タケミナカタ

分 類日本神話
名 称 建御名方神(タケミナカタノカミ)〔記〕【日本語】
容 姿たくましい男性神。
特 徴怪力。葦原中国の統治を巡ってタケミカヅチと力比べをして敗北した。
出 典『古事記』(8世紀頃)ほか

国津神代表として、タケミカヅチと力比べ!?

タケミナカタは『古事記』に登場する神。タケミカヅチの葦原中国平定(国譲り)の神話の中で、オオクニヌシの息子の1人として登場し、タケミカヅチと戦った。

天津神のアマテラスは国津神たちが治める葦原中国を平定するため、高天原からアメノトリフネとともにタケミカヅチを派遣する。タケミカヅチは出雲の浜に降り立つと、十掬劒(とつかのつるぎ)を波に逆さに突き立て、剣の切っ先に胡坐をかいて、国津神のトップであるオオクニヌシに国を譲るように談判をした。オオクニヌシは息子たちに全てを託すことにした。1人目の息子のコトシロヌシはすんなりとタケミカヅチに服従した。もう1人の息子であるタケミナカタは、1,000人で持ちあげるような巨大な岩を軽々と持ちあげられる怪力の持ち主で、タケミカヅチに力比べを申し出た。そして、タケミカヅチの手を掴んだ。タケミカヅチの手は氷になったり、剣になったりと変化し、タケミナカタがこれに恐れて下がった瞬間、タケミカヅチはタケミナカタの手を握りつぶして放り投げた。タケミナカタは大慌てで逃げ出したが、遂には諏訪まで追い詰められ、タケミナカタは諏訪から出ないこと、オオクニヌシやコトシロヌシに背かないこと、葦原中国を天津神に差し出すことを約束した。こうして、葦原中国は天津神たちのものとなった。このタケミカヅチとタケミナカタの戦いは相撲の起源とされる。

なお、『日本書紀』や『出雲風土記』などにはタケミナカタは登場しない。オオクニヌシの系譜の中にも記載されていない。タケミナカタは長野県諏訪大社の祭神なので、大和朝廷に従わずに抵抗した集団の神だった可能性がある。『古事記』の中に、タケミナカタがタケミカヅチに敗北する神話として取り込んだのかもしれない。諏訪地方では、タケミナカタがオオクニヌシにこの地方の平定を命じられ、征服していく伝承も残されている。

後代、神無月(12月)の語源を巡って、伊勢神宮以外に居を構える神々が出雲に集まって翌年の会議をするため、出雲以外に神がいなくなるという伝承が広まったが、タケミナカタだけは、諏訪から出ないことをタケミカヅチと約束しているため、諏訪に残っているなどと言われる。

《参考文献》

Last update: 2020/08/22

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