2023年9月2日 マインクラフトでヒトは成長できるか!?

息子のツクル氏がいよいよeスポーツを始めた。eスポーツと言っても、グループで「マインクラフト」をやる教室だ。個人で家を作ったり、畑をつくることもあれば、協力して材料集めをしたり、洞窟を制覇したりすることもある。共同でひとつの巨大建築物をつくるみたいなイベントもある。

コロナ禍で、なかなか人と一緒に何かをするみたいな集団行動ができない時代を生きている彼らなので、ボクとしては、ツクル氏に協調性とかコミュ力を鍛える場になって欲しいな、と思っている。そして、そのツールが「マインクラフト」であるというのが、時代を感じるところで、面白いなあ、と思う。まあ、実際に何かをつくるよりも、電脳世界でつくる方がエコではある。でも、手先の器用さみたいなフィジカルな能力は備わらないので、やっぱり、原始的にモノづくりをすることも大事だな、とは思う。

その点では、夏休みの工作で、ツクル氏がひとりでパラパラアニメの機械を作っていた。扇風機の風でくるくると回すと、スリットの先で絵が変わって、アニメーションになるというものだ。ツクル氏はベルトコンベヤーで送られてくる箱を棒人間が回収して、次のベルトコンベヤーに乗せるというアニメーションを自作していて、うまくできていた。ずぅっと彼は不器用だと思っていたんだけど、いつの間にか成長したらしい。へぇ……。

  

2023年9月4日 テレビから這い出る貞子って、今じゃ「妖怪」か!?

フィリピンの妖怪に「ホワイト・レディ」というのがいる。一般的には、ケソン市でよく知られるタクシーの後部座席に乗る白いドレスの幽霊だ。普通の女性のように乗り込んでくるが、運転手がミラーで見たり、振り返ると、身体が透けていたり、血まみれだったりして、驚くというよくあるタイプの都市伝説っぽい妖怪。ところが、これが現在では道にも出るらしく、運転中にミラーに映り込んだり、あるいは通行人が目撃したりする。フィリピンでは非常に有名な怪談、あるいは都市伝説になっている。

そのヴィジュアルを見ると、白いドレスに黒髪というのが定番になっていて、黒髪を前に垂らしていて、顔が隠れている。何となく「リング」の貞子っぽい。実際に、現在のホワイト・レディのヴィジュアルに関しては、かなりの部分、貞子の影響も指摘されているらしい。

「リング」は1998年に映画化され、2002年にはアメリカで「ザ・リング」として映画化されている。そのヴィジュアルは東洋の幽霊のテンプレートのようになって、全世界に知れ渡ったらしいので、ホワイト・レディに貞子の影響が入り込んでもおかしくはない。そういう意味じゃ、ボクはホラー映画って怖くてあまり見ないんだけど、「リング」って、結構、デザイン面で各方面に大きなインパクトを与えているのかもしれない。

貞子はいろんなところでパロディ化されて、いろんな作品でネタにされるから、ドラキュラとかフランケンシュタインの怪物とかスライムみたいに、もう、「リング」という作品を飛び越えて、普遍的な妖怪になりつつあるのかもしれない。「13日の金曜日」のジェイソンも、ある種のホラー・アイコンみたいになっているもんなあ。日本のホラー・アイコンは貞子かもしれない。そんなことを思いつつ、でも、「リング」を見るのは怖いもんなあ……。うーん。

  

2023年9月10日 不思議な使命感

抱え込んでいた仕事の量が多くて、ここのところ、メチャクチャ忙しかった。朝から晩まで働いて、10時に帰宅して家では眠るだけという生活が1週間くらい続いていて、身体を壊すのではないかと自分で自分のことが心配になった。

こういうのは、本当はよくない。でも、いろいろなイベントというか、締め切りが重なってしまって、結果として、こうなった。もう少し若いときには、えいや、でいい加減にやることもあった。でも、年を重ねて、いろいろなものが見えるようになると、逆に求められている水準とか、期待されていることも分かってしまうので、最低限、そのハードルは越えてやろうとか、勝手に自分で設定値を高めてしまうので、思ったよりも無理をしたな、と感じている。その代わりに、趣味のウェブサイト運営を蔑ろにして、隔日更新の「日々の雑記」はしばらく休載となっていた。あっはっは。

当面の必要なイベントを一定水準の品質でやっつけたので、ここからは少しだけ、落ち着いて、ウェブサイト運営にも時間を割けるかな、と期待しているので乞うご期待。

とは言え、「日々の雑記」はSNSではないので、フォローされる読み手がいるわけではない。自己研鑽のつもりで、気軽に書いている。気軽に書いているのに、神話・伝承の話題を少しだけ多めにしようかな、と自分を律してやっている。そういう不思議な使命感からやっている活動である。さてはて。

  

2023年9月12日 わざと分断をつくって話題にしようという悪意。

6月16日にそもそもアリエルはデンマーク人が演じるべきでは!?という記事で、そして6月20日には強いピーチ姫って本当に必要!?という記事で、最近のアメリカのポリコレ批判をした。そうしたら、また、白雪姫で議論が活発化している。

ボクは今まで、フィリピンやパキスタン、インドネシアなどのアジアの国々の人々と一緒に働いてきた。ナイジェリアやマラウイ、スーダンなどのアフリカの人々とも一緒に働いた。その観点から言えば、いろんな人種、いろんな民族の人々と接してきた。人種や民族で、優劣はないし、みんな、人間であって、いい人もいれば、悪い人もいる。賢い人もいれば、愚かな人もいる。それぞれの「個」である。だから、別に差別するつもりも、区別するつもりもない。

白人以外が主人公で大活躍する作品があっていい。それをどんどん作るというのも、ボクはいいと思うし、それをディズニーが推し進めたいと思うなら、それも大賛成だ。でも、それを「人魚姫」や「白雪姫」みたいな白人の文化の上でやらなくてもいいと思う。既存の作品の上にそういうポリコレの思想を載せるのではなくて、それにふさわしい適切な作品を作るべきである。その方が、新しい可能性が見える。

変にポリコレを取り入れて、批判が殺到したら、それこそ変にヘイトが向かって、本来、達成すべき「白人以外が主人公で大活躍する作品」からは遠ざかる。折角、ヒロインに抜擢された女優が批判に晒されるのって、とてもかわいそうだし、そういう覚悟を持って作品に臨むのって、とてもストレスだ。ポリコレという大義名分を掲げて、敢えて、分断を引き起こしている気がする。

ディズニーは、もっと、素直に、純粋に、いろんな民族や人種の人が活躍できる適切な映画をつくればよいと思う。切に。……というか、ディズニーは、もはや過去の焼き直ししかつくれなくて、新しいオリジナル作品をつくることはできないということなのかもしれない。まあ、ライオンキングもリトル・マーメイドも、日本の作品をパクtt(ry

  

2023年9月14日 子供たちだけの閉鎖的な社会

ジャニーズが記者会見をして、性加害を認めた。被害者は、これで少しは前に進めるのだろうか。でも、その後の流れの雲行きが少し怪しくて、ボクは少し心配をしている。

それは、東山氏も性加害の側にいたのではないかとか、TOBEをつくったタッキーも、実質、今の被害者たちがジャニーズJr.時代にトップにいたのだから、責任があるのではないかとか、いろいろと飛び火したような語られ方がポツポツと現れたことだ。会社ぐるみで犯罪をすると、こういうことになってしまう。知っていたのか知らなかったのか。加担していたのかしていなかったのか。責任があるのかないのか。

ボクは海外で仕事をすることが多かった。日本人は、少人数のチームで、同じホテルに泊まって、車両を共有しているので、ほとんど朝から晩まで、一緒に活動をする。1か月も2か月もそうやって閉鎖的な社会で暮らしていると、当然、チームの中で不和が生じることも多い。仕事の方向性とか、モチベーションの差とか、能力的な問題とか、生活態度の問題とか、いろんな理由で、ある瞬間に、誰かが輪の中から弾き出される。そういう現象は、いろんなプロジェクトに関わる中で、何度も見てきた。そうなると、その人物はチームから離脱する。そういうことは、実は往々にしてある。

ボク自身は、自分の身を守らなきゃいけないし、親しい仲間を守らなきゃいけない。そういうことに必死だった瞬間もある。誰かが攻撃に晒されたときに、一緒になって加担しないように、距離を置かなきゃいけないこともあった。今まで、見て見ぬ振りをしたつもりはない。加担したつもりもない。でも、プロジェクトの成否を考えて、結果として、誰かを切り捨てる結果になったこともたくさんある。

ジャニーズという会社も、閉鎖的だから、非常に複雑で、どろどろしたものがあっただろうな、とボクは勝手に想像する。誰かひとりが絶対的権力を持てば、媚びる人もいれば、従う人もいる。権力に取り入る人もいる。結果、加担する側に回ってしまう場合だってあるだろう。大人だってうまく立ち回るのは至難の業。難しい環境だ。それでも、子供たちはたくましく生きただろう。善悪はともかく、うまく切り抜けた昇って行った。そういうのも、ある側面では、被害者なのではないか。本当は、大人たちが守ってあげなきゃいけなかった。

望月さんが会見で言及していた書籍を、ボクは読んだことがある。その上で、YouTubeで会見動画を聴きながら、そんなことを感じてしまった。

  

2023年9月16日 テレビから幽霊が這い出して来るという新概念!?

9月4日にテレビから這い出る貞子って、今じゃ「妖怪」か!?という記事を書いた。ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』やメアリー・シェリーの小説『フランケンシュタインの怪物』をボクはよく例に出すが、ドラキュラにしてもフランケンシュタインの怪物にしても、著作者の手を離れて、独立したモンスターとして、ハロウィーンで暴れ回っている。おそらく、エンタメを楽しんでいる人たちの中では、ブラム・ストーカーやメアリー・シェリーとの関係性は切れている。そういう意味じゃ、ジョゼフ・ペイン・ブレナンの『沼の怪』で登場したスライムも同様で、今やいろんなゲームに雑魚キャラで登場して、ブレナンがオリジナルだとは知られていない。そういう意味で、「山村貞子」というJホラーの怪物も、もはやそういう類いの仲間じゃないか。

そんなわけで、DVDを購入して、映画『リング』と『らせん』を観てみた。実は、ボクはホラー映画が苦手なので、敬遠していた。でも、貞子がファンタジィ事典の対象になるかもしれないなら、これは観るしかない。

結論から言うと、『リング』はそんなに怖くはなかった。むしろ、テレビから貞子が這い出してきたシーンには、ギャグっぽささえあった。お陰で、最後まで観ることができた。もしかしたら、それはいろんな人にこすられ続けてきたからかもしれない。何も知らずに初めて貞子を観ていたら、戦慄するのかもしれない。でも、インパクトはあった。テレビの映像に呪いを込める。映像を視た人は1週間後に死ぬ。テレビから幽霊が這い出して来る。これは……すごい発想だな、と思った。最後、松嶋菜々子が演じる浅川玲子が、息子の呪いを解くために父親を犠牲にしようとして終わるところが、最もホラーである。続編の『らせん』はホラーというよりはファンタジーという感じ。何とも不思議な感覚で終わって、それはそれで面白かった。

テレビから這い出す貞子というのは、原作にはない監督の中田秀夫のオリジナルの設定なのだという。そして、この中田氏の改変された「貞子」は、その後、『リング2』、『貞子』、『貞子2』、『貞子3』……と独自に展開していくらしい。そうであれば、ファンタジィ事典のためには、そちらもフォローしなければならない。……でも、『リング0』は怖いというレビューも見るので、ちょっとドキドキするなあ。……全部、見終わったら、ファンタジィ事典に「貞子」の項目を書いてもよいかもしれない。ドキドキ。

  

2023年9月18日 2体の「非人間」のミイラ!?

9月12日にメキシコ議会の公聴会に2体の「非人類の遺体」がハイメ・マウサン(Jaime Maussan)氏によって持ち込まれて、話題になっている。宇宙人のミイラだと報じられているが、マウサン氏本人は「非人間」とは主張しているが、「地球外生命体(イーバ)」との明言は避けている。意外と小さい2体のミイラだ。胡散臭いと言えば胡散臭い。作り物っぽい。でも、こうやって、ネッシーの大捜索があったり、グレイの写真がXで公開されたり、「非人間」のミイラが議会に持ち込まれたり、平和な時代だし、楽しいなあ、と思う。

持ち込まれた2体のミイラを科学的に真っ当に分析したら、フェイクだった場合、すぐに真実が判明してしまうはずだ。こうやって持ち込んでいるので、マウサン氏には、何か秘策があるのかなあ。うーん。

  

2023年9月20日 ジャニーズ事務所激震!?

ジャニーズ事務所に激震が走っている。次々と大手民間企業がCMの打ち切りを発表して、所属タレントが追い込まれている。「タレントに罪はない」「タレントが可哀そうだ」という声が上がる。難しい問題だな、と思う。あくまでも契約の主体がジャニーズ事務所である場合、民間企業としては、ジャニーズ事務所との契約を忌避する。結果、割を食うのはタレントである。でも、タレントが生み出す利益がジャニーズ事務所に流れるのは事実なので、民間企業としては、その流れは避けたいところだろう。

そもそも、ボクは「ジャニーズ」という名前にこだわったのが最大の敗因だと思う。大手民間企業はジャニーズ事務所の今後の動向を注視していたはずだ。ジュリー氏が株を持っているとか、親族経営が続いているとか、結局、東山氏を社長に据えても傀儡ではないかとか、あるいは東山氏そのものも加害者の側にいたではないかとか、そういうことは、実は「ジャニーズ」の名称に比べれば、小さなことだと思う。何しろ、ジュリー氏は姪っ子であって、直接の加害者ではないし、性加害を加えたわけではない。経営者として「知らぬ存ぜぬ」で済むわけではないので、その経営責任は問われるが、性加害の罪を背負っているわけではない。何となく、ジャニー喜多川の一族に利益が転がり込むことに違和感を覚える人はいるのかもしれないが、それだって、本質的にはジュリー氏に全面的な非があるわけではないのだ。

「解体的出直し」を打ち出すのに、どうしても「ジャニーズ」の名前を残そうとしたところが、最大の過ちだったのだと思う。そんな企業と契約できないよ、という大手民間企業の批判に晒されている。これで「やっぱり名前は変えます!」と君子豹変してみても、朝令暮改の誹りを受けるだけで、きっともう信頼は取り戻せないだろうなあ。

中田敦彦氏が動画の中で提案していたけれど、タレント事務所と、補償事務所に二分して、後者はこれまでの内部留保で対応するというのが一番、キレイな落としどころな気がするが、さてはて。

  

2023年9月22日 文字の発明とともに図書館は成立した!?

紀元前3500年頃のシュメル人の時代、すでに図書館は存在していたらしい。古い図書館として有名なものは、アッシリアの時代の「アッシュルバニパルの図書館」である。当時の首都ニネヴェに建設されたもので、時代としては紀元前7世紀。約30,000点以上の文書が発見されている。『ギルガメシュ叙事詩』、『エヌマ・エリシュ』もこの図書館のコレクションのひとつである。当時は粘土板が主流であり、エジプトのパピルスも保存されていたらしい。

もうひとつ、紀元前3世紀のプトレマイオス朝エジプトのアレクサンドリア図書館が有名で、これはギリシアやローマの文書が多数、保存されていた。9柱の女神ムーサたちに捧げられたらしい。カエサルによって意図せず、焼失してしまったり、衰退したりして、その後、コプト教徒によって破壊されてしまったらしい。残っていたら、いろいろな知識が現代に伝わっただろうな、と思う。

実は、ボクはトルコのエフェスにあったケルスス図書館の遺跡に行ったことがある。ファサード(建築物の正面部分)しか残っていなかったが、それでも、建物の大きさには圧巻されたし、当時の人々が図書館に通って知識を深めていたことが体感できた。現地ガイドの案内では、図書館には地下道があって、そのまま娼婦館に繋がっていたらしい。図書館に勉強に行くと思わせて、娼婦館に通っていた男性も多かったというエピソードを聞いた。全く、今も昔も、人間は低俗である。

今、ボクは2週間に1回、図書館に通っている。これはルーチンだ。息子の読書量を増やそうと思って、いろんな本を借りてきては、読ませている。息子はあっという間に読んでしまうので、ペースとしては、大体、2週間で7~9冊のペースだ。夢水清志郎やズッコケ三人組などの物語もそうだが、昆虫や日本史など、各方面の知識を満足させようと画策している。

図書館の配架というのは、日本図書コードに従っている。00から98まであるが、00は「総記」で、図書館や書籍、出版に関する本である。そんなわけで、最近は00~04を中心に本を借りている。そんなわけで、本日の「日々の雑記」は、ちょっと図書館に寄せて語ってみた次第である。

  

2023年9月24日 「それじゃ、お父さん、合わせてあげてください」

先日、ピアノの発表会があって、息子のツクル氏と連弾した。勝手なイメージで、連弾は手が4本あって2倍になるから、それぞれの演奏そのものは簡単になるのでは、と思っていた。でも、息子と合わせてみたら、全然、難しい。結局、2人でやっていても「合奏」なのだ。相手と呼吸やペースを合わせなきゃいけない。特に相手が子供だと、大人のボクがペースメイカーになる。楽しくなって、どんどん速くなっていく息子を制御しながら、ゆっくりゆっくりとペースを落としていく作業は至難の業だ。簡単なところは速く、難しいところはゆっくりになる息子に、必死で合わせる。逆に、息子は息子で、父の刻むテンポに合わせなきゃいけないので、完全に自由ではない。どちらにしても、息を合わせるって、とても難しいのである。

本番の直前に、ピアノの先生に呼ばれて、一度だけ、レッスンをした。ボクは原曲を知っているので、結構、譜面に忠実にやろうと思って、練習していたし、息子にもそう演奏させようとしていた。すると、先生が「ツクルくんは、ここはこのペースでやりたいの? もう少し速いペースでやってみる?」と尋ねる。息子は「このペースが弾きやすい」と回答。すると先生は「それじゃあ、お父さん。少し遅く感じるかもしれませんが、ツクルくんのペースでお願いします」と指示が飛ぶ。「最後、音はジャン、短く終わる? それともジャーン、と長く終わりたい?」「長く終わる方で!」「それじゃ、お父さん、それで合わせてあげてください」。

全然、原曲とは違う解釈だし、テンポだし、演奏方法だ。それでも、ピアノの先生は息子の意向を尊重し、ボクに合わせろと指示してくるのだ。なるほど、それもひとつの表現だし、自己肯定感につながるのかもしれない。

  

2023年9月26日 最後に常に不安と絶望を残して幕を引くのがリングの魅力!?

映画『リング2』と『リング0』を観た。『リング2』は映画『リング』『らせん』と続いた物語のパラレルワールドのようだ。そして『リング0』は貞子の誕生譚。

『リング2』でもビデオの呪いは健在だ。ビデオの呪いから逃れるためには、誰かにビデオを見せなければならない。深田恭子演じる女子高生の香苗は呪いのビデオを取材するライターの岡崎にビデオを渡して、必ずビデオを見るようにお願いする。しかし、彼は結局、ビデオを見ない。その結果、1週間後に香苗は貞子の呪いで死んでしまう。こういう展開は、現実だったらありがちだなーと思う。「絶対に見てね!」と託されたのに、裏切られる。結果、彼女も新たな呪いの渦になって岡崎に襲い掛かる。つまり、こうやって、人間の負の感情で、貞子は増殖していく。こういう人間の浅ましさが『リング』シリーズの一貫したテーマなのかもしれない。

呪いのビデオを見た友人が死んだときに、その場に居合わせた女性は、貞子を目撃して気が狂ってしまった。病室のテレビを見た瞬間、彼女の念力みたいなもので、テレビに呪いのビデオと同じ映像が映し出される。院内はパニックになる。このシーンはとても怖かった。「見ちゃダメだ」と言われながらも好奇心でビデオを見てしまう「見るな」の怪から、強制的にビデオを見せる怪になってしまう。こうやって、いろんなところに貞子の呪いが波及していくのは、難解ながらも、とても面白かった。

最後、貞子が井戸をよじ登って追いかけてくるシーンは、思わず笑ってしまったが、それでも、『リング』シリーズは独特の雰囲気があって、Jホラーの代表格という感じだ。

『リング0』の方は、貞子を仲間由紀恵が演じていた。この貞子は純粋でとてもかわいい。この話では、いい貞子と悪い貞子がいて、いい貞子は人の怪我を治癒できる。しかし、悪い貞子が次々と人を殺していくために、特殊能力を持ついい貞子も迫害される。そして、結局、パニックになった人々によって、貞子は追い詰められてぼこぼこに殴り殺されてしまう。そのシーンが、とても凄惨で恐ろしい。仲間由紀恵は、寄ってたかって棒で殴られて殺されてしまう。

けれども、もっと恐ろしいのは、彼女は、人々に殴り殺されたにも関わらず、復活する。自らも治癒・再生してしまって、彼女は死なないのだ。いい貞子の、人を治癒して、再生し得る偉大な能力と、その可能性は、しかし、人々の恐怖と混乱によって迫害され、潰されて、押し潰していく。そこがとてもホラーだと感じた。結局、人間の恐怖が貞子という怪物を生み出すのだ。最後の最後に、貞子は井戸に突き落とされて殺される。それでも、自らの能力で再生してしまって、井戸の底で、彼女は死ねないまま、ずぅっと閉じ込められ、生き続けることになる。この映画は、鉈で殴られ、井戸に突き落とされた彼女が、無傷で井戸の水の中で起き上がり、そして絶叫するところで幕を閉じる。こういう後味の悪さもまた、『リング』シリーズの魅力なのかもしれない。

  

2023年9月28日 80年代はいい時代

最近、70~80年代の音楽を聴いている。たとえば、ピンク・レディや山口百恵、中森明菜、松田聖子などだ。こういう音楽を聴いても、音楽は革新的だったのだと今でも感じるし、ものすごい昭和の熱気を感じる。決して、今の音楽に引けを取らないし、もしかしたら、今のアーティストよりもうまいかもしれない。今の時代に聞いても、ちゃんと新しさと凄さがある。

ピンク・レディの『UFO』は、彼氏が宇宙人なのではないかと疑う女性の歌だ。そして、彼女は「地球の男に飽きてきた」などと言って、宇宙人かもしれない彼氏を受け入れる。でも、別段、彼が特別な能力を持っているわけでも、人間として外れているわけでもない。ただただ彼女の気持ちをものすごくよく理解してくれて、先回りしてくれるだけだ。結局は、彼女の思い過ごし。この奇妙な描き方は、とても面白い。山口百恵も、若い女性にかなり攻めた歌詞を歌わせることがきっかけで注目された。中森明菜も『少女A』のツッパリっぽい雰囲気が嫌で歌いたがらなかったものを事務所が歌わせている。

結局、分業でうまく行っていた時代ということかもしれない。昨今は、結構、セルフ・プロデュースとかシンガーソングライティングとか言って、個人のチカラみたいなものが評価される。でも、餅は餅屋で、卓越した能力を持つ人たちが分業するスタイルも、ある種、ものすごいパワーを持つのではないか。70~80年代の音楽を聴いていると、そんな気がしてくる。

最近は「個」の時代である。プロデューサの名前で売ってもいいし、アーティストや歌い手の名前で売ってもよい。でも、いろんな人たちが関わりながら、みんなで団結して売りに行くという形も、意外と面白いものだなあ。そんなことを感じながら、昔の音楽を聴いている。

  

2023年9月30日 令和の歌姫、まだまだ爆走中!?

Adoの『唱』がB’zの『ultra soul』に似ているなどと話題になっていたが、新曲の『DIGNITY』はB’zによる楽曲提供だ。作曲が松本氏、作詞が稲葉氏で、編曲が亀田誠治氏だというのだから、ものすごい布陣だ。そして、Adoにしては珍しく、技巧的な部分での誤魔化しの効かないガチンコのバラードだ。歌唱に対して、真正面から勝負している。

Adoお得意のガナりは鳴りを潜めていて、ファルセットやかすれ声を駆使しながら、それでも朗々と歌いあげる。Adoって、本当にいろんな抽斗があるんだなあと感服した。半音で上がっていく気持ちの悪いフレーズは、深海っぽい雰囲気を感じるし、サビ前の盛り上がりは、どぉっと押し寄せる波のうねりのようで、松本氏の作曲にも感服する。

あんまりハネてはいないんだけど、かつて、Adoは椎名林檎ともコラボしている。ちょっとタイミングが悪くて、林檎嬢が「赤十字おばさん」などと揶揄されているタイミングで、両者が大々的にPRできなかったのは痛いところだけれど、こうやって、令和の歌姫のAdoが林檎嬢やB’zなんかとコラボしていくのは、いろんな世代が交錯するので、みゅーじっくs面白いなあ、と思っている。