天狗(テング)

分 類日本伝承
名 称 天狗(テング)【日本語】
容 姿山伏の装束に身を包み、背中に翼がある姿。高い鼻のものや尖ったクチバシのものがいる。
特 徴山で怪現象を起こす。山の神の使い。慢心の権化。
出 典『太平記』、『保元物語』ほか

天狗の鼻は高い!?

天狗(てんぐ)は日本伝承に登場する山の妖怪。天狗と言えば、一般に山伏の装束に身を包み、赤ら顔で、鼻が高く、高下駄を履き、羽団扇を持って、背中に翼がある姿で想像される。これは「鼻高天狗」である。その他にも、尖ったクチバシを持つ「烏天狗」や「木葉天狗」、オオカミのような頭をした「狗賓(ぐひん)」も天狗の一種である。深山幽谷に棲み、神通力を持ち、人を魔道に導く魔物とされる。

天狗は山の神や山岳信仰と結びついていて、霊山に集団で棲み、山の奥深くでさまざまな怪異を起こす。たとえば、夜、山の中で大木を切り倒す音がするが、実際には木は切られていない(天狗倒し)、あるいは、どこからともなく笑い声が聞こえて、笑い返すが、もっと大きな笑い声が返ってくる(天狗笑い)、山道を歩いているとバラバラと石が飛んでくる(天狗つぶて)などが知られる。あるいは、山の中からお囃子の音が聞こえる(天狗囃子)、山から太鼓のような音が聞こえて雨の降る予兆になる(天狗太鼓)、夜中に火の玉が飛んだり転がったりする(天狗の火)なども知られる。山小屋がガタガタと揺れる(天狗の揺さぶり)こともある。その他にも人がいなくなることを「天狗の神隠し」とか「天狗さらい」などと言う。

本来、天狗は流れ星!?

元々、「天狗」という言葉は中国で凶事を報せる流れ星を意味した。大気圏に突入して地表近くまで落下した隕石が空中で燃えながら音を立てる天体現象を、天を駆けるイヌの姿に見立てた。日本でも『日本書紀』で舒明天皇の時代に都の上空を巨大な星が轟音を立てて東から西に流れ、唐から帰国した僧が「これは天狗だ」と説明している。

しかし、日本ではこの天狗の用法は根付かずに忘れ去られ、平安時代に妖怪として登場するようになる。

時代とともに変遷する天狗:仏教 VS 修験道!?

奈良時代に役小角が山岳信仰をベースに修験道を開始した。修験者(山伏)は山や自然そのものを崇拝し、霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入って命懸けの修行をし、超人的な霊力、験力をたくわえて、人々を救う実践的な宗教だった。しかし、平安時代から鎌倉時代にかけて、修験道は仏教勢力と対峙することになる。仏教サイドは、山伏を傲慢で我の強い存在とし、死後、転生して天狗になると説明するようになる。たとえば、比良山次郎坊の伝承では、元々、大天狗の次郎坊は比叡山で多くの天狗たちを率いて暮らしていたが、最澄が比叡山で天台宗を開き、高僧が次々と移り住んできたため、仲間たちを引き連れて、比良山に移った。これは比叡山における修験道と仏教の勢力交代を表現した伝承と捉えることができる。同様に、平安時代末期の『今昔物語集』や鎌倉時代の『是害坊絵巻』では、天狗たちは次々と天台宗の僧侶に戦いを挑んでは無残に敗れる。天狗は仏教、特に天台宗と対立する存在として利用されるようになった。

鎌倉時代には、堕落した僧侶も天狗と呼ばれるようになった。たとえば『天狗草子』(1296年)では、興福寺、東大寺、延暦寺、園城寺、東寺、仁和寺、醍醐寺といった寺の僧侶たちが堕落した姿が風刺的に天狗として描かれている。この頃には、密教僧たちは自らの主張を通すために、武装し、狼藉を働くものもいた。そのため、兵僧の姿をした天狗も描かれるようになった。天狗は慢心の権化であり、その象徴として、鼻が高いと考えられるようになった。そこから転じて「天狗になる」と言えば、自惚れている様子を表わし、その自惚れをくじくことを「天狗の鼻をへし折る」と言うようになった。

時代とともに変遷する天狗:死後、天狗と化す!?

鎌倉時代や南北朝時代には、強い怨念を持って死んだ者が天狗になるという考え方が生まれる。仏道を学んでいるために地獄には堕ちず、邪法を扱うために極楽にも行けず、結果、天狗道に堕ちるのだという。『太平記』には崇徳上皇や後醍醐天皇、その他、多くの亡者たちが天狗になって現れ、天下を乱そうと会議を繰り返しているシーンが描かれる。鎌倉時代中頃の『保元物語』では、崇徳上皇が写経したものを朝廷に献上したところ、後白河天皇は呪詛が込められていると疑って受け取りを拒否し、写経を送り返した。崇徳上皇はこれに怒り、舌を噛み切って、写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と血で書き込み、海に沈めた。そして、生きながら天狗になったとされる。その後、都で大火事が起こり、朝廷の人間たちが次々と亡くなっていく。崇徳上皇の怨霊だと恐れられるのである。

室町時代になると、天狗を題材にした謡曲にたくさんの天狗たちが固有名詞とともに登場するようになる。たとえば、愛宕山には太郎坊、比良山には次郎坊、鞍馬山には僧正坊、英彦山には豊前坊など、多数の大天狗が登場し、「天狗物」として流行する。また、それ以前は烏天狗が主流だった天狗の姿が、次第に鼻高天狗になったのも、ちょうど室町時代のことである。

江戸時代になると、天狗が火事を起こすとして、防火の神として天狗が祀られるようになる。また、修験道が残る山間部では、天狗は山の神の使いとして信仰されるようになり、天狗のための神社が建立され、天狗が祀られるようになった。次第に山の神と同一視されるようになっていく。しかし、明治期の「神仏分離令」や「修験道禁止令」によって、修験道が衰退し、山伏が激減すると、天狗信仰はすっかり廃れてしまった。

日本八天狗!?

日本の各地の山に棲む天狗の中から有名なものを選んだ「八天狗」が知られる。京都の愛宕山太郎坊、滋賀の比良山次郎坊、京都の鞍馬山僧正坊、長野の飯縄山三郎坊、神奈川の大山伯耆坊、福岡の英彦山豊前坊、奈良の大峰山前鬼坊、香川の白峯相模坊の8人の強力な天狗を指す。その中でも、愛宕山太郎坊がその筆頭だとされる。

《参考文献》

Last update: 2021/04/04

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