2025年4月22日 イラストがかわいい妖怪ボドゲ!!
「妖怪バカスカ」というボードゲームがある。イラストが滅法かわいくて思わず買ってしまって、ボドゲ棚の奥に仕舞い込んでいたんだけど、本日、息子のツクル氏に発見されてしまったので、一緒にプレイ。
もう、ね。何を置いてもイラストがかわいい。最高だ。ゲームとしてはどうなんだろう。カードの効果が強くって、かなり運の要素も大きいのではないかと思ったりもする。でも、もしかしたら、やり込んでいくと戦略の要素も効いてくるのかもしれない。4色の色を揃えることと、3枚の手札の色を揃えることと、考えることはたくさんあるからだ。まあ、どちらにしても、イラストがかわいいのだから、もう、それだけでニマニマしてしまう。いい。最高だ。
というわけで、ツクル氏とキャッキャと遊んでいる。ちなみに、最近、ツクル氏は再びボドゲ熱が上がってきたようで「カタン」や「ブロックス」「オートリオ」「お邪魔者」など、いろいろなボドゲにチャレンジしている。必要な脳の筋肉がその都度、違うので、ゲームのたびに脳みそのあっちこっちを使っている感覚があって、脳トレになっている気がする。息子よ、ありがとう!! わはははー。
2025年4月18日 白蔵主に化けた老キツネは狂言師に演技指導をした!?
もう少しだけ「日本の妖怪」に手を入れてもよいかな。最近になってそんなことを思い始めた。ボク自身もこれまで「日本の妖怪」に対する解像度が粗かったと痛感している。面白い妖怪が日本にももっとたくさんいる。そんな風に感じ始めた。だから、そういう面白さを伝えていければよいと思っている。
江戸時代の妖怪と言えば、鳥山石燕の画集は有名だ。『画図百鬼夜行』、『今昔画図続百鬼』、『今昔百鬼拾遺』、『百器徒然袋』の4つ。水木しげるはこのシリーズからたくさんの妖怪を取り上げた。これと対になって昔から語られるのが桃山人の『絵本百物語』だ。どちらも京極夏彦が作品のモティーフにしている。『姑獲鳥の夏』から始まる百鬼夜行シリーズは鳥山石燕の画集に描かれている妖怪からお題を採っている。巷説百物語シリーズは『絵本百物語』に描かれている妖怪からお題を採っている。だから、京極ファンや根っからの妖怪ファンからしたら、どちらの本もよく知られている。
でも、江戸時代の本なので、必ずしも分かりやすくはない。断片的であったりもする。だから、もう少し真正面から向き合って、ウェブサイト「ファンタジィ事典」でも取り上げてみてもよいかもしれない。最近、大昔の絵巻を眺めながら、そんなことを考えた。絵巻に描かれた妖怪を紹介していくなら、まずは有名な鳥山石燕の画集と桃山人の『絵本百物語』。ここから始めてもよいかもしれない。
そんなわけで『絵本百物語』巻第壱第壱の「白蔵主」から着手してみたんだけど、大変だった。たった1匹の妖怪なのに、調べ始めたら1週間以上、掛かってしまった。当然、『絵本百物語』は読むわけだけど、これは角川ソフィア文庫から出版されているから問題ない。でも、調べていくと、狂言『釣狐』とか『和泉各所図会』とか、いろいろと調べることが増えて、あれよあれよと情報量が増えてしまった。
多少、難解な部分も残っているけれど、でも、よくまとめられたと思う。まずは狂言『釣狐』の白蔵主を紹介して、『和泉各所図会』を紹介して、それらを大幅にアレンジした『絵本百物語』を紹介する。説明の並べ方としては、こんなもんだろう。
『和泉各所図会』については、書籍として出版されていないのだろうか。仕方がないので、原文を当たった。早稲田大学が『和泉名所圖會 巻之一』を公開してくれている。リンク先のPDFの43ページと45ページを参照した。Wikipediaの「白蔵主」のページには竹原春朝斎の絵が載っているんだけど、肝心の文章の中身は載せてくれていない。そこにいろいろと興味深い話が載っていたので、それも載せてみている。Wikipediaではキツネが狂言師に演技指導した説明のところが[要出典]になっている。でも、ちゃんと『和泉各所図会』に載っているじゃん、などと思っている。
2025年4月12日 雷神になった道真公!?
最近、日本の妖怪の絵巻なんかを眺めるのが趣味のひとつになっていて、いろんな絵巻を眺めながら、「へぇ」とか「ほぅ」などと溜息を吐いている。今日はそんな絵巻の中から『北野天神縁起絵巻』を紹介してみたい。
菅原道真が雷神になって京都の清涼殿を襲ったという話がは非常に有名で、よく御霊信仰の例として紹介される。現代人のボクたちからすると、菅原道真が怨霊と化したと聞くと、垂纓冠をかぶって着物を着た道真公がおどろおどろしい姿になって出現するようなイメージを持ってしまう。でも、『北野天神縁起絵巻』を見ると、完全に「鬼」として描かれている。まさに赤鬼で、もはや人間としての面影はない。そこが現代人の感覚とは違っていて、面白いところだ。
ちなみに、絵巻そのものを丁寧に眺めていくと、宮中の人々が逃げまどっている様がうまく描けていて、とても臨場感があってよい。一方の雷神そのものは結構、お道化た表情で、滑稽な感じがして、あんまり怖くない。それもまた面白いなと思う。
2025年4月4日 日本の妖怪の解像度を上げている最中
最近になって、日本の妖怪、特に絵巻物にハマっている。文献に文字情報に載っている「妖怪」だけでも、伝承上語られてきたものを蒐集した「妖怪」だけでもなくって、絵に描かれてきた妖怪に興味が向いたのは、ボク自身が「世界の妖怪」を描く機会が増えてきたせいかもしれない。過去に妖怪がどのように描かれてきたのかに意識が向いてきた証左だ。
今はもっぱら、『妖怪萬画 Vol.1 妖怪たちの競演』(青幻舎ビジュアル文庫,2012年)を読んでいる。読んでいるというか眺めている。
この本の表紙に描かれているのは作者不詳の『百鬼夜行絵巻』(京都市立芸術大学芸術資料館蔵)に描かれた「朧車」(あるいは「天狗車」)だけど、メチャクチャ迫力がある。こんなの、ボクなんかはとても描くことができない。カエルみたいなのが牽引していて、イヌたちが誘導している。動きがある。
もうひとつ、ボクが恐れを感じたのは神虫。平安時代末期の『辟邪絵(益田家本地獄草紙乙巻)』の中に描かれている。これも凄まじい。とても平安時代末期のものとは思えない。今の漫画家さんが描いたのかと思うほど、漫画っぽい。大迫力。こういう妖怪画の延長線上に、ボクたちの漫画文化があるのだと思わされてしまう。ちなみに、逃げまどっているのは疫鬼たちで、この怪物みたいなものは疫鬼たちを退散させる善神なのだとか。この恐ろしげなヴィジュアルで「善神」というのも凄い。
こういうところにも意識が向けられるとよいなあと思って、目下、日本の妖怪に関する解像度をあげているところ。こういうところもフォローしていきたいなとは思っている。
2025年3月29日 ゲーマーが妖怪退治やってみた!
『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』(小松清太郎,コロコロコミックス)が面白かったので紹介したい。
ボクが「世界の妖怪」蒐集に精を出していることは、小学5年生の息子のツクル氏もよく知っている。そんなツクル氏がちょっと前にこんなことを言い出した。「パパ、コロコロに面白い漫画があるんだよ。『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』っていうヤツで、妖怪がたくさん出てくるから、パパは買った方がいいと思うよ」。この野郎、その気にさせて買わせる気だな、と思って無視していたら、遂に断念したのか、お小遣いで5冊、大人買いしてきた。そしてこれ見よがしに机の上に置いてあるので、どれどれと思いながら読んだ。
物語の展開は子供向けと言えば子供向けなんだけど、でも、面白かった。主人公の西京芸麻(さいきょうげいま)はプロゲーマーを目指してゲームに心血を注ぐ。そんな主人公の魂が込められて、ゲーム画面で実際の人間を操作して戦わせることができるようになる。妖怪退治屋見習いの刀道巫女(とうどうみこ)を操って、次々と現れる妖怪たちを退治する……というような話なんだけど、でも、ツクル氏の言わんとするところは分かった。「妖怪」が題材になっているけれど、決してオリジナルの妖怪ではなくて、ちゃんと伝承に基づいた妖怪たちが登場している。だから、「買った方がいいと思うよ」などと言ったのだろう。『ダンダダン』や『ダンジョン飯』みたいに、『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』もネタにできるよ、ということだろう。
というわけで載せてみた。ちなみに1巻には伝承上の妖怪として「大蜘蛛」「人面犬」「泥田坊」「水虎」が出てくる。名前だけだけど「大嶽丸」も出てくる。2巻には「鬼婆」や「牛鬼」、「のっぺら坊」が出てくる。「水虎」が水をまとったトラだったり「牛鬼」がミーノータウロスみたいなまっちょのウシ頭だったりと、あんまり元の伝承の設定が活かされていない妖怪も多いので、その辺、ちゃんと解説してあげるとよいかなとも思った。一方で、面白かったのは、「のっぺら坊」がペンで自分の顔に絵を描くと、その顔に合わせた能力を得られるという話。ちょっとその発想は面白いなと思った。
2025年1月26日 創作から普遍的な妖怪への道のり
そういえば、今年は巳年なのである。毎年、1月1日に「近況報告の本」を刊行していて、その表紙の題材として、干支に因んだイラストを描く。すっかり忘れていたけれど、今年は「姦姦蛇螺」を描いた。今更ながらの「あけおめことよろ」のイラストである。
姦姦蛇螺は、ネットロアの妖怪だ。初出は、今はなき「怖い話投稿:ホラーテラー」という投稿サイトらしい。2chオカルト板のスレッド「洒落怖」に転載されたので、洒落怖の妖怪として認知されているケースも見受けられる。
「姦姦蛇螺」の投稿において、若者たちが姦姦蛇螺と遭遇するシーンは滅茶苦茶臨場感があって怖い。厳重に封印されている区画の描写も丁寧だし、姦姦蛇螺が現れて「いぃぃ~っ」と笑うシーンは圧巻だ。そして、蜘蛛のように6本の手足でフェンスを伝ってくる描写なんて戦慄する。
「姦姦蛇螺」は投稿サイトに投稿されたものなので、明らかに創作だ。名乗り出ないけれども、どこかに作者がいるはずだ。それなのに、まるでネットロアのように語られ、都市伝説のジャンルで取り扱われる。この辺の境界の曖昧さが妖怪らしいところである。
大昔だって、実は作者がいたはずだ。ギリシア神話だって、ヘーシオドスの「創作」と目されている部分がある。いつも書いているとおり、「ドラキュラ」はブラム・ストーカーの創作だし、「フランケンシュタインの怪物」はメアリー・シェリーの創作だ。「クトゥルフ」だってラヴクラフトの創作だし、「オーク」はトルキーンの創作だ。そうやって、誰かのcopyrightがいつの間にか普遍的な妖怪になっていく。姦姦蛇螺もその意味では、普遍的な妖怪に片足を一歩、突っ込んでいる。そこが面白いなあと思うのである。
2024年12月2日 「置いてけ堀」を描いてみた。
日本の妖怪の「置いてけ堀」を描いてみた。
本所七不思議のひとつで、たくさん魚が獲れる堀で釣りをしていると「置いてけ、置いてけ……」と声が聞こえる。無視して帰ると、魚籠(びく)の魚が消えてしまったという話。
イラストは歌川国輝の浮世絵ヴァージョン。
2024年11月23日 「ターボババア」を描いてみた。
都市伝説の「ターボババア」を描いてみた。
ターボババアは1990年代の中頃から都市伝説、あるいは学校の怪談などの文脈で語られ始めた存在だ。夜の高速道路などで自動車と並走し、時には自動車の窓を叩いたり、追い抜いて振り返るとニヤリと渡って運転手を驚かせる。たったそれだけなのに、100キロババアとかマッハババア、ジェットババアなど、いろんな名前で日本各地で知られている。リヤカーババアとか、ホッピングババア、ヘリコプターババアなどの変種も多種多様だ。
最近は「ダンダダン!」の中で大活躍なので、一躍、有名になった感じがする。めでたくタイにも進出したらしく、タイでは「ピー・ヤーイ・サピート」と呼ばれて、やっぱりタイの高速道路を走っているらしい。でも、長い舌を伸ばしているという点が、タイらしさ満載である。
2024年11月15日 あぎょうさんを描いてみた。
学校の怪談に登場する「あぎょうさん」を描いてみた。
あぎょうさんは謎掛け系の現代妖怪で、天井から降りてくる老婆の妖怪で、抱きついてきて、首筋を舐めてくる。そして「あぎょうさん、さぎょうご、いかに?」と問うてくる。これにうまく答えられれば、あぎょうさんは退散するが、答えられないとかぶりつかれるという。
こういう質問とそれに対応する答えがあるというのが、学校な怪談っぽさがある。世の中の大半の課題には必ずしもピタッとした答えがないのだよ、と子供たちに諭したくなる。
巷のイラストでは、結構、たくさんの人が蜘蛛のような姿で描いている。まさに8本足で描いている人もいるし、蜘蛛のようにたくさんの複眼を描いている人もいるんだけど、特に姿について明確な描写はないみたいなので、あんまり蜘蛛には寄せずに、人の要素を多く残してみた。それでも、上からぶら下がっている点は強調してみた。そんなこんな。
2024年11月11日 テケテケを描いてみた。
学校の怪談に登場する「テケテケ」を彩色してみた。白黒のときには感じなかったが、色をつけたら結構、グロテスクだ。
最近、腰を据えて都市伝説の調査をしている。資料そのものはかなりの部分、朝里樹氏がまとめてくれている。その一方で、朝里氏もそうなんだけど、2ちゃんねるのオカルト板とか、洒落怖系で語られる怪異は、創作的な側面が強い。匿名性は担保されていながら、作者の存在について考えさせられる。また、昔ながらの「友達の友達(FOF)」を介在させずに、自分の体験談としてまとめられる点で特異性がある。その辺をもう少し自分なりに検討したいなと思っている。
そんなこんなで、昔ながらの都市伝説も再整理しながら、洒落怖系やアメリカの現代妖怪(宇宙人的なものも含む)を調査しているこの頃である。
2024年10月25日 口裂け女を描いてみた。
日本の都市伝説に登場する「口裂け女」を描いてみた。
都市伝説と言えば「彼女」というほどに有名な現代妖怪だと思う。最近だと赤いコートとか赤い傘みたいな装飾で語られることが多い。でも、ボクが子供の頃は、普通にOLのイメージだった印象だ。派手な赤いコートじゃない。赤い傘で空を飛ぶみたいなトンデモ設定もなくって、普通のOLの女性がマスクをしているからこそリアリティがあって怖かった。そんなイメージを伝えたくて、80年代っぽい感じのトレンチコートを着た女性を描いてみた。肩からショルダーバックを下げている。とある女優に似ているとして週刊誌に掲載されていた。そのときに週刊誌に載っていたイラストに髪型は寄せてみた。少なくとも、ボクのイメージする口裂け女はこんな感じである。
もう少しデフォルメしてでっかい鎌にしてもよいのだろうし、真っ黒い長い黒髪にしてもよかった。美人でもよかった。でも、80年代の当世っぽくすると、こんな感じではないだろうか。どうだろうか。
2024年10月5日 「愛宕山太郎坊」を描いてみた。
愛宕山太郎坊を描いてみた。京都の愛宕山に棲む。日本全国の天狗たちの総大将だ。天狗と言えば、鼻高天狗をイメージする人も多くて、総大将も当然、鼻高天狗だと勝手に認識している人も多いかもしれない。でも、由緒正しき古来からの天狗と言うのは、実は烏天狗の方である。鼻高天狗を最初に描いたのは、室町時代の狩野元信だと言われている。鞍馬山僧正坊を描いたときに、現在のイメージのような鼻の高い天狗を描いたのが始まりだと言われている。だから、漠然と、次は鞍馬山僧正坊を描こうかなあ、などと考えている。
今回、結構、描き直しをした。小道具も多くて、結構、立体感のあるいい感じの絵になったと思う。自信作ではある。まあ、よくよく眺めるとあっちこっちデッサンの乱れはあるんだけど、これだけバチっと描くと、意外と誤魔化されてしまうかもしれない。
2024年9月29日 日本酒を片手に
今日は今日とて、大百足と七歩蛇を更新。日本の妖怪が続いている。うーん。苦しい(笑)。七歩蛇は『伽婢子』(1666年)に載っているので、ちょうど『東洋文庫 480 伽婢子 2』(著:浅井了意,校訂:江本裕,平凡社,1988年)で補完できた。大百足の方は、「俵藤太の百足退治」みたいな昔話の断片しかないので、ここはもう少しフォローが必要かもしれないなあ。そもそも御伽草子系のものって、書籍化されているのかなあ。
いずれにしても、河津酒造の日本酒「七歩蛇」を飲みながら、七歩蛇の項目をまとめるという優雅なボクであることよ。
2024年9月29日 一次資料を求めて外界に繰り出す!?
ランダム更新が、ちょうど十二様とか大人(おおひと)とか、ちょっと資料の少ない正体不明の妖怪が当たってしまったので、苦戦していた。でも、まあ、そういう妖怪から逃げないで真正面から取り組むのも、ときには必要だと思うので、まあ、よいか。
最近、日本の妖怪を更新する機会が増えた。『Truth In Fantasy 事典シリーズ 2 幻想動物事典』(著:草野巧,画:シブヤユウジ,新紀元社,1997年)をベースにランダムに更新しているから、結果として、そうなっている。でも、今まで、日本の妖怪は勝手に敬遠していたので、資料の持ち合わせが圧倒的に少なくて、新たにいろいろと仕入れなきゃいけなくなっている。浅井了意の『伽婢子』(1666年)、『狂歌百物語』(1853年)なんかをせっせと仕入れて、読んでいる。だから、出費が大変だ。わっはっは。
意外なことに、Wikipediaを確認していると、日本の妖怪で、必ずしも一次資料に当たっていない雰囲気の項目があったりする。出典が村上健司だったり、草野巧だったりする。どちらの著者も一次資料の出典をちゃんと書いてくれている傾向にあるのだから、直接、それを当たって書けばいいのに、と思ったりするが、結局、一次資料に当たるのは面倒だからか、村上健司が言っているとか、草野巧がそう書いているという文章になっている。だったら、ちょっと一次資料に当たってみるか。そんな風に考えて、最近、極力、一次資料を求めて、外界に繰り出している感じ。
2024年9月17日 日本の妖怪には少しだけ苦手意識がある
ウェブサイト「ファンタジィ事典」、粛々と更新作業を進めている。15日には「大入道」と「遣ろか水」、16日には「ブラーク」を更新して、本日は「人面瘡」と「二口女」を更新した。『幻想動物事典』をランダムに開き、そこに載っている妖怪を問答無用に更新するスタイルに切り替えて運用しているが、どの妖怪を取り扱うかの取捨選択のプロセスで悩まなくなって、いい感じ、いいペースで更新ができている。
『幻想動物事典』は意外と日本の妖怪が多いのが難点だ。ボクは西洋の妖怪から入った口なので、あんまり日本の妖怪は専門ではない。だから、日本の妖怪を更新するときには内心ではドキドキしてしまう。それこそ、日本の妖怪だったらほかに得意な人がいっぱいいるし、当然、ボクたちは日本人なので、日本の妖怪を対象に調査・研究、あるいは創作している人はたくさんいる。ある種のレッドオーシャンだ。激戦区に切り込んでいく怖さはある。だから、あんまり独自の路線にはせずに、たんたんと事実のみを書くように心掛けている。
ただ、日本の妖怪も、ちゃんと勉強するとそれなりの面白さはある。たとえば、昔話の「食わず女房」と「二口女」は、どうも出自が異なるようだとか、二口女は実は人面瘡の系列ではないかとか、深堀するとそういう議論があって、資料を読んでいて、ちょっとニヤニヤしてしまう。あるいは「大入道」は山の怪なので、ブロッケン現象と結び付けて議論されているところもあって、そういうのも、ああ、なるほどな、と思う。『狂歌百物語』の大入道の画なんて、真っ黒い影で、確かにブロッケン現象だと言われれば、そうかもしれないと思わせられる。
ボクはそこまで踏み込んで議論できるほど、情報を持っていないので、ちょっと触れる程度で逃げてしまうんだけど、まあ、そのうち、時間ができたら、日本の妖怪を深堀ってみても面白いかもしれないなあ。
2024年9月15日 ヤマノケを描いてみた
9月11日の記事「トイレの花子さんを描いてみた」でも宣言したとおり、今後、洒落怖系の妖怪の絵を描いていくぞ、という決意を固めたわけだが、早速、ヤマノケを描いてみた。
ヤマノケは、2ちゃんねるのオカルト板「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?(洒落怖)」に2007年2月に投稿された怪談だ。車中泊とは言え、山の中でこんな怪物に遭遇したら、そりゃあ、怖いよね。しかも女性にとり憑いて、憑かれた女性は気が触れてしまうわけだから、メチャクチャ、怖い。
1本足という特徴なんかは、山の怪に共通するところなので、そういうイメージが踏襲されているんだと思う。胸に顔がついているのは、中国の刑天とかインドのカバンダ、エティオピアのアケパロスがいる。そういうイメージもあるのかもしれない。日本だと胴面(ドウノツラ)という妖怪画も知られる。でも、1本足で白っぽいというのも相俟って、ブキミな感じの妖怪だなと思う。
2024年9月14日 鬼とか天狗とか。
「日々の雑記」が1日空いてしまった。最近、締め切りの仕事をたくさん抱えていて、正直、日常がワチャワチャしている。ウェブサイト「ファンタジィ事典」も連投できず。まあ、そういう日もある。
本日は前鬼と後鬼を更新。昨日の分と今日の分……というわけでもないが、一応、2項目を更新だ。鬼とか天狗って、王道と言えば王道だけど、実は難しい。こういう鬼とか天狗の類いは、飛鳥時代、奈良時代、平安時代に跋扈しているわけだけど、資料としては断片的な部分もありつつ、現在まで何となく地続きで繋がっている感じもあって、その怪しさは魅力だけど、よく分からないのも事実だ。
実は、ボクの「ファンタジィ事典」のアクセス解析を見ると、妙に天狗に人気が集まっている。八大天狗を全部、それなりの分量を載せているからだと思う。どれも概ね平均エンゲージメント時間が2分近くになっている。読まれているということだ。鬼関連もそういう傾向にある。Google検索でも上位に来るものが多い。だから、人気コンテンツと言えば、人気コンテンツ。そういう意味では、前鬼と後鬼もハネるといいのだけれど、こればっかりは何がバズるのかよく分からない。だから、あくまでもランダムに『幻想動物事典』を開いて、それを足掛かりに更新するスタイルである。
鬼とか天狗のイラストを描くというのも、やってみてもよいよなあ、と思っている。こっちは、別にランダムの世界線ではないので、自分で描きたいものを描く。コントロールできる。やってみようかなあ。我がウェブサイトで大人気の愛宕山太郎坊かなあ。どうだろう。ふふふのふ。
2024年9月11日 トイレの花子さんを描いてみた。
学校の怪談に登場する「トイレの花子さん」を描いた。こんなのは、別にボクが描かなくても、たくさんのイラストレータさんが描いてくれている。もっとうまい絵もたくさんある。それでも、今後、都市伝説系とか洒落怖系の妖怪をバンバン描いていこうと思っているので、有名どころはしっかりと押さえておかなきゃ、ウェブサイトとしての体裁がおかしいかな。そんなことをぼやっと考えて、重たい腰をあげて描いてみた。
多分、ほかにも、口裂け女くらいは押さえておいた方がいいよなあ。ターボババアも有名どころなのかなあ。いろいろと調べると、何が有名で何がマイナなのかが分からなくなる。
ちなみに、今、ボクが目下のところ、興味があるのは、実はオーソドックスな学校の怪談とか都市伝説ではなくって、「洒落怖」の妖怪たちや、その他ネットロアの妖怪たちだ。
「洒落怖」というのは、2ちゃんねるの「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」というスレッドのことで、そこではさまざまな怪異が語られる。当然、どこかの誰かの「創作」と言えば「創作」だ。でも、2ちゃんねるの匿名性も相俟って、伝承っぽくなっている。
意外とそういうのを朝里さんが「都市伝説」という文脈の中で紹介していて、徐々に市民権を得てきたような印象がある。その辺をウェブサイト「ファンタジィ事典」としても、とらまえていこうと画策している。そのためには、まずは有名どころの都市伝説の妖怪たちをイラスト化して、そこに並べる格好で、新しい妖怪たちを描きたいなあと思っているところである。
2024年9月4日 いろんな異世界に行って戻ってきた男の記録!?
『異境備忘録』という怪しい書物がある。宮地水位なる人物が、天狗界や神仙界、幽明界など、さまざまな世界を行き来した記録である。そこには、悪魔界というのも出てくる。残念ながら(?)、宮地水位は悪魔界には行かなかったようだが、水位は実際に魔王一行が空を行列しているのを目撃したという。そのときに一緒にいた川丹先生(2000年以上生きた仙人!)に魔王たちのことを教えてもらったのだという。
悪魔界について書かれているのは『異境備忘録』の8章で、その書き出しがとても魅力的だ。
悪魔界へは一度の入りたる事なし。されども此界の魔王どもは見たる事あり。
要するに「悪魔界には一度も入ったことはないけど、この魔界で魔王たちを見たことはあるよ」というトンデモない書き出しである。しかも、少し後にはこんなことも書いてある。
余明治十三年七月十九日の夜に魔神行列して空を通行しけるを川丹先生と共に見て、右の名をも聞きてやがて書付けたり。
要するに「俺は明治13年7月19日の夜、魔神が列になって空を飛んでいったのを川丹先生と一緒に見て、名前も聞いたのですぐに記録したよ」というわけだ。
それによれば、悪魔界には12人の魔王がいて、その筆頭は造物大女王で、続いて無底海大陰女王、積陰月霊大王がいるらしい。それに続く形で、神野長運、野間閇息童、神野悪五郎月影、山本五郎左衛門百谷、焔野典左衛門、羽山道龍、北海悪左衛門、三本団左衛門、川部敵冥がいるという。
しかも、実は魔界は大昔に2つに分かれたらしく、造物大女王が治める魔界とは別の魔界は西端逆運魔王が治めているらしい。そして、他にも独立した魔界があって、前三鬼神、飯綱智羅天、後天殺鬼などといった魔王がいるらしい。
……と、まあ、トンデモな内容なわけだけれど、生々しくてとても面白い。
とは言え、この魔王たちが古い伝承に根差しているのかと言えば、おそらくそんなことはなくって、実際は宮地水位の創作ということになるのだろう。山本五郎左衛門と神野悪五郎が魔王として名前を連ねているところも、『稲生物怪録』を念頭においているのだろう。
ずぅっとひょーせんさんが「造物大女王」のイラストを描いていて、いつかはちゃんと解説したいなあと思っていたんだけど、昨今、何故だかXで山本五郎左衛門がフィーチャーされているので、重い腰を上げてまとめてみようかなあ、と思っている。でも、結局、出典元は『異境備忘録』しかないので、それ以上の情報はないわけで、『異境備忘録』に書いてあることをつらつらと書くしかないのであることよ。
2024年8月30日 磯女を描いてみた。
九州地方の妖怪「磯女」を描いてみた。
今回、こうして磯女を描いてみようと思い立ったのは、ずぅっとフィリピンの妖怪のマンララヨやクボット、グモン、マラカットなどの「髪の毛軍団」を描いてきたからだ。どうしてだか分からないが、フィリピンには、髪の毛で獲物を攻撃する類いの妖怪の一団がいて、とても恐れられている。
フィリピンの妖怪を解説するウェブサイト「アスワン・プロジェクト」では、マンララヨの項目の中に「日本にも似た妖怪がいる」という言及がある。おそらく、それは磯女のことだと思われる。磯女は海に棲んでいて、髪の毛で血を吸って獲物を殺してしまう。
イラストは鳥山石燕の「濡女」を参考にしている。なかなか絵はうまくならないが、毎回、何かに挑戦している。今回は濡れた髪の毛。これがなかなかうまく描けなくて、何度も何度も描き直した。ようやくそれっぽく描けたので、これで完成とした。む、難しい。