2024年8月1日 まさかの顔出しとダンス!?
Adoプロデュースのアイドルグループ・ファントムシータの待望の2作目がアップされた。のっけからまさかの顔出し! そして踊れるんかい!?
前回はチャランポランタンの姉が楽曲提供していたが、今回はボカロPのきくお氏だ。ボカロっぽい楽曲と言えばボカロっぽいが、ストリングの音で始まって、ちょっと昭和レトロっぽいと言えば昭和レトロっぽくて、見事だ。そして、サビが歌詞はともかく、メロディがアイドルっぽい。キャッチーで覚えやすい。
表情とか動きとか、ものすごく振り切っていて、ちゃんと洗練されている。若い人たちは凄いなあ。
2024年8月2日 ペンタブだけど、筆がノったぜ!!
フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクトの第34弾で、「グモン」を描いてみた。毛の塊が地面を這っていて、毛を伸ばして獲物の人間を絞めたり、口や鼻などに毛を突っ込んで窒息させて殺してしまう恐ろしい妖怪だ。
7月22日の髪の毛で人間を襲うフィリピンの妖怪たち!?の記事でも書いたが、フィリピンは髪の毛の妖怪がたくさんいる。マンララヨは描いたが、順次、フィリピンの髪の毛妖怪を描いてみたいなと思って、まずはグモンを描いてみた。
筆がノッたという表現がCGにも通用するのか分からないけれど、まさにそんな感覚だ。髪の毛を描くのが苦手だったし、這っている女の人の絵も構図としては難しいと思っていたんだけど、するすると描けた。イメージどおりに描けた。もしかしたら、1月から毎週、毎週、2枚以上の絵を描いてきた成果が実ったのかもしれない。結構、気持ち悪くて、まさに妖怪という感じの絵だ。わはははー。
2024年8月3日 超アゲアゲで陽気な楽曲!?
LOVEBITESが新曲の「Unchained」を発表した。何だかノリノリの楽曲で、元気になる。何しろ、クールなmiyako氏がぴょんぴょんとジャンプするくらいには陽気な楽曲だ。
LOVEBITESって不思議なバンドだと思っている。海外向けのゴリゴリロックで、曲調も演奏もかなりヘヴィなのに、ヴォーカルのasamiはロングドレスをまとって、まるでお嬢さまみたいな雰囲気を醸していて、一見すると声を張り上げてパワフルに歌えない感じだ。でも、高いキーになればなるほど、声のトーンが張っていく。このヴィジュアルのギャップが独特で、いつも不思議な気持ちになる。
そして、お団子のfamiがニコニコとベースを弾いているのも楽しい。East of EdenのMIZUKIもいつもニッコニコでドラムを叩いていて、こっちまで楽しさが伝わってくるもんね。こういう演奏スタイルっていいよね。
2024年8月4日 ビバ、新生捨て身!!
6月1日の記事「ガールズバンド兼YouTuber!?」で紹介したステミレイツ。この記事を書いていた段階では、ごみちゃんとあやのんの脱退が決まっていて、YouTuberとしての活動は一旦停止して、新メンバーを急募していた。
結構、女の子としては過激な企画で知られたYouTuberだったので、新メンバーがこのノリについてこられるのか!? と思って、内心、有望な面子は集まらないのではないかと心配していた。でも、とんでもない。こんなにも優秀なメンバーが集まるのかと驚かされる展開で、さきてぃ、ハノン、かなちが加入して、バンドとして完全に生まれ変わった。本人たちは「ワンピース方式」と言っていたが、順番に新メンバーが加入していくスタイルの演出で、胸アツの展開にするあたりは、さすがステミレイツという感じ。うまいなあ。
新曲はまさに新メンバーのための楽曲という印象で、のっけからかなちのラップからのデスボに驚かされる。ヤンキー気質な彼女の雰囲気が歌詞にも出ていて、にやりとしてしまう。さきてぃも普段の温厚さとは裏腹に、ツーバスを駆使して激しくドラムを叩く。そして、イントロとアウトロはハノンの鍵盤が光る。ボク個人としては、輝星のギターソロが聞きたいので、そういう楽曲も欲しいぞ!!
2024年8月5日 ニコニコ動画、復活!!
ニコニコ動画が復活した。嬉しい悲鳴だ。
最近じゃ、ボカロ曲もその主戦場をYouTubeに移して久しいが、それでも、殿堂入り(10万回突破)、伝説入り(100万回突破)神話入り(1,000万回突破)みたいな考え方は今でも有効で、ときどき、1,000万回再生が近づいてくる曲があったりすると、ニコニコ動画の住民たちが大盛り上がりで、神話入りを果たさせようとフィーバーする。その意味じゃ、懐古主義だと笑われるかもしれないが、やっぱりボクはボカロ曲のベースはニコニコ動画だと思ってしまう。
ちなみに、もうひとつの視点で、日本のプラットフォームが元気なのは大事なことだと思う。ボクはYouTubeも楽しんでいるし、ある意味では優良のお客さんだと思うけれど、結局はアメリカのプラットフォームで、外資系だ。日本の経済を回していくためには、日本の会社が儲かる必要があって、ボクたちも意識的に日本の会社を応援する必要がある。その意味で、ニコニコ動画はYouTubeに対する日本の動画プラットフォームなので、常々、大事にしたいと思っている。
だから、ボクはニコニコ動画の復活を待ち望んでいて、ようやく復活したので、またニコニコ動画ライフをエンジョイしたいと思っている。
2024年8月6日 カクダイ・クルクルムシ・ハカセ!?
バズらないバズらないと言いながらのオズ・シリーズだけど、イラストのストックがたくさんあるので、本日も凝りもせず「ウォグルバグ」を更新してみた。そうしたら、意外とXで閲覧数が伸びている。いいねとリポストもまずまずの走り出し。
オズ・シリーズの場合、ジョン・R・ニール氏の挿絵が元ネタなので、ある種、ファンアート的な感覚で描いている。完全に同人のノリだ。そして、ニール氏のイラストが、非常にカラフルで、キャラクターの衣装もとてもオシャレだったりするから、畢竟、華やかになる。いつもボクが描く絵とは一線を画している。それはそれで面白さがあるのかもしれないなと思う。
緑色のジャケットにピンクのズボン、青いシルクハットというウォグルバグのデザインは、面白さがある。加えて、手足や触覚、鼻(?)の縞々の感じもオシャレよね。オズ・シリーズを読んでみたいと思う人がもっともっと増えればいいなあ。
2024年8月7日 読書筋力を鍛えつつ、本を途中で投げ出しつつ。
ゆる言語学ラジオで、読書について取り上げていた。読む前にすることと、読んでいるときにすることの二本立てになっていて、とても面白かった。
前半部を要約すると、読書には読書筋力が必要だという話。いきなり重たいバーベルを持ち上げられないのと同様に、いきなり難しい本は読めない。だから、まずは自分の読書筋力に応じた本を選ぼうというところから始まる。そして、本好きの水野氏や堀元氏も、実は新しいことを学ぼうとするときには、絵本や児童向けの本、入門者向けの本から始めて、全体像を把握した上で、難しい本にとりかかるという話が紹介された。とても勇気づけられる。
もうひとつの視点は、目的や目標を持って本を読むという話。この本からこんなことが学びたいという目的を持って読み始めれば、自ずと読むべき場所が分かって、読めるという。つまり、自分の目的じゃない部分は読み飛ばしてもよいということ。
後半部は、本が難しく感じても、それは読者が悪いのではなくて、編集者が悪いというマインドが導入された。それから、本を読んだ後に内容を忘れても、むしろそれによって脳の中で情報が一般化・構造化されるので、気に病む必要はないし、どんどん読んで忘れようというマインドや、最後まで読めずにほかの本に浮気しても問題ないというマインドなども導入された。つまり、本の内容を理解しなければいけないとか、読んだら覚えていなきゃいけないとか、最後まで読み終えなきゃいけないみたいな「呪縛」から解き放たれて、読書ハードルを下げようという主張である。
面白かったなあ。もっとライトに本を楽しめ、という強烈なメッセージだった。読者は本にお金を払っているのだから、好きに読んでいいじゃん、というコメントは、おそらく読書に苦手意識を持っている人の呪縛を吹き飛ばすし、比較的、本を読む方であるボクにとっても、目が覚めるような感覚があった。そうだよなあ。意外と知らないうちにがんじがらめになっていることってあるよなあ。
そんなわけで、この動画を視聴して元気になったので、本屋に行って、大量に本を買い込んで、適当に読もうじゃないか。
2024年8月8日 生殺与奪の権利。
フワちゃんがあっという間にテレビから駆逐されていく。確かに「死んでくださーい」は極めて不適切な表現だ。メディアが報じるところを信じるならば、フワちゃんは口癖のようにスタッフに「死んで」と言っていたようなので、きっと、本人的にはフランクな感じだったのだろう。本気で「死ね」と思っていたわけではない。でも、自分の人生を思い返してみたときに、ボクは誰かに「死ね」みたいな発言をしたことはただの一度もないので、まあ、「死んでくださーい」という発言は、異常だと思って間違いないだろう。
でも、どうなんだろうなあ。「やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす」という発言に対して「おまえは偉くないので、死んでくださーい 予選敗退でーす」と書いている。明らかに全部を裏返しているので、「生きているだけで」を裏返した結果が「死んでくださーい」になったのだとすれば、不適切ながらも、本人はネタのつもりだったのだ、と容易に想像できる。あまりに不用意だし、品性下劣ではある。危機意識も足りない。でも、結論、言葉遊びが過ぎたのだという印象だ。
だから許してやれということではない。広告のクライアントが難色を示すのも分かるし、教科書から削除する動きも分からないではないし、妥当な判断だ。でも、テレビやラジオの出演を一斉にとりやめにするほど深刻な事態なのかと問われると、これについては、どうなんだろうなあ。ボクたちの暮らす社会は、刑罰は法によって定められるべきだ。私的な制裁を加えることを是として前に進んではいけない気がして、ボクの脳みその奥深くが、「気をつけろ! 気をつけろ!」と警鐘を鳴らしている。
もちろん、ね。民間企業は利益を追求しなきゃいけないので、フワちゃんの出演がテレビ局の利益を損なうという経営的な判断もあるだろう。でも、いつも思うのは、本当に企業の利益が損なわれるほどに深刻な状況なのだろうかということ。結果、彼女の芸能生命を絶つまでの意思決定が必要なのだろうか。「鬼滅の刃」でお馴染みの「生殺与奪の権利」を、テレビ局は安易に振りかざしてはいけない。
ボクは、メディアが誰かを潰していくスタイルが好きではないし、それを是として受け入れたいとは絶対に思わない。どんどんメディアが嫌いになっていく。そうやって、テレビや雑誌などのメディア媒体をボクは毛嫌いして、結果、メディアはボクという顧客を失っていく。多分、そうやって離れて行っている真っ当な顧客はボクだけではないと思う。長期的には、メディアは大きな利益を損なっているように見える。
視聴者は見たいものを見ればいいのであって、見たくないなら見なければいい。そんなに視聴者を馬鹿にしてやるなよ、と思う。
2024年8月9日 デジタル画の効用!?
最近、毎週、イラストを描いている。こんなにハイペースでイラストを描いているのは、おそらく小学生のとき以来だ。小学生のときは時間に余裕があったので、暇さえあれば絵を描いていた気がする。段々と忙しさを理由に絵を描かなくなった。
この年になって、今更ながらに思ったのは、どれだけ絵に向き合うかが作品の良し悪しを決めるし、自分の成長にも繋がっているのだなということだ。当たり前のことだけど、今まで絵を描いていて、あんまり意識したことはなかったかもしれない。
具体的には、線を引いてみて「あ、違うな」と感じるわけだ。「ちょっとデッサンが狂ったな」とか「動きが悪くなったな、勢いがなくなったな」とか「立体感がなくなったな」とか、そりゃあ、まあ、いろんな部分で「あ、違うな」と思うわけだ。でも、心のどこかで「ま、いいか」と妥協する。せっかく描いちゃったし、まあ、いいじゃん。で、そうなると、途端に絵の質が悪くなる。そして、毎回のその積み重ねが、ボクの成長を止める。最近、そういう風に認識するようになった。
もしかしたら、デジタル画だからという側面もあるのかもしれない。紙の上にペンでガリガリと線を引いてしまうと、やり直しが利かない。でも、デジタル画だと簡単にやり直せてしまう。場合によっては複製して、二つのパターンで試してみた絵を並べて比較することもできちゃうし、既存のレイヤーに失敗した線を残しておきながら、新たなレイヤーをつくって、別の線を引いてみるなんてこともできる。
これって革命だよなあ。必ずしもデジタルにしたから絵がうまくなるということではない。でも、いろんな線の可能性を検討して比較できるし、いつでもどこにでも戻れるというのは、邪道だと言われるかもしれないけれど、訓練としては非常に貴重な体験になる。
そんなわけで、最近のボクは真剣に絵と向き合っている。どうしても技術が追い付かない部分は多々あって、気に入らない部分もたくさんあるんだけど、でも、日々、成長している実感があって、充実もしている。
2024年8月10日 風船人間。
飽きもせず、そして懲りもせずにオズ・シリーズを描いている。今回は「ルーン」である。オズ・シリーズに登場する風船人間である。バ・ルーンという王さまが統治しているので、ルーンというのは、英語のバルーンに由来することが分かる。
面白いことに、ルーンたちはすぐにパンクする。尖ったものにぶつかるとあっという間にパンクして、ぺっちゃんこになってしまう。そうなると、仲間たちがまるで自転車のタイヤのパンクを直すみたいに、傷口を修理して、空気を入れて、もう一度、膨らませる。そうやって、また元の姿に戻る。そんなわけの分からない種族がいるのか。そう思わせてしまうところが、ライマン・フランク・ボームの凄みである。
イラストは、あんまりうまく描けなかった。もっと弾んだ感じに描いた方が、ルーン族っぽくてよかったかもしれないし、空気が膨らんで中から押している感じも、もっと研究したらちゃんと再現できたかもしれない。でも、途中で「まあ、いいか」と思ってしまった。圧倒的に鍛錬が足りない。でも、何だかこんなバルーン人形がどこかの店先でふわふわと浮かんでいたような気もして、だったらまあ、風船っぽさもあるのだろう、と納得して、これもまた良しと受け容れることにした。受け容れて、こうしてアップして、公開している。
オズ・シリーズを描くなら、まずはカカシとブリキのきこりと臆病ライオンを描け、という声も聞こえてくるような気がする。でも、みんなが知っているものを描いても、あんまり意味がない。それぞれの頭の中に、それぞれの思うカカシがいて、きこりがいて、ライオンがいる。それはそれでもういいじゃん、と思う。こういうルーンみたいなやつは知らない人が多くって、「あ、そんな奴がいるんすか?」と思って興味を持ってもらえればよい。そう思って下手なりに頑張って描いている。
2024年8月11日 子供の居場所
ママ友の集会というのはいつの時代も健在だ。でも、そこにパパとして参加することになる事態はそんなに想定していなかった。今回、息子の友達と母だけでなく、父も参戦してのBBQ大会になって、重たい腰を上げて参加してきた。
コロナ禍の後、子供たちが遊ぶ場というのは一気に少なくなった。密閉された家の中に家族以外が集まるのはよくないということで、大人たちが他所の子供を受け入れない状況が長く続いて、これ幸いと、大人たちが自分の家に子供たちが集まることを良しとしなくなった印象がある。より家がプライベートな空間になった。その結果、子供たちの遊び場は公園などのパブリックな空間と、お金を出して子供を遊ばせておける影響空間になってしまったような気がする。
唯一、我が家はコロナ禍にあっても、子供たちの居場所づくりをしようと思って、我が家を開放していた。まあ、当然、いろんな考え方があって、感染症対策を鑑みたときに、家みたいな密閉空間に子供たちを集めるなという声も、もしかしたら、当時としてはあったのかもしれない。だから、一応、親の了解を得て遊びに来るようには伝えていた。そういう意味では、本当に、子供の遊び場が少なくなっていて、畢竟、ゲーム端末を繋いで、オンライン上で遊ぶみたいな遊び方にならざるを得ない状況になっている。
そんな中で、4つの家族が、こうしてface to faceで遊ぶ時間と場所を設けられるというのは、とても素晴らしいことだ。父親間の居心地の悪さなんて我慢しようと思えるよね。わっはっは。
2024年8月12日 ヘッドフォンを購入してみた話
ボクはほとんど毎日と言っていいほど、音楽を聴く。まさにNo Music, No Lifeだ。でも、大抵の場合、再生機器はiPhoneで、イヤフォン越しに聴いている。しかも100円均一で購入した真っ白い安いイヤフォンだったりするので、音質はダメダメだ。最近、East of Edenの楽曲を聴いていて、たくさんの人がわかざえもんのベースを頻りに褒めている。一方でコメント欄にはベースの音が聞こえないなど、音のバランスを指摘する批判めいたコメントも多かったりする。ボクの耳にも、正直、あんまりわかざえもんのベースは聴こえてこないので、イコライザの設定を「低音を増やす」にして聴くようにして、ベース音を楽しんでいた。
家のPCにもイヤフォンは差してある。真っ赤な派手系のイヤフォンだが、これはほとんどの場合、多言語再生用だ。中国やベトナム、タイなど、外国の妖怪を調べたときに、その発音が分からないことがあって、そういうときには音声を聞く。いろんなウェブサイトで、各国の言語を発音してくれるので、それで一応、音を確認して、カタカナ化してファンタジィ事典に掲載している。そんな中で、たまたま「日々の雑記」の記事を書く上で、YouTubeを再生して、真っ赤な派手系のイヤフォンで聴いた。ステミレイツの「Antimental」だ。その瞬間にズドーンと全身を貫くような衝撃を受けた。
いつもの真っ白いイヤフォンで聴く音と全然、違う。滅茶苦茶、音がクリアーで、ベースもちゃんと聴こえる。確認したら、PCに差しっ放しの真っ赤な派手系のイヤフォンはオーディオテクニカの超高級なヤツだった。おお、全然、音質が違うやんけ! ボクはビビってしまった。再生機器がPCだからか? 慌てて赤いイヤフォンをiPhoneに繋いで再生してみる。いやいや、再生機器の問題じゃないな。イヤフォンの性能だ。どうやら、ボクは多言語再生する専用としてオーディオテクニカを使って、日常に音楽を聴くように100均のイヤフォンを使っていたらしい。いやはや。
そんなことがあって、ここのところ、電気屋さんに行っては、音を聴き比べている。便利なもので、イヤフォンやヘッドフォンの売り場では、自分のiPhoneを繋いで自由に再生してみて、音を比較できるようになっている。高いものだと10万円を超えるものもあって、価格によって全然、音の深みが違う。でも、白状すれば、ボクは5,000円を超えたあたりからあんまり音の違いが分からない。結局は100均イヤフォン常用者なのだ。そんなこともあって、6,000円程度のオーディオテクニカのヘッドフォンを購入してしまった。ふふふ。
2024年8月14日 クボットを描いてみた。
フィリピンの妖怪をイラストに描き起こす企画第35弾で「クボット」を描いてみた。もう気づけばフィリピン妖怪も第35弾になるんだなあ。我ながら、頑張っているなあ。
さて、クボットはフィリピンの吸血妖怪アスワンの一種で、長い髪の毛で獲物の首を絞め、鼻や口などの開口部に髪の毛を突っ込んで窒素させる。そして毛先から生命力を吸い取る。まさにフィリピンの髪の毛妖怪軍団の第3弾だ。
第1弾がマンララヨ、第2弾がグモン、そして第3弾がクボット。クボットの特徴は、髪の毛を広げて空を飛ぶこともできる点だ。だから、髪の毛をバサーッと広げて、空を飛んでいるシーンを描いてみた。後はマラカットを描けば、フィリピンの髪の毛妖怪軍団コンプリートだ。頑張るぞー。
それにしても、筆がノっている。タブレットお絵描きの場合には、ペンタブがノっているというのか!?
2024年8月15日 イルカも泳ぐわい。
最近、結構、テンションの高い感覚をもって「日々の雑記」の文章を執筆している。これはかなり意識的なものだ。原因は分かっている。加納愛子の『イルカも泳ぐわい。』を読んだからだ。彼女のエッセイ(?)を読んで、その文章に魅了され、いつかはああいうキラキラした言葉の連なりを表現したいと思いつつ、そんなに一足飛びにはそんな崇高な領域には辿り着けるはずもないので、取り敢えず、できることをやってみる。そんな状態が現時点である。
ボクは個人的にAマッソのネタが好きで、結構、YouTubeで観ている。決して分かりやすいネタではないし、万人受けしないから、なかなか評価されない。でも、言葉の選び方や並べ方がオシャレで好きだったりする。加納さんが本を執筆しているのは知っていたが、でも、実は読んだことはなかった。結局のところ、芸人が芸人の延長線上で書いた本なのだろうと、勝手に決めつけて敬遠していた。
ところが、1か月ほど前かな。加納さんのキウイチャンネルに金原ひとみさんが出演していて、YouTubeにオススメされて観た。これも勝手な決めつけになるが、『蛇にピアス』の印象で、金原ひとみさんに怖い印象を持っていた。不良少女というか。でも、YouTubeに出演して加納さんと話している彼女は非常に柔らかい物腰で、気さくな雰囲気で驚いた。
その金原さんが、加納愛子の文章を滅茶苦茶褒めていた。彼女は加納愛子の『かわいないで』に出会って、「加納愛子さん? 知らないな」「ベテランの作家さんなのかな?」と思って読んで、読み終わった後に検索したら、お笑い芸人だったとのこと。そうか。そんな加納愛子との出会い方があるのか。いいなあ。羨ましい。そんな気持ちを抱きながら、そのまま本屋に飛び込んで、加納愛子の本を購入してした。たまたま行きつけの本屋にあったのが『イルカも泳ぐわい。』だったんだけど、彼女のキラキラした文章に完全にヤラれている。
2024年8月16日 パソコンとスマホとタブレットと
息子のツクル氏が三泊四日でキャンプに出掛けたので、これ幸いと育児から離れて、単身、実家に戻っている。趣味のデジタル化を鋭意進めていたので、普段の家の環境そのままに実家に帰れるのがいい。
ノートパソコンがあれば、ウェブサイトの更新準備ができるし、妖怪調査もできる。タブレットがあれば、妖怪のイラストが描ける。スマホがこれらの機器をインターネットに接続してくれる。そして、スマホからは音楽が流れ、作業中のボクのやる気を高めてくれる。
そんなわけで、実家にいながらにして、好きな音楽を流し、鋭意、妖怪を調査し、妖怪のイラストを描き、ウェブサイトの更新ができる。いい時代だ。ここまで突き詰められたのは、おそらく海外生活が長かったからだ。ホテル暮らしの中でも、何とか趣味を継続したいというパッションが、ここまでのシステムを構築させたのだと思う。
いずれにしても、ボクはどこにいても、趣味の活動を継続できる環境を構築したわけである。そして、これはボクの個人的な趣味の話ではあるが、本来、こういうのが働き方改革だったり、DX推進だったりではないか。
もうね。会社のDXは遅々として進まないわけだ。何かあれば会議が開催される。みんなが一堂に会するわけだけど、たった20分程度の会議のために、みんな、1時間もかけて会議室を訪問する。コロナ禍でオンライン会議を導入したのに、もうすっかりあのときの文化は廃れてしまった。
恰好いいDXじゃなくって、地に足のついたDXがある。もっとやれることはたくさんある。もちろん、ボクもまだまだ頑張らなきゃいけない。死ぬ気でやらないと国際社会に負けちゃうもんなあ。
2024年8月17日 「ギャンブルする人間なんて最低!!」と競馬場で叫ぶ。
最近、YouTubeでいろんなアーティストの音楽を聴く。最近だと、East of EdenとかGacharic Spin、LOVEBITES、NEMOPHILAなど。傾向としてはガールズバンドが多めかもしれない。昔はもう少しアイドルっぽい面子が多かった気もする。
そんな中で、YouTubeのコメント欄を眺めていて感じることがある。それは、ネガティヴなコメントをする人が一定数いるということだ。当然、人間だから好き嫌いはあるだろうし、受け手側には「賛」も「否」もあっていい。でも、「否」をそのまんまアウトプットするかどうかは、品性の問題だと思う。
基本的には、YouTubeの視聴者の多くは、そのアーティストを好んで観に来ている。だから、当然、「賛」の意見を持った人々が多い集まりである。そんな「賛」の集団の中で「否」のコメントを発すれば、当然、たくさんの人々が不快になる。そういう想像力が足りていない。
リアルな世界に置き換えるなら、そうだなあ。たとえば、競馬場に行って、馬を目で追って熱狂する人々に「ギャンブルする人間なんて最低!!」と叫ぶようなものだ。もちろん、そういう主張があってもいいし、ある意味では正しい意見かもしれない。でも、競馬場でそれを叫んだら、それは過激な人か、頭のネジが外れている人だ。少なくとも、そう認識される。でも、オンライン上だと、相手が見えないからなのか、実はこれと同じことをやってしまう。
ファンが「ああ、今回の曲いいね!!」「格好いい!!」と大盛り上がりのど真ん中で、「この曲はダサい」とか「このバンドが嫌い」とか「別のバンドの方が格好いい」とかコメントをする。
どうしても「ギャンブルする人間なんて最低!!」と発言したいなら、それは自分のSNSですればいい。そこはあなたを訪ねてきた人間だけが見る空間だ。少なくとも、職場の同僚に、競馬が趣味の人がいるんだったら、本人の前では口を噤むのが、最低限の大人の慎ましやかさである。
2024年8月18日 庭に出て「ローズ」を描いてみる。
オズ・シリーズの「ローズ」を描いてみた。8作目の『オズのチクタク』(1914年)に登場したバラの一族で、バラ王国の王室庭園の温室で育てられている。植木鉢ごと移動する。ローズたちを支配するために、女王が誕生したが、彼女たちは女王に支配されることを拒み、王を求めて女王を追放してしまった。シャギー・マン(モジャボロ、ボサ男)は誰からも好かれる「愛の磁石」を彼女たちに使ってみたが、ローズたちはその美しい姿とは裏腹に心を持っていなかったため、効かなかった。
いつも絵を描くときには、インターネットで写真を探して、それを参考にしながら絵を描く。でも、妻のちぃ子がバラを育てているので、今回は庭先に出て、バラを観察しながら描いてみた。だから、比較的、リアルに描けた。本物を前に描くというのも大事なことだ。心がないという描写から、陰鬱な顔にしてみた次第。
2024年8月20日 インスタグラマー
ここ数年、母はInstagramに熱心だ。毎日、料理をしては写真を撮影してはアップロードしている。父は「食事の前の撮影タイムで、料理が冷めるんだよ」とこぼしている。まめにコメントにも返信して、いいねを押して回っているらしい。最近、フォロワーが1,000人を超えて、Instagramから収益化の可否を問われたらしい。
ボクが子供の頃、母はものすごく弁当にこだわっていた。最近でこそ、「キャラ弁」なる概念が導入されたが、当然、ボクが小学生の頃は、そんなものはなかった。でも、母はいろんな食材を使って弁当を盛って飾って、絵を描いていた。まさに「キャラ弁」の先駆けだったと言える。
blogで「キャラ弁」が一世を風靡していた時代に、母が「私も弁当の写真を撮っておけばよかった。今だったら私、毎日、写真を撮ってあげるのに!」と悔しがっていたのを思い出す。そんな母は67歳。この現代にフォーカスして、ちゃんとインスタグラマーをやっている。
悔しいので、ボクもInstagramを始めてみた。とは言っても、器用にいろんなSNSを使うことはできないので、pixivにあげている絵をInstagramに再掲しているだけ。それでも、pixivやXとは雰囲気も客層も違うので、これはこれでいろんな可能性を試せる。いつまでもアンテナを張って、若くありたいなあ。
2024年8月21日 にゃんこ大戦争に邁進!!
「にゃんこ大戦争」って、単純なゲームだと思っていたが、意外と奥深かった。次々とにゃんこたちを戦場に投入していくゲームだと思っていて、単調だなあと思っていたんだけど、宇宙編をやっていたら行き詰って、いろいろとにゃんこたちの編成を試行錯誤しながら、綿密に戦略を練ってキャラクターを育成していったら、ちょっとしたキャラ編成の違いで、勝利できたりできなかったりする。
結局のところ、どういう編成で臨むかが肝であって、勝敗は戦いが始まる前にはとっくに決しているのである。すなわち、敵の能力に応じて、こちら側の部隊を組み立てて、必要に応じて必要なキャラクターを育てなければ、勝つことができない。ポチポチとにゃんこたちを戦場に送り出す作業は、確認作業に過ぎなかったわけだ。
うーん、面白いなあ。かわいい絵柄とシンプルな操作性、格好いい音楽に誤魔化されていたが、ちゃんと戦略ゲームだった!! ……そんなわけで、息子のツクル氏を置いてけぼりにして、親たちがにゃんこ大戦争に邁進する日々である。
2024年8月22日 フィリピン妖怪第36弾「マラカット」
フィリピンの妖怪をイラストに描き起こす企画第36弾で「マラカット」を描いてみた。
マラカットはアスワンの一種で、昼間は人間として村の中で暮らしているが、夜になると毛むくじゃらの獣に変身する。いわばオオカミ人間みたいな存在だが、攻撃方法が独特で、長い毛で相手の首を絞め、鼻や口を塞いで窒息死させる。フィリピンのアスワンにはこういう類いのものが多い。マンララヨとかクボット、グモンなんかは、みんな、毛で獲物を攻撃する。
古来より、フィリピン人というのは、何らか「毛」に対して怖さを感じていたのだろうか。その感性は不思議な感じがする。日本でも、水辺だと髪の毛が足に絡まる感覚があって、ひやっとすることがある。だから、濡れ女なんかは髪の毛で相手を殺してしまうのかなあ、と想像する。都市伝説でも、プールで女の人の髪の毛に足をさらわれて溺れさせられるというのはちらほら見かける。
そんなわけで、オオカミ人間っぽくありつつ、髪の毛が長いという不思議なイラストを描いてみた。