シンクヮ・ナッ
分 類 | ミャンマー伝承 |
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ရှင်ကွနတ် 〔ʃɪ̀ɰ̃ ɡwa̰ naʔ〕(シンクヮ・ナッ)《がに股女の精霊》【ミャンマー語】 | |
容 姿 | 王宮の衣装を纏ったがに股の女の精霊。 |
特 徴 | アノーヤター王の大臣マンダレー・ボードゥの妹。タウンピョン兄弟を匿った罪で処刑され、精霊と化した。 |
出 典 | - |
タウンピョン兄弟を匿った罪で処刑され、精霊と化した!?
シンクヮ・ナッはミャンマー伝承に登場する女性の精霊(ナッ)で、37柱の精霊ナッの1柱に挙げられている。8~12世紀頃、北東インドのベンガル地方はパーラ朝が支配していたが、シンクヮは、パーラ朝のバラモンであったマンダレー・ボードゥの妹で、兄とともにミャンマーにやって来ていた。ミャンマーはビルマ族の王朝であるパガン朝の時代で、アノーヤター王(1014-1077年)が支配していた。マンダレー・ボードゥはアノーヤター王に仕えていて、超人ビャッタとポッパ山の鬼女(ポッパ・メドゥ)の子供であるタウンピョン兄弟(シュエピーンチー、シュエピーンゲ)の養育を任されていた。しかし、兄弟がインドから仏陀の歯を持ち帰るなどの大活躍をし、その後も超人的な能力を発揮するのを見たアノーヤタ王は、彼らが王権を簒奪することを恐れ、兄弟の仏塔建設に手抜かりがあるとして、処刑した。その際、マンダレー・ボードゥも養育者としての監督責任を問われて処刑され、妹のシンクヮも兄弟を匿った罪で処刑された。そして、死後、精霊ナッと化した。
がに股女とせむし女!?
シンクヮ・ナッは、しばしば「がに股女」と呼ばれる。パーラ朝のパッリーカラー王の娘であるとされ、パガン朝のアラウンシードゥー王(1090年-1167年)の妃の一人とされることもある。ただし、アノーヤター王とアラウンシードゥー王は同時代には生きていないので、多少、資料に混乱が見られる。また、同じ37柱の精霊ナッの1柱には、「せむし女」と呼ばれるシンコゥンがいて、しばしば対になってわれることもある。ただし、シンコゥンは15世紀アヴァ朝のティハトゥ王(1394-1425年)の侍女であるとされる。本来、37柱のナッは「37」という数字が先にあって、アノーヤター王の時代には37柱の彫像がつくられていた。その後、時代とともに時勢に合った人物が37柱のナッと結び付けられたので、しばしば混乱が見られる。
本来は、身体の不自由な存在(がに股、せむし)がミャンマーで古くから崇拝されていて、そこに後から、マンダレー・ボードゥの妹だったり、ティハトゥ王の侍女という設定が持ち込まれたと考えるのが正しいのかもしれない。同様に、ニャウンチーンもハンセン病患者であり、ミャンマーでは、このような病の人々を恐れ、崇めることで鎮めようとする考え方があったのかもしれない。
なお、「せむし」の語は現在では差別用語だとされることもある。くる病やビタミンD欠乏症、「腰の曲がった人」では理解しにくいため、ここでは分かりやすさを優先して「せむし」の語をそのまま用いている。
《参考文献》
- 『The Thirty-Seven Nats: A Phase of Spirit-Worship prevailing in Burma』(著:Sir Richard Carnac Temple,1906年)
Last update: 2023/03/13