2020年4月17日 インドネシアの妖怪、フィリピンの妖怪!?

インドネシアのニュースを昨日、紹介した。インドネシアの妖怪「ポチョン」に扮した若者が新型コロナウイルス感染対策として、町に出ているというニュース。それに引きずられる格好で、ファンタジィ事典もインドネシアの妖怪をいくつか更新した。スンデル・ボロントゥユルポチョンポンティアナックだ。そして、ついでにフィリピンの妖怪も載せておこうと思って、エクエクチャーナックマナナンガルワクワクも更新した。インドネシアもフィリピンも、仕事で行ったことがある。だから、何となく馴染みがあって、妖怪も調べたりする。どちらも、おどろおどろしい点で、何となく似ている。もっともっと有名になってもいいのにな、と感じる。

2020年3月15日 ミャンマーの妖怪 第3回:ピュー族の城郭都市

第2回でミャンマーの精霊信仰と「37人のナッ神」の簡単な概要を述べたが、第3回はピュー族と「ドゥッタバウン群」について説明したい。

1906年に精霊ナッについて本を出版したイギリス人のリチャード・テンプル氏は「37人のナッ神」を5つの精霊グループと独立した2人の精霊に区分した。これは主に神話・伝承の舞台となる時代背景による分類になっている。その中で、第1のグループである「ドゥッタバウン群」は「マハギリ」、「ナマードゥ」、「シュエナベ」、「シンニョ」、「シンピュ」、「トウン・バーンラ」、「マネーレー」の7人の精霊ナッから構成されるグループで、ピュー族のドゥッタバウン王の統治下で活躍することから「ドゥッタバウン群」と呼称されている。

ミャンマーには大きく分けて8つの部族、全体で135の民族が存在するが、7割近くはビルマ族である。ビルマ族最初の王朝はパガン王朝で、アノーヤタ王が興した。しかし、それ以前にこの土地を治めていたのはピュー族である。

「37人のナッ神」の第1のグループ前に冠されている「ドゥッタバウン王」はこのピュー族の王で、伝承では紀元前5世紀にタイェーキッタヤーを創設したとされる。しかし、それを明確に示す歴史的な資料は存在せず、実際には、8世紀頃の王だと考えられている。

ピュー族は、紀元前2世紀頃にミャンマーの地にやってきて、エーヤワディー河流域に複数の城郭都市をつくった。残っている遺跡としてはベイッタノーが最も古く、7世紀頃にはタイェーキッタヤーがピュー族最大の都市になった。9世紀頃に南詔によってピュー族の都市は破壊され、たくさんのピュー族が拓東に連行された。その後、ピュー族の動向は記録が残されていないが、この空白の2世紀の間に、ビルマ族のパガン国が勢力を拡大して、11世紀にアノーヤタ王がパガン王朝を樹立してミャンマー全域を支配する。

ピュー族の城郭都市は直径2~3キロメートルのレンガ造りの城壁を持つ。最大規模のタイェーキッタヤーは直径4~5キロメートルの城壁を持っていた。ピュー族はピュー語(大部分は未解読)を公用語に、インドの影響を受けて独自のピュー文字を発達させた。その頃には、モン族やアラカン族などもインドの影響を受けて、周辺で各々の文化を構築していた。

4世紀以降、ピュー族はたくさんの仏塔を建設しているが、必ずしも現在のような仏教の形ではなく、土着の精霊信仰や竜神信仰に、インドから伝来したヒンドゥー教や大乗仏教、上座部仏教などが混じり合っていた。ピュー族は高度な天文学の知識を持っていて、計算して独自の暦を用いていた。7世紀にタイェーキッタヤーで作られた「ビルマ暦」は、現在も民間に脈々と残っていて、祭儀のスケジュールなどにはその暦が用いられている。また、ピュー族は銀貨を鋳造しており、タイ南部やベトナムなどでもこれらの銀貨は出土し、広域にピュー族が交易していたことが分かっている。ちなみに、ハリンチー、ベイッタノー、タイェーキッタヤーの3か所の遺跡が2014年に「ピュー古代都市群」として世界遺産(文化遺産)に登録されている。

以上がピュー族の歴史的な概観である。次回はピュー族最大の都市タイェーキッタヤーを建設したドゥッタバウン王とそれに関わる「ドゥッタバウン群」に分類される精霊たちの物語を紹介していきたい。

ミャンマーの妖怪 第1回:ミャンマーの精霊信仰

2020年3月12日 ミャンマーの妖怪 第2回:ミャンマーの王朝と37人のナッ神

第1回では自然物に宿る精霊、家族や村で崇拝される精霊について概観を説明したが、このような精霊信仰の中で、特に際立っているのが「37人のナッ神」とされる公式の神々である。ミャンマーでは「トウンゼー・クンニッ・ミーン」と呼ばれている。

この「37人のナッ神」を率いているのは「ザジャー・ナッ」である。「ザジャー」というのは仏教の天部である「帝釈天」のことだ。11世紀にパガン王朝を興したアノーヤタ王は、上座部仏教の国づくりを目指したが、土着の精霊信仰を抑えきれなかった。そこで、いくつかの有数の精霊ナッをリストアップし、その上に「帝釈天」を据えた。帝釈天をリーダーに据えることで、精霊信仰を仏教の中に取り込もうとしたわけだ。現在のミャンマーの仏教でも、大っぴらには精霊信仰は認められていない。しかし、「信仰しているのではなく、慈愛を送る」という方便で、これらの精霊が信仰され続けている。

さて、「帝釈天」であるザジャー・ナッを除いた他の36人のナッ神は、強力な精霊たちだ。イメージとしては怨霊に近いかもしれない。処刑されたり、病気に罹ったリ、失意のうちに死んだり……いずれにせよ非業の死を遂げた人間が、死後、怨念を抱きながら、精霊になり、人々を襲った。その畏れを鎮めるために、ナッ神として寺院に安置し、崇拝したイメージだ。日本だと、平安時代の菅原道真や平将門、崇徳上皇が祟りを起こして、怒りを鎮めるために祀られ、神格化された。このイメージに近い。

たとえば、37人のナッ神で有名なマハギリ・ナッは、マウン・ティン・デは怪力を備えた人間だったが、時のタガウン王は自分の地位を簒奪するのではないかと恐れ、火あぶりにして殺した。このため、死後、強力な精霊ナッになってジャスミンの樹にとり憑いて暴れ回った。樹はエーヤワディー河に流され、パガン国に漂着し、パガン王によってポッパ山に祀られ、パガン国の守護神となった。タウンピョン兄弟も、超人と鬼女の間に産まれた子供で、神通力を有し、アノーヤタ王に仕えて大活躍したが、周囲の人間に妬まれ、王の命令に背いたと報告され、処刑され、死後、強力な精霊ナッとなった。その後、タウンピョン村に祀られ、タウンピョン村の守護神となった。

このように、精霊ナッは日本の怨霊信仰に非常に似ている側面がある一方で、ミャンマーの歴史上に現れるさまざまな王朝と密接に関わりを持ち、その歴史の中で非業の死を遂げた人間たちである。この点が、我々には非常に難解で、精霊ナッが日本に浸透しない理由かもしれない。たとえば、日本人だったら、菅原道真が……と言われれば、藤原時平が醍醐天皇を唆して、菅原道真を大宰府に左遷し、死後、怨霊になった……という物語をすぐに頭の中に思い浮かべられる。でも、我々はミャンマーの歴史の詳細をあまりよく知らないので、登場する人物や地名が頭に入ってこない。そこに登場する非業の死を遂げる人物も、だから、決して分かりやすくはない。

その辺を、分かりやすく解きほぐしていこうと考えている。そのために、ミャンマーの歴史や文化、宗教観みたいなものを勉強して、噛み砕いて説明してみようと思っている。そうすれば、少しは日本人に精霊ナッを理解してもらえるのではないかな、と思っている。そんな試みを、緩やかに始めてみたい。

ミャンマーの妖怪 第3回:ピュー族の城郭都市

2020年3月9日 ミャンマーの妖怪 第1回:ミャンマーの精霊信仰

ここ最近、あんまりウェブサイトを更新していないのだけれど、水面下ではいろいろと妖怪のまとめをしている。ボクは最近、海外を飛び回る仕事をしているので、立ち寄った国の妖怪について調査をするようにしている。アジア方面だと、ミャンマー、フィリピン、インドネシア、パキスタン、アフリカ方面だとナイジェリア、スーダン、マラウイを訪れた。そういうのをきっかけに、対象地域を定めて、掘り下げて妖怪を調べていくのが最近のスタイルだ。

ここ最近、特に注力しているのはミャンマーの妖怪だ。ミャンマーの妖怪については書籍も少なく、日本ではあまり知られていない。だからこそ、それを日本に普及させてみようなどと密かに画策している。

ミャンマーは仏教国である。お寺が強い権力を握っている印象だ。たくさんの寺院(パヤー)が建設されている。それでも、現地に根付いた精霊信仰も強く、寺院の中にはたくさんの精霊たちが混ざって安置されていて、仏教の守護者として崇拝されている。

土着の精霊信仰で信じられている精霊のことをミャンマーでは「ナッ」と呼ぶ。自然物に宿る精霊もたくさんいる。たとえば、土の精(ボンマゾー・ナッ)、樹の精(ヨウカゾー・ナッ)、空の精(アーカタゾー・ナッ)などがよく知られる。その他にも雨乞いを祈る雨の精(テイン・ナッ)、豊作を祈る田の精(レー・ナッ)、また、死をもたらす死の精(マン・ナッ)などもいて、儀礼などで死を追い払おうとする。

ミャンマーの精霊信仰は奥深く、家を守護する家の精(エインサウン・ナッ)への崇拝は篤い。これは家族全体で祀る精霊である。村全体の守護霊であるユワーサウン・ナッも崇拝している。また、これらの家の精霊、村の精霊とは別に、個人の守護霊(コーサウン・ナッ)も存在し、代々、両親から引き継いでいく。信仰の強さに地域差はあるものの、こういう複数の精霊はミザイン・パザイン・ナッ(母方と父方の精)として、定期的に祈りを捧げられる。村落部になればなるほど、この信仰は非常に複雑で、たとえば、父方の家族が崇拝していた精霊と母方の家族が崇拝していた精霊が異なれば、両方が祀られることもある。母方の祖母から引き継いだ精霊だとか、父方の祖父から引き継いだ精霊だとか、いろいろなケースがある。また、引っ越しをして家に嫁いできた家族がいれば、前の村の守護霊を連れてきて崇拝する場合もある。その結果、ひとつの家だけで、いろいろな精霊をミザイン・パザイン・ナッとして崇拝することになる家族もいる。いずれにせよ、正しく祈りを捧げないと、これらの守護霊が怒ってよくないことが起こると信じられている。

こういう精霊崇拝が、上座部仏教と混ざり合いながら、信じられているのがミャンマーである。

ミャンマーの妖怪 第2回:ミャンマーの王朝と37人のナッ神

2019年2月3日 まだまだ海外暮らしは続く!?

お仕事でインドネシアに1週間行っていた。「初めまして」の土地での調査なので、かなりタイト。それでも、楽しく調査できた。

ミャンマー、フィリピン、ナイジェリア、スーダン、パキスタン、マラウイ……と旅をして、今回はインドネシア。お仕事で外国に行ったのは、7か国8プロジェクト。合計で644日だ。もう、半ばプロフェッショナルだと思う。高校生の頃のボクは英語が苦手で、だから、英語で点差の開かない大学を選んだ。就職だって、横浜から出たくないからこそこの職業を選んだのだ。基本的に引きこもりである。それがどうだ。あっちこっち飛び回っている。信じられないことだ。

インドネシアで感じたのは、今まで変な国ばかりやらされていたな、ということ。ミャンマーでは右も左も分からない中での活動だったので、正直、正しく評価できないが、フィリピンでの仕事は非常にやりやすかった記憶がある。それでも、まだまだボクがプロフェッショナルではなかったから、苦労はした。その後、ナイジェリア、スーダン、パキスタン、マラウイ……。どの国も、やっぱり大変だった。それに比べて、インドネシアは何てやりやすい国だろう、と思う。相手の人々の理解力、仕事の進める早さ、反応がいい。うーん。こういう国ばっかりだったら、きっと大きな成果、出し放題じゃないか、とまで思う。そんな感覚。

折角、インドネシアに行ったので、今年は少し、インドネシアの妖怪というのか、未確認動物というのか……そんなものにフォーカスを当ててみてもよいかな、と思っている。乞うご期待。

2018年3月5日 海外で個人宅に招待されること

パキスタンのプロジェクトでコーディネータを務めてくれているAzhar Ali氏が、自宅に招待してくれた。

プロジェクトでいろんな国に行くが、どうしてもホテル暮らしになる。食事も自炊するかレストランに行く機会が多い。そんな中、個人宅で家庭料理を振舞われたりすると、本当にその国の文化に触れられたようなハッピィな気分になる。フィリピンでは総裁の家、スーダンでは通訳の方の家に遊びに行った。こういう体験はなかなか得難いものである。

料理上手なAli氏の奥さんがせっせと料理を作ってくれる。でも、食卓まで料理を持ってくるのは息子で、終ぞ我々は奥さんの顔を見る機会がなかった。これはイスラームの文化なのだろうか。それともパキスタンの文化か。ついつい直接、奥さんにお礼を言いたいなどと思うが、レストランではシェフの顔は見えないのが普通。それと同じと思えばいいのかもしれない。昭和の日本もそういう傾向は多少、あったはずなので、夫婦で客人を出迎えるという文化の方が新しい発想なのかもしれない。

パキスタンと言えば、イスラーム国家だし、ウサーマ・ビン・ラーディンを匿っていたし、隣接する国がアフガニスタンだし、最近でもラホールでテロルがあった。日本ではそういう側面が強調されて、非常に危険な国というイメージがある。でも、ボクはパキスタンを満喫している。ハラッパーの遺跡にも行ったし、ラホールではムガル帝国時代の宮殿やモスクも見た。観光資源も豊富だし、料理もおいしい。そして、こうやってAli氏の家にお招きされている。

もう少しだけ情勢が変われば、パキスタンは本当にいい国だと思う。ボクはどうしたってギリシア押しで、そこは譲れないけれど、でも、それに次いでパキスタンを押してもよい。

2017年10月28日 帰国!!

ついさっき、マラウイから帰国して、成田空港から横浜までの移動中である。

マラウイは想像以上にネット環境は悪く、1,000クワチャ(150円ちょっと)で250MBのバウチャーを買う。そんなものはすぐになくなってしまうので、その都度、またバウチャーを買う。おちおち動画も見ていられない。しかも朝昼晩と停電するので、Wi-Fiルータが沈黙してしまう。そんな世界。経済の成長に合わせて、電気と水道が追いついていない。

でも、食事には苦労しない。どの店に行っても味は間違いない。人々もフレンドリィ。そして、観光資源が多い。湖、山、動物。安全だし、言うことはない。

少し落ち着いたら、マラウイの状況でも書こうか、とも思うけど、また4日にはパキスタンに飛ぶので、スケジュール的には忙しい日々である。まあ、精神的には忙しくはないけどね。はっはっは。

2016年11月16日 パキスタンより帰国!!

2か月、パキスタンに行っていた。向こうでもウェブサイトが更新できると高を括っていたが、セキュリティの関係でログインできず、更新できなかった。そんなわけでずぅっと音信不通になっていた。一昨日の夜に帰国し、昨日、いろいろと日本に溜まっていた仕事をやっつけて、ようやく、今日、こうして自宅でパソコンに向き合っている。Wi-Fiのセキュリティの低さは認識していたけれど、まさかホテルのWi-FiでさえもWordPressが弾いてくるとは、想定外である。

子供がもう少しで3歳になる。段々、父親と離れているということに対して、いろいろと考える歳になってきたようだ。大昔と違って、FaceTimeやLINEがあるので、モニタ越しに会話はできる。帰国日が近づいてくると、すごく嬉しそうな顔をして「パパ、早く帰ってきてねー」などと喋って手を振っている。成長が見えるので、安心できるし、それはそれで幸せである。でも、寂しそうな顔を見せられるので、切なくなることもある。

そんなわけで取り敢えずの帰国報告である。

2016年3月6日 最高気温45℃のアラビア語の世界

スーダンの首都ハルツームに到着。飛行機から降り立った瞬間、ものすごい熱気に襲われる。最高気温45℃の世界である。

でも、街並みは思っていたよりもキレイだ。喫茶店やレストランもあるし、近代的な感じ。他の途上国に比べて、ドライバたちが安全運転なのも印象的。クラクションの音がしないし、車線を無視した走行もない。

ただし、外務省のウェブサイトにある「英語も通用」という表記は嘘八百だ。Wikipediaにもスーダンの公用語はアラビア語と英語と記載されているが、英語はまるで通じない。ホテルに荷物を預けて、電話のSIMを買いに電話会社に行く。ナイジェリアでも使っていたMTN社だ。でも、店員は英語が喋れず、いくら「Receipt(レシート)」をくれと言っても伝わらない。先に現地入りしていた日本人から「فاتورة(ファートゥーラ)」というアラビア語を教えてもらってようやく領収書をゲット。なかなか大変である。

でも、外国人からすれば、日本人も英語を話せない人が多いので、同じ感覚を味わっているかもしれない。国際化って難しいなあ。でも、日本人ならさすがに「Receipt」くらいは分かるだろう。

その後、レンタカー屋に行って、社長に外国人登録の代理対応を依頼する。スーダンでは、入国してから3日以内に外国人登録をしないと4日目から罰金をとられるらしい。しかも登録料は500ポンド(約5,500円)と比較的、高額。入国に際してビザも取得しなきゃいけないし、州を跨ぐ移動をするときには旅行許可書(Travel Permit)が必要だし、外国人に優しくない。イクない。

夜、みんなでレストランに行く。レバノン、シリア、トルコなどの中東料理だ。كباب(ケバブ)を堪能。食後にはトルコ・コーヒーを頼んで、ちょっぴり幸せな気分。スーダン、なかなかいいじゃない。悪くない。昼間は暑いけれど……。

2016年3月6日 黄金の駱駝

昨夜、スーダンに向けて出発し、アブダビ空港にて乗り継ぎ。昔、ちぃ子(妻)とトルコに行ったときにも立ち寄ったことがある空港で、非常に懐かしい感じ。あのときは二人で楽しくこの空港に降り立った。今回は同期のジャニ顔青年と一緒。

ご当地マック

乗り継ぎの便を待っている間に二人でご当地マックを満喫。ボクはスパイシーマックチキン。彼はマックアラビア。ボクは前回、ナイジェリア渡航の帰りにマックアラビアを堪能している。

黄金の駱駝

そして空港内の黄金の駱駝に跨って記念撮影。本サイトでは珍しいスーツ姿のボクだ。同期との渡航だから油断している、というわけではない。これは会社の女性陣から与えられたミッションである(笑)。そんなわけで、スーダンを前にして、まだまだ楽しいひと時である。

* * *

ちなみに今、パソコンで入力しながら「🐪」とか「🐫」などの絵文字が打てることに衝撃を受けている。こんな機能を実装する前に、ちゃんと多言語化に対応して、楔形文字とかヒエログリフとかを印字できるようにして欲しい、と思う。

2016年1月31日 ナイジェリアの週末

アブジャの治安について、特に不安に感じることはない。ナイジェリアの北の方はまだまだボコ・ハラムが活動を続けているし、南の方は石油の利権があって外国人誘拐があるらしい。でも、アブジャそのものは穏やかで、怖いな、と感じることはほとんどない。それでも、うろうろと歩き回って何かあるといけないので、シェラトン・ホテルに引き籠っている。足がない、というのもひとつの理由だ。

リーダーは部屋でお仕事。基本的にお仕事が大好きなのだ。ワーカホリックである。青服おじさんはナイジェリアの日本人に誘われて、ゴルフを満喫。スマホ田さんは、きっとタイの女の子とLINEやfacebookをお楽しみだろうし、モリターマンはジムのランニング・マシンで1時間以上、走っている。ボクはそんなモリターマンを眺めながら、プール・サイドで日向ぼっこ。ハンバーガーを齧りながらの読書だ。

そんなわけで、みんな、思い思いにホテル・ライフを満喫している。ナイジェリアの週末はこんな感じ。

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2016年1月29日 タスクフォースの結成!?

ちょっとだけ背伸びをして、先方にタスクフォースの結成を提案してみた。ボクの中で、今進めているプロジェクトを、組織の取り組みに昇華させる必要があって、そのソリューションのひとつとして、組織横断的なタスクフォースの結成が絶対に必要だ、と感じたのだ。だから、思い切って、調査団のリーダーに提案したら、そのまんま、先方に提案することになった。今、タスクフォースのメンバ構成をリーダーと検討している。

……それにしても、提案してみるものだなあ。

2016年1月13日 レチョン・バボイのその後

フィリピンではしばしば、お祝いの際にはレチョン・バボイ(Lechon Baboy)が登場する。レチョン・バボイとはタガログ語で《豚の丸焼き》という意味。今回のフィリピンの渡航でも、ラップアップ・セミナが終わった後、満を持してレチョン・バボイが登場した。何度もフィリピンに渡航したけれど、これで3回目の面会だ。

卓上のレチョン・バボイ
卓上のレチョン・バボイ

バボイの頭部
食べ終わったレチョン・バボイの頭部

う、うーん。食後のレチョン・バボイを写真に撮ると、なかなかインパクトがある(笑)。味は、かなり脂っこい。でも、皮は鳥皮のようなパリパリした感じで、非常に香ばしく、美味しい。

2016年1月11日 シヌログ祭

セブのカウンターパートの執務室に行ったら、部屋中がピンクや黄色、緑の色紙でド派手に装飾されている。ボクはフィリピンなので、てっきりクリスマスの名残かな、と思った。あるいは1月なので、新年のお祝いの名残なのかもしれない。ところが、マム・ヘレンに説明を求めると、これはシヌログ祭の期間中だからだという。

フィリピン各地には町の守護聖人がいて、それを祝う「フィエスタ」という祭りがある。セブはマゼラン大佐が持ち込んだ幼きイエスの像「サント・ニーニョ」を祀る。これを祀ったお祭りが「シヌログ祭」で、9日間、続く。最終日には、幼きイエスの像が登場する。ホント、フィリピン人はお祭り大好きで、1年中、お祭りばっかりだ。

最近では、シヌログ祭といえば、ダンスの祭典として有名になっている。各地のダンス・チームの代表が集まって、町中で競い合うらしい。みんな、シヌログ祭への参加を勧めてくるが、残念ながら、本番は日曜日らしい。その頃には日本だ。あらまあ。残念。

2016年1月10日 これもひとつの親孝行か!?

行ってしまって、逃げてしまって、去ってしまって……で知られる年度末だ。ボクの怒涛の年度末も本日から開始。

これからフィリピンに出発する。今回は1週間の渡航だけど、帰国して1週間したら、今度はナイジェリアへの渡航が30日間、それからその2週間後にはスーダンの25日間の渡航が待っている。ほとんど海外に行って本年度が終わってしまう計算だ。誰がこんな人生を予想していただろう。

今までずぅっと知らなかったが、母親はボクに世界で活躍する人になって欲しかったらしい。ちぃ子(妻)に「こんな形で夢が叶った」と嬉しそうに語ったらしい。おっかしいなー。「医者か公務員か学者になれ」と言われて育ったような気がするんだけど……。ママン、実は密かにそんな夢があったんだねー。果たしてその夢が叶ったと言えるのかどうなのか……。いずれにしても、この仕事であっちこっちに飛び回って、ちぃ子やツクル氏(息子)には苦労を掛けているが、ひとつの親孝行になっているのかもしれない。

そんなわけで、ちょっとフィリピンに行って参る!! 1週間だと、もう、気楽な旅に感じてしまうボクである(笑)。

2015年12月6日 文化的な生活としてコーヒーを愉しむ

朝の5時にドバイに到着。本日は空港に1泊して、早朝の2時半の便で成田に向かう。待ち時間がかなりあるので、ドバイ空港を散策。

空港の中とは言え、ナイジェリアと違って、非常に文化的だ。マクドナルドやバーガーキング、スターバックスがある。大体、喫茶店でのんびりとコーヒーを飲む、というスタイルが、ナイジェリアにはまるで期待できない。シェラトン・ホテルの中にすら、そういう喫茶店の類がないのだ。コーヒーを頼んで、椅子に座って読書を愉しみながらコーヒーを飲む。ただそれだけで非常に幸せな気分に包まれる。こういう場を提供してくれるようなベスト・プレイスがナイジェリアにもあれば、随分、違ったものになるだろうなあ。

いつも、ドバイでまったりとして、文化的な生活を取り戻して、それから日本に帰るのである。

2015年12月5日 さようなら、ナイジェリア。

本日帰国。1か月半滞在していたナイジェリアとはお別れだ。午前中にシェラトン・ホテルの8階にあるプラチナム会員専用のラウンジで総括と業務引継の打合せ。もう何度も長期滞在しているので、チームのメンバはほとんどがプラチナム会員だ。毎日、総括への報告を欠かさないボクなので、実のところ、引き継ぐべきことなんてそんなにない。打合せとは名ばかりで、ほとんど雑談みたいなもの。さようならの挨拶である。

夕方、護衛警官を引き連れて、ンナムディ・アジキウェ国際空港へ。この空港は本当に腐敗している。職員は何とかイチャモンをつけて金品を奪おうと虎視眈々とチャンスを窺っている。やれ、荷物の中身をチェックするとか、やれ、重さを量ってやるとか、やれ、出国カードを代わりに書いてやるとか……。まともに対応すると金品をせがんでくる。そういうのをいちいちうまく潜り抜けて機内に転がり込む。不愉快以外の感想は抱けない。ナイジェリアの空港がワースト1に輝いているのも頷ける。最後の最後で、ナイジェリアの印象が最悪になって帰国する。いつものパターンだ。

ドバイ経由で空港に1泊して、月曜日の夕方には日本に到着の予定。

2015年12月4日 信教の自由

基本的人権のひとつに「信教の自由」というのがある。自分の好きな宗教を信仰する自由と、布教や礼拝などの宗教活動に参加する自由と、宗教団体を結成する自由のこと。引っ繰り返せば、特定の宗教の信仰を強制されない自由と、特定の宗教の宗教活動への参加を強制されない自由がある。要するに、何を信じてもいいし、何を信じなくてもいい、ということ。自分の信仰も保証されるし、他者の信仰も尊重しなければならない。

ムスリムやムスリマ(女性形)は1日に5回もお祈りをする。「صلاة(サラート)」と呼ばれている。日本語では礼拝。また、イスラームの祝日である金曜日には、5回のお祈りのうち最低1回はモスクを訪れ、お祈りをすることになっている。ラマダーンになると断食が始まるし、食事もハラールじゃなきゃダメなので、ものすごい制限が課される。

そんなわけで、ムスリムやムスリマの大勢いるような国でプロジェクトを進めようとすると、大変である。まず、お祈りの時間は日の出、日の入りなどで決まるため、季節と場所によって異なる。ボクにはいつお祈りが始まるか分からない。だから、うまくスケジュールを決められないし、事務所を訪れてもお祈りタイムに突入すると、みんな、席を外している。金曜日になれば、いつの間にか、モスクに行ってしまうので、ほとんど作業はできない。ラマダーンになると集中力は低下する。

そんなわけで、プロジェクトが遅れていても、トラブルがあっても、信仰心に篤い彼らはお祈りに勤しむ。「こんなヤバい状況なんだから、お祈りなんかいいじゃないか!」というのは、冒頭で書いたとおり、信教の自由に反する。自分の信仰も保証されるし、他者の信仰も尊重しなければならない、というわけだ。

いろんな宗教があって、いろんな習慣や文化があるわけだけれど、決められたルールや儀式的な活動が多いと、その宗教に属していない部外者は勝手が分からないし、いろんな感情的な衝突も生じる。例えとしてはイマイチだけれど、喫煙者が仕事中にしばしば抜けて一服するのに、禁煙者は休憩ができないからおかしいじゃないか、と揉めるような、ざわざわとした小さな感情の衝突みたいなものが生じる。イスラームって、結構、ルールが厳しいので、一緒に生活すると、大変だ。プロジェクトを進めながら、必死に彼らの生活習慣やルールに慣れようとするわけだけれど、外側から見ているだけでは、分かり合えない。

本日は金曜日。スペシャル・フライデー。あまりに成果が上がらないので、プロジェクト・メンバが激怒。午後に強硬に作業を進めようとして、「午後はモスクでお祈りだからダメだ!」と他のメンバに諫められていた。相手の宗教を尊重することは、なかなか難しい。

ちなみにナイジェリアのクリスチャンはいいところ取り。日曜日はお休みで教会に行くが、金曜日もムスリムと一緒になって「スペシャル・フライデー」を満喫している。そのくらい大らかでもいいのかもしれない。

2015年12月1日 英語での協議にヘトヘト

昨年度は1年の約3分の1(120日)は海外にいたことになる。今年度も約4分の1(99日)は海外にいる。もしかしたら、もっとかも知れない。英語で会話をすることにも随分、慣れてきた。それでも、英語で協議をするのは、やっぱり大変で、非常に疲れる。日常会話は気楽でいい。ヒアリングもある程度、事前に質問事項を考えて台本を作成できるので、リスニングだけが問題になる。プレゼンテーションも質疑応答は嫌らしいが、発表中は事前に台本を準備できるし、発表であれば、知っている単語だけで勝負できるからいい。でも、協議になると、何分、相手のいることなので、それに合わせて柔軟に喋らなければならないし、厳密さを求められるので、四苦八苦である。未だに慣れないし、必死である。

本日は、現地調査と現状分析の結果を報告して、その上で自分の考えるプロジェクトのコンセプトについて説明をし、先方の了解を得た。作業依頼もした。それだけでヘトヘトになってしまった。

2015年10月26日 嗚呼、ナイジェリア!!

昨夜、ナイジェリアに着いた。赤茶けた大地を護送車両で揺られながら、ああ、戻ってきてしまったなあ、と脱力。

赤茶けた大地
赤茶けた大地
護送警官への支払い
ホテル前にて護送警官に支払い

それにしても、目に見える恐怖と目に見えない恐怖があるなら、ボクは目に見えない恐怖の方が怖いらしい。最近、アブジャ市内でもテロがあったと聞いているけれど、エボラが流行っていたときのナイジェリアの方が、ボクには怖く感じられた。どちらにしても遭遇したら避けられないので一緒のはずなんだけど。

機内が非常に寒くて毛布に包まっていた。後ろのお客さんがフライトアテンダントにクレームを言っているのが聞こえる。主語が全部「we」だ。「我々はとても寒さを感じている」とか「我々は温度の適正な管理を望んでいる」とか(直訳的だけど!)。こういうときに「we」を使うんだねえ。ワンオブゼム。代表意見みたいな感じがして不思議な感覚。代弁してもらってありがとうという気もするが、お前なんかにひとまとめにして欲しくない、という気持ちもあり、複雑な気持ち。