2025年6月3日 絵文字の歴史5:国際統一規格化とその後の課題

「ドコモ絵文字」終了のニュースを読んで、5月21日に記事「絵文字の歴史1:ファンタジィ事典の多言語化」を書いた。その記事では、絵文字文化は日本由来だと書いた。ドコモ絵文字が、実はニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されたという事実も書いた。それでも、文字コードの歴史の観点では、日本の技術者たちの敗北だったと書いた。以降、「絵文字の歴史2:感情を伝えるには顔のシンボルが必要だ」「絵文字の歴史3:ハートマーク事件とドコモ絵文字の誕生」、そして「絵文字の歴史4:絵文字の進化と文字コードの壁」と記事を書いてきて、今回で最終回だ。

絵文字はdocomo、au、softbankの3社の中でバラバラに発展して、SNSにも水平展開しながらも、日本においては統一規格にはならなかった。機種依存文字のままで、他社とのやり取りでは文字化けすることもあった。この流れに終止符が打たれたのが2010年だ。でも、統一規格の道を推し進めたのは、残念ながら、日本人じゃなかった。AppleがiPhoneを日本に売り込もうとしたときにぶつかった壁が、まさにこの日本独特の絵文字文化だった。iPhone、そしてAndroidでは当初、絵文字が使えなかった。これでは日本人に受け入れてもらえない。同様にGoogleもgmailを日本に売り込もうとしていたけれど、ここでも絵文字の壁にぶち当たった。そこで、AppleとGoogleがUnicodeコンソーシアムに働きかけたわけだ。結構、この取り組みは大変だったみたいで、そもそも絵文字は文字なのかという議論もあったし、絵文字のバラエティも多くて、なかなか評価できなかったようだ。でも、最終的に2010年にUnicode 6.0の中に「Emoji」として採用されて、今に至るわけで、結局、ガラパゴス日本では、統一規格化できなかったよなあと思いつつ、日本人として悔しい想いもある。

ちなみに、その後も絵文字はいろいろな壁にぶち当たっていく。たとえば、肌の色。日本人が考えた絵文字の人間はみんな、うすだいだい色。いわゆる「肌色」だった。でも、当然、国際社会には黒っぽい肌の人、白っぽい肌の人がいるわけで、今は色を選択できる仕様になっている。ジェンダーとか家族の壁にもぶち当たった。夫婦というのが男女でいいのかとか、家族は子供がいなきゃいけないのかとか、片親だっているじゃないかとか、そんなこんなで、今は家族を表現する絵文字もたくさんの種類が用意されている。職業も、たとえば、日本の絵文字だと、警察官が男性だったりする。でも、現在は、女性の警察官も搭載されている。サラダも、ベジタリアンを意識して、今はタマゴの記載がなくなった。一番大きな課題は国旗だ。日本の絵文字は、日本に馴染みのある先進国の国旗だけを搭載していた。この部分はUnidoceコンソーシアムでも最後まで揉めたようだけれど、結局、全ての国の国旗を入れることで落ち着いた。それでも、台湾の旗をどう取り扱うかなど、今でも揉めている。

そういう意味では、実は栗田穣崇氏が監修したドコモ絵文字というのは、最初っから「絵」ではなくて「文字」として志向して構想されていて、シンプルで、肌の色も国籍も性別からも離れた「記号」としてデザインされていたわけで、そのドコモ絵文字が終了してしまうのは寂しいよなあとも思ったりする。そんなわけで、第5回まで長々と書いてしまったが、絵文字についてのボクの雑感である。

  

2025年5月25日 絵文字の歴史3:ハートマーク事件とドコモ絵文字の誕生

5月23日の記事「絵文字の歴史2:感情を伝えるには顔のシンボルが必要だ」の続き。

人間のコミュニケーションの基本は「会話」だったはずだ。しかし、オンラインが普及して、文字だけでのコミュニケーションになると、感情が伝わらないので、喧嘩が増える。前回はアメリカの大学で、感情を伝えるために「顔文字」を導入した事例を紹介した。同様の現象は日本でも起こっていて、それを象徴する出来事が1998年の「ハートマーク事件」と言える。

当時は1G、アナロク電波で通信していた時代で、若者たちのコミュニケーションツールは「ポケベル」だった。ポケベルは送れる文字数が少なく、感情を伝えることが難しいため、若者たちは語尾に「♥」をつけて気持ちを込めるみたいな文化が浸透していた。たとえば、docomoのポケベル(センティーシリーズ)ではツータッチ入力の「88」で「♥」を送ることができた。一説では、バンド「Go!Go!7188」はポケベルのツータッチ入力に由来するとされている。ベースのアッコは本名が野間亜紀子だが、ポケベルのツータッチ入力の「55 71 88」は「ノマ♥」となる。

ところが、1998年にdocomoが社会人向けポケベル「インフォネクスト」を発売したときに問題が起きた。「インフォネクスト」はこれまでのカタカタだけでなくて、漢字も使えるという触れ込みだった。そして、その代わり「♥」が使えなくなった。そうしたら、高校生を中心に「今後、docomoはハートマークが使えなくなる」という間違った噂が日本全国に広まって、競合他社のテレメッセージ社にたくさんの若者が乗り換えた。当時、docomoは衝撃をもってこの出来事を受け止めたわけで「ハートマーク事件」と命名されている。

docomoでは次なる新商品として「i-mode」の開発を進めていたところだった。時代は2Gに移って、デジタル通信になった。携帯電話でメールやインターネットができる時代に向かって動いていて、まさにdocomoは、世界で初めて、携帯電話でインターネットにアクセスできる最先端の製品を作っていたわけだ。そのときに、docomoの社員だった栗田穣崇氏は「ハートマーク事件」を目の当たりにしていて、次世代端末には「絵文字」が必要だと考えた。そして、176種類の絵文字(12×12ピクセル)を監修・開発した。こうして、1999年にi-modeが発売され、ドコモ絵文字も普及していった。

もちろん、これは環境依存文字で、docomoの端末以外では文字化けする。それでも、非常に画期的だったわけで、この176種類のドコモ絵文字は2016年10月にニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されている。

  

2025年5月23日 絵文字の歴史2:感情を伝えるには顔のシンボルが必要だ

5月21日の絵文字の歴史1:ファンタジィ事典の多言語化の記事の続き。

そもそも「絵文字」の話をする前に、絵文字前夜として「顔文字」の話をしてみたい。顔文字の誕生は1982年だとされている。最初の顔文字は「:-)」と「:-(」。笑った顔とむっつりした顔の2つである。

当時は現在のようなインターネットはなくて、会社や大学が独自のネットワークをそれぞれ構築していた。大学同士はかなりネットワークが繋がっていて、掲示板を介して大学間でやりとりがされていた時代だ。学生と教授、あるいは研究者同士で、掲示板上で意見交換をすると、頻繁に喧嘩になるという状況が起こっていたようだ。そこで、カーネギーメロン大学のファールマン(大学の情報科学の研究者)が顔文字の導入を提唱したのだそうだ。文字だけだと、それが冗談なのか本気なのか分からない。そのせいで喧嘩になる。冗談のときは笑った顔、マジな話のときはむっつりした顔。そうすると、掲示板上の喧嘩が減ったのだとか。文字だけだと気持ちが伝わらない。感情を伝えるのに、顔のシンボルが必要だということが判明したわけである。

顔文字は英語では「Emoticon(エモーティコン)」と命名された。emotion(感情)とicon(アイコン)のカバン語である。その後、日本で「絵文字」が発達していって、世界中で「Emoji(イーモジ)」として受け容れられていくわけだが、「絵文字」もemotion(感情)やemoticon(顔文字)と結びついていくので、素晴らしい偶然である。

ちなみに、日本では「(^_^)」が投稿されたのが最初で、1986年のことだったようだ。アメリカの顔文字は「口」で感情を表現し、日本の顔文字は「目」で感情を表現しがちだという論文もある。

  

2025年5月21日 絵文字の歴史1:ファンタジィ事典の多言語化

本日、NTTドコモが「ドコモ絵文字」の提供を順次終了することを発表した。ひとつの大きな時代の終わりを感じた。

ボクは2009年からウェブサイト「ファンタジィ事典」を運営している。当時から妖怪の名前は原語表記することをモットーとしていた。古代ギリシアの妖怪なら古代ギリシア文字、聖書の妖怪ならヘブライ文字、シュメル神話の妖怪なら楔形文字。だから、いつだってコンピュータにおける文字表記との格闘だった。ミャンマー文字なんかは昔っから文字化けしていたし、楔形文字や古代エジプト文字、アヴェスター文字なんかもずぅっと課題だった。こういう世界各地の文字を、どうやったらウェブブラウザ上で文字化けせずに印字できるのか。そんなことに苦しんできた。

多分、大半の人には伝わらないと思う。それでも書いてみる。ボクは「ファンタジィ事典」をhtmlのタグ打ちで書いている。ソースを開いてもらえれば分かると思うが、世界各地の文字は数値文字参照(NCR)になっている。たとえば、古代ギリシア文字のα(アルファ)だったら「α」と書いている。ヘブライ文字も楔形文字もミャンマー文字も、みんな、こうやって数値文字参照で記述している。そして、文字コードはutf-8になっているので、別に数値文字参照しなくても直接、古代ギリシア文字を打てばいいじゃないかという声もあるかもしれない。でも、そうはいかない理由がある。

実は「ファンタジィ事典」は事典サイトなので、更新が面倒臭い。たとえば、新規で妖怪を追加することを想像してみて欲しい。たとえば、イギリス伝承の「アーヴァンク」を追加したとする。そうしたら、afanc.htmlという項目ができるだけでなくて、更新履歴のところにアーヴァンクが載る。五十音検索のア行にも載る。イギリス伝承の項目にも載る。それを全部、管理するのは難しい。若い頃にはデータベースという考え方がよく分かっていなかったボクは、それならばExcelで全て管理しようと決意した。メモ帳に妖怪の説明だけを書いて、Excelに紐づけて、全てExcelマクロでhtml化している。テキストファイルにhtmlの本文だけを書いておいて、後は全てExcelでhtmlに変換して書き出している。Excelの文字コードが基本的にはShift_JISなので、テキストファイルはShift_JISで、マクロで最後にutf-8に変換している。

……みたいな技術的なことを書くと意味分からんと思う人がいるかもしれない。でも、裏側はそういうことなのだ。WordPressなんかはphpファイルがデータベースにアクセスして、その場でhtmlを吐き出している。同様のこととして、ボクは箱庭形式で、デスクトップ上でExcelをデータベース的なものとして取り扱って、htmlを吐き出してサーバにあげている。

そんなボクからすると、絵文字の歴史というのは、まさに文字コードとの戦いの歴史だと認識している。現在、絵文字は国際社会に広く受け入れられている。「emoji(イーモジ)」などと呼ばれて、誇るべき日本の文化だとされている。オバマ大統領も2015年のスピーチの中で、日本由来のものとして、空手やカラオケ、漫画、アニメと並べて、絵文字を挙げているし、栗田穣崇氏が監修したドコモ絵文字は、2016年10月にニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されている。それでも、ボクは文字コードの歴史の観点では、日本の技術者たちの敗北だったと思う。……ちょっと思うところがありすぎて長くなりそうなので、絵文字の歴史の詳細については次回に譲りたい。(続く)

  

2025年3月23日 1言語に短期集中で絶賛、言語学習なう

2月7日の記事「語られる妖怪を耳で捉えたいので」で、Duolingoを始めて、各国語を学習しているという話を書いた。ボクはいろんな国の言葉に興味があるので、学ぶことそのものはとても楽しいし、多方面に気持ちが向かってしまう。しかも中途半端に器用だから、こなせてしまうんだけど、でも、先日、14か国語学習者のkazuさんがYouTubeの中で、言語学習のコツとして、取り敢えずは1か国語に絞って短期集中した方がよいと語っていたので、それならば1か国語に専念しようということで、現在点は韓国語(厳密には朝鮮語だと思うんだけど)にフォーカスして学習することにした。そして、もう少しで1か月くらいが経とうとしている。結論から述べると、kazuさんは正しい。今、日常生活の中で、簡単なことであれば、韓国語で表現できることができるようになってきた。

たとえば「バスが8時半に到着する」とか「今日は子供と一緒に公園に行く」とか「家でテジコギとピビンパを食べる」みたいなことは韓国語(朝鮮語)で空でも言えるようになった。厳密には時制とかモダリティは合っていないのかもしれない。でも、多分、韓国人相手に言いたいことは伝わるだろう。全く知らない言語でも、1か月集中するとここまで来れるのかと、正直、驚いている。ヒアリングとスピーキングが含まれているので、Duolingoの教材が優れているのかもしれない。朝と夕方、15分×2回を毎日、続けているので、継続はチカラなりということなのかもしれない。kazuさんは1か月半くらいで1つの言語はある程度まで行けると言っていたが、それも一理あるのかもしれないなと感じている。

このペースで韓国語(朝鮮語)をある程度、会得したら、ベトナム語も同じくらいに持っていきたいなあ。Duolingo、タイ語が搭載されないかなあ。今、タイの妖怪の調査に難航しているので、タイ語がマスターできたらよいよなあ。

  

2025年3月9日 朝鮮の妖怪をインプット中

人生にはインプットのフェーズとアウトプットのフェーズがある。こうやってウェブサイト運営なんかをやっていると、ついついアウトプットに追われてしまう。でも、本当はインプットの方がずぅっと大事。なので、あんまり無理をしないで緩やかにやりたいなとは思っている。でも、ついついアウトプットに気持ちが向かってしまうんだよなあ。

そんなわけで、今日はずぅっとインプット。一日中、朝鮮の妖怪をインプットしていた。否、厳密にはインプットするための下地作りをしていた。

朝鮮語を学んだので、朝鮮語でいろいろとネットサーフしていたら、朝鮮の妖怪が比較的、たくさんまとまっているウェブサイトがいくつか見つかって、それなりの品質が確保されていそうだったので、それらを拾い出して、一日中、朝鮮の妖怪リストを作成していた。すでに120項目くらいの一覧になっているので、これらを順繰りと情報収集していけば、順次、「ファンタジィ事典」に朝鮮の妖怪を更新していけるのではないか。

フィリピンの妖怪をまとめるときにも、同様に一覧を作成している。もちろん、こういう一覧というのは玉石混交で、有名な存在もあれば、地方の非常にマイナな妖怪もいる。でも、こうやって一覧にしておくことが重要で、そこを起点に調査を進めて、面白かったらピックアップして「ファンタジィ事典」に掲載するアプローチがとれる。データベースは取捨選択の基礎だ。

フィリピンの妖怪も、実はすでに300項目くらいの妖怪の一覧が手元の資料として準備されている。妖怪の名前だけでなく、各項目について、ある程度、英語とフィリピン語の簡単な情報も拾ってある。こういうのを足掛かりに深堀していって、情報が少ないものとか、掲載してもあんまり面白くなさそうなものは載せていない。ベトナムの妖怪も同様で、すでにかなりの量の妖怪の一覧は出来上がっていて、かなりの量のベトナム語の情報は拾ってある。ここから深掘りして、面白ければ載せていく次第だ。

一方、タイの妖怪はあんまり、一覧になっているようなウェブサイトがないので、なかなか情報収集に苦慮している。

今回、朝鮮の妖怪について、朝鮮語で拠って立つべき情報源がいくつか見つかったので、ここを足掛かりに、項目を広げていけそうだ、などと密かに思っている。

そんなわけで、表面的にはウェブサイトは更新されない。でも、粛々と情報収集は進んでいるよ、というお知らせというか、言い訳というか。まあ、これからちょっと朝鮮の妖怪にアプローチするよ、という予告でもあるわけで……

  

2025年2月17日 メンフィス系神話を一気に更新だ!!

久々にウェブサイト「ファンタジィ事典」エジプト神話の項目を更新した。

エジプト神話って、いくつかの系統がある。具体的には、太陽神ラーを中心にしたヘリオポリス系神話、8柱の原初神で構成されているヘルモポリス系神話、そして創造神ペテフ(プタハ)を中心としたメンフィス系神話などがある。そんなことを考えながら、自分のウェブサイトを眺めていたら、メンフィス系神話の項目がほとんどないなあと気になって、覚悟もなく軽い気持ちで作業を始めてしまった。でも、資料も多いし、解釈も複雑怪奇だし、何よりも歴史とか地理とか文化なんかが全然、解像度高く頭の中にインストールされていなくって、結構、時間が掛かってしまった。本当は3日くらいで終わるだろうと思っていたら、1週間以上、悩んでしまった。

そんなわけで、メンフィス系神話の創造神ペテフ(プタハ)、その妻のセケメト(セクメト)、息子にして睡蓮の神ネフェルテム、原初の丘タアチェネン(タテネン)、そして冥界神セケル(ソカル)を更新してみた。

メチャクチャ、エジプト神話って入り組んでいて、ちょっとやそっとじゃまとめあげられない。それを痛感した。でも、頑張ったので、是非是非、読んでみて欲しい。そのうち、エジプト神話のイラストも描いてみようかな。図像に忠実にやれば、きっとそこそこ楽しんでくれる人もいると思うんだよね。ふふふ。

  

2025年2月7日 語られる妖怪を耳で捉えたいので

妻のちぃ子に誘われるままに、1月から「Duolingo」を始めた。言語学習アプリだ。英語はもちろんのこと、ベトナム語や中国語、韓国語、アラビア語、ラテン語など、さまざまな言語の学習を楽しんでいる。一問一答式で、いろんな問題が出題される中で、文字を読んで、文字を入力して、耳で聴いて、声に出して……を繰り返していくので、リーディング、ライティング、ヒアリング、スピーキングを次々にこなすような仕組みになっている。だから、脳みそが汗をかく感覚があって、短時間の中で脳汁がブシャーと溢れ出るようなイメージがある。もうすぐ1か月になろうとしているが、体系的というよりは感覚的に言語を覚えているような気がする。

うまくやれている気がするので、そのうち、ギリシャ語(現代ギリシャ語)やフランス語もやってみたいなあ。欲張りなボクはそんなことを思っている。ヘブライ語もあるんだよなあ。フィリピン語、とかタイ語、ミャンマー語など、ボクが今、妖怪を更新している国の言語が整備されていないのが残念ではある。

でも、ベトナム語と韓国語を学びながら、その国の言語で妖怪を調べることが苦にならなくなってきた。特に良いなあと思っているのは、最近、妖怪の解説がYouTubeになっていることが多くって、そういうのを視聴しながら「あ、今、『名前』って聞こえた!」とか「なんか分からんけど、否定文になっているぞ!」とか「あ、『パプ』って言ったから《飯》だな」などと楽しめる点だ。

妖怪は「語られる」存在なので、本来は耳で聴くのが一番いいはずだ。だから、ちょっとでもそういう境地に近づいていきたいなあと思っている次第。まあ、まだまだ入門も入門なんだけどさ。長期的な視座で頑張って行こうと思っている。そのうち、その国に行こうと思うかもしれないしね。

  

2025年1月16日 アジアの妖怪をドドドドン!

アジアの妖怪をドドンと一気に更新した。フィリピンの妖怪からはキスをするだけで仲間を増やす吸血鬼バンキランベトナムの妖怪からはおかしなポーズで空を飛ぶことでお馴染みの吸血鬼マーカーゾン朝鮮の妖怪からは殺されても尚、運気を向上させてくれる聖獣ミョドゥサ、そしてタイの妖怪からは赤ん坊を守護する獣頭の女神メースーをエントリー。ちょっと本気を出してみた。「今年もアジアの妖怪を頑張る!」と宣言したので、その意気込みを形にして示してみた格好。

フィリピンは英語圏なので、比較的、資料は豊富だし、検索もしやすいし、訳すのも難しくはない。ベトナムの妖怪はベトナム語、朝鮮の妖怪は朝鮮語、タイの妖怪はタイ語のウェブサイトを参照して調査をしたので、結構、頭の中がぐるぐるしている。でも、とてもドーパミンがドバーっと出て、楽しい時間だった。結構、雑には扱わずに、丁寧に裏取りをしながら調べたので、それなりの品質の立項になっていると思う。

マーカーゾンは足の親指を鼻の穴に突っ込んで飛ぶので、近いうちにイラストに描き起こしたいと思う。ミョドゥサも文献だけ見ると子ネコの頭にヘビの身体と記されているんだけど、最近の子供向けの韓国アニメでは、でっぷり太った胴体の長いネコとして描かれているので、ちょっとそういう要素も取り込みつつ、イラスト化したいなと思う。妄想は膨らむなあ。

  

2025年1月14日 ベトナムのマーとクイ

ベトナムの妖怪については、基本的にはズイ・ヴァン氏のウェブサイトMa Quỷ Dân Gian Ký(ベトナム語)を参考にしている。水木しげるが描く妖怪に感銘を受けて、ベトナムで妖怪を蒐集し、イラストに描き起こしている人物だ。最近、日本でも取り上げられることがある(ベトナムスケッチ:ズイ・ヴァンが紐解くお化けの話など)。

そんなこともあって、ベトナム妖怪の調査にも精を出しているところで、ベトナム語も少しだけ勉強し始めた。ベトナム語は漢字文化圏のひとつだ。文字コード的にもCJKVとして体系化されている。中国、日本、韓国はよく知られていると思うけれど、4番目の「V」はベトナムの「V」である。現在のベトナム語では、文字はフランス語みたいにアルファベットにいろいろと装飾がついたみたいな感じになっている。でも、音を元を辿れば漢字に直せるものがほとんどだ。

たとえば、マーライとかマーヴーザーイなどの「マー」というのは漢字にすれば「魔」であるし、クイモッゾーの「クイ」は「鬼」である。ベトナム語の妖怪関連のウェブサイトを回っていると「マー」と「クイ」が併記されている表現が多い。「ma đưa lối, quỷ dẫn đường」(マーが道を示して、クイが道で導く)という表現はベトナムではよく知られた言葉らしい。

面白いのは、ベトナム語と中国語で意味が逆転しているところだ。中国語だと「鬼」は死者であり、幽霊だ。日本語にもその名残があって「鬼籍に入る」とか「鬼門」などは、この中国の鬼の《霊》という意味が残っている。一方の「魔」というのは「悪魔」とか「魔神」とか「魔物」という意味である。これがベトナム語では逆になっていて、マーが幽霊で、クイが魔物になっている。いつの間にか意味が逆転しているのが面白い。

そんなことをベトナム語を学びながら、ベトナム語のウェブサイトを散策しながら、楽しんでいるところである。

  

2024年6月7日 666には間に合わず(>人<)

ソロモン72柱の「ベレト」を描いてみた。詳細はウェブサイト「ファンタジィ事典」のベレトを参照にしてもらえればいいのだけれど、今回、ラテン語の『悪魔の偽王国』のボリュームが多くて、翻訳に苦労した。英語の『ゴエティア』も結構、分かりにくさはあって、フランス語の『地獄の辞典』も『悪魔の偽王国』を参照しているはずなのに、かなり端折った感じになっていて、時間を要してしまった。

本当は、ね。令和6年6月6日が「666」になるので、その「獣の数字」に合わせてソロモン72柱の悪霊をひとつ更新したくて準備をしていた。でも、何やかんやで結局、1日遅れになってしまった。クッソゥ。

ベレトの場合、他の悪霊たちとは違って、ルイ・ル・ブルトンの元絵がないので、自由に描くことができるが、それはそれで難しさはある。特にベレトについては『悪魔の偽王国』や『ゴエティア』の中に外見や風貌に関する記述がなくって、蒼ざめたウマに乗っていることくらいか記述がない。

ベレトのイラスト

ちなみに「蒼ざめたウマ」と言えば、キリスト教の世界では『ヨハネの黙示録』の四騎士を連想するはずだ。支配(白いウマ)、戦争(赤いウマ)、飢饉(黒いウマ)、そして死(蒼ざめたウマ)をそれぞれ象徴している。「蒼ざめた」というのはギリシア語では「緑」ということなので、今回、ウマの色は緑色と灰色の混ざったような色にしてみた。また、蒼ざめたウマを駆っている人物は死の象徴ということで、しばしば死神みたいに描かれる。死神は黒いローブをまとった骸骨っぽいイメージなので、今回、赤黒いローブに身を包んだ骨張った悪霊にしてみた。前を先導するネコとネズミは『地獄の辞典』の絵をそのまま援用している。

そんなわけで、ボクなりのベレトになっている。さあ、次はプルソンだなあ。プルソンはプルソンで、文章そのものは短いんだけど、訳しにくいと言えば訳しにくいんだよなあ。「aerial」がどういう意味なのか、解釈は人それぞれで、訳しにくい。でも、まあ、頑張ろう。

  

2024年4月6日 フィリピンからタイに徐々に移行!?

ウェブサイト「ファンタジィ事典」にケルト神話がないというのに気づいて、大慌てで準備して、ようやく、ケルト神話の項目を掲載し始めたボクである。それから、タイの妖怪も精力的に追加してみている。フィリピンの妖怪に続いて、タイの妖怪の絵も描いてみたいと思っているから、まずは項目を準備して、頭の中を整理しておこうと思っている。

フィリピンの妖怪も、もちろん、まだまだたくさんいるので、引き続き、調査して掲載していきたいんだけど、でも、元々、マニアックなところで、さらにマニアックなところに踏み込んでいきすぎると、あんまりよくない。フィリピンにおいてメジャーなところをある程度押さえたら、そこで一度、線引きをして、そこから先は緩やかにして、別に国の要所を抑えた方が、きっと事典として広がりがある。次はタイの妖怪をターゲットにしてみようかな、と思っている。

タイの妖怪は、でも、タイ語なので、フィリピンの英語とは違って、なかなか難しさはある。今は便利な時代で、タイ語であろうがミャンマー語であろうが機械が翻訳してくれるんだけど、英語のサイトと違って、タイ語のウェブサイトだと、絞り込みが難しい。英語だったら、妖怪の名称に加えて、「現地の姿」とか「神話」とか「イラスト」とか、それこそ、いろんなキーワードをつけて情報の精度を上げていけるけど、タイ語だとそういうところに難しさがある。それこそ、googleで上がってきたら、上から順にみていくしかない。それでも、まあ、機械が訳してくれるので、いい時代にはなったと思う。

  

2023年10月16日 アイルランド神話、始めました。

2009年からウェブサイト「ファンタジィ事典」を運営してきたボクであるが、実は最近になって、ケルト神話に一切、触れていないことに気がついた。大抵、世界の神話を挙げていけば、5本の指にケルト神話が入ってくる。日本神話は当然として、ギリシア・ローマ神話、北欧神話、ケルト神話、メソポタミア神話、エジプト神話、そしてインド神話なんかを解説するはずだ。それなのに、当ウェブサイトでは、どうしたことか、ケルト神話がすっかりと抜け落ちている。

正直、若かりし頃のボクにとって、ケルト神話って難解だったのだ。資料に乏しく、断片的で、だから、何となく敬遠していたのは事実だ。そもそも一言でケルト神話と言っても、「島のケルト」と「大陸のケルト」で全然、内容が違うし、「島のケルト」の中だって、アイルランドとウェールズで異なっているのだ。

それから、古アイルランド語の正しい発音が難しくて分からなかったというのも大きかったと思う。どういう呼称で固有名詞を立項していくか悩んでいたら手が止まってしまった。

そして、当時の気持ちのまんま、すっかり忘れてしまっていたのだ。そんなわけで、まずは緩やかにアイルランド神話をまとめていかねばと、重たい腰を上げた次第。とりあえずケルト神話のページを立ち上げて、項目をゆるゆると作成中。

  

  

2023年8月13日 ピーツピ・ジジジ

YouTube「ゆる言語学ラジオ」を日常的に楽しんでいるボクだが、遂には動物語に手を出したようで、シジュウカラ語について学ぼうという回が公開された。

シジュウカラ語で「ピーツピ」は《警戒せよ》、「ジジジ」は《集合せよ》という意味で、それぞれ別の語彙として、それぞれの場面で使われるらしい。たとえば、危険が迫っていれば、「ピーツピ」だけで単独で用いられるし、餌があるときに「ジジジ」と鳴いて仲間を集めることもあるらしい。

その上で、シジュウカラ語には「ピーツピ・ジジジ」という複合語もあって、これは「敵がいるので隊列を組んで威嚇行動をとれ」という意味になるらしい。シジュウカラたちが集まって、隊列を組んで、高速で羽ばたいて、モズなどの敵を威嚇するらしい。

「ピーツピ」と「ジジジ」を録音して、モズのような鳥の模型を用意して、「ピーツピ・ジジジ」と音声を流すと、威嚇行動をとる。しかし、「ジジジ・ピーツピ」の順番だと、シジュウカラは威嚇行動をとらないのだという。つまり、語順がとても大事ということだ。

シジュウカラがシジュウカラ語を話すように、シジュウカラの仲間のコガラという鳥も、コガラ語があって、《集合せよ》は「ディーディーディー」という鳴き声なのだという。そして、シジュウカラとコガラは、ときに「混群」と言って、一緒に群れをつくって行動をするらしく、シジュウカラたちは、コガラ語もちゃんと理解して、連携しているのだという。

ルー大柴のルー語(寝耳にwaterや藪からstickなど)に着想を得て、試しにシジュウカラの「ピーツピ」とコガラの「ディーディーディー」を組み合わせて、「ピーツピ・ディーディーディー」と流してみると、シジュウカラたちはちゃんと威嚇行動に移ったという。つまり、シジュウカラはルー語のような日本語と英語を組み合わせた造語(この場合、シジュウカラ語とコガラ語の組み合わせ)をちゃんと理解できるということになる。

そんなわけで、動物言語学という新しい学問が出来上がったという話である。面白いので、是非、ご視聴あれ。

  

  

2023年5月31日 バナナはおやつは入りますか?

息子のツクル氏が学校のイベントで、1泊2日の宿泊体験に行く。その準備を手伝っていたら、しおりの持ち物に「おやつ」が書いていない。「おやつはないの?」と聞いたら「そんなのないよ」と言われた。ないらしい。時代だろうか。「遠足にはおやつでしょ?」と言ったら、キョトンとされてしまった。やおら、「遠足じゃないから。宿泊体験だから」とツクル氏。「え? 宿泊体験だって遠足でしょ?」とボク。そうしたら「違うよ。遠足は泊まらないでしょ。ボクたちは一泊するんだよ?」と笑われた。えー、そうなの? 一泊したら「遠足」じゃないの?

そこで、我が家の辞書で調べてみる。まずは愛すべき「新明解国語辞典」より。

えん そく0⃣ヱンー【遠足】ーする(自サ)〔見学・運動などのため〕教員が児童・生徒を引率して、交通機関をなるべく利用しないで遠くへ行くこと。

となっている。「交通機関をなるべく利用しないで」とわざわざ書いてある。続いて「三省堂国語辞典」より。

えん そく[遠足]《名・自サ》〔見学・運動のため〕<歩いて/日帰りで>遠くへ行くこと。

なるほど、こちらも「歩いて」という点が強調されているので、新明解くんの「交通機関をなるべく利用しないで」とニュアンスは近い。そして「日帰りで」というのも明記してある。うーん。

それならば、みんな大好き「広辞苑」ではどうか。

えん-そく ヱン‥【遠足】①遠い道のりを歩くこと。また、日帰りできるくらいの行程を歩くこと。誹風柳多留49「―の達者二人で六郎兵へ」。福沢諭吉、福翁百話「強壮に誇る若紳士の仲間には、游泳競漕―等の大挙動なきに非ざれども」②学校で、見学・運動などを目的として行う日帰りの校外指導。<[季]春>

やはり「足」がつくだけあって、「歩く」という点が大事らしい。「日帰り」とも書いてある。そして、春の季語であるらしい(笑)。なるほど。

以上から、ツクル氏が正しいことが分かった。遠足はあくまでも「歩いていく」ことが原義であって、日帰りの範疇でやるものらしい。だからって「おやつ」はないわけじゃないと思うのだけれど……。さてはて。

  

  

2023年5月25日 「本日は休肝日をお休みします」

最近、妻のちぃ子が体調を崩していて、原因不明の頭痛に悩まされている。背中が凝り固まっていて、マッサージすると解消するので、血流がよくないのかもしれない。

そんなこんなで、日々の晩酌を取りやめて、休肝日にしていた。ところが、先日、「本日は休肝日をお休みします」と言って晩酌を始めた。あまりにも面白い表現に笑ってしまった。アルコールを節制して、肝臓を休める日なのに、それを休むというのだから、休むことを休むという不思議な構造の表現になっている。

言葉の面白さについつい記事にしてみたよ、というだけの話。

  

  

2023年4月27日 「えーっと」と「あのー」はどう違うのか。

YouTubeの「ゆる言語学ラジオ」のパーソナリティのお二人が『言語沼』を4月に出版したので、早速、読んでみた。

いつものラジオの軽妙な会話が忠実に再現された対話型の本で、推敲されているので、無駄がなくてキレキレである。文体はゆるく書かれているし、難しくないけれど、よくよく読むと、「連濁」「アニマシー(生物性)」「音象徴」「フィラー」「調音点」「オノマトペ」「格助詞」など、実はがっつりと言語学っぽい内容でまとめられている。それを聞き手の堀元氏がちょいちょい難解な雑学を放り込みながら、面白おかしく茶化しながら進行していく。

純粋に「言語学って面白い」という読後感が残るので、とてもよい。是非、おすすめの1冊である。

  

  

2022年2月7日 鼎談

今日、業界新聞を読んでいたら、「鼎談」という語が出てきた。何だろうな、と思って調べたら、二者だと「対談」、三者だと「鼎談」だと書いてあった。「鼎」が三本足の器だから、三者が会談することを「鼎談」というらしい。へえ。知らなかった。知らないことってたくさんあるなあ。三者だから「鼎談」というのは、語源的にはちょっとお洒落だし、三者のためだけに言葉が割り振られている事実が、とても面白い。でも、あまりにも限定的な意味の言葉だから、きっと廃れていくだろうなあ。こういうお洒落な言葉は残しておきたいなあ、と思ったので、こうして微力ながら、「日々の雑記」に記して、オンライン上に記録を残していくスタイルであることよ。

  

2021年10月8日 fantasyはファンタシィ!?

ボクがウェブサイト運営を始めたのは2003年。大学生活の傍らで創作サイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」を立ち上げた。元々、大学の授業の一環でhtmlを学ぶ機会があり、そのまま、ウェブサイトの作成に没頭した。当時の日本では、まだ大手のウェブサイトは少なくて、大学に行けば「昨日の侍魂の記事、見た?」みたいに、ある程度、みんなの中で共通認識になるようなウェブサイトがあった。その後、2004年にサイト内のコンテンツのひとつとして「ファンタジィ事典」の構築に着手した。創作は時間が掛かる。ボクは音楽や絵は量産できないタイプなので、どうしても小説を書く方面に力を入れていたが、それだって、月に1本。それだけではウェブサイトとして成立しないので、日々の雑記で更新頻度を上げつつ、その傍らで、次第に創作活動から神話・伝承に軸足を移していった。そして、2009年に「ファンタジィ事典」を「ヘタっぴなアルコール蒸留」から分離した。2017年に大幅リニューアルを敢行して、現在に至る。

というわけで、実のところ、2004年からウェブサイト「ファンタジィ事典」をやっている。「ファンタジー」ではなく「ファンタジィ」なのは、「y」をカタカナ化するときに何となく「ィ」にすると格好いいと思ったからで、大学生の頃の若気の至りではある。でも、今でもそのまま「ファンタジィ」の表記でやっている。まあ、「ファンタジー事典」では、あまりにも一般名詞っぽいので、「ファンタジィ事典」にすることで、ちょっとした固有名詞感が出てよいかな、とも思っているんだけど、でも、最近のGoogleは賢いので、「ファンタジィ」でも「ファンタジー」でも、ほぼ同じものとして認識しているようで、「ファンタジィ」という表記で差異化を図っても、検索上、何も有利に働かないらしく、ちょっと頭の痛い問題ではある。

さて、本日の本題である。タイトルのとおりだが、英語のfantasyは、実は【ˈfæntəsi】と発音するらしい。つまり、ファンタシである。「ファンタジィ」でも「ファンタジー」でもなく「ファンタシ」だ。そりゃあ、そうか。「s」だもんね。たまたま、ファンタジィという概念について整理していて、本日、発見した。いやはや。ファンタシィか。でも、もはや日本語としては「ファンタジィ」の方が定着してしまっている。

  

2021年4月12日 「漢字『聞』の耳の形」問題と「漢字『聞』の部首」問題!?

息子のツクル氏が「チャレンジタッチ(進研ゼミ小学講座)」をやっている。結構、算数なんかはスラスラとやるが、国語、特に漢字は苦戦していて、いつもマスコットキャラクターのコラショに「ざんねんっ!!」と言われている。どうやら、お手本の漢字の模写をするというのが苦手のようだ。今日は「聞」という漢字で、「あれれー、形が違うよー」とコラショに言われていた。でも、何度やってもうまく書けないようで、いらいらし始めて、最終的には激怒した。だから、途中で「一緒にやろうかー」と割って入った。そして、ビックリした。「聞」という字は「門」と「耳」の組み合わせだと思っていたら、「耳」の形は、5画目の横棒が6画目の縦棒を突き出さないらしく、厳密には「耳」とは形が違う。ツクル氏は「門」に「耳」と思って書いているから、何で「あれれー、形が違うよー」と言われているのか分からずにイライラしていたらしい。そうかー、ボクも知らなかった。「耳」とは少し形が違うのだ。

……というわけで、漢字辞典で調べようとして、「聞」を「門部」で探したら見つからず、実は「聞」は「耳部」だった。本日、2度目のビックリ。「問」も「門部」ではなくて「口部」だった!! へえ。世の中、知らないことばっかりだ。

その後、いろいろとリサーチしたので補足説明をしておくと、漢字には「意符」と「音符」があって、字のとおり「意味を表わす部分」と「音を表わす部分」がある。「聞」の場合には「耳」は「意符」で、「門」は「音符」だ。「ぶん」とか「もん」という発音は「門」で表現されている。そして、部首というのは、基本的には「意符」の方で分類するのだそうだ。だから、「閂」とか「開」、「閉」みたいに「門」に意味があるときには「門部」になるけれど、同じような形でも、「聞」とか「問」のように「門」が「音符」として用いられているときには「門部」ではなくて「耳部」や「口部」に分類される形になる。

ちなみに「聶」とか「囁」は「耳」が3つついているけれど、上と右下は「耳」だけど、左下はやっぱり5画目の横棒の払いは6画目を突き出していない。同じ「耳」なのに、形が違うんだなあ。