トゥビョン

分 類朝鮮伝承
名 称 두병du-byeong〕(トゥビョン)《豆兵》【朝鮮語】
別 称 녹두병nog-du-byeong〕(ノクトゥビョン)《緑豆兵》【朝鮮語】
백두병paeg-du-byeong〕(ペクトゥビョン)《白豆兵》【朝鮮語】
흑두병heug-du-byeong〕(フクトゥビョン)《黒豆兵》【朝鮮語】
容 姿豆から変化した兵士。
特 徴術者が使役して戦わせる。
出 典一然『三国遺事』(1281年頃)ほか

豆から変化して戦う兵隊!?

トゥビョン(豆兵)は朝鮮半島の伝承で、豆が兵に変化したものである。よく知られているのは「ウトゥリ説話」に登場する緑豆で作られた「ノクトゥビョン(緑豆兵)」である。たった3升の豆から数千・数万の軍勢を作り出すことができ、その兵士たちの威力は一国を転覆させられるほどだと信じられている。

ウトゥリ説話のノクトゥビョン(緑豆兵)

李氏朝鮮の始祖の李成桂(イ・ソンゲ)の時代、智異山(チリサン)のある貧しい農家に、脇の下に翼を生やした赤ん坊が生まれた。ウトゥリと名付けられたが、生まれたときから歩き、屋根に飛び乗り、重たい穀物を動かすなどの超人的な力を持ち、脇の翼で空を飛ぶこともできた。

しかし「新しい王が生まれると、今の王位が脅かされる」という予言があって、王は王朝を脅かす存在としてウトゥリを殺そうと軍隊を差し向ける。はじめこそ両親はウトゥリを隠すが、次第に恐怖に屈して息子の弱点を教えてしまう。それは脇の下の翼を切り落とすことだった。こうして、ウトゥリは王に派遣された刺客によって殺されてしまった。

しかし、ウトゥリは息を引き取る直前、3升の緑豆、粟、小豆、大豆と一緒に自分を岩の中に入れるように母親に伝えた。こうして、ウトゥリは死なずに岩の中で生き続けた。そこで、ウトゥリは緑豆から兵士を作り出した。緑豆は兵士に、粟は鎧に、小豆は兜に、そして大豆はウマになった。

このトゥビョンは育てるのに3年間の歳月が必要だった。外気に触れることなく、毎日、訓練をする必要があった。ウトゥリの努力の結果、たった3升の緑豆から、数千・数万の兵士が育っていた。

しかし、あと1日で3年間が経つというときに、遂に王の拷問に屈して、母はウトゥリの居場所と岩の開け方を教えてしまう。王の部下が言われたとおりに粟で岩を撫でると、あっという間に岩が割れ、外気が流れ込み、緑豆の兵士もウトゥリも溶けるように消えてしまった。

このウトゥリ説話に登場する緑豆兵は「ノクトゥビョン」と呼ばれている。あと1日あれば、王朝を転覆させる軍隊になっていたという物語である。

ヘトン和尚が使役するハクトゥビョン(白豆兵)とフクトゥビョン(黒豆兵)

ウトゥリ説話の成立は16~17世紀とされているが、すでに13世紀の一然(イルヨン)の『三国遺事(サムグクユサ)』(1281年頃)にもトゥビョン(豆兵)は登場している。

8世紀頃の新羅の高僧の恵通(ヘトン)和尚が豆を撒いて兵を召喚し、竜や病魔を退治したと記録されている。ヘトン和尚は密教を学ぶために唐に渡ったが、高宗の娘が原因不明の病に臥せってしまう。皇帝に王宮(おそらく西安の大明宮)に呼び出されたヘトン和尚は別室に籠り、銀の器に白豆を一斗入れて呪文を唱えた。すると白い甲冑をまとった兵士(ペクトゥビョン)が出現し、病魔を攻撃した。

しかし、病魔の勢いは強く、圧倒されていたため、今度は金の器に黒豆を一斗入れて呪文を唱えた。今度は黒い甲冑をまとった兵士(フクトゥビョン)が現れ、白豆兵に加勢した。病魔の正体は蛟龍で、豆兵のお陰で追い払うことに成功できたというのである。

その後、蛟龍はヘトン和尚の故郷の慶州(キョンジュ)に逃げて、新羅の第31代の神文王(シンムンワン)にとり憑いて腫れ物を引き起こしたが、これも帰国したヘトン和尚によって払われたという。その後、蛟龍は柳の木に隠れたが、ヘトン和尚に見抜かれ、トゥビョンによって最終的に調伏されたという。

智異山と慶州の場所

ヘトン和尚の伝説はウトゥリ説話のルーツになっている可能性がある。ウトゥリ説話では緑豆が用いられているが、白豆や黒豆といった貴族の豆から農民たちの緑豆に変わったとも言えるかもしれない。

《参考文献》

  • 『한곡 요괴 도감』(著:고성배,2019年)(韓国語)

Last update: 2026/01/10

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