白蔵主(はくぞうす)
分 類 | 日本伝承 |
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白蔵主(はくぞうす)【日本語】 | |
容 姿 | 老キツネ。 |
特 徴 | 坊主に化けて人間のように暮らす。 |
出 典 | 桃山人『絵本百物語』(1841年)ほか |
老キツネ、坊主に化ける!?
本来、白蔵主(はくぞうす)というのは、禅宗において、経蔵(経典などを収蔵する建物)を管理し、教学に通じる僧を指す言葉である。しかし、キツネが白蔵主に化けた故事から、キツネが坊主に化けること、さらには坊主に化けたキツネのことを白蔵主と呼ぶようになった。
白蔵主は狂言『釣狐(つりぎつね)』に登場することで知られ、また秋里籬島『和泉名所図会』(1796年)や桃山人『絵本百物語』(1841年)などでも言及される。
老キツネ、誘惑に負ける!?
狂言『釣狐』は老キツネ(シテ)と猟師(アド)の二人で展開する物語である。
あるとき、猟師に一族を狩られた老キツネは、猟師の伯父である白蔵主に化けて猟師の家を訪れる。そして、キツネの執念の恐ろしさを説明するために、殺生石の物語を話して聞かせる。老キツネの話を聞いて恐ろしくなった猟師は、狐狩りを止める約束し、罠を捨てさせることに成功する。しかし、その帰り道、老キツネは猟師が捨てた罠の「鼠の油揚げ」を発見する。何とか大好物の油揚げを食べられないものかと突いたり、齧ってみたりするが、白蔵主の姿では食べにくい。「これも仲間の敵討ちだ」などと理屈をつけて、変身を解いてから再び食べに来ようと決める。その後、猟師は罠が荒らされているのを見つけて、さきほどの白蔵主の正体に気づく。そして、老キツネを狩るため、本格的に罠を仕掛けていく。話の結末は流派によって若干、異なるようだが、結局、老キツネは罠に掛かって捕らえられる。そして、何とか罠を外して逃げていく。
『釣狐』は狂言の中では大曲で1時間を超える。白蔵主に化けて見事に猟師を騙すことに成功した老キツネなのに、大好物の「鼠の油揚げ」に引き寄せられてしまう。この理性と本能のせめぎ合う様子がこの狂言の見どころのひとつになっている。また、二重の「化け」と言って、役者はキツネに扮し、白蔵主に化ける。そして、キツネの独特の所作を演じる必要がある。
狂言の世界では「猿に始まり、狐に終わる」という言葉があり、初舞台で『靭猿』の猿役を演じた狂言師が『釣狐』で狐役を演じて初めて一人前になると言われている。
老キツネ、狂言師に演技指導する!?
ちなみに、この狂言『釣狐』そのものの成立に関しても、不思議な伝説が残されている。『和泉名所図会』(1796年)は秋里籬島が著した「名所図会」で、和泉国(現在の現在の大阪府南西部)の名所や旧跡・景勝地などを竹原春朝斎の風景画とともに紹介している。そこには少林寺(大阪府堺市)に関わる縁起が記されており、次のような話が載っている。
少林寺の別院に耕雲庵があり、そこの住職は白蔵主と言った。この僧侶は常に稲荷大明神を信仰しており、毎日、欠かすことなく説法をしていた。あるとき、大明神の導きがあって、竹林から3本足の白狐が現れた。白蔵主はこの白狐を抱いて連れ帰り、大切に育ててやった。この狐には霊力があって、寺の仕事を手伝ったり、盗賊を追い払ったりした。白蔵主の甥に猟が好きな人物がいた。白狐はこの人物を恐れ、白蔵主の姿に化けてその甥の家を訪ね、殺生の罪をさまざまに語って戒めたが、この男も賢いもので、キツネが僧侶に化けていると知って密かに先回りして、さまざまな手を尽くして猟をしたという。
この出来事を狂言師の大蔵(おおくら)という人が趣向を凝らして、キツネの所作を盛り込んだ狂言を「釣狐」または「吼噦」として演じた。このキツネは大蔵が心を込めているのに感動して、年老いた僧侶に化けて、キツネの所作を教えたという。
そのため、この狂言を初めて演じるときには、少林寺を訪問して、白狐の棲む竹林の竹を切って杖にして舞台で用いることがこの狂言の習わしになっているという。
おそらく、大蔵(おおくら)というのは、狂言の流派のひとつである大蔵流の創始者のことで、大蔵が老キツネと猟師のやりとりに着想を得て、狂言『釣狐』を演じたところ、それを知った老キツネは僧侶に化けて、狂言を観に行ったのだとも伝えられている。そして、大蔵の演じるキツネの所作に物足りなさを感じて、大蔵を訪ねて、キツネの所作を丁寧に指導したというのである。この故事から、現在でも少林寺は役者たちに信仰され、芸の上達が祈願されるようになっている。
なお、『和泉名所図会』に添えられている竹原春朝斎の絵の中にも「白蔵主」が描かれている。坊主に化けたキツネが猟師の仕掛けた鼠の油揚げに気をとられているシーンが描かれていて、物陰には猟師が待ち構えている。とても滑稽な絵に仕上がっている。
玄中記には百歳の狐は美女となると見へたれどこれは白藏主に化して甥の猟人を教化す。其狂言をするには堺の少林寺通心廟の竹を伐りて杖にする事を習ひとすとぞ聞へし
(『和泉名所圖會』巻之一より)
郭璞の『玄中記』には「狐五十歲能變化為婦人百歲為美女」とある。キツネは50歳で女性に化けることができるようになり、100歳になると美女に化けられるのだという。
老キツネ、坊主を喰らう!?
『絵本百物語』にも白蔵主が掲載されているが、こちらは甲斐国の宝塔寺(山梨県)での出来事として解説されている。また、『和泉名所図会』とは異なり、『絵本百物語』で描かれるキツネは本物の白蔵主を喰って、白蔵主になり代わって寺に居すわる恐ろしい側面を持っている。
宝塔寺には白蔵主という僧侶がいて、その甥の弥作は猟師でキツネを狩って皮を剥いで売ることで生計を立てていた。夢山には老キツネが棲んでいて、たくさんの子供がいたが、みんな、弥作に狩られてしまった。そこで老キツネは白蔵主に化けて弥作の下を訪れると、殺生の罪を戒め、銭を渡してキツネ狩りの罠を持ち去った。しかし、弥作は貰った金を使い果たすと、再び銭を無心しようと宝塔寺を訪ねた。それを察知した老キツネは先回りして白蔵主を食い殺し、白蔵主に化けた。こうして老キツネは宝塔寺の住職になりすまして、50年以上を過ごしたという。あるとき、近所でシカ狩りがあり、老キツネは見物に行った。すると2匹のイヌが白蔵主に飛びかかって噛み殺してしまった。正体を現した老キツネは真っ白で、尾には銀色の針のような毛が生えていたという。人々はキツネの祟りを恐れて祠を建てて、老キツネを祀ったという。
それ以来、キツネが僧侶に化けることを白蔵主と言うようになり、僧侶がキツネのような振る舞いをすると「あいつは白蔵主だ」と言いふらされるようになったという。
『絵本百物語』の著者は桃山人だが、竹原春泉斎が絵を添えていて、白蔵主の絵を描いている。この絵でも、僧侶に化けたキツネが鼠の油揚げに気を取られている。
白蔵主の事は狂言にも作りよく人の知るところなればここに略しつ
(『絵本百物語』巻第壱「白蔵主」より)
『絵本百物語』の竹原春泉斎は『和泉名所図会』の挿絵を担当していた竹原春朝斎の子である。親子2代にわたって「白蔵主」の絵を描いている点は興味深い。
ちなみに江戸時代には「いっかないかなそれほどの化し手は並や通途の白蔵主にはあらず」という表現がある。「そのような素晴らしい化かし手は、普通の白蔵主ではないな」ということで、化かし手の技術が高いことを褒めるときに用いられる表現である。
《参考文献》
- 『桃山人夜話 ~絵本百物語~』(著:桃山人,画:竹原春泉斎,角川ソフィア文庫,2006年)
- 『和泉名所圖會巻之一』(PDF)(著:秋里籬島,画:竹原春朝斎,早稲田大学図書館)
Last update: 2025/04/18