2025年5月26日 久々にファンタジィ事典を更新!
1か月振りにウェブサイト「ファンタジィ事典」を更新した。ゴールデンウィークに4日間も韓国に行ったし、後輩指導に追われて仕事が忙しかったしで、なかなか時間が取れなかったのが正直なところ。仕事は全ッ然、一段落しているわけでもないんだけど、でも、このままズルズルと更新作業から遠ざかってしまうのもいけないなあと思って、重い腰を上げて更新に着手した。本当は妖怪画を描きたいところだ。
さて、1か月振りの更新は朝鮮の妖怪チョングとトンジャサム、そして『絵本百物語』の飛縁魔(ひのえんま)だ。朝鮮の妖怪は引き続き、継続していきたいと思っていて、今回のチョングは天狗。天狗とは言っても日本の天狗(てんぐ)ではなく、古代中国に由来する文字通りの天のイヌである。瓮(かめ)のような頭に小さい手足、長い尾を持っていて、フォルムがオタマジャクシみたいな姿をした小動物で、毛の代わりに細い炎を吐き出しながら、天空を飛翔する。たまに地面に墜落して、地震を引き起こす。まさに流れ星である。トンジャサムは高麗人参の精霊で、子供の姿になって人間世界に干渉してくる。
飛縁魔は、白蔵主に続いて『絵本百物語』から持ってきた。ちょうど来年(2026年)が丙午(ひのえうま)なので、その辺もちょっと調べながらまとめてみた。
そんなわけで、緩やかにファンタジィ事典の更新を再開してみた。忙しい毎日は変わらないので、ペースは上がっていかないとは思うんだけど、引き続き、緩やかに更新していきたいなあ。妖怪画も描きたいなあ。本当は朝鮮の妖怪をどんどん描きたいと思っているので、諦めずに隙間時間を狙って、絵を描いてみたい。乞うご期待だ。
2025年5月25日 絵文字の歴史3:ハートマーク事件とドコモ絵文字の誕生
5月23日の記事「絵文字の歴史2:感情を伝えるには顔のシンボルが必要だ」の続き。
人間のコミュニケーションの基本は「会話」だったはずだ。しかし、オンラインが普及して、文字だけでのコミュニケーションになると、感情が伝わらないので、喧嘩が増える。前回はアメリカの大学で、感情を伝えるために「顔文字」を導入した事例を紹介した。同様の現象は日本でも起こっていて、それを象徴する出来事が1998年の「ハートマーク事件」と言える。
当時は1G、アナロク電波で通信していた時代で、若者たちのコミュニケーションツールは「ポケベル」だった。ポケベルは送れる文字数が少なく、感情を伝えることが難しいため、若者たちは語尾に「♥」をつけて気持ちを込めるみたいな文化が浸透していた。たとえば、docomoのポケベル(センティーシリーズ)ではツータッチ入力の「88」で「♥」を送ることができた。一説では、バンド「Go!Go!7188」はポケベルのツータッチ入力に由来するとされている。ベースのアッコは本名が野間亜紀子だが、ポケベルのツータッチ入力の「55 71 88」は「ノマ♥」となる。
ところが、1998年にdocomoが社会人向けポケベル「インフォネクスト」を発売したときに問題が起きた。「インフォネクスト」はこれまでのカタカタだけでなくて、漢字も使えるという触れ込みだった。そして、その代わり「♥」が使えなくなった。そうしたら、高校生を中心に「今後、docomoはハートマークが使えなくなる」という間違った噂が日本全国に広まって、競合他社のテレメッセージ社にたくさんの若者が乗り換えた。当時、docomoは衝撃をもってこの出来事を受け止めたわけで「ハートマーク事件」と命名されている。
docomoでは次なる新商品として「i-mode」の開発を進めていたところだった。時代は2Gに移って、デジタル通信になった。携帯電話でメールやインターネットができる時代に向かって動いていて、まさにdocomoは、世界で初めて、携帯電話でインターネットにアクセスできる最先端の製品を作っていたわけだ。そのときに、docomoの社員だった栗田穣崇氏は「ハートマーク事件」を目の当たりにしていて、次世代端末には「絵文字」が必要だと考えた。そして、176種類の絵文字(12×12ピクセル)を監修・開発した。こうして、1999年にi-modeが発売され、ドコモ絵文字も普及していった。

もちろん、これは環境依存文字で、docomoの端末以外では文字化けする。それでも、非常に画期的だったわけで、この176種類のドコモ絵文字は2016年10月にニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されている。
2025年5月23日 絵文字の歴史2:感情を伝えるには顔のシンボルが必要だ
5月21日の絵文字の歴史1:ファンタジィ事典の多言語化の記事の続き。
そもそも「絵文字」の話をする前に、絵文字前夜として「顔文字」の話をしてみたい。顔文字の誕生は1982年だとされている。最初の顔文字は「:-)」と「:-(」。笑った顔とむっつりした顔の2つである。
当時は現在のようなインターネットはなくて、会社や大学が独自のネットワークをそれぞれ構築していた。大学同士はかなりネットワークが繋がっていて、掲示板を介して大学間でやりとりがされていた時代だ。学生と教授、あるいは研究者同士で、掲示板上で意見交換をすると、頻繁に喧嘩になるという状況が起こっていたようだ。そこで、カーネギーメロン大学のファールマン(大学の情報科学の研究者)が顔文字の導入を提唱したのだそうだ。文字だけだと、それが冗談なのか本気なのか分からない。そのせいで喧嘩になる。冗談のときは笑った顔、マジな話のときはむっつりした顔。そうすると、掲示板上の喧嘩が減ったのだとか。文字だけだと気持ちが伝わらない。感情を伝えるのに、顔のシンボルが必要だということが判明したわけである。
顔文字は英語では「Emoticon(エモーティコン)」と命名された。emotion(感情)とicon(アイコン)のカバン語である。その後、日本で「絵文字」が発達していって、世界中で「Emoji(イーモジ)」として受け容れられていくわけだが、「絵文字」もemotion(感情)やemoticon(顔文字)と結びついていくので、素晴らしい偶然である。
ちなみに、日本では「(^_^)」が投稿されたのが最初で、1986年のことだったようだ。アメリカの顔文字は「口」で感情を表現し、日本の顔文字は「目」で感情を表現しがちだという論文もある。
2025年5月21日 絵文字の歴史1:ファンタジィ事典の多言語化
本日、NTTドコモが「ドコモ絵文字」の提供を順次終了することを発表した。ひとつの大きな時代の終わりを感じた。
ボクは2009年からウェブサイト「ファンタジィ事典」を運営している。当時から妖怪の名前は原語表記することをモットーとしていた。古代ギリシアの妖怪なら古代ギリシア文字、聖書の妖怪ならヘブライ文字、シュメル神話の妖怪なら楔形文字。だから、いつだってコンピュータにおける文字表記との格闘だった。ミャンマー文字なんかは昔っから文字化けしていたし、楔形文字や古代エジプト文字、アヴェスター文字なんかもずぅっと課題だった。こういう世界各地の文字を、どうやったらウェブブラウザ上で文字化けせずに印字できるのか。そんなことに苦しんできた。
多分、大半の人には伝わらないと思う。それでも書いてみる。ボクは「ファンタジィ事典」をhtmlのタグ打ちで書いている。ソースを開いてもらえれば分かると思うが、世界各地の文字は数値文字参照(NCR)になっている。たとえば、古代ギリシア文字のα(アルファ)だったら「α」と書いている。ヘブライ文字も楔形文字もミャンマー文字も、みんな、こうやって数値文字参照で記述している。そして、文字コードはutf-8になっているので、別に数値文字参照しなくても直接、古代ギリシア文字を打てばいいじゃないかという声もあるかもしれない。でも、そうはいかない理由がある。
実は「ファンタジィ事典」は事典サイトなので、更新が面倒臭い。たとえば、新規で妖怪を追加することを想像してみて欲しい。たとえば、イギリス伝承の「アーヴァンク」を追加したとする。そうしたら、afanc.htmlという項目ができるだけでなくて、更新履歴のところにアーヴァンクが載る。五十音検索のア行にも載る。イギリス伝承の項目にも載る。それを全部、管理するのは難しい。若い頃にはデータベースという考え方がよく分かっていなかったボクは、それならばExcelで全て管理しようと決意した。メモ帳に妖怪の説明だけを書いて、Excelに紐づけて、全てExcelマクロでhtml化している。テキストファイルにhtmlの本文だけを書いておいて、後は全てExcelでhtmlに変換して書き出している。Excelの文字コードが基本的にはShift_JISなので、テキストファイルはShift_JISで、マクロで最後にutf-8に変換している。
……みたいな技術的なことを書くと意味分からんと思う人がいるかもしれない。でも、裏側はそういうことなのだ。WordPressなんかはphpファイルがデータベースにアクセスして、その場でhtmlを吐き出している。同様のこととして、ボクは箱庭形式で、デスクトップ上でExcelをデータベース的なものとして取り扱って、htmlを吐き出してサーバにあげている。
そんなボクからすると、絵文字の歴史というのは、まさに文字コードとの戦いの歴史だと認識している。現在、絵文字は国際社会に広く受け入れられている。「emoji(イーモジ)」などと呼ばれて、誇るべき日本の文化だとされている。オバマ大統領も2015年のスピーチの中で、日本由来のものとして、空手やカラオケ、漫画、アニメと並べて、絵文字を挙げているし、栗田穣崇氏が監修したドコモ絵文字は、2016年10月にニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されている。それでも、ボクは文字コードの歴史の観点では、日本の技術者たちの敗北だったと思う。……ちょっと思うところがありすぎて長くなりそうなので、絵文字の歴史の詳細については次回に譲りたい。(続く)
2025年5月7日 だからいいんじゃん!
昨晩、韓国旅行から帰ってきた。結局、妖怪の本に関する収穫はなし。もう、ね。ずぅっと子供たちの相手をしていた。買い物の時間も子供たちの引率をしていた。だから、本屋に立ち寄って店員さんにヒアリングする時間も取れなかった。本当は韓国語で「요괴책이 있나요?(妖怪の本はありますか)」と問う準備は万端だったんだけど。本屋にも立ち寄ったんだけど。でも、その時間的かつ精神的な余裕がなかった。
でも、面白かったのは、子供たちの発想。子供たちは日本の漫画(ワンピースとか呪術廻戦、スパイファミリーなど)を探していたこと。確かに韓国語の漫画なんて、とてもよいお土産になる。本屋に行ったら、ワンピースが1巻から最新刊(111巻)までがちゃんと並んでいた。コナンも1巻から107巻までが並んでいた。意外と韓国は先進国だ。途上国だと、最初の数巻しか置いていない。呪術回線もスパイファミリーも最新巻までちゃんと置いてある。凄い。
それからもうひとつ。子供たちがポケカを欲したこと。必死におもちゃ屋を探して、店員に確認した。子供たちは喜び勇んで大量のポケカを買っていた。「それ、韓国語だぜ?」と言ったら、「だからいいんじゃん! 珍しいじゃん!!」との回答。なるほど、そのとおりだ。韓国でしか買えないもんね。そういう価値の見出し方は素晴らしいよね。
そういう意味で、子供の買い物に散々付き合わされた結果、自分自身は韓国の喫茶店に行くことも、市場に行くことも、そして妖怪の本をゲットすることもできなかった。でも、まあ、そういうもんだよね。とほほ。
2025年5月3日 本日より韓国に行きます!!
息子のツクル氏が韓国に行くプログラムがあって、それに同行する。本日より4日間。特に観光をするわけではなくて、交流プログラムだから、あちこちには行かない。でも、ここのところ、鋭意、朝鮮の妖怪を蒐集しているので、何かいい書籍(韓国語の)があればゲットしてきてもよいかなと思っている。最近、韓国も妖怪ブームというのか、子供向けの妖怪事典みたいなのを作る機運があるので、そういうのもアクセスできたらいいなあ。普通の本屋で買えるかなあ。どうだろう。
2025年4月24日 時代錯誤に掲示板を設置!?
4月16日の記事「孤独な情報発信」に書いた話題になるが、ボクはずぅっと一方通行の一人相撲。訪問者の反応が分からない中でウェブサイト運営をしてきた。自由気ままで、それはそれで心地良さもある。でも、一抹の寂しさもある。16日の記事で言語化してみて、さらにその気持ちが強くなった。時代錯誤かもしれないが、掲示板を設置してみた。昔みたいにcgiで自作することも頭をよぎった。でも、セキュリティを考えると他人様が作ってくれたものの方が楽ちんだし安全だから、ものは試し。既存のサービスを借りてみた。
ひとつとしてコメントがつかないまんまというオチもある。宣伝まみれになって手が回らなくなるというオチもある。コメントの頻度が少ないからボク自身がチェックを怠って意味をなさなくなるというオチもある。どうなるかはやってみないと分からない。分からないが、やってみることが大事だ。まあ、でも、掲示板なんて少し時代錯誤かもしれない。そんな気持ちもある。今風のXやInstagramもやっているので、そちらでコメントをもらっても対応はできる。いずれにしても、こちらからの歩み寄りだって、多少は必要だろう。
2025年4月22日 イラストがかわいい妖怪ボドゲ!!
「妖怪バカスカ」というボードゲームがある。イラストが滅法かわいくて思わず買ってしまって、ボドゲ棚の奥に仕舞い込んでいたんだけど、本日、息子のツクル氏に発見されてしまったので、一緒にプレイ。

もう、ね。何を置いてもイラストがかわいい。最高だ。ゲームとしてはどうなんだろう。カードの効果が強くって、かなり運の要素も大きいのではないかと思ったりもする。でも、もしかしたら、やり込んでいくと戦略の要素も効いてくるのかもしれない。4色の色を揃えることと、3枚の手札の色を揃えることと、考えることはたくさんあるからだ。まあ、どちらにしても、イラストがかわいいのだから、もう、それだけでニマニマしてしまう。いい。最高だ。
というわけで、ツクル氏とキャッキャと遊んでいる。ちなみに、最近、ツクル氏は再びボドゲ熱が上がってきたようで「カタン」や「ブロックス」「オートリオ」「お邪魔者」など、いろいろなボドゲにチャレンジしている。必要な脳の筋肉がその都度、違うので、ゲームのたびに脳みそのあっちこっちを使っている感覚があって、脳トレになっている気がする。息子よ、ありがとう!! わはははー。
2025年4月20日 まだまだフィリピンの妖怪を更新!!
久々に「ファンタジィ事典」にフィリピンの妖怪を更新してみた。もう、結構、やり尽くした感じもあったし、ネタ切れかなあと息切れしていたところ、時間が経ったので改めて自分のデータベースを見直してみたら、視点が変わっていて、新たに更新できそうな項目を見つけたので、やってみた感じ。
吸血獣のシグビンを使役する憑き物筋系のシグビナン、月の満ち欠けで善にも悪にもなるタガマリン、夜の森で旅人を驚かせるだけのヤサウとラキなどを更新してみた。
特に今回、タガマリンが面白かった。善と悪の二面性があって、それが月の満ち欠けで変わるという発想は凄いなと感じる。満月の日に悪に転じて、新月まで人喰いの怪物になるが、新月を迎えると善神になって人々を守護する。しかし、また満月になると人喰いの怪物になる。広い意味で、満月をきっかけに怪物になるオオカミ人間なのかもしれない。
それにしても、まだまだやれるもんだなあ。フィリピンの妖怪のイラスト化のプロジェクトも、まだまだやれるかもしれないなあと思ったので、ちょっと空き時間を見つけて描いてみようかな、と思った次第。ふふふ。
2025年4月18日 白蔵主に化けた老キツネは狂言師に演技指導をした!?
もう少しだけ「日本の妖怪」に手を入れてもよいかな。最近になってそんなことを思い始めた。ボク自身もこれまで「日本の妖怪」に対する解像度が粗かったと痛感している。面白い妖怪が日本にももっとたくさんいる。そんな風に感じ始めた。だから、そういう面白さを伝えていければよいと思っている。
江戸時代の妖怪と言えば、鳥山石燕の画集は有名だ。『画図百鬼夜行』、『今昔画図続百鬼』、『今昔百鬼拾遺』、『百器徒然袋』の4つ。水木しげるはこのシリーズからたくさんの妖怪を取り上げた。これと対になって昔から語られるのが桃山人の『絵本百物語』だ。どちらも京極夏彦が作品のモティーフにしている。『姑獲鳥の夏』から始まる百鬼夜行シリーズは鳥山石燕の画集に描かれている妖怪からお題を採っている。巷説百物語シリーズは『絵本百物語』に描かれている妖怪からお題を採っている。だから、京極ファンや根っからの妖怪ファンからしたら、どちらの本もよく知られている。
でも、江戸時代の本なので、必ずしも分かりやすくはない。断片的であったりもする。だから、もう少し真正面から向き合って、ウェブサイト「ファンタジィ事典」でも取り上げてみてもよいかもしれない。最近、大昔の絵巻を眺めながら、そんなことを考えた。絵巻に描かれた妖怪を紹介していくなら、まずは有名な鳥山石燕の画集と桃山人の『絵本百物語』。ここから始めてもよいかもしれない。
そんなわけで『絵本百物語』巻第壱第壱の「白蔵主」から着手してみたんだけど、大変だった。たった1匹の妖怪なのに、調べ始めたら1週間以上、掛かってしまった。当然、『絵本百物語』は読むわけだけど、これは角川ソフィア文庫から出版されているから問題ない。でも、調べていくと、狂言『釣狐』とか『和泉各所図会』とか、いろいろと調べることが増えて、あれよあれよと情報量が増えてしまった。
多少、難解な部分も残っているけれど、でも、よくまとめられたと思う。まずは狂言『釣狐』の白蔵主を紹介して、『和泉各所図会』を紹介して、それらを大幅にアレンジした『絵本百物語』を紹介する。説明の並べ方としては、こんなもんだろう。
『和泉各所図会』については、書籍として出版されていないのだろうか。仕方がないので、原文を当たった。早稲田大学が『和泉名所圖會 巻之一』を公開してくれている。リンク先のPDFの43ページと45ページを参照した。Wikipediaの「白蔵主」のページには竹原春朝斎の絵が載っているんだけど、肝心の文章の中身は載せてくれていない。そこにいろいろと興味深い話が載っていたので、それも載せてみている。Wikipediaではキツネが狂言師に演技指導した説明のところが[要出典]になっている。でも、ちゃんと『和泉各所図会』に載っているじゃん、などと思っている。
2025年4月16日 孤独な情報発信
ボクは飽きもせず2003年からウェブサイト運営をやっている。当時のボクのウェブサイトは創作サイトで、ほとんどのページをhtmlのタグ打ちでやっていて、一部、レンタル掲示板だけはフリーCGIサイトのものを借りてきて運営していた。レンタル掲示板のお陰で、ウェブサイトの訪問者とコミュニケーションをとることができた。現在のボクは完全に一方通行で、「日々の雑記」を書いても、ファンタジィ事典を更新しても、特に訪問者からの反応はない。たまにXとかで「こんなサイト見つけた」とか「この記事面白い」みたいな反応を見つけることもあるが、そういうのはエゴサして見つかるわけで、基本的には一人相撲である。
唯一、アクセス解析で、検索してくれている人の単語の動向を探ったり、アクセスが増えた減ったとか、記事への動線みたいなところは分かるので、統計データとして、こういうのがバズったとか、こういうアクセスが多いみたいなことは把握できているので、そういうところは多少、参考にしている。孤独と言えば孤独だし、昔はもっと交流があったので、コミュニケーションがないのは寂しいと言えば寂しいかもしれない。
先日、けんすうさんが情報発信を「情報」「意見」「日記」の三段階に分けて考えるという動画を配信していた。無名の人は「情報」を発信し、ある程度、知名度を得たら「意見」を加え、最終的には「日記」でもアクセスが稼げるようになるのがよいということだった。無名の人の意見や日常には誰も興味がないので、無名の人はまず「情報」の発信に力を入れていくべきである。しかしながら、「情報」の発信だけだと、書き手(誰が書いているか)に重きが置かれない。だから、ある程度、アクセスが増えてきたら書き手の「意見」が必要になる。しかし「意見」で個性を出そうとすると尖っていくので、一定のファンが出来たら「日記」を書いて、その人の日常も見せていく……というアプローチだ。明確に言語化されていて、本当にそのとおりだと思う。
ボクは「意見」を書く行為は随分前に意識的に減らした。世の中の出来事にああだこうだ書くのは書きやすいけれど、そういうのって求められていないし、ニーズに合ってないよなあと思って、極力、書かないようにしてきた。「日記」は今でもたまに書くことがある。育児のこととか、食事のこと、外出のことなんかは、完全に「日記」の範疇だ。こういうのも、実は書きながらも、誰も読まないよなあと自覚している。自覚はしているんだけど、書くことがないと、穴埋めに使ってしまう。でも、仕事の「日記」は意図的に書かないようにしている。
今回、けんすうさんの動画を見て、情報発信の内訳が明確に言語化されて頭の中に入った。だからと言ってこれから「情報」だけを書いていこうということではない。これからも「意見」や「日記」も綴っていくのだろう。でも、無自覚に記事を書くのと、言語化された状態で書くのでは、全然、意味が違うし、取り組み姿勢も変わる。配分も変わるかもしれない。
というような心模様を綴ってみたんだけど、どうなんだろうね。こういうのはウケるのか否か。ヘタっぴの訪問者は何も言わないので、結局、孤独な一人相撲である。でも、ヘタに反応があるよりは気が楽だから、ボクはSNSではなく、こういうところで細々と呟いているのである。
2025年4月14日 巨大化する影!?
年度末の忙しさを乗り越えたものの、疲労困憊でダウン気味だ。それでも、頑張ろうと思って、ようやく「ファンタジィ事典」を更新してみた。朝鮮伝承からはオドゥクシニとクスンデ。どちらも闇を具現化したような妖怪だ。
オドゥクシニの方は日本の見越し入道や乗越みたいな妖怪で、見上げれば見上げるほど大きくなって押し潰されてしまうという。暗闇への恐怖がどんどん肥大化していくイメージなのかもしれない。逆に恐怖に打ち克てば消えてしまう。
クスンデも暗闇を具現化した妖怪だが、もっと悪性で、最初は子供の姿で暗闇に現れ、うっかり近づこうものなら、影のような姿になって、どんどん巨大化し、最終的には覆いかぶさって、獲物を殺してしまうという。切っても切っても切れないということで、松明などの明かりで照らすことが有効だとされる。
そんなわけで、引き続き、朝鮮半島の妖怪を蒐集して順次、紹介していきたいと思っているので、乞うご期待。
2025年4月12日 雷神になった道真公!?
最近、日本の妖怪の絵巻なんかを眺めるのが趣味のひとつになっていて、いろんな絵巻を眺めながら、「へぇ」とか「ほぅ」などと溜息を吐いている。今日はそんな絵巻の中から『北野天神縁起絵巻』を紹介してみたい。
菅原道真が雷神になって京都の清涼殿を襲ったという話がは非常に有名で、よく御霊信仰の例として紹介される。現代人のボクたちからすると、菅原道真が怨霊と化したと聞くと、垂纓冠をかぶって着物を着た道真公がおどろおどろしい姿になって出現するようなイメージを持ってしまう。でも、『北野天神縁起絵巻』を見ると、完全に「鬼」として描かれている。まさに赤鬼で、もはや人間としての面影はない。そこが現代人の感覚とは違っていて、面白いところだ。

ちなみに、絵巻そのものを丁寧に眺めていくと、宮中の人々が逃げまどっている様がうまく描けていて、とても臨場感があってよい。一方の雷神そのものは結構、お道化た表情で、滑稽な感じがして、あんまり怖くない。それもまた面白いなと思う。
2025年4月10日 成長。
息子のツクル氏は昔からずぅっと「負けず嫌い」だった。もちろん、負けず嫌いは悪いことじゃない。勝ちたいという気持ちの裏返しなので、成長につながるだろう。ただ、彼の場合、昔っから勝負事が嫌いで、負ける可能性のあるものを排除しようとする癖があった。たとえば、幼稚園とかで先生が「これ欲しい人ー」とか「これやりたい人ー」みたいな声掛けをすると、みんな、手を挙げる。だって、欲しいもんね。やりたいもんね。でも、ツクル氏は手を挙げない。じゃんけんで負けたら嫌だから、そもそもの勝負の舞台にあがらない。だから、いつも「余りもの」をゲットする。生まれつき、そういう傾向が強かった。
だから、運の要素の強いゲームをやった方がよいかもしれないと思って、生活の中にたくさんのボードゲームを取り入れて、今までやってきた。その甲斐あってか、今は負けても大丈夫になった。最近は「カタン」なんかをやる。妻のちぃ子は賢いので、カタンなんかやらせたら滅法強い。いい場所を押さえて、どんどん素材を集めて、建設を進めていく。ツクル氏は、その悔しさから、「ママ、強い! クソゥ、またやろう!」と言っている。成長を感じるなあ。
2025年4月8日 都市伝説を引き寄せる能力!?
ジャンプ+で連載の平岡一輝氏の『都市伝説先輩』が面白い。異様に都市伝説が大好きな主人公の女子大学生と「都市伝説を引き寄せる」能力を持つ男子大学生の青春オカルトコメディだ。コメディではあるけれど、でも、都市伝説が題材になっていて、都市伝説特有の不気味さや怖さが根底にはある。そこが面白いのである。
1巻では「口裂け女」、「チャーリーゲーム」(英語圏ではチャーリー・チャーリー・チャレンジ)、「ディスマン」、「ジェットババア」が題材になった4つの話が載っている。二人は実際に口裂け女と遭遇して命の危機に直面しているが、紆余曲折あって、何故か口裂け女とラインを交換する展開になる。チャーリーゲームではオカルトサークルの部室に集まったメンバーが冗談で「この中に殺人犯はいるか」みたいな問いを発して、チャーリーが「YES」と答えて大騒動になる。どちらも一見、コメディではあるが、でも、妙に大学生ノリの生っぽさもあって、結末も含めて不気味な余韻を残した展開になる。その辺が都市伝説っぽいうさん臭さとか怖さがあって楽しい。
というわけで、オススメの漫画である。
2025年4月6日 たまの家族団欒。
ようやく4月になって暖かくなってきて、まさに花見日和。地元のお団子屋さんで団子を調達して、妻のちぃ子、息子のツクル氏と近所の公園に花見に繰り出す。こういう家族団欒もいいよね。

近所の公園がかなりの高台にあって、そこまで辿り着くまでにヘトヘトである。「パパー、まだまだ坂は続くよ。頑張れー」と息子に応援される始末だ。体力が資本なので、ちょっとトレーニングが必要かもしれないなと反省しきりである。ふふふ。
2025年4月4日 日本の妖怪の解像度を上げている最中
最近になって、日本の妖怪、特に絵巻物にハマっている。文献に文字情報に載っている「妖怪」だけでも、伝承上語られてきたものを蒐集した「妖怪」だけでもなくって、絵に描かれてきた妖怪に興味が向いたのは、ボク自身が「世界の妖怪」を描く機会が増えてきたせいかもしれない。過去に妖怪がどのように描かれてきたのかに意識が向いてきた証左だ。
今はもっぱら、『妖怪萬画 Vol.1 妖怪たちの競演』(青幻舎ビジュアル文庫,2012年)を読んでいる。読んでいるというか眺めている。

この本の表紙に描かれているのは作者不詳の『百鬼夜行絵巻』(京都市立芸術大学芸術資料館蔵)に描かれた「朧車」(あるいは「天狗車」)だけど、メチャクチャ迫力がある。こんなの、ボクなんかはとても描くことができない。カエルみたいなのが牽引していて、イヌたちが誘導している。動きがある。

もうひとつ、ボクが恐れを感じたのは神虫。平安時代末期の『辟邪絵(益田家本地獄草紙乙巻)』の中に描かれている。これも凄まじい。とても平安時代末期のものとは思えない。今の漫画家さんが描いたのかと思うほど、漫画っぽい。大迫力。こういう妖怪画の延長線上に、ボクたちの漫画文化があるのだと思わされてしまう。ちなみに、逃げまどっているのは疫鬼たちで、この怪物みたいなものは疫鬼たちを退散させる善神なのだとか。この恐ろしげなヴィジュアルで「善神」というのも凄い。
こういうところにも意識が向けられるとよいなあと思って、目下、日本の妖怪に関する解像度をあげているところ。こういうところもフォローしていきたいなとは思っている。
2025年4月2日 ドドドキュン!!!
「劇団スカッシュ」が「明日ゾンビになる君と」という超名作のドラマを公開した後、ちょっとの迷走期間を経て、いなくなってしまったと思っていた。そうしたら、何だか「いぶよへスカッシュ」というチャンネルでショート動画を出し始めて、何が起こっているんだろうと注目していたら、新たに「ドドドキュン」というドラマが始まった。しかも超面白い。全然、錆びついていない。ヤバい。というわけで、おすすめ。
「いぶよへスカッシュ」というチャンネルがどういう経緯で誕生したのかはよく分からない。「劇団スカッシュ」のチャンネルがどうなっていくのかもよく分からない。でも、どこまで行っても企画も脚本も演出も「劇団スカッシュ」だし、出演しているメンバーも相変わらずの面々。だから、懐かしくもあったし、どんな形であれ、こうやって大型企画をやってくれるのは嬉しくて仕方がない。
ボクにとって、YouTube上で4、5分の動画を数珠のように繋げて、長編ドラマを続けていくスタイルは目新しかったし、それがYouTubeにハマっていた。このアイディアを形にして実現し、継続している「劇団スカッシュ」って、いいよなあ。
2025年3月31日 年度末最後の更新
年度末って大抵、忙しい。何しろ会社としては締めの時期だから仕方がない。これまでの十数年間も慌ただしかったけれど、今回の部署は殊更、報告書の作成とか業務の精算とか、そういう作業がどっと押し寄せてきて、齷齪していた。Xにもポストしたが、そんなもんだから、世界の妖怪のイラストを描く作業は勝手に中断している。でも、ファンタジィ事典は何とか形にしたいなあと悪戦苦闘して時間を捻出し、更新に臨む。一応、年度末の最後に無事にアウトプットに漕ぎ着けた。乾杯!!
朝鮮伝承から「ケヨシ」と「チャンサンボム」を更新してみた。どちらと道の怪とでも言うべき妖怪だ。ケヨシは峠で出遇った人間の頭の上を飛び越して魂を抜いてしまう。それが現在でもオートバイのツーリング客を追いかけて殺すというのだから、伝統的な妖怪が現代にも生き残っているような感じで、連続性を感じる。チャンサンボムはどちらかと言えば都市伝説的で、インターネット時代の道の妖怪だけど、ケヨシにも通じるところがあって、面白い。
他にも細々とたくさん更新したので、是非、ご確認あれ。
2025年3月29日 ゲーマーが妖怪退治やってみた!
『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』(小松清太郎,コロコロコミックス)が面白かったので紹介したい。
ボクが「世界の妖怪」蒐集に精を出していることは、小学5年生の息子のツクル氏もよく知っている。そんなツクル氏がちょっと前にこんなことを言い出した。「パパ、コロコロに面白い漫画があるんだよ。『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』っていうヤツで、妖怪がたくさん出てくるから、パパは買った方がいいと思うよ」。この野郎、その気にさせて買わせる気だな、と思って無視していたら、遂に断念したのか、お小遣いで5冊、大人買いしてきた。そしてこれ見よがしに机の上に置いてあるので、どれどれと思いながら読んだ。
物語の展開は子供向けと言えば子供向けなんだけど、でも、面白かった。主人公の西京芸麻(さいきょうげいま)はプロゲーマーを目指してゲームに心血を注ぐ。そんな主人公の魂が込められて、ゲーム画面で実際の人間を操作して戦わせることができるようになる。妖怪退治屋見習いの刀道巫女(とうどうみこ)を操って、次々と現れる妖怪たちを退治する……というような話なんだけど、でも、ツクル氏の言わんとするところは分かった。「妖怪」が題材になっているけれど、決してオリジナルの妖怪ではなくて、ちゃんと伝承に基づいた妖怪たちが登場している。だから、「買った方がいいと思うよ」などと言ったのだろう。『ダンダダン』や『ダンジョン飯』みたいに、『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』もネタにできるよ、ということだろう。
というわけで載せてみた。ちなみに1巻には伝承上の妖怪として「大蜘蛛」「人面犬」「泥田坊」「水虎」が出てくる。名前だけだけど「大嶽丸」も出てくる。2巻には「鬼婆」や「牛鬼」、「のっぺら坊」が出てくる。「水虎」が水をまとったトラだったり「牛鬼」がミーノータウロスみたいなまっちょのウシ頭だったりと、あんまり元の伝承の設定が活かされていない妖怪も多いので、その辺、ちゃんと解説してあげるとよいかなとも思った。一方で、面白かったのは、「のっぺら坊」がペンで自分の顔に絵を描くと、その顔に合わせた能力を得られるという話。ちょっとその発想は面白いなと思った。








