《日々の雑記》

2025年12月24日 マリ・ルイドを描いてみた。

メリー・クリスマス。クリスマスなのに体調を崩してチキンもケーキも食べることが叶わない八朔シータです!!

さて、本日はちょっと趣向を変えて、ウェールズ伝承の「マリ・ルイド」を描いてみた。

マリ・ルイドのイラスト

マリ・ルイドはウェールズに伝わる死と再生を司る精霊だ。頭はウマの頭蓋骨で、新年になると家々を訪問し、カタカタと歯を鳴らして子供を脅かす。まさにウェールズ版の獅子舞である。

家主はマリ・ルイドがやって来ても、おいそれとは家に立ち入らせない。いろいろと理由を捏ねて、立ち入りを拒否する。マリ・ルイド側も、ああだこうだ家主を論破していく。そして、押し問答の末に家に入り、ビールをねだり、家の中を走り回る。子供たちを追いかけまわす。そのような興成の即興劇みたいなものが、繰り広げられるらしい。最終的には訪れた家に幸運をもたらすらしいので、ナマハゲにも似た存在とも言えるかもしれない。

と言うことで、クリスマスなので、それにまつわるような形で、マリ・ルイドを載せてみた。

2025年12月20日 『ω城の惨劇』を読むために

忙しくて久しくまともに本屋に行けてなかった。久々に有隣堂に繰り出したら、森博嗣の『ω城の惨劇』が書店に並んでいた。10月に発刊されていたらしい。気づかなかった。そして、調べたら、どうやらこれでGシリーズは完結するらしい。なるほど。犀川創平&西之園萌絵シリーズ、瀬在丸紅子シリーズ、四季シリーズ、Xシリーズ、Wシリーズ、百年シリーズなど、いろいろなシリーズが出ていて、複雑怪奇な森ワールドを展開している。全部、追い掛けていて、ようやくGシリーズが完結する。

Gシリーズはこれまで『χの悲劇』と『ψの悲劇』が出ていて、エラリー・クイーンの『Xの悲劇』『Yの悲劇』のオマージュだ。ドルリー・レーンが主人公の悲劇四部作。『Zの悲劇』と『レーン最後の事件』が続く。だから、当然、森博嗣も『ωの悲劇』で締めるのかな、と思っていたし、そういうアナウンスがなされていた。それなのに『ω城の惨劇』が締めだった。ただ、悲劇四部作の最終巻の原題は『Drury Lane’s Last Case』だから、森博嗣のGシリーズ最終巻の英語副題「SAIKAWA Sohei’s Last Case」を鑑みれば、ある種、オマージュとしては成立している……のかもしれない。

さあ、読むぞ、と思ったんだけど、森博嗣のGシリーズを最後に読んだのはおそらく4年ほど前。最後の巻が島田文子が登場して、未来の話で、とても衝撃的だった記憶だけが残っていて、内容をすっかり忘れてしまった。犀川や西之園、瀬在丸や保呂草、四季、その他大勢の複雑な人間関係も、朧げになっている。うーん。そうか。せっかくなら、森博嗣のサーガを全部、再読破するか。

そう思って、『すべてがFになる』から読み始めることにした。そのうち、『ω城の惨劇』に辿り着く。1か月? 2か月? もしかしたら半年後かもしれない。でも、それでいいや、と思っている。そのくらいの時間軸でゆっくり読んで、『ω城の惨劇』に到達しようと決めた。

2025年12月17日 三つ目入道を描いてみた。

日本伝承の「三つ目入道」を描いてみた。

三つ目入道のイラスト

三つ目入道は、三つ目の大男で夜道で人を驚かせる。江戸時代の草双紙ではしばしば妖怪の親玉として多くの手下を率いている。『化物一代記』(作:伊庭可笑、画:鳥居清長)では人間として誕生し、三つ目入道に成長して妖怪の親玉になった。

実は今回、密かに「妖怪の親玉シリーズ」というのをやってみた。見越入道ぬらりひょんももんがあ、そして三つ目入道。いずれの妖怪たちも、妖怪の親玉である。江戸時代の草双紙では、断トツで見越入道に軍配が上がる。次点で三つ目入道。三番手がももんがあ。昭和に入ると、ぬらりひょんが妖怪たちの親玉になる。

見越入道のイラスト ぬらりひょんのイラスト ももんがあのイラスト 三つ目入道のイラスト

実は、他にも『稲生物怪録』だと山本五郎左衛門と神野悪五郎の二大巨頭が化け物たちを率いているし、『異境備忘録』では12人の魔王がいて、その筆頭は造物大女王だと言うし、いろいろといるんだけど、今回はこの4匹の妖怪にとどめてみた。そのうち、他の親玉も描いてみたいなあ。

2025年12月10日 ももんがあを描いてみた。

日本伝承の「ももんがあ」を描いてみた。

ももんがあのイラスト

着物を頭にかぶってモモンガの真似をして子供を脅かす遊びから発展したとされる妖怪。箱根の先に隠居した「廃れ者」妖怪の代名詞でもある。

ちなみに、最近はずぅっと、勝手に「妖怪の親玉」シリーズをやっている。見越入道ぬらりひょん、そしてももんがあ。ももんがあが江戸時代の庶民にとって妖怪の親玉的な存在だったかどうかは分からない。でも、赤本『是は御ぞんじのばけ物にて御座候』では化け物たちを率いて見越入道と戦っている。

十返舎一九の黄表紙『怪談深山桜』では、見越入道はももんがあから化け方のことごとくを伝授してもらって、化け物たちの総お頭に就任するのだから、もともとは偉かったと言えるだろう。

2025年12月6日 またもや「音楽深化論」がやってくれた!!

みのさんが主催の「音楽深化論 the battle」の第3回目大会が始まった。第2回で古山菜の花が圧倒的な存在感を見せつけたので、楽しみにしていた。そうしたら、のっけからやられた。Kokemaro(こけつまろびっツ)の『蚊の研究』を是非、お楽しみいただきたい。

徹頭徹尾、ナンセンス詩の極みで、意味が分からない。でも、雰囲気はある。結構、コメント欄では「歌詞がもっとよければ」的な意見が多い。でも、何だか分からない言葉の連なりからでも感じられるものはある。それをフィーリングで自由に感じとることこそが、こういうナンセンスな音楽へのアプローチであって、楽しみ方だと思う。意味が通る文章にしか意義を求めないのでは、ちょっと感性が足らなすぎる気がする。

それに、iTuneで楽曲をダウンロードしてみたら、彼らの「鳩」という楽曲があって、そちらはもっとずぅっと歌詞としては分かりやすい。こういうちゃんとした(?)歌詞というか、物語も作れるのだ。まあ、分かりやすいけれど、ナンセンスで不条理な世界は変わらないんだけど。「鳩」なんかは、ある種の筋肉少女帯のような雰囲気もあったりする。

女性のコーラスが途中から入ってきて、いい雰囲気になる。これにも批判は集まっていて、もっと上手な歌手がいるだろうという批判なんだろうけれど、でも、この中途半端さ、発展途上な感じの生っぽさに違和感があって、味があって、この楽曲の雰囲気に合っている。狙ってやっているのか、偶然、こういう形になったのかは分からないけれど、個人的には、このまんまで突き進んで欲しいなあと思ったりする。何て言うんだろう。滅茶苦茶上手なバックバンドの上に、男性ボーカルと女性コーラス、歌詞の生み出す嘘臭さ、作り物みたいなざらざら感みたいなものが、とてもよい味になっていると思っている。

2025年12月3日 ぬらりひょんを描いてみた。

日本伝承の「ぬらりひょん」を描いてみた。

ぬらりひょんのイラスト

ぬらりひょんは鳥山石燕の『画図百鬼夜行』などに描かれる謎の妖怪。昭和の妖怪本では、他人の家に勝手に上がり込んで、まるで家人のようにお茶などを飲んでくつろぐと解説されている。アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』では、日本妖怪たちの総大将みたいな位置づけになっている。『ぬらりひょんの孫』でも、鬼太郎のイメージは踏襲されている。

このように、妖怪たちの親玉と言われることも多いが、実際のところ、江戸時代の文献では、解説などが何もない絵だけの妖怪なので、その正体は不明である。むしろ、江戸時代の草双紙の中では、妖怪たちの親玉が誰かという勝負をしたら、間違いなく、見越入道に軍配が上がるだろう。

2025年11月30日 ものものけけけけものものけけけけ

昔も今もたまが大好きな八朔シータ。YouTubeで知久寿焼氏を見て魂消る!!

というわけで、まさかのたまの知久さんが音楽進化論に出演していて、本当に驚いた。しかも「令和のたま」の異名をとる古山菜の花氏とのコラボだから尚更。

何が凄いって、この番組で、知久さんのバックグラウンドが分かる。彼がどんな音楽に影響を受けてきたのか。どんなことを考えているのか。しかも、知久さんがボイスメモを使って音楽のアイディア出しをしているというのに、ちゃんと知久さんもテクノロジィに対応しているのだなあと思って、感慨深い。しかも、こうやってYouTubeに出てくるのも、今風に対応している感じがする。

最後、古山菜の花氏の作詞・作曲の「もものけはいない」という楽曲を、知久さんとコラボで演奏する。これがまた圧巻だ。もちろん、古山さんの楽曲のクオリティというか、遊び心も素晴らしいんだけど、ある意味で完成された楽曲に対して、当たり前のように「元々こんな風でしたよ」という雰囲気で合いの手を入れて、音楽を成立させてしまう知久さんの音楽理解というのか、音楽包容力というのか……なんか、もう、圧巻なのだ。しかも、前半は知久さんの徹底解剖なので、照れくさそうにポツポツと話しているんだけど、後半の古山さんの徹底解剖になると、妙にリラックスして自然体で話していて、それがまた素敵だ。優しい。

2025年11月26日 日本伝承の見越入道を描いてみた。

日本伝承の「見越入道」を描いてみた。

見越入道のイラスト

見越入道は夜道などに通行人の前に出現する。「背が高い男だな」などと見上げてしまうと、どんどん大きくなって、遂には通行人は気を失ってしまう。「見越入道見越した!」などと唱えたり、見下ろしたりすると消えると信じられている。

江戸時代の草双紙の中では、妖怪たちの親玉として活躍することが多い。草双紙の中の妖怪たちは、大抵、人間に舐められている。手下の妖怪たちを囲んで、どうやって人間たちの鼻を明かしてやろうかと相談するとき、見越入道がリーダーシップを発揮している。

2025年11月21日 キノコ雲をあしらったランプ!?

いつだって優しさが大事だと訴え続けることにしている八朔シータである。こんにちは!!

最近、巷でaespaが炎上(?)している。最近のK-POPの中では格好いいし、個人的には嫌いじゃない。でも、ボク自身は紅白に外国のアーティストを呼ぶことにはあんまり賛同はしていない。まあ、でも、そうは言っても、うん。今年の日本のビルボードランキングではaespaのWhiplashがかなり上位に食い込んでいたからなあ。まあ、紅白出場というのは、妥当な判断かもしれないのかなあ。うーん。

でもね。でもね。紅白出場停止を求める署名にわざわざ賛同して彼女たちを排除しようとするのは、それはそれで悪意があるというか、性格悪いよね、とも思う。もっと楽しいことをすればいいのに。

2025年11月20日 マクロの世界とミクロの世界で考える視点

寛容さを大事に日々を暮らしている八朔シータ。さてはて。

最近、ニュース記事とSNSでのその反応を見ていて感じることがあるので、ちょっとここで書き出してみたい。最近のホットな話題で言うと、高市さんの「存立危機事態」を巡る発言だ。これについて、結構、SNSだけを見ていると高市さんに好意的な反応が多いように見受けられる。一方のオールドメディアだと批判的な立場での報道も結構、多い。ボクはこの是非を議論するつもりはない。個人的には、高市さんがちょっと勇み足だったかなと思うし、中国からはそこに付け込まれた格好だと思うので、結果としては好ましい状況ではない。

ただ、ボクが今回、書きたいのは、そういう高市さんの発言の是非とか、中国の対応の是非ではない。ずぅっと、SNSに横行する白か黒かみたいなザックリした考え方への違和感みたいなものが、ボクの中にはある。SNSだと「中国と仲良くする必要はない」とか「中国人が来るのは迷惑だからそもそも日本に来なくてもよかった」とか「中国人にホタテなんか渡さなくてもよい」とか、まあ、中国に対して敵対的で、高市さんを擁護する論調が多い。でも、ボクは立ち止まって少し考えてしまう。それって、あまりにも大枠での雑な考え方ではないかと思うわけだ。あまりに想像力が足らなすぎる。

たとえば、ボクの知人に、中国人と結婚している女性がいる。彼女の息子は小学校6年生だ。おそらくだけど、彼女の家は、今、とても窮屈な思いをしているのではないか。何しろ、彼女の息子にとって、父親は中国人で、父方の祖父母も中国人だ。攻撃の対象に晒されているし、祖父母との交流も難しくなっていくだろう。こういう目の前にあるリアルな世界に目を向けた上でも、「中国」という一括りの言葉で好き放題に発言できるのだろうか。

たとえば、中国企業も含めていろいろな国で商売をしている日本の中小企業がいて、たくさんの観光客の中には中国人もいて、そういう中で収益を上げている業態もたくさんある。ホタテを中国に売ることで利益を想定していた会社だって、当然、あるだろう。日本全体を考えれば、たしかに中国に依存しない経済の確立は進める必要があるだろう。オーバーツーリズムの解消も課題だから、観光客を抑制する活動も、超長期的には必要だ。ホタテだって、最終的には国内需要で賄えてしまうのかもしれない。でも、見つめなきゃいけないのは、そういうマクロの世界ではなくって、ミクロの世界だ。個人個人の立場で考えたときに、中国との取引が1件潰れることで大ダメージになるような零細企業だって、当然、ある。観光地だってそうだ。売り上げが確実に下がる。それで日々の生活が立ちいかなくなることだってある。それを国益のために受け容れろというのは、残酷な話だ。彼らにとっては、どの国の人であろうとも、必要な顧客であり、売り上げである。「中国人なんか相手にしていたから悪い。潰れてしまえ」と言えるのか。そういう人たちを黙殺して、日本全体にとってのプラスやマイナスを議論するというのは、あまりにも短絡的だし、思い遣りと創造力に欠けた発言だ。

SNSに書き込む前に、ちょっとだけ想像して、思い遣って欲しいよなあ。それって、そんなに難しいことなのかなあ。

2025年11月19日 朝鮮伝承のクミホを描いてみた

朝鮮伝承の「クミホ(九尾狐)」を描いてみた。

クミホのイラスト

クミホは中国の九尾狐が朝鮮半島に伝わったもので、1,000年生きたキツネが妖力を得て変化したものだ。朝鮮半島でも、中国と同様、美女に化けて権力者に取り入る点は変わらない。一方で、クミホは「狐珠」にまつわる独自の伝承を持つ。クミホは「狐珠」を口移しにすることで男性の精気を奪う。しかし逆にその「狐珠」を飲み込んだ人間は神通力を得るという。その一例として、「狐珠」を飲み込んだ秦國泰(チン・グクテ)という少年は、その後、名医になったと伝えられている。

最近の韓流ドラマでは、クミホは人間の肝臓を狙って近づき、そのままターゲットと恋に落ちてしまうというラブストーリーがよく描かれる。こういう妖怪と人間のラブストーリーというのも、クミホの中国や日本とは異なる特徴で魅力である。

2025年11月12日 朝鮮妖怪のトッケビを描いてみた

ここから少し頑張って、1週間投稿を繰り広げていきたい八朔シータである。

トッケビのイラスト

プルガサリに続いて、朝鮮伝承の「トッケビ」を描いてみた。トッケビは朝鮮半島の山や海に棲む精霊的存在だ。岩や木、古道具などに宿るとされる。夜道で旅人を驚かせ、牛を屋根の上に乗せるなどのいたずら好きな性格を持つ。山道で旅人にシルム(朝鮮相撲)を挑む。そういう意味では、河童にも似ている。勝利すると、消えてしまい、古い箒が残されているという伝承もあるので、正体は箒が化けた付喪神的な存在とも言えるのかもしれない。一方で、「トッケビの棍棒」で地面を叩くと望んだものが出てきたり、供物を奉げることで豊漁が期待できることから、福の神としての側面も持つようだ。

日本統治時代、日本語の教科書の中で、日本の「鬼」をトッケビと訳して紹介したため、両者が混同されるようになった。そのため、韓国本来のトッケビ像を復元しよう(日本残滓を排除しよう)と「トッケビ復元プロジェクト」が始まるなど、トッケビは政治的に利用されている側面もある。

今回描いたトッケビは、近年の韓国国内での議論を踏まえて、日本の「鬼」からは外れた形で表現にしてみた。角はないし、韓服を着ている。でも、こういう新しい「トッケビ像」に対して韓国国内でも批判はある。実際、角を描いている韓国のクリエイタも多いし、トゲトゲの棍棒を持たせていることもある。そういう意味では、扱いづらいところではあるんだけど、でも、トッケビを描かないで朝鮮妖怪を語れないので、今回、こうして描いてみた。

2025年11月6日 朝鮮妖怪のプルガサリを描いてみた

最近、ウェブマスターとしてサボりにサボっている八朔シータ。忙しくしていてすみません。体調不良ですみません。

プルガサリのイラスト

朝鮮伝承の「プルガサリ」を描いてみた。久々のイラストの投稿だ。約3か月ぶりくらい。

プルガサリというのは朝鮮半島の伝説に登場する鉄を喰う怪物だ。最初はかわいらしい小動物で釘などを食べて育つが、次第に巨大化して村中の金属を喰らうようになる。身体が硬くて誰も殺せないので「不可殺(プルガサリ)」と呼ばれている。

元々は中国の貘が朝鮮半島に渡ってこの怪物に進化した。だから、デザインとしては貘の面影があって、ゾウのような鼻を持った姿で描かれる。

日本ではあまり知られていないが、本来、中国の貘は、蜀(四川省)に棲息する白黒の斑らのクマみたいな謎の獣で、武器(竹製の弓とか槍とか)を食べる。そう書いたら、なんだ、それってパンダじゃんって思う。でも、武器が鉄製になった後でも武器を食べる属性が残り続けて、気づけば鉄を食べる獣になってしまった。おそらく、これが実在するマレーバクと混同されて、次第に容姿はパンダからマレーバクになっていった。それが朝鮮半島に渡ると鉄を食べて巨大化する怪物になり、日本に渡ると夢を食べる怪物になったわけだ。

そんなわけで、ここからしばらくは朝鮮半島の妖怪をいくつか投稿する予定。乞うご期待。

2025年10月29日 きんに

小学6年生の息子のツクル氏がこんなことを言い出した。

「ねえ、パパ。なかやまきんに君って変わっているよねえ?」
「ん? そう?」
「苗字は多分『なかやま』だと思うんだよね」
「うん」
「でも、名前は『きんに』だよね。変だよね」
「……うん?」
「きんにって名前って変じゃない?」
「やあ、きんには変だけど。それじゃあ、ワンピースのはっちゃんの名前は『はっ』になるのかな?」
「それは違うよ。『八なんとか』って名前だと思うよ。八郎とか。知らんけど。でも、タコだし。足が8本あるんだから」
「……ああ、そうか。え? じゃあ、さっちゃんの名前は『さっ』なのかな?」
「何でだよ! さちこだよ!!」
「さちこか。で、なかやまきんに君の名前はなんだっけ?」
「きんに!」

どういうこと!?

2025年10月19日 アジアについてもっと詳しく知ろうぞ!!

横浜にて息子と楽しく暮らしている。「世界の妖怪」蒐集家の八朔シータです。こんにちは。

この土日は、ボーイスカウトがJOTA-JOTIを開催している。ジャンボリー・オン・ジ・エアー・ジャンボリー・オン・ジ・インターネットの略。昔は色んな国のスカウトたちが無線で通信してコミュニケーションを図っていたらしい。今はインターネットも普及しているので、オンラインも駆使して交流しているようだ。ちなみに、無線やTeamsだけでなく、マインクラフトの世界での交流もあるようだ。スイスのカンダーシュテーク国際スカウトセンターがマイクラ世界に再現されているらしい(笑)。その辺はとっても今風だ。

息子のツクル氏は今回、Teamsで色んな国のスカウトたちと話をしたらしい。つたない英語でも、頑張ったと言っていた。そんな中で、とても印象的なことを言っていたので紹介したい。

「フィリピンとマレーシアとインドネシアのスカウトと話をしたよ。でも、すごいね。こっちが横浜って言うと知っているんだよ。こっちは向こうの首都だって知らないのに」

まさにそうだ。グローバリズムだと言いながら、あんまりアジアの国々について、ボクたちは学んでいないのかもしれない。ヨーロッパやアメリカのことは習うけど、アジアについては授業ではやらない。少なくとも、ボクの子供の頃はそうだった。

ボクは最近になって、ようやくアジアの妖怪に手を伸ばしている。ボクもアジアのことがよく分からなかったので、ずぅっと後回しにしてきた。仕事でアジアの国々を飛び回るようになって、ようやく「ファンタジィ事典」にアジアの妖怪を加えられるような心構えになった。

ニーズがあるのかどうかは分からない。でも、ボクは細々と「アジアの妖怪」を発信していきたい。アジアの妖怪を通じて、アジアの国々について、みんなが理解を深められればよいよなあ。息子と話しながら、そんなことを考えた。

2025年9月18日 互いを認め合って共存する時代

不寛容な世の中に鉄槌を。「世界の妖怪」蒐集家の八朔シータです。こんにちは。

チョコプラの動画での発言が顰蹙を買っているようだ。ヒカルのオープンマリッジ宣言も炎上している。「どうでもよいじゃないか」という気持ちがボクの中の半分以上。そして、「そんなことでいちいち批判する人がたくさんいることが悲しいな」と思う気持ちが残り半分だ。

SNSは炎上増幅装置だと思う。炎上らしきものを見つけると、みんなが嬉々として群がって、どんどんと薪をくべに行く。本来、そんなに大騒ぎするほどのことではなくても、お祭り状態で盛り上がる。そうして、最後にメディアが乗っかる。

いろんな価値観や意見を相互に認めることが多様性だとボクは思う。素人はSNSをするなという意見もあるだろうし、芸人こそ炎上するからSNSに気をつけろという意見もあるだろう。そもそもSNSは素人のものだぞという意見も納得である。どの意見を持っていてもいいじゃないかと思う。

オープンマリッジも、本来はそれぞれの夫婦の選択の自由だ。それに対して「0日結から3か月でその結論は早くない?」とか「ただ一人を愛する方がいい」というそれぞれの意見を抱くのは当然だ。でも、だからって攻撃するのは違うだろう。

不寛容な世の中だよなあと思う。あまりの窮屈さに息苦しさを覚える。今の世の中は多様性の時代だよ? 互いを認め合い、共存する状態だよ? 自分の正義が唯一で、相手を屈服させようとするのは、一番、多様性から遠いよね? ……と日々、嘆いているボクである。

2025年9月18日 不定期投稿。

最近、「日々の雑記」の投稿頻度が目に見えて落ちている。「世界の妖怪」蒐集家の八朔シータです。こんにちは。

大昔は毎日記事を書いていた時期もあって、この「日々の雑記」は、ほぼ「日記」のような存在だった。でも、ここのところ、1週間に1回くらいの投稿頻度にまで減っている。

毎日記事を書いていた頃は、ある種の中毒的でもあったし、義務感に追い立てられてやっていた感覚もある。それが2日おきになり、3日おきになって、今では不定期になり下がっている。でも、冷静に考えれば、熱狂的な読者がいるわけでもない。収益が発生しているわけでもない。ある意味では、あるべきところに落ち着いたというのが正しいかもしれない。

そんなわけで、開き直って「不定期投稿にするぞ」という決意も込めて、書き出しの文体を変えてみた。冒頭で自ら名乗ることで、書き手が誰なのかを常に明示するスタイルである。「世界の妖怪」蒐集家と肩書(?)を敢えて示すことで、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」が一応、世界の妖怪を対象にしたサイトであることを伝えている。

今後は、当面、こんなスタイルでやってみて、不定期投稿で続けていこうと思う。

2025年9月13日 貘はミャクでバクでマクでモー

中国起源の日本の妖怪って、たくさんいて、たとえば、貘(ばく)なんかはそうだ。

貘というのは、元々は中国の蜀(現在の四川省)に棲むとされる伝説的な怪獣で、昔から竹や鉄を食べると信じられていた。白黒のまだら模様で、クマに似ていたらしい。……鉄を食べるというのはちょっとオーバーだけど、竹を食べるというところまでなら、何となく「ああ、ジャイアントパンダのことだな」と思う。「竹みたいに硬いものを食べる謎の動物が四川省にいるよ」という話が、次第に伝言ゲームよろしく、鉄を食べるとか武器を食べるみたいな話に広がって行ったのだ。

ところが、途中で、マレーバクを見た旅行者が、白黒の謎の獣というところで「ああ、これが貘なのか!」ということで、クマみたいな姿だったはずの貘は、途中からゾウの鼻を持つ怪物への姿を変えた。そして、朝鮮半島を介して日本に伝わって、今のような姿になった。

ちなみに、日本の貘は夢を食べる。でも、中国の貘は夢を食べない。あくまでも貘が食べるのは鉄だ。朝鮮半島に伝わった貘はプルガサリと呼ばれていて、こちらは鉄を食べてどんどん巨大化する怪物になっている。夢を食べるのは、あくまでも、日本の貘の特徴だ。

ところで、学研漢和大字典によれば、周や秦などの古い時代には、貘はmăk(マク)と発音されたらしい。その後、隋や唐の時代になると、mʌk(マク)あるいはmbʌk(バク)と発音されたらしい。そして、元の時代に語尾のk音が消えて、mo(モー)となり、現代中国語のmò(モー)となっているらしい。日本に入ってきたときの音としては、呉音がミャク、漢音がバクだと説明されている。従って、măk(マク)からミャク、mbʌk(バク)からバクという発音が伝わったということなのだろう。日本では今でも、漢音のバクがそのまま使われ続けている。

たとえば、砂漠の「漠」は「バク」と発音される。角膜の「膜」は「マク」と発音される。「模」という漢字は、規模と書けば「ボ」と読むし、模型と書けば「モ」と読むわけで、bとmで揺らぎがある。「母」という字も、父母と書けば「ボ」だし、鬼子母神と書けば「モ」と読むことが多い。モは呉音、ボは漢音だ。

どうでもよいことなんだけど、妖怪を調べながら、そんなことを考えてしまうボクである。

2025年9月7日 月にはヒキガエルとウサギと桂の木とその木を伐る男が棲んでいる!?

ちょっとだけ、ウェブサイト小豆はかり桂男を更新してみた。どちらも冒頭の書き出しは従来の項目とは異なっている。いつもは「妖怪Aはこれこれこういう妖怪だ」と説明してから本文に入っている。でも、今回は両方とも、そういう始まり方ではない。読み物としてどんな導入がよいかを考えて、ちょっとアレンジして始めてみた。

そしてもうひとつは、おまけのコラム的な要素を増やしたという点だ。小豆はかりについては、水木しげるの描く小豆はかりについて、ちょっとだけ丁寧に書いてみた。実際に水木しげるの漫画を何度も読んで、そこで描かれる小豆あらいの雰囲気を拾い出して、書いてみた。

一方、桂男の方は月を巡る中国の伝承をたくさん載せてみた。月にはヒキガエルがいるとか、ウサギが薬草を挽いているとか、月には巨大な桂の木が生えていて、ずぅっと木を伐る男がいるなど、いろんな話を盛り込んでみた。

こういうのが、本来、ボクがやりたかった方向性に近いよなあ、と改めて考えて、やってみたという感じだ。もちろん、ね。文章力は足りないから、面白いかどうかは分からない。でも、こういうコラムっぽい感じで書き続けた方が、ボクとしてはやりがいもあって楽しい。そうだよなあ。こういう方向だよね。そんなことを感じた。

というわけで、ずぅっと仕事に汚された毎日の中で、たまたま2日間、ぽかっと時間がとれて、ふわっと始めてみたんだけど、初心に帰った感覚。がんばろうと思う。

2025年9月1日 タヌキの畳叩きと石の精のバタバタと

新しい試みとして、『日本妖怪図鑑』の紹介ページを作成してみた。そして、ここに載っている妖怪の一覧を作成してみた。AIアシスタントのCopilotに、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の改善点を訊いたら、横串の展開が足りないとのことで、たとえば、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に載っている妖怪の一覧とか、アラビアン・ナイトに登場する妖怪の一覧みたいな横串でのリンクやタグ付けができるとよいなどとコメントをもらった。そういう意味では、参考文献ごとの横串の展開もありかもしれないなあと思ったので、試しに『日本妖怪図鑑』の120体の妖怪でやってみた次第。

そこに畳叩きという妖怪が載っていて、

「冬の夜中に家の外でたたみをたたくような音をたてる。ねずみのように小さな体で、石の精だといわれる。」

との解説があった。そして、かわいらしい小人の絵が添えられている。ボクの中ではあんまりメジャーな妖怪じゃなかったので、知らなくて、そんな妖怪もいるのかあ、と思って調査開始。そうしたら、どうもWikipediaも含めて正しくないような印象。どうも、調べた感じだと、大元の資料は柳田國男の『妖怪談義』のようだ。

「タタミタタキ:夜中に畳を叩くような音を立てる怪物。土佐ではこれを狸の所為としている(土佐風俗と伝説)。和歌山附近ではこれをバタバタといい、冬の夜に限られ、続風土記には又宇治のこたまという話もある。広島でも冬の夜多くは西北風の吹出しに、この声が六丁目七曲りの辺に起こると録々雑話に見えている。そこには人が触れると瘧(おこり)になるという石があり、あるいはこの石の精がなすわざとも伝えられ、よってこの石をバタバタ石と呼んでいた。」

と解説されている。要するに、高知県には「畳叩き」と言うタヌキが正体の妖怪がいて、和歌山や広島では「バタバタ」という類似の妖怪がいた。でも、「畳叩き」で立項されていたために、これを読んだ人が「畳叩き」も「バタバタ」も一緒くたにしてしまったようで、いつの間にか広島の「バタバタ」の話であった石の精という伝承が「畳叩き」の属性にされてしまったわけだ。この情報を拾った水木しげるの『図説 日本妖怪大全』(講談社+α文庫,1994年)も、Wikipediaも、この辺のないまぜ感は拭えない。

村上健司の『妖怪事典』(毎日新聞社,2000年)や日野巌の『動物妖怪譚』(中公文庫,2006年)では、別物の妖怪として区別されている。その辺、ちゃんとフォローした方がよいなと思って、ファンタジィ事典でも、別項を立てて解説する方針にしてみた。