太上老君(タイシャン・ラオジュン、たいじょうろうくん)

分 類中国伝承道教
名 称 太上老君 〔tàishàng lǎojūn)(タイシャン・ラオジュン)【中国語】
太上老君(たいじょうろうくん、だじょうろうくん)【日本語】
道德天尊 〔dàodé tiānzūn 〕(ダオドー・ティエンズン)【中国語】
道徳天尊(どうとくてんそん)【日本語】
容 姿身長約2メートル、口はクチバシのようで、全身に八卦が顕れている。三清として描かれるときには髭をはやした男性神で、ひとりだけ白髪で描かれる。
特 徴「老子」が神格化された神。
出 典『史記』(前94頃)ほか

道教の始祖「老子」、神格化される!?

太上老君(タイシャン・ラオジュン、たいじょうろうくん)は道教の神。道教の始祖とされる「老子」を神格化した神で、「太元(万物の発生)」を神格化した元始天尊、「道(タオ)」を神格化した太上道君(霊宝天尊)と一緒になって三清と呼ばれる。

『史記』(前94頃)によれば、老子は紀元前6世紀頃の哲学者とされる。姓は「李」、名は「耳」、字は「聃」で、楚の出身で、周の書庫の記録官だったとさえる。孔子も教えを乞うためにわざわざ老子の下を訪問したとされる。老子は周の衰えを悟ると、この地を去ることを決めた。国境の関所で、関所の役人の尹喜が教えを乞い、老子が与えたものが『老子道徳経』だとされ、その後、水牛に乗ってどこかに消えてしまったという。また、『史記』の中で、司馬遷は半ば懐疑的に、太史儋という周の占星家の名を挙げ、秦の時代から生きていて、不老長寿の秘術を会得して160~200歳まで生きた老子かもしれないと記述している。いずれにせよ、『史記』の時代にすでに老子の実態はよく分からなくなっているが、荘子や旬子などの諸子百家の著述にも老子が言及されており、同時代の人物であると考えられている。

2世紀頃、五斗米道の開祖・張陵の時代から、老子は太上老君として神格化され、3~4世紀には道教の最高神とされた。その後、6世紀頃に元始天尊が最高神とされた後でも、別格扱いされた。神仙になるためには太上老君を祀らなければならないなど、仙人修行の神でもあった。三皇五帝の出現以来、名や号を変えて、代々の皇帝(伏羲や神農、祝融、黄帝、顓頊、帝嚳、顒、舜、禹など)の先生になったともされる。

『抱朴子』(317年)によれば、太上老君は身長は9尺(約2.1メートル)で、体色は黄色、5色の雲をまとい、頭のてっぺんから爪の先まで八卦が顕れている。鼻は高く、口はクチバシのようで、眉毛は5寸(約11.5センチメートル)、耳は7寸(約16センチメートル)、金色玉堂に住んで、亀をベットに、前後左右は青龍、白虎、朱雀、玄武が守護し、頭上には雷電がきらめくという。

※ 漢の時代は1尺が約23センチメートル、寸は尺の10分の1

《参考文献》

Last update: 2021/07/04

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