2024年8月8日 生殺与奪の権利。

フワちゃんがあっという間にテレビから駆逐されていく。確かに「死んでくださーい」は極めて不適切な表現だ。メディアが報じるところを信じるならば、フワちゃんは口癖のようにスタッフに「死んで」と言っていたようなので、きっと、本人的にはフランクな感じだったのだろう。本気で「死ね」と思っていたわけではない。でも、自分の人生を思い返してみたときに、ボクは誰かに「死ね」みたいな発言をしたことはただの一度もないので、まあ、「死んでくださーい」という発言は、異常だと思って間違いないだろう。

でも、どうなんだろうなあ。「やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす」という発言に対して「おまえは偉くないので、死んでくださーい 予選敗退でーす」と書いている。明らかに全部を裏返しているので、「生きているだけで」を裏返した結果が「死んでくださーい」になったのだとすれば、不適切ながらも、本人はネタのつもりだったのだ、と容易に想像できる。あまりに不用意だし、品性下劣ではある。危機意識も足りない。でも、結論、言葉遊びが過ぎたのだという印象だ。

だから許してやれということではない。広告のクライアントが難色を示すのも分かるし、教科書から削除する動きも分からないではないし、妥当な判断だ。でも、テレビやラジオの出演を一斉にとりやめにするほど深刻な事態なのかと問われると、これについては、どうなんだろうなあ。ボクたちの暮らす社会は、刑罰は法によって定められるべきだ。私的な制裁を加えることを是として前に進んではいけない気がして、ボクの脳みその奥深くが、「気をつけろ! 気をつけろ!」と警鐘を鳴らしている。

もちろん、ね。民間企業は利益を追求しなきゃいけないので、フワちゃんの出演がテレビ局の利益を損なうという経営的な判断もあるだろう。でも、いつも思うのは、本当に企業の利益が損なわれるほどに深刻な状況なのだろうかということ。結果、彼女の芸能生命を絶つまでの意思決定が必要なのだろうか。「鬼滅の刃」でお馴染みの「生殺与奪の権利」を、テレビ局は安易に振りかざしてはいけない。

ボクは、メディアが誰かを潰していくスタイルが好きではないし、それを是として受け入れたいとは絶対に思わない。どんどんメディアが嫌いになっていく。そうやって、テレビや雑誌などのメディア媒体をボクは毛嫌いして、結果、メディアはボクという顧客を失っていく。多分、そうやって離れて行っている真っ当な顧客はボクだけではないと思う。長期的には、メディアは大きな利益を損なっているように見える。

視聴者は見たいものを見ればいいのであって、見たくないなら見なければいい。そんなに視聴者を馬鹿にしてやるなよ、と思う。