タケミカヅチ
分 類 | 日本神話 |
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建御雷之男神(タケミカヅチノヲノカミ)、建御雷神(タケミカヅチノカミ)〔記〕【日本語】 武甕槌神(タケミカヅチノカミ)、武甕雷神(タケミカヅチノカミ)〔紀〕【日本語】 建布都神(タケフツノカミ)、豐布都神(トヨフツノカミ)〔記〕【日本語】 | |
容 姿 | 剣を持ったたくましい男性神。 |
特 徴 | カグツチの血から生まれた雷神。剣の神。 |
出 典 | 『古事記』(8世紀頃)、『日本書紀』(8世紀頃)ほか |
火の神から誕生した雷神!?
タケミカヅチは記紀神話の雷神で剣の神。イザナキとイザナミの神産みにおいて、カグツチ(火神)の誕生によってイザナミが焼け死んだとき、怒ったイザナキがカグツチの首を斬り落とした。このとき、飛び散った血が岩に滴り落ちてたくさんの神々が誕生したが、タケミカヅチもその中の1人である。あるいは、このときに生まれた神の子孫がタケミカヅチである。
タケミカヅチは名前のとおり、雷神とされるが、剣の神としても祀られている。しかし、カグツチの血から誕生した神々はほとんど農業に関連する神なので、タケミカヅチも雨をもたらす雷神とされたと考えられる。また、カグツチの火の力は精錬技術にも結び付けられ、剣と紐づいていると考えられる。あるいは鍬や鎌などの農具とも結びついているのかもしれない。
葦原中国平定のために派遣され、オオクニヌシと対峙!?
『古事記』によれば、天津神のアマテラスは国津神たちが治める葦原中国を平定するため、高天原からアメノトリフネとともにタケミカヅチを派遣する。タケミカヅチは出雲の浜に降り立つと、十掬劒(とつかのつるぎ)を波に逆さに突き立て、剣の切っ先に胡坐をかいて、国津神のトップのオオクニヌシと国譲りの談判をした。オオクニヌシは息子たちに全てを託すことにした。1人目の息子のコトシロヌシはすんなりとタケミカヅチに服従した。もう1人の息子のタケミナカタはタケミカヅチに力比べを持ちかけたが、タケミカヅチに一捻りにされて降伏した。こうして、葦原中国は天津神たちのものとなった。このタケミカヅチとタケミナカタの戦いは相撲の起源とされる。
『日本書紀』では、葦原中国の平定に派遣されるのはタケミカヅチとフツヌシである。オオアナムチ(オオクニヌシのこと)を説得し、立派な神社を建設することを条件に国を譲り受ける。
神武東征では彼の剣が役に立つ!?
神武東征の際、神武天皇が熊野に差しかかると、クマが出現し、その毒気にやられて天皇一行は気絶してしまった。アマテラスがタケミカヅチに助けるように命ずると、タケミカヅチは、かつて葦原中国平定で用いた「剣」を使うように言い、タカクラジがその剣を神武天皇に奉じた。これによって天皇一行は軍を進めることができたという。
タケミカヅチは平安時代に隆盛を誇った「藤原氏」の祖先「中臣氏」の祖神とされる。なお、タケミカヅチは鹿島神社の主神で、フツヌシは香取神社の主神であり、上代の天皇たちは、この2人の軍神に祈祷して関東地方、東北地方を平定していったため、これらの地域にはこの2神の分社が多数、残されている。「鹿島」は剣士や武人にとって特別な名前で、しばしば柔道などの武道場の神棚に「鹿島」の文字が祀られている。
《参考文献》
Last update: 2020/08/22