2016年1月10日 クラシック音楽と出会いの話。

クラシック音楽を聴くのは飛行機の中くらいだった。クラシック音楽って、1曲がものすごく長いことが多い。でも、日常、長時間、集中して音楽を聴く時間なんてそうそう確保できないわけで、たとえば、通勤中に聴いても、楽曲が最後まで辿り着かないうちにボクの方が職場に辿り着いてしまう。そんなことをちぃ子(妻)と話した。すると「え? 義妹が食事の時間はクラシック音楽をかけているらしいよ」とのこと。幼児教育のつもりだろうか。それなら、と我が家でもここ数日、真似をしている。ツクル氏(息子)の感受性にどういう影響があるのかは分からないけれど、ボクとしては楽しい時間をゲットした格好だ。

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小学館の『クラシックプレミアム』を創刊号から購読していた。海外にいる期間が多かったので、なかなか買えない期間も続いていたが、久々に買ってみた。ビゼーなんて知らないよ、と思ったら、「アルルの女」の前奏曲とか「カルメン」とか、曲はちゃんと知っていた。でも、ビゼーという名前には、全然、ピンと来ない。もちろん、ビゼーという名前は聞いたことがあるし、音楽家にそんな人がいるのも知っていたけれど、「あらま、この曲の作曲家なのね」てな具合だ。

こういう『クラシックプレミアム』みたいなシリーズはいい。ボク自身の恣意的な選択がなくって、順繰り、有名どころを楽しめるので、普通だったら出会わない出会いがある。本も、音楽も、絵も、テレビ番組もそうかもしれない。どうやって偶然の出会いを持ち込むか。結局、人間は好きなもの、知っているものしか見えていないので、その圏外にある諸々と出会うのは、実のところ、至難のワザである。その意味で、今回、『クラシックプレミアム』は背伸びして購入してみたシリーズである。残りの4号分を買えば50号が揃う。いろんな音楽家を満喫できたし、いい出会いもあった。なかなか楽しい。

2015年12月24日 分かりやすさのひとつの事例

『マンガ はじめて読むギリシア神話』を購入。こういういわゆる「初心者向け」の本にしては非常にいい。絵柄は今風の絵で、ギリシア神話同人誌的なお楽しみもたくさんあるが、監修をしている2人がちゃんとした専門家なので、漫画ならではの軽いノリがありながら、学問的な内容からは大きく外れていかない。それでいて、史学や文学だけでなく、流行りの漫画や芸能分野など、幅広いジャンルに言及していて、素晴らしいなあ、と思う。厳密に言えば、分かりやすさを追求している結果、異説・他説が漏れていくので、その部分は理解して読む必要があるだろう。でも、それは元々、両立できないので、いつだって、読者の側が了解しておくべき視点だ。

結構、この年になっても、児童書コーナに並ぶ、漫画で解説された書籍を手に取るボクだ。「分かりやすさ」を勉強しようと思ったら、児童書コーナを巡るのが一番の勉強法だ。元々、ボクは日本の歴史なんか、小学館の『学習まんが 少年少女日本の歴史』で学んだ口で、今でも桓武天皇とか足利尊氏とか、ついつい、あおむら純氏のイラストで想像してしまう。実はあんまり個性的な絵じゃない方が、こういう漫画の場合、本当はいい。その意味じゃ、大変、失礼な言い方になるかもしれないけれど、あおむら純氏の絵は最適だった。

この『ギリシア神話』の場合、伊勢田健一氏という人物(検索しても引っ掛からない!)がイラストを担当しているようだが、多少、クセはあって、全体的に美化されているとは言えるが、最近流行りの萌え要素も強調されていないし、もちろん、好みの問題はあるが、個人的には大きな違和感はない。こういうイラストを使った解説手法、もっともっと普及してもいいなあ。裾野が広がる。こういう手法だけが正解だとは思わないけれど、是非是非、学者先生には参考にしてもらいたい。

2015年10月10日 非常に純度の高い正攻法的なミステリィ

ドラマ『掟上今日子の備忘録』を観た。実のところ、西尾維新の『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』(講談社文庫,2008年)のファンだったし、それよりも前から新垣結衣の大ファンである。戯言シリーズは途中でミステリィではなくなってしまったので、読まなくなってしまった。噂で、忘却探偵シリーズは再びミステリィになっていると聞いたので、実は読んでみようかなあ、と何度も本屋で手に取っては戻していた。そんなタイミングでのドラマ化。しかもガッキー主演。これは観ないわけがないッ!

ガッキーの忘却後の演技がよかった。隠館厄介といい感じに距離が近づいたーと思った後の、眠って目覚めて、「誰?」みたいな疎遠な雰囲気の演技には痺れた。ガッキーって、こんな演技もするのだなあ。あまりにもテンポが早くって、パッパ、パッパ、と展開する。その軽快さ、コミカルさの中に、一瞬だけ、ヒヤリ、とする程の悪意が入り込んでいて、上手な演出だ、と思った。

話は逸れるけれど、ボクは笠井潔の『バイバイ、エンジェル』(創元推理文庫,1995年)という作品が大好きだ。この作品では首なし死体が登場する。何故、犯人は首を切ったのか。主人公の矢吹駆はその理由を突き詰めて考える。その結果として犯人が自然と炙り出される。非常に純度の高い正攻法的なミステリィ。これぞミステリィという感じ。フランスを舞台にしているし、翻訳ものっぽい硬い文体だし、革命等の思想・哲学のやり取りも交わされていて、非常に難解な物語ではあるんだけれども、実はミステリィとしては非常に単純で、それでいて真っ向勝負。

実は『クビキリサイクル』を読んだときに、ボクは笠井潔の『バイバイ、エンジェル』と根本が重なる感じがした。何故、犯人は首を切ったのか。文章こそラノベっぽい感じで装飾されてはいるけれど、『バイバイ、エンジェル』と同じ純度の高い正攻法的なミステリィだな、と感じた。後になって、西尾維新が影響を受けた作家の一人として笠井潔を挙げているのを見て、やっぱりね、と。

何が言いたいのかと言うと、戯言シリーズはシリーズが進むに連れて、徐々にミステリィを放棄して人外バトルの様相を呈してくる。ボクは『クビキリサイクル』に本格ミステリィの構造を見て、そこに過度に期待してしまった。そして見事に裏切られて、読むのを止めてしまった。でも、本来、西尾維新はちゃんと純度の高い正攻法的なミステリィの視点を持った作家なのである。少なくとも『クビキリサイクル』はそうだった。『掟上今日子の備忘録』はまだ読んでいない。でも、テレビドラマシリーズは面白かった。だから、もう一度、『掟上今日子の備忘録』の原作にチャレンジしてみようかな、と思っている。あの独特なセリフ回しや文体で、『掟上今日子の備忘録』の世界を堪能するのも、また一興だろう。


『掟上今日子の備忘録』(著:西尾維新,講談社BOX,2014年)

2015年10月8日 密かな野望の準備作業

久々に森博嗣の『MORI LOG ACADEMY 1』(ダ・ヴィンチ ブックス,2006年)
を引っ張り出して読んでみる。あんまりテーマを定めずに、その日に思ったことや感じたこと、考えたことがつらつらと書いてある。ああ、そうか。あんまりテーマを固めると書くのが大変だよなあ、と思う。もっと自由にフランクに書くのも悪くないかもしれない。

最近はシュメル関連の本を読んでいる。いつかメソポタミア神話のウェブサイトを立ち上げても面白いかもしれない、と密かに企んでいて(もう公言してしまった!)、その準備作業だ。厚さが少し薄いのでどうかな、と思っていた前田徹氏の『世界史リブレット 1 都市国家の誕生』は都市という切り口で非常に練られていて面白いし、小林登志子氏の『五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語』は王侯貴族のものではあるけれど、人々の日常が抜き出されていて面白い。松島英子氏の『メソポタミアの神像 偶像と神殿祭儀』 はシュメル人とアッカド人のそれぞれの文化の混合という視点で神話を整理しようとしていて、その試みに非常に惹かれる。現在のボクは情報を貯め込む期間である。そのうち、自分の中で一定の整理ができたら、情報発信の側に回りたいな、と思う。ひとつの目標としては、シュメル・アッカド神話の神々の姿を確立することだ。他の神話の神々と違い、シュメル・アッカド神話の神々は明確にヴィジュアル化されていない。だから、イマイチ、ぱっとしないのだ。当時の髪型、当時のファッション、当時の食文化、当時の道具なんかをちゃんと頭の中に叩き込んで、ヴィジュアル化する。そのときに、きっと、シュメル・アッカド神話が、もう少し身近なものとして再構築されるのではないか。そんなことをぼんやりと頭の中に思い描いている。

そうそう。ようつべを散策していたら、懐かしいPVを発見。ファンが衝撃を受けた話題作(笑)。どうせなら、これもCDに入れてくれればよかったのにね。

2015年10月2日 不思議な歌

最近、ツクル君のお陰でNHK教育を見る。朝から「0655」や「ピタゴラスイッチ」、「デザインあ」など、なかなか秀逸な番組をやっている。今日は「シャキーン!」で変な歌をやっていた。タイトルは『ぼくはしらない』。地球が主人公の歌で、この世界について問うている。歌詞を引用してみよう。

『ぼくはしらない』
作詞・作曲:岩見十夢

教えてくれないか ぼくの 本当の姿を

とぐろを巻いた ヘビの上 一匹 カメが 乗っかっている
カメの 甲羅に ゾウ 四頭 背中で 大地を 支えてる

そういうふうに ぼくのこと 言う人達がいるんだ

世界の 中心 大きな木 しっぽ くわえた ヘビがすむ
海が 大地を 囲んでる さらに 山が すべてを 包む

こんなふうに ぼくのこと 思ってる人たちもいるんだ

他にも 丸くて 青いっていう話も あるみたいなんだけど
本当のところは どうなんだい?

教えてくれないか ぼくの 本当の姿を
自分を写す 鏡を 持っては いないから

教えてくれくれないか 確かめたことが ないから

ぼくは しらない 本当の姿を

不思議な歌詞だ。古代インドの世界観や古代ゲルマン人の世界観(ただしどちらも異説あり)について歌っている。そして、科学技術が証明した球体としての地球についてもさらりと歌う。子供番組なのに、変な歌だなあ、と思う。子供たちは、この歌の意味、分かっているのだろうか。

2015年9月23日 はらぺこあおむしが……

はらぺこあおむしがクトゥルフ神話になってしまったぞッ! 気持ちの悪さがうまい具合にクトゥルフっている(笑)。

というわけで、面白かったので、以下のウェブサイトでチェック。

http://www.c-lab.link/nettrend/49172

2015年9月14日 バシリスクの主体は蛇か、鶏か!?

『ダンジョン飯』を読む。面白い。バシリスクは蛇が主体で、鶏の部分が尾である、という解釈には度肝を抜かれた。マンドラゴラは抜く前にまず首を切り落としてしまえば叫べない、という裏技も面白い。そして、それらを調理して食べるわけで、そういう逆転の発想が面白い。さすがだなあ。


『ダンジョン飯 1巻』

2015年8月24日 「ビーだま・ビーすけの大冒険」に癒されて……

最近、「ビーだま・ビーすけの大冒険」に癒されている。「ピタゴラスイッチ」でここのところ、朝、放送されているのだ。基本は「ピタゴラ装置」なんだけど、「ビーだま・ビーすけの大冒険」は、それに物語が付加されている。さらわれた兄弟(ビータ、ビーゴロー)を助け出すために、ビーすけが奔走する、という救出劇だ。そのため、赤いビー玉のビーすけがトリガーになってピタゴラ装置は動き出す。

ただし、これまでのピタゴラ装置と圧倒的に違うところは、最初っから最後まで、赤いビー玉が機能し続ける、ということ。赤いビー玉がトリガーになって別の装置を動かしたとしても、最終的に、その装置は赤いビー玉を動かす仕組みになっていて、常に赤いビー玉が次の装置のトリガーになっていく。その意味では、スタートからゴールまで、赤いビー玉を繋いでいかなければならないので大変だ。当然、ビー玉は位置エネルギーを使って動くので、下に落ちる一方だ。途中、別の装置を発動させて、赤いビー玉は上に上がらなければならない。そのための工夫があっちこっちにあって面白い。

物語になっているため、途中で緑と黄色のビー玉を回収するとか、巨大な玉に追いかけられるとか、紙コップに捕らわれるとか、3人の力を合わせる(3つのビー玉の重さで駆動する装置)とか、最終的には3人でゴールする仕掛けとか、いろいろと頭を使わなければならないので、装置を作った人は大変だっただろうなあ、と思う。

歌がビーすけの応援歌になっていて、見ているこちらも、「ビーすけ、頑張れー!」と固唾を呑んで見守ってしまう。よく出来たピタゴラ装置だ。すごいなあ、NHK。

2015年7月1日 あたしのゆめは君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを掻き集めて大きな鏡をつくること

大森靖子の『マジックミラー』。何て言うんだろう。椎名林檎と出会ったときと同じくらいの衝撃を受けた! 椎名林檎に似ている、という意味ではない。ものすごく感性で生きている。その感性にガーン、とぶちのめされる。そのぶちのめされ方が同じだった、ということ。女流作家に憧れたり、鳥居みゆきにハマったりするボクだけど、多分、男性はどこかに理性の部分が残っていて、完全には感性で生きられない。感性で勝負している男性作家や男性アーティストはほとんどいない。そういう意味じゃ、女性ってすごいなあ、と思う。そういうぶちのめされ方だ。

彼女のライヴ映像はもっとずぅっと尖っていてすごいんだけど、でも、あまりに粗削り過ぎる。どこかで一歩引いてしまう。そういう意味じゃ、この彼女の最新作が、落としどころというのか、バランスとしてはちょうどいい具合だ、と思う。ぶっ飛んでいて、でも、安心して見ていられる境界の内側ギリギリ、という感じ。

2015年2月19日 客観的に考えること

フィリピンに行って疲れてしまったようで、休暇をとって爆睡モード。月曜日もお休みしているので、かなりのダメージだ。根を詰めすぎたのもあるだろうし、寒暖の差が原因かもしれない。5時起きが続いたのも影響しているだろうか。うーん。

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ツクル君と一緒に、本屋さんに行く。児童書コーナでいろいろとツクル君に本を読んで反応を見る。ボクが思っていたよりも難しい本の方が面白がる傾向にある。意外と図鑑を面白がるし、絵が複雑なものを好む。もしかしたら、ボクは必要以上に子供向けの本を買い与えていたかもしれない。こうやって、ツクル君本人に、本屋さんで直接、本を選んでもらうというのが、一番、有効かもしれない。

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久々に川本真琴の3rd Album「音楽の世界へようこそ」を聴く。買ったときには、大昔の川本真琴のイメージを抱いていたせいか、あんまり好きになれなかった。だから、そのまんまCDラックに眠っていた。でも、今頃になって発見して、聴いてみると、非常によく出来ている。客観的に見れば、すごくいいAlbumだった。

常に客観的に物事を評価したいな、と思っている。でも、思い入れがあるとうまくいかない。そういうときもある。

2015年2月1日 リンカネーション(再生)!!

いるま嬢のカバー・アルバム『Reincarnation』が届いた。これまでのHollow Mellowの企画でいるま嬢がいろんな人たちに提供していた楽曲を、いるま嬢自らがカバー。ヴァイオリニストのJill嬢を加えて、ヴァイオリン・アレンジを加えての再構築。まさに「Reincarnation《再生》」である。上昇下降を繰り返して疾走するJill嬢のヴァイオリンと痺れるように切ないNemu氏のギターのダブルのソロが格別、格好よくって、心地よい。

いるま嬢は音楽の空間的なバランス感覚に卓越している。そこにNemu氏のギターが入り、Jill嬢のヴァイオリンが入って、混沌としていく。いるま嬢が理路整然とコントロールできる領域の外側が増えたということで、それが微妙な歪みをつくっている。それが新しい世界を生み出しているな、という感じ。

Nemu氏が加入した当初は、あまりに混沌とし過ぎて、一度、音楽がばらばらと崩れた印象があった。完成していた音楽的なバランスが崩れたのだ。でも、Hollow Mellowのプロジェクトを進めていく中で、次第に、うまく融合できてきたかな、と思っていた矢先に、今度はJill嬢の加入。もう一度、音楽を再構築する必要が生じたわけだ。もちろん、うまく融合できれば、新しい世界が見える。今回はNemu氏が加入したときのような大幅な崩壊はない。いるま嬢の中に新しい要素をうまく組み込める素地が出来ていた、ということだろう。いるま嬢は現時点でも、非常に意欲的で、チャレンジャである。

聴き所は8曲目。めらみぽっぷさんが歌っていた「Forbidden Lover-青い鳥-」の大幅なアレンジ。まるで別の楽曲のような変更っぷり。それなのに原曲のエッセンスはちゃんと残っている。中盤からの疾走感が素敵。そして、9曲目。最後の楽曲「Fall Away -マッチ売りの少女-」。ヴァイオリンとギターのテクニカルなソロも必聴だが、Albumを締めるのに相応しい盛り上がり。

本音を言えば、浮森かや子さんの特徴的な声が光っていた「Candy Prison -グレーテル-」や初めての男性・下和田ヒロキさんの「Lonely Prince -狼と3匹の子豚-」などの癖のあるヴォーカリトさんの楽曲をいるま嬢がどう料理するのか、ちょっと楽しみではあったのだけれど、それはまた、別の次回の機会に期待しよう。

ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は梨丘いるま嬢の応援サイトなのである(笑)。

2015年1月21日 MCZ VS KISS

ももいろクローバーZの新曲MVが公開された。往年のロック・バンドKISSとのコラボレーションということで、ちょっとビックリした。

再生したら、いかにも洋楽っぽいリズム。そして、いきなりのアニメーション! あちこちに「和」の要素も取り込まれていて、まさにクール・ジャパン。おしゃれで面白い。アニメの世界からリアルのKISSが飛び出した瞬間は、まさに「キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!」って感じ(笑)。でも、PVを楽しんでいると、全ッ然、楽曲が耳に入ってこないのよね。何度聴いてもそう。変な曲、という印象だけを残して終わってしまう。

で、今度はMVを観ないで、純粋に音楽だけを聴いてみる。すごく凝っていて、複雑で、挑戦的で、実に面白いんだな、これが。あれ? ということは、MVとして失敗? でも、目を惹くから、これでOK!?

それにしても、KISSもよくこの企画に乗ってくれたよなあ。どういう経緯でこのプロジェクトが着想されて、ここまで来たのだろう。そのプロセスがとても気になる。でも、KISSとしても日本向けのいいプロモーションになるので、ウィン・ウィンの関係と言える。ももクロ、相変わらず、ぶっ飛んでいて面白いなあ。

2015年1月15日 作品と作者をうまく切り分けられない

桑田佳祐が年末のLIVEの演出について謝罪したらしい。あれだけ好き勝手やっておいて謝罪するなんて、ダサいなあ。言いたい人には言わせておけばいいのに。まあ、それだけ右翼が面倒くさい、ということの証左なのかもしれない。事務所サイドの都合かもしれない。

正直、ボクはサザンが好きなわけでも、桑田佳祐が好きなわけでもないのだけれど、『ピースとハイライト』は好きだった。生温ーい歌詞ではあるんだけど、でも、共感できた。PVもちょっと過激だったけど、エンターテイメントになっていた。復活したサザンのこれからに、ちょっとした期待感があった。

本来、作品の価値は作品でしか決まらない。でも、今回のように、こうやって謝罪されてしまうと、作品の自己否定みたいな感じがして、作品の価値まで一緒になって下がってしまったように感じられるから不思議だ。ボクの中で、一気に『ピースとハイライト』の歌詞が薄っぺらく感じられちゃう。でも、それってボクがまだ作品と作者を混同して、うまく切り分けられていない証拠なのかもしれない。

『ピースとハイライト』、好きだったのになあ。好きだっただけにちょっとガッカリした、という感じ?

2015年1月6日 コンサート音源!!

本日発売の『クラシックプレミアム第26巻』は、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート特集だった。ちょうどズービン・メータのニューイヤー・コンサートを聞いたタイミングなので、感慨ひとしおだ。だからこそ、小学館も、このタイミングにこの特集を持ってきたのだろう。

CDを聞いていたら、最後に拍手が入った。をを、そうか。これはライヴなのか。そりゃー、そうだ。ニューイヤー・コンサートだから、ライヴ収録しかあり得ないのであった。でも、既刊の25巻までは拍手が入っていなかったので、それが当たり前になっていたので、ちょっと新鮮な気持ちになった。わはは。

「トリッチ・トラッチ・ポルカ」や「春の声」、「美しく青きドナウ」に「ラデツキー行進曲」まで入っているので、もう、これは完璧にニューイヤー・コンサートの気分だなあ。うふふ。


『隔週刊クラシックプレミアム第26巻』

2015年1月3日 『狂宴封鎖的世界「シャングリ・ラ」』

鳥居みゆきの公演『シャングリ・ラ』のDVD、ナイジェリアに行っている間に発売されていたらしい。うっかり情報をもらすところだった。海外に行っていると、こういう情報に疎くなるからいけない。

もしかしたら、最初の3作品(「ハッピー・マンデー」、「告別式」、「再生」)の方が、鳥居みゆきの個性が際立っているかもしれない。「方舟」に引き続き、今回の「シャングリ・ラ」はかなり丸くなった。丸くなったから、まあ、見れる作品になった。ボクは「再生」が一番、好きだったかなあ。生きることの意味を問うような感じで、前向きになろうかな、という感じ。初期の頃のように内面に深く潜り込むよりも、社会との接し方の側に視点が向かっている感じ。それが「方舟」、「シャングリ・ラ」とどんどん広がって、社会風刺の色が強くなった。その分、鳥居みゆきの強烈な個性は薄まった。

でも、驚いたのは、鳥居みゆきが多才だ、ということ。ヒロシの物真似をしたり、友近のような外国人吹き替えネタをやってみたり、歌を歌ったり、踊ったり……。この人の引き出しの多さに圧倒される。そして、演技力の高さに、心はどんどんダークになっていく。

どこまでが素でどこまでが台本なのか分からないが、鳥居みゆきが本物の遊園地で、お化け屋敷とジェットコースターの体験レポートをさせられている、というのも、ちょっと斬新な企画だった。

難を言えば、最後のネタくらいは明るく終われば、作品としてもっと引き締まったのになあ。鬱々と真っ暗なまんま終わってしまって、ずるずると引き摺るような後味だ。

2014年10月24日 リスクとマネー。おでん。

来月、仕事でナイジェリアに行くので、予防接種を受ける。先日は狂犬病。本日はA型肝炎。月曜日には黄熱を受ける予定になっている。非常に高額で苦しい。

正直、エボラやマラリア、デングなど、予防接種じゃどうにもならない病気ばっかりが蔓延している中で、狂犬病やA型肝炎、黄熱の予防にお金掛けて、何だかなあ、という感じがしないでもない。でも、やらないよりはリスクは低下するだろう。リスクとマネー。どう評価すべきか。価値観の問題だ。昔のボクだったら受けなかったかもしれない。でも、今のボクはしぶしぶ受ける。保守的になった。丸くなった。さてはて。

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SNSゲームの「ゆるドラシル」のゆるさ加減が、ボクにはちょうどいいらしい。あっはっは、と笑いながらゲームをやっている。オージンとソール、フレイヤがいい感じ。何しろ、あのオージンが「おでん」Tシャツを着ているんだよ? スレイプニルなんて、魔ゼルな規犬かと思ったよ。え? あはは。

うーん。こういうエンタメ性は理想だなあ。頭の切れるスタッフがいるんだなあ。まあ、現時点では、ゲームとしての面白さはよく分からない。戦略性とか技術とかが必要なのだろうか。ボクのユニットのレベルが低いせいなのか、ゲームに慣れていないせいなのか、何が何やらだ。それでも、神々の愉快な会話の続きが見たくって続けてしまう。そういう魔力を持っている。

2014年9月6日 隣り合って罪深く息をする『人間』も愛していけ!!

久々にSPACE SHOWER TVとMUSIC ON! TVを観る。レンタル・ランキングやカラオケ・ランキング、総合ランキングなど、いろいろやっている。相変わらず、ボクと世間様の趣味は合わない、ということを確認する。甘ったるい音楽が大流行だ。ボクは尖った音楽が好き。でも、こういうランキングを把握しておくことは重要だ。流行しているからには理由がある。その理由をちゃんと把握しておくことが必要だ。

あ、でも、関ジャニ∞のER2の歌詞がよかった。尖っていた。

「奪い合って笑う煩悩も 支え合って生きる本能も 隣り合って罪深く息をする『人間』も愛していけ!!」

「革命家を欲しては 出る杭をガッツガツ打つのが世の常!? 正義と言う名の多数派に 今日もきっちりフルボッコにされる個性」

こういう素敵な出会いもあったりする。それにしても、E-girls、売れているなあ。そして、少女時代の「Gee」がリバイバルでプッシュされているんだけど、何かあったのかしら。分からーん。

2014年9月5日 ミサト推しのボクはどうすればいいのかという論題

本日はお休み。とは言え、家で粛々とお仕事。どうしてもセブ島に出張に行く前にやっつけておきたい仕事があって、持ち帰ってきた。家の方が集中して仕事ができる。困ったことである。

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エヴァ祭り3日目というわけで、エヴァQ(藤子不二雄の登場人物みたいだな!)を観た。衝撃的だ。一体、何が起こっているのか、全ッ然、意味不明のまんま、延々と小一時間も見続けなきゃいけない。何だろう。軽い拷問だ。映画館で、みんな、怒り出さなかっただろうか。何の説明もないし、意味は分からないし、まさにキョトン、という表現が似つかわしい。おいおい、ちょっと待ってくれ給え。どうなってしまうのだろう。第一、ボクはエヴァじゃ、ミサト推しなのだ。それなのに、こんなミサトさん、かわいくない!! そんなわけで、最後まで悶々としながら眺める。ようやく、最後の最後でアスカやマリが登場して、エヴァっぽい感じになってきて、唐突に終わる。うーん。庵野さん、チャレンジャ。……というか、リビルドって、難しいよね。前作を超えられる結末に持っていけるのか、段々、心配になってきたよ。まあ、ボクが心配したところで何もならないんだけどさ。

2014年9月2日 9月のオススメ楽曲です(笑)。

今回は久々の音楽紹介。

Youtubeでストロベリーソングオーケストラの新曲を発見。「臓物にジグソウ」。7月に発売されていたらしい。メチャクチャ、メタルだ。ギターが唸る。ストロベリーソングオーケストラの醍醐味は、何と言ったって、宮悪戦車のデスボイスと美歌&朱音の合唱部の美声の組み合わせ方だ。そのバランスが、今回、ものすごくいい。シビれる。

それから、ゲスの極み乙女。の「アソビ」。一部ではウケがよくないみたい。まあ、歌ものというよりは楽器ものという感じなので、歌ものを求める人にはウケないかもしれない。ボクは基本、鍵盤屋なので、ちゃんmariのキーボードの踊るような感じが好きだし、面白いと思う。こういう突飛な感じの楽曲を、ゲスの極み乙女。には作っていってもらいたいなあ、と思っている。まさに「アソビ」というタイトルどおりだ。

2014年7月20日 戦争を知りたい子供たち!?

ツクルくんが一人で勝手に飲めるように取っ手付きの哺乳瓶を購入。

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ゲスの極み乙女。の『みんなノーマル』とアーバンギャルドの『鬱くしい国』がAmazonから届いた。いいね。ゲス極の涼しい演奏が格好いい。日本のミュージック・シーンに新しい風を吹かせてくれそうだなあ、と思う。アーバンは、実はインディーズの頃に、池袋のライブハウスでよく見ていた。もっとトゲトゲと尖っていた過去を知っているだけに、洗練されて丸くなったなあ、という印象。天馬のテンションはもっと高い方がボクの好みだった。もっと早口で哲学っぽいことを捲し立てる天馬節をどんどんぶつけられたい。そう思うボクである。でも、「戦争を知りたい子供たち」とか「自撮入門」なんかの歌詞は尖っていて、まだまだ天馬節は健在だ。そういうところに、ちょっと安心する。尖っているのに、安心するって、不思議な表現だけど、でも、まあ、そんな感じ。

個人的には「生教育」に登場する言葉たちに戸惑った。スクールカーストをテーマにした楽曲なんだけど、クイーン・ビーやターゲット、ジョック、サイドキック、メッセンジャー、ギーク、ゴス、ナード、ルーザー、バッド・ガール、フローター。アメリカのスラングだけど、普通、こういう言葉って、日本じゃ使われないんじゃないかなあ。ホント、天馬氏はいろんなところから言葉を持って来る。その嗅覚が面白いなあ。

 

それにしても、アーバン、谷地村さんが脱退したことすら知らなかった。今回のアルバムのリーフレットの写真に違和感を覚えながらも、谷地村さんがいないことにしばらく気づかず。そして、楽曲の作曲者のクレジットを眺めながら、「大槻ケンヂが参加している楽曲は鍵山さんが作曲しているのかあ。あれ? 今回は谷地村さんの楽曲はないのか?」と思ったときにもう一度、写真を見て気がついた。谷地村さんがいない!?

天馬のblogからは脱退の経緯に関する記事は削除されていた。でも、インターネット・アーカイブというのがあるので、すぐに過去の記事を見つけ出し、そして経緯を知る。うーん。何とも言えない感じだなあ。インターネット社会は怖いな、と思う。個人的なLINEのやりとりが、そのまんま流出してしまう。ハメられたのかもしれないし、本人も常習みたいなので、自業自得なのかもしれない。でも、もう、こうなると、何だかなあ、という感じ。流出させる人間の悪意が恐ろしいな、と思う。