2025年11月12日 朝鮮妖怪のトッケビを描いてみた
ここから少し頑張って、1週間投稿を繰り広げていきたい八朔シータである。

プルガサリに続いて、朝鮮伝承の「トッケビ」を描いてみた。トッケビは朝鮮半島の山や海に棲む精霊的存在だ。岩や木、古道具などに宿るとされる。夜道で旅人を驚かせ、牛を屋根の上に乗せるなどのいたずら好きな性格を持つ。山道で旅人にシルム(朝鮮相撲)を挑む。そういう意味では、河童にも似ている。勝利すると、消えてしまい、古い箒が残されているという伝承もあるので、正体は箒が化けた付喪神的な存在とも言えるのかもしれない。一方で、「トッケビの棍棒」で地面を叩くと望んだものが出てきたり、供物を奉げることで豊漁が期待できることから、福の神としての側面も持つようだ。
日本統治時代、日本語の教科書の中で、日本の「鬼」をトッケビと訳して紹介したため、両者が混同されるようになった。そのため、韓国本来のトッケビ像を復元しよう(日本残滓を排除しよう)と「トッケビ復元プロジェクト」が始まるなど、トッケビは政治的に利用されている側面もある。
今回描いたトッケビは、近年の韓国国内での議論を踏まえて、日本の「鬼」からは外れた形で表現にしてみた。角はないし、韓服を着ている。でも、こういう新しい「トッケビ像」に対して韓国国内でも批判はある。実際、角を描いている韓国のクリエイタも多いし、トゲトゲの棍棒を持たせていることもある。そういう意味では、扱いづらいところではあるんだけど、でも、トッケビを描かないで朝鮮妖怪を語れないので、今回、こうして描いてみた。
2025年11月6日 朝鮮妖怪のプルガサリを描いてみた
最近、ウェブマスターとしてサボりにサボっている八朔シータ。忙しくしていてすみません。体調不良ですみません。

朝鮮伝承の「プルガサリ」を描いてみた。久々のイラストの投稿だ。約3か月ぶりくらい。
プルガサリというのは朝鮮半島の伝説に登場する鉄を喰う怪物だ。最初はかわいらしい小動物で釘などを食べて育つが、次第に巨大化して村中の金属を喰らうようになる。身体が硬くて誰も殺せないので「不可殺(プルガサリ)」と呼ばれている。
元々は中国の貘が朝鮮半島に渡ってこの怪物に進化した。だから、デザインとしては貘の面影があって、ゾウのような鼻を持った姿で描かれる。
日本ではあまり知られていないが、本来、中国の貘は、蜀(四川省)に棲息する白黒の斑らのクマみたいな謎の獣で、武器(竹製の弓とか槍とか)を食べる。そう書いたら、なんだ、それってパンダじゃんって思う。でも、武器が鉄製になった後でも武器を食べる属性が残り続けて、気づけば鉄を食べる獣になってしまった。おそらく、これが実在するマレーバクと混同されて、次第に容姿はパンダからマレーバクになっていった。それが朝鮮半島に渡ると鉄を食べて巨大化する怪物になり、日本に渡ると夢を食べる怪物になったわけだ。
そんなわけで、ここからしばらくは朝鮮半島の妖怪をいくつか投稿する予定。乞うご期待。
2025年7月19日 ヤグヮングィを描いてみた!!
朝鮮の妖怪「ヤグヮングィ(夜光鬼)」を描いてみた。子供ほどのサイズの鬼で、普段は地獄に暮らしているが、過去に地獄から逃げ出したため、すぐに見つけられるように閻魔様に頭の上に光を乗せられたという。けれども、閻魔様がお休みする1月16日の「鬼の日」になると人間界にやってきて靴を盗む。盗まれた人は1年間、不幸になるというので、ソウル市民この日はみんな靴を隠すという。

ちなみに、タブレットとタッチペンを駆使して、Clip Studioで妖怪のイラストを描こうと決意したのは2023年の12月のこと。最初はマナナンガルから描き始めて、2024年の6月にアン/アヌのイラストを描いて50体目を達成。そして、2025年7月19日にようやく100体目になった。100体目は何を描こうかなあなどといろいろと企画を考えていたものの、実は知らないうちに100体目を迎えていて、どうやらヤグヮングィが100体目となった模様。
イラスト作業をすべて電子化したことで、いつでもどこでも絵が描けるようになった。だから、空き時間にたくさんの妖怪たちの下絵を描いていて、時間のあるときに鋭意、彩色して完成させていったら、気づいたら100体目になっていた。本当は、もっと好きな妖怪を選んで気合を入れて描こうと思っていたのになあ。結局、ヤグヮングィになってしまった。



どうだろう。成長が感じられるだろうか。立体感は出たかもしれないし、彩色もいろんな技術を体得したように思う。でも、どんどん、漫画っぽくなっていくんだよなあ。ふふふ。
そんなわけで、引き続き、ファンタジィ事典に彩りを添えるために、妖怪のイラストを描き続けるので、乞うご期待。
2025年7月13日 謎めいた「わいら」を描いてみた。
日本の妖怪の「わいら」を描いてみた。基本的には、全体的な雰囲気は佐脇嵩之の『百怪図巻』のわいらをベースにして、耳や舌など、細部のパーツは鳥山石燕の『画図百鬼夜行』のわいらの要素を加えて描いてみた感じ。

わいらは妖怪画の題材として、多くの狩野派の画家たちが好んで描いている。ただし、絵の横に名前だけしか記されていないので、具体的にどのような妖怪なのかは分からない。絵の中だけにしか登場せず、それ以上の情報がないところが、とても謎めいた感じで、魅力的である。
しかし、昭和の作家たちは、それだけでは満足しなかったので、たくさんの情報を付加していく。やれ、ガマガエルが化けたものだとか、雄と雌で色が違うとか、モグラを食べるとか……。遂には、翼まで生やし、腹が減ると骨ごと人間を食べる5メートル級の怪物になってしまった。いまや伝説となっている佐藤有文氏の『日本妖怪図鑑』(ジャガーバックス)なんかは、まさにそんな解説をしている。石原豪人氏のイラストは、巨大なクマのような怪物わいらを描いていて、ショッキングである。

妖怪というのは非実在の存在なので、語り手によっていろんな情報が付加されると、こうやって、どんどんと変質していく。変質していったものも含めて、ボクなんかは妖怪だよなあ、と思う。だから、江戸時代の妖怪画のわいらも、5メートル級の怪物わいらも、ボクはどちらもわいらなのだと思っている。でも、Wikipediaの「わいら」の項目では、佐藤有文が想像したようなわいら像はあまり触れられない。それも変だよなあ、とボクなんかは思う。だって、昭和を生きたボクたちにとって、わいらと言えば、佐藤有文のわいらの印象が強いもんなあ。それだって、江戸時代のわいらではないけれど、わいらはわいらだよなあ。
2025年7月7日 「ミョドゥサ」を描いてみた。
朝鮮伝承の「ミョドゥサ」を描いてみた。ネコの頭にヘビの身体。ソンドの寺の裏の洞窟に棲み、青い気を放って人々の病を癒した。僧侶は食べ物を供えてこの獣を祀った。しかし、あるとき、ミョドゥサが洞窟から顔を出したところ、怪物だと思った男が誤って射殺してしまったという。

ミョドゥサと言えば、普通は鱗のついたヘビの身体に、ちょこんとネコの頭がついた怪物が描かれることが多い。でも、最近、韓国の子供向け番組で、かわいいミョドゥサが登場していて、ちょっとその要素も残したく、描いてみた次第。青い気を全身から放ってみたが、口から青い煙を吐くという表現もあるので、そういう絵でもよかったのかもしれないけれど、さてはて。
上のYouTubeは韓国の子供向け番組「묘시의 전설」。ミョドゥサがダイエットを試みて、結局、失敗する物語。多分、韓国語が分からなくても、見ていて笑える内容だと思う。オススメなので、是非是非。
2025年6月30日 マーガーのイラストを描いてみた!!
ベトナム伝承の「マーガー」を描いてみた。家を守護してくれる精霊で、壷の中で飼育する。鶏が大好物で、毎月、生きた鶏を生贄に捧げる必要がある。日本の「憑きもの筋」に似て、代々、飼育しなければならない。財宝を侵そうとする人間がいると、内臓を喰らい尽くす。

…というわけで、久々に妖怪の絵を描いた。もう、ね。怒涛のように忙しかった。何が忙しいって、職場が3年連続で新採用を受け入れている。12人のチームで、4人の経験年数が3年未満というのは、なかなかにしんどくて、結局、何をやるにしても、常にフォローしてあげなきゃいけない。ボクがその対応に追われている。それぞれの若者たちの業務の山があって、全部、そこに巻き込まれる。そういう忙しさだ。まあ、ね。仕事をしない老人たちのフォローだと未来には繋がらない。未来ある若者たちの人材育成だと思えば、気持ちとしては前向きに取り組める。でも、厳然たる事実として、毎日、夜遅くまで働いている。うーん。
そんな中で、ようやく絵を描けたのは、ちょっと嬉しい。やっと少し人間らしい生活ができているよなあ。
2025年3月7日 下着を盗んでいく悪癖
相変わらず、絵はうまくならない。むしろ、奇跡的にうまく描けて大満足……という瞬間がたまのたまーに訪れて「おお、天才かも!」と思った矢先に、また絵がヘタクソになって「あれれ、あんな風に描けないな」と落ち込む……みたいなことが多い。
面白いのはSNSで、うまく描けたときにも一定の反響はあるんだけど、それ以上に、絵がヘタクソでも面白い題材を選ぶとハネることがある。そりゃあ、ね。絵のうまい人はたくさんいるわけだから、ボクがちょっとぐらいうまく描けた程度の絵ではバズらない。でも、思わずコメントを入れたくなる妖怪を題材に選ぶとハネる。
最初にハネたのはウォウォグ。首から下に臓器がぶら下がって飛んでいるのだから、これはインパクトがある。フィリピンのマイナーな妖怪だったけれど、ちょっとハネた。それからプゴット。これは絵そのものがハネたというよりは「下着を盗んでいく悪癖がある」という説明文と下着を持った姿がハネたような気がする。多分、ボクの中でのナンバワンのバズりで、Xでインプレッションが6,000を超えている。

最近だと足の親指を鼻の穴に突っ込んで空を飛ぶマーカーゾンとか、米を洗うときに用いる竹笊でワサワサと空を飛ぶグラハンなんかもちょっと話題になった。メジェドと甲府星人も一部にファンが多いので、それなりにウケた。


SNSで何がウケて、何がウケないかが分かるようになると、多分、ウケに行くことを意図して投稿することができるようになる。そうなると、バズらせる確度があげられる。そういうゲームとしてSNSを楽しむこともできるのかなあとは思うし、そういう魅力がSNSにはある。
でも、まあ、ボクはそういうバズりとは無関係に、マイナーな妖怪の認知度を上げるべく、粛々とイラストを描いていければよいかな、とは思っている。バズらせに行くのも楽しそうだけどね。ふふふ。
2025年3月5日 甲府星人を描いてみた。
少しだけ時節を逸している感じもあるんだけど、甲府星人を描いてみたので載せてみる。

1975年2月23日に2人の小学生がこの宇宙人と遭遇して、今年で50年目。甲府ではお祭りもあったようで、新聞にも載っていた。だから、今更ながら描いてみた。
本当に宇宙人が甲府にやってきたのかどうかは分からない。でも、ボクは小学生の微に入り細を穿つ説明には舌を巻く。ものすごく詳細に観察して、それを丁寧に説明している印象がある。だから、もしかしたら本当にいたのかもしれないと思わされる。しかも小学2年生なのに絵がうまい。ボクなんかの絵よりもずぅっと宇宙人の本質を捉えているかもしれない。
2025年3月3日 メジェドを描いてみた。
ちょっとだけ、ファンタジィ事典でエジプト神話の調査に精を出しているところで、新調したiPhoneのケースもメジェドにしたところで、よくよく考えたらメジェドの項目がファンタジィ事典にないということに気づいて、急遽、作成した。それに合わせて、メジェドの絵も描いてみた。

もっとマスコットっぽくかわいく描くこともできたんだけど、ちょっとだけ生っぽくしてみた。『死者の書』なんかを見ると、神々が座ったときの背丈というか、女の人が屈んで祈っている高さと同じくらいの背丈で描かれるので、子供くらいの人が中にいて、シーツをかぶっているみたいな頭身で描いてみた。
これで、目からビームが出るらしいから、凄いよね(笑)。2021年に日本でネットミームとしてバズったわけだけど、そこから世界に発信されて、知名度が爆上がりした存在。英語のWikipediaのメジェドの項目でも、日本のムーブメントがちょっと紹介されていて可笑しい。そうやって、何でも面白がって盛り上がっちゃうところが、ある種、日本人の良さだとは思う。
2025年2月21日 「ペテフ(プタハ)」を描いてみた。
2月17日の記事「メンフィス系神話を一気に更新だ!!」でも書いたとおり、ここのところ、エジプト神話に熱を入れて資料整理を進めていた。先日、メンフィス系の神話に関して一気に更新をかけてみたわけだけれど、どうせなら理解促進のため、絵もつけてみようと思い、今回、手始めにメンフィス系神話の創造神ペテフ(プタハ)を描いてみた。
惜しむらくは、非常に静的な絵になってしまった。手足が包帯で巻かれていて、台形の台座の上に直立している姿をそのまんま再現した結果、動きがなくなってしまった。まあ、心臓(思考)と舌(言葉)で世界を創造したのだから、身動きがとれなくても活躍できる。そういう意味では、静的な姿でも間違いではないのかもしれない。しかも台座を描いた所為で、何だかフィギュアか何かの模写にも見える。うーん。

一応、古代エジプトの壁画とかパピルスに描かれた画を参考にして、衣装や持ち物、色なんかは比較的、忠実に描いているつもりだ。美しい神様(=若い神様)らしいので、青年の顔で描いている。一般的には肌は緑色で描かれるので、その辺も忠実に再現している。ファンタジィ事典のペテフ(プタハ)の項目にも書いたが、ペテフは「生命の象徴である『アンク』、支配の象徴である『ウアス』、安定の象徴である『ジェド』を組み合わせた杖」を持っている。それもイラストに描き起こしてあるので、文章だけの説明よりは理解が進むのではないか。
正直なところ、ペテフはあんまり「うまく描けた」という実感はない。でも、これに懲りずにほかのエジプトの神々も描いていこうと思っているので乞うご期待(?)。次は睡蓮(スイレン)の神のネフェルテムにしようかなあ。
2025年2月9日 「チョスンサジャ」を描いてみた。
朝鮮の妖怪として「チョスンサジャ」を描いてみた。あの世から遣わされた使者で、死すべき人間をあの世に連行する。

ボクは朝鮮の妖怪を調べ始めた最初っから、このチョスンサジャが大好きだ。黒づくめでおシャレな風貌なのに、非常に官僚的な性格で、死亡予定者一覧表を片手に死すべき人間を探す。それでいて、同姓同名を間違えて連行することもあるし、賄賂をもらって見逃すこともある。こういう性格がとても東アジアっぽいなと思うわけだ。中国や韓国、そして日本も含めて、そういう一面がある。
だから、朝鮮の妖怪を描くなら、最初はチョスンサジャから描こうと決めていた。本当だったら、朝鮮の妖怪ナンバーワンと言えばトッケビなので、トッケビから描くべきなのだろうけど、それを押してのチョスンサジャだ。そして、次の朝鮮の妖怪はかわいらしいミョドゥサを描こうと決めているので、トッケビはもうしばらく後になりそうだ。
……でも、トッケビは政治的に難しいヤツ(日本の「鬼」の影響の所為で容姿が変質したと難癖をつけられている!)なので、実際のところ、どういうイラストにすべきかはちょっと悩んでしまう。角を生やしたら、韓国の学者に怒られてしまいそうだ。でも、実際には角があったという図版もあったりして……うーん。まあ、そういうところも引っ括めて、朝鮮の妖怪の面白さであることよ。ほほほ。
2025年2月1日 「マーカーゾン」を描いてみた。
「アジアの妖怪をドドドドン!」(1月16日の記事)で「マーカーゾン」をイラストに描き起こしたいと宣言したが、早速、描いてみた。

ベトナムには主に2種類の吸血鬼がいるようだ。北部の吸血鬼「マーカーゾン」と南部の吸血鬼「マーライ」だ。マーライはフィリピンのウンガウンガやタイのピー・グラスー、マレーシアのペナンガランみたいに、夜になると身体から頭だけが抜け出し、臓器をぶら下げながら空を飛んで獲物を狙う吸血鬼だ。
一方のマーカーゾンは夜になると独特のポーズで吸血鬼に変身する。両足の親指を鼻の穴に突っ込み、両手は耳を掴む。そして、空を飛んで獲物を探すのである。ベトナム人が描くマーカーゾンは結構、年配の女性である場合が多いが、ボクは比較的、若い女性で描いてみた。だって、うら若き女性がこんな変なポーズで出没すると考えたら、結構、面白い。
実際に鏡の前でこのポーズをやってみて(結局、硬くてうまくいかなかったが……)、描いてみたので、足の部分なんかはそれっぽく描けているのではないか。ポーズにこだわったあまりに、あんまり吸血鬼のおどろおどろしさとか怖さがでなかったが、まあ、それもご愛敬。
2025年1月26日 創作から普遍的な妖怪への道のり
そういえば、今年は巳年なのである。毎年、1月1日に「近況報告の本」を刊行していて、その表紙の題材として、干支に因んだイラストを描く。すっかり忘れていたけれど、今年は「姦姦蛇螺」を描いた。今更ながらの「あけおめことよろ」のイラストである。

姦姦蛇螺は、ネットロアの妖怪だ。初出は、今はなき「怖い話投稿:ホラーテラー」という投稿サイトらしい。2chオカルト板のスレッド「洒落怖」に転載されたので、洒落怖の妖怪として認知されているケースも見受けられる。
「姦姦蛇螺」の投稿において、若者たちが姦姦蛇螺と遭遇するシーンは滅茶苦茶臨場感があって怖い。厳重に封印されている区画の描写も丁寧だし、姦姦蛇螺が現れて「いぃぃ~っ」と笑うシーンは圧巻だ。そして、蜘蛛のように6本の手足でフェンスを伝ってくる描写なんて戦慄する。
「姦姦蛇螺」は投稿サイトに投稿されたものなので、明らかに創作だ。名乗り出ないけれども、どこかに作者がいるはずだ。それなのに、まるでネットロアのように語られ、都市伝説のジャンルで取り扱われる。この辺の境界の曖昧さが妖怪らしいところである。
大昔だって、実は作者がいたはずだ。ギリシア神話だって、ヘーシオドスの「創作」と目されている部分がある。いつも書いているとおり、「ドラキュラ」はブラム・ストーカーの創作だし、「フランケンシュタインの怪物」はメアリー・シェリーの創作だ。「クトゥルフ」だってラヴクラフトの創作だし、「オーク」はトルキーンの創作だ。そうやって、誰かのcopyrightがいつの間にか普遍的な妖怪になっていく。姦姦蛇螺もその意味では、普遍的な妖怪に片足を一歩、突っ込んでいる。そこが面白いなあと思うのである。
2024年12月2日 「置いてけ堀」を描いてみた。
日本の妖怪の「置いてけ堀」を描いてみた。

本所七不思議のひとつで、たくさん魚が獲れる堀で釣りをしていると「置いてけ、置いてけ……」と声が聞こえる。無視して帰ると、魚籠(びく)の魚が消えてしまったという話。
イラストは歌川国輝の浮世絵ヴァージョン。
2024年11月27日 「アムピスバイナ」を描いてみた。
ヨーロッパ伝承の「アムピスバイナ」を描いてみた。

Ἀμφίσβαινα(アムピスバイナ)とは古代ギリシア語で《両方向に進むもの》という意味で、その名前が示すとおりに、両端に頭がついている。
プリーニウスは『博物誌』(1世紀)の中で「猛毒を吐くのにひとつの口では足らないかのようだ」と説明している。
ちなみに、今回、イラストを描くに当たってヘビの骨格図とか写真とかをいろいろと調査していたら、ヘビって、口を開けた状態で舌を出したりはしないらしい。今まで口を開いた状態で舌を出したようなヘビを描いてきた気がするなあ。……というわけで、今回は厳密に、口を開けたヘビは舌を出さず、口を閉じたヘビからは舌をチロチロと覗かせている。わっはっは。
2024年11月23日 「ターボババア」を描いてみた。
都市伝説の「ターボババア」を描いてみた。

ターボババアは1990年代の中頃から都市伝説、あるいは学校の怪談などの文脈で語られ始めた存在だ。夜の高速道路などで自動車と並走し、時には自動車の窓を叩いたり、追い抜いて振り返るとニヤリと渡って運転手を驚かせる。たったそれだけなのに、100キロババアとかマッハババア、ジェットババアなど、いろんな名前で日本各地で知られている。リヤカーババアとか、ホッピングババア、ヘリコプターババアなどの変種も多種多様だ。
最近は「ダンダダン!」の中で大活躍なので、一躍、有名になった感じがする。めでたくタイにも進出したらしく、タイでは「ピー・ヤーイ・サピート」と呼ばれて、やっぱりタイの高速道路を走っているらしい。でも、長い舌を伸ばしているという点が、タイらしさ満載である。
2024年11月21日 八朔シータのサインを考えてみた!!
突然ながら「八朔シータ」のサインを考えてみた。

……というのも、最近、Xで規約変更があって、AI学習が明文化された。これを受けて、イラストレータ界隈が大騒ぎしている。やれ、ウォーターマークを入れなくちゃ。やれ、AI生成反対の意を表明しなくっちゃ。やれ、Blueskyに避難しなくちゃ。まあ、ボク個人としては、オンラインに公開した時点ですべての情報は公開情報だと思っているので、AI学習に利用されるのは致し方ないと思っている。ウォーターマークそのものも、そのうち技術的に乗り越えられちゃうだろうなあと思っていて、あんまり意味がないとも思っている。でも、これを機にいろいろと勉強した。
ウォーターマークはともかくとしても、国際的には「署名」って必要らしい。国によっては、署名がないイラストはフリー素材だと勘違いされることもあるらしい。へえ。だったら、国際規格で行こうかなと思って、この期に及んで「署名(サイン)」を考えてみた次第。
意外と署名を考えるのは楽しかった。いろんな人のサインを調べて、並べてみて、簡略化の方法とか、筆の進め方なんかを模倣したり、類型化したりして、それを組み合わせながら、それっぽく拵えてみた。一応、「八朔シータ」って読めるし、いい感じなのではないか。ふふふ。
2024年11月19日 オーソ・ワンを描いてみた。
アメリカの宇宙人「オーソ・ワン」を描いてみた。

日本では「アウッソ」として紹介されることもある。ヒグドン氏がワイオミング州で遭遇した宇宙人で、ヒグドン氏を立方体型の宇宙船に乗せて誘拐したとされる。テレパシーで会話する。16万3,000光年離れた惑星に棲む。
最近、アメリカの妖怪にも手を出している。意外とアジアに目を向けて、フィリピン、タイ、ベトナム、インドネシア、ミャンマーの妖怪を調べていたけれど、アメリカの妖怪というのも盲点で、知名度は低いよなあ、と思っている。
ちなみに、Xの方では、イラストに署名を入れてみた。海外では、署名のないイラストはフリー素材だと認知されることもあるという記事を読んで、それは困るなあと思っての対応だ。
2024年11月15日 あぎょうさんを描いてみた。
学校の怪談に登場する「あぎょうさん」を描いてみた。

あぎょうさんは謎掛け系の現代妖怪で、天井から降りてくる老婆の妖怪で、抱きついてきて、首筋を舐めてくる。そして「あぎょうさん、さぎょうご、いかに?」と問うてくる。これにうまく答えられれば、あぎょうさんは退散するが、答えられないとかぶりつかれるという。
こういう質問とそれに対応する答えがあるというのが、学校な怪談っぽさがある。世の中の大半の課題には必ずしもピタッとした答えがないのだよ、と子供たちに諭したくなる。
巷のイラストでは、結構、たくさんの人が蜘蛛のような姿で描いている。まさに8本足で描いている人もいるし、蜘蛛のようにたくさんの複眼を描いている人もいるんだけど、特に姿について明確な描写はないみたいなので、あんまり蜘蛛には寄せずに、人の要素を多く残してみた。それでも、上からぶら下がっている点は強調してみた。そんなこんな。
2024年11月11日 テケテケを描いてみた。
学校の怪談に登場する「テケテケ」を彩色してみた。白黒のときには感じなかったが、色をつけたら結構、グロテスクだ。

最近、腰を据えて都市伝説の調査をしている。資料そのものはかなりの部分、朝里樹氏がまとめてくれている。その一方で、朝里氏もそうなんだけど、2ちゃんねるのオカルト板とか、洒落怖系で語られる怪異は、創作的な側面が強い。匿名性は担保されていながら、作者の存在について考えさせられる。また、昔ながらの「友達の友達(FOF)」を介在させずに、自分の体験談としてまとめられる点で特異性がある。その辺をもう少し自分なりに検討したいなと思っている。
そんなこんなで、昔ながらの都市伝説も再整理しながら、洒落怖系やアメリカの現代妖怪(宇宙人的なものも含む)を調査しているこの頃である。





