2023年4月29日 バオウ・ザケルガ!!

『金色のガッシュ!!』と言えば、2001年から2008年まで「少年サンデー」に連載されていた人気漫画だ。アニメ化もされた。作者の雷句誠氏は、小学館と大揉めして講談社に移り、そこでも編集者と揉めたっぽくて、最終的には自分自身でBIRGDIN BOARD株式会社という会社を立ち上げたというから、ものすごく変わった人物ではある。でも、ちゃんと漫画を描き続けていて、2022年から『金色のガッシュ!!2』の連載が始まった。現在、2巻まで出版されている。

当時、雷句氏がTwitterで『金色のガッシュ!!2』の連載開始を発表したときには、ファンが歓喜する一方で、一度、完結した物語を再開することに対する不安の声もたくさんあった。実は、ボクも不安を抱いていた。『金色のガッシュ!!』は、清磨とガッシュが、魔界の王を決める戦いに参加し、「やさしい王様」を目指す物語だ。そして、33巻で有終の美で完結した。ちゃんと完結した物語を、もう一度、組み立てなおして、続編を描くのは難しいし、すでに清磨とガッシュの関係性も変わっているわけで、どのような展開になるのか、見当もつかなかった。

だから、1巻が本屋さんに並んだときには、ちょっと様子見というのか、遠巻きに眺めて静観していた。そうしたら、2巻が発売された。「あ、ちゃんと続いた!」とボクはビックリして、そして、買ってみた。冒頭は不安が渦巻く展開だったが、どんどん、昔の懐かしい面々が登場したら、ぐいぐいと引き込まれた。そして、新しい展開も、それほど大きな違和感なく、前作と繋がった。

何よりも、読者の感情を揺さぶる瞬発力がすごい。雷句氏の鉄板のテンプレートなのだろう。普通だったら、周到に準備して、流れをつくって、ゆっくりと読者の心を動かしていく。でも、ガッシュは、1冊の中であっという間に感動の形を組み立てて、読者に向かって打ち込んでくる。1巻も、2巻も、ちゃんと感動のシーンまで持っていく。その瞬発力がものすごい。ああ、これがガッシュだ、と感じた。

大抵の場合、続編って失敗するものだけれど、今のところ、ガッシュに関しては、企画倒れにはなっていない。続編のストーリも成立しているし、かつての感動も損なわれていない。それもまた、すごいことだ。

  

2023年4月27日 「えーっと」と「あのー」はどう違うのか。

YouTubeの「ゆる言語学ラジオ」のパーソナリティのお二人が『言語沼』を4月に出版したので、早速、読んでみた。

いつものラジオの軽妙な会話が忠実に再現された対話型の本で、推敲されているので、無駄がなくてキレキレである。文体はゆるく書かれているし、難しくないけれど、よくよく読むと、「連濁」「アニマシー(生物性)」「音象徴」「フィラー」「調音点」「オノマトペ」「格助詞」など、実はがっつりと言語学っぽい内容でまとめられている。それを聞き手の堀元氏がちょいちょい難解な雑学を放り込みながら、面白おかしく茶化しながら進行していく。

純粋に「言語学って面白い」という読後感が残るので、とてもよい。是非、おすすめの1冊である。

  

2023年4月19日 日本の女性メタルバンドが凄い

最近、ボクが注目しているアーティストに、LoveBitesがいる。2017年デビューの女性メタルバンドだ。2021年にベースが脱退して、2022年3月に新メンバーを加えて新体制で活動を再開した。再始動の曲が「Judgement Day」という曲で、冒頭のベースの音が印象的な楽曲だ。

何となく、X Japan世代のボクは、クラシカルで、それでいて激しいロックを求めてしまう。そんなボクにとって、LoveBitesはピッタリだ。技術的には、若い人たちの方が圧倒的に上手い。LoveBitesのギタリストのMiyako(静的な方)とMidori(動的な方)の掛け合いは最高にいいし、ドラムのHarunaのツーバスも激しい。

新規加入したベースのFamiは、実はYouTubeで見たことがあった。ボカロ曲をベースで弾いてみたみたいな動画で何度かおススメに上がってきていて、「あ、知っている!」という感じだった。ヴォーカルのAsamiはたまには張らない声があると面白いのにな、とは思う。でも、最後の方でキーがどんどん上がってくる感じは、聴いていてものすごく心地よい。

日本では、メタルはあんまり聴く人が少ないので、全体的な母数が少ない印象はある。圧倒的に上手いので、もっと評価されてもよいのにな、と思う。だから、ひっそりとここで紹介しておこうと思うので、是非、臆せずに観てみて欲しい。

ちなみに、インタビュー記事によると、この「Judgement Day」も含めて、新しいAlbumの楽曲は、ベースメンバー不在のまま製作され、録音も終わっていたらしい。オーディション結果を踏まえて、後からFamiが収録したというから、新しいメンバーを信じて作ってしまう覚悟もまた、面白いな、と思う。

  

2023年4月11日 オトナブルー

新しい学校のリーダーズがここのところ、バズっている。しかも3年前の『オトナブルー』という楽曲が再評価されている格好だ。彼女たちは、アイドルというのか、パフォーマーというのか、厳密な定義は分からない。おそらく当初はももクロみたいなアイドルを立ち上げたかったのではないかと勝手に想像する。キレキレのダンスと吹っ切ったパフォーマンス。そしてどうしてか、SUZUKAのコミカルな動きに思わず惹きつけられる。

彼女たちは21~24歳で、年齢としては非常に若いグループだが、実は芸歴は長くて、2015年に結成されている。結成されてから7年くらい経っている。若い頃に結成して以来、メンバーチェンジもせずに、ずっと続けてきたグループと言える。

THE FIRST TAKEにも出演していてビックリした。「いい意味でFIRST TAKEの緊張感ここまでぶち壊したグループは初めて見た」というコメントに思わず、頷いてしまった。すごい。4人ともが同じ方向性でちゃんと演じられていることが奇跡的だ。

音楽と雰囲気には昭和っぽさがありつつ、アングラっぽさもありつつ、でも、圧倒的なダンス・パフォーマンスは令和ならではのクオリティ。それもひとつの魅力だし、何よりも、完全に振り切っている。その覚悟が、一番、素晴らしい。

ちなみに、ここに挙げている『オトナブルー』の動画は、最近取り直したヴァージョン。昔のヴァージョンもあるし、ワンテイクのダンス・ヴァージョンもあるのでチェケラ!!

  

2023年1月3日 美しきタロットの世界

本屋に行ったら『美しきタロットの世界 その歴史と図像の秘密』という本が平積みされていたので読んでみた。ボク自身は、特段、占いをするわけではない。信じているわけでもない。でも、ウェブサイト『ファンタジィ事典』を運営する好事家のボクからすれば、「タロット」も研究対象のひとつに含まれる。

過去にいろいろな解説本があったけれど、この本の内容は知らないことばかりだった。当初のタロットが「占い」の道具としてではなくてカードゲームとして普及していたことも、占いの道具としては黄金の夜明け団によって広く普及した事実も、ボクたちがよく知っているタロットの図版を監修していたのが黄金の夜明け団のウェイトだったことも、ボクは寡聞にして知らなかった。世界各地のタロットをたくさん蒐集して展示している「東京タロット美術館」の監修なので、おそらくは妥当な記述なのだろう。とても面白かった。

本書のオススメのポイントは、17~18世紀のタロット(「マルセイユ版」)のイラストが載っているところ。何となく北欧神話の神々のイラストに似たような雰囲気の絵があって、それとウェイトの監修した「ライダー版」やその他の版の絵が紹介されている。こういうのは、東京タロット美術館が監修している強みだろう。


『美しきタロットの世界 その歴史と図像の秘密』(著:読売新聞社「美術展ナビ」取材班,監修:東京タロット美術館,祥伝社,2022年)

2022年12月7日 アカペラの可能性

ハイスクール・バンバンというアカペラグループがいる。5人それぞれが歌唱力・表現力が高くて圧倒される。一番再生されているのが「最強メドレー2021」で、2021年の音楽シーンを総ざらいして、メドレーになっている。圧巻なのは、メドレーの最後を飾るAdoの『阿修羅ちゃん』。その裏にYOASOBIの『怪物』の旋律を重ねてくるところは脱帽。ハイテンションでものすごく盛り上がる。歌唱としては、official髭男dismの『Cry Baby』が、独特の和音展開を声だけで表現していて、とても綺麗だ。

残念ながら、すでに2023年3月に解散することを発表している。そんな中で、先日、新曲が発表された。『CREATURE』。まさに彼らの集大成。その本気がモニタ越しに伝わってくる。作曲はメンバーのRUSY。作詞もメンバーの天音と伊吹。それぞれの見せ場では、個性が爆発している。何よりも、声だけでこの世界観を構築しているところが凄い。普通に、楽器で構成されている楽曲だと言われても、信じてしまうほど、違和感がない。

少しでも応援したいので、こうやって影響力は少ないものの、ここに掲載して多くの人に知ってもらいたいと思う。

2022年9月19日 玉石混交だけどいい時代。

ガシャドクロの出典のひとつに山内重昭氏の『世界怪奇スリラー全集 2 世界のモンスター』(秋田書店,1968年)とあったので、実際に読んでみようと思って図書館で借りてみた。昭和43年の本なので、 ボクが生まれるよりも10年以上も前の本だ。期待どおり、ガシャドクロの絵が描いてあった。腹部にたくさんの髑髏がくっついている。これが野垂れ死にした人間たちの髑髏なのだとしたら、おそらく身長は4メートルほど。目玉が飛び出ている。この本自体は山内重昭氏が著者だが、このコーナーは斎藤守弘氏が執筆したらしい(というか、別の雑誌で連載していたものを転載したものらしい)。このイラストと説明を見る限り、少なくとも斎藤氏は歌川国芳の浮世絵を念頭にこのガシャドクロを着想したわけではないのだろう。この文章を読んだ水木しげるが、歌川国芳の浮世絵と紐づけたとするのが正しそうだ。

それにしても、昭和の妖怪本はいい加減で、面白い。山内氏も、斎藤氏も、どちらもかなりいい加減に書いている。いろんな国の妖怪が紹介されているようでいて、出典がよく分からないものがたくさんある。オリジナルのものも紛れ込ませている。情報の程度は玉石混交だし、2ちゃんねる以上に、読み手側に能力が求められる。

本来は、大昔の原典(江戸時代とか)を当たって、「ああ、当時はこういう妖怪だったんだ!」と理解すればよいのに、昭和の妖怪本がいろいろと創作も交えながら、捻じ曲げていくので、昭和の本を読み解きながら、いろいろと妖怪の成立を整理していかなければいけないのは、とてもナンセンスだ。でも、それがきっと妖怪の本質なのだ、と最近は思えるようになってきた。ゆる形而上学ラジオ的に言うなれば、存在はするけれど、実在はしないので、人々の頭の中でどのように顕在したか。顕在の形こそが妖怪の本質なのだから、昭和の妖怪本が不正解なわけではない。昭和の妖怪本の中に顕在したのだから、それもそれで妖怪としては正解なのである。……と最近は思っている。

意外といい加減なこの本で、遮光器土偶を宇宙人だと唱えたデニケンの主張を踏まえて、山内氏は勝手にその遮光器土偶のモデルになったであろう宇宙人のことを「テラコッタル」と命名している。昔、pixivで「テラコッタル」という名称で遮光器土偶を描いている人がいて「何それ」と単なる駄洒落かと一笑に付していたら、実は山内氏がそのように命名していたらしい。今になって了解した。そして「テラコッタル」と一緒になって「ジャバレン」という名称で、タッシリ・ナジェールの岩絵の巨人も紹介されていて、何でもありありでとても面白かった。真面目な本よりも、こういう何でもありでゴチャマゼになっている本の方が、子供的には遥かに想像力を刺激されて、妖怪好きになるよなあ、と思った。そういう意味じゃ、いい時代だったし、そうやって育った子供は想像力豊かになるなあ、と思った。

2022年9月10日 ドキドキもせず、落ち着く気持ちになる範囲で「ぼくが作った」と断言する凄さ!!

9月2日に、水木しげるの生誕100周年の「百鬼夜行展」に行ってきた。生憎、天気はよくなかったし、東京は少しだけ眩しかった。その上、六本木ヒルズの中で迷い込んで、なかなか東京シティビューに辿り着けなかった。でも、いろいろと示唆に富む展示で、楽しかった。今まで、水木しげるの妖怪についてまとめた図鑑の類いは読んでいたが、直接の漫画や伝記の類いは読んだことがなく、どの程度、水木しげるが自覚的に妖怪を創造し、模写していたのかがよく分からなかったが、結構、考えに考えて、かなりの部分、意識的に妖怪を写し、妖怪を創作していたことが分かったのが一番の収穫だった。

「妖怪の姿形については、昔から形の定まっていると思われるものはそれに従い、文章だけで形のないものはぼくが作った」

これは水木しげるの言葉らしい。ここで水木しげるは『ぼくが作った』と明言している。「描いた」のではない。「作った」のだ。しかも、水木しげるは鳥山石燕や竹原春泉斎などの古い時代の妖怪の画集もかなり収集している。そして、既存の絵が残されている妖怪については、それに従ったわけだ。創作をしないで、そのまま写し取った。かなり意識的にやっている。そういう妖怪との向き合い方だったことが分かって、ボクは単純に感動した。

実は、父が『週刊朝日百科 動物たちの地球』を毎週、購入していた。この雑誌の最後のページに水木しげるの妖怪コラムがあって、ボクはそこで初めて『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』などで知られる漫画家ではない、妖怪研究家としての水木しげるに出会った。そして、父親にねだって、1992年に岩波新書が発売した水木しげるの『妖怪画談』から連なる4作品を購入した。中学生の頃だと思う。その後、講談社+α文庫の『図説 日本妖怪大全』とその続編を自分のお金で買った。妖怪研究家としての水木しげるとの接点はそれだけだ。絵はとてもいい。でも、意外と文章がいい加減だな、というのが、当時の正直な感想だった。非常に感覚的で、個人の感想みたいな解説だな、と思っていた。

でも、今回の展示を見て、ちゃんと下調べしていたのだな、というのが分かった。下調べした上で、いい加減に書いていたのだ。それがいいじゃないか、と思った。しかも、「ぼくが作った」と断言した後に、

「しかしそれはあくまでも祖霊たちが『うん、それでよろしい』と言うような形にしておいた。祖霊たちがイエスかノーかは、形を作るときイエスの場合は心静かであり、ノーの場合はなんとなくドキドキして落ち着かない」

と書いている。ボクも最近、妖怪の絵を描いていて思う。オリジナリティを詰め込み過ぎて、明らかにやり過ぎたな、と思うときとか、違ったな、と思ったときには、アップロードしたときにものすごくドキドキする。これでよかったのだろうか、と煩悶する。そういうものなのだと思う。だから、とても、水木しげるに共感した。共感して、ドキドキしない範囲で「ぼくが作った」と言い切れることに、ボクは感銘を受けた。

2022年7月20日 転生しても、結局、うまく行かないのだ!?

最近、よくボカロ曲を聴く。あっちゃんが今の流行りはボカロ曲だと主張していたからだ(当の本人はトーンダウンしているのだけれど……)。ボカロ曲を聴くときには、YouTubeよりもニコニコ動画を視聴していることに自分でも少し驚く。でも、やっぱりボカロ文化のベースはニコニコ動画にある。そんなことを最近、痛感している。「殿堂入り」とか「伝説入り」とか「神話入り」みたいなタグは、今でもニコニコ動画の再生数で決まる。だから、YouTubeの操作性の方が圧倒的によいのだけれど、ボカロPを応援する意味では、ニコニコ動画を利用してしまう。

ここ最近のお気に入りは『転生林檎』だ。ピノキオPが2022年6月3日に投稿した楽曲で、まるでひとつの物語を観ているような気分になる。次々といろんな人物に転生してはやり直す。どの人生でも、ちゃんとある程度の目的は達成しているのに、でも、何かが満足できない。そんな屈折した気分が伝わってくる。「リンカーネーション」と歌うところの動画が、最高にいい。

2022年7月7日 隠し事をしている人々の集い

ホテルでの軟禁生活で鬱々としているため、ついつい無駄遣いをしてしまう。ウェザーニュースLiVEのお天気キャスターがたびたび話題にしている「SPY×FAMILY」を履修していなかったので、買ってきて読み進める。なるほど、これはこの設定に軍配ありだな。みんなが何らかの隠し事をしながら共同生活するという設定を見つけたところでもう勝ちだ。しかも、アーニャが人の心が読めて、騙し合いの全てを把握しているというのも面白い。このテンプレート、いいなあ。面白い。

2022年5月30日 中田あっちゃんのマンガ『曼陀羅東京』が面白い。

YouTubeで毎月、ボカロ楽曲をリリースし、それに合わせてスマホコミックが1話公開される。

ボカロ曲「成仏させちゃうぞ」はボカロ曲の要素をこれでもか、と詰め込んでいて、「これがボカロでしょ!?」感が満載。いろんな歌い手さんが歌って、盛り上がるとよいな、と思う。

Twitterにも書いたんだけど、ボカロ曲は非常に緩やかに拡散されていっている印象。でも、その拡散力は現時点では非常に緩やかだ。どこかで爆発するんだろうか。有名な歌い手さんがどこかで食い付けば、どーん、と広がる可能性もあるのかもしれない。

普段、「歌ってみた」を聞く習慣はないんだけど、今回、歌い手によって楽曲の雰囲気ががらり、と変わるのは面白いな、と思った。「成仏させちゃうぞ」をファルセットで歌う人もいれば、シャウトして歌う人もいる。それぞれが個性があって面白い。にゃるほど、若者はこういう文化の楽しみ方をしているのか、と新しい楽しみ方を発見した感じ。

マンガについては、絵に対するネガティブな意見が多いことに驚いた。ボクはこの絵柄もよいと思う。絵に動きがあるし、コマからはみ出したりして、とてもポップ。今風で、味があって、かわいい。キャラクタが魅力的に描けている。事前に設定を読まないと人間関係が分かりづらいところはあるが、そういうのも、ケータイ小説っぽいというか、今風な感じがする。『ハンター×ハンター』のアニメでも感じたが、キャラクタ同士の関係性をほとんど描かずに、どん、と提示すると、余白ができるので、読み手がいろいろと関係性を想像する。そこに遊びができるので、二次創作しやすい。そういう仕掛けも、同人受けしそうで、よいな、と感じる。

「物語と絵が合っていない」という意見が結構、散見される。でも、一体、どういうことなんだろう。つまり、それって「物語に合う絵」というのが前提として存在していることを意味する。読み手の中に、ある程度、そういうステレオタイプな前提があって、そこから外れると「物語と絵が合っていない」という感想になる。それって、ちょっと頭が凝り固まっていやしないか? そんな風な感性の人が、結構、多いことが分かって、それもまた、あっちゃんが炙り出した新しい事実だな、と思う。

スマホの普及が遅れた日本。だからこそ今、全てをスマホの中で完結させるコンテンツを出して人々の意識改革を促す。そのあっちゃんの哲学に強く共感した。

曼陀羅東京 – 公式サイト

2022年5月26日 北海道で語られれば、もうこの事典に掲載!!

この本、実に面白い。表紙とは裏腹に中には一切絵がなくって、ゴリッゴリの事典である。書き手の感情などもなく、淡々と集めた情報が記載されている。よくもまあ、こんなに北海道だけで怪異と妖怪を集めたなあ、感心する。しかも古いアイヌの伝承から現代妖怪に至るまで、非常に幅広く怪異と妖怪を収集している。

面白いのは、広く各地に知られているような怪異や妖怪であっても、ひとたび、北海道を舞台に語られてしまえば、この本に掲載するという選定基準は新しく、多分、今までにそういう形でも事典はなかった。

どんどん、地域ごとにシリーズ化して出版されているらしいので、東北、関東……と追いかけていきたい。監修は朝里さんという方で、北海道出身の方らしいが、シリーズは各地のライターさんが書いているらしいので、その辺の構成なんかも、どうなっているのかな、と非常に興味がある。

『日本怪異妖怪辞典 北海道』(著:朝里樹,笠間書院,2021年)

  

2022年5月6日 南米の妖怪をまとめてみた。

9月頃から、『南米妖怪図鑑』(文:ホセ・サナルディ,画:セーサル・サナルディ,ロクリン社,2019年)に載っている妖怪を軸にウェブサイト「ファンタジィ事典」を順次、更新して来た。中南米の妖怪について言及するウェブサイトは少なく、一方で紹介されている妖怪の特徴がそれなりに面白そうだったので、せっかくならこの本に載っている妖怪を一気に紹介してしまおうという試みだ。

こうやって、1冊の本を潰していく作業は、中途半端にあちこちつまみ食いしながら自由気ままに更新作業をしてきた今までのボクにしては珍しい方向性だ。でも、あるジャンルを突き詰めることは、事典としての価値を高めるので、いずれは必要な行為だと思っていた。その意味では、本書は項目数も記述量もちょうどよかった。そういう新しい試みのつもりで始めてみた。

しかしながら、南米の妖怪となると、参照できる資料はなく、ほぼこの本だけが頼りになる。そうなると、畢竟、この本の写しになってしまうので、それはそれで問題だ。そこで、まずはスペイン語とポルトガル語のWikipediaを参照して、スペルや字義、特徴を確認することとした。それから、Wikipediaで英語表記を確認して、Googleで英語検索して、上位5件くらいの内容を確認した。その上で、Google画像検索で外見の描かれ方を確認した。英語であんまり引っ掛からないものは、スペイン語やポルトガル語で検索して、上位5件を確認した。基本的には、そうやって確認が取れた内容を掲載することにした。

このプロセスでやってみた結果、著者のホセ・サナルディ氏が、日本で南米の妖怪があんまり知られていないのをいいことにいい加減に書いた素人というわけではなく、信憑性の高い著述家であることが確認できた。また、本書を書くに当たって、おそらく彼がスペイン語やポルトガル語のWikipediaを参照していないだろうことも確認できた。ほぼ全ての項目で、Wikipediaに書いてある内容と本書の内容は合致するんだけど、Wikipediaにかなり詳述されている内容が、本書ではほとんど触れられていない。だから、Wikipediaとは別の情報に基づいて本書を記述しただろうことが分かった。アルゼンチンの人だけあって、スペイン語圏の妖怪の記述はほぼインターネット上の情報と合致する一方で、グアラニー神話やインカ神話などはあんまりフォローされていなくて、あくまでもそういう神話から派生した民間伝承的な要素だけが拾われている印象を受けた。大昔の神話・伝承は彼の対象の外にあって、あくまでも、現代の人々の間で語られる妖怪像にフォーカスしているようだ。

いくつか、本書でしか見つけることができなかった記述もある。カアーポラの記述の中で、マテ茶と結び付けるような記述はインターネット上で見つけることができなかった。また、イルペの二人の女も、インターネット上で見つけることができなかった。そういうものは、その旨を記述して、項目を記載した。

南米の妖怪へのアプローチは初めてなので、どの程度、自分の解説が妥当なのかは自分自身では評価できないが、発想として面白いな、と思ったのは、チェルーフェという妖怪だ。岩石とマグマでできた巨人ということで、最近のファンタジー映画のラスボスとしてCGで登場しそうな新しさを感じる。パテターロは糞尿で満たされた桶に片足を突っ込んだ格好の妖怪だが、どうしてこういう妖怪を着想したのかな、と思うと妙におかしい。セグアなんて、とても今風で、都市伝説っぽい。いずれにしても、一応、丁寧な確認作業は実施した上で、ウェブサイト「ファンタジィ事典」南米の妖怪をまとめてみたので、是非、参考にしてもらえればいいな、と思う。

2022年3月13日 少年たちが戦車に乗って敵陣に進撃する!?

息子のツクル氏と一緒に『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』を観に行った。小さな宇宙人のハピはピリカ星の大統領。しかし、反乱軍に国を占拠され、ロケットに乗って地球に亡命していた。のび太たちが乗り込んだピリカ星の首都ピリポリスは、内戦の名残りで建物があちこち破壊されている。反乱軍に囚われた大統領ハピは、メディアに向かって独裁者を糾弾し、偽りなく生きることを訴える。国民たちは大統領の演説のメッセージに心を打たれて暴動を起こし、反乱軍に立ち向かう。のび太たちはラジコンの戦車を改造して敵陣に侵攻し、あるいはジェット機に乗って空中戦を繰り広げる。

ツクル氏は単純に楽しんでいたようだが、ボクはロシアのウクライナ侵攻とリンクして、非常に複雑な気持ちだった。悪しき「独裁者」による市街地の破壊。演説によって国民の信頼を勝ち取る「大統領」。こんなのは偶然で、映画の制作陣は、こんな未来は予想していなかっただろう。元々は2021年の夏に公開予定だった映画だ。偶然、新型コロナウイルス感染症で延期し、今月の公開になった。もしかしたら、この時期の公開を巡って、制作陣はその是非を議論したのかもしれない。戦争の恐ろしさや愚かさを実感しながら今を生きているボクたちだから、この映画のメッセージは強くボクたちに突き刺さる。ハピの演説も、とても強く心を打つ。

それでも、のび太たちが自ら志願して戦争に参加するシーンや、最終的には運も味方につけながら、のび太たちの大活躍で正義が圧勝してしまうところなど、少しだけ、滑ってしまう。まあ、子供向けの物語だし、偽善で構わないんだ。でも、時期が時期だけに、いろいろと考えさせられてしまった。そして、こうやっていろいろと考えさせられてしまうところ、いい作品だったのかもしれない。

2021年12月19日 こんな大らかな時代に生まれたかった

『ダンジョン飯』の10巻に「迷宮の兎」というのが登場して、一部のウィザードリィ・ファンの間で話題になっていた。ウサギが首を刈るというのは、ヴォーパル・バニーである。最近、『ダンジョン飯』の11巻を読んでいた妻のちぃ子が「そう言えば、ダンジョン飯に出てきた『迷宮の兎』には元ネタがあるのか?」と訊いてきた。どうも、かわいいウサギが首を刈るという設定にインパクトを受けたらしい。そんなこともあって、ウィザードリィのヴォーパル・バニーの話をして、現代の創作ではあるものの、面白いからウェブサイト「ファンタジィ事典」に載せてやろうと思って調べていたら、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』という映画が初出だと分かったので、ブルー・レイを調達して、観てみた。アーサー王と円卓の騎士が聖杯を求める物語のパロディ作品だ。でも、正直、とても面白かった。こんなにバカバカしい映画が作れるんだなあ、と思って感動した。いい時代だったんだなあ。大らかな時代だ。映画の終わり方も含めて、ふざけ散らかしている。ボクたちが生きている「今」は、もはや、こういう「遊び」が許容されにくい時代なのかもしれない。

2021年12月18日 絵巻物を漫画にしてしまう斬新さ!!

本屋に行ったら『まんが訳 稲生物怪録』(ちくま新書)が並んでいた。久々の本屋散策だったが、どうも2021年10月に出版されたらしい。ノーチェックだった。

監修が大塚英志氏だったので、彼好みの独特のタッチの画家による漫画なのかな、と思って本を開いたら、全然、そういうものではなくって、妖怪絵巻『稲生家妖怪傳巻物』そのものを写真で取り込んで、それを素材にしてうまくコマ割りして、吹き出しをつけている。まさに再構築といった様相で、全く新しい手法だった。このアイディアは面白い。

寡聞にして知らなかったが、実はこのアプローチは2作目で、『まんが訳 酒呑童子絵巻』というのが2020年5月にすでに出版されていたらしい。ともすれば、さらっと眺めて終わってしまう絵巻物だけれど、コマ割りがとても上手で、細部にフォーカスされるので、じっくりと絵巻物そのものを堪能できる仕掛けになっている。斬新だけど、これは発想として大成功しているな、と感じた。

近日中に『酒呑童子絵巻』も入手してみよう、と決意した。

本のページ

2021年6月6日 ほぼ1か月振りの投稿

最後の投稿が5月5日で、本日は6月6日。まるでCandy Foxxの新曲発表のような間隔での雑記の投稿だ。

実は、いろいろと書きたいことはあった。書けないほど忙しかったわけでもないし、書こうと思えば書けた。でも、書かなかった。何となく、話題のニュースに飛びついてネタにするみたいな物申す系YouTuberみたいなことをすると疲れるなあ、と感じた。だから、自制していた。Candy FoxxのPVが炎上したり、大坂なおみが記者会見を拒否して叩かれたり、なかなか新型コロナウイルス感染症のワクチンが進まなかったり、勿論、いろいろと思うところはある。ダイバーシティの時代を謳いながら、社会はものすごく画一的で、攻撃的だなあ、と思う。どんな在り方も、まずは受け容れる必要がある。そんなことを思いながら、何とか優しい社会にならないものか、と思ったりもした。でも、そういうことを書くのは思いの外、しんどいので、ROMっていた。

一方で、個人的には楽しい1か月でもあって、コロナ禍の影響もあってか、いろんな学問の専門家がYouTubeに活躍の場を見い出して参入してきていて、それに後押しされた格好なのか、「ゆる言語学ラジオ」みたいなレベルの高い教養あるYouTubeチャンネルが増えてきた。いろいろな分野で、好事家が知識を披露してくれていて、それを視聴者が楽しめるようになって、新しい時代だな、と感じている。

それから、最近は本を乱読していた。オズの魔法使いシリーズは15冊、全部、読んでしまった。メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』とかカレル・チャペックの『R.U.R.』も読んだ。マクシム・ゴーリキーの『どん底』みたいな本も読んでいた。中野美代子訳の『西遊記』シリーズ全10冊も、ちょうど読み始めたところだ。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』も読み始めた。そんなわけで、世界文学大系みたいな本を順次、読んでいこうと思っている昨今だ。

こういう話題だったら、「日々の雑記」に書いてもよいなあ、と思っている。

2021年5月5日 妖怪図書館 – 冥途のミヤゲ

最近、YouTubeで注目しているアカウントがある。「妖怪図書館 – 冥土のミヤゲ」(YouTube)だ。すでに1年ほど運営されていて、ボク自身は半年前くらいから見ていた。日本の妖怪について、熱く語っている。登録者数が1,000人にいかないので、収益化はできていないんだろうけれど、それでも、諦めずに定期的に投稿を続けている。すごいのは、情報のクオリティが高いこと。ちゃんと一次資料を参照していることが分かる。それでいて、分かりやすくて噛み砕かれていて、ちゃんとエンタメになっている。

正直、このクオリティでこの更新頻度なら、もっと登録者数が増えてもいいのにな、と思う。でも、YouTubeはコラボで登録者数を増やしていく側面があるので、このアプローチだとなかなか認知度が上がっていかないよなあ、とも思う。だから、こうやって陰ながら応援していこうと思って、小さいウェブサイトながら、紹介してみた。

2021年4月5日 朝令暮改……それとも君子豹変す?

新年度入っていきなりの衝撃。中田敦彦が「4月から顔出し引退」の前言を撤回して、もう5日にして顔出しを再開した。決断が早い。「中田敦彦のYouTube大学」では2つだけ、動画がアップロードされた。「デス・ノート」を解説する動画の前編と後編だ。だから、この2つの動画だけでジャッジして、即決即断したことになる。

ボクとしても、結構、どうなるんだろうか、と注目していたところだったので、この動画は見た。そして、勢いがなくなった、と感じた。こちらに語り掛けてくる熱量が少なくなったな、と感じた。てっきり、アバター化と同時に、立って観客に向けてプレゼンをするスタイルじゃなくして、ラジオっぽい録音に変更したのかな、と思ったぐらいだ。それでも、慣れも必要だろうし、様子見かな、と思っていた。再生数の走り出しも、大幅に下がったわけではない。

でも、中田敦彦は結果が失敗だと判断した。その判断基準は「視聴者維持率」なのだという。今までの「中田敦彦のYouTube大学」は、この視聴者維持率が高かったのだという。でも、今回の2本は少なかったらしい。確かに、中田敦彦に語り掛けられているという印象が薄くなって、熱量がなくなった分、飽きてしまう。怒涛のように喋っているから、実は、ラジオのように音声コンテンツとしてゆっくりは聞けない。それを、中田敦彦の動きがカバーしていたということなのだろうか。

それにしても、たったの2本、しかも前編・後編という意味では、ひとつのコンテンツだけで、もう、ジャッジして決断をする。この早さみたいなものは、柔らかいなあ。まあ、失敗というレッテルを視聴者サイドに貼られる前に自分から先に撤回した方が圧倒的に失敗のダメージは少ないので、正しい判断だとは思う。でも、その正しさを貫くのは、意外と難しい、と思う。

中田敦彦のチャンネルでは、高評価が多く、意外とポジティブに受け入れられている印象だけれど、同じ内容を報じたYahooニュースのコメントは結構、辛辣で、信用できないというトーンのコメントが多い。どっちが多数派で、どっちが世論になっていくのかは分からない。朝令暮改? それとも君子豹変? その辺の視聴者の今後のジャッジも楽しみなところ。ボクは、現時点では、意外と、ポジティブに受け止めた……かな? 多分、データに基づく判断というよりは中田敦彦の作り手としての直感なのだと思う。自分でやってみて、出来上がったものを見てみて、それでダメだな、と感じた。その直感を信じた。そのジャッジは信頼ができる。そんな感じ。

2021年4月4日 アイドルって何だ!?

ここのところ、アイドルグループ(?)の「我儘ラキア」にハマっている。たまたまファミリーマートの窓のところに彼女たちのライブのポスターが貼ってあって、琴線に引っ掛かった。「我儘ラキア」というワードの妙と、そのロゴの格好よさ。そして、彼女たちのビジュアルが格好よかった。ボクは最初、勘違いしていて、最近、流行りのガールズバンドなのかな、と思った。そして、その場でYouTubeを立ち上げて、PVを視聴して……青い髪の女の子が歌い始めて、ああ、彼女がヴォーカルなのだな、と認識した。結構、強めの声で、歌唱力もある。ロックだ。いい。でも、他の3人は楽器を演奏しない。踊っている。変なPVだな、と思っていたら、突然、金髪ショートめの女の子がゴリゴリのラップを始める。あれれ、ラッパーだ。しかもかなり本格的。そして、2番になったら、残りの2人も歌い始める。ここに至って、ようやく、どうやらこのグループはバンドじゃないっぽいぞ、と気がつく。思い込みって恐ろしい。Wikipedia先生にお伺いを立てる。

「我儘ラキア(ワガママラキア)は、日本の女性アイドルグループである。」

あ、アイドルなんだ。や、アイドルの定義って何? こんなにゴリゴリにロックをやっていて、アイドルとか言うのか。たとえば、アイドルグループの「神使轟く、激情の如く。」も、ミクスチャーロックっぽいことをやっていて、もはやアイドルなのか何なのかよく分からないけれど、でも、何となく彼女たちはアイドルだな、と思わせる何かがあった。つまり、自分の「かわいい」という容姿をウリにしていて、着せ替え人形のようにいろんな格好をして、いろんなポーズで写真をとって、ファンに媚びている。でも、「我儘ラキア」みたいに、ここまでファンを突き放していると、もう、アーティストだよね、と思う。作詞・作曲も、青い髪の女の子(星熊南巫)ややっているらしい。ラップの作詞は金髪ショートめの女の子(MIRI)。作曲まで踏み込んでやっている点も、アイドルとしては珍しい。