《日々の雑記》

2023年10月28日 12日間の沈黙。

ずぅっと一定のペースで「日々の雑記」の更新を維持していたんだけど、ここに来て10日以上(厳密には12日間)、更新が途絶えてしまった。恥ずかしながら、本業の仕事がとても忙しかった。毎日、21時とか22時に家に帰りついて、ご飯を食べてお風呂に入って寝る……みたいな生活だった。その上、毎年、新年の雑誌をつくって発刊しているけれど、それをそろそろ作り始めなければいけないタイミングが重なったりして、わずかな時間はそちらに振り分けて、土日はずぅっと雑誌の紙面をつくる時間に当ててていた。雑誌に載せるために、フィリピンの妖怪の絵を4体くらい描いてみた。それもそのうち、公開できると思う。着々と裏では準備ができている。

そんなわけで、本業の仕事も少しだけ落ち着いたので、また、緩やかに「日々の雑記」も再開としたい。……という近況報告。

  

2023年10月16日 アイルランド神話、始めました。

2009年からウェブサイト「ファンタジィ事典」を運営してきたボクであるが、実は最近になって、ケルト神話に一切、触れていないことに気がついた。大抵、世界の神話を挙げていけば、5本の指にケルト神話が入ってくる。日本神話は当然として、ギリシア・ローマ神話、北欧神話、ケルト神話、メソポタミア神話、エジプト神話、そしてインド神話なんかを解説するはずだ。それなのに、当ウェブサイトでは、どうしたことか、ケルト神話がすっかりと抜け落ちている。

正直、若かりし頃のボクにとって、ケルト神話って難解だったのだ。資料に乏しく、断片的で、だから、何となく敬遠していたのは事実だ。そもそも一言でケルト神話と言っても、「島のケルト」と「大陸のケルト」で全然、内容が違うし、「島のケルト」の中だって、アイルランドとウェールズで異なっているのだ。

それから、古アイルランド語の正しい発音が難しくて分からなかったというのも大きかったと思う。どういう呼称で固有名詞を立項していくか悩んでいたら手が止まってしまった。

そして、当時の気持ちのまんま、すっかり忘れてしまっていたのだ。そんなわけで、まずは緩やかにアイルランド神話をまとめていかねばと、重たい腰を上げた次第。とりあえずケルト神話のページを立ち上げて、項目をゆるゆると作成中。

  

2023年10月14日 日本人の緩やかな信仰スタイルと無神論

ボクはあんまり宗教の話は深追いせずに、しれっとヤハウェとかアッラーフとかアマテラスとか釈迦なんかを「ファンタジィ事典」に掲載している。ファンタジィと言い切ってしまうのは、あまりにも不遜と言えば不遜だし、信者の方々には失礼千万な話だ。でも、すべての神話・伝承・宗教を、えいや、と同列に横に並べないと、ボクのイメージする世界観にならないので、そういうものだと割り切って載せている。結構、原理主義的な人もいるので、怖いところではある。

ボクは海外で仕事をすることも多いので、宗教の話をすることもある。文化によっては、無神論者を受け入れないところもあると聞いているので、ボクは無難に「仏教徒です」と答えるようにしている。でも、本当のところのボクは無神論者だ。無神論者だなどと言うと、もしかしたら多くの日本人は「私もそうだよ!」と答えるかもしれない。でも、ボクは日本人は無神論者だとは思っていない。キリスト教のように日曜日に教会に通うようなものを信仰だと定義すると、日本人のいい加減な信仰というのは宗教ではないと感じるかもしれないが、たとえば、お盆になると実家に帰って墓参りしたり、定期的に故人を悼んで法要を執り行ったりするのは、立派な宗教だと思う。何となくお正月に初詣に行くのもある種の宗教だと思う。葬式に行った帰りに塩を撒くのも宗教だし、神社仏閣に入る前に敷居を踏むと気持ち悪さを覚えるのも、立派な宗教だ。

ボクの父方の祖父はどちらかと言えば無神論者だった。どうせ死んだらお終いだから、葬式はいらないと言って憚らなかったし、もしも葬儀を上げるなら、どうせなら踊り仏教にして、みんなで踊って楽しく送り出せばいいじゃないかと笑っているような人だった。ボクもそういう意識を持っている。祖母が死んでも、祖父が死んでも、ボクは喪中はがきを出したことはない。喪に服すというのも、多分、ひとつの宗教だ。ボクには、そういう意識はない。それでも、母からは「せめて私が死んだら喪に服して欲しい」と言われているので、母のために喪中はがきを出すのかもしれない。

そんなボクなので、本当の意味での無神論者である。そして、無神論者だからこそ、神道も仏教もキリスト教もイスラームも横並びにして論じられるのではないかと思っているんだけど、どうだろうか。さてはて。

  

2023年10月12日 ウェブ2.0と妖怪の話!?

今年度になって、異動があって、仕事の方は肉体労働が続いている。慣れないもので、筋肉痛で身体が悲鳴を上げている。ちょうど仕事と仕事の間に休めるタイミングができたので休んで、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の更新に勤しむ。

先般まで「フィリピンの妖怪」や「モンゴルの妖怪」に手を出していた癖に、今日は今日で「韓国の妖怪」を追加している。飽き性で移り気なボクである。韓国の妖怪に関しても、少しずつ韓国語のウェブサイトが増えてきた印象だ。韓国人が自国の妖怪を整理して、ウェブサイトに情報をアップしてくれている。どの程度、正確なのかは分からないが、日本人がまとめるウェブサイトよりは、その国の人がまとめてくれるウェブサイトの方が、現地の温度感もあって、信憑性がある。

日本は幸いなことに、近代化が進んでいく最中に、民俗学というジャンルの中で、民話の収集や妖怪の語彙収集みたいなものを民俗学者たちがやってくれた。イギリスでも、妖精の民話を収集する研究者たちがたくさんいた。お陰で、いろんな伝承がちゃんと記録に残されているし、書籍もたくさん出されている。近代化が進んでしまうと、お化けや妖怪の類いは迷信になってしまって、語る人がいなくなってしまう。そうなると、たくさんの貴重な情報が散逸する。

今はインターネットの時代である。いろんな情報がオンライン上で集約できるようになって、各地の伝承が整理統合されるようになってきたと言えるのかもしれない。ちょうど、フィリピンでアスワン・プロジェクトが始まり、韓国でトッケビ復興プロジェクトが起こったりして、いろんな情報がデジタル化されて、可視化されている。その流れの中で、愛国心とか民族復興みたいな意識も働いて、妖怪を掘り起こす人が現れているのかもしれない。

ボクの勝手なイメージだと、韓国はかなり近代化が進んでいる国だと思っている。韓流映画でも、早い段階で最先端の電子機器を駆使する若者たちが描かれていた。地方部はともかくとしても、都市部の近代化は早かったはずだ。だから、今になって大昔の韓国の妖怪を拾い出すのは難しいかもしれないなあ、と勝手に思っていた。でも、韓国の古い文献がデジタル化されてオンライン上にアップされ、多くの人がそれを読めるようになった。そこで掘り起こされる妖怪もいるだろう。韓国人は愛国心が強いので、中国や日本の文脈とは切り離した韓国オリジナルの妖怪を探そうとする気持ちも、もしかしたら一役買っているかもしれない。加えて、韓国は日本と同じくらいに都市伝説的なものに妖怪が出現する(アメリカのアーバン・レジェンドはぞっとするオチがメインで「妖怪」っぽい感じではない!)。そういう新しい妖怪がどんどん生み出され、収集されているのも、とてもよいと思う。

  

2023年10月10日 アイロンビーズでマリオの世界を再現中!!

巷ではアイロンビーズというのが流行っているらしい。ビーズと言っても、紐を通して連結するわけではなく、ビーズを型に平面的に並べて、アイロンで熱を加えることでくっつける。元々はデンマーク発祥で、マルタハニング社がつくったハマビーズが最初らしい。ボーネルンドが販売している。日本では、ナノブロックで有名なカワダが1995年にパーラービーズの発売を開始して定着したらしい。今ではダイソー、キャンドゥ、セリアなどの100均ショップでも、かなりのスペースを割いて販売している。

ボクはアイロンビーズなるものを寡聞にして知らなかったが、95年と言えば、ボクが中学生の頃だから、我々の世代がドンピシャということになる。もしかしたら、同世代の女の子たちはハマっていたのかもしれない。たまたま100均散策をしているちぃ子(妻)が見つけてきて、我が家でハマっている。

このアイロンビーズはドット絵との相性がめちゃくちゃよい。ドット絵もアイロンビーズも色を面的に並べていくので、たとえば、ドラクエのスライムのアイロンビズをつくろうと思えば、そのままドラクエのドット絵を図案として持ってくればいい。大きさ的には、ファミコンくらいの解像度のドット絵だと、ちょうど20×20くらいのデザインになって、サイズ的にはコースターくらいの大きさに仕上がる。スーパーファミコンのドット絵だと、解像度が上がり過ぎて、葉書サイズよりちょっとはみ出してくるので、若干、作っていて大きい印象だ。

アイロンビーズでマリオ

そんなわけで、スーパーマリオブラザーズ(初期)のマリオやクリボーなんかをアイロンビーズで再現して楽しんでいる(笑)。

  

2023年10月8日 フィリピン、そしてモンゴルも!!

昨晩、ウェブサイト「ファンタジィ事典」を11項目更新した。我ながら、忙しい最中、結構な更新量だと思う。

ひとつは「フィリピンの妖怪」。ホワイト・レディカペローサウンガウンガカマカマを更新した。イラストはまだこれからだ。でも、ウンガウンガなんか、イラストにしたらインパクトがありそうなので、早急に絵を起こしたいと思う。従前から言っているとおり、フィリピンの妖怪をイラスト化したら、次はインドネシアかミャンマーに着手したいと思っている。これらの国々は実際にボクも行ったことがあるし、土地の持つ雰囲気が分かっている。だから、イメージしやすい。

もうひとつは「モンゴルの妖怪」だ。マンガスモー・ショボーを更新してみた。何となく、あまり知られていないアジアの妖怪を潰していきたいなと思っていて、その中でも、日本、韓国、中国、モンゴルは「東アジア」に分類される。日本も含めて「東アジア」の体制を整える意味で、今回、モンゴルにも手を伸ばしてみた。モンゴルに関しては、ロシア語圏の資料が多いので、ロシア語のウェブサイトも参照している。

それから、最近、注釈をつけられるスタイルにしてみた。本文に補足的に説明できるようにすることで、本文を少しだけシンプルに読みやすくして、難解な部分や枝葉は注釈に持っていけるように、文章を組み立て直してみている。いろいろと試行錯誤中のボクである。

そんなわけで、緩やかにファンタジィ事典を更新中である。

  

2023年10月6日 小説『リング』を読んだ。

先日、「ファンタジィ事典」で貞子を更新するために、映画「リング」「らせん」「リング2」「リング0~バースデイ~」を一気に観た。でも、原作とは若干、設定が違う部分もあるという情報があったので、原作の小説『リング』も読んでみた。面白くて、一気に読んでしまった。映画を観ているので大まかな粗筋も展開も分かっている。それでも、面白かった。映画を観る前に読んでいたら、もっと驚いただろうし、面白かっただろうな、と思うけれど、でも、そんなことを度外視しても、文章が生き生きしていて、話の組み立てや情報開示の順番が練り込まれていて、引き込まれるままにあっという間に読み終わってしまった。映画だと結構、曖昧に書かれている部分も、小説では丁寧に描かれている。たとえば、貞子が何を望んだのかとか、何故、ウイルスと化したのかとか、その辺がとても明瞭だ。

一方で、小説を読んでみて、結構、映画ベースで構築していたボクの「ファンタジィ事典」の記述は、小説を読む立場からすると、かなりの部分、ネタバレになっているかな、という気もして、加筆修正が必要だなあと感じた。映画と小説では、物語の組み立て方がかなり違っていて、謎の開示のされ方とか、種明かしのタイミングが大きく異なる。その辺、これから小説を読む人に配慮した表現にしなきゃいけないかもしれない。

いずれにしても、とても面白かった。

  

2023年10月4日 フィリピン妖怪から始めてみよう。

相も変わらず、フィリピンの妖怪を調査している。もう少し整理したら、またファンタジィ事典にも反映させたいと思っている。そのときには、イラストを添えてフィリピンの妖怪を紹介できたらよいなと思う。日本で知名度の低い妖怪は、イラストを援用することで、少しでも知名度を高められたらよい。そんな密やかな構想である。

こんなことが可能になったのは、Aswang Projectのお陰だ。いろんなフィリピン妖怪を掲載してくれている。姿・形の詳細が載っていないものが多いので、イラストに起こすのは大変なんだけど、それでも、最近はフィリピンのイラストレータさんがフィリピン妖怪を描くようになっているので、現地でどういう風に捉えられているのかが、少しずつ把握できるようになってきている。勿論、イラストレータさんの独自の解釈とかアイディアが盛り込まれているはずなので、完全に信頼できるわけではない。でも、少なくとも、現地ではこういう風に解釈されているという一端を知ることはできる。

たとえば、アスワンの一種であるマナマンガルという妖怪は、下半身から切り離されて、上半身だけが空を飛ぶイメージが定着している。上半身からは腸がはみ出しているイラストが多い。一方で、ウンガウンガという妖怪は、マナナンガルに似ているけれど、上半身ではなく、首だけが身体から切り離されて空を飛ぶ。しかも、肺、胃、腸などが一緒になって首にくっついて飛び出してくる。そんなイラストを多くのフィリピンのイラストレータが描いている。インドネシアやタイ、ラオスにも、首だけが内臓をぶら下げて飛んでいる妖怪がたくさんいる。ウンガウンガは、そういう東南アジアの妖怪の方に近い姿だ。こういうのをイラストで描いて紹介すれば、フィリピン妖怪の知名度が上がるのではないか。それがうまく行けば、インドネシア妖怪やミャンマー妖怪でも同様の取り組みをしていきたいところだ。

  

2023年10月2日 音楽って、アルバム単位でシャッフルしたくない!?

ボクのiPhoneには、1,000枚以上の音楽アルバムが入っている。ピンク・レディのような70年代の歌謡曲もあれば、安室奈美恵や浜崎あゆみ、椎名林檎のような90年代の音楽もある。AKB48や乃木坂46、BiSH、ももクロみたいなアイドル戦国時代の楽曲もあれば、AdoやOfficial髭ダンディズム、新しい学校のリーダーズみたいな最新曲も押さえてある。ビートルズやツェッペリン、ドアーズから、ガガ、テイラー・スウィフト、エド・シーランも入っている。クラシック音楽もあれば、雅楽やガムランみたいな民族音楽もあれば、ジャズもある。ゲーム音楽やテレビドラマのサントラもある。

そんなわけで、ほとんどのiPhoneの容量を音楽が圧迫している状況で、撮った写真や動画はすぐに出してやらないといけない。そんな状況である。

で、毎日、通勤時は音楽を聴いている。でも、選ぶのが面倒臭いし、偏るので、ランダムに選びたいな、と思うわけだ。でも、iPhoneって、楽曲単位のシャッフル再生はできるのに、頑なにアルバム単位でのシャッフル再生はしてくれない。昔っからそうだ。わざわざ他の再生アプリをダウンロードして、それで何とかアルバム単位でシャッフル再生しなきゃいけない。

そんなわけで、久々にまた、アプリを探して、アルバム単位でのシャッフル再生を試みている。あっはっは。

  

2023年9月30日 令和の歌姫、まだまだ爆走中!?

Adoの『唱』がB’zの『ultra soul』に似ているなどと話題になっていたが、新曲の『DIGNITY』はB’zによる楽曲提供だ。作曲が松本氏、作詞が稲葉氏で、編曲が亀田誠治氏だというのだから、ものすごい布陣だ。そして、Adoにしては珍しく、技巧的な部分での誤魔化しの効かないガチンコのバラードだ。歌唱に対して、真正面から勝負している。

Adoお得意のガナりは鳴りを潜めていて、ファルセットやかすれ声を駆使しながら、それでも朗々と歌いあげる。Adoって、本当にいろんな抽斗があるんだなあと感服した。半音で上がっていく気持ちの悪いフレーズは、深海っぽい雰囲気を感じるし、サビ前の盛り上がりは、どぉっと押し寄せる波のうねりのようで、松本氏の作曲にも感服する。

あんまりハネてはいないんだけど、かつて、Adoは椎名林檎ともコラボしている。ちょっとタイミングが悪くて、林檎嬢が「赤十字おばさん」などと揶揄されているタイミングで、両者が大々的にPRできなかったのは痛いところだけれど、こうやって、令和の歌姫のAdoが林檎嬢やB’zなんかとコラボしていくのは、いろんな世代が交錯するので、みゅーじっくs面白いなあ、と思っている。

  

2023年9月28日 80年代はいい時代

最近、70~80年代の音楽を聴いている。たとえば、ピンク・レディや山口百恵、中森明菜、松田聖子などだ。こういう音楽を聴いても、音楽は革新的だったのだと今でも感じるし、ものすごい昭和の熱気を感じる。決して、今の音楽に引けを取らないし、もしかしたら、今のアーティストよりもうまいかもしれない。今の時代に聞いても、ちゃんと新しさと凄さがある。

ピンク・レディの『UFO』は、彼氏が宇宙人なのではないかと疑う女性の歌だ。そして、彼女は「地球の男に飽きてきた」などと言って、宇宙人かもしれない彼氏を受け入れる。でも、別段、彼が特別な能力を持っているわけでも、人間として外れているわけでもない。ただただ彼女の気持ちをものすごくよく理解してくれて、先回りしてくれるだけだ。結局は、彼女の思い過ごし。この奇妙な描き方は、とても面白い。山口百恵も、若い女性にかなり攻めた歌詞を歌わせることがきっかけで注目された。中森明菜も『少女A』のツッパリっぽい雰囲気が嫌で歌いたがらなかったものを事務所が歌わせている。

結局、分業でうまく行っていた時代ということかもしれない。昨今は、結構、セルフ・プロデュースとかシンガーソングライティングとか言って、個人のチカラみたいなものが評価される。でも、餅は餅屋で、卓越した能力を持つ人たちが分業するスタイルも、ある種、ものすごいパワーを持つのではないか。70~80年代の音楽を聴いていると、そんな気がしてくる。

最近は「個」の時代である。プロデューサの名前で売ってもいいし、アーティストや歌い手の名前で売ってもよい。でも、いろんな人たちが関わりながら、みんなで団結して売りに行くという形も、意外と面白いものだなあ。そんなことを感じながら、昔の音楽を聴いている。

  

2023年9月26日 最後に常に不安と絶望を残して幕を引くのがリングの魅力!?

映画『リング2』と『リング0』を観た。『リング2』は映画『リング』『らせん』と続いた物語のパラレルワールドのようだ。そして『リング0』は貞子の誕生譚。

『リング2』でもビデオの呪いは健在だ。ビデオの呪いから逃れるためには、誰かにビデオを見せなければならない。深田恭子演じる女子高生の香苗は呪いのビデオを取材するライターの岡崎にビデオを渡して、必ずビデオを見るようにお願いする。しかし、彼は結局、ビデオを見ない。その結果、1週間後に香苗は貞子の呪いで死んでしまう。こういう展開は、現実だったらありがちだなーと思う。「絶対に見てね!」と託されたのに、裏切られる。結果、彼女も新たな呪いの渦になって岡崎に襲い掛かる。つまり、こうやって、人間の負の感情で、貞子は増殖していく。こういう人間の浅ましさが『リング』シリーズの一貫したテーマなのかもしれない。

呪いのビデオを見た友人が死んだときに、その場に居合わせた女性は、貞子を目撃して気が狂ってしまった。病室のテレビを見た瞬間、彼女の念力みたいなもので、テレビに呪いのビデオと同じ映像が映し出される。院内はパニックになる。このシーンはとても怖かった。「見ちゃダメだ」と言われながらも好奇心でビデオを見てしまう「見るな」の怪から、強制的にビデオを見せる怪になってしまう。こうやって、いろんなところに貞子の呪いが波及していくのは、難解ながらも、とても面白かった。

最後、貞子が井戸をよじ登って追いかけてくるシーンは、思わず笑ってしまったが、それでも、『リング』シリーズは独特の雰囲気があって、Jホラーの代表格という感じだ。

『リング0』の方は、貞子を仲間由紀恵が演じていた。この貞子は純粋でとてもかわいい。この話では、いい貞子と悪い貞子がいて、いい貞子は人の怪我を治癒できる。しかし、悪い貞子が次々と人を殺していくために、特殊能力を持ついい貞子も迫害される。そして、結局、パニックになった人々によって、貞子は追い詰められてぼこぼこに殴り殺されてしまう。そのシーンが、とても凄惨で恐ろしい。仲間由紀恵は、寄ってたかって棒で殴られて殺されてしまう。

けれども、もっと恐ろしいのは、彼女は、人々に殴り殺されたにも関わらず、復活する。自らも治癒・再生してしまって、彼女は死なないのだ。いい貞子の、人を治癒して、再生し得る偉大な能力と、その可能性は、しかし、人々の恐怖と混乱によって迫害され、潰されて、押し潰していく。そこがとてもホラーだと感じた。結局、人間の恐怖が貞子という怪物を生み出すのだ。最後の最後に、貞子は井戸に突き落とされて殺される。それでも、自らの能力で再生してしまって、井戸の底で、彼女は死ねないまま、ずぅっと閉じ込められ、生き続けることになる。この映画は、鉈で殴られ、井戸に突き落とされた彼女が、無傷で井戸の水の中で起き上がり、そして絶叫するところで幕を閉じる。こういう後味の悪さもまた、『リング』シリーズの魅力なのかもしれない。

  

2023年9月24日 「それじゃ、お父さん、合わせてあげてください」

先日、ピアノの発表会があって、息子のツクル氏と連弾した。勝手なイメージで、連弾は手が4本あって2倍になるから、それぞれの演奏そのものは簡単になるのでは、と思っていた。でも、息子と合わせてみたら、全然、難しい。結局、2人でやっていても「合奏」なのだ。相手と呼吸やペースを合わせなきゃいけない。特に相手が子供だと、大人のボクがペースメイカーになる。楽しくなって、どんどん速くなっていく息子を制御しながら、ゆっくりゆっくりとペースを落としていく作業は至難の業だ。簡単なところは速く、難しいところはゆっくりになる息子に、必死で合わせる。逆に、息子は息子で、父の刻むテンポに合わせなきゃいけないので、完全に自由ではない。どちらにしても、息を合わせるって、とても難しいのである。

本番の直前に、ピアノの先生に呼ばれて、一度だけ、レッスンをした。ボクは原曲を知っているので、結構、譜面に忠実にやろうと思って、練習していたし、息子にもそう演奏させようとしていた。すると、先生が「ツクルくんは、ここはこのペースでやりたいの? もう少し速いペースでやってみる?」と尋ねる。息子は「このペースが弾きやすい」と回答。すると先生は「それじゃあ、お父さん。少し遅く感じるかもしれませんが、ツクルくんのペースでお願いします」と指示が飛ぶ。「最後、音はジャン、短く終わる? それともジャーン、と長く終わりたい?」「長く終わる方で!」「それじゃ、お父さん、それで合わせてあげてください」。

全然、原曲とは違う解釈だし、テンポだし、演奏方法だ。それでも、ピアノの先生は息子の意向を尊重し、ボクに合わせろと指示してくるのだ。なるほど、それもひとつの表現だし、自己肯定感につながるのかもしれない。

  

2023年9月22日 文字の発明とともに図書館は成立した!?

紀元前3500年頃のシュメル人の時代、すでに図書館は存在していたらしい。古い図書館として有名なものは、アッシリアの時代の「アッシュルバニパルの図書館」である。当時の首都ニネヴェに建設されたもので、時代としては紀元前7世紀。約30,000点以上の文書が発見されている。『ギルガメシュ叙事詩』、『エヌマ・エリシュ』もこの図書館のコレクションのひとつである。当時は粘土板が主流であり、エジプトのパピルスも保存されていたらしい。

もうひとつ、紀元前3世紀のプトレマイオス朝エジプトのアレクサンドリア図書館が有名で、これはギリシアやローマの文書が多数、保存されていた。9柱の女神ムーサたちに捧げられたらしい。カエサルによって意図せず、焼失してしまったり、衰退したりして、その後、コプト教徒によって破壊されてしまったらしい。残っていたら、いろいろな知識が現代に伝わっただろうな、と思う。

実は、ボクはトルコのエフェスにあったケルスス図書館の遺跡に行ったことがある。ファサード(建築物の正面部分)しか残っていなかったが、それでも、建物の大きさには圧巻されたし、当時の人々が図書館に通って知識を深めていたことが体感できた。現地ガイドの案内では、図書館には地下道があって、そのまま娼婦館に繋がっていたらしい。図書館に勉強に行くと思わせて、娼婦館に通っていた男性も多かったというエピソードを聞いた。全く、今も昔も、人間は低俗である。

今、ボクは2週間に1回、図書館に通っている。これはルーチンだ。息子の読書量を増やそうと思って、いろんな本を借りてきては、読ませている。息子はあっという間に読んでしまうので、ペースとしては、大体、2週間で7~9冊のペースだ。夢水清志郎やズッコケ三人組などの物語もそうだが、昆虫や日本史など、各方面の知識を満足させようと画策している。

図書館の配架というのは、日本図書コードに従っている。00から98まであるが、00は「総記」で、図書館や書籍、出版に関する本である。そんなわけで、最近は00~04を中心に本を借りている。そんなわけで、本日の「日々の雑記」は、ちょっと図書館に寄せて語ってみた次第である。

  

2023年9月20日 ジャニーズ事務所激震!?

ジャニーズ事務所に激震が走っている。次々と大手民間企業がCMの打ち切りを発表して、所属タレントが追い込まれている。「タレントに罪はない」「タレントが可哀そうだ」という声が上がる。難しい問題だな、と思う。あくまでも契約の主体がジャニーズ事務所である場合、民間企業としては、ジャニーズ事務所との契約を忌避する。結果、割を食うのはタレントである。でも、タレントが生み出す利益がジャニーズ事務所に流れるのは事実なので、民間企業としては、その流れは避けたいところだろう。

そもそも、ボクは「ジャニーズ」という名前にこだわったのが最大の敗因だと思う。大手民間企業はジャニーズ事務所の今後の動向を注視していたはずだ。ジュリー氏が株を持っているとか、親族経営が続いているとか、結局、東山氏を社長に据えても傀儡ではないかとか、あるいは東山氏そのものも加害者の側にいたではないかとか、そういうことは、実は「ジャニーズ」の名称に比べれば、小さなことだと思う。何しろ、ジュリー氏は姪っ子であって、直接の加害者ではないし、性加害を加えたわけではない。経営者として「知らぬ存ぜぬ」で済むわけではないので、その経営責任は問われるが、性加害の罪を背負っているわけではない。何となく、ジャニー喜多川の一族に利益が転がり込むことに違和感を覚える人はいるのかもしれないが、それだって、本質的にはジュリー氏に全面的な非があるわけではないのだ。

「解体的出直し」を打ち出すのに、どうしても「ジャニーズ」の名前を残そうとしたところが、最大の過ちだったのだと思う。そんな企業と契約できないよ、という大手民間企業の批判に晒されている。これで「やっぱり名前は変えます!」と君子豹変してみても、朝令暮改の誹りを受けるだけで、きっともう信頼は取り戻せないだろうなあ。

中田敦彦氏が動画の中で提案していたけれど、タレント事務所と、補償事務所に二分して、後者はこれまでの内部留保で対応するというのが一番、キレイな落としどころな気がするが、さてはて。

  

2023年9月18日 2体の「非人間」のミイラ!?

9月12日にメキシコ議会の公聴会に2体の「非人類の遺体」がハイメ・マウサン(Jaime Maussan)氏によって持ち込まれて、話題になっている。宇宙人のミイラだと報じられているが、マウサン氏本人は「非人間」とは主張しているが、「地球外生命体(イーバ)」との明言は避けている。意外と小さい2体のミイラだ。胡散臭いと言えば胡散臭い。作り物っぽい。でも、こうやって、ネッシーの大捜索があったり、グレイの写真がXで公開されたり、「非人間」のミイラが議会に持ち込まれたり、平和な時代だし、楽しいなあ、と思う。

持ち込まれた2体のミイラを科学的に真っ当に分析したら、フェイクだった場合、すぐに真実が判明してしまうはずだ。こうやって持ち込んでいるので、マウサン氏には、何か秘策があるのかなあ。うーん。

  

2023年9月16日 テレビから幽霊が這い出して来るという新概念!?

9月4日にテレビから這い出る貞子って、今じゃ「妖怪」か!?という記事を書いた。ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』やメアリー・シェリーの小説『フランケンシュタインの怪物』をボクはよく例に出すが、ドラキュラにしてもフランケンシュタインの怪物にしても、著作者の手を離れて、独立したモンスターとして、ハロウィーンで暴れ回っている。おそらく、エンタメを楽しんでいる人たちの中では、ブラム・ストーカーやメアリー・シェリーとの関係性は切れている。そういう意味じゃ、ジョゼフ・ペイン・ブレナンの『沼の怪』で登場したスライムも同様で、今やいろんなゲームに雑魚キャラで登場して、ブレナンがオリジナルだとは知られていない。そういう意味で、「山村貞子」というJホラーの怪物も、もはやそういう類いの仲間じゃないか。

そんなわけで、DVDを購入して、映画『リング』と『らせん』を観てみた。実は、ボクはホラー映画が苦手なので、敬遠していた。でも、貞子がファンタジィ事典の対象になるかもしれないなら、これは観るしかない。

結論から言うと、『リング』はそんなに怖くはなかった。むしろ、テレビから貞子が這い出してきたシーンには、ギャグっぽささえあった。お陰で、最後まで観ることができた。もしかしたら、それはいろんな人にこすられ続けてきたからかもしれない。何も知らずに初めて貞子を観ていたら、戦慄するのかもしれない。でも、インパクトはあった。テレビの映像に呪いを込める。映像を視た人は1週間後に死ぬ。テレビから幽霊が這い出して来る。これは……すごい発想だな、と思った。最後、松嶋菜々子が演じる浅川玲子が、息子の呪いを解くために父親を犠牲にしようとして終わるところが、最もホラーである。続編の『らせん』はホラーというよりはファンタジーという感じ。何とも不思議な感覚で終わって、それはそれで面白かった。

テレビから這い出す貞子というのは、原作にはない監督の中田秀夫のオリジナルの設定なのだという。そして、この中田氏の改変された「貞子」は、その後、『リング2』、『貞子』、『貞子2』、『貞子3』……と独自に展開していくらしい。そうであれば、ファンタジィ事典のためには、そちらもフォローしなければならない。……でも、『リング0』は怖いというレビューも見るので、ちょっとドキドキするなあ。……全部、見終わったら、ファンタジィ事典に「貞子」の項目を書いてもよいかもしれない。ドキドキ。

  

2023年9月14日 子供たちだけの閉鎖的な社会

ジャニーズが記者会見をして、性加害を認めた。被害者は、これで少しは前に進めるのだろうか。でも、その後の流れの雲行きが少し怪しくて、ボクは少し心配をしている。

それは、東山氏も性加害の側にいたのではないかとか、TOBEをつくったタッキーも、実質、今の被害者たちがジャニーズJr.時代にトップにいたのだから、責任があるのではないかとか、いろいろと飛び火したような語られ方がポツポツと現れたことだ。会社ぐるみで犯罪をすると、こういうことになってしまう。知っていたのか知らなかったのか。加担していたのかしていなかったのか。責任があるのかないのか。

ボクは海外で仕事をすることが多かった。日本人は、少人数のチームで、同じホテルに泊まって、車両を共有しているので、ほとんど朝から晩まで、一緒に活動をする。1か月も2か月もそうやって閉鎖的な社会で暮らしていると、当然、チームの中で不和が生じることも多い。仕事の方向性とか、モチベーションの差とか、能力的な問題とか、生活態度の問題とか、いろんな理由で、ある瞬間に、誰かが輪の中から弾き出される。そういう現象は、いろんなプロジェクトに関わる中で、何度も見てきた。そうなると、その人物はチームから離脱する。そういうことは、実は往々にしてある。

ボク自身は、自分の身を守らなきゃいけないし、親しい仲間を守らなきゃいけない。そういうことに必死だった瞬間もある。誰かが攻撃に晒されたときに、一緒になって加担しないように、距離を置かなきゃいけないこともあった。今まで、見て見ぬ振りをしたつもりはない。加担したつもりもない。でも、プロジェクトの成否を考えて、結果として、誰かを切り捨てる結果になったこともたくさんある。

ジャニーズという会社も、閉鎖的だから、非常に複雑で、どろどろしたものがあっただろうな、とボクは勝手に想像する。誰かひとりが絶対的権力を持てば、媚びる人もいれば、従う人もいる。権力に取り入る人もいる。結果、加担する側に回ってしまう場合だってあるだろう。大人だってうまく立ち回るのは至難の業。難しい環境だ。それでも、子供たちはたくましく生きただろう。善悪はともかく、うまく切り抜けた昇って行った。そういうのも、ある側面では、被害者なのではないか。本当は、大人たちが守ってあげなきゃいけなかった。

望月さんが会見で言及していた書籍を、ボクは読んだことがある。その上で、YouTubeで会見動画を聴きながら、そんなことを感じてしまった。

  

2023年9月12日 わざと分断をつくって話題にしようという悪意。

6月16日にそもそもアリエルはデンマーク人が演じるべきでは!?という記事で、そして6月20日には強いピーチ姫って本当に必要!?という記事で、最近のアメリカのポリコレ批判をした。そうしたら、また、白雪姫で議論が活発化している。

ボクは今まで、フィリピンやパキスタン、インドネシアなどのアジアの国々の人々と一緒に働いてきた。ナイジェリアやマラウイ、スーダンなどのアフリカの人々とも一緒に働いた。その観点から言えば、いろんな人種、いろんな民族の人々と接してきた。人種や民族で、優劣はないし、みんな、人間であって、いい人もいれば、悪い人もいる。賢い人もいれば、愚かな人もいる。それぞれの「個」である。だから、別に差別するつもりも、区別するつもりもない。

白人以外が主人公で大活躍する作品があっていい。それをどんどん作るというのも、ボクはいいと思うし、それをディズニーが推し進めたいと思うなら、それも大賛成だ。でも、それを「人魚姫」や「白雪姫」みたいな白人の文化の上でやらなくてもいいと思う。既存の作品の上にそういうポリコレの思想を載せるのではなくて、それにふさわしい適切な作品を作るべきである。その方が、新しい可能性が見える。

変にポリコレを取り入れて、批判が殺到したら、それこそ変にヘイトが向かって、本来、達成すべき「白人以外が主人公で大活躍する作品」からは遠ざかる。折角、ヒロインに抜擢された女優が批判に晒されるのって、とてもかわいそうだし、そういう覚悟を持って作品に臨むのって、とてもストレスだ。ポリコレという大義名分を掲げて、敢えて、分断を引き起こしている気がする。

ディズニーは、もっと、素直に、純粋に、いろんな民族や人種の人が活躍できる適切な映画をつくればよいと思う。切に。……というか、ディズニーは、もはや過去の焼き直ししかつくれなくて、新しいオリジナル作品をつくることはできないということなのかもしれない。まあ、ライオンキングもリトル・マーメイドも、日本の作品をパクtt(ry

  

2023年9月10日 不思議な使命感

抱え込んでいた仕事の量が多くて、ここのところ、メチャクチャ忙しかった。朝から晩まで働いて、10時に帰宅して家では眠るだけという生活が1週間くらい続いていて、身体を壊すのではないかと自分で自分のことが心配になった。

こういうのは、本当はよくない。でも、いろいろなイベントというか、締め切りが重なってしまって、結果として、こうなった。もう少し若いときには、えいや、でいい加減にやることもあった。でも、年を重ねて、いろいろなものが見えるようになると、逆に求められている水準とか、期待されていることも分かってしまうので、最低限、そのハードルは越えてやろうとか、勝手に自分で設定値を高めてしまうので、思ったよりも無理をしたな、と感じている。その代わりに、趣味のウェブサイト運営を蔑ろにして、隔日更新の「日々の雑記」はしばらく休載となっていた。あっはっは。

当面の必要なイベントを一定水準の品質でやっつけたので、ここからは少しだけ、落ち着いて、ウェブサイト運営にも時間を割けるかな、と期待しているので乞うご期待。

とは言え、「日々の雑記」はSNSではないので、フォローされる読み手がいるわけではない。自己研鑽のつもりで、気軽に書いている。気軽に書いているのに、神話・伝承の話題を少しだけ多めにしようかな、と自分を律してやっている。そういう不思議な使命感からやっている活動である。さてはて。