2023年7月8日 5人の声でゼルダの伝説!!

MayTreeは韓国のアカペラ・グループだ。アカペラというか、もはや声帯模写の域に近づいている。Windowsの起動音とか、iPhoneのアプリの音なんかを真似させても凄いし、驚いたのは『Temple Run』というゲームの声真似。このゲーム自体はやったことも見たこともないが、あまりの出来栄えに見入ってしまった。

そんなMayTreeが、最近、ゼルダの最新楽曲をアカペラで歌い上げている。もう、ね。二胡の真似なんか似すぎていて笑ってしまう。ゼルダのメインテーマを5人の声だけでやってしまおうというのだから、もう脱帽だ。

そんなこんなで、是非、MayTreeにどっぷりとハマってみて欲しい。

  

2023年6月20日 強いピーチ姫って本当に必要!?

映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」について大絶賛のコメントをしたが、1点、ポリコレだと感じたのは、ピーチ姫の取り扱いである。そんな想いもあって、事前に、全体を通した映画の感想(ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー)と、ディズニーのポリコレの記事(そもそもアリエルはデンマーク人が演じるべきでは!?)を先に投稿しておいた。

マリオとピーチ姫の関係は、しばしば、ペルセウス=アンドロメダ型と称される。要するに、囚われのお姫さまを英雄が助け出すという典型的な構図で、ギリシア神話の英雄ペルセウス、アンドロメダ姫、そして怪物ケートスの図式が、そのまんま、マリオ、ピーチ、クッパに対応しているわけだ。クッパは退治され、ピーチ姫は救出され、マリオは英雄として讃えられる。この構図が非常に古臭いわけだけど、でも、そういう構図の物語になっている。

でも、今回の映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」では、ピーチ姫は、マリオと戦う強い女性に修正されている。キノコ王国の危機に自ら立ち上がり、王国を救うべく冒険に繰り出す。こういうのは、ある種のポリコレの押し付けだと思う。女性が助けを待つだけの弱い存在である必要はないが、そういうか弱い女性がいたっていいのだ。それを敢えてキャラクタを変更して、強いピーチ姫像を描こうとしたのは、やっぱりその背後にポリコレ意識が見え隠れする。それが透けて見えてしまった時点で、物語の世界に入り込めないので、失敗だと思う。

そして、その癖、たくさんの人質を前に、ピーチ姫は結局、クッパに屈服して、結婚を承諾し、最後にマリオに救出される。最終的には、ペルセウス=アンドロメダ型の構図の中に落とし込まれてしまって、何のこっちゃ、と思ってしまう。そこだけが、唯一、この映画に対して不満を持ったところである。

  

2023年6月14日 ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

5月に映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を息子のツクル氏と一緒に観に行った。単純に面白かった。マリオの世界観が映画で再現されていて、それだけで胸がいっぱいになる。しかも、我らがNintendoのマリオが世界に打って出ている。世界中をマリオの映画が席巻している。それだけで誇らしくて胸アツで、涙が溢れた。その一方で、いくばくかの悔しさもあった。どうして、日本が誇るスーパーマリオの映画が日本の映画製作・配給会社じゃなくて、アメリカのユニバーサル・ピクチャーズなんだろう。アニメーション製作がイルミネーションなんだろう。本当は、日本の映画会社やアニメ会社にもっと頑張って欲しかった。本音で言えば、日本発信でやって欲しかった。日本のエンタメに頑張って欲しかった。

正直、映画の中身もそうなんだけど、映画が始まる前のNintendoの広告に胸を打たれた。どうも、これは今回の映画用につくった広告らしく、いろんな世代の人がマリオをプレイしている様子が描かれている。そのひとつひとつのゲームで遊ぶ人々のリアクションが面白いし、自分と重ね合わせて共感もできる。それに、マリオが、実にいろんなジャンルのゲームを出しているということがよく分かる。横スクロールの、いわゆるマリオブラザーズだけではなくって、マリオカートやマリオパーティ、マリオ3Dなど、いろんな形に水平展開されているのが短時間でよくまとまった広告で、とても興味深く視聴した。

映画も面白くって、ドンキーコングの世界や、ルイージマンションの世界、マリオカートの世界など、追体験できるようになっている。面白かったのは、マリオカートの世界だ。甲羅やバナナの皮を投げて相手をクラッシュさせるシーンもあれば、1位のプレイヤー目掛けて追い掛けてくる青甲羅(トゲゾー)が出てきたときには、もう、それだけで笑ってしまった。

音楽も近藤浩治氏の楽曲がアレンジされて流れるので、それだけで感極まるものがある。ブルーレイが出たら、絶対に購入して、家でもう一度、観るぞ!!って思うくらいよかった(語彙力……)。

  

2023年5月29日 YouTubeで音楽を聴く時代である。

昔は音楽はレコードやテープで聞いていた。それがCDになってデジタル化し、MDになって好きなトラックを組むことができるようになった。そして、mp3などにダウンロードする形になって、気軽に音楽にアクセスできるようになった。CDショップに足を運ぶ必要がないのだ。そして、今はYouTubeなどのストリーミングで音楽を聴く文化もあれば、サブスクで音楽を楽しむ文化もあって、音楽の楽しみ方は多様化している。

CDやダウンロードの時代は、音源を購入してもらうことがひとつのビジネスモデルだった。だから、ミュージックビデオをつくるのは、ある種のPRでもあったと思う。テレビのランキングなどで取り上げてもらえたし、音楽チャンネルでミュージックビデオが流れることもとても大事な広告になったはずだ。昔、大森靖子が「ミュージックビデオを作ってない曲って、存在すら知られていなかったりする」と言っていたのが印象的だった。

昔のミュージックビデオは、雑踏や走行音などの環境音が入ったり、途中で寸劇やインタビューがインサートされたり、途中でフェードアウトするものもあった。こういうのは、最終的にちゃんとした音源は買って聴いてくださいね、というマインドがあったからだと思う。音楽チャンネルで無料で流れているミュージックビデオを録音しても、そういう邪魔が入るように設計されていた。

でも、今は好きなアーティストの音楽をYouTubeなどで繰り返し聴くみたいなスタイルが定着している。最近、YOASOBIの「アイドル」がストリーミング再生で5週目で1億回突破の最速記録を打ち立てたことが話題になった。YouTubeは現在、1.2億回再生だ。……実はYOASOBIは再生回数1億回以上の楽曲が14曲もあって、これは日本のアーティストの中でもトップだ。2位はOfficial髭男dismで13曲。総再生数でみても、「夜に駆ける」が8.9億回再生でランキングNo.1だったりする。そんな時代である。

そんな中で、依然として一部の楽曲のミュージックビデオで、途中で環境音が入ったり、インサートが入ったりする。こういうのは、何度も繰り返し聴くには辛かったりするので、当然、再生数が伸びていかない。それって、少しだけ損をしている気がする。「YouTubeにアップしているのはあくまで広告目的であって、音源を買ってね」というアプローチは、少しだけ古くなっているのではないか。そんな風に感じる今日この頃のボクである。もちろん、ね。YouTubeを1回再生してもらっても薄利多売で、mp3をダウンロードしてもらった方が利益は出るので分からないではない。でも、不便を強いて購買に向かわせるというアプローチも、きっと、今風ではないような気がする。

  

2023年5月19日 世界パラダピアン計画

ゴールデンウィークに映画「ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)」を観に行った。とても混雑していて、ビックリした。

事前情報で、エヴァのオマージュだという映画評論家のコメントを見て、子供向けのドラえもんでそんなもんが作れるのかな、と疑問を抱きながら、好奇心をそそられながら観に行った。冒頭、サイレンが鳴り響き、使徒襲来のような始まり方に驚いたし、パラダピアの三賢人もMAGIシステムを連想させる。そして、「世界パラダピアン計画」も、「人類補完計画」を彷彿とさせる。確かにエヴァのオマージュが各所に見られた。でも、ちゃんとドラえもんでもあった。

ユートピアは、蓋を開けたらディストピアだったというのは定石の展開で、この映画でも、誰もがパーフェクトになれるというのは、三賢人に無抵抗な画一的な人間になることを指していた。パラダピアンライトを浴びて、洗脳されて、ジャイアンからは乱暴さが、スネ夫からはいじわるさが、しずかちゃんからは強情さがなくなって、穏やかに暮らす。のび太はいち早くそこに違和感を覚える。そして、のび太だけはパラダピアンライトが効かないといういつも通りの特殊能力っぷりを遺憾なく発揮する。そして「ダメなところも含めて、それでいい」という結論を叫ぶ。

脚本が古沢良太氏(最近は「コンフィデンスマンJP」の、と紹介されることが多いが、ボクは「キサラギ」から入ったので、その印象が強い!)なので、伏線回収が半端ない。序盤、ゆっくりで冗長なのは彼の特徴かもしれないけれど、後半はぐいぐいと進んでいき、キレイにバタバタと伏線が回収されていくので、見事! と思いながら楽しんで観ることができた。とても面白かった。

  

2023年5月15日 天才的なアイドル様♪

YOASOBIの「アイドル」を聴いている。歌詞に物語性があるのがYOASOBIの魅力のひとつではあるが、この楽曲の推しポイントは、曲調が変幻自在なところだ。

全体的には、ザ・ボカロという感じで、音が上に下にポンポンと飛んで行ったり来たりする。高いところまで上り詰めたと思うと、あっという間に急降下する。IKURAさんも歌うのが大変だろうなあと思う。サビは王道のアイドルソングっぽく、ノリノリだ。ところが、そこに至るまでは、ものすごくダークでクール。そして、途中、ゲーム音楽の魔王登場かと思うくらいにおどろおどろしい雰囲気になる。このように楽曲の各所で雰囲気がころころと変わっていく。それでいて、ちゃんと1曲として収まっている。そして、その曲調の変化と歌詞の内容がピタッとハマって、物語として成立するのが、とても面白いな、と思う。

  

2023年5月13日 知的好奇心を掻き立てる。

本屋に『中野京子の西洋奇譚』(著:中野京子,中公新書ラクレ,2023年4月)が平積みになっていた。ハードカバーで出版されていたのは前から知っていたが、ボクは文庫や新書が好きなタイプなので、この機会に買ってみた。

カラーの絵が豊富に載っていて、それも楽しいし、いろんな文献に当たって調査されているのも好印象。「ハーメルンの笛吹き男」や「ジェヴォーダンの獣」、「ファウスト伝説」などの古い話もあれば、「コティングリー事件」やロバート・ジョンソンの十字路の悪魔などの比較的、新しい話もあって、全部で21の西洋奇譚が載っていた。新旧あるところが面白かった。資料性も高くて、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の参考文献としても十分活用できそうな印象も受けた。

その意味で、とても興味深かったのが「マンドラゴラ」の章だ。マンドラゴラは、人間の姿に似た根を持つ植物で、引き抜くときに大きな悲鳴を上げ、その悲鳴を聞くと気が狂うとか死んでしまうと言われている。だから、犬に引き抜かせて、自分は耳を塞いでおく。引き抜いた植物は毒にも薬にもなってとても有用だとされる。その辺までは、おそらく、何となくみんなが知っているところかと思う。でも、『ロミオとジュリエット』でジュリエットを仮死状態にした薬がマンドラゴラだとか、旧約聖書での言及、ローマ時代の挿絵、古代エジプトのレリーフ、映画「ハリーポッター」での描写など、さまざまなマンドラゴラについて書かれていて、面白かった。いろいろと調べて、確認したいなと思った次第。

こういう風に、読んで、知的好奇心を掻き立ててくれる本に、ボクは魅力を感じてしまう。

  

2023年4月29日 バオウ・ザケルガ!!

『金色のガッシュ!!』と言えば、2001年から2008年まで「少年サンデー」に連載されていた人気漫画だ。アニメ化もされた。作者の雷句誠氏は、小学館と大揉めして講談社に移り、そこでも編集者と揉めたっぽくて、最終的には自分自身でBIRGDIN BOARD株式会社という会社を立ち上げたというから、ものすごく変わった人物ではある。でも、ちゃんと漫画を描き続けていて、2022年から『金色のガッシュ!!2』の連載が始まった。現在、2巻まで出版されている。

当時、雷句氏がTwitterで『金色のガッシュ!!2』の連載開始を発表したときには、ファンが歓喜する一方で、一度、完結した物語を再開することに対する不安の声もたくさんあった。実は、ボクも不安を抱いていた。『金色のガッシュ!!』は、清磨とガッシュが、魔界の王を決める戦いに参加し、「やさしい王様」を目指す物語だ。そして、33巻で有終の美で完結した。ちゃんと完結した物語を、もう一度、組み立てなおして、続編を描くのは難しいし、すでに清磨とガッシュの関係性も変わっているわけで、どのような展開になるのか、見当もつかなかった。

だから、1巻が本屋さんに並んだときには、ちょっと様子見というのか、遠巻きに眺めて静観していた。そうしたら、2巻が発売された。「あ、ちゃんと続いた!」とボクはビックリして、そして、買ってみた。冒頭は不安が渦巻く展開だったが、どんどん、昔の懐かしい面々が登場したら、ぐいぐいと引き込まれた。そして、新しい展開も、それほど大きな違和感なく、前作と繋がった。

何よりも、読者の感情を揺さぶる瞬発力がすごい。雷句氏の鉄板のテンプレートなのだろう。普通だったら、周到に準備して、流れをつくって、ゆっくりと読者の心を動かしていく。でも、ガッシュは、1冊の中であっという間に感動の形を組み立てて、読者に向かって打ち込んでくる。1巻も、2巻も、ちゃんと感動のシーンまで持っていく。その瞬発力がものすごい。ああ、これがガッシュだ、と感じた。

大抵の場合、続編って失敗するものだけれど、今のところ、ガッシュに関しては、企画倒れにはなっていない。続編のストーリも成立しているし、かつての感動も損なわれていない。それもまた、すごいことだ。

  

2023年4月27日 「えーっと」と「あのー」はどう違うのか。

YouTubeの「ゆる言語学ラジオ」のパーソナリティのお二人が『言語沼』を4月に出版したので、早速、読んでみた。

いつものラジオの軽妙な会話が忠実に再現された対話型の本で、推敲されているので、無駄がなくてキレキレである。文体はゆるく書かれているし、難しくないけれど、よくよく読むと、「連濁」「アニマシー(生物性)」「音象徴」「フィラー」「調音点」「オノマトペ」「格助詞」など、実はがっつりと言語学っぽい内容でまとめられている。それを聞き手の堀元氏がちょいちょい難解な雑学を放り込みながら、面白おかしく茶化しながら進行していく。

純粋に「言語学って面白い」という読後感が残るので、とてもよい。是非、おすすめの1冊である。

  

2023年4月19日 日本の女性メタルバンドが凄い

最近、ボクが注目しているアーティストに、LoveBitesがいる。2017年デビューの女性メタルバンドだ。2021年にベースが脱退して、2022年3月に新メンバーを加えて新体制で活動を再開した。再始動の曲が「Judgement Day」という曲で、冒頭のベースの音が印象的な楽曲だ。

何となく、X Japan世代のボクは、クラシカルで、それでいて激しいロックを求めてしまう。そんなボクにとって、LoveBitesはピッタリだ。技術的には、若い人たちの方が圧倒的に上手い。LoveBitesのギタリストのMiyako(静的な方)とMidori(動的な方)の掛け合いは最高にいいし、ドラムのHarunaのツーバスも激しい。

新規加入したベースのFamiは、実はYouTubeで見たことがあった。ボカロ曲をベースで弾いてみたみたいな動画で何度かおススメに上がってきていて、「あ、知っている!」という感じだった。ヴォーカルのAsamiはたまには張らない声があると面白いのにな、とは思う。でも、最後の方でキーがどんどん上がってくる感じは、聴いていてものすごく心地よい。

日本では、メタルはあんまり聴く人が少ないので、全体的な母数が少ない印象はある。圧倒的に上手いので、もっと評価されてもよいのにな、と思う。だから、ひっそりとここで紹介しておこうと思うので、是非、臆せずに観てみて欲しい。

ちなみに、インタビュー記事によると、この「Judgement Day」も含めて、新しいAlbumの楽曲は、ベースメンバー不在のまま製作され、録音も終わっていたらしい。オーディション結果を踏まえて、後からFamiが収録したというから、新しいメンバーを信じて作ってしまう覚悟もまた、面白いな、と思う。

  

2023年4月11日 オトナブルー

新しい学校のリーダーズがここのところ、バズっている。しかも3年前の『オトナブルー』という楽曲が再評価されている格好だ。彼女たちは、アイドルというのか、パフォーマーというのか、厳密な定義は分からない。おそらく当初はももクロみたいなアイドルを立ち上げたかったのではないかと勝手に想像する。キレキレのダンスと吹っ切ったパフォーマンス。そしてどうしてか、SUZUKAのコミカルな動きに思わず惹きつけられる。

彼女たちは21~24歳で、年齢としては非常に若いグループだが、実は芸歴は長くて、2015年に結成されている。結成されてから7年くらい経っている。若い頃に結成して以来、メンバーチェンジもせずに、ずっと続けてきたグループと言える。

THE FIRST TAKEにも出演していてビックリした。「いい意味でFIRST TAKEの緊張感ここまでぶち壊したグループは初めて見た」というコメントに思わず、頷いてしまった。すごい。4人ともが同じ方向性でちゃんと演じられていることが奇跡的だ。

音楽と雰囲気には昭和っぽさがありつつ、アングラっぽさもありつつ、でも、圧倒的なダンス・パフォーマンスは令和ならではのクオリティ。それもひとつの魅力だし、何よりも、完全に振り切っている。その覚悟が、一番、素晴らしい。

ちなみに、ここに挙げている『オトナブルー』の動画は、最近取り直したヴァージョン。昔のヴァージョンもあるし、ワンテイクのダンス・ヴァージョンもあるのでチェケラ!!

  

2023年1月3日 美しきタロットの世界

本屋に行ったら『美しきタロットの世界 その歴史と図像の秘密』という本が平積みされていたので読んでみた。ボク自身は、特段、占いをするわけではない。信じているわけでもない。でも、ウェブサイト『ファンタジィ事典』を運営する好事家のボクからすれば、「タロット」も研究対象のひとつに含まれる。

過去にいろいろな解説本があったけれど、この本の内容は知らないことばかりだった。当初のタロットが「占い」の道具としてではなくてカードゲームとして普及していたことも、占いの道具としては黄金の夜明け団によって広く普及した事実も、ボクたちがよく知っているタロットの図版を監修していたのが黄金の夜明け団のウェイトだったことも、ボクは寡聞にして知らなかった。世界各地のタロットをたくさん蒐集して展示している「東京タロット美術館」の監修なので、おそらくは妥当な記述なのだろう。とても面白かった。

本書のオススメのポイントは、17~18世紀のタロット(「マルセイユ版」)のイラストが載っているところ。何となく北欧神話の神々のイラストに似たような雰囲気の絵があって、それとウェイトの監修した「ライダー版」やその他の版の絵が紹介されている。こういうのは、東京タロット美術館が監修している強みだろう。


『美しきタロットの世界 その歴史と図像の秘密』(著:読売新聞社「美術展ナビ」取材班,監修:東京タロット美術館,祥伝社,2022年)

2022年12月7日 アカペラの可能性

ハイスクール・バンバンというアカペラグループがいる。5人それぞれが歌唱力・表現力が高くて圧倒される。一番再生されているのが「最強メドレー2021」で、2021年の音楽シーンを総ざらいして、メドレーになっている。圧巻なのは、メドレーの最後を飾るAdoの『阿修羅ちゃん』。その裏にYOASOBIの『怪物』の旋律を重ねてくるところは脱帽。ハイテンションでものすごく盛り上がる。歌唱としては、official髭男dismの『Cry Baby』が、独特の和音展開を声だけで表現していて、とても綺麗だ。

残念ながら、すでに2023年3月に解散することを発表している。そんな中で、先日、新曲が発表された。『CREATURE』。まさに彼らの集大成。その本気がモニタ越しに伝わってくる。作曲はメンバーのRUSY。作詞もメンバーの天音と伊吹。それぞれの見せ場では、個性が爆発している。何よりも、声だけでこの世界観を構築しているところが凄い。普通に、楽器で構成されている楽曲だと言われても、信じてしまうほど、違和感がない。

少しでも応援したいので、こうやって影響力は少ないものの、ここに掲載して多くの人に知ってもらいたいと思う。

2022年9月19日 玉石混交だけどいい時代。

ガシャドクロの出典のひとつに山内重昭氏の『世界怪奇スリラー全集 2 世界のモンスター』(秋田書店,1968年)とあったので、実際に読んでみようと思って図書館で借りてみた。昭和43年の本なので、 ボクが生まれるよりも10年以上も前の本だ。期待どおり、ガシャドクロの絵が描いてあった。腹部にたくさんの髑髏がくっついている。これが野垂れ死にした人間たちの髑髏なのだとしたら、おそらく身長は4メートルほど。目玉が飛び出ている。この本自体は山内重昭氏が著者だが、このコーナーは斎藤守弘氏が執筆したらしい(というか、別の雑誌で連載していたものを転載したものらしい)。このイラストと説明を見る限り、少なくとも斎藤氏は歌川国芳の浮世絵を念頭にこのガシャドクロを着想したわけではないのだろう。この文章を読んだ水木しげるが、歌川国芳の浮世絵と紐づけたとするのが正しそうだ。

それにしても、昭和の妖怪本はいい加減で、面白い。山内氏も、斎藤氏も、どちらもかなりいい加減に書いている。いろんな国の妖怪が紹介されているようでいて、出典がよく分からないものがたくさんある。オリジナルのものも紛れ込ませている。情報の程度は玉石混交だし、2ちゃんねる以上に、読み手側に能力が求められる。

本来は、大昔の原典(江戸時代とか)を当たって、「ああ、当時はこういう妖怪だったんだ!」と理解すればよいのに、昭和の妖怪本がいろいろと創作も交えながら、捻じ曲げていくので、昭和の本を読み解きながら、いろいろと妖怪の成立を整理していかなければいけないのは、とてもナンセンスだ。でも、それがきっと妖怪の本質なのだ、と最近は思えるようになってきた。ゆる形而上学ラジオ的に言うなれば、存在はするけれど、実在はしないので、人々の頭の中でどのように顕在したか。顕在の形こそが妖怪の本質なのだから、昭和の妖怪本が不正解なわけではない。昭和の妖怪本の中に顕在したのだから、それもそれで妖怪としては正解なのである。……と最近は思っている。

意外といい加減なこの本で、遮光器土偶を宇宙人だと唱えたデニケンの主張を踏まえて、山内氏は勝手にその遮光器土偶のモデルになったであろう宇宙人のことを「テラコッタル」と命名している。昔、pixivで「テラコッタル」という名称で遮光器土偶を描いている人がいて「何それ」と単なる駄洒落かと一笑に付していたら、実は山内氏がそのように命名していたらしい。今になって了解した。そして「テラコッタル」と一緒になって「ジャバレン」という名称で、タッシリ・ナジェールの岩絵の巨人も紹介されていて、何でもありありでとても面白かった。真面目な本よりも、こういう何でもありでゴチャマゼになっている本の方が、子供的には遥かに想像力を刺激されて、妖怪好きになるよなあ、と思った。そういう意味じゃ、いい時代だったし、そうやって育った子供は想像力豊かになるなあ、と思った。

2022年9月10日 ドキドキもせず、落ち着く気持ちになる範囲で「ぼくが作った」と断言する凄さ!!

9月2日に、水木しげるの生誕100周年の「百鬼夜行展」に行ってきた。生憎、天気はよくなかったし、東京は少しだけ眩しかった。その上、六本木ヒルズの中で迷い込んで、なかなか東京シティビューに辿り着けなかった。でも、いろいろと示唆に富む展示で、楽しかった。今まで、水木しげるの妖怪についてまとめた図鑑の類いは読んでいたが、直接の漫画や伝記の類いは読んだことがなく、どの程度、水木しげるが自覚的に妖怪を創造し、模写していたのかがよく分からなかったが、結構、考えに考えて、かなりの部分、意識的に妖怪を写し、妖怪を創作していたことが分かったのが一番の収穫だった。

「妖怪の姿形については、昔から形の定まっていると思われるものはそれに従い、文章だけで形のないものはぼくが作った」

これは水木しげるの言葉らしい。ここで水木しげるは『ぼくが作った』と明言している。「描いた」のではない。「作った」のだ。しかも、水木しげるは鳥山石燕や竹原春泉斎などの古い時代の妖怪の画集もかなり収集している。そして、既存の絵が残されている妖怪については、それに従ったわけだ。創作をしないで、そのまま写し取った。かなり意識的にやっている。そういう妖怪との向き合い方だったことが分かって、ボクは単純に感動した。

実は、父が『週刊朝日百科 動物たちの地球』を毎週、購入していた。この雑誌の最後のページに水木しげるの妖怪コラムがあって、ボクはそこで初めて『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』などで知られる漫画家ではない、妖怪研究家としての水木しげるに出会った。そして、父親にねだって、1992年に岩波新書が発売した水木しげるの『妖怪画談』から連なる4作品を購入した。中学生の頃だと思う。その後、講談社+α文庫の『図説 日本妖怪大全』とその続編を自分のお金で買った。妖怪研究家としての水木しげるとの接点はそれだけだ。絵はとてもいい。でも、意外と文章がいい加減だな、というのが、当時の正直な感想だった。非常に感覚的で、個人の感想みたいな解説だな、と思っていた。

でも、今回の展示を見て、ちゃんと下調べしていたのだな、というのが分かった。下調べした上で、いい加減に書いていたのだ。それがいいじゃないか、と思った。しかも、「ぼくが作った」と断言した後に、

「しかしそれはあくまでも祖霊たちが『うん、それでよろしい』と言うような形にしておいた。祖霊たちがイエスかノーかは、形を作るときイエスの場合は心静かであり、ノーの場合はなんとなくドキドキして落ち着かない」

と書いている。ボクも最近、妖怪の絵を描いていて思う。オリジナリティを詰め込み過ぎて、明らかにやり過ぎたな、と思うときとか、違ったな、と思ったときには、アップロードしたときにものすごくドキドキする。これでよかったのだろうか、と煩悶する。そういうものなのだと思う。だから、とても、水木しげるに共感した。共感して、ドキドキしない範囲で「ぼくが作った」と言い切れることに、ボクは感銘を受けた。

2022年7月20日 転生しても、結局、うまく行かないのだ!?

最近、よくボカロ曲を聴く。あっちゃんが今の流行りはボカロ曲だと主張していたからだ(当の本人はトーンダウンしているのだけれど……)。ボカロ曲を聴くときには、YouTubeよりもニコニコ動画を視聴していることに自分でも少し驚く。でも、やっぱりボカロ文化のベースはニコニコ動画にある。そんなことを最近、痛感している。「殿堂入り」とか「伝説入り」とか「神話入り」みたいなタグは、今でもニコニコ動画の再生数で決まる。だから、YouTubeの操作性の方が圧倒的によいのだけれど、ボカロPを応援する意味では、ニコニコ動画を利用してしまう。

ここ最近のお気に入りは『転生林檎』だ。ピノキオPが2022年6月3日に投稿した楽曲で、まるでひとつの物語を観ているような気分になる。次々といろんな人物に転生してはやり直す。どの人生でも、ちゃんとある程度の目的は達成しているのに、でも、何かが満足できない。そんな屈折した気分が伝わってくる。「リンカーネーション」と歌うところの動画が、最高にいい。

2022年7月7日 隠し事をしている人々の集い

ホテルでの軟禁生活で鬱々としているため、ついつい無駄遣いをしてしまう。ウェザーニュースLiVEのお天気キャスターがたびたび話題にしている「SPY×FAMILY」を履修していなかったので、買ってきて読み進める。なるほど、これはこの設定に軍配ありだな。みんなが何らかの隠し事をしながら共同生活するという設定を見つけたところでもう勝ちだ。しかも、アーニャが人の心が読めて、騙し合いの全てを把握しているというのも面白い。このテンプレート、いいなあ。面白い。

2022年5月30日 中田あっちゃんのマンガ『曼陀羅東京』が面白い。

YouTubeで毎月、ボカロ楽曲をリリースし、それに合わせてスマホコミックが1話公開される。

ボカロ曲「成仏させちゃうぞ」はボカロ曲の要素をこれでもか、と詰め込んでいて、「これがボカロでしょ!?」感が満載。いろんな歌い手さんが歌って、盛り上がるとよいな、と思う。

Twitterにも書いたんだけど、ボカロ曲は非常に緩やかに拡散されていっている印象。でも、その拡散力は現時点では非常に緩やかだ。どこかで爆発するんだろうか。有名な歌い手さんがどこかで食い付けば、どーん、と広がる可能性もあるのかもしれない。

普段、「歌ってみた」を聞く習慣はないんだけど、今回、歌い手によって楽曲の雰囲気ががらり、と変わるのは面白いな、と思った。「成仏させちゃうぞ」をファルセットで歌う人もいれば、シャウトして歌う人もいる。それぞれが個性があって面白い。にゃるほど、若者はこういう文化の楽しみ方をしているのか、と新しい楽しみ方を発見した感じ。

マンガについては、絵に対するネガティブな意見が多いことに驚いた。ボクはこの絵柄もよいと思う。絵に動きがあるし、コマからはみ出したりして、とてもポップ。今風で、味があって、かわいい。キャラクタが魅力的に描けている。事前に設定を読まないと人間関係が分かりづらいところはあるが、そういうのも、ケータイ小説っぽいというか、今風な感じがする。『ハンター×ハンター』のアニメでも感じたが、キャラクタ同士の関係性をほとんど描かずに、どん、と提示すると、余白ができるので、読み手がいろいろと関係性を想像する。そこに遊びができるので、二次創作しやすい。そういう仕掛けも、同人受けしそうで、よいな、と感じる。

「物語と絵が合っていない」という意見が結構、散見される。でも、一体、どういうことなんだろう。つまり、それって「物語に合う絵」というのが前提として存在していることを意味する。読み手の中に、ある程度、そういうステレオタイプな前提があって、そこから外れると「物語と絵が合っていない」という感想になる。それって、ちょっと頭が凝り固まっていやしないか? そんな風な感性の人が、結構、多いことが分かって、それもまた、あっちゃんが炙り出した新しい事実だな、と思う。

スマホの普及が遅れた日本。だからこそ今、全てをスマホの中で完結させるコンテンツを出して人々の意識改革を促す。そのあっちゃんの哲学に強く共感した。

曼陀羅東京 – 公式サイト

2022年5月26日 北海道で語られれば、もうこの事典に掲載!!

この本、実に面白い。表紙とは裏腹に中には一切絵がなくって、ゴリッゴリの事典である。書き手の感情などもなく、淡々と集めた情報が記載されている。よくもまあ、こんなに北海道だけで怪異と妖怪を集めたなあ、感心する。しかも古いアイヌの伝承から現代妖怪に至るまで、非常に幅広く怪異と妖怪を収集している。

面白いのは、広く各地に知られているような怪異や妖怪であっても、ひとたび、北海道を舞台に語られてしまえば、この本に掲載するという選定基準は新しく、多分、今までにそういう形でも事典はなかった。

どんどん、地域ごとにシリーズ化して出版されているらしいので、東北、関東……と追いかけていきたい。監修は朝里さんという方で、北海道出身の方らしいが、シリーズは各地のライターさんが書いているらしいので、その辺の構成なんかも、どうなっているのかな、と非常に興味がある。

『日本怪異妖怪辞典 北海道』(著:朝里樹,笠間書院,2021年)

  

2022年5月6日 南米の妖怪をまとめてみた。

9月頃から、『南米妖怪図鑑』(文:ホセ・サナルディ,画:セーサル・サナルディ,ロクリン社,2019年)に載っている妖怪を軸にウェブサイト「ファンタジィ事典」を順次、更新して来た。中南米の妖怪について言及するウェブサイトは少なく、一方で紹介されている妖怪の特徴がそれなりに面白そうだったので、せっかくならこの本に載っている妖怪を一気に紹介してしまおうという試みだ。

こうやって、1冊の本を潰していく作業は、中途半端にあちこちつまみ食いしながら自由気ままに更新作業をしてきた今までのボクにしては珍しい方向性だ。でも、あるジャンルを突き詰めることは、事典としての価値を高めるので、いずれは必要な行為だと思っていた。その意味では、本書は項目数も記述量もちょうどよかった。そういう新しい試みのつもりで始めてみた。

しかしながら、南米の妖怪となると、参照できる資料はなく、ほぼこの本だけが頼りになる。そうなると、畢竟、この本の写しになってしまうので、それはそれで問題だ。そこで、まずはスペイン語とポルトガル語のWikipediaを参照して、スペルや字義、特徴を確認することとした。それから、Wikipediaで英語表記を確認して、Googleで英語検索して、上位5件くらいの内容を確認した。その上で、Google画像検索で外見の描かれ方を確認した。英語であんまり引っ掛からないものは、スペイン語やポルトガル語で検索して、上位5件を確認した。基本的には、そうやって確認が取れた内容を掲載することにした。

このプロセスでやってみた結果、著者のホセ・サナルディ氏が、日本で南米の妖怪があんまり知られていないのをいいことにいい加減に書いた素人というわけではなく、信憑性の高い著述家であることが確認できた。また、本書を書くに当たって、おそらく彼がスペイン語やポルトガル語のWikipediaを参照していないだろうことも確認できた。ほぼ全ての項目で、Wikipediaに書いてある内容と本書の内容は合致するんだけど、Wikipediaにかなり詳述されている内容が、本書ではほとんど触れられていない。だから、Wikipediaとは別の情報に基づいて本書を記述しただろうことが分かった。アルゼンチンの人だけあって、スペイン語圏の妖怪の記述はほぼインターネット上の情報と合致する一方で、グアラニー神話やインカ神話などはあんまりフォローされていなくて、あくまでもそういう神話から派生した民間伝承的な要素だけが拾われている印象を受けた。大昔の神話・伝承は彼の対象の外にあって、あくまでも、現代の人々の間で語られる妖怪像にフォーカスしているようだ。

いくつか、本書でしか見つけることができなかった記述もある。カアーポラの記述の中で、マテ茶と結び付けるような記述はインターネット上で見つけることができなかった。また、イルペの二人の女も、インターネット上で見つけることができなかった。そういうものは、その旨を記述して、項目を記載した。

南米の妖怪へのアプローチは初めてなので、どの程度、自分の解説が妥当なのかは自分自身では評価できないが、発想として面白いな、と思ったのは、チェルーフェという妖怪だ。岩石とマグマでできた巨人ということで、最近のファンタジー映画のラスボスとしてCGで登場しそうな新しさを感じる。パテターロは糞尿で満たされた桶に片足を突っ込んだ格好の妖怪だが、どうしてこういう妖怪を着想したのかな、と思うと妙におかしい。セグアなんて、とても今風で、都市伝説っぽい。いずれにしても、一応、丁寧な確認作業は実施した上で、ウェブサイト「ファンタジィ事典」南米の妖怪をまとめてみたので、是非、参考にしてもらえればいいな、と思う。