2023年4月1日 ウェブサイトのWordPress化

ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」はWordPressでウェブサイトを構築している。巷でCMSが流行っていた時代で、WordPressの中身くらい知っておいた方がいいと判断して、2014年に大幅リニューアルに踏み切った。デザイン的には、HTMLのタグ打ちで作っていたものをそのまんま転用していて、ただ構造だけをWordPressに変更した格好だ。

プログラムに詳しくない人にはよく分からない話かもしれないが、構造としてはPHPファイルでHTMLファイルを生成している。でも、生成されるHTMLファイルそのものは、タグ打ち時代のデザインのままにしている。WordPressで準備されている複雑なテンプレートはほぼ使っておらず、コンテンツ部分だけをCMSにして、PHPとしては、ヘッダー部、サイドバー部、フッター部と結合してHTMLを生成するだけのシンプルな構造にしている。唯一、「日々の雑記」の部分だけ、blogっぽい運用をするため、カレンダー機能のプラグインを借用している。

ボクが複雑なテンプレートを利用していないのは、他人のプラットフォームに対して、ボクがそこまでの信頼を置いていないからだ。怖さがあった。WordPressはセキュリティ対策で、頻繁に構造を更新する。下手に複雑なプラグインを使うと、その変更に対応できずに、不具合が生じる恐れがある。それが嫌だったので、シンプルに、HTMLを生成する部分だけ、WordPressを使った。

WordPressにして便利なのは、「日々の雑記」をスマホからも更新できること。インターネットに繋がってさえいれば、「日々の雑記」はいつでもどこからでも更新できる。海外にいてもだ。……とは言え、最近、「日々の雑記」の更新頻度は低いので、実のところ、WordPressにしたメリットをあんまり享受できているとは言い難い状況だ。

  

2023年4月3日 ウェブサイトのhtmlタグ打ち

前回の続きで、実はウェブサイト「ファンタジィ事典」は依然としてhtmlタグ打ちである。更新履歴を頻繁に更新するし、相互に項目同士でリンクも貼り合うし、カテゴリーごとに抽出したり、50音順に並び替えたりと、実はものすごく動的な運用になっているにも関わらず、htmlタグ打ちのままである。

その代わりに、すべてのhtmlファイルをExcelで管理していて、Excelマクロで更新履歴の作成、カテゴリー抽出や50音順の並び替えをして、htmlを生成している。要するに、WordPressでPHPが担っている業務を、デスクトップ上のExcelに全部、やってもらっているイメージだ。

具体的にはExcelで項目(たとえば最近だと「フェンリル」)を指定すると、Excel側からEmEditorでfenrir.htmlを開く。そしてhtmlを手書きで作成して保存すると、Excelで最終更新日が記録され、それが更新履歴(history.html)に反映される。Excel側でfenrir.htmlを書き出す。その際に、htmlファイルに最終更新日が挿入される。また、「北欧神話」というExcelの表のチェックを参照して、北欧神話の項目(norse_mythology.html)のリストにフェンリルが追加される。そうやって、すべてのhtmlファイルをExcelで生成してから、サーバにアップロードしている。

そんなことなら、「ファンタジィ事典」こそWordPressにすればいいじゃないか。どこからか、そんな声が聞こえてきそうだ。でも、正直、ボクは他社のプラットフォームを信用していない。定期的にWordPressはヴァージョンを更新していて、それに伴って、プラグインが対応しないとか、テンプレートのデザインが壊れるみたいなことが起こる。そういうこととは無縁でいたい。

「ファンタジィ事典」は圧倒的に情報蓄積型ウェブサイトだ。WordPressで何か不具合が生じたときに、階層やリンクの構造を復元するのは難しい。そんな複雑なシステムを、ボクは他社のプラットフォームに任せられない。誰かがつくったブラックボックスの中に放り込んでおきたくない。だから、自家製の箱庭の中にすべてを収めて、コントロール可能な範囲で活動している。

  

2023年4月5日 ブランディングは大事。

最近、YouTubeを見ていると、取捨選択せずに、何でもかんでも明け透けに動画にしちゃう人が多くて、薄ら寒さを感じる。もちろん、「包み隠さず」「裏表なく」「常に自然体で」みたいなコンセプトでうまく行っている人たちがいて、何でも動画にして公開するのがYouTuber的な生き方だという風潮はある。そういう明け透けさに惹かれる視聴者もいるだろう。

でも、おそらく実態は違う。明け透けにやってうまく行っている人たちは、実は明け透けに何でもかんでもあげているわけではないのだと思う。

プロフェッショナルであれば、外に出す情報は全て精査すべきだ。自分にとってプラスになるか、ブランディングの方向性に合致しているかは常に見定める必要がある。「明け透けにやる」というのが戦略で、そういうブランディングだからいいのだと主張する人もいるかもしれない。でも、そのやり方では、「明け透けにやっている風に情報をうまくコントロールして開示する」という戦略を持っている人には勝てない。明け透けに見えて、実は管理された情報の方が、視聴者の目には綺麗に映るからだ。

そこを履き違えて「私は全部開示しています」というのを真っ正直にやると失敗する。ボクは、そう思っているんだけど、どうだろう。ちゃんと、売れている人たちは、みんな、ブランディングしているのだと思う。

  

2023年4月7日 「ググる」時代から「ジピティる」時代になるにあたって

ChatGPTが登場して、「ググる」時代は終わりを迎えると囁かれている。今までは、分からないことがあれば、Google先生にお伺いして、出てきたウェブサイトを上位からいくつか眺めて、比較検討して、大意を把握し、情報の真偽を吟味していた。でも、ChatGPTは数多あるウェブサイトから情報を引っ張ってきて要約してくれるので、そういう行為が必要なくなるというのである。「ジピティる」時代の幕開けである。

そもそも、「ググる」ことすらままならない人がいる。昔、ボクの職場の後輩に、Googleにキーワードをそのままぶち込んで、検索結果の1番上しか参照しないヤツがいた。「この言葉の意味がイマイチよく分からない」とボクが発言したら、後輩男子から「ここに書いてありますよ」とリンクが送られてきたので見たら、その言葉で検索したら一番上に出てきて、ボクがすでに読んでいるウェブサイトだった。そのウェブサイトを読んだ上でも難解で要領を得なかったから悩んでいたのに……。

そうしたら、もう一人の優秀な後輩女子からこっそりと「こっちのウェブサイトが分かりやすいです」とフォローのメールが届いた。いろいろとググった結果、自分は見つけられなかったウェブサイトだった。おそらく、彼女は英語と日本語を混ぜて、専門的なウェブサイトを引っ掛けた中で、簡潔に記載しているものをピックアップしたのだろう。Googleひとつ取っても、使える使えないの差は歴然と出る。ChatGPTが主流のツールになったら、この格差はもっと広がるだろうな、と感じる。

ちなみに、ボクは、情報は出典明示度が大事だと思っている。根拠がない情報はいくら積み上げても意味がない。ChatGPTのやり方は、オンライン上の情報を統計的に処理してそれっぽいものを集めてくるので、数多く言及されている説を引っ張ってくるだろう。学者の発言も素人の発言も綯い交ぜになるのか、あるいは発言者に重みづけができるのか。いずれにしても、大多数の人が言っていることが正しいとは限らないので、結局、真実は自分で見つけるしかない。ChatGPTに全幅の信頼を置くわけにはいかない点は留意が必要だと思う。

  

2023年4月9日 執事といえばセバスチャン

息子のツクル氏(小4)から「執事といえばセバスチャンでしょ」と言われてキョトンとしてしまった。そんな言説、ボクは聞いたことなかった。一体、何のネタなのか。色々と事情聴取してみたところ、どうやら「コロコロコミックス」で連載中の漫画「妖怪ウォッチ」にセバスチャン、「ニンジャラ」にセバスが出てくるらしい。へぇ。そうなのか。

それならば、とGoogle先生にお伺いしてみた。そうしたら、「執事といえばセバスチャン」という言説は広く知られているものだと判明した。英国家事使用人研究者(という肩書き)の久我真樹さんという方が「執事といえばセバスチャン」はいつ成立したのか? 執事ブーム以前のセバスチャン考察というnoteにまとめてくださっていた。

1970年代のアニメ『アルプスの少女ハイジ』の使用人や『ペリーヌ物語』の執事の名前がセバスチャンなのだそうで、1990年頃から、色々な漫画やゲームで、執事の名前に繰り返し、セバスチャンが用いられているらしい。ときには、執事だからと、本名を無視して、セバスチャンへの改名を迫られる事例もあるという。

このnoteに挙げられている作品群は、ボクが子供時代に通ってきたジャンルではなかったので、寡聞にして知らなかった。この年になって、息子から新しい常識を仕入れることになろうとは、人生とは面白いものである。

  

2023年4月11日 オトナブルー

新しい学校のリーダーズがここのところ、バズっている。しかも3年前の『オトナブルー』という楽曲が再評価されている格好だ。彼女たちは、アイドルというのか、パフォーマーというのか、厳密な定義は分からない。おそらく当初はももクロみたいなアイドルを立ち上げたかったのではないかと勝手に想像する。キレキレのダンスと吹っ切ったパフォーマンス。そしてどうしてか、SUZUKAのコミカルな動きに思わず惹きつけられる。

彼女たちは21~24歳で、年齢としては非常に若いグループだが、実は芸歴は長くて、2015年に結成されている。結成されてから7年くらい経っている。若い頃に結成して以来、メンバーチェンジもせずに、ずっと続けてきたグループと言える。

THE FIRST TAKEにも出演していてビックリした。「いい意味でFIRST TAKEの緊張感ここまでぶち壊したグループは初めて見た」というコメントに思わず、頷いてしまった。すごい。4人ともが同じ方向性でちゃんと演じられていることが奇跡的だ。

音楽と雰囲気には昭和っぽさがありつつ、アングラっぽさもありつつ、でも、圧倒的なダンス・パフォーマンスは令和ならではのクオリティ。それもひとつの魅力だし、何よりも、完全に振り切っている。その覚悟が、一番、素晴らしい。

ちなみに、ここに挙げている『オトナブルー』の動画は、最近取り直したヴァージョン。昔のヴァージョンもあるし、ワンテイクのダンス・ヴァージョンもあるのでチェケラ!!

  

2023年4月13日 予約投稿の機能を駆使しての2日おき更新

4月になったので、いろいろと新しい試みを始めてみようと思って、そのひとつが「日々の雑記」を2日おきに更新するというものだ。中身は何でもいいので、最近、興味のあることなどを、500字程度で書いてみようというものだ。文章を書く練習にもなるし、何よりも、文章を書く習慣ができる。しかも、思いついたときにどんどんアウトプットして、予約投稿をしている。WordPressでウェブサイトを構築した甲斐があるというものだ。

ストックがある状態で「日々の雑記」の運用ができれば、本業の仕事が忙しくなっても、比較的、ノンストップで続けられる。「最近、更新が滞っているなあ」的な精神衛生上、よろしくない気持ちにならずに済むのは、いいことだ。時節にあったタイミングでの更新にはならないかもしれないが、あんまり巷のニュースには反応しないように心掛けているので、このスタイルでしばらく続けてみたい。

学生時代、ボクは「日々の雑記」を毎日更新にしていた。ネタを探して毎日を生きるので、ものすごくアンテナを張るし、文章も尖ってくる。あの感覚をもう一度、取り戻した上で、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の編纂に反映させていけば、もう少し各項目がエンタメ性のある文章になるのではないか。そんな期待を込めての運用である。

だから、「日々の雑記」そのものが直接的に何かを生み出すということは意図していない。万が一、面白い記事が書けたらラッキーくらいの感覚で続けていきたい。

  

2023年4月15日 個人のウェブサイトは自由である

2日おきに記事を更新するなら、facebookなどのSNSを使えばいいじゃないか。そんな声が聞こえてきそうだ。でも、ボクはSNSに強い苦手意識を持っている。読み手のレスポンスが返ってくるという意味では、モチベのアップに繋がる。反応があるというのは大事だ。でも、一方で、どうしても押しつけがましさも感じてしまう。

好きに書いて、書き散らかしているのに、相手の目の前に「読め!」とばかりに提示しているような乱暴さを感じる。もちろん、それを読むも読まないも、受け手の自由だ。でも、何となく、読まなきゃいけないみたいな暗黙の了解があって、「いいね」を押すみたいな雰囲気もあって、それが心苦しくなる。

そんなボク自身は、他人の文章は読まないタイプだ。興味のあるものしか読まない。面白いものにしか「いいね」は押さない。だから、みんながそうであればいいのに、と思う。でも、意外と律儀に何でも読んで、即座に反応しようという殊勝な人たちが一定数いて、とてもありがたいことではあるのに、ボクを苦しめる。

もちろん、これはあくまでも、ボクの勝手な感じ方、受け取り方である。意外とみんな、フランクで、「読まなきゃ」みたいな強迫観念はないのかもしれないし、そうであって欲しいな、と思う。でも、そういう強迫観念に苦しんでいる人が少なくともいるだろうことは、感じていて、そんな彼らに対して、決して反応しやすい文章を提供していない自覚はあるので、何となく、SNSから疎遠になってしまうのである。

  

2023年4月17日 ダークリッチの背後で流れるガムラン音楽とケチャ

中学校の音楽だったのだろうか。詳細は覚えていない。インドネシアのガムラン音楽とケチャを習った。ガムラン音楽は青銅を並べてバチで叩くので、鉄琴のような感じだが、音階が独特で不思議な雰囲気を持っていたが、一方のケチャは、何十人もの裸の男性が円陣を組んで、「ッチャッチャッチャ」という発声をずらしながら組み合わせて盛り上がっていくもので、当時、映像も音も、衝撃的だった。

そんなガムラン音楽とケチャを習った直後に、スーパーファミコンの「聖剣伝説2」が発売された。全体的には、結構、陽気なノリノリのBGMのゲームだったが、ラスボスの直前、悪の親玉ダークリッチとの戦闘曲が、まさにこのガムラン音楽とケチャをモチーフにしたものだった。明らかに金属を叩いたような音と「ッチャッチャッチャ」という男性の発声が使われていて、学生時代のボクたちのテンションはアゲアゲだった。

最近、民族音楽をよく聞くようになった。世界の神話を調べていると、当然、歴史とか文化も知らなきゃ説明できなくなる。当時の妖怪の絵を描こうと思うと、当時の衣装とか道具の詳細も調べることになる。その延長線上で、その当時の食事とか音楽、言葉みたいなものにも好奇心が向かう。

学生時代と違って、社会人なので、結構、自由になるお金がある。だから、民族音楽のAlbumを毎月、2枚くらいダウンロードするようになった。今月はパキスタンのガザルとインドネシアのケチャで、3月はギリシアの舞踏とミャンマーの竪琴とサインワイン、2月はアルゼンチンのタンゴとスペインのギター曲を購入した。

そんなわけで、最近は、ミャンマー伝承をまとめながら、ミャンマーの民族音楽を聴いたり、ギリシア・ローマ神話をまとめながら、ギリシアの舞踏を聴いたり(ギリシアの場合は時代が全然、違うんだけど)して、気分を高めている。

↑↑インドネシアのバリ島の「ケチャ」の様子。結構、中学生のときには衝撃を受けた。

  

2023年4月19日 日本の女性メタルバンドが凄い

最近、ボクが注目しているアーティストに、LoveBitesがいる。2017年デビューの女性メタルバンドだ。2021年にベースが脱退して、2022年3月に新メンバーを加えて新体制で活動を再開した。再始動の曲が「Judgement Day」という曲で、冒頭のベースの音が印象的な楽曲だ。

何となく、X Japan世代のボクは、クラシカルで、それでいて激しいロックを求めてしまう。そんなボクにとって、LoveBitesはピッタリだ。技術的には、若い人たちの方が圧倒的に上手い。LoveBitesのギタリストのMiyako(静的な方)とMidori(動的な方)の掛け合いは最高にいいし、ドラムのHarunaのツーバスも激しい。

新規加入したベースのFamiは、実はYouTubeで見たことがあった。ボカロ曲をベースで弾いてみたみたいな動画で何度かおススメに上がってきていて、「あ、知っている!」という感じだった。ヴォーカルのAsamiはたまには張らない声があると面白いのにな、とは思う。でも、最後の方でキーがどんどん上がってくる感じは、聴いていてものすごく心地よい。

日本では、メタルはあんまり聴く人が少ないので、全体的な母数が少ない印象はある。圧倒的に上手いので、もっと評価されてもよいのにな、と思う。だから、ひっそりとここで紹介しておこうと思うので、是非、臆せずに観てみて欲しい。

ちなみに、インタビュー記事によると、この「Judgement Day」も含めて、新しいAlbumの楽曲は、ベースメンバー不在のまま製作され、録音も終わっていたらしい。オーディション結果を踏まえて、後からFamiが収録したというから、新しいメンバーを信じて作ってしまう覚悟もまた、面白いな、と思う。

  

2023年4月21日 隠棲動物学

4月5日に13歳の少女が目撃したネッシーの画像が、このたび、「オフィシャル・ロッホ・ネス・モンスター・サイティングス・レジスター」に公式認定されたというニュースが流れてきた。目撃情報を公式に認定する仕組みがあるというのがそもそも面白いし、21世紀のこのご時世に、「未確認生物(UMA)」というジャンルがまだ健在なのかと感じる人もいるかもしれない。

日本では、「未確認生物(UMA)」はオカルトとかファンタジィのジャンルに区分されて、妖怪や幽霊、宇宙人などとごちゃまぜになって扱われがちであるし、ボクのウェブサイト「ファンタジィ事典」も御多分に洩れず、未確認生物も含めて、「世界の妖怪」と定義して取り扱っている。

海外では、隠棲動物学(Cryptozoology)と言って、学問ジャンルとして扱われていて、アメリカには「国際隠棲動物学会」も設置されている。こういう隠棲動物の事例としてよく引き合いに出されるのが「ゴリラ」だ。ゴリラは当初は「隠棲動物」として取り扱われていて、19世紀に「発見」された。コモドオオトカゲも恐竜の生き残りとされていて、20世紀になって「発見」された。コビトカバもそう。パンダやオカピもそうだ。日本だと、イリオモテヤマネコが同様のジャンルだ。

つまり、未確認の生物が実際に存在することは論理的にはあり得る。そういう学問が隠棲動物学……なのだが、ネッシーの場合はどうだろうなあ……。植物プランクトンの量、魚類の量などから、大型肉食獣の生存は困難だとか、肺呼吸の生物だと仮定すると湖面に顔を出す頻度が低いとか、1987年の大規模なソナー調査の結果、大型生物が発見されなかったとか、いろいろと科学的裏付けのある否定がたくさんあって、やっぱり、少しだけオカルトっぽい印象がある。多分、隠棲動物学で真正面から取り扱うべきジャンルではなくて、イロモノではないかな、とは思う。

13歳少女のネッシー画像が2023年初の公式認定 4月5日午前11時52分に目撃(東スポWeb)

  

2023年4月23日 原点回帰:自分らしい文章を書くこと。

ウェブサイト「ファンタジィ事典」は「世界の妖怪」に関わる情報を集めてまとめているウェブサイトだ。でも、本音を述べると、Wikipediaが登場したときに、その存在意義を見失っていた。何しろ、ボク個人が一人で集められる情報なんて限られているし、アクセスできる情報も限られている。複数の人が同じように情報を集めてまとめるなら、圧倒的に数の論理でWikipediaの勝ちだ。

特に、一時期、北欧神話に関するWikipediaは、レベちでクオリティが高くなった。かなり専門家や専門家に近い人が中に入ったのだろうなという印象があって、情報の出典明示度が極めて高くなった。原典のどの部分にどのように書いてあるのかが、Wikipedia上で明確に分かるようになった。正直、これはお手上げだな、と思った。

そんなことを頭の片隅で考えながら、数年間、漫然と項目を更新していたような気がする。極力、読める範囲で原典を読む。原語にこだわる。そして、絵を描いてみる。でも、ChatGPTが登場して、もう、そういうのはやめようと思った。情報量で勝負するのではなく、自分らしい文章で自分らしい感性で記述することが、唯一の価値だ。やっと、そういう境地に至って、最近、自由に更新している。

そうしたら、また昔みたいに楽しくなって、生き生きとファンタジィ事典を更新している。「日々の雑記」を隔日で開始したのも、そういう背景がある。文章を自由に書いて、記事にする。当たり前の出発点に、再び戻ってきた。

  

2023年4月25日 メディアの闇に転嫁してはいけない。

岡本カウアンがGASYLEでジャニー喜多川からの性被害を告白した。時を同じくして、BBCが特集を組んで報じた。そして、先日、岡本カウアンが日本外国特派員協会にて記者会見をした。

性被害の実態については、昔からたくさん暴露本が出されていたし、週刊文春も報じていた。たとえば、フォーリーブスの北公次氏が1988年の『光GENJIへ』で暴露本を出版したのが最初で、次の年にはジャニーズの中谷良氏が『ジャニーズの逆襲』が性被害を告発していた。ジャニーズJr.としては、平本淳也の『ジャニーズのすべて-少年愛の館』(1996年)、木山将吾の『SMAPへ-そして、すべてのジャニーズタレントへ』(2005年)などがある。

週刊誌としては、1999年以降、週刊文春が繰り返し、報じていて、それに対してジャニーズ事務所が名誉毀損で訴えた裁判があって、2002年の判決では、ジャニーズ事務所が勝訴しているが、性的虐待については真実性が認められた。それでも、どこのメディアもこれまで大きく取り上げることはなかった。

今、これまでテレビが報じてこなかった過去、今でも小さな報道に留まっている事実が「メディアの闇」として、海外メディアやYouTube等の媒体で非難されている。確かに気持ち悪さはあって、芸能人の不倫とか、不適切発言なんかは大きく取り上げるのに、未成年に対する性犯罪という大きな出来事はちょっと触っておしまいにしてしまうメディアは異常だと感じる。

でも、もうひとつ、ボクたちが考えなければならないのは、1988年以降、元ジャニーズによる暴露本が出版され、1999年以降、週刊文春が報じ、2002年の判決で性的虐待が認定された歴史の中で、岡本カウアンの性被害は、実はそれ以降に起こっているという事実だ。社長がワンマンで強かったとしても、組織として一切の対応をしてこなかった。それを清算しないまま、前に進むことはできない。そんな気がしている。「メディアの闇」に目を向ける前に、そもそものジャニーズ事務所のこれまでの在り方を見つめなおさなきゃいけない。

  

2023年4月27日 「えーっと」と「あのー」はどう違うのか。

YouTubeの「ゆる言語学ラジオ」のパーソナリティのお二人が『言語沼』を4月に出版したので、早速、読んでみた。

いつものラジオの軽妙な会話が忠実に再現された対話型の本で、推敲されているので、無駄がなくてキレキレである。文体はゆるく書かれているし、難しくないけれど、よくよく読むと、「連濁」「アニマシー(生物性)」「音象徴」「フィラー」「調音点」「オノマトペ」「格助詞」など、実はがっつりと言語学っぽい内容でまとめられている。それを聞き手の堀元氏がちょいちょい難解な雑学を放り込みながら、面白おかしく茶化しながら進行していく。

純粋に「言語学って面白い」という読後感が残るので、とてもよい。是非、おすすめの1冊である。

  

2023年4月29日 バオウ・ザケルガ!!

『金色のガッシュ!!』と言えば、2001年から2008年まで「少年サンデー」に連載されていた人気漫画だ。アニメ化もされた。作者の雷句誠氏は、小学館と大揉めして講談社に移り、そこでも編集者と揉めたっぽくて、最終的には自分自身でBIRGDIN BOARD株式会社という会社を立ち上げたというから、ものすごく変わった人物ではある。でも、ちゃんと漫画を描き続けていて、2022年から『金色のガッシュ!!2』の連載が始まった。現在、2巻まで出版されている。

当時、雷句氏がTwitterで『金色のガッシュ!!2』の連載開始を発表したときには、ファンが歓喜する一方で、一度、完結した物語を再開することに対する不安の声もたくさんあった。実は、ボクも不安を抱いていた。『金色のガッシュ!!』は、清磨とガッシュが、魔界の王を決める戦いに参加し、「やさしい王様」を目指す物語だ。そして、33巻で有終の美で完結した。ちゃんと完結した物語を、もう一度、組み立てなおして、続編を描くのは難しいし、すでに清磨とガッシュの関係性も変わっているわけで、どのような展開になるのか、見当もつかなかった。

だから、1巻が本屋さんに並んだときには、ちょっと様子見というのか、遠巻きに眺めて静観していた。そうしたら、2巻が発売された。「あ、ちゃんと続いた!」とボクはビックリして、そして、買ってみた。冒頭は不安が渦巻く展開だったが、どんどん、昔の懐かしい面々が登場したら、ぐいぐいと引き込まれた。そして、新しい展開も、それほど大きな違和感なく、前作と繋がった。

何よりも、読者の感情を揺さぶる瞬発力がすごい。雷句氏の鉄板のテンプレートなのだろう。普通だったら、周到に準備して、流れをつくって、ゆっくりと読者の心を動かしていく。でも、ガッシュは、1冊の中であっという間に感動の形を組み立てて、読者に向かって打ち込んでくる。1巻も、2巻も、ちゃんと感動のシーンまで持っていく。その瞬発力がものすごい。ああ、これがガッシュだ、と感じた。

大抵の場合、続編って失敗するものだけれど、今のところ、ガッシュに関しては、企画倒れにはなっていない。続編のストーリも成立しているし、かつての感動も損なわれていない。それもまた、すごいことだ。