2024年8月12日 ヘッドフォンを購入してみた話

ボクはほとんど毎日と言っていいほど、音楽を聴く。まさにNo Music, No Lifeだ。でも、大抵の場合、再生機器はiPhoneで、イヤフォン越しに聴いている。しかも100円均一で購入した真っ白い安いイヤフォンだったりするので、音質はダメダメだ。最近、East of Edenの楽曲を聴いていて、たくさんの人がわかざえもんのベースを頻りに褒めている。一方でコメント欄にはベースの音が聞こえないなど、音のバランスを指摘する批判めいたコメントも多かったりする。ボクの耳にも、正直、あんまりわかざえもんのベースは聴こえてこないので、イコライザの設定を「低音を増やす」にして聴くようにして、ベース音を楽しんでいた。

家のPCにもイヤフォンは差してある。真っ赤な派手系のイヤフォンだが、これはほとんどの場合、多言語再生用だ。中国やベトナム、タイなど、外国の妖怪を調べたときに、その発音が分からないことがあって、そういうときには音声を聞く。いろんなウェブサイトで、各国の言語を発音してくれるので、それで一応、音を確認して、カタカナ化してファンタジィ事典に掲載している。そんな中で、たまたま「日々の雑記」の記事を書く上で、YouTubeを再生して、真っ赤な派手系のイヤフォンで聴いた。ステミレイツの「Antimental」だ。その瞬間にズドーンと全身を貫くような衝撃を受けた。

いつもの真っ白いイヤフォンで聴く音と全然、違う。滅茶苦茶、音がクリアーで、ベースもちゃんと聴こえる。確認したら、PCに差しっ放しの真っ赤な派手系のイヤフォンはオーディオテクニカの超高級なヤツだった。おお、全然、音質が違うやんけ! ボクはビビってしまった。再生機器がPCだからか? 慌てて赤いイヤフォンをiPhoneに繋いで再生してみる。いやいや、再生機器の問題じゃないな。イヤフォンの性能だ。どうやら、ボクは多言語再生する専用としてオーディオテクニカを使って、日常に音楽を聴くように100均のイヤフォンを使っていたらしい。いやはや。

そんなことがあって、ここのところ、電気屋さんに行っては、音を聴き比べている。便利なもので、イヤフォンやヘッドフォンの売り場では、自分のiPhoneを繋いで自由に再生してみて、音を比較できるようになっている。高いものだと10万円を超えるものもあって、価格によって全然、音の深みが違う。でも、白状すれば、ボクは5,000円を超えたあたりからあんまり音の違いが分からない。結局は100均イヤフォン常用者なのだ。そんなこともあって、6,000円程度のオーディオテクニカのヘッドフォンを購入してしまった。ふふふ。

2024年8月11日 子供の居場所

ママ友の集会というのはいつの時代も健在だ。でも、そこにパパとして参加することになる事態はそんなに想定していなかった。今回、息子の友達と母だけでなく、父も参戦してのBBQ大会になって、重たい腰を上げて参加してきた。

コロナ禍の後、子供たちが遊ぶ場というのは一気に少なくなった。密閉された家の中に家族以外が集まるのはよくないということで、大人たちが他所の子供を受け入れない状況が長く続いて、これ幸いと、大人たちが自分の家に子供たちが集まることを良しとしなくなった印象がある。より家がプライベートな空間になった。その結果、子供たちの遊び場は公園などのパブリックな空間と、お金を出して子供を遊ばせておける影響空間になってしまったような気がする。

唯一、我が家はコロナ禍にあっても、子供たちの居場所づくりをしようと思って、我が家を開放していた。まあ、当然、いろんな考え方があって、感染症対策を鑑みたときに、家みたいな密閉空間に子供たちを集めるなという声も、もしかしたら、当時としてはあったのかもしれない。だから、一応、親の了解を得て遊びに来るようには伝えていた。そういう意味では、本当に、子供の遊び場が少なくなっていて、畢竟、ゲーム端末を繋いで、オンライン上で遊ぶみたいな遊び方にならざるを得ない状況になっている。

そんな中で、4つの家族が、こうしてface to faceで遊ぶ時間と場所を設けられるというのは、とても素晴らしいことだ。父親間の居心地の悪さなんて我慢しようと思えるよね。わっはっは。

2024年8月10日 風船人間。

飽きもせず、そして懲りもせずにオズ・シリーズを描いている。今回は「ルーン」である。オズ・シリーズに登場する風船人間である。バ・ルーンという王さまが統治しているので、ルーンというのは、英語のバルーンに由来することが分かる。

ルーンのイラスト

面白いことに、ルーンたちはすぐにパンクする。尖ったものにぶつかるとあっという間にパンクして、ぺっちゃんこになってしまう。そうなると、仲間たちがまるで自転車のタイヤのパンクを直すみたいに、傷口を修理して、空気を入れて、もう一度、膨らませる。そうやって、また元の姿に戻る。そんなわけの分からない種族がいるのか。そう思わせてしまうところが、ライマン・フランク・ボームの凄みである。

イラストは、あんまりうまく描けなかった。もっと弾んだ感じに描いた方が、ルーン族っぽくてよかったかもしれないし、空気が膨らんで中から押している感じも、もっと研究したらちゃんと再現できたかもしれない。でも、途中で「まあ、いいか」と思ってしまった。圧倒的に鍛錬が足りない。でも、何だかこんなバルーン人形がどこかの店先でふわふわと浮かんでいたような気もして、だったらまあ、風船っぽさもあるのだろう、と納得して、これもまた良しと受け容れることにした。受け容れて、こうしてアップして、公開している。

オズ・シリーズを描くなら、まずはカカシとブリキのきこりと臆病ライオンを描け、という声も聞こえてくるような気がする。でも、みんなが知っているものを描いても、あんまり意味がない。それぞれの頭の中に、それぞれの思うカカシがいて、きこりがいて、ライオンがいる。それはそれでもういいじゃん、と思う。こういうルーンみたいなやつは知らない人が多くって、「あ、そんな奴がいるんすか?」と思って興味を持ってもらえればよい。そう思って下手なりに頑張って描いている。

2024年8月9日 デジタル画の効用!?

最近、毎週、イラストを描いている。こんなにハイペースでイラストを描いているのは、おそらく小学生のとき以来だ。小学生のときは時間に余裕があったので、暇さえあれば絵を描いていた気がする。段々と忙しさを理由に絵を描かなくなった。

この年になって、今更ながらに思ったのは、どれだけ絵に向き合うかが作品の良し悪しを決めるし、自分の成長にも繋がっているのだなということだ。当たり前のことだけど、今まで絵を描いていて、あんまり意識したことはなかったかもしれない。

具体的には、線を引いてみて「あ、違うな」と感じるわけだ。「ちょっとデッサンが狂ったな」とか「動きが悪くなったな、勢いがなくなったな」とか「立体感がなくなったな」とか、そりゃあ、まあ、いろんな部分で「あ、違うな」と思うわけだ。でも、心のどこかで「ま、いいか」と妥協する。せっかく描いちゃったし、まあ、いいじゃん。で、そうなると、途端に絵の質が悪くなる。そして、毎回のその積み重ねが、ボクの成長を止める。最近、そういう風に認識するようになった。

もしかしたら、デジタル画だからという側面もあるのかもしれない。紙の上にペンでガリガリと線を引いてしまうと、やり直しが利かない。でも、デジタル画だと簡単にやり直せてしまう。場合によっては複製して、二つのパターンで試してみた絵を並べて比較することもできちゃうし、既存のレイヤーに失敗した線を残しておきながら、新たなレイヤーをつくって、別の線を引いてみるなんてこともできる。

これって革命だよなあ。必ずしもデジタルにしたから絵がうまくなるということではない。でも、いろんな線の可能性を検討して比較できるし、いつでもどこにでも戻れるというのは、邪道だと言われるかもしれないけれど、訓練としては非常に貴重な体験になる。

そんなわけで、最近のボクは真剣に絵と向き合っている。どうしても技術が追い付かない部分は多々あって、気に入らない部分もたくさんあるんだけど、でも、日々、成長している実感があって、充実もしている。

2024年8月8日 生殺与奪の権利。

フワちゃんがあっという間にテレビから駆逐されていく。確かに「死んでくださーい」は極めて不適切な表現だ。メディアが報じるところを信じるならば、フワちゃんは口癖のようにスタッフに「死んで」と言っていたようなので、きっと、本人的にはフランクな感じだったのだろう。本気で「死ね」と思っていたわけではない。でも、自分の人生を思い返してみたときに、ボクは誰かに「死ね」みたいな発言をしたことはただの一度もないので、まあ、「死んでくださーい」という発言は、異常だと思って間違いないだろう。

でも、どうなんだろうなあ。「やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす」という発言に対して「おまえは偉くないので、死んでくださーい 予選敗退でーす」と書いている。明らかに全部を裏返しているので、「生きているだけで」を裏返した結果が「死んでくださーい」になったのだとすれば、不適切ながらも、本人はネタのつもりだったのだ、と容易に想像できる。あまりに不用意だし、品性下劣ではある。危機意識も足りない。でも、結論、言葉遊びが過ぎたのだという印象だ。

だから許してやれということではない。広告のクライアントが難色を示すのも分かるし、教科書から削除する動きも分からないではないし、妥当な判断だ。でも、テレビやラジオの出演を一斉にとりやめにするほど深刻な事態なのかと問われると、これについては、どうなんだろうなあ。ボクたちの暮らす社会は、刑罰は法によって定められるべきだ。私的な制裁を加えることを是として前に進んではいけない気がして、ボクの脳みその奥深くが、「気をつけろ! 気をつけろ!」と警鐘を鳴らしている。

もちろん、ね。民間企業は利益を追求しなきゃいけないので、フワちゃんの出演がテレビ局の利益を損なうという経営的な判断もあるだろう。でも、いつも思うのは、本当に企業の利益が損なわれるほどに深刻な状況なのだろうかということ。結果、彼女の芸能生命を絶つまでの意思決定が必要なのだろうか。「鬼滅の刃」でお馴染みの「生殺与奪の権利」を、テレビ局は安易に振りかざしてはいけない。

ボクは、メディアが誰かを潰していくスタイルが好きではないし、それを是として受け入れたいとは絶対に思わない。どんどんメディアが嫌いになっていく。そうやって、テレビや雑誌などのメディア媒体をボクは毛嫌いして、結果、メディアはボクという顧客を失っていく。多分、そうやって離れて行っている真っ当な顧客はボクだけではないと思う。長期的には、メディアは大きな利益を損なっているように見える。

視聴者は見たいものを見ればいいのであって、見たくないなら見なければいい。そんなに視聴者を馬鹿にしてやるなよ、と思う。

2024年8月7日 読書筋力を鍛えつつ、本を途中で投げ出しつつ。

ゆる言語学ラジオで、読書について取り上げていた。読む前にすることと、読んでいるときにすることの二本立てになっていて、とても面白かった。

前半部を要約すると、読書には読書筋力が必要だという話。いきなり重たいバーベルを持ち上げられないのと同様に、いきなり難しい本は読めない。だから、まずは自分の読書筋力に応じた本を選ぼうというところから始まる。そして、本好きの水野氏や堀元氏も、実は新しいことを学ぼうとするときには、絵本や児童向けの本、入門者向けの本から始めて、全体像を把握した上で、難しい本にとりかかるという話が紹介された。とても勇気づけられる。

もうひとつの視点は、目的や目標を持って本を読むという話。この本からこんなことが学びたいという目的を持って読み始めれば、自ずと読むべき場所が分かって、読めるという。つまり、自分の目的じゃない部分は読み飛ばしてもよいということ。

後半部は、本が難しく感じても、それは読者が悪いのではなくて、編集者が悪いというマインドが導入された。それから、本を読んだ後に内容を忘れても、むしろそれによって脳の中で情報が一般化・構造化されるので、気に病む必要はないし、どんどん読んで忘れようというマインドや、最後まで読めずにほかの本に浮気しても問題ないというマインドなども導入された。つまり、本の内容を理解しなければいけないとか、読んだら覚えていなきゃいけないとか、最後まで読み終えなきゃいけないみたいな「呪縛」から解き放たれて、読書ハードルを下げようという主張である。

面白かったなあ。もっとライトに本を楽しめ、という強烈なメッセージだった。読者は本にお金を払っているのだから、好きに読んでいいじゃん、というコメントは、おそらく読書に苦手意識を持っている人の呪縛を吹き飛ばすし、比較的、本を読む方であるボクにとっても、目が覚めるような感覚があった。そうだよなあ。意外と知らないうちにがんじがらめになっていることってあるよなあ。

そんなわけで、この動画を視聴して元気になったので、本屋に行って、大量に本を買い込んで、適当に読もうじゃないか。

2024年8月6日 カクダイ・クルクルムシ・ハカセ!?

バズらないバズらないと言いながらのオズ・シリーズだけど、イラストのストックがたくさんあるので、本日も凝りもせず「ウォグルバグ」を更新してみた。そうしたら、意外とXで閲覧数が伸びている。いいねとリポストもまずまずの走り出し。

ウォグルバグのイラスト

オズ・シリーズの場合、ジョン・R・ニール氏の挿絵が元ネタなので、ある種、ファンアート的な感覚で描いている。完全に同人のノリだ。そして、ニール氏のイラストが、非常にカラフルで、キャラクターの衣装もとてもオシャレだったりするから、畢竟、華やかになる。いつもボクが描く絵とは一線を画している。それはそれで面白さがあるのかもしれないなと思う。

緑色のジャケットにピンクのズボン、青いシルクハットというウォグルバグのデザインは、面白さがある。加えて、手足や触覚、鼻(?)の縞々の感じもオシャレよね。オズ・シリーズを読んでみたいと思う人がもっともっと増えればいいなあ。

2024年8月5日 ニコニコ動画、復活!!

ニコニコ動画が復活した。嬉しい悲鳴だ。

最近じゃ、ボカロ曲もその主戦場をYouTubeに移して久しいが、それでも、殿堂入り(10万回突破)、伝説入り(100万回突破)神話入り(1,000万回突破)みたいな考え方は今でも有効で、ときどき、1,000万回再生が近づいてくる曲があったりすると、ニコニコ動画の住民たちが大盛り上がりで、神話入りを果たさせようとフィーバーする。その意味じゃ、懐古主義だと笑われるかもしれないが、やっぱりボクはボカロ曲のベースはニコニコ動画だと思ってしまう。

ちなみに、もうひとつの視点で、日本のプラットフォームが元気なのは大事なことだと思う。ボクはYouTubeも楽しんでいるし、ある意味では優良のお客さんだと思うけれど、結局はアメリカのプラットフォームで、外資系だ。日本の経済を回していくためには、日本の会社が儲かる必要があって、ボクたちも意識的に日本の会社を応援する必要がある。その意味で、ニコニコ動画はYouTubeに対する日本の動画プラットフォームなので、常々、大事にしたいと思っている。

だから、ボクはニコニコ動画の復活を待ち望んでいて、ようやく復活したので、またニコニコ動画ライフをエンジョイしたいと思っている。

2024年8月4日 ビバ、新生捨て身!!

6月1日の記事「ガールズバンド兼YouTuber!?」で紹介したステミレイツ。この記事を書いていた段階では、ごみちゃんとあやのんの脱退が決まっていて、YouTuberとしての活動は一旦停止して、新メンバーを急募していた。

結構、女の子としては過激な企画で知られたYouTuberだったので、新メンバーがこのノリについてこられるのか!? と思って、内心、有望な面子は集まらないのではないかと心配していた。でも、とんでもない。こんなにも優秀なメンバーが集まるのかと驚かされる展開で、さきてぃ、ハノン、かなちが加入して、バンドとして完全に生まれ変わった。本人たちは「ワンピース方式」と言っていたが、順番に新メンバーが加入していくスタイルの演出で、胸アツの展開にするあたりは、さすがステミレイツという感じ。うまいなあ。

新曲はまさに新メンバーのための楽曲という印象で、のっけからかなちのラップからのデスボに驚かされる。ヤンキー気質な彼女の雰囲気が歌詞にも出ていて、にやりとしてしまう。さきてぃも普段の温厚さとは裏腹に、ツーバスを駆使して激しくドラムを叩く。そして、イントロとアウトロはハノンの鍵盤が光る。ボク個人としては、輝星のギターソロが聞きたいので、そういう楽曲も欲しいぞ!!

2024年8月3日 超アゲアゲで陽気な楽曲!?

LOVEBITESが新曲の「Unchained」を発表した。何だかノリノリの楽曲で、元気になる。何しろ、クールなmiyako氏がぴょんぴょんとジャンプするくらいには陽気な楽曲だ。

LOVEBITESって不思議なバンドだと思っている。海外向けのゴリゴリロックで、曲調も演奏もかなりヘヴィなのに、ヴォーカルのasamiはロングドレスをまとって、まるでお嬢さまみたいな雰囲気を醸していて、一見すると声を張り上げてパワフルに歌えない感じだ。でも、高いキーになればなるほど、声のトーンが張っていく。このヴィジュアルのギャップが独特で、いつも不思議な気持ちになる。

そして、お団子のfamiがニコニコとベースを弾いているのも楽しい。East of EdenのMIZUKIもいつもニッコニコでドラムを叩いていて、こっちまで楽しさが伝わってくるもんね。こういう演奏スタイルっていいよね。

2024年8月2日 ペンタブだけど、筆がノったぜ!!

フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクトの第34弾で、「グモン」を描いてみた。毛の塊が地面を這っていて、毛を伸ばして獲物の人間を絞めたり、口や鼻などに毛を突っ込んで窒息させて殺してしまう恐ろしい妖怪だ。

7月22日の髪の毛で人間を襲うフィリピンの妖怪たち!?の記事でも書いたが、フィリピンは髪の毛の妖怪がたくさんいる。マンララヨは描いたが、順次、フィリピンの髪の毛妖怪を描いてみたいなと思って、まずはグモンを描いてみた。

グモンのイラスト

筆がノッたという表現がCGにも通用するのか分からないけれど、まさにそんな感覚だ。髪の毛を描くのが苦手だったし、這っている女の人の絵も構図としては難しいと思っていたんだけど、するすると描けた。イメージどおりに描けた。もしかしたら、1月から毎週、毎週、2枚以上の絵を描いてきた成果が実ったのかもしれない。結構、気持ち悪くて、まさに妖怪という感じの絵だ。わはははー。

2024年8月1日 まさかの顔出しとダンス!?

Adoプロデュースのアイドルグループ・ファントムシータの待望の2作目がアップされた。のっけからまさかの顔出し! そして踊れるんかい!?

前回はチャランポランタンの姉が楽曲提供していたが、今回はボカロPのきくお氏だ。ボカロっぽい楽曲と言えばボカロっぽいが、ストリングの音で始まって、ちょっと昭和レトロっぽいと言えば昭和レトロっぽくて、見事だ。そして、サビが歌詞はともかく、メロディがアイドルっぽい。キャッチーで覚えやすい。

表情とか動きとか、ものすごく振り切っていて、ちゃんと洗練されている。若い人たちは凄いなあ。

2024年7月31日 オズ・シリーズのイラスト化、絶賛撃沈中

勝手にオズ・シリーズの登場人物のイラストを描いて「ライマン・フランク・ボームは『オズの魔法使い』だけじゃないよ」「オズ・シリーズは全部で14作品あるんだよ」ということを勝手にPRしようと試みたが、思いのほか、Xでもpixivでもバズっていない。それなのに勢いでたくさん描いてしまって、まだまだストックが残っているので、順次、アップされていく。バズらないままひた走っていくのか、誰かが見つけてバズらせてくれるのか。さてはて。

ティック・トック
ティック・トック
ホイーラー
ホイーラー
ソーホース
ソーホース

イラストとしてはかわいく描けていると思うんだよなあ。オズの世界の不思議な感じも出ていると思うんだけどなあ。マイナーなのかなあ。そうかもしれないなあ。うーん。

2024年7月29日 オズ・シリーズから「ソーホース」を描いてみた

オズ・シリーズをイラストに描き起こすシリーズとして、ティック・トック(チクタク)とホイーラーを描いたが、続いて、ソーホースを描いてみた。さてはて。

ソーホースのイラスト

日本語の翻訳だと「木挽き台の馬」とか「ノコギリ馬」とかって訳されている。かわいさと翻訳の妙では「ノコギリ馬」に軍配が上がる。でも、英語だと「木挽き台」そのものがそのまんまsawhorseだったりするので、ちょうどダブルミーニングになっていて、いい感じなんだよね。そもそも、日本では「木挽き台」という表現そのものがあまり使用頻度が高くないかもしれない。

基本的に全部が木なので、色は茶色しか使わないという意味での難しさ。でも、動きが出るように、曲線とかにはこだわって描いてみた。しかも丸太の丸みを出しつつ、影も入れつつ、白黒でも問題ないくらいに下絵を整えてから彩色してみた。イラスト的には金の蹄鉄とか、赤い革のサドルとかで装飾してもよかったんだけど、やっぱり、チップに生命の粉を振り掛けられて動き出す瞬間のインパクトが描きたくて、無垢な感じにしてみた。さてはて。

2024年7月28日 ベトナムの妖怪を緩やかに更新中。

MA QUỶ DÂN GIAN KÝはベトナム語のウェブサイトだが、今は機械翻訳が優秀なので、熱意さえあれば何とか解読はできる。というわけで、ベトナムの妖怪を2体更新してみた。マーヴーザーイチャオドイノンメだ。

マーヴーザーイは長い乳房を持つ女性の妖怪で、赤ん坊に乳をやらなければならないという執念にとりつかれていて、結果、赤ん坊を窒息させてしまう。一方で、若い男性を誑かす存在でもある。長い乳房を持つ点では、インドネシアのウェウェゴンベルに似ている。ウェウェゴンベルは赤ん坊に対しては優しいが、赤ん坊をさらってしまう悪癖がある。マーヴーザーイはヤシの木やココナッツの木などの高い木の上に棲んでいるが、ウェウェゴンベルもパームヤシの木の上に棲んでいる。一方、アルゼンチンやボリビアのサッパン・スックーンも長い乳房を持つ妖怪で、どこに棲んでいるのかは誰も知らないが、どこからかやってきて、仕事中の母親に代わって赤ん坊の世話をしてくれる。けれども、仕事をサボる男性を連れ去るという悪さもする。何となくこの三者は似ている感覚がある。

チリやアルゼンチンの首だけで空を飛ぶチョンチョンが、タイのグラスーやフィリピンのマナナンガル、ベトナムのマーライに似ているので、暮らしとか文化の中に、何らか同じような要素があるのかもしれないよなあ。

チャオドイノンメは破れた編み笠をかぶったイヌの妖怪で、まさに「長く生きた獣は霊力を得て妖怪と化す」という中国や日本の妖狐猫股などのイメージに近い。面白いのは、ベトナムではネコやアヒルやニワトリなどの獣も妖怪と化す中で、チャオドイノンメが彼らのリーダー格であるという点。そして、月夜に屋根の上に登って人間の魂を吸う点だ。非常に幻想的。

2024年7月26日 禁じられた果実2つ目!!

Ayasa氏率いるEast of Eden。2nd albumが発売されて、新曲「CROSS∞ROADS」が公開された。わかざえもんがいつも以上に荒ぶっていて、上に下に動き回っている。楽しそうで何よりだ。

結構、今回のalbumはガチャガチャした印象で、ともすればバラバラになってしまいそうなところをうまくバランスをとってやっている感じの楽曲が多かった。全体的に楽曲が速くて、みんな、感性が若いんだなー。

2024年7月25日 パティン・ナ・パクパカンを描いてみた。

フィリピンの妖怪をイラストに描き起こす企画第33弾で「パティン・ナ・パクパカン」を描いてみた。ビコル地方の『イバロン叙事詩』の中で、英雄ハンディオンと仲間たちに襲い掛かった空飛ぶサメの一団。上空を旋回して次々と急襲してくる。

パティン・ナ・パクパカンのイラスト

サメと言えば、灰色のイメージがあるが、ボクはいつもサメを描くときには灰緑色で塗るのがしっくり来る。だから、別に神話・伝承でパティン・ナ・パクパカンが「緑色」と記述されているわけではないのでご用心(笑)。

本当は上空を旋回しているシーンを描いた方が伝承に即している。でも、それだと飛んでいるのか泳いでいるのかが分かりにくくなってしまったので、飛び出している瞬間の絵にしてみた。技術力があれば、上空を旋回して獲物を狙っているような絵も描けるのかもしれない。そもそも、背景を入れたら楽勝なんだよね。背景を入れないで真っ白の正方形の中に妖怪を描くというテンプレートに決めてしまったので、それで結構、苦しめられているところはある。妖怪画と言えばメガテンの金子一馬氏のイメージがあって、どうしてもそのイメージから脱却できない。

2024年7月24日 モチベをアップ!!

たまにいつもの業務を離れて研修を受講すると、いい影響を受ける。前向きになれるし、新しい気づきがあって、頑張ろうと思って、モチベが上がる。

こういういい影響を受けたこのタイミングで、自分の生活とか、趣味とかを見つめ直すと、新たな気づきや発見があってよき。たとえば、このウェブサイトの運営とかについて考えて、一歩ひいた感じで客観的に考えることができたりする。

もう少しだけ集客しなきゃいけないかなあ。今、ちょうど訪問者が80人/日くらいかなあ。ビューはもう少し多い。でも、もうちょっと影響力をつけるためには訪問者数を増やしたいなあ。SNSも活用しながら、いろいろと取り組んでいきたい。でも、まあ、SNSから流れてくる数そのものは、今は実はそんなに多くはなくって、ググって見つけてくれるお客さんがほとんどだ。だから、SNSでの種々の展開そのものが、このウェブサイトの発展には有効になっていない。もう少し、ウェブサイトに誘導していかなきゃいけないのかもしれない。

2024年7月22日 髪の毛で人間を襲うフィリピンの妖怪たち!?

土日にフィリピン伝承の調査をしていた。意外と時間がかかって、土日にはファンタジィ事典の更新までは辿り着けなかった。……というのも、髪の毛で人間を襲うという吸血鬼マンララヨについて調べていたときに、アスワン・プロジェクトの記事の中で、マンララヨが日本の妖怪に似ている指摘されていた。おそらく、磯女を念頭に置いた記述だと思われる。磯女も髪の毛で人間を血を吸う。そして、カガヤン・デ・オロの人々は、日本軍を怖がらせるためにマンララヨの伝承を広めたと説明されていた。

でも、調べてみると、意外とフィリピン全土に髪の毛で人間を襲う妖怪がたくさん、登場する。たとえば、グモンなんかは毛の塊そのものの妖怪で、毛の塊の中には女性の妖怪がいるとされているが、毛がメインのヴィジュアルになっている。オオカミ人間みたいな妖怪もいる。マラカットと言って、夜になると毛むくじゃらの獣になって、涎を垂らしながら襲ってくる。これも、長い毛で攻撃してくるわけである。

「アスワン・クロニクル2」というフィリピン映画にはクボットが登場するが、これなんかは、まさにマラカットとかグモンとかマンララヨとかのイメージが全部、ごちゃ混ぜになった感じである。毛の塊から手足がはみ出したような妖怪が地面にいて、獲物を見つけると涎を垂らした獣のように四足歩行になる。そして、髪の毛で獲物を包み込んで窒息死させてしまう。髪の毛を大きく広げて、空中を移動する。もう、フィリピンの髪の毛妖怪を全部、混ぜたような能力とヴィジュアルである。ボクのアスワンのイメージが凝縮されている。

2024年7月21日 オズの「ホイーラー」を描いてみた

オズ・シリーズをイラストに描き起こすシリーズとして、手始めにティック・トック(チクタク)を描いたが、続いてホイーラーを描いてみた。

ホイーラーのイラスト

これなんかは、もう、完全にファンアートだ。何しろ、オズ・シリーズはライマン・フランク・ボームの意向で、挿絵がたくさん描かれている。1作目の『オズの魔法使い』の挿絵はウィリアム・ウォーレス・デンスロウで、彼のイラストは知っている人が多いと思う。でも、2作目からはデンスロウとは不仲になって、新たにジョン・リー・ニールが起用された。だから、3作目に登場するホイーラーもニールのイラストがちゃんtの載っている。本当はもう少し気持ちの悪いニヤニヤ笑いの顔をしているが、服装としてはまさにこんな感じだ。

手が車輪になっている一族なんて発想はボームの凄さだと思う。その凄さを少しでも伝えたくて、頑張って描いてみた。かわいらしい絵柄になったけれど、まあ、児童書なので、それはそれでいいかな、と思っている。