、文字通り、電氣のように脳が痺れる。ストレートでの飲み方が推奨されていたが、1杯で撃沈であることよ。
2024年6月26日 シュメル神話の大地の女神を描いてみた。
アンに引き続いてキを描いてみた。とは言え、前回も書いたように、キについては図像が残されていないので、ボクが勝手に想像で穴埋めして描いてみた。大地の女神はニンフルサグ女神がよく知られていて、そちらの図像はたくさんあるので、それをベースに少しだけ老いた感じで描いてみた。やっぱり、アンとキは老いたイメージのボクである。そして、メソポタミアと言えば、ラピスラズリというイメージもあるので、ラピスラズリのネックレスをつけてみた。
そんなわけで、キについては描き卸しである。次はエンリルのラフ画を彩色して、仕上げてみようと思っている。
2024年6月25日 性善説に立った世界の眺め方
電車でたまたま男性が女性の隣りの座席に座ったら、女性が空いている座席に移動して、それって感じが悪いよねみたいなポストがニュースになっていた。
すでに議論になっているとおり、空いている席があるなら男性はそっちに座るべきという理屈も分かるし、どこに座ってもいいじゃんという理屈も分かる。こういうのって、人それぞれの感じ方だから、難しいなあと思うし、男性は極力、女性の隣りに詰めて座らないというのは、思いやりの一種かもしれないけれど、ルールというほど厳格なものではないし、マナーと呼べるほど共通認識になっているものでもない。
大体、文章だけを見て「空いている席があるならそこに座れよ」と言うのは簡単だ。でも、ぱっと電車に乗ったときに、瞬時に空き座席の状況を把握して、女性と詰めないで座れる場所を判断するというのは、実際には脳内処理としてはとても難しい作業だと思う。電車に乗るたびに、それを男性側に強いるのはどうかと思う。
ボクなんかは結構、面倒臭がりなので、もう、電車に乗って、パラパラと席が空いていても、脳内演算が本当に面倒臭いので、もう、最近は3席分まとまって空いている座席にしか座らなくなってしまった。でも、それって本末転倒で、本来、誰もが座れるというのが基本のルールだと思う。変に配慮しすぎると、結局、本質が損なわれていく。
わざわざガラ空きなのに女性の隣りに詰めて座るのは下心がある。でも、何気なく座って、結果としてそういう状況になってしまうこともあって、それは別に悪いことではない。結局、お互い思い遣れることが一番いいので、基本的には性悪説に立たずに、性善説で世界をとらえる習慣を身に付けたいよなあ、と思う。
2024年6月24日 語彙力で敗北!!
18日と21日は雨だったので、息子のツクル氏のプールが中止になった。そんな話を息子とした。そうしたら、ツクル氏が言い出した。「小学校では、プールの授業は全部で5日間あるんだよね。それで、予備も含めて7日間、プールの日が設定されているんだけど、もうすでに2日も中止になっているんだよ!」とのこと。それを聞いたボクは「え? ツクル氏、プール得意なのに? ヤバいじゃん!」と言ったら、「そう。もう後がない状況だよね」と言われてしまった。なんてこと。父親の方は「ヤバい」とか表現しているのに、息子は「後がない」という適切な表現を使うわけだから、これはとてもヤバい状況である。語彙力で完敗しているじゃん。もっと言葉に真摯に向き合わなきゃ、父親としての威厳がなくなってしまうぜ!! ヤバいぜ(こらこら)!!!
それにしても、昨今の小学校のプールの授業は5日間しかないのか。学ばなきゃいけないことが増えて、それから教師のワーク・ライフ・バランスにも配慮しなきゃいけなくなって、あちこちにしわ寄せがいくなあ。そうかー。プールは5日間しかないのか。
2024年6月23日 いよいよ念願のシュメル・アッカド神話の神々を描き起こすときが来たよ!
昔、シュメル・アッカド神話の神々の姿を忠実に描き起こそうと思い立って、ラフ画だけは描いたものの、そのまんま頓挫していた。最近、絵を描く習慣ができたので、その勢いのまんまで仕上げてみた。手始めにシュメル神話の最高神アンを描いてみた。
アンの象徴は「角冠」である。雄牛の角をかたどったもので、アン以外の神々も「角冠」をかぶっていることが多いが、アンは4つの角の冠にしてみた。他の神々は3つにしようと決めている。やっぱりアンが最高神なので、角の数はアンが一番、多くしたい。
次は大地の女神キを描いてみようと画策している。こちらは図像が残されているわけではないので、想像で穴埋めするしかない。頑張ろう。
2024年6月21日 自戒。
当たり前だけれど、最近、「日々の雑記」の更新をサボっているので、集客率が落ちている。昔はアベレージ100人/日を越えていたけれど、最近は80人/日だ。一方で、XとかpixivなどのSNSのアクセス数は増えている。そりゃあ、ボクがSNSの方に注力している結果ではある。でも、ずぅっとhtmlタグ打ちで頑張ってきて、今でもファンタジィ事典はそれで頑張り続けているので、ここらで気を引き締めて、もうひと踏ん張りしないといけない。そう自戒している。
ボクが年を重ねて、仕事をそこそこに任されていて、それで忙殺されているところはある。それはそれで幸せなことだけれど、でも、考え直さなきゃいけないんだろうなあ(遠望)。
とは言え、今、かなりいいペースで絵を描いている。人生の中でこんなに頻繁に絵を描いたことなんてないので、年甲斐もなく頑張ってはいる。でも、それがうまく結果に結びついていない。わっはっは。
2024年6月19日 妖怪って日本以外にもいるんですか?
よく「ご趣味は何ですか」的な質問を受けることがある。「お仕事以外では普段、何をされているんですか」的な質問でもいい。より深い人間関係を築こうとすれば、当然、仕事以外の話題に広げていくプロセスは重要になる。そういう場合に、ボクは大抵、「家に帰ったら、ずぅっと世界の妖怪を調べています」と答える。一瞬、キョトンとされる。苦笑いする人も多い。奇異の目で見る人もいる。でも、一番、多い反応は「妖怪って日本以外にもいるんですか?」という質問だ。話題を次に繋げるためには、まあ、真っ当な質問である。
ウェブサイト「ファンタジィ事典」は「世界各地の神話や伝承の事典。古代の神話から都市伝説やUMA(未確認動物)まで」というモットーを掲げている。おそらく、ボクの考える「世界の妖怪」の定義は、ほぼほぼこのモットーの中に納まってしまう。プロフィールのところに少しだけ書いているので引用してみる。
興味の対象は「架空の存在でありながら、その存在が実在と信じられたもの」。実在しないがために、人々の想像力に強く依存し、時代や場所とともに姿・形が変遷していくところが魅力。神話・伝承に登場する神さまや怪物、未確認生物、都市伝説の妖怪、宇宙人などを一括りにして勝手に「世界の妖怪」と定義している。
このプロフィールの記述は、「古代の神話から都市伝説やUMA(未確認動物)まで」という表現からもう少し解像度を上げていて、「神話・伝承に登場する神さまや怪物、未確認生物、都市伝説の妖怪、宇宙人など」と具体的に記述している。つまり、少しだけ乱暴な話だけれど、ボクにとっては神さまも宇宙人も「妖怪」なのである。
よくイギリス伝承の本を読むと「fairy(フェアリー)」という言葉が出てくる。訳すならば《妖精》である。イギリスの妖精の図鑑や辞典なんかを見ると、ブラウニーみたいな小人や、ピクシーみたいに昆虫の羽を生やしたザ・妖精みたいなものもいるが、ゴブリンみたいな小鬼みたいなものもいれば、ケルピーみたいな動物的なものもいれば、ブラック・ドッグみたいな魔獣もいる。ときにはワームみたいな竜の仲間みたいな類いも含まれたりする。要するに、fairyは《妖精》ではあるけれど、単に《妖精》と訳せない概念も含まれている。それをどう訳そうかと思えば、結局、ボクは「妖怪」なんじゃないかと思う。イギリスの妖怪。そう訳出すれば、全部を包括して相手にできる。
今、「フィリピンの妖怪」を積極的に調べているけれど、十把一絡げにして、これらのことをアスワンと呼んだりする。アスワンにも、いろいろな側面があって、吸血鬼や人狼、グール、魔女などを包括するような概念だけど、ピッタリくるのは「妖怪」だ。日本の妖怪よりも血や胎児、死体を好む特徴はあるけれども、でも、「妖怪」と訳せばしっくり来る。だから、ボクはこういうのをひとまとめに「フィリピンの妖怪」と呼んでいる。
だから、まあ、ウェブサイト「ファンタジィ事典」は世界の妖怪を調査してまとめているということになる。そして、それがボクの趣味である。
2024年6月18日 「さようなら」をする羽目に
ここ数日間で、pixivのフォローを思い切って何人か削除した。こういう場合、相手に通知とかいくのかなあ。うーん、難しいなあ。
ボクは極力、妖怪のイラストを描く人をフォローするようにしている。あるいはファンタジィっぽいイラストを描く人も多少はフォローしている。イラストの上手い下手はあんまり重要視していなくって、そのイラストが比較的、原典に忠実であれば(つまり解釈の部分が過剰でなくて、設定を大幅に変更していなければ)、積極的にフォローしている。もちろん、イラストに描き起こす時点で、大なり小なりイラストレータの解釈は入り込むし、改変はある。でも、極力、忠実に描こうとする態度や姿勢を感じたら、基本的には前向きにフォローするようにしている。
ところが、そうやってフォローしたイラストレータさんが方針転換して、せっせとR-18方向の作品を連投し始めるケースがある。それがウケがいいのか、本人の趣味趣向でそういう方向に舵切りをしたのかは分からない。でも、ボクは別にそういうイラストにはあんまり興味はない。そういうのが見たかったら、そういう専門のサイトを見ればよいと思う。でも、まあ、無害だし、我慢するかと思っていた。クリエイティヴは自由なので、彼らがそういうイラストを描きたいなら、どうぞご自由に、という気持ちだった。
ところが、稀にパソコンでpixivを閲覧しているときに、息子が近づいてきて、ビックリすることが何度かあった。こちらに他意はないけれど、心臓はバクバクする。そんなわけで、畢竟、何人かとは「さようなら」をする羽目になった次第。ご容赦あれ。