2024年9月7日 フラットヘッドを描いてみた。
オズ・シリーズの「フラットヘッド」を描いてみた。
フラットヘッドはボームのオズ・シリーズの14作目(つまりボームとしては最終巻)の『オズのグリンダ』に登場する不思議な一族だ。頭が平らで、脳みそを入れておく場所がなかったため、愚かだったという。オズの国をつくった妖精たちは、彼らを見て哀れに思い、缶に脳みそを詰めて彼らに与えた。こうして、彼らは人並みに考えられるようになった。
この缶入りの脳みそは他人から奪うことも可能なようで、1人のフラットヘッドが他の2人から缶を奪って賢くなったという。この男は策を講じて、常に自分が国のリーダーに選ばれるような制度をつくったのである。
……脳みそが缶に詰められていて持ち運びできるというのは、一体、どういうことなのだろうか。しかもそれを奪うことで賢くなれるというのはどういうことなのだろうか。所有権を得た人が、その脳みそのスペックを使えるということなのだろうか。いろんなことを考えてしまう。ボームって不思議な人だよなあ。
それにしても、ちょっと気持ちの悪い絵になってしまったなあ。まあ、ボクの思うフラットヘッド族の王のスー・ディクってこんな感じなので、いいか。
2024年9月6日 人類史で一番可愛い!?
ウェブニュースで「人類史で一番可愛い」というタイトルの記事があった。どうやら、山本美月さんがショートカットにしたらしい。記事元は西日本スポーツ。おそらくSNS上に「人類史で一番可愛いだろ」というコメントがあって、それを取り上げたのだろう。すごいタイトルだなあと思って、面白かったのでクリックして、どうでもいいニュースではあるものの、こうして取り上げてみている。
多分、こういうものの走りは「はしかん」だと思う。「1000年に1人の美女」としてピックアップされた。その後、「2000年に1人の美女」とか「4000年に1人の美女」とか……直近だと「2万人に1人の美女」とかが登場して、ドラゴンボールのようなインフレが発生していたわけだけど、ここに来て、ついに「人類史で一番」というパワーワードまで飛び出した。感慨深いなあ。もはやこれ以上を主張するなら、「哺乳類史」とか「生物史」、あるいは「地球史」みたいな人類を超えたところで議論するしかなくなってしまう。
こういう何千年とか何万年とかってなると、どうしてもケルト神話を思い出すボクである。『来寇の書』というのがあって、最初にアイルランドに入植したフィンタンが、その後、次々と転生を繰り返しながら、いろんな種族がアイルランドに入植しては滅びるのを語る物語である。こういうフィンタンみたいな人が、何世代にも渡っていろんな人々を見て、「ああ、何千人に1人の美女だなあ」と思うのかどうか。ついつい、そんなことを考えてしまう。てか、人間、たった80年程度しか生きないのに、何千年とか何万年の美女だとか、軽々しく評価するなよ、と思うよね。はっはっは。
2024年9月5日 呼吸。
ジュキヤがYouTube復活!! ……と思ったら、たったの1日でバンされたらしい。正直な話、ボクは彼の動画を視聴したことがないし、彼がどうして過去にバンされたのかもよく分かっていない。だから、この件についての是非はよく分からない。ただ、SNSもある種のインフラみたいに言われているこのご時世に、ひとつの民間企業の判断でプラットホームから締め出されてしまう事実は、常に危うさを孕んでいる気がする。
個人がある種、社会的に抹殺されかねないような重大な意思決定が、たったひとつの民間企業に委ねられている。そのジャッジの正当性は誰が評価できるのか。このジャッジは半永久的なものであって、未来永劫、彼はインフラ利用を制限されるべきなのか。こういう判断が、法律ではなくて法人の判断に委ねられることは、実はあんまり歓迎すべきことではない。それなのに、社会全体の雰囲気が、彼の永久アカバンを当たり前のように歓迎している。プラットホーム企業が生殺与奪の権を行使することを許容している。
ハライチの澤部が9月3日の『ぽかぽか』でフワちゃんの名前を連呼したらしく、これに批判が殺到しているようだ。ヤフコメでも、澤部を非難するようなコメントに溢れて返っている。やれ、番組でフワちゃんの名前を出すなんて時期尚早で、MC失格で、澤部も同じ穴のムジナなのだとか。結構、辛辣なコメントが並んでいる。
これも、ボクは根っこのところで、同じ議論だと感じている。何が何でもフワちゃんを社会から締め出すことが正義みたいな雰囲気になっている。社会全体の雰囲気が、悪者に社会的な制裁を与えることを是としている。鬱憤の矛先を、誰か個人に向けて、攻撃することで留飲を下げている。本来、社会的な抹殺はそんなに簡単に実施してはいけない。メディアやSNS企業は大きな影響力を持っていることを自覚しなければいけない。法律とは別のところで私刑を与えることを社会全体で許容するような動きは、とても危険だ。
ボクは、少しだけ気持ちの悪さを覚えていて、ときどき、胸が締め付けられるようで、呼吸が出来なくなる。
2024年9月4日 いろんな異世界に行って戻ってきた男の記録!?
『異境備忘録』という怪しい書物がある。宮地水位なる人物が、天狗界や神仙界、幽明界など、さまざまな世界を行き来した記録である。そこには、悪魔界というのも出てくる。残念ながら(?)、宮地水位は悪魔界には行かなかったようだが、水位は実際に魔王一行が空を行列しているのを目撃したという。そのときに一緒にいた川丹先生(2000年以上生きた仙人!)に魔王たちのことを教えてもらったのだという。
悪魔界について書かれているのは『異境備忘録』の8章で、その書き出しがとても魅力的だ。
悪魔界へは一度の入りたる事なし。されども此界の魔王どもは見たる事あり。
要するに「悪魔界には一度も入ったことはないけど、この魔界で魔王たちを見たことはあるよ」というトンデモない書き出しである。しかも、少し後にはこんなことも書いてある。
余明治十三年七月十九日の夜に魔神行列して空を通行しけるを川丹先生と共に見て、右の名をも聞きてやがて書付けたり。
要するに「俺は明治13年7月19日の夜、魔神が列になって空を飛んでいったのを川丹先生と一緒に見て、名前も聞いたのですぐに記録したよ」というわけだ。
それによれば、悪魔界には12人の魔王がいて、その筆頭は造物大女王で、続いて無底海大陰女王、積陰月霊大王がいるらしい。それに続く形で、神野長運、野間閇息童、神野悪五郎月影、山本五郎左衛門百谷、焔野典左衛門、羽山道龍、北海悪左衛門、三本団左衛門、川部敵冥がいるという。
しかも、実は魔界は大昔に2つに分かれたらしく、造物大女王が治める魔界とは別の魔界は西端逆運魔王が治めているらしい。そして、他にも独立した魔界があって、前三鬼神、飯綱智羅天、後天殺鬼などといった魔王がいるらしい。
……と、まあ、トンデモな内容なわけだけれど、生々しくてとても面白い。
とは言え、この魔王たちが古い伝承に根差しているのかと言えば、おそらくそんなことはなくって、実際は宮地水位の創作ということになるのだろう。山本五郎左衛門と神野悪五郎が魔王として名前を連ねているところも、『稲生物怪録』を念頭においているのだろう。
ずぅっとひょーせんさんが「造物大女王」のイラストを描いていて、いつかはちゃんと解説したいなあと思っていたんだけど、昨今、何故だかXで山本五郎左衛門がフィーチャーされているので、重い腰を上げてまとめてみようかなあ、と思っている。でも、結局、出典元は『異境備忘録』しかないので、それ以上の情報はないわけで、『異境備忘録』に書いてあることをつらつらと書くしかないのであることよ。
2024年9月3日 マーライを描いてみた。
ベトナムの妖怪第1弾として「マーライ」を描いてみた。今後は徐々にベトナムの妖怪もイラスト化して認知度を上げていきたいと思っている。
さて、マーライは昼間は人間として暮らしていて、夜になると臓器とともに頭が抜け出し、空を飛ぶ。こういう首と臓器だけの妖怪と言えば、東南アジア各地にいて、たとえば、タイのガスーやインドネシアのペナンガラン、フィリピンのウンガウンガなどが知られている。どれも昼間は人間として暮らして、夜になると首と臓器が抜け出す。
他の首&臓器妖怪とマーライが大きく異なるのは、マーライの場合、直接、人間を襲わないとされている点だ。マーライは主に排泄物を狙うらしい。マーライに排泄物を食べられた人は腸の病気になり、やがて重篤化して死んでしまう。つまり、人間の排泄物を介して、マーライは人間に作用するわけである。
いずれはタイのガスーも描いてみたいなと思っている。結局、首と臓器という意味では同じデザインなんだけど、ガスーの場合、人間とガスーの悲恋みたいなものが展開されるので、妖艶な美女で描けば、少しは差異化できるのではないか。ふふふ。
2024年9月2日 のたまう輩。
よくお笑い芸人を腐すために「この芸人で一度も笑ったことない」「テレビに何で出ているか分からない」などとのたまう輩がいる。一体、このマウントってなんなんだろうね。笑ったら負けみたいな感覚があるんだろうか。
好き嫌いは人それぞれだから、そりゃあ、みんな、好きなお笑いや嫌いなお笑いというのはある。ボクは言葉を主体としたお笑いが好きなので、ラーメンズとかシンクロニシティが好きだ。鳥居みゆきも好きだ。反対に下ネタに走る芸風とか、オーバーな動きで笑わせに来る芸風とか、リアリティのない場違いなボケは、正直、あんまり好みではない。でもね。好みではないけれど、そういうのもひとつのお笑いとして成立していることはちゃんと分かる。たくさんの人が面白いと感じるのも分からないではない。単にボクが好きじゃないだけで、その笑いのツボみたいなものは概ね理解できる。
逆に言えば「この芸人で一度も笑ったことない」と安易に発言しちゃう人は、自分のお笑いリテラシーの低さ、自分の笑いに対する感度の悪さみたいなものを露呈している。誰も言わないけれど、それってマウント失敗ではないのか。
最近、自分のレベルの低さをやたらとPRする系の批判が増えている気がする。そんな彼ら彼女らには「単にあなたのレベルが低くて気づいていないだけですよ」と耳元で囁いてあげたくなる。だって、数多いる芸人の中で、テレビに出られているのはほんの一握り。絶対に誰かに面白いと思われていて、刺さっていて、だからこそテレビに出られているのだ。それを度外視してはいけない。
今、まさにボクの大好きな芸人が「この芸人で一度も笑ったことない」「テレビに何で出ているか分からない」という謎の攻撃に晒されている。とても複雑な気持ちだ。でも、ボクは何度も笑ったぜ? この自分の感性を、否定されたくはないんだよなあ。
2024年9月1日 ポコン!
「ポコン!」をプレイ。基本ルールはリバーシだ。でも、タヌキとキツネの化かし合い。コマの3分の1は裏と表の絵柄が同じなので、挟んでもひっくり返らない。大事なところに裏表が同じコマをそっと置いておいて、騙しに行くゲーム。これがメッチャ面白い。いざめくろうと思って、裏返してみて、同じ絵柄だったら「わあ、ヤラレター!!」って悔しくなる。
意外と小学5年生の息子のツクル氏は得意らしく、すぐにこの変則ルールを理解して、いい感じのところに裏表が同じコマを置いてくる。手加減しようと思ったら、あっという間にやり込められてしまった。クッソゥ。
2024年8月30日 磯女を描いてみた。
九州地方の妖怪「磯女」を描いてみた。
今回、こうして磯女を描いてみようと思い立ったのは、ずぅっとフィリピンの妖怪のマンララヨやクボット、グモン、マラカットなどの「髪の毛軍団」を描いてきたからだ。どうしてだか分からないが、フィリピンには、髪の毛で獲物を攻撃する類いの妖怪の一団がいて、とても恐れられている。
フィリピンの妖怪を解説するウェブサイト「アスワン・プロジェクト」では、マンララヨの項目の中に「日本にも似た妖怪がいる」という言及がある。おそらく、それは磯女のことだと思われる。磯女は海に棲んでいて、髪の毛で血を吸って獲物を殺してしまう。
イラストは鳥山石燕の「濡女」を参考にしている。なかなか絵はうまくならないが、毎回、何かに挑戦している。今回は濡れた髪の毛。これがなかなかうまく描けなくて、何度も何度も描き直した。ようやくそれっぽく描けたので、これで完成とした。む、難しい。
2024年8月29日 あの天才とこの天才
ボクは比較的、恵まれている。いつだって、みんなが「凄い、凄い」と羨望の眼差しを向けるような先輩と一緒に仕事をしている。だから学びが多いし成長もする。これってとてもラッキーなことだ。でも、あんまりにも圧倒的な人と出会ってしまうと、その後にちょっとやそっとの凄い人と出会ってもあんまり驚かないというか。別に普通というか。そりゃあ、凄いは凄いんだ。天才だと思う。でも、それすらも霞んでしまうというか。そんなのって別に比較するようなもんじゃない。誰が1番とか、そんなことじゃない。そんなことは分かっている。でも、どうしたってボクの中の物差しがあまりにも大きくなってしまっていて。天才であっても見劣りしてしまうというのか。
その上、ボクはどこまでも素直なので、大袈裟に「凄いですー、感動しましたー」的なおべっかポーズを取れない。ついつい淡白な反応を返してしまって、孤高の天才たちにちょっとだけガッカリされる。別に向こうだって崇め奉って欲しいわけじゃないだろうけど、でも、面白くはないだろう。そんなことがここ最近、ずぅっと続いている感覚がある。でも、ボクも人間なので、無意識に比べちゃう。あの天才とこの天才とを並べちゃう。並べて評価しちゃう。ダメだぞーって思っても、無自覚に比較しちゃう。
よくない習性だなあというのは自分でも分かっている。決してリスペクトがないわけじゃない。その凄さだってちゃんと分かっている。でも、ボクも人間なので、比べちゃう。それでも、ちゃんとリスペクトを伝える努力をしようと決意して、最近は天才たちの発言をしっかりとノートに記録して、彼らの思考をトレースして、それに基づいてアウトプットして提示するという時間をたくさん設けている。そうやって、ようやく今は天才たちと一緒に楽しく仕事をしている。
2024年8月28日 ヴィジョナリー型
今の職場の課長が比較的、ヴィジョナリー型で、いろんなことを考えながら、アイディアを提示しながら、みんなの方向性を示そうとしている。その一方で、ボクの直属の係長はコミュ障で、あまり多くを語るタイプではない。全部放任だ。信頼と安心の責任施工。そうなると、係ごとの成果が大きく異なる。つまり、プラスアルファの成果が出る係と出ない係が生まれる。この差はとても大きい。
たとえば、業務にRPAやAIを導入してみるみたいな簡単なことでも、上からの明確な指示があるのと係員の裁量権に任されているのでは、大きな差が生じる。他の係が積極的にRPAやAIの導入を検討していることに驚いた。こういう課の雰囲気というのか、課長の空気というのを、もっと積極的に伝えてくれれば、ボクだって頑張ったのになあ。大きな隔たりができてしまった。
そんなわけで、鋭意、RPAやAIの導入を図るべく、ボク自身が軌道修正しているところだ。そんなに難しい話ではない。でも、「やれ」と言われないと、なかなか着手できないのは事実なので、追いつけ追い越せで頑張らねばならないね。
2024年8月27日 日曜ウェブマスターの試練
仕事が忙しいと、趣味の時間が激減する。体調が悪いと、趣味の時間が激減する。今、その両方がボクを襲っていて、体調が悪いんだけど、仕事も手を抜けないので、歯を食いしばって出勤している状況が続いている。家に帰ってくるとバタンとソファに倒れ伏す。そんな日々の繰り返しだ。
それでも、毎週2枚のイラストは仕上げようとタブレットに向かってペンタブを動かし、ファンタジィ事典くらいは更新しようと、細々と記事を書いている。イラストもファンタジィ事典の項目も、過去のストックがあるから何とかやっている。ストックが残されているので途切れずに頑張れている。もはや、これは使命感だ。誰に対しての何の使命なのか分からないが、でも、誰かに対しての何らかの使命感で頑張っている。
ウェブサイト「日々の雑記」は、現時点でストックがないので、不定期になっている。しかも頭の中がまとまらないので、文章も含めてぐちゃぐちゃだ。その上、そういう状況下での創作活動はクオリティが下がるので、今後公開されるイラストやファンタジィ事典の項目は、少しだけ質が低くなることが予想されていて、それもまたひとつの憂鬱の種である。うーん。
まあ、日曜ウェブマスターだから、仕方ないかなあ。でも、それを言い訳にしたくもなくて、必死の形相である。わははー。でも、こういうありのままの自分を赤裸々にえいや、と提示してみるのも一興かと思っての垂れ流し。
2024年8月26日 オズ・シリーズのジャック・パンプキンヘッドを描いてみた。
オズ・シリーズの「ジャック・パンプキンヘッド」を描いてみた。ジャック・パンプキンヘッドは『オズのふしぎな国』(1904年)に初登場で、少年チップが木材とカボチャでつくった人形だったが、魔法の粉で命を吹き込まれた。
面白いのは、頭のカボチャはすぐに腐ってしまうので、取り換える必要があるという点。彼は自ら畑でカボチャを育てていて、定期的に腐りかけの頭を交換する。頭の出来栄えによって賢さが左右される。
頭を取り換えてもアイデンティティが変わらないのなら、お前の主体は一体どこにあるのだ、と小一時間ほど問い質したくなる。こういう不思議さがライマン・フランク・ボームの魅力のひとつだ。
2024年8月23日 あなたの記事がヤバい
「ももクロの離婚率がヤバい」的な記事がニュースになっていた。記事曰く、SNSで話題になっているらしい。統計が分かっていないな、と思う。たった6人のサンプルで、一体、何が言えるのか、というのが正直なところ。
そもそも日本の離婚率は35%だ。ももクロ(緑と青も含む)の既婚者が4人だから、4人×35%=1.4人。6人中で1人か2人が離婚したとしてもおかしくはない。「ヤバい」という状況ではない。
婚姻率も、25~29歳の女性で37%らしいので、6人いれば配偶者がいる人数は2.2人。現状、百田夏菜子と有安杏果が既婚者なので、統計上、何ら不思議ではない。むしろ、結婚する行為がともすればネガティヴに受け取られかねない「アイドル」とか「女優」という職業にあって、統計に沿っていることの方が驚きだ。ももクロが疑似恋愛を売り物にした「アイドル」ではないことの証左なのかもしれない。
いずれにしても、「ももクロの離婚率がヤバい」的な記事を書いちゃう記者も記者だし、そういう風に盛り上がってしまう一般大衆も一般大衆で、正直、頭が悪いなーと思うボクである。それに、早見あかりと有安杏果を含めて「ももクロ」と十把一絡げに議論することだって、本当は乱暴ではないのか。
まあ、面白ければ何でもありのインターネットニュースなんて、こんなものである。さもありなん。
2024年8月21日 にゃんこ大戦争に邁進!!
「にゃんこ大戦争」って、単純なゲームだと思っていたが、意外と奥深かった。次々とにゃんこたちを戦場に投入していくゲームだと思っていて、単調だなあと思っていたんだけど、宇宙編をやっていたら行き詰って、いろいろとにゃんこたちの編成を試行錯誤しながら、綿密に戦略を練ってキャラクターを育成していったら、ちょっとしたキャラ編成の違いで、勝利できたりできなかったりする。
結局のところ、どういう編成で臨むかが肝であって、勝敗は戦いが始まる前にはとっくに決しているのである。すなわち、敵の能力に応じて、こちら側の部隊を組み立てて、必要に応じて必要なキャラクターを育てなければ、勝つことができない。ポチポチとにゃんこたちを戦場に送り出す作業は、確認作業に過ぎなかったわけだ。
うーん、面白いなあ。かわいい絵柄とシンプルな操作性、格好いい音楽に誤魔化されていたが、ちゃんと戦略ゲームだった!! ……そんなわけで、息子のツクル氏を置いてけぼりにして、親たちがにゃんこ大戦争に邁進する日々である。
2024年8月20日 インスタグラマー
ここ数年、母はInstagramに熱心だ。毎日、料理をしては写真を撮影してはアップロードしている。父は「食事の前の撮影タイムで、料理が冷めるんだよ」とこぼしている。まめにコメントにも返信して、いいねを押して回っているらしい。最近、フォロワーが1,000人を超えて、Instagramから収益化の可否を問われたらしい。
ボクが子供の頃、母はものすごく弁当にこだわっていた。最近でこそ、「キャラ弁」なる概念が導入されたが、当然、ボクが小学生の頃は、そんなものはなかった。でも、母はいろんな食材を使って弁当を盛って飾って、絵を描いていた。まさに「キャラ弁」の先駆けだったと言える。
blogで「キャラ弁」が一世を風靡していた時代に、母が「私も弁当の写真を撮っておけばよかった。今だったら私、毎日、写真を撮ってあげるのに!」と悔しがっていたのを思い出す。そんな母は67歳。この現代にフォーカスして、ちゃんとインスタグラマーをやっている。
悔しいので、ボクもInstagramを始めてみた。とは言っても、器用にいろんなSNSを使うことはできないので、pixivにあげている絵をInstagramに再掲しているだけ。それでも、pixivやXとは雰囲気も客層も違うので、これはこれでいろんな可能性を試せる。いつまでもアンテナを張って、若くありたいなあ。
2024年8月18日 庭に出て「ローズ」を描いてみる。
オズ・シリーズの「ローズ」を描いてみた。8作目の『オズのチクタク』(1914年)に登場したバラの一族で、バラ王国の王室庭園の温室で育てられている。植木鉢ごと移動する。ローズたちを支配するために、女王が誕生したが、彼女たちは女王に支配されることを拒み、王を求めて女王を追放してしまった。シャギー・マン(モジャボロ、ボサ男)は誰からも好かれる「愛の磁石」を彼女たちに使ってみたが、ローズたちはその美しい姿とは裏腹に心を持っていなかったため、効かなかった。
いつも絵を描くときには、インターネットで写真を探して、それを参考にしながら絵を描く。でも、妻のちぃ子がバラを育てているので、今回は庭先に出て、バラを観察しながら描いてみた。だから、比較的、リアルに描けた。本物を前に描くというのも大事なことだ。心がないという描写から、陰鬱な顔にしてみた次第。
2024年8月17日 「ギャンブルする人間なんて最低!!」と競馬場で叫ぶ。
最近、YouTubeでいろんなアーティストの音楽を聴く。最近だと、East of EdenとかGacharic Spin、LOVEBITES、NEMOPHILAなど。傾向としてはガールズバンドが多めかもしれない。昔はもう少しアイドルっぽい面子が多かった気もする。
そんな中で、YouTubeのコメント欄を眺めていて感じることがある。それは、ネガティヴなコメントをする人が一定数いるということだ。当然、人間だから好き嫌いはあるだろうし、受け手側には「賛」も「否」もあっていい。でも、「否」をそのまんまアウトプットするかどうかは、品性の問題だと思う。
基本的には、YouTubeの視聴者の多くは、そのアーティストを好んで観に来ている。だから、当然、「賛」の意見を持った人々が多い集まりである。そんな「賛」の集団の中で「否」のコメントを発すれば、当然、たくさんの人々が不快になる。そういう想像力が足りていない。
リアルな世界に置き換えるなら、そうだなあ。たとえば、競馬場に行って、馬を目で追って熱狂する人々に「ギャンブルする人間なんて最低!!」と叫ぶようなものだ。もちろん、そういう主張があってもいいし、ある意味では正しい意見かもしれない。でも、競馬場でそれを叫んだら、それは過激な人か、頭のネジが外れている人だ。少なくとも、そう認識される。でも、オンライン上だと、相手が見えないからなのか、実はこれと同じことをやってしまう。
ファンが「ああ、今回の曲いいね!!」「格好いい!!」と大盛り上がりのど真ん中で、「この曲はダサい」とか「このバンドが嫌い」とか「別のバンドの方が格好いい」とかコメントをする。
どうしても「ギャンブルする人間なんて最低!!」と発言したいなら、それは自分のSNSですればいい。そこはあなたを訪ねてきた人間だけが見る空間だ。少なくとも、職場の同僚に、競馬が趣味の人がいるんだったら、本人の前では口を噤むのが、最低限の大人の慎ましやかさである。
2024年8月16日 パソコンとスマホとタブレットと
息子のツクル氏が三泊四日でキャンプに出掛けたので、これ幸いと育児から離れて、単身、実家に戻っている。趣味のデジタル化を鋭意進めていたので、普段の家の環境そのままに実家に帰れるのがいい。
ノートパソコンがあれば、ウェブサイトの更新準備ができるし、妖怪調査もできる。タブレットがあれば、妖怪のイラストが描ける。スマホがこれらの機器をインターネットに接続してくれる。そして、スマホからは音楽が流れ、作業中のボクのやる気を高めてくれる。
そんなわけで、実家にいながらにして、好きな音楽を流し、鋭意、妖怪を調査し、妖怪のイラストを描き、ウェブサイトの更新ができる。いい時代だ。ここまで突き詰められたのは、おそらく海外生活が長かったからだ。ホテル暮らしの中でも、何とか趣味を継続したいというパッションが、ここまでのシステムを構築させたのだと思う。
いずれにしても、ボクはどこにいても、趣味の活動を継続できる環境を構築したわけである。そして、これはボクの個人的な趣味の話ではあるが、本来、こういうのが働き方改革だったり、DX推進だったりではないか。
もうね。会社のDXは遅々として進まないわけだ。何かあれば会議が開催される。みんなが一堂に会するわけだけど、たった20分程度の会議のために、みんな、1時間もかけて会議室を訪問する。コロナ禍でオンライン会議を導入したのに、もうすっかりあのときの文化は廃れてしまった。
恰好いいDXじゃなくって、地に足のついたDXがある。もっとやれることはたくさんある。もちろん、ボクもまだまだ頑張らなきゃいけない。死ぬ気でやらないと国際社会に負けちゃうもんなあ。
2024年8月15日 イルカも泳ぐわい。
最近、結構、テンションの高い感覚をもって「日々の雑記」の文章を執筆している。これはかなり意識的なものだ。原因は分かっている。加納愛子の『イルカも泳ぐわい。』を読んだからだ。彼女のエッセイ(?)を読んで、その文章に魅了され、いつかはああいうキラキラした言葉の連なりを表現したいと思いつつ、そんなに一足飛びにはそんな崇高な領域には辿り着けるはずもないので、取り敢えず、できることをやってみる。そんな状態が現時点である。
ボクは個人的にAマッソのネタが好きで、結構、YouTubeで観ている。決して分かりやすいネタではないし、万人受けしないから、なかなか評価されない。でも、言葉の選び方や並べ方がオシャレで好きだったりする。加納さんが本を執筆しているのは知っていたが、でも、実は読んだことはなかった。結局のところ、芸人が芸人の延長線上で書いた本なのだろうと、勝手に決めつけて敬遠していた。
ところが、1か月ほど前かな。加納さんのキウイチャンネルに金原ひとみさんが出演していて、YouTubeにオススメされて観た。これも勝手な決めつけになるが、『蛇にピアス』の印象で、金原ひとみさんに怖い印象を持っていた。不良少女というか。でも、YouTubeに出演して加納さんと話している彼女は非常に柔らかい物腰で、気さくな雰囲気で驚いた。
その金原さんが、加納愛子の文章を滅茶苦茶褒めていた。彼女は加納愛子の『かわいないで』に出会って、「加納愛子さん? 知らないな」「ベテランの作家さんなのかな?」と思って読んで、読み終わった後に検索したら、お笑い芸人だったとのこと。そうか。そんな加納愛子との出会い方があるのか。いいなあ。羨ましい。そんな気持ちを抱きながら、そのまま本屋に飛び込んで、加納愛子の本を購入してした。たまたま行きつけの本屋にあったのが『イルカも泳ぐわい。』だったんだけど、彼女のキラキラした文章に完全にヤラれている。
2024年8月14日 クボットを描いてみた。
フィリピンの妖怪をイラストに描き起こす企画第35弾で「クボット」を描いてみた。もう気づけばフィリピン妖怪も第35弾になるんだなあ。我ながら、頑張っているなあ。
さて、クボットはフィリピンの吸血妖怪アスワンの一種で、長い髪の毛で獲物の首を絞め、鼻や口などの開口部に髪の毛を突っ込んで窒素させる。そして毛先から生命力を吸い取る。まさにフィリピンの髪の毛妖怪軍団の第3弾だ。
第1弾がマンララヨ、第2弾がグモン、そして第3弾がクボット。クボットの特徴は、髪の毛を広げて空を飛ぶこともできる点だ。だから、髪の毛をバサーッと広げて、空を飛んでいるシーンを描いてみた。後はマラカットを描けば、フィリピンの髪の毛妖怪軍団コンプリートだ。頑張るぞー。
それにしても、筆がノっている。タブレットお絵描きの場合には、ペンタブがノっているというのか!?