《日々の雑記》
2020年5月13日 勉強の仕方と情報の取捨選択の大切さ
息子のツクル氏は今年1年生。だけど、のっけから緊急事態宣言が出されて通学していない。あっという間に4月が終わって、5月になってしまった。多分、5月末までは学校は再開されないのだろう。正直、難しいな、と思う。小学校で最初に学ぶべきことは「勉強の仕方」だ。Amazonで見ていると、ドリルが飛ぶように売れていて、もう入荷時期も未定の状態だ。でも、ひらがなが書ければいいとか、足し算ができればいいという問題ではない。「勉強の仕方」を正しく教えてあげないと、勉強ができるようにはならない。
我が家がボクも妻のちぃ子も在宅勤務で対応しているけれど、でも、勤務時間は文字どおり、「勤務の時間」なのであって、子供と向き合うことはできない。「勉強の仕方」を教えてあげることはできない。だからと言って、ドリルを渡して、彼に独学で勉強させることはできない。ひらがなの練習や、足し算なんかは、彼はできる。でも、変なクセがついたら後で困る。勉強というのは、正しい向き合い方があって、それがお勉強のできるできないの分かれ目だ。ちゃんと、勉強と向き合わせたい。
仕方がないので、ボクは本を大量に買う道を選択した。読書の取っ掛かりとして、「かいけつゾロリ」シリーズを渡して、長い本を集中して読む訓練をさせ、それから、同じくらいの長さの本をひとりで読めるようにする。その後、少年少女文学集みたいなものと、図鑑や百科事典のような類いを渡す。読書の仕方はこれまでに何度も教えてきた。新しい知識の習得、知的好奇心、そして、感受性というものを育める。これなら、ボクやちぃ子が働いている時間に、彼だけでもやれるだろう、と期待してのことだ。
最近は「恐竜」に興味があるみたいだったので、学研LIVE、講談社MOVE、小学館NEOの3冊を準備した。「動物」や「植物」、「魚」だってそうだ。いろんな学説があって、正解はひとつでない。同じ恐竜でも、本によって書いてあることが違う。比較・検討する姿勢を学ばせようという意図だ。本によって書いてあることが違うので、最初は混乱していたが、彼なりに取捨選択して情報を精査することができるようになってきた。
2020年5月12日 #検察庁法改正案に抗議します
検察庁法改正が話題になっている。それ以上にこれに関する芸能人のツイートが話題になっている。そして、その延長線上で「芸能人は無知だ」という差別に対して芸能人が怒っている。
ボクは必ずしも「芸能人が無知だ」とは思わない。ただ、今回、どうして切り口が「検察庁法改正」だったのだろうか、という点だけはちょっと疑問だ。いろいろと賛成・反対の意見を表明する機会は過去にモあった。もっともっと、自分の生活に密着した分かりやすい論点もあった。それなのに、この難解な法案に噛み付くのは、一体、何故なんだろう。多分、その違和感が根底にあって「芸能人のクセに」的な雰囲気になっている。
ボクは、正直、ここまで話題になるまで「検察庁法改正」がよく分からなかった。もしかしたら、今でも分かっていない。そもそも、内閣と検察が仲良しこよしで「あいつ、気に入らない! とっ捕まえろ!」という世界を想定すればいいのか、はたまた、検察の権力が強過ぎて内閣ですらコントロールできない世界を想定すればいいのか。この匙加減が分からないから、どちらの議論に与すればいいのかが分からない。多分、一般人の普通の感覚って、そんなもんだ。それなのに「検察庁法改正案に抗議!」というハッシュタグで、政府と対峙する芸能人に対して、ボクたちはどのように取り扱っていいのか分からないのだ。
ボクは、実は「ステイホーム」の運動に与していない。勿論、緊急事態宣言下だから、不要不急の外出はせず、家には留まっている。でも声高に「ステイホーム!」と声をあげていない。だって「ステイホーム」によって困る業界がいることも理解しているからだ。外に出張ってきてくれないと商売がなり立たない業種の人たちはたくさんいる。「ステイホーム」の掛け声は、そういう業種の人々を無視し、蔑ろにする。たとえば、Yoshikiが椎名林檎をバッシングしたときも、一部ではYoshikiが称賛されていたが、ボクはYoshikiの発言には批判的だった。独善的で、ホリエモンの言うとおり「弱いものいじめ」に見えた。あのときは緊急事態宣言も出されていなくて、あくまでもお願いベースの自粛だった。各人に判断が委ねられていた。椎名林檎の事務所が小さいかどうかは知らないが、もっとずぅっと小さな弱小事務所は苦しかったはずだ。力のある人間がああやって発言して、弱小事務所を追い詰めたはずだ。強い人間が、弱い人間を無視して理想を唱えても、それが飲める人と飲めない人がいる。
物事はそんなに単純じゃない。それが分かっている人は、おいそれと自分の立場を明確にはしない。怖くてそんなに簡単には自分の立ち位置を表明できない。そりゃあ、政治家とか物書きは、自分の立場や考えを明確にすることがお仕事だから、どちらかに立つ覚悟を決めて立つ。責任も背負う。だからこそ政治家なのであり、物書きなのだ。芸能人は、必ずしもそういう職業ではない。もちろん、反骨精神溢れて、政権に石を投げつける素敵な芸能人がいてもいい。でも、仮にそうであるなら、立ち位置を明確にする覚悟が必要だし、発言の先にあるリスクも把握するべきだ。
ボクも、たまにこういう難しい記事を書く。書くときには、批判されることも覚悟する。それに、本当に自分の意見が正しいのか、常に迷っている。覚悟なき発言は無責任だし、やっぱり頭が悪いと思われても致し方ない。ボクは、検察庁法改正については、ちょっと立ち位置を表明できる状況にない。勉強が足りない。よく分からない。だから、これから勉強しようと思う。でも、現時点では、よく分からない。
2020年5月11日 予言獣、今昔!?
「アマビエ」の絵とか「ヨゲンノトリ」の絵を楽しく描きながら、一方で、ウェブサイト「ファンタジィ事典」にはその類いの記事を載せていない……片手落ちのボク(笑)。まあ、「ヨゲンノトリ」なんて、山梨県立博物館に掲載されていることが全てなので、取り立てて項目立てすることではないんだけど、「アマビエ」については、いろいろと複雑な歴史があったりするので、載せてもいいのかもしれない。
元々、予言獣というのはいろいろある。もっとも古いのは「神社姫」とか「姫魚」みたいな人魚タイプで、龍宮からやってきて、疫病を予言して「自分の写し絵を崇めれば助かる」的な妖怪として大流行した。最も古い記録は19世紀初めの加藤曳尾庵の『我衣』という随筆で、1819年に肥前国(長崎・佐賀)で目撃されたらしい。1850年頃に、越後(新潟)でも似たような人魚が出現して疫病を予言したという。日本の人魚は、ヨーロッパの上半身が美女という素敵な姿とは違って、全身が魚で人間の頭だけが前についている。そして角がはえている場合が多い。いずれにしても、こういう人魚タイプの予言獣が、コロリ(コレラ)の流行とともに、江戸に広まった。
「クダン」という予言獣もいる。「クダン」あるいは「クダベ」は全身がウシで、人間の頭がついている。この予言獣は、ウシから生まれて、突然、人間の言葉を喋り、災難を予言する。最古の記録は1827年だ。「クダン」の場合は疫病だけでなく、戦争や飢饉、災害なども予言する。そして写し絵が魔除けとして有効だ、というわけである。すでに江戸時代の人によって「こんなのは神社姫のパクりだ!」と看過されている。一方で、水木しげるが中国の妖怪「白澤」との関連を指摘している。「白澤」もウシのような偶蹄目の四足獣の身体に人間の頭がついていて、人語を話す(中国では必ずしも人の頭ということではないけれど、日本では人の頭がほとんど!)。予言獣というわけではないが、あらゆることに精通している。黄帝は海辺で白澤と遭遇し、あらゆる「妖怪」の類いについてに、その対策を伝授してもらった。黄帝がそれを部下に記録させたとする書物が「白澤図」で、まさに妖怪対策マニュアルの様相を呈している。そこから、厄除けとして「白澤」の絵を用いることが流行した。ある意味では、「クダン」は人魚パターンの予言獣と「白澤」を組み合わせたような妖怪と言える。
「アマビコ」(アマビ『エ』ではなくてアマビ『コ』!!)という妖怪も知られる。これは3本足のサルの妖怪で、豊作と疫病を予言して、写し絵を広めることで長寿が得られるという。最古の記録は1843年で、以降、日本各地に広まる。江戸時代末期、そして明治など、コレラが流行するたびに、3本足のサルの絵が疫除けとして流行した。
そして、ここで「アマビエ(アマビヱ)」に至る。「アマビエ」の登場は1846年。肥後国(熊本)に出現したという。実は、「アマビエ」の出現はこの1回っきりだ。でも、その絶妙にヘタウマな写し絵と、水木しげるが独特の色合いで描いたこと、ゲゲゲの鬼太郎シリーズに登場したことなども相俟って、非常に有名になった。そして、すでに察しのいい方は分かったと思うが、「アマビコ」と「アマビエ」は名前が非常に似ている。「コ」と「ヱ」を間違えたのかもしれないし、あるいは作者が意図的に読み替えたのかもしれない。その辺はよく分からないが、名前と3本足という側面は「アマビコ」の要素を残し、一方で、人魚パターンも採用している形になる。
なお、「ヨゲンノトリ」は1858年に記録されている。文章の表現などを見れば、明らかに人魚パターンと3本足のサルパターンなどの予言獣の流れを汲んでいるはずだが、何故、首が2つで白黒のカラスの絵に至ったのかはよく分からない。
いずれにせよ、疫病や災害などで不安な世相に合わせてこういう「写し絵」を販売する商法なのかな、と思う。今回も、Tシャツやストラップに描かれて販路に乗っていく流れが出来上がっているわけで、そういう形で広まっていく意思を持った妖怪と言える。
2020年5月10日 疫病退散ッ!!!
「世界の妖怪」研究家として、やっぱりブームには乗っかっておいた方がいいよね。……ということで、前に描いていた「アマビエ」に彩色して、ツイッターに載せてみた。ちなみに、みんな、アマビエに手を描いているんだけど、元の絵には手はないんだよね。人魚だもんね。その辺、リアルにやってみたんだけど、どうだろう。色は……どうしても水木しげるの色に影響されるよね。ただの青にしようかとも思ったし、それもやってみたんだけど、でも、最近のアマビエ祭りで、このパステルっぽいカラフルな色で塗っている人が案外、多いので、もはや、そちらが「正」なのかなあ、と思って、敢えて、その色合いに寄せてみた。さてはて。
併せて、最近、巷で流行り(?)の「ヨゲンノトリ」も描いて、これもツイートしてみた。資料には明確に「カラス」と書いてあるのにインコやワシみたいなのが多いので、ボクは原点に忠実に「カラス」で描いてみた。思いの外、立体感がある絵になったなあ(笑)。
2020年5月9日 「型」
ボクは自由奔放に生きている人だと思われている。確かに、B型を免罪符にやりたい放題の部分はある。「妖怪が好き!」と公言しているし、年始には「近況報告の本」などと言って、年賀状の代わりに雑誌を送りつけているし、日常的に絵を描いたり、曲をつくったり、小説を書いたり……。今回だって、仕事用に動画をつくってみたり。一見、自由奔放に生きているように見える。でも、こう見えて、実はボクは「型」を大事にしている。何をやるにも、まずは先人たちの知恵や経験、ノウハウを調べる。
今回も、職場で在宅勤務が始まると聞いて、真っ先にリモートワークに関する本をいくつか買って、それを読んでいる。当たり前のことだけれど、仕事はチームワークだ。それをリモートでどうやって担保するか。たとえば、何でもない「雑談」の中から解決策が閃くときがある。あるいはチームとしての一体感や連帯感、信頼関係をどうやって確保するか。そういう小さいことも、すでにリモートで働いている経験者がいて、本にしてくれているのだから、まずはそういう情報を集めてみる。それがボクの生き方だ。
我流というのは、格好いいようでいて、うんと才能を必要とするし、自分なりの道を見つけるには時間が掛かる。絵を描くことも、ギターを弾くことも、ピアノを弾くことも、文章を書くことも、PowerPointをつくることも、人前で発表することも、在宅勤務をすることも、そして、歩くことや息を吸うことにだって、全部、ちゃんとノウハウやテクニックがある。そういうのを、丁寧に「型」を知って取り組む方が、全てにおいて確実だし、早道である。……ホントだよ?
2020年5月8日 動画作成なう
新型コロナウイルスによって働き方は変わる。たくさんの人を会議室に集めた説明会みたいなものは当面できない。だから、説明用の動画を作成することにした。
久々にAdobeのPremiereを立ち上げて、動画を作成している。大昔、結婚式のプロフィールヴィデオを作ったり、結婚式のダイジェストVTRを作ったときの感覚を、緩やかに思い出す。あー、そうか。こうやって動画って作るんだったなあ。
結局、ボクはどこまでもクリエイターなのだなー、と痛感する。こうやってクリエイティヴなことをしているとき、作業に没頭して、食べることとも寝ることも忘れてしまいそうだ。ちぃ子に「いい加減に寝るよ」と叱られて時間を知る。
2020年5月7日 ヨゲンノトリ!?
アマビエに続いて、ヨゲンノトリなるものが登場。面白いな、日本人。ヨゲンノトリは、知らなかった。でも、こうやってブームになって消えていくというのが日本人の日本人たる所以なので、いいんじゃないかな、と思う。ツマラナイ記事よりも、こういうバカみたいなことの方が楽しい。
どちらかというと、二番煎じな感じがするし、ブームとして仕掛けようとする空気は感じるし、「我らの姿を朝夕に仰げば難を逃れられる」よりも「その姿を絵に描いて流布すると疫病がやむ」の方がオンライン社会との親和性が高そうだし、キャラデザの特異性から言ったってアマビエの方が明らかに「出来」がいい。
でも、それでも、こういうお遊びに興じれるところが、とても楽しいので、よいと思う。みんな、どんどんやれ!!
2020年5月6日 個人情報過多では?
新型コロナウイルスが猛威を振るって、人々は殺気立っているらしい。感染を確認したにも関わらず、山梨県から高速バスに乗って帰ってきた女性を特定班が特定して名前も職場も顔も晒している。
このご時世だから、彼女を擁護することは難しい。味覚と嗅覚がおかしくなった時点で、バーベキューに行くのを取り止めることが最初の決断だっただろうし、ちょっとズルいのかもしれないけれど、東京に帰ってくるまでは何が何でもPCR検査を受けないという選択肢もあった。検査結果が出て、東京に戻るのを止めるのも決断だったし、虚偽の申請をしないで正しい申告をすべきだった。いずれにしても、いろいろな段階で選択を誤っている。
ただ、ボクが一番、感じるのは、個人情報保護を重んじる自治体が、新型コロナウイルスの議論のときだけ、どうして個人情報への配慮を怠るのか、という点だ。マスコミの報じ方もそう。たとえば、年齢。年配者が掛かると重篤化するとか、いやいや若い人も重篤化するなど、議論のためには、情報として「年齢」は重要だ。感染者の移動経路や行動も、濃厚接触者特定のためには必要だし、注意喚起が必要だ。それは分かる。ただ、「山梨から東京に高速バスで帰った20歳代の女性」というのは、非常に個人情報過多だ。本来、年齢、性別、移動経路などは切り分けて発表することもできる。1件案件ごとに詳細を報告するのはなく、年齢や性別、持病の有無などは統計的に処理をすればよい。累積で積み上げていって、誰が誰だか分からなくする工夫はできる。そして、注意喚起のために移動経路や行動を報告すればいい。たとえば、今回の件で言えば「山梨から統計に高速バスで移動した感染者が1名」という事実のみを発表し、年齢、性別などは伏せておいて、統計資料の中で女性を1名、20代を1名、追加すればいい。
こうやって、個人情報の塊を次から次へと発表して、感染者を負い込んでいくから、虚偽申請をしたり、感染が疑われるのに黙って我慢してしまったりする。うっかりPCR検査だって受けられない。ここに、問題がある、とボクは感じている。配慮が足りない。
2020年5月5日 非常に健全な「子供の日」ライフ
家には「兜」を飾って、外には「鯉のぼり」を掲げて、3時になったら「柏餅」を食べる。非常に健全な「子供の日」ライフである。
ボクが「ファンタジィ事典」を編纂している横で、息子のツクル氏は「さんのまち」という彼の空想の世界に棲んでいる動物たちの絵を一所懸命、描いている。いわく、「アンコス」とか「フンソウ」とか「ノモドドン」とか「マルモッタウルス」とか「ヒラン」とか……。そのひとつひとつに、特徴や個性があるらしく「これは植物食で、普段は土の中に棲んでいて、夜になると出てきて……」と説明してくる。うーん。親が親なら子も子だ(笑)。そして、親とは違ってペン入れした後に、ちゃんと色鉛筆で彩色している。せっかくだから、スキャンして電子化してあげようと思って、コンビビに行く。画用紙サイズなので、家のスキャナでは対処できないのだ。1枚30円でUSBに格納する。ふふふ。
2020年5月4日 ハムスターのように!!
新型コロナウイルスが猛威を振るっていても、ボクたちは生きていかなきゃいけない。外出自粛でも、生きていかなきゃいけない。
……というわけで、買ってしまった。ジャジャーンッ!!! 念願の。でも、このご時世、みんな、考えることは同じなのかな。品切れが続出で、ほとんど選べなかった。さあ、これで、走るぞー、ハムスターのように。家という檻の中で!!
2020年5月3日 宇宙人だって、ボク的には『世界の妖怪』である!!
先日、アメリカ国防総省がUFOの映像を公開した旨の記事を書いた。これにはちょっとした意図がある。ウェブサイト「ファンタジィ事典」は『世界の妖怪』を扱う事典として編纂されているが、「架空の存在でありながら、その存在が実在と信じられたもの」をその対象としていて、『世界の妖怪』を「神話・伝承に登場する神さまや怪物、未確認生物、都市伝説の妖怪、宇宙人など」と定義している。だから、「宇宙人」というのは、ボクの興味の対象だし、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の範疇でもある。
ところが、今までのところ、実はグレイしか項目としては宇宙人を掲載していなかった。ずぅっと、これは看板に偽りありだな、と感じていた。だから、敢えてアメリカ国防総省の記事を書きつつ、昨日までに宇宙人に関する項目をばばばーっと更新してみた。タコ型の宇宙人である火星人、金髪美男子の金星人、虫の目玉を持つベム(BEM)、アンテナを持ったリトル・グリーン・マンだ。そして、改めて、今回、グレイも見直してみた。
そんなわけで、落書き(笑)。何を描いているのだ、と言われそうだけれど。そのうち、ちゃんと彩色してファンタジィ事典に反映させようと思うよ。
ちなみに、エイリアンって、英語ではAlienだけど、ローマ字読みすると……ありえん!! この世には存在しないってことかしら?
2020年5月2日 スピノサウルスは何処へ行く!?
4月29日のネイチャー誌電子版に、スピノサウルスに関する新しい発見が報告された。これまで、スピノサウルスは完全な骨が発見されていなかったが、今回、モロッコで尾の骨まで発掘され、尾の形が復元された。オールのような形をしていて、この骨格の構造から、スピノサウルスは尾をくねらせて泳いでいたことが判明した。
スピノサウルス水生説が決定的になりました。
この尾びれを見よ!!https://t.co/7YsuBl5eNY pic.twitter.com/5E2oy9oWGP— 中島保寿(東京都市大学・古生物学研究室) (@japanfossil) April 29, 2020
スピノサウルスの復元更新ペースが
ほんと速いですね。
尾がイモリのように長い尾ビレになっているということで
ほぼ水生ですよね。 pic.twitter.com/a3fhBkBJIe— 川崎悟司 (@satoshikawasaki) April 29, 2020
スピノサウルス今昔
あなたのスピノサウルスはどこから?#spinosaurus #paleoart pic.twitter.com/DMDhRl6Izf— ツク之助◆絵本とかげくんのしっぽ発売中 (@tukunosuke) April 29, 2020
ボクはしばしば、恐竜と妖怪を比較する。恐竜は実在で、妖怪は非実在だ。実在するものには真実の姿がある。ただ、データが不足しているから、よく分からない。考古学的な資料が残っていれば、必ず真実に辿り着く。でも、非実在の妖怪みたいなものは、人の想像力が生み出した産物なので、人によって、時代によって、姿も形も異なる。真実の姿なんてものはない。ツク之助さんが描いているように、スピノサウルスの姿は時代によってかなり変遷している。最初は、ゴジラみたいな二足歩行の恐竜だった。それが、骨盤が鳥に似て前傾姿勢であることが判明して姿が変化し、魚を食べていたことから半水棲であることが疑われて姿が変化し、今回、尾が復元されて、完全に水中を泳ぐ姿に変化した。勿論、これで終わりではなく、新たな発見によって、さらに姿が変わることもある。でも、こういう変化は、真の姿があって、それに近づいていく。妖怪の場合はそうではない。人によって、時代によって、場所によって、さまざまに変化していっても、それは全てが真実なのである。妖怪は、そういう特徴を持っている。そういうのを追いかけながら、人間の想像力を追体験するのが、妖怪の魅力なのである。だから、真の姿なんてものを妖怪に求めてはいけない。
2020年5月1日 宇宙人の図鑑ってないのかなあ。。。
つまらない話ばかりしても仕方がないので、別の話題を。
4月27日にアメリカ国防総省がUFOの映像を3本公開した。すでに巷に流出していたものだが、正式に公開した格好だ。こういう情報が出てきたことで、UFO愛好家は大喜びしているかもしれない。でも、グレイが運転しているとか、タコみたいな火星人や金髪美女の金星人が乗っているとか、三つ目のウンモ星人を目撃したとか、そういうことではない。あくまでも「未確認飛行物体」であって、アメリカ国防総省は「結局、何だかよく分からなかった」と言っているにすぎない。
でも、この時代になっても、何だかよく分からないということがあるのだなあ、と思って感慨深い。人工衛星が飛び回っていて、航空管制で上空の状況が把握できる時代になって、それでもなお、アメリカ国防総省が「結局、何だかよく分からなかった」と言うのだ。
逆に言えば、アメリカ国防総省の目をすり抜けて飛んだ「物体」があるというのは、宇宙人の有無はともかくとして、怖いことだなあ。
2020年5月1日 目指す地点はポジティヴなのに、アプローチはネガティヴ!?
昨日の雑記の記事、ちょっと誤解を招くかな、と思ったので、追記。岡村隆史の件、チコちゃん降板を求める5,000人の不寛容な人々(現時点では署名は8,000人を越えているんだけど)について。
この署名活動の発起人は、一般社団法人Voice Up Japanだ。ジェンダー問題について考える組織らしく、公式ウェブサイトはなくなってしまっているけれど、FacebookやTwitterは動いている。
ボクは、基本的に、こういうジェンダー問題に異を唱えたいわけじゃない。あれは明らかに彼の失言だった。だから、Voice Up Japan等の団体が彼を非難するのは分かる。謝罪を求めるのも分かる。ボクもそこは概ねアグリーだ。ただ「チコちゃん降板」という1点は、同意できないし、看過できない。
ひとたび失言したらみんなで叩いて引き摺り下ろして制裁を与えてやろうという精神はあさましい。全ての正義に基づく活動は、相手を貶めることで達成されるわけではない。そんなことでは何も乗り越えられない。岡村隆史に猛省を促しつつ、本件についてみんなで考える。それで、よりよい社会にしていく。そのための前向きな方法を考えなきゃいけない。「失言したら失脚する」という制裁が世の中をよくするわけではない。そこがあさましいな、と感じるところで、不寛容な点だ。
2020年4月30日 Google先生にも祝われるが……!?
何を隠そう、本日はボクの誕生日。祝え! ……ということではなくって(笑)。最近、SNS上で誕生日が表示されるので、普段、疎遠な人から「誕生日おめでとう!」のメッセージが来たり、LINEなんかで祝われたりする。返信するのが面倒なので、例年、スルーしているのだけれど、それはそれで大人げないような気もして、今年は真面目に返してみている。
さて、本題はそんなところではなくて、Google先生である。検索しようとGoogleを立ち上げて検索したら、Googleにまで祝われた。YouTubeを利用するためにアカウント登録していて、それがGoogleと連動している。でも、こうやって誕生日を祝われてみて、はた、と検索とかも含めて、いろんな情報が抜き取られていることを強く再認識。誕生日を迎えて、その事実に恐れ戦いた今日である!!
2020年4月30日 5,000人の不寛容な人々
今日はスピノサウルスの尻尾の話とか、アメリカ国防総省のUFOの話なんかを書こうかと思っていたんだけど、ちょっと気になったので、これらの話はまた後日。
岡村隆史の件である。すでにあちこちで報じられているとおり、深夜ラジオの発言で炎上(?)している。「炎上」というのは語弊がある。週刊誌に報じられて「炎上」させられている。インターネット上の署名サイトでは、NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる!』からの降板を求める署名活動が進められていて、5,000人が賛同しているという報道もある。
ボクは常に「寛容さ」を訴えている。岡村の発言を擁護するつもりはない。でも、一方で、彼が常に問題発言を繰り返しているわけではない。あの発言だけを切り出して、だからと言って、彼から職を奪ったり、収入を奪ったりすべきほどの悪質さが、そこにはあっただろうか。我々は法治国家に生きている。法で裁かれる以上の刑罰を与える権限なんてないし、そもそも、たったひとつの失言で職を奪っていいはずがない。
世論に忖度するテレビである。この署名活動になびくという決断をするかもしれない。もしもそうだとしたら、テレビ業界はオワコンだ。宮迫を追い出し、徳井を追い出して、岡村まで追い出したら、もう、訳の分からない世論というモンスターに従うだけの、主体性のない存在だ。そんなテレビなんて信用できない。
署名した5,000人というのは、決して、世論じゃない。テレビ局の味方でも、NHKの味方でもない。他人の失敗を叩かずにはいられない不寛容な人々だ。そんな彼らを承認してはいけない。不寛容が王道になる社会なんて、望ましいはずがない。ダメ、絶対。
2020年4月29日 指定されたページは存在しません!!
先日まで、エジプト神話を更新するために根を詰めていた。でも、先週、それも終わって、久々にのんびりとしたお休みだ。新型コロナウイルス対策下なので、おいそれと外を出歩くこともできないので、htmlでもテコ入れしようと「ファンタジィ事典」をちまちまとイジっている。今のところ、「ファンタジィ事典」はfaviconをつけていないので、それもやらなきゃいけないなあとは思っている。でも、どうせなら面白いことがしたいなあ、と思い、それならば、と「HTTP 404」のページ作成に精を出す。他の妖怪の解説と同じような雰囲気で「HTTP 404」のページをつくる。気付かずに、普通に読んでしまいそうな雰囲気。しかも、張り切って絵まで描いてしまった(笑)。ああ、こういうのは4月1日にやればよかったんだなあ!!
2020年4月26日 少しでも社会にエンタメを!
新型コロナウイルス対策で世の中、暗くなっている。こんなご時世なので「少しでも社会にエンタメを!」ということで、我が家の鯉のぼりを庭に引っ張り出した。6号タイプなので6mくらいある。横浜の町にしては大きいサイズなのでインパクトがある。川の向こうからも見えるので、社会にほっこりした空気を提供できるのではないか、と期待している。
2020年4月25日 念願のエジプト神話に着手!!
この新型コロナウイルス下なので、1週間くらい引きこもってファンタジィ事典をいじっていた。念願のエジプト神話の項目が形になった。有名な神さまというのは、たくさんのエピソードがあったり、解釈があって、時代や地域によってもいろいろと変遷していく部分もあるので、それらを咀嚼して、情報を整理してまとめるのは一苦労。でも、概ね、形になった。今回の更新は、イウヌゥ(ヘリオポリス)の神話を軸にしたものなので、本当は、プタハ神とかアモン神、それからアテン神なんかもあるし、もっとエジプト神話の懐は広いのだけれど、全部、やってから更新だと大変なので、取り敢えずはヘリオポリス神話の部分だけ。太陽神ラー、創造神テム(アトゥム)、冥界神ウシル(オシリス)、天空神ヘル(ホルス)なんかが解説できたので、まあ、これはこれで、一段落だろう。
2020年4月22日 母、してやられたり!
6歳の息子のツクル氏はかなり潔癖で、皿の中で食べものが混ざるのを嫌がる。母が「どうせお腹の中で混ざれば一緒だから、早く食べて!」と言って急かしたら、「ママー、味を感じるのは舌ベロだから、お腹の中じゃないんだよ」。母、ギャフン!