2025年1月4日 新年のご挨拶。

あけましておめでとうございます。みなさまにとって、2025年がよい年になりますことを祈念しております。

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さてさて。およそ1か月振りの投稿になります。体調を崩していました。精力的に妖怪のイラストを描いていた一方で、ずぅっと背後痛に悩まされており、結局、原因は分からないまんま、病院をたらい回しにされる日々でした。血液、CTスキャン、レントゲン撮影、超音波検査などなど、いろいろとやってみたものの、結果は「100パーセント健康です!」というお医者さんの満面の笑顔。そう太鼓判を押されましても、現実問題、背後痛は治らないわけで、どうしたものかと反問する日々でした。まあ、謎の背後痛と付き合っていかなきゃならないなあと覚悟を決めて、歩いているところです。

1か月も経ってしまったので、もう、いっそのこと「ですます調」にしてしまえ、と思いながら「日々の雑記」を綴っています。……というのは嘘で、正直に白状すると、毎年、新年のご挨拶のときの「日々の雑記」は、文末表現の文体で悩むのです。「あけましておめでとうございます」と「ですます調」で始めてしまって、途中から「である調」に移行していくのは少し気持ち悪いし、だからと言って、出し抜けに「あけましておめでとう」で始めると、不躾な印象もありますよね。だから、毎年、「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」と書き出して、そこから段落を変え、気分も一新してから「である調」に戻すみたいな策を弄してきたわけです。

だから、本日は徹頭徹尾、「ですます調」で書いてみている次第です。常に新しい試みに挑戦することが大事です。

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……新年早々、変な話題から始めているわけですが、体調が快方に向かわないことを理由に、ウェブサイト運営をサボっていました。1か月の長いお休みでした。さすがにそろそろ再開しなければというタイミングでお正月が来たので、そこまで休んで、心機一転、本日からウェブサイト運営を再開してみようと思います。まあ、「日々の雑記」は、あまり根を詰めずに楽しみながらやって参る所存です。

昨年は東南アジアの妖怪、特にフィリピンの妖怪にフォーカスして調査してきましたが、今年もこのスタンスを継続していきたいと考えています。フィリピンは結構、メジャーなところはやり尽くした感じはあるのですが、タイやベトナム、それから韓国なんかも視野に入れつつ、幅広くやっていくイメージを持っています。イラストの方は少しペースダウンする予定です。今までは3日に1枚のペースだったのですが、さすがに息切れしたのと、最近、少し手癖がついて雑になっている印象もあるので、ここら辺で仕切り直しをしたいところです。

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そんなこんなで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2025年1月6日 ブループを調べて感じたこと。

本日、久々にウェブサイト「ファンタジィ事典」を更新してみた。今回は「ブループ」という妖怪を紹介している。

実は、年末に息子のツクル氏がまいぜんシスターズの動画を見ていて、そこにブループというクジラのような怪物が登場した。まいぜんシスターズはときどき、マニアックな妖怪を企画に取り入れる。八尺様なんかも登場したこともあるので、もしかしたらブループも神話・伝承のバックグラウンドがあるのかもしれない。そう思って調べたら、予想通り、未確認生物の類いだった。こんな妖怪、全然、知らなかったなあ。

とは言え、実際には観測されているのが「音」だけで、目撃した人はいないので、未確認生物にしてはちょっと珍しいパターンだ。アメリカ海洋大気庁が1997年に南太平洋で「謎の音」を観測して、この低周波がクジラの鳴き声に似ていて、音の大きさから逆算すると、その体長は215メートルを超える。そんな推定から誕生した怪物である。

今回の「ブループ」の記事の中ではちょっとしか触れていないが、同じ「音」だけ観測されている怪物として「ユリア」というのもいて、こちらは800メートルを超えると言うから、とんでもない大きさだ。史上最大の動物はシロナガスクジラで、30メートルなので、800メートルになると荒唐無稽という感じがする。でも、「音」の大きさから逆算して生き物の大きさを決めていくという発想は、ちょっと面白いなと思う。

ちなみに、身体が大きくなればなるほど、身体を動かすのにエネルギーが必要になる。畢竟、獲物を追い掛けて捕食するというのが現実的ではなくなる。だから、巨大な海洋生物というのは、プランクトンを吸い込んで食べる「濾過摂食」というやり方を採用している場合が多い。そんな生物学的な背景もあって、ブループもユリアもヒゲクジラの仲間のような姿・形や生態が想定されている。仮に空想の生き物であっても、科学的な発想で姿・形が組み立てられていく。そういう点も、ちょっと面白いなと思う。

2025年1月8日 文脈を補う難しさ

ウェブサイト「ファンタジィ事典」を更新する際に、どの妖怪を選んで調査し、更新するかというのは、常々、悩むところだ。そこで、『Truth In Fantasy 事典シリーズ 2 幻想動物事典』(著:草野巧,画:シブヤユウジ,新紀元社,1997年)をランダムに開いて、そのページに出てきた最初の妖怪を更新するというやり方を採用することも多い。何を更新するか考えるのが結構、面倒くさいので、こうやってシステマティックにやることで、考える手間が省けるので、手が止まることなく、黙々と作業ができる。

一方で、それとは別に、東南アジアの妖怪を更新する際には、恣意的に選んでいく作業が必要になる。結構、面倒臭いので、サボりがちになる。これではいかんと思って、久々に「ベトナムの妖怪」の「マーザウ」を更新した。決して、東南アジアの妖怪シリーズをやめたわけではないのだ、というアピールだ。

さて、結構、東南アジアの妖怪は資料が少ないので、多少は想像で補ってやる必要が生じる。たとえば、現地の人にとっては当たり前の感覚とか習慣、文化みたいなものが、日本人であるボクたちには分からない。地理とか歴史も分からない。そういうのが文章で省略されている可能性もある。あんまり、現地の感覚から外れると嫌なので、必死になって行間を読む努力をするし、いろいろと別の文献を調査して、想像力を高めてやる必要もある。そうやって補って、何とか形にしている。

最近、『ダンダダン』がアニメ化されて、海外に輸出されているが、モモの友人のムーコ(原作だとケイなんだけど)がどこまで海外で正しく理解されているかは謎だ。ボクたち日本人はムーコを見ると、ガングロとかヤマンバとか、当たり前に「ギャル」だと認識する。でも、多分、海外の人はムーコが何なのかよく分からないのではないか。一部ではポリコレの主張のネタにされて、ムーコは黒人の声優が担っている。実は、息子のツクル氏も、ガングロとかヤマンバという文化が分からないので、ムーコがよく理解できないらしい。

つまり、こういうことが東南アジアの妖怪を調査するときにも生じるわけだ。フィリピン人やベトナム人、タイ人にとっての常識が、ボクたちには常識じゃない。認識のズレやギャップがあって、うまく翻訳できていない可能性はある。そういうのを、どこまで想像力で補えるか。そんな挑戦を常々、やっている。

ちなみに、ボクが東南アジアの妖怪を日本語に翻訳して紹介すると、あっという間にピクシブ百科に転載される。ボクはこういう妖怪たちの知名度が上がることを願っているので、まあ、よいのだけれど、でも、正しさの保証はないので、大丈夫かな、と心配になる。現地の人からしたら、それこそ「ムーコは黒人」みたいな全く的外れな解説になっている可能性だってあるのだ。

2025年1月10日 1月からはLEGOマリオカート

久し振りに「LEGOスーパーマリオ」を満喫している。1月からのLEGOの新シリーズは「マリオカート」なのだ。マリオやルイージ、ピーチで乗ると、スーファミ時代のマリオサーキットの音楽が流れる。とてもよい。特に今回のこのセットは3台の車両がついているのがよい。しかもベビーピーチがかわいい。ふふふ。

それにしても、LOGOのパーツが入っている袋がビニル製から紙製になった。さすがは世界のLEGOだ。キットカットが紙袋になったとき以来の衝撃である。

でも、元々、LEGOは食品ではないから、もっと早く紙袋に切り替えることもできたはずだ。思いつけばあっという間のこと。コロンブスの卵。でも、思い込みで変えられない部分って結構、あるよなあ。自分自身の生活でも、仕事でも、きっと、不合理を当たり前に受け入れていることってあると思う。発想を変えれば、もっとずぅっといろんなことができそうだ。LEGOの改革を眺めて、自分自身を自戒する。

2025年1月12日 朝鮮半島で一括り

「ベトナムの妖怪」と「朝鮮の妖怪」を更新してみた。

ベトナムの妖怪は「クイモッゾー」。一本足で毛むくじゃら。森の中を跋扈する妖怪だ。タイの森にはピー・コンコーイがいるし、日本の山の奥には「山精」がいる。どちらも一本足だ。森や山の奥深くには、こういう一本足の妖怪が潜んでいるのかもしれないなあ。

朝鮮の妖怪として今回、チョイスしたのは「シンギウォンヨ」だ。「バラバラの実」を食べたバギーみたいな妖怪で、天井の梁に姿を現し、ボトリ、ボトリと手や足、頭などがバラバラになって降ってくる。想像するにとても怖い。そして、それを見た人は驚いて死に至ることもある。

ちなみに「朝鮮の妖怪」については全体的にかなり改訂した。もともとは「韓国の妖怪」というタイトルで打ち出していたし、妖怪の名称の原語も「韓国語」という風に表現していた。でも、最近、韓国の歴史とか韓国語をよくよく勉強してみると、どうも「韓国」という定義は厳密ではないっぽいと印象を受けた。もっと大きな括りで「朝鮮」にしてやらないと、歴史的につながっていかないし、言葉だって、厳密には韓国語ではなくて朝鮮語だ。韓国語としてしまうと、それなら北朝鮮で話されている言葉は何なのだという問題が生じる。たまたま現代の我々に馴染みがある国が韓国なのであって、韓国で話されている言葉を学んでいるだけだ。

そんなわけで、ウェブサイト「ファンタジィ事典」では、「韓国の妖怪」を改め「朝鮮の妖怪」とし、韓国語を改め朝鮮語とした。別に韓国を軽んじているわけではない。「韓国の妖怪」と限定してしまうと「北朝鮮の妖怪」も定義しなければいけなくなる。でも、それって大部分が同じものである。

たとえば、キジムナーを「沖縄の妖怪」として捉えるか「日本の妖怪」と捉えるか、コロポックルを「北海道の妖怪」と捉えるか「日本の妖怪」と捉えるか。まあ、ね。厳密には昔は沖縄には琉球王国があったし、北海道にはアイヌの人々が暮らしているわけで、歴史的にも文化的にも違いがある。でも、今は日本だ。朝鮮半島だって、韓国と北朝鮮に分かれているけれど、第2次世界大戦の前はひとつの国だった。李氏朝鮮という国だった。もっと遡れば、新羅、百済、高句麗に分かれていた。そういう意味では、朝鮮半島を一括りにした方が妖怪を整理しやすいんだと思う。

2025年1月14日 ベトナムのマーとクイ

ベトナムの妖怪については、基本的にはズイ・ヴァン氏のウェブサイトMa Quỷ Dân Gian Ký(ベトナム語)を参考にしている。水木しげるが描く妖怪に感銘を受けて、ベトナムで妖怪を蒐集し、イラストに描き起こしている人物だ。最近、日本でも取り上げられることがある(ベトナムスケッチ:ズイ・ヴァンが紐解くお化けの話など)。

そんなこともあって、ベトナム妖怪の調査にも精を出しているところで、ベトナム語も少しだけ勉強し始めた。ベトナム語は漢字文化圏のひとつだ。文字コード的にもCJKVとして体系化されている。中国、日本、韓国はよく知られていると思うけれど、4番目の「V」はベトナムの「V」である。現在のベトナム語では、文字はフランス語みたいにアルファベットにいろいろと装飾がついたみたいな感じになっている。でも、音を元を辿れば漢字に直せるものがほとんどだ。

たとえば、マーライとかマーヴーザーイなどの「マー」というのは漢字にすれば「魔」であるし、クイモッゾーの「クイ」は「鬼」である。ベトナム語の妖怪関連のウェブサイトを回っていると「マー」と「クイ」が併記されている表現が多い。「ma đưa lối, quỷ dẫn đường」(マーが道を示して、クイが道で導く)という表現はベトナムではよく知られた言葉らしい。

面白いのは、ベトナム語と中国語で意味が逆転しているところだ。中国語だと「鬼」は死者であり、幽霊だ。日本語にもその名残があって「鬼籍に入る」とか「鬼門」などは、この中国の鬼の《霊》という意味が残っている。一方の「魔」というのは「悪魔」とか「魔神」とか「魔物」という意味である。これがベトナム語では逆になっていて、マーが幽霊で、クイが魔物になっている。いつの間にか意味が逆転しているのが面白い。

そんなことをベトナム語を学びながら、ベトナム語のウェブサイトを散策しながら、楽しんでいるところである。

2025年1月16日 アジアの妖怪をドドドドン!

アジアの妖怪をドドンと一気に更新した。フィリピンの妖怪からはキスをするだけで仲間を増やす吸血鬼バンキランベトナムの妖怪からはおかしなポーズで空を飛ぶことでお馴染みの吸血鬼マーカーゾン朝鮮の妖怪からは殺されても尚、運気を向上させてくれる聖獣ミョドゥサ、そしてタイの妖怪からは赤ん坊を守護する獣頭の女神メースーをエントリー。ちょっと本気を出してみた。「今年もアジアの妖怪を頑張る!」と宣言したので、その意気込みを形にして示してみた格好。

フィリピンは英語圏なので、比較的、資料は豊富だし、検索もしやすいし、訳すのも難しくはない。ベトナムの妖怪はベトナム語、朝鮮の妖怪は朝鮮語、タイの妖怪はタイ語のウェブサイトを参照して調査をしたので、結構、頭の中がぐるぐるしている。でも、とてもドーパミンがドバーっと出て、楽しい時間だった。結構、雑には扱わずに、丁寧に裏取りをしながら調べたので、それなりの品質の立項になっていると思う。

マーカーゾンは足の親指を鼻の穴に突っ込んで飛ぶので、近いうちにイラストに描き起こしたいと思う。ミョドゥサも文献だけ見ると子ネコの頭にヘビの身体と記されているんだけど、最近の子供向けの韓国アニメでは、でっぷり太った胴体の長いネコとして描かれているので、ちょっとそういう要素も取り込みつつ、イラスト化したいなと思う。妄想は膨らむなあ。

2025年1月18日 「叩いていい人物」なんていないのに

一度、誰かが叩き始めると、それ以降、「この人は叩いていい人物ですよ」みたいな謎の認定がなされて、次から次へといろんな情報が飛び交う。何だか怖い時代だよね。真実を追及することと、誰かを悪し様に言うことは違う。正義の発言と悪意ある発言、露悪的な発言をちゃんと意識しなければならない。

そもそも、誰だって叩かれたくはないはずだ。仮に悪い人だったとしても、その人にだって尊厳がある。何でもかんでも暴露していいわけじゃないし、ひとつ捲れたらその先もどんどん捲っていいわけじゃない。その上、事実かどうかも分からない怪情報が飛び交っていて、もう収拾がつかない状況だ。

最悪なのは、被害者のプライベートに関わるような内容も、真偽入り混じりながらかなり大々的に拡散されている。まるでオープン情報のようになっている。そもそも、被害者の名前だって特定されるべきではない。その日の出来事だって、明け透けに語られるべきではない。それだって、本当のところは誰も分からない。もうメチャクチャだ。

いわゆる「オールドメディア」がもっとちゃんと仕切らなきゃいけなかった。二の足を踏んだり忖度したりして後手後手になっている間に、大衆の好奇心が膨らんでしまった。こうなったら、個人が好き放題に言い始める。「オールドメディア」こそが、精査された正しい情報と、解明されるべく疑惑、そして真偽不明の怪情報を全て並べて、ちゃんと整理して報道すべきだったと思う。そこをちょっとサボったから、こんな風にわけの分からない個人がつけあがってワアワア言って、結局、ひっちゃかめっちゃかだ。もうお祭り騒ぎ。よくないなあ。絶対によくないよなあ。うーん。

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フジテレビもスポンサーが離れていって、結構、ヤバいよなあ。どうなってしまうんだろう。『テレビは余命7年』が2011年に発売されて、すでに14年目。結構、頑張った。でも、今年は斉藤知事の選挙報道でも議論になったように、遂にオールドメディアになった。そして、引っ繰り返るのかもしれない。怒涛の年だなあ。

2025年1月20日 需要と供給

「ご趣味は何ですか」と問われることがある。相手との関係性によって答え方はケース・バイ・ケースだが、ボクの趣味は「妖怪研究」と「創作活動」、そして「ウェブサイト運営」なのだと思う。「妖怪研究」と「創作活動」は、それこそ子供の頃から続けている趣味だが「ウェブサイト運営」は大学生の頃から絶えることなく続けているから、きっと趣味なのだろう。

昔はhtmlタグ打ちのウェブサイトにこだわっていた時期がある。途中、blogを取り入れたこともあるし、今は「日々の雑記」だけはWordPressを援用している。それでも、やっぱり、ほとんどのページは今でもhtmlのタグ打ちだ。「ファンタジィ事典」なんかは事典なので、本来はWordPressの方が向いているのかもしれない。でも、現時点では全項目をExcelで管理をしていて、Excelのマクロでメモ帳を立ち上げて、そこにhtmlでベタ打ちするという手法を採っている。

ちなみに、「日々の雑記」はWordPressなので、独自のアクセス解析がついている。こうやって日々、徒然に何かを書くわけだけど、急にアクセスが増えるときもある。最近だと『ダンダダン』に言及した記事を書いたら一気にアクセスが増えた。『ダンダダン』系の単語で検索して訪ねてくる人が多いということなのだろう。ミュージシャンについて書いても多少は伸びる。ファンが検索して来てくれるのだと思う。ちょっと前だとファントムシータについての記事がちょっとだけアクセスが多かった。

まあ、だからそっちに寄せて記事を書いていこうということではない。そうではなくって、こんなに辺境のウェブサイトであっても、ちょっと知名度のあるものを書くだけでアクセスが増えるという厳然たる事実が面白いなと思う。当然、マイナな「フィリピンの妖怪」ばっかり更新していても、ちっともアクセスは増えないのである。

ちなみに、我が家の実績から行くと「日本の妖怪」とか「中国の妖怪」の方が人気がある。でも、残念ながら、ボクはあんまり得意なジャンルじゃない。だから、更新頻度は少ない。「ベトナムの妖怪」は、他の記事に比べれば、アクセスがわずかばかり増える。どういう理由なのかは現時点では定かではない。どこかしらに需要があるのかもしれない。

2025年1月22日 East Of Eden、再始動。

予てより注目していたヲタリストAyasa率いるEast Of Eden。ベースのわかざえもんが脱退して、空中分解するのかと心配していたら、新たにMINA氏を加えて、新体制で帰ってきた。

アニソン調の楽曲がしばしば批判されてきたが、今回、わかざわもんの脱退を機にワーナーからビクターに移籍して、若干、クリエイタ陣が変わったのかもしれない。ヘヴィなサウンドになった。MINA氏のベースも上手だし、安心して聴ける。まだ1曲目ではあるけれど、新生EOEも楽しみだなあ。albumも買わなきゃナルメル!!

ステミレイツも何とかならないかなあ。あっちは看板のヴォーカル不在だから……苦しいよなあ。

2025年1月24日 メールのほうが面倒臭くないか!?

「年賀状じまい」が話題になっている。まあ、ペーパーレスが叫ばれる時代に手紙を送るってどうなのよ、という声が出るのは分かる気はする。手紙だけの関係性を続ける意味なんてないじゃん、という声も、まあ、分からないではないかな。

ボクは、もう10年以上も前から、年賀状に代えて「近況報告の本」という12ページの冊子を送るというスタイルにしているので、ある意味では「年賀状」という形はやめてしまった。一応、表紙は干支に因んだイラストにしているが、喪中の人にも配布する関係で「あけおめ」みたいな表現もなくしてしまった。実は、家族会議の中では何度も「年賀状の代わり」ではなく「クリスマス号」にするという案が浮上してはいるのだが、今のところ、1年間を振り返った本をお正月にお届けするという意味では「年賀状の代わり」という位置づけは維持している。稀に面倒くさくなって、12月末に届くケースもあるんだけど、まあ、その辺はご愛敬というヤツだ。

閑話休題で、そんなこんなで、毎年、新年に向けて小冊子を送っているものだから、「年賀状じまい」を希望する人々にちょっとしたさざ波を起こしている。要するに、あちらとしては年賀状は止めたいんだけど、こちら側が送付する小冊子はこのまま送り続けて欲しいなあというムーブだ。で、どうなるかと言うと、年賀状は届かない代わりにメールを送ってくるというアクションになる。そして、「こちらは年賀状は止めたけど、来年も雑誌を楽しみにしているよ」みたいな文言が書いてある。

年賀状の最大の利点は、送りっ放しにできるところだ。こちらの近況をお伝えしつつ、向こうの幸せを祈念しつつ、それで終われる。ある意味では、送って知らんぷりできる。でも、こうやってメールで送って来られると、返信しなきゃいけない気がする。返信できる分、容易に繋がれる感じがする。そちらの方が、感覚としては手紙よりもディープな繋がりという感じがする。年に1回のコンタクトがメールだと、実はそっちの方が重たくなってしまう。

そんなわけで息苦しくなってしまって、年賀メールじまいをしたくなる今日この頃である。もう1月も終わろうとしているけれど、ほとんど返信はしていない。ふふふふふ。

2025年1月26日 創作から普遍的な妖怪への道のり

そういえば、今年は巳年なのである。毎年、1月1日に「近況報告の本」を刊行していて、その表紙の題材として、干支に因んだイラストを描く。すっかり忘れていたけれど、今年は「姦姦蛇螺」を描いた。今更ながらの「あけおめことよろ」のイラストである。

姦姦蛇螺のイラスト

姦姦蛇螺は、ネットロアの妖怪だ。初出は、今はなき「怖い話投稿:ホラーテラー」という投稿サイトらしい。2chオカルト板のスレッド「洒落怖」に転載されたので、洒落怖の妖怪として認知されているケースも見受けられる。

「姦姦蛇螺」の投稿において、若者たちが姦姦蛇螺と遭遇するシーンは滅茶苦茶臨場感があって怖い。厳重に封印されている区画の描写も丁寧だし、姦姦蛇螺が現れて「いぃぃ~っ」と笑うシーンは圧巻だ。そして、蜘蛛のように6本の手足でフェンスを伝ってくる描写なんて戦慄する。

「姦姦蛇螺」は投稿サイトに投稿されたものなので、明らかに創作だ。名乗り出ないけれども、どこかに作者がいるはずだ。それなのに、まるでネットロアのように語られ、都市伝説のジャンルで取り扱われる。この辺の境界の曖昧さが妖怪らしいところである。

大昔だって、実は作者がいたはずだ。ギリシア神話だって、ヘーシオドスの「創作」と目されている部分がある。いつも書いているとおり、「ドラキュラ」はブラム・ストーカーの創作だし、「フランケンシュタインの怪物」はメアリー・シェリーの創作だ。「クトゥルフ」だってラヴクラフトの創作だし、「オーク」はトルキーンの創作だ。そうやって、誰かのcopyrightがいつの間にか普遍的な妖怪になっていく。姦姦蛇螺もその意味では、普遍的な妖怪に片足を一歩、突っ込んでいる。そこが面白いなあと思うのである。

2025年1月28日 東南アジアの妖怪サイトへの道のり

ベトナムの妖怪タイの妖怪を粛々と更新している。

ベトナムの妖怪では、「クイニャップチャン」を更新した。クイニャップチャンは死にそうな人間に乗り移って身体を乗っ取ってしまう幽霊だ。病床に臥せっていたおじいさんやおばあさんが急に元気になって動き出すので、家族は大喜びである。しかし、空腹を訴えて、たくさんの食事を食べる。それに飽き足らず、アヒルやニワトリなどの家畜、果ては人間の子供まで食べようとする。結構、丁寧に調査してまとめたので、よく書けた記事だと思うので、是非、読んでみて欲しい。クイニャップチャンとタイのピー・ポープは非常に似ているので、共通の概念なのだと思う。

タイの妖怪では「ピー・ターボー」を更新した。普通の人間の姿をしているが、眼窩に目がない妖怪で、近づいてきて驚かす。そして目玉を奪おうと襲い掛かってくるという。『DACO 380号 バンコク怪奇物語』などの書籍にも載っているので、結構、有名な妖怪なのかもしれないが、タイ語のウェブサイトではあまり情報が載っていない。ピー・ターボーそのものが《目玉がないお化け》という意味なので、もしかしたら、目玉がないという外見が先行している妖怪なのかもしれない。『DACO 380号 バンコク怪奇物語』では類似の存在として口裂け女を挙げている。確かに人間に近づいてきて、裂けた口を見せて、鎌で切り付けてくるという構造は、ピー・ターボーに似ている。そういう構造の伝承なのかもしれない。

いずれにしても、絶賛、東南アジアの妖怪を更新中である。結構、項目数も集まってきたので、ベトナム妖怪やタイ妖怪のウェブサイトとしてのスタート地点には立てたのではないか。もう少し頑張って、それぞれのカテゴリィで20項目くらいの妖怪が掲載できるようになれば、ボクもベトナムの妖怪サイトとかタイの妖怪サイトと自信満々に名乗れるようになるかもしれない。そこまで頑張ろうと思う。フィリピンの妖怪については、まあ、結構、頑張っているよ? ふふふ。