2023年7月14日 都市伝説を通じて、今、考えていること2
7月10日の記事の続き。
普段、あんまり意識はしないけれど、でも、本来、妖怪や怪物には必ず作者がいる。古代ギリシアのケルベロスやペーガソス、キュクロープスだって、神話上の怪物たちだけど、必ず最初に言及した人物がいるはずだし、広まっていく中で、影響力のある著述家が書いた記述が「正」になるパターンだってたくさんあったはずだ。分かりやすい例を挙げれば、今やハロウィンの代名詞みたいになっているドラキュラやフランケン。これらにはブラム・ストーカーとメアリー・シェリーという明確な作者がいる。それなのに、ドラキュラもフランケンも、何となく、昔からいる由緒正しい妖怪のように市民権を得て、エンタメの世界で暴れ回っている。不思議なことに、ハロウィンの世界では、オオカミ男と魔女は古い伝承に根差しているけれど、ミイラ男やスケルトン、ゾンビは比較的、新しいホラー映画やゲームの文脈から登場している。シーツおばけも、その歴史は比較的新しくて、子供向けアニメの中で生まれたとされている。そして、ドラキュラやフランケンは小説の世界から持ち込まれているわけで、そういうごった煮がハロウィンの文脈の中では、当たり前のように定着している。
都市伝説もそういう側面があって、人面犬とか小さいおじさんなんかは、いろんな芸能人たちが、我こそが創作主だと主張している(笑)。ゴム男も、テレビで的場浩司が話題にしたのが最初で、その後、連鎖的に目撃情報が寄せられた。ニンゲンとかクネクネの場合、明らかに最初のインターネットの掲示板の書き込みが特定されている。このように、匿名でありつつ、作者が特定されてしまった場合、それは都市伝説なのか創作なのかの線引きが、とても不明確になる。でも、仮に誰かの創作であっても、一般に膾炙するときに、その創作性というか、作者の顔が見えなくなって伝わったら、きっと、それは都市伝説になるのだろう。ドラキュラやフランケンが昔からの妖怪の振りをしてハロウィンのお祭りに紛れ込んでいるような感じだ。山口氏の取り扱う都市伝説の内容は、実はそういうネットロアと呼ばれるものの割合が多いので、都市伝説の創作の境界が曖昧なまんま、ごった煮になって広まっている印象がある。個人の創作が、山口氏のような影響力のある著名人がネットの記事や書籍で取り上げることで拡散されて、都市伝説と化した場合、これは都市伝説なのだろうか。その辺が今っぽくて不思議な現象である。つまり、ボクからすると、何でもない個人のTwitterの書き込みを有名人がリツイートしてバズるみたいなイメージに近い。
正直に話すと、実はニンゲンとかクネクネがばっとネット上で拡散されたとき、ボクは「それって結局、個人の勝手な書き込みじゃん」と思って、あんまり興味を持てなかった。でも、それから1年、2年経って、だんだんと様相が変わってきて、一般に膾炙される都市伝説に昇華したときに、「あ、クネクネもニンゲンも都市伝説になったなあ」と感じた。当初の書き込みからは独り立ちして、勝手に発展していったからだ。そういう意味では、インターネット時代にわーっと生まれて広がった都市伝説の芽みたいなものを、山口氏がどんどん収集していて、それを朝里氏が、改めて今の視点で振り返って整理してくれているような印象がある。
多分、今後も、こうやってオンライン上でいろんな都市伝説や現代妖怪が量産されていって、定着するものと消えていくものとがあるのだろうな、と思う。