2023年12月31日 フィリピンの妖怪を可視化する【1】マナナンンガル

先般から予告していたとおり、フィリピンの妖怪をイラストに描き起こすプロジェクトを開始してみる。フィリピンの妖怪は日本ではまだまだ知名度はそれほど高くない。こういうマイナな妖怪をイラストにしてイメージを喚起することで、日本でフィリピンの妖怪の認知度を上げていこうという試みだ。これがうまく行けば、他の国の妖怪にも水平展開していきたい。

本日はその第1弾として、マナナンガルのイラストを投稿してみよう。

フィリピンの妖怪と言えば、やっぱり最も有名なのはマナナンガルだ。夜になると上半身と下半身を切り離して空を飛び、獲物を探して飛び回る。そして胎児を啜る。

結構、フィリピンの妖怪は胎児や妊婦を狙うことが多い。実はインドネシアにも多い。日本だと、産女(ウブメ)なんかのイメージが近いかもしれない。今でも妊娠・出産で亡くなることはあるけれど、昔はもっとずっと多かっただろう。こういう痛ましい死や、ある種の妊娠・出産に伴う死への恐れから、こういう妖怪が生まれるのかもしれない。

  

2023年11月29日 峠を越えた!?

毎年のことながら、この時期は1月に向けて、雑誌作成に余念がない。でも、ようやくその終わりが見えてきて、ほっと一息をついている。今回は絵をたくさん描いた。妖怪の絵だ。相変わらず、iPhoneとタッチペン、Clip Studio PAINTでのお描きだ。かなり慣れてきて、小さなモニタながらも、それなりの絵が描けるようになってきた。そんなわけで乞うご期待だ。

これで、少しだけ「ファンタジィ事典」にエネルギーを振り分けられるだろうし、落ち着いて「日々の雑記」を書けるようになる……といいなあ(遠望)。さてはて。

  

2023年10月10日 アイロンビーズでマリオの世界を再現中!!

巷ではアイロンビーズというのが流行っているらしい。ビーズと言っても、紐を通して連結するわけではなく、ビーズを型に平面的に並べて、アイロンで熱を加えることでくっつける。元々はデンマーク発祥で、マルタハニング社がつくったハマビーズが最初らしい。ボーネルンドが販売している。日本では、ナノブロックで有名なカワダが1995年にパーラービーズの発売を開始して定着したらしい。今ではダイソー、キャンドゥ、セリアなどの100均ショップでも、かなりのスペースを割いて販売している。

ボクはアイロンビーズなるものを寡聞にして知らなかったが、95年と言えば、ボクが中学生の頃だから、我々の世代がドンピシャということになる。もしかしたら、同世代の女の子たちはハマっていたのかもしれない。たまたま100均散策をしているちぃ子(妻)が見つけてきて、我が家でハマっている。

このアイロンビーズはドット絵との相性がめちゃくちゃよい。ドット絵もアイロンビーズも色を面的に並べていくので、たとえば、ドラクエのスライムのアイロンビズをつくろうと思えば、そのままドラクエのドット絵を図案として持ってくればいい。大きさ的には、ファミコンくらいの解像度のドット絵だと、ちょうど20×20くらいのデザインになって、サイズ的にはコースターくらいの大きさに仕上がる。スーパーファミコンのドット絵だと、解像度が上がり過ぎて、葉書サイズよりちょっとはみ出してくるので、若干、作っていて大きい印象だ。

アイロンビーズでマリオ

そんなわけで、スーパーマリオブラザーズ(初期)のマリオやクリボーなんかをアイロンビーズで再現して楽しんでいる(笑)。

  

2023年8月17日 クトゥルフ神話のデザインって凄いよね?

ウェブサイト「ファンタジィ事典」でクトゥルフ神話の項目を粛々と更新している。文章でいろいろと怪物の容姿を描写してみるものの、いまいちイメージが湧かない。たとえば、「古のもの」だと、樽のような胴体、球根状の首、ヒトデ状の頭部、その先端に目玉、首からは長い触手、その先端には口、胴体からはウミユリ状の触手と畳める翼、球根状の脚もヒトデ状……などと描写されてもイマイチよく分からない。

だから、描いてみた。どうだろうか。

  

2023年5月9日 久々にイラストを描いてみた。

ゴールデン・ウィークで時間もあったので、イギリス伝承のインプを描いてみた。相変わらず、iPhoneにタッチペンという状況。彩色もしてみたが、どうやって塗るのが正解なのかよく分からない。ClipStudioでの色の塗り方を勉強した方がよいかなあ。ガリガリな感じとかは表現できたので、その点は気に入っている。

  

2023年2月4日 妖怪の絵を描く。

パキスタンにいる間にたくさん絵を描いていたのに、後で彩色しようと思ったまま忘れていた。明日からパキスタンに行くので、その準備をしていたら発見した。折角なので、スキャンしてアップしてみた。オトロシワイラだ。

最近はiPhoneにタッチペンで描く。でも、この頃はまだ紙にGペンで手書きで描いていた。色も、本当はコピックで塗ろうと思っていた。気が向いたら、色もつけてみようと思うけれど、デジタルに挑戦している最中なので、しばらくは色がつかないだろうな、と想像する。だから、取り急ぎ、白黒でアップしておこうと思う。

オトロシの絵 ワイラの絵

  

2023年1月29日 性的な表現が含まれている!?

猫も杓子もコンプラの時代である。

先日、pixiv事務局から「性的な表現が含まれている投稿作品に関するご連絡」というメッセージをいただいた。「性的な表現が含まれている作品の閲覧制限がR-18に設定されていなかったため、閲覧制限をR-18に変更いたしました」とのご報告。突然の連絡だったのでビックリして確認したところ、該当した作品は……

セイレーンの絵だった。……なるほど。これでもpixivの規約では「性的な表現」になるのか。ボクからすれば、もっと官能的な表現ってたくさんあると思っていて、まさかこんなエロさの欠片もない絵が引っ掛かるとは思っていなかった。迂闊だった。

実は、この絵には明確なモデルがあって、古代ギリシアの壺絵を参考にしている。人間の上半身に対して海鳥の下半身が圧倒的に小さくて、これじゃひっくり返っちゃうよ、という古代ギリシア人の妙を、そのまんま持ってきて描いてみた。でも、これでも引っ掛かってしまうのかあ。


出典:Theoi Project

昔はドリフのコントで上半身裸の女性が普通に出てきて、両親が気まずい顔をしていて、見ている子供たちも淫靡なものを見たという居心地の悪さを感じていた。今の子供たちはそういう刺激がないまま育ってしまうので、耐性がなくなってしまう。それはそれで怖いことじゃないのかなあ。うーん。

まあ、プラットフォームの規約なので、文句は言わないけれど。さてはて。

  

2023年1月14日 遅まきながらのウサギの絵 第2弾

卯年なので描いたシリーズ第2弾として、アルミラージキラー・ラビットに引き続き、iPhoneで描いてみた。ソフトウェアはCLIP STUDIO PAINT。彩色までやってみた。コピックでやっていたようにはうまく塗れない。でも、iPhoneだけあれば描けるので楽ちんと言えば楽ちんだ。

アルミラージはアラビア伝承に登場するツノウサギだが、ヨーロッパには、こういう類いのツノウサギの伝承はたくさんあるので、そういうのもまとめて調べて、ウェブサイト「ファンタジィ事典」に掲載してみようと思っている。

  

2023年1月7日 遅まきながらのウサギの絵

あけましておめでとうございます。遅まきながら、ウサギの絵をご紹介。今回は映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1974年)に登場するキラー・ラビット。一見、かわいらしいシロウサギのように見えて、近づくと飛び掛かってきて首を嚙みちぎられる。辺りは血の海だ。

例によって、iPhoneで描いてみたシリーズ。そろそろいい加減にタブレットを購入して、ちゃんとお絵描きしようよ、という声が聞こえてきそうだけれど、もうしばらくはこのままのスタイルでやってみようと思っている。

  

2022年9月10日 ドキドキもせず、落ち着く気持ちになる範囲で「ぼくが作った」と断言する凄さ!!

9月2日に、水木しげるの生誕100周年の「百鬼夜行展」に行ってきた。生憎、天気はよくなかったし、東京は少しだけ眩しかった。その上、六本木ヒルズの中で迷い込んで、なかなか東京シティビューに辿り着けなかった。でも、いろいろと示唆に富む展示で、楽しかった。今まで、水木しげるの妖怪についてまとめた図鑑の類いは読んでいたが、直接の漫画や伝記の類いは読んだことがなく、どの程度、水木しげるが自覚的に妖怪を創造し、模写していたのかがよく分からなかったが、結構、考えに考えて、かなりの部分、意識的に妖怪を写し、妖怪を創作していたことが分かったのが一番の収穫だった。

「妖怪の姿形については、昔から形の定まっていると思われるものはそれに従い、文章だけで形のないものはぼくが作った」

これは水木しげるの言葉らしい。ここで水木しげるは『ぼくが作った』と明言している。「描いた」のではない。「作った」のだ。しかも、水木しげるは鳥山石燕や竹原春泉斎などの古い時代の妖怪の画集もかなり収集している。そして、既存の絵が残されている妖怪については、それに従ったわけだ。創作をしないで、そのまま写し取った。かなり意識的にやっている。そういう妖怪との向き合い方だったことが分かって、ボクは単純に感動した。

実は、父が『週刊朝日百科 動物たちの地球』を毎週、購入していた。この雑誌の最後のページに水木しげるの妖怪コラムがあって、ボクはそこで初めて『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』などで知られる漫画家ではない、妖怪研究家としての水木しげるに出会った。そして、父親にねだって、1992年に岩波新書が発売した水木しげるの『妖怪画談』から連なる4作品を購入した。中学生の頃だと思う。その後、講談社+α文庫の『図説 日本妖怪大全』とその続編を自分のお金で買った。妖怪研究家としての水木しげるとの接点はそれだけだ。絵はとてもいい。でも、意外と文章がいい加減だな、というのが、当時の正直な感想だった。非常に感覚的で、個人の感想みたいな解説だな、と思っていた。

でも、今回の展示を見て、ちゃんと下調べしていたのだな、というのが分かった。下調べした上で、いい加減に書いていたのだ。それがいいじゃないか、と思った。しかも、「ぼくが作った」と断言した後に、

「しかしそれはあくまでも祖霊たちが『うん、それでよろしい』と言うような形にしておいた。祖霊たちがイエスかノーかは、形を作るときイエスの場合は心静かであり、ノーの場合はなんとなくドキドキして落ち着かない」

と書いている。ボクも最近、妖怪の絵を描いていて思う。オリジナリティを詰め込み過ぎて、明らかにやり過ぎたな、と思うときとか、違ったな、と思ったときには、アップロードしたときにものすごくドキドキする。これでよかったのだろうか、と煩悶する。そういうものなのだと思う。だから、とても、水木しげるに共感した。共感して、ドキドキしない範囲で「ぼくが作った」と言い切れることに、ボクは感銘を受けた。

2022年8月8日 さらに描くものたち!

ここのところ、すっかりiPhoneとタッチペンで絵を描くことにハマっている。

iPhoneのイヤホンジャックにタッチペンを挿すだけ。これだけで準備完了だ。これはいい。今までなら、A4の紙や複数のGペン、2Bの鉛筆、消しゴム、ライト版などを準備していた。卓上のスペースも必要だった。でも、今はスマホ片手にタッチペンがあれば、どこでも絵が描けるし、いつ中断しても、片付けもいらない。本当に隙間時間に進められるところまで描いて、途中でやめられる。

しかも、若干、邪道で罪悪感に苛まれるんだけど、何度でもやり直せる。気に入らない線になっても、「戻る」ボタンひとつでやり直せてしまう。だから、何度でも気にいるまで線を引き直せる。これは大きな違い。紙にGペンで描いているときには、えいや、と覚悟を決めて線を引く。そして、これは元には戻せない。「あ、しまった!」と思っても、やり直せないのだ。そりゃあ、緊張感があった。デジタルには、そういう緊張感がない。気持ち的にはかなり楽になる。

そんなわけで、アラビア伝承の精霊ジン・シリーズのマーリドイフリートを描いてみた。

2022年8月1日 新しい一反木綿のご提案。

引き続き、iPhoneとタッチペンによるお描きで一反木綿を描いてみた。

新しいタイプの一反木綿のご提案である。どうしても一反木綿というと、水木しげるのステレオタイプの絵を連想する。吊り目で、細長い三角形で、手が生えている。でも、実際には、水木しげる以前には、絵にして可視化されたことはない(と思う)。だから、本当の姿は分からない。だから、試しに横向きにしてみた。こういうウツボやリュウグウノツノツカイみたいな魚っぽいデザインはどうだろう。ウネウネして、少し気持ち悪いのではないか。

  

2022年7月31日 スマホで実際に妖怪を描いてみた!!

ファンタジィ事典にもう少しだけエンタメ要素を足そうと思っても、事典という形式上、なかなか面白くならないので、せめてイラストを足してみるという戦略に切り替えた。そこで、パキスタン出張に画材道具一式を持って行ったら、結構、大荷物になって大変だったので、スマホだけで完結できる方法をここ最近、ずぅっと模索していた。

しょこたんがiPadにClip Studioをインストールしてさらさらと絵を描いていたので、ちょっとそれに倣って、でもタブレットは持っていないので、Clip Studioをスマホにインストールして、タッチペンで絵を描いてみた。描いてみたのはアラビア伝承の精霊ジャーンジンニーだ。

ペンの抜きの感覚が慣れなくて、あらぬ方向に線が撥ねてしまうのだけれど、でも、何とかスマホで絵を描くことには成功した(と思う)。道具というのは慣れなので、経験を積めば、感覚も掴めて、いろんなことができるようになるだろう。

こうやって、イラストをファンタジィ事典に盛り込んでいけば、少し事典としての面白さと価値が増すのではないか。そんな期待をしている。しかも、彩色せず、白黒にすることで、まさに事典っぽさが増すので、ちょうどよい気もしているが、さてはて。

ジャーン ジンニー

2022年7月13日 イラストもスマホで描ける!?

しょこたんがYouTubeでよくタブレットで絵を描いている。まるでペンで描いているのと変わらないクオリティなのですごいな、といつも感心している。それにしても、今回、パキスタンに行った際、ホテルで絵でも描こうと思って、Gペンやコピック、ライト版を持っていったりもしたが、なかなか荷物だった。だから、こういうITを駆使するのも一興か、と思い始めた。

しょこたんが使っているソフトはCLIP STUDIO PAINTらしいので、試しにiPhoneにインストールしてみて、指で絵を描いてみた。正直、指って太いので、思ったところに線が引けずに苦労した。でも、Apple Pencilみたいなのがあれば、もっとうまく描けるかもしれないし、スマホの小さい画面の中で描いた割りには、まあ、悪くはないかもしれない、と思っている。

2022年1月5日 テスカトリポカを描いてみた。

今年の雑誌の表紙はテスカトリポカを描いてみた。アステカ神話の創造神だ。ジャガーに変身するので、寅年のネタとして採用してみた。顔の色は、本当はもう少し黄色いのかもしれない。塗ってみて、乾いたら、何だかオレンジっぽくなってしまったが、まあ、仕方ない。


2022年1月3日 2022年もよろしくお願いいたします。

あけましておめでとうございますーm(_ _)m ペコリ

年末年始は帰省していて、オンラインの世界からは離れておりました。ウェブサイト上での新年のご挨拶が遅れましたが、本年もよろしくお願いいたします。

相変わらず、コロナ禍で海外渡航は制限されており、本業のお仕事の方はリモートを駆使して精進する日々ですが、一方のウェブサイト運営の方は、安定的に日本にいられるし、リモートワークで通勤の時間はほぼゼロになるしで、昨年は比較的、順調に更新を進められていました。このような働き方が継続すれば、いろいろな活動が自由になるのになあと思っておりますが、大きな組織というのは旧態依然としているので、案外、難しいかもしれません。でも、新たな技術を導入したのだから、元の場所に戻ることなく、新しい境地に船を進めていけるように、私自身も尽力したいと思います。そこに新しい可能性があるはずです。

毎年恒例の雑誌も、定期的に刊行するようになって10年目を迎えました。ちぃ子(妻です)をパートナーに、刊行の火を絶やすことなく、毎年、毎年、雑誌を配り続けて、しんどいこともありましたが、無事に今年も雑誌を皆様のお手元にお届けできました。

そんなわけで、今年もウェブサイト『ヘタっぴなアルコール蒸留』と『ファンタジィ事典』をよろしくお願いいたします。ではでは。

2021年6月26日 エンタメに効率を導入する時点で感性オワタだと思う。

YouTube業界に激震が走っている。ひとつは「ファスト映画」で逮捕者が出たこと。もうひとつはYouTuberたちの大宴会。文春にすっぱ抜かれた。

「ファスト映画」で逮捕されたのは20代の若者だった。彼らがどのくらい犯罪意識を持ってやっていたのかは分からない。案外、グレーゾーンでやっていると思っていたのではないか。YouTubeのアルゴリズムも、明らかに「ファスト映画」を優遇していたように感じる。青天の霹靂だったのではないか。あるいは、事前に何らかの警告なり注意喚起があったのだろうか。いずれにしても、逮捕された若者たちには不幸なことだな、と思う。

コンテンツ海外流通促進機構によれば、55アカウントが約2,100本の動画を投稿。合計で4億7,700万回再生されているという。「ファスト映画」による被害総額は956億円と推計されるらしい。

ボクは「ファスト映画」がどうしてこんなにも流行っているのか、正直、よく分からない。一度、「ファスト映画」という概念もよく分からないときに、YouTubeのオススメに出てきて視聴したことがある。強烈なタイトルがつけられていて、それに惹かれてクリックした。でも、結局、タイトルに関係するような内容はほとんど本編とは無関係で、いわゆる、タイトル詐欺の釣り動画だった。内容はよくまとまっていた。筋書きはよく分かった。でも、決して面白くはなかった。

映画に限った話ではないが、作品は、断片だけを切り取って楽しむものではない。10分で楽しませられるなら、その作者は10分の映画をつくる。映画が2時間なら、2時間が必要な中身なのだ。プロのクリエイターなら、決して作品を間延びさせようとは思わない。会話のやりとりやカメラワーク、間なども含めて、2時間で楽しまなければ、本当の映画の楽しさは分からない。だから、「ファスト映画」を観て、映画の筋書きはよく分かったけれど、一方で、映画の楽しさが満喫できるわけはないのだ。

過去には、世界文学を短くまとめた本もたくさん出版されていた。それも「10分でわかる」みたいな触れ込みだったように思う。でも、そもそもエンターテイメントに効率を求めるのはおかしい、とボクは強く主張したい。世界文学にしても、映画にしても、筋書きや結末だけに価値があるわけじゃない。お洒落な会話、示唆に富む作者の哲学や思想、文章の軽妙、そこで繰り広げられる人間関係……いろんなものが、エンタメをエンタメたらしめていて、部分的につまみ食いして、それで作品が分かった気分になるのは、エンタメの本質ではない。

「ファスト映画」の再生数はすごいらしい。ボクはそれにものすごく大きな衝撃を受けた。著作権が守られていないとか、作者に失礼だということではなく、そんなライトにエンタメを楽しもうという人間が多いことに驚いた。エンタメの世界にまで時短の概念を持ち出して、効率的に楽しもうという発想が、すでに悲しい。

価値観が多様化して、いろいろとマニアックな作品が日の目を見る時代だ。みんなが画一的に同じものを楽しむのではなく、各々が好きなものを選んで楽しむ時代で、とてもよい傾向だと思う。だからこそ、受け手の感性の劣化は悲しいな、と思う。もしかしたら、コンテンツが溢れすぎて、つまみ食いしながら、取捨選択しなきゃいけない時代になってしまったのかもしれない。「被害総額は956億円」とCODAは謳っている。DVDが売れないとか、作者が報われないとか、そんなことよりも、もっともっと、真正面からエンタメを楽しむ土壌をつくらないといけない。そんな気がした。

……YouTuberたちの大宴会については明日に譲ろう。

2021年4月28日 屋外撮影!?

例によって例の如く、最近は職場内YouTuberと化している。本日はプロジェクト関係者の声を収録しに、繰り出した。「会議室の様子だけじゃ面白くないから、外で撮ろう」。みんな、いろいろなことを考える。ちょうど一年前にも、ある人が「コロナ禍だから室内はダメだよ。外で撮ろう」と当日に言い出して外で収録したら、風の音がゴウゴウとマイクに入り込んで、そりゃあ、酷い出来栄えだった。何しろ、こちらは本職のYouTuberではないので、野外撮影の機材なんて持っていない。

今回は同じ轍を踏まないように、二の舞いを演じないように、ちょっとだけ、機材を検討する。前回はビデオカメラに内蔵のマイクで撮ったので、当然、海風の音も拾ってしまった。今回は、さすがにガンマイクを購入する予算はないので、スポンジつきのピンマイクで距離を縮めてやってみる。風の音はゼロではないが、かなり軽減され、聞くに堪えるクオリティになった。

……いろんなことに挑戦すると、知らず知らずのうちにいろんなスキルやノウハウが身につく。そんなのばっかりだな。

2021年4月17日 天狗の絵を描こう!!

天狗の絵を描こうかと思って、いろいろと素材を集める。実は、ボクはひとつの絵を描くのに、いろいろと情報収集する。たとえば、今回の天狗であれば、過去の天狗の絵をたくさん集める。江戸時代の天狗の浮世絵もそうだし、天狗の神社の縁起に描かれている天狗の絵もそうだ。天狗のお面やお土産屋に売られている天狗の土鈴などの写真も収集する。それから、ゲームのデフォルメされた天狗の絵も参考になる。パズドラとか。そして、山伏の衣装の写真もたくさん情報収集する。今回は本山派を採用しようと思うけれど、山伏にもいろいろな派があることが分かった。他にも、ヤツデの写真、法螺貝の写真、八角棒の写真、鳥の翼の写真など、関連するものをできるだけたくさん集める。その上で、絵を描く。本日は、そういう下調べの日である。今月中には形にしたい。

2021年4月6日 「直感」は、実は正しい!?

直感で決める。これは実は正しいという話。

「現代の知の巨人」などと紹介される出口治明さんが、よくいろいろな書籍で「直感」について言及していて、基本的には「直感」を肯定している。下記、ちょっとひとつ、引用してみる。

直感というのは何も考えずに決めることではありません。人間の脳は問題に直面した瞬間に、頭の中に蓄積されている情報を高速でサーチし、最適な答えを導き出すようにできているのです。つまり、脳が最速で必要な情報処理を行った結果が「直感」なのです。直感の精度はその人のインプットの集積で決まります。だからこそ、日ごろから読書をしたり、さまざまなジャンルの人に会ったりして経験の幅を広げインプットの量を増やしておくことが大切なのです。

つまり、「直感」でこうだ、と感じたことは、決して、感覚的なものではなくて、これまでのインプットの蓄積に裏打ちされた判断なのだ、ということだ。

中田敦彦の「顔出し引退撤回」が結構、いろんなところで話題になっている。ジャッジが速すぎる点については賛否があって、メンタリストDaigoも、データに基づかない感覚的な判断だとして、批判的なコメントを出していた。視聴者に寄り添っていると評価されていたり、視聴者に流されていると批判されたりもしている。いずれにしても、賛否両論の状態だ。

でも、ボクは中田敦彦の「顔出し引退撤回」の動画を見て「直感」なのだろうな、と感じた。中田敦彦は「デスノート」を解説する動画を、自分の目で見た。そして、苦痛だったと言った。つまり、直感で「違う」と判断したのだと思う。これは、多分、中田敦彦の中にある蓄積が、そう叫んでいたのだと思う。

だから、アバターが悪いとか、視聴者に流されたとか、そういうのではないのだろう。おそらく、職人・中田敦彦が、計画して、実際にやってみて、出来上がったものを見て、そして、直感で「違う」と感じた。中田敦彦の動画の説明を聞いて、ボクはそういうことなのだと感じた。