《日々の雑記》
2021年3月5日 鍼治療の拷問をくぐり抜けて……
実のところ、ここ1か月くらい、背中から首にかけて、わずかに痛みが走っている。毎朝、憂鬱になる。酷いときには、夕方頃、痛みが増して動けなくなる。それでも、ボクが主催のオンライン研修やウェビナーが立て続けにあって、ボク自身が登壇するしかないので、騙し騙し、歯を食いしばってやってきた。それらがようやく一段落した瞬間、もう、出勤できなくなってしまった。2日くらい休んで、病院に行く。僧帽筋が固まっているらしい。オンラインでの会議や研修、セミナーが立て続けにあって、そのためのPowerPointをつくったり、モニタ越しのコミュニケーションをしたり、動画編集をしたりしていたのが原因らしい。そして、鍼治療を試みる。
鍼治療は一種の拷問だと思う。筋肉に細い鍼が刺さった瞬間に鈍痛があって、ぎゃあ、と叫びたくなる。それを歯を食いしばって抑え込む。あっちに刺され、こっちに刺され、悲鳴を押し殺して、15分くらいの地獄の時間。ちょっとした緩急の「緩」のタイミングで冷静になって「ボクは一体、何をしているんだろう」と思って、逃げ出したくなる。そして、鈍痛に襲われる。……それでも、終わってしまうと楽になる。禁断の黒魔術だな、と思う。
2021年3月4日 安倍晋三はお友達!?
久々にfacebookを巡回していたら、お友達候補に「安倍晋三」が出てきた。悪戯や冗談の類いかと思ってクリックしたら、どうやら本物だ。安倍晋三の総理大臣時代のいろいろな出来事を彼が綴っていた。誰か、安倍晋三とお友達になったのだろうか。どういうアルゴリズム? Facebookのアルゴリズムも当てにならないなあ。

2021年3月3日 英語ができる人が羨ましい。
英語は昔っから苦手だ。学生時代、体育の次に苦手だった。基本的には、ボクは訓練が必要な科目は苦手なことが多く、子供のときから、九九を覚えるとか、公式を覚えるとか、地名や年号を覚えるみたいなことには意味を見い出せなくて、結果、得意ではなかった。その意味では、英語も、英単語を覚えるとか、文法を覚えるということに興味が湧かなくて、畢竟、苦手な科目になった。結局、本質的には努力家ではないのだ。センター試験で200点中、130点くらいだった記憶がある。
でも、さすがにずぅっと海外を飛び回っていたので、今ではその苦手意識も大分、薄れてきた。それでも、得意ではないな、と感じる。会話はできる。相手に何か言われたときに、即座にレスポンスすることも、言い合いをすることもできる。だから、今のところ、業務上、不都合はない。でも、文法は滅茶苦茶だし、細かいニュアンスは伝えられないな、というのは常に感じている。おそらく、公式の場で、ちゃんとしたスピーチをしろ、と言われると、ちょっと不適切だろうな、と思う。あくまでも、現場レベルの会話ができるだけだ。
本日は、南アフリカの方々とテレビ会議をした。ボクが体調を崩していたところもあって、準備にあまり携われていなかったので、後輩に資料作成、ファシリテーションを全部、託した。彼はTOEIC満点で、帰国子女なわけだけど、流暢だ。相手との会話のキャッチボールも淀みなく、時折、ジョークも飛ばし、和気藹々と議論が進行していく。やっぱり、こういうことだよなあ、と思う。細かいニュアンスも敏感にキャッチできるし、何より、相手側にストレスがない。
勿論、語学力が全てではない。英語が得意だからオールオッケィということではなくて、普段から日本語でちゃんとコミュニケーションがとれない人は、英語でもとれない。今回の場合、彼は日本語においてもちゃんと頼れる後輩で、信念もあるし、同じヴィジョンを共有して仕事ができている。日本語でも論点も明確に伝えられるし、交渉も任せられる。その上で、英語ができるということがとても大事なのだけれど、心の底から、ああ、敵わないなあ、と思った。やっぱり、英語ができるっていいなあ、と。
一朝一夕にはできるようにならない分野はいくつかあるが、英語もそのひとつだ。学生のときに、ちゃんとやっておけばよかった、と思う。
2021年3月2日 ベヒモスは《カバ》でレヴィアタンは《ワニ》であるという不都合な真実
久々にゆっくりと休んで、ウェブサイト「ファンタジィ事典」を更新。ベヒモスとレヴィアタンを更新した。
ベヒモスが旧約聖書『ヨブ記』に登場することは有名だけど、じゃあ、『ヨブ記』を読んだことがあるのか、というと、読んでいない人が多いのだろう。でも、今はインターネットで何でも読める時代だ。Wikipediaの「ベヒモス」を見れば『ヨブ記』40章15-23節に登場することが分かる。そして、今度はWikipediaの「ヨブ記」に飛べば、Wikisourceで日本聖書協会の『明治元訳旧約聖書』(1953年)と『口語訳旧約聖書』(1955年)が引っ掛かる。従って、聖書を持っていない人でも、実は『ヨブ記』は読める。
というわけで、『ヨブ記』の40章15-23節を読むと、どちらにも「ベヒモス」は出てこない。実は「ベヒモス」はどちらも《河馬》と訳されている。ちなみに41章1節には「レヴィアタン」が登場するはずだが、これも「わに」あるいは「鱷」となっていて、「レヴィアタン」は出てこない。
ちなみに、ちょっと英語が出来れば、簡単にヘブライ語の『ヨブ記』を引っ張り出すこともできて、そこにはちゃんと「ベヒモス(בְהֵמוֹת)」も「レヴィアタン(לִוְיָתָן)」も出てくる。要するに、現在では「ベヒモス」は《カバ》と訳され、レヴィアタンは《ワニ》と訳されているということになる。それなら、ベヒモスは《カバ》でレヴィアタンは《ワニ》だ、とWikipediaで説明してもよさそうだし、神話系のウェブサイトで説明していてもよさそうだけど、そういう説明はない。やっぱり、ベヒモスやレヴィアタンを調べる人にとっては、ベヒモスが《カバ》で、レヴィアタンが《ワニ》であっては不都合なのだろうな、と感じる。
その当時(つまりヨブ記が書かれた紀元前7~4世紀)に、そういう認識だったのかどうかは分からない。少なくとも、カバの尻尾は杉のようではない。それに、現在では少なくともカバもワニもヨルダン川には棲息していない。ナイル川にはいたはずなので、そういう記憶が伝わったのかもしれない。でも、カバとワニだったら、確かに人類にとっては恐ろしい敵で、そこから着想してモンスターになったというのは、ない話ではないよなあ、と思う。だから、まあ、現在の聖書でカバとかワニとか訳されていても、それはそれで妥当ではあるかな、と感じる。勿論、ベヒモスはベヒモスであり、レヴィアタンはレヴィアタンなのだけれど。
2021年3月1日 自分が書きたいことを書くのではなく、相手が読みたいことを書く。
ボクもそんなに文章がうまい訳ではない。ついつい、自分が書きたいことを書いてしまう。でも、本当は相手が読みたいことこそ書くべきだ。文章を書くときに、読み手のことを想像することはとても大事で、ボクも、極力、読み手に思いを馳せて書くように心掛けている。
同僚の書いた「報告書」が酷くて、先方に受け入れてもらえなかった。それで、金曜日から、蜂の巣を突いたような大騒ぎになっている。自分で言うのも憚られるが、ボクは「報告書」を書くのが比較的、得意だ。多少、ロジカルじゃない部分があって、それは直されることもあるが、今まで「報告書」を書いて、先方から高い評価をいただいている。だから、駆り出された。でも、みんな、ボクが書いた文章にどんどん手を入れて滅茶苦茶にする。曰く「こんなに細かく丁寧に書いたらツッコミが入る」ということらしいが、細かく丁寧に書くのは、読み手が何も分からない前提だからだ。多少、くどいくらいに、いろんな情報を省略せず、説明してあげるから、どんな読み手も分かるのだ。それを怠って、自分勝手に書くから、受け入れてもらえない。そんなことを感じて、難しいもんだなあ、と思っている。
2021年2月28日 スタイル
他の人から自分がどういう風に見られているのか、正直、分からない。でも、間違いなく「うまくやっている」と思われているだろうな、と思う。「うまくやっている」というのは、失敗していないとか、成功が多いという意味だ。だけど、失敗がないのかというと、決して、そういうことではないのだと思う。自分の中では、日々、失敗の連続である。でも、他の人には失敗しない人だと思われているのだ、と想像する。
最近、そのギャップが大きくなってきたな、と感じる。「任せて大丈夫」と信頼されているうちは楽しかったし、「どんどん仕事持ってこい! 自分に任せろ!!」と思って引き受けていた。自分の持てるだけのパワーで、最大の成果を出せばよいと思っていた。でも、段々、そうじゃないフェーズに入っているな、と自覚している。つまり、若手じゃなくなったのだ。チームから自分が抜けることも想定しなきゃいけない。自分がいなくなった後に、誰かがそれを引き継ぐ。その人たちが自分の仕事をやらなきゃいけない。段々、自分の裁量権でできることが増えて、決められることが増えたときに、自分の能力で仕事を進めると、持続可能でなくなることが見えてきた。
そうなったときに「失敗しない人」という評価はよくないな、と思った。もちろん、ボクは自分のことを「失敗しない人」だなんて思っていないし、そんな喧伝をしているわけじゃない。毎日が失敗の連続だと思っている。勝手に周りの人が「失敗しない人」というレッテルを貼っているだけだ。でも、最近、そういうのが邪魔になってきた。「いやいや、私はあなたみたいにはできません」とか「あなただからできる仕事で私には無理」みたいなことを言われることが多くなった。そんなことはないはずだ。でも、実際、そういう風に言われてしまう。
言葉が適切かは分からないけれど、自分は高圧的なのかな、と思った。「成功」というパワーで相手にプレッシャーを与えているのかな、と。だったら、失敗を開示するべきかな、と思った。失敗している自分をもっと見せていくべきなのかな、と。誤解して欲しくないのは、決して、失敗を隠しているわけじゃない。失敗は何度もあるんだけど、最後の最後まで諦めずに「あ、これはダメなのか」「この方法……でもうまく行かないのか」「それじゃ、このアプローチ……もこういう結果になるのか」「うーん」とか言いながら、喰らいついて喰らいついて「あ、うまく行った! これが正解だったのか!」となるのがボクのアプローチだ。で、「いろいろ試行錯誤してうまく行きました」という報告をすると「失敗しない人」みたいになる。
結論から言えば「失敗しました」という報告をしたくないので、諦めずに何度も何度もチャレンジして、成功まで持って行くという地道な作業をしているということ。そして、ひとつだけコツみたいなものがあるとすれば「速く仕事を進める」ということ。失敗したときにリカバーするためには時間が必要だ。手数を増やす必要がある。だから、仕事が回ってきたら、取り敢えず大急ぎで「形」にする。うまく行かなくてもよい。質は問わない。取り敢えず「形」にして「あ、ダメだな」と思って、それからいろんな形を試す。そのための時間を確保するためには、「まだ時間があるから後で考えよう」としないで、その瞬間に「形」にする。この「早く仕事を進める」が有効だと思う。
2021年2月27日 時代の寵児、新人類
最近、『Win Win Wiiin』は欠かさずに「テレビ」で観ている。今までのゲストは、いわゆるテレビを主戦場にする「芸能人」だった。初回ゲストは手越祐也、第2回ゲストは西野亮廣、第3回ゲストは極楽とんぼの山本圭壱で、一癖も二癖もある「芸能人」。そして、第4回の今回のゲストはヒカルだ。
「今回は大丈夫かな? コケないかな?」といつも心配になる。ずぅっと急上昇にランキングされているわけだし、それに続く出演者は相当なプレッシャーだろう。何しろ、第2回までは注目もされていたし、それなりに旬の人というか、順当に来ていた。ジャニーズを退所した手越祐也、映画「えんとつ町のプペル」で映画デビューを果たした西野亮廣……。でも、山本圭壱のときには「何で今? 大丈夫?」と思った。でも、いろいろあったし、ドキドキ感もあった。その上で、あっちゃんはちゃんと「けいちょんチャンネル」のサクセス・ストーリーを示しながら「今が旬のYouTubeチャンネル」というキーワードで、うまくゲストをWinnerにした。それでは、ヒカルは? どうやって料理する? しかも、今回は初めて、ゲストを事前に周知した状態でのプレミアム配信だ。「どんな大物芸能人が来るかな?」というワクワク感ではなく、「ヒカルにフィーチャーするよ」と喧伝するアプローチだ。宮迫と頻繁にコラボしている相手だし、あっちゃんの「XENO」でも対決している相手なので、伏せておいて直前に「どーん!」と紹介されたときに「何だよ、ヒカルかよ!」となるだろうから、事前周知は正しい判断だ。しかも、ヒカルは生粋のYouTuberだから、コラボを全面に出して、ヒカルファンを『Win Win Wiiin』に誘導した方が再生数もとれる。そういう戦略なのだろう。
ヒカルのトーク力はこれまでの「芸能人」たちと遜色なかった。特に、おしゃべりのプロフェッショナルである芸人が2回も続いていて、それでも遜色なく宮迫とあっちゃんと対峙して見せる腕はさすがだ。ただ、これまではテレビ業界の闇にかなり踏み込んで、ヒリヒリした感じがあったのに対して、今回は彼がYouTubeを主戦場とする人だからか、その辺の話題からは少し離れた。ちょっと距離を置く方向に舵取りをした。そういう意味では、次回以降のゲストに繋げていく意味でのクッション的な回になっていて、テレビとYouTubeの仲介者であるヒカルを、そういう風に使うのだな、と思って、あっちゃんの技量に感心した。その意味では、ヒカルの「どんな風に利用してもらっても構わない」的な割り切りや覚悟も感じた。
そして、タイトルのとおりだ。「時代の寵児、新人類」。ちょうど2021年2月24日の記事で『スマホ脳』という本を紹介したが、情報技術の発展が速すぎて、人間の進化が追いついていない。追いつかないからストレスを感じる。でも、ある意味、ヒカルはこのオンラインの時代に適合して生まれた人間だなあ、と感じた。
2021年2月26日 グラッド・アイ
最近、比較的、毎晩、カクテルをつくっている。鋭意、カクテル・サイトをつくっているためだ。そこに写真を掲載するため、取り敢えず、カクテルをつくっては、写真を撮影して、飲んでいる。
そんな中で、グラッド・アイというカクテルをつくった。ペルノとグリーン・ペパーミントでつくるカクテルで、どちらも癖のあるお酒だ。でも、混ぜたら、意外と美味しい。それにとてもビックリした。

2021年2月25日 オンデマンドって凄いこと!!
大昔に「きかんしゃトーマス」にハマって、テレビシリーズのDVDを全部、集めた。でも、結構、古いので、中古のものもあったりして、テレビで再生すると映像が飛んだり、止まったリするものもあった。もう一度、確認して、画像が飛んじゃうようなものは買い直そうかと思って、パソコンで見ている。折角なので、mp4に変換しようかと思って、コンバータでmp4に変換する作業をしていて気がついた。テレビやパソコンで映像が飛ぶようなものでも、コンバータで変換すると、mp4ではちゃんと見ることができる。多分、データだからだろう。盤面に瑕があってうまく見れなくても、データを取り出してコンバートすると、見ることができる。ああ、これはいい! ということで、せっせとDVDをmp4に変換していたら、あっという間にハードディスクがいっぱいになってしまった。仕方ない。mp4を保存する用のハードディスクを買いに行こう。
そういう意味じゃ、今、オンデマンドでいろいろと見られるのは、凄いことだな。こうやって、自分でデータを保存すると、あっという間に容量いっぱいになってしまうのを、サーバ上で保管して、こちら側はアクセスするだけで見られるのだから、便利な時代だな、と思った。
2021年2月24日 「私が子供の頃にスマホがなくてよかった」
妻のちぃ子が『スマホ脳』を読んでいる。ボクがオススメしたからだ。子供にスマホを与えるべきか否か。そんな壁がやってきて、読んでみたらどうか、とオススメした。
スマホが普及するだけでなく、新型コロナウイルス感染症はさらにデジタル化、オンライン化を押し進めるだろう。そんな中で、それらの流れを否定することはできない。でも、問題点も理解しておく必要がある。
2021年2月23日 ゲームとしての終わり
夜なべして、SFC『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』をやっている。懐かしいし、改めてよく出来たゲームだな、と感じる。ダンジョンには謎解きの要素もあって、解決できたときの達成感があるし、隠しイベントや隠しアイテムがたくさんあって、やり込み要素もある。そして、アクションRPGなので、ボスとの戦いには、一定の技術を求められる。
何よりも素晴らしいのは、このゲームには終わりがある。ラスボスがいて、倒せばクリアーになって、エンドロールがある。どれだけの時間を投入しても、最後には、エンドロールがあって、「ああ、終わった!」と思って終わりになる。
最近のスマホのゲームは、ひとつのイベントが終わると、新たに次のイベントが始まる。ゲームとしてのゴールが設定されておらず、制作会社は遊び手を囲い込んで、手を変え、品を変え、商品をゲットさせて課金させる。そういうビジネスモデルになってしまっている。こういうのは、どうなのかな、と思う。だらだらと中毒のように続けさせることがよいことだとは思えない。
2021年2月22日 オズの国の住民たちは素敵だ!?
最近、小1のツクル氏が寝る前、毎晩、本の読み聞かせをしている。今はフランク・ボームのオズ・シリーズだ。日本ではかかしやブリキのきこり、臆病ライオンが登場する1作目『オズの魔法使い』しか有名ではない。でも、オズ・シリーズは本当は全部で14作品(+短篇集が1作品)ある。それを順番に読んでいこうというプロジェクトだ。
すでに6作目『オズのエメラルドの都』に突入しているが、面白い。オズ・シリーズは突飛なキャラクターが登場して、面白いんだけど、6作目は集大成という感じで、本当にファンタジーをやっている。何しろ、ロクワットというノームの王が、周辺の極悪な民族と手を組んでオズの国に攻め込んでくるというシナリオだ。ロクワットに将軍に任命されたガプが休むことを知らないキテレツ族、筋肉だけのガリゴリ族、魔法に長けたマボロシ族と交渉して、同盟を組んでいく。その一方で、何も知らずに暢気にオズの国を旅して新しい出会いをするドロシー一行。この2つのプロットが、交互に入りながら、話は進んでいく。
ドロシー一行の旅も面白い。切り紙でつくられた人々が暮らすチョキリンの村、まるでパズルのように、ちょっとした衝撃でバラバラに崩れてしまうゴチャマゼ族の町、包丁や鍋、スプーンなどのキッチン用品の王国、パンが暮らす町、そして野ウサギが暮らす町、クドクドと訳の分からない理屈で話し続けるクドクド族の町、起こりもしないことを心配して大慌てするトリコシ族の村などだ。
ロクワット率いる乱暴な種族たちに対して、オズはどうやって危機を脱するのか……。そして、呆気ない終わり方。それがとてもオズらしくて面白い。
……問題は第6作『オズのエメラルドの都』がどうやっても手に入らないということ。仕方ないので、図書館から借りてきている。いつか入手したいなあ。我が家の本棚に正式にお招きしたい本である。
2021年2月21日 自戒。
相手に必要以上を求めてはいけない。これは自戒の意味も込めて書いている。
今年度はチームとしていろいろと攻めの姿勢を貫いてきて、成果も出してきた。評価もされている。それはそれで、単純に嬉しい。でも、あるあるだとは思うんだけど、成果が出れば出るほど、そして評価されればされるほど、求められる水準は高くなっていくし、質だけじゃなくって、量的にも期待されていく。そんな経験はこれまでにたくさんしてきたので、ボクは案外、慣れている。そうなることも見越していて、それでもやれると判断したことしかやらないし、あるいは求められてもこれ以上はやらないという線引きもできている。でも、チームの若いメンバーはそうではないので、結構、しんどいだろうな、と想像する。だからこそ、ボクは結構、気を遣っている。あまり負荷を与えるとパンクしちゃうだろうな、と思って、求めないようにしている。それでも、多分、プレッシャーは半端なくて、先回りしてボクの要求に応えようと必死だ。
そんな中で、そういうことに頓着しない管理職というのはいて、もっともっとと詰め込んできて、それに対してボクも含めてメンバーが結構、アップアップになっていて、それでも、全然、そのことに気づかずに配慮のない物言いをしたので、さすがに頭に来て、金曜日にブチ切れた。でも、結局、よくよく思い返すと、「配慮ない物言い」が一番、ボクを激怒させた原因で、「配慮してよ」というのは、相手に「自分たちの大変な現状や苦労を分かって欲しい」という理解を強く求める行為であって、実はこちら側が適切に現状や想いを発信をしないと伝わらないこともあるので、双方のコミュニケーションの問題だったりもする。
相手に必要以上に理解を求めていなかったか。そう自戒した。そんな話。
2021年2月20日 ケツの穴から手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタ言わせたろかい
息子があまりに毎日「おケツ」「おケツ」と連呼するので「お尻」と言うように伝える。すると「ケツと尻は何が違うのか」と聞いてくる。挙句の果てに「ケツ」の漢字を教えろというので、そういえば、と調べてみたところ、漢字では「穴」と書いて「ケツ」と読むらしい。本来、ケツはお尻の穴を指すらしい。だから、ケツの穴では「穴の穴」になって、変なのではないか、という議論があった。度量が小さいことを意味する「ケツの穴が小さい」という慣用句もある。
ちなみに、岡山県には「オケツ」という妖怪がいる。お産のときに、赤ん坊の代わりに生まれてくる妖怪で、亀に似た姿で、背中には毛がはえている。生まれるとすぐに床を這って家の縁の下に逃げ込もうとするので、取り押さえて殺さないと、妊婦の真下に潜り込んで寝ている妊婦を殺してしまうという。
2021年2月19日 相手に対峙するときには対等である!
寺田有希という女性がいる。YouTube「ホリエモンチャンネル」に出演している人で、結構、真面目なんだなあ、という印象を持っていた。真面目なんだなあ、というのは、しなやかではないという意味で、ホリエモンと一緒になってバカをやっているようでいて、どこか冷めているし、ドッキリを仕掛けられると、本気で怒る。そういう硬さみたいなのがあって、個人的には扱いづらそうな女性だな、と勝手に思っていた。でも、知性的ではあるし、リアクションがかわいらしいので、そういうところをホリエモンが評価しているのかな、とも思っていた。
そんな彼女が「対峙力」という本を出した。その内容というか、切り口がすごくて、ちょっとビックリした。相手との向き合い方というか、コミュニケーションの本なのだと思うけれど、「対峙」という言葉のチョイスや、そこで説明される心構えがすごい。いつも、こんな風に相手と対峙していたら、そりゃあ、相手も評価するよな、と思う。帯にホリエモンが「驚いた! これほど工夫していたとは。だからこんなに話しやすいのか」とコメントを寄せている。まさにこの帯に書かれているホリエモンの感想が全てだ。ノウハウ本ではあるけれど、でも、驚嘆した。心構えもそうなんだけど、それをこうやって適切に文章化できるセンスがすごい、と思う。
本を読むのが苦手な人は、こちら。この対談も見応えがある。
2021年2月18日 新型コロナウイルス感染症はオンラインの時代を押し進めた
本日はブランタイヤとテレビ会議。インドネシアとも会議をして、南アとも会議をして、パキスタンとも会議をして、本当に、今はオンラインの時代だな、と感じる。時差の問題はあれども、言語の壁もあれども、当たり前にいろんな国と顔を突き合わせて会議ができる。すごい時代だ。
2021年2月17日 企業を叩いても面白くないけど、個人叩いたら面白いもんね!?
倒れ伏していた。さすがに2週間くらい、パキスタンとのウェビナーの準備でぶっ続けで走ってきたので、疲れたのだろう。でも、今までだったら体調を崩していたところだけど、身体がだるくて動けない……くらいのダメージで済んで、午前中、ゴロゴロしていたら、午後には復活した。
* * *
何やら、再び、てんちむが炎上しているらしい。まあ、そういう浅はかな部分も含めて、全部が彼女らしいな、と思う。でも、今回の炎上は、ちょっとだけ論点がズレている気がしている。
というのは、今回、脱毛サロン運営会社の広告そのものに当時「9ヶ月0円」という表現があって、これが、実は9か月分の費用が後払いになるいう意味だったわけだ。これが景品表示法の「有利誤認表示」に当たるのではないか、ということで炎上している。
でも、てんちむはPR案件を受けただけで、表現も脱毛サロン運営会社の広告文句を使ったに過ぎない。だから、非難されるべきはてんちむではなく、脱毛サロン運営会社の方であるべきである。
勿論、ね。広告って、いろいろと法的な制約があるから、インフルエンサーも気を付けなきゃいけないとは思う。その点は脇が甘かったと思うし、賢くなかったな。ましてや炎上したばっかりなのだし、もう少し慎重でもよかっただろうな、とは思う。でも、元々、脱毛サロン運営会社が堂々と使っている表現なのだから、彼女が「この表現はセーフなのだろう」と考えたとしても、それは不思議のないことではないかな、と思う。
何でもかんでも、ターゲットを見つけて面白おかしく叩くのはよくない。ちゃんと批判すべき点は何なのか、批判すべきことなのか、批判すべき対象は誰なのかを考えなきゃいけない。その上、企業って個人とは違って叩いても盛り上がらないし、面白くない。だから、結局、ターゲットがてんちむ個人になってしまう。そういういじめの構造がある。SNS時代になって、有名人は大変だな、と思う。
* * *
それにしても、あくまでも個人的な感想だけど、「9ヶ月後以降にお支払いスタートだから今お金がなくても始められる♪」(今でもC3のウェブサイトにある表現だけど)というのは、意外と危険だよね。分割払いならサービスとして理解できるけど、これはただの後払い。今、お金がない人間が、9か月後ならお金があるとでも思っているのか。決して安い商品じゃないのだから、こういう商品を提示している段階で、ボクとしてはC3に対して、強い不信感を抱いてしまう。そういう意味じゃ、それを紹介したてんちむも、やっぱり問題だったのかもしれないか。まあ、微妙なところだな。
2021年2月16日 そろそろ一方通行のプレゼンから脱却すべし!?
企業プレゼンをちゃんと考えないといけない時期に来た。そう感じた。ウェビナーに民間企業を呼んで、ビジネスマッチングの時間を設けた。でも、講義みたいなプレゼンをする企業が多い。自社製品の性能とか仕組みをメカニズムも含めて詳らかに説明する。まるで講義のようなプレゼン。当然、聞いている側も、その製品の性能や仕組みに向かう。でも、本質的には、ビジネスマッチングって、商品の性能や仕組みのPRの場じゃないような気がする。
たとえば、電気屋さんに行って、何か家電を買うときに、その性能や仕組み、メカニズムを説明されて、そこを深く理解したとして、それが購入の決め手になるとは思えない。我々は、商品開発者でも、機械技術者でもない。商品のメカニズムの詳細を知って、ああなるほどと思っても、それが購入の決め手にはならない。開発業者は、いろいろと創意工夫をしているのかもしれない。それが大きな技術革新なのかもしれない。でも、そうではなくて、その家電が自分の生活スタイルに合っているか。生活をどう改善してくれるのか。そして、その便益に対して金額的に折り合いがつくか。そういうことだと思う。
だから、パキスタンの現状をヒアリングして、自社製品が活用されたときに、どういう風に状況が改善されているのか、そのイメージを持たせなきゃいけない。そのためには一方通行のプレゼンではなくて、対話が必要だ。そういう意味じゃ、講義じゃダメだ。
うまい企業もいて、ちゃんとプレゼンの時間を抑えて、相手と対話していた。質疑応答も、製品の性能や仕組みの話じゃなくて、ソリューションの議論になっている企業もいた。そういう形にもっていけるように、我々も支援しなきゃいけないなあ、と痛感した。
そういう意味じゃ、研修もそうだ。講師が一方的に座学を伝えるのは、もう研修としては意味をなさない。そんなものは通信教育の動画教材で十分に事足りる。オンラインで繋ぐのだ。いろいろと、アプローチを変える必要はあるのだろうな。今回、ウェビナーの中で、プレゼンの時間は3分の1にして、3分の2は意見交換にしてみた。どんな発言が飛び出すか分からないし、議論は拡散するし、コントロールは非常に難しい。ファシリテーターには高いスキルが求められる。うまく出来たとは言えないけれど、でも、決して一方通行ではなかった。
2021年2月15日 Zoom、YouTube、Google Form、WhatsApp……時代だなあ。
ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」で仕事の話ばかりするのも本意ではないのだけれど、連日、そこに時間を費やしているので、本日も仕事の話。
本日はパキスタンとのウェビナー。主催者はボクで、ファイサラバードとラホールを繋ぐ。企画、司会進行、会議のファシリテーションも全部、ひとりでやる。でも、さすがにやりきれない部分もあって、端末の設定やICT関係の一部、後輩に投げた。
始まってからの想定外は、前評判ほどラホールの通信環境がよくなかった点。一所懸命、いろいろと説明してくれるけど、音が悪くて何を言っているか分からない。何度も聞き返して、意図を確認している間に、時間がどんどん無駄に経っていく。途中で現地スタッフが気を利かせて、WhatsAppで発言者の趣旨を連絡してくるので、少しスムーズに進むようになった。こういう連携が現地とできたのは助かった。
それにしても、時代だなあ、と思った。ウェビナーそのものはZoomで繋がっていてお互いに意見交換していて、それをそのままYouTubeに生配信して、多くの視聴者が見る。そして、質問やコメントがあればGoogle Formで送信して、それをZoomに反映させる。通信状況が悪くて聞きとれない部分は、WhatsAppでフォローされる。1年前では考えられなかった。新型コロナウイルス感染症は恐ろしいけれど、でも、明らかに世界を一変させた。
今回、少しだけ安心できたのは、頼れる同期がプレゼンターのひとりだったこと。彼女が登壇した45分は安心して任せられて、心穏やかでいられた。そういうのも、一本釣りでボクが選んだからよかったのだろう。
さあ、明日も頑張るぞ!!
2021年2月14日 鵜呑みにしてはいけない
土日が仕事で押し潰されて、苦しいところ。昨日に引き続き、パキスタンとのウェビナーでのプレゼン資料を作成している。既存のプレゼン資料をある程度、援用しようかな、と思って繋ぎ合わせてみたものの、よくよく考えると、間違っていないか、と思うことがたくさんあって、確認していたら半日くらい経ってしまった。
結論から言えば、かなりの部分、誤りがあった。何度も使われてきたプレゼン資料で、いろんな人の目が入っているはずなので、信頼度が高いと思っていたけれど、意外とそうではないことが判明した。
多分、専門外の部分で他の人がつくった資料は、みんな鵜呑みにするのだろうな、と想像する。過去から引き継がれているプレゼン資料だから大丈夫だ、とどこかで安心しているのだろうし、時間もないから取り敢えず使おう、と思っているのだろう。ボクは基本的には誰のことも信用していない。自分が目で見たもの、聞いたこと、触ったものしか信じない。だから、全部、一次資料に当たらないと納得しないので、間違いに気づいてしまう。本当は、そういう疑う姿勢というか、確認する姿勢は大事だと思うんだけど、なあなあでやっている人は意外に多い。
今回も、結局、たくさんの間違いを修正した。うーん。これで今までやってきたということが信じられないし、ガッカリしたし、ヤバいなあ、と思った。まあ、でも、そんなものよね。そんなこんなで、結構、夜中まで掛かってプレゼン資料を修正してしまった日であった。
……そして、ウェビナーはいよいよ明日。さあ、頑張ろう!!





