2025年3月1日 アン・ドゥ・トロワで眠りましょう
2月25日の記事「Have you ever seen Heaven?」でYouTubeのAIオススメのアーティストを紹介したけれど、第2弾として、Serraを紹介しようと思う。
彼女はYouTubeショートで結構、頻繁にプッシュされていた。短い動画の中で歌唱力を存分に示していたんだけど、フルで楽曲を聴いたことはなかった。でも、何度もプッシュされるので、重い腰を上げて聴いてみたところ、抜群にいい。
まず、楽曲がいい。展開はアニソンっぽさもありつつ、言葉のテンポはボカロ曲っぽさもありつつ、ロックでもある。それでいて、歌唱力は抜群だ。いろんなコンポーザに楽曲の提供を受けているようだけど、彼女自身もソングライティングができるようで、この『ViVALE』は彼女の手によるもの。彼女がつくった楽曲のクオリティも高いのがすごい! 声を張って激しく歌う方向性が多いんだけど、意外とバラードこそが彼女の本領発揮なのだと思うけど、歌詞の世界観も含めて、きっと彼女は激しい楽曲が好きなのだろうなあ。
そして、彼女が所属していたSalty Dogが何よりもいい。すでに活動は休止しているんだけど、何故、売れなかったんだろうと首を傾げたくなるような名曲がたくさんある。まあ、どちらにしても、ボクにとっては出会った瞬間が新曲なので、これから聴いていこうと思う。……何だろうな。ちょっと複雑すぎたのかもしれない。復活の含みを持たせているので、復活することを祈ろう。
2025年3月3日 メジェドを描いてみた。
ちょっとだけ、ファンタジィ事典でエジプト神話の調査に精を出しているところで、新調したiPhoneのケースもメジェドにしたところで、よくよく考えたらメジェドの項目がファンタジィ事典にないということに気づいて、急遽、作成した。それに合わせて、メジェドの絵も描いてみた。

もっとマスコットっぽくかわいく描くこともできたんだけど、ちょっとだけ生っぽくしてみた。『死者の書』なんかを見ると、神々が座ったときの背丈というか、女の人が屈んで祈っている高さと同じくらいの背丈で描かれるので、子供くらいの人が中にいて、シーツをかぶっているみたいな頭身で描いてみた。
これで、目からビームが出るらしいから、凄いよね(笑)。2021年に日本でネットミームとしてバズったわけだけど、そこから世界に発信されて、知名度が爆上がりした存在。英語のWikipediaのメジェドの項目でも、日本のムーブメントがちょっと紹介されていて可笑しい。そうやって、何でも面白がって盛り上がっちゃうところが、ある種、日本人の良さだとは思う。
2025年3月5日 甲府星人を描いてみた。
少しだけ時節を逸している感じもあるんだけど、甲府星人を描いてみたので載せてみる。

1975年2月23日に2人の小学生がこの宇宙人と遭遇して、今年で50年目。甲府ではお祭りもあったようで、新聞にも載っていた。だから、今更ながら描いてみた。
本当に宇宙人が甲府にやってきたのかどうかは分からない。でも、ボクは小学生の微に入り細を穿つ説明には舌を巻く。ものすごく詳細に観察して、それを丁寧に説明している印象がある。だから、もしかしたら本当にいたのかもしれないと思わされる。しかも小学2年生なのに絵がうまい。ボクなんかの絵よりもずぅっと宇宙人の本質を捉えているかもしれない。
2025年3月7日 下着を盗んでいく悪癖
相変わらず、絵はうまくならない。むしろ、奇跡的にうまく描けて大満足……という瞬間がたまのたまーに訪れて「おお、天才かも!」と思った矢先に、また絵がヘタクソになって「あれれ、あんな風に描けないな」と落ち込む……みたいなことが多い。
面白いのはSNSで、うまく描けたときにも一定の反響はあるんだけど、それ以上に、絵がヘタクソでも面白い題材を選ぶとハネることがある。そりゃあ、ね。絵のうまい人はたくさんいるわけだから、ボクがちょっとぐらいうまく描けた程度の絵ではバズらない。でも、思わずコメントを入れたくなる妖怪を題材に選ぶとハネる。
最初にハネたのはウォウォグ。首から下に臓器がぶら下がって飛んでいるのだから、これはインパクトがある。フィリピンのマイナーな妖怪だったけれど、ちょっとハネた。それからプゴット。これは絵そのものがハネたというよりは「下着を盗んでいく悪癖がある」という説明文と下着を持った姿がハネたような気がする。多分、ボクの中でのナンバワンのバズりで、Xでインプレッションが6,000を超えている。
最近だと足の親指を鼻の穴に突っ込んで空を飛ぶマーカーゾンとか、米を洗うときに用いる竹笊でワサワサと空を飛ぶグラハンなんかもちょっと話題になった。メジェドと甲府星人も一部にファンが多いので、それなりにウケた。
SNSで何がウケて、何がウケないかが分かるようになると、多分、ウケに行くことを意図して投稿することができるようになる。そうなると、バズらせる確度があげられる。そういうゲームとしてSNSを楽しむこともできるのかなあとは思うし、そういう魅力がSNSにはある。
でも、まあ、ボクはそういうバズりとは無関係に、マイナーな妖怪の認知度を上げるべく、粛々とイラストを描いていければよいかな、とは思っている。バズらせに行くのも楽しそうだけどね。ふふふ。
2025年3月9日 朝鮮の妖怪をインプット中
人生にはインプットのフェーズとアウトプットのフェーズがある。こうやってウェブサイト運営なんかをやっていると、ついついアウトプットに追われてしまう。でも、本当はインプットの方がずぅっと大事。なので、あんまり無理をしないで緩やかにやりたいなとは思っている。でも、ついついアウトプットに気持ちが向かってしまうんだよなあ。
そんなわけで、今日はずぅっとインプット。一日中、朝鮮の妖怪をインプットしていた。否、厳密にはインプットするための下地作りをしていた。
朝鮮語を学んだので、朝鮮語でいろいろとネットサーフしていたら、朝鮮の妖怪が比較的、たくさんまとまっているウェブサイトがいくつか見つかって、それなりの品質が確保されていそうだったので、それらを拾い出して、一日中、朝鮮の妖怪リストを作成していた。すでに120項目くらいの一覧になっているので、これらを順繰りと情報収集していけば、順次、「ファンタジィ事典」に朝鮮の妖怪を更新していけるのではないか。
フィリピンの妖怪をまとめるときにも、同様に一覧を作成している。もちろん、こういう一覧というのは玉石混交で、有名な存在もあれば、地方の非常にマイナな妖怪もいる。でも、こうやって一覧にしておくことが重要で、そこを起点に調査を進めて、面白かったらピックアップして「ファンタジィ事典」に掲載するアプローチがとれる。データベースは取捨選択の基礎だ。
フィリピンの妖怪も、実はすでに300項目くらいの妖怪の一覧が手元の資料として準備されている。妖怪の名前だけでなく、各項目について、ある程度、英語とフィリピン語の簡単な情報も拾ってある。こういうのを足掛かりに深堀していって、情報が少ないものとか、掲載してもあんまり面白くなさそうなものは載せていない。ベトナムの妖怪も同様で、すでにかなりの量の妖怪の一覧は出来上がっていて、かなりの量のベトナム語の情報は拾ってある。ここから深掘りして、面白ければ載せていく次第だ。
一方、タイの妖怪はあんまり、一覧になっているようなウェブサイトがないので、なかなか情報収集に苦慮している。
今回、朝鮮の妖怪について、朝鮮語で拠って立つべき情報源がいくつか見つかったので、ここを足掛かりに、項目を広げていけそうだ、などと密かに思っている。
そんなわけで、表面的にはウェブサイトは更新されない。でも、粛々と情報収集は進んでいるよ、というお知らせというか、言い訳というか。まあ、これからちょっと朝鮮の妖怪にアプローチするよ、という予告でもあるわけで……
2025年3月11日 クジラの天敵と宇宙人の話
3月9日の記事「朝鮮の妖怪をインプット中」でも書いたが、現在、朝鮮の妖怪を大量にインプット中である。そして、ある程度、インプットができたので、緩やかにアウトプットしていこうと思っている。
最初は有名どころから攻めるのが順当だとも思ったんだけど、せっかく、大量の妖怪のリストを作成してみたので、ちょっとマニアックで(日本では)知名度の低いヘンテコな妖怪を試しに紹介してみようと思って、取り急ぎ、2つを選定してアウトプットしてみた。
ひとつはクミョロだ。小さな魚なのに、数百匹、数千匹の群れになってクジラを襲って骨だけになるまで食べてしまうという怪魚だ。しかもよくよく調べると、チャンスピという類似の怪魚も知られているらしい。韓国の海には、こういうクジラをも襲う小さな魚が信じられていたようだ。
もうひとつはタンピモンドゥだ。こちらは『朝鮮王朝実録』にちょこっと載っているだけの非常にマイナーな存在なのかもしれない。頭巾をかぶった2~3メートルの人型の鬼が空から降りてきて、金持ちの家に住みついて、毎食米を1合食べ、果ては「弟も降りてくる」などと言ったという。そして、未来の豊作を予言したという。実は宇宙人だったのだとも言われている。
以上、ちょっとマニアックで(日本では)知名度の低いヘンテコな妖怪を2つ、紹介してみた。引き続き、リストを足掛かりに、朝鮮の妖怪の情報を蒐集して紹介していきたいと思う。
2025年3月13日 「禁じられた果実」から「希望の種」へ
Ayasa氏率いるEast Of Edenが昨日、album『The First Eden – Seeds Of Hope』を発売した。1月22日の記事「East Of Eden、再始動。」でも書いたんだけど、ベースのわかざえもんが抜けて、MINA氏を加えた新体制になった。albumは11曲で、すでにsingleとして発表されている「Shooting Star」で幕を開け、album発売に合わせてYouTubeで公開された「IKIZAMA」で幕を閉じる。
East Of Edenは基本的に楽曲の振れ幅がメチャクチャ大きい。いろんなジャンル、いろんな雰囲気の楽曲にチャレンジする印象だ。過去の2枚のEPでもそうだった。そのコンセプトは今回のalbumにも健在だ。3曲目の「Darkside Lotus」などは「和」のテイスト満載で、まるで歌唱は歌謡曲のような雰囲気がある。ヴォーカルの湊あかね氏がふざけ半分でやってみたらハマったということで、器用な人だ(笑)。
そして、これまで通り、技巧的であり、全体的にガチャガチャしている。足し算の発想で音を重ねていく。全ッ然、引き算してやろうとか、自然体でやろうという意図はない。これでもかというくらいにみんなが演奏する。楽曲全体に演者の意図が十全に張り巡らされている感じで、まるで競技みたいだ。とてもスリリングで、聴いていて痺れた。
2025年3月15日 裏でいろいろと動いている。
ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は、2014年6月22日に「日々の雑記」をWordPressに切り替えた。その辺の心情は、2014年6月21日の記事「WordPressにてウェブサイトを再構築!?」で書いている。要するに、どこからでも更新できる強みを信じて、WordPressに踏み切ったわけだ。このジャッジは大成功で、海外でも記事を投稿できたし、場合によっては予約投稿も活用できた。手動の投稿よりも随分と助かった。
そんなこんなで10年以上、特に何の問題も生じなかったので、そのまんま、当時のデザインのままひた走ってきた。今でも、問題だとは思っていない。それでも、時代を経て、システムも新しくなって、WordPress側の中身も大幅に変化した。ギリギリ、古い仕組みのまんま、最新のヴァージョンに合わせながらやってきた印象だ。だから、今回、最新の仕組みも取り入れつつ、よりシンプルな形にリニューアルすることにした。もちろん、ね。裏側の話だ。表面的には何も変わらない。あくまでも、中の仕組みだけを最新に沿わせる格好。今回もプログラマの妻のちぃ子が頑張ってくれる。ボクは横からやいのやいの言うだけだ。
……というわけで、何が変わるわけでもないけれど、大幅に手を加えている最中で、ウェブサイトの更新そのものは滞っている。
2025年3月17日 「妖怪」の定義について考える(1)
「妖怪」の定義は人それぞれだ。もちろん、それはそれでいいと思う。でも、お互いに話すときには定義が異なると議論がすれ違うから厄介で、それぞれの定義を明確にしてから議論しないととんでもないことになる。
ボクなんかは「妖怪」をかなり幅広に捉えている。日本だけじゃなくて、海外を跳梁跋扈するやつらも十把一絡げに「妖怪」の範疇にしている。たとえば、ヘーラクレースが退治したレルネー沼のヒュドラーだって、ボクの定義の中では妖怪だ。いやいや、それは妖怪じゃなくて怪物だろうという人もいるかもしれない。でも、たとえば、ヒュドラー退治を表現した壷絵(前6世紀)と源頼光の土蜘蛛退治を描いた絵草子(1837年)を比較すれば、大して変わらない。ヒュドラーが怪物なら、土蜘蛛だって怪物だ。逆も然りで、土蜘蛛が妖怪なら、ヒュドラーだって妖怪だ。
ベッレロポンテースが退治したキマイラと源頼政が撃ち落とした鵺だって、絵として並べてみれば一緒だ。姿・形も似ているし、描かれているサイズ感だって似ている。キマイラが怪物だと言うのなら、鵺だって怪物だ。
詰まるところ、ボクは「妖怪」は世界中にいる存在だと定義している。日本では「妖怪」と呼ばれるけれど、こういう「妖怪」的な存在を各国が現地語でどんな言葉で呼ぼうとも、日本語に翻訳したらそれは結局、「妖怪」と訳すんじゃないのか。そんな感覚だ。Appleでもpommeでも苹果でも사과でもتفاحةでも、日本では「リンゴ」だ。イギリスのリンゴはアップルと呼んで、韓国のリンゴはサグヮと呼んで……と呼び分けない。もっと大きな括りで言えば、日本の「果物」とイギリスの「フルーツ」と韓国の「クヮイル」は結局、全部、「果物」であって、中に含まれる個々の果物は違うけれど「果物」でしかない。だったら、世界各地を跳梁跋扈するやつらは日本語に訳したら、結局、全部「妖怪」じゃん、と思っている。
2025年3月19日 電脳空間の大掃除に齷齪。
最近はみんな、どういう風に音楽を聴くのだろうか。ボク自身は、書籍の電子化は一向に進んでいかないんだけど、音楽の電子化は随分と進んでいる。昔はCD音源を買ってCDラックに並べて保有していたけれど、今ではほとんどmp3でダウンロードして、スマホで聴いている。ラックに並んでいるCD音源はすでにほとんどmp3に変換してあって、ハードディスクに格納して、スマホに放り込んで聴いている。
ただ、どうなんだろう。最近はサブスクで音楽を聴いている人が多いのかもしれない。あるいはYouTubeみたいなストリーミングで音楽を聴いているという人もいるのかもしれない。ボクはストリーミングは新しい曲を探すときには便利だから使っている。知らないアーティストの音楽を聴くのに、ストリーミングはよい。YouTubeやニコニコ動画であれば、MVもセットだったりするので、歌っている人の顔も見れるし、場合によっては字幕で歌詞も見れたりするので、便利だ。一方、音源をmp3には変換したけれど、サブスクには手を出していない。この辺は電子書籍にしない理由と同じかもしれない。自分で所有しているという感じにならないと、ボクは安心できないのかもしれない。
でも、冷静に考えると、全世界に散らばっているあらゆる音楽にアクセスできて、聴けるというのは、全世界の人で音楽財産を共有しているという意味で、そういう未来は本来的には素晴らしいよなあ、と思ったりもする。たとえば、ボクは最近、60年代の音楽を聴く。プレスリーだったり、ビートルズだったり、ドアーズだったり、ローリングストーンズだったりするわけだけど、全て購入して聴いている。だから出費が嵩んで大変だ。でも、これらの楽曲がサブスクのサービスに登録してさえあれば、あるいはストリーミングサービスにアップされてさえいれば、みんな、それを聴くことができるわけだ。人類全部で、これまでの過去の音源も、世界各地の音源も聴けるというのは、実はすごいことだ。文学もそうだと思う。最近じゃ、楔形文字の文献も、江戸時代の絵巻物も、オズの魔法使いやメアリー・ポピンズみたいなファンタジー文学も、インターネット上で調べればアクセスできて、読める。音楽も同様だ。
それでも、何だろうなあ。自分のものとして所有したいという欲求がボクにはある。ダウンロードして、自分のハードディスクに格納されているという事実に安心してしまうのは、ボクが古い人種なのかもしれないぞ、と最近、ちょっと震えている。
そんなボクのハードディスクのmp3ファイルの数が、最近、15,000を超えた。仮に毎日10曲聞いたとしても、4年ではすべてを聞き終わらない数。で、そんな楽曲群の中から、適宜、スマホに入れたり出したりして、毎日、仕事の行き返りに聴いていて、平均で1日20曲くらい聞いている格好になる。単純計算では2年で1順のペースだけど、好きな曲はヘビロテでリピっているので、多分、全部を聴くのはやっぱり4年くらいのペースなのだろう。
ところが、先日、iPhoneを買い替えたときに、あまりに数が多すぎた所為なのか、音楽の移行がうまくいかなかった。移行された楽曲とされなかった楽曲が混在して、全部の移行がされなかったっぽい。そんなわけで、ゼロからミュージックを再整理する必要が生じて、大変なことになっている。ようやく5,000曲くらいの整理が終わったところで、あまりのことに悲鳴を上げている。CDラックが場所をとるし、並び替えるのが面倒臭かったから、電子化してラクチンだと思ったのも束の間、電子化したって、結局、電子データが電脳空間の場所を占有していて、整理が必要なのだから、嫌になるなあ。サブスクの方がよいのかなあ。うーん。どう思う?
2025年3月21日 人間と妖怪の距離感
香月日輪氏の『妖怪アパートの幽雅な日常①』(講談社文庫,2008年)を読んだ(表紙はミヤマケイ氏のヴァージョン)。
「妖怪」というキーワードがあるものの、文体に少しだけラノベっぽさがあって、今まで敬遠していた。でも、覚悟を決めて読み始めてみたら、とても面白かった。人間と妖怪、こっち側とあっち側との距離感が不思議な物語だと感じた。主人公の夕士は寿荘で人間と妖怪と一緒に暮らしている。それでいて、学校生活では日常を送っている。そこがものすごく地続きになっていて、でも、決して完全には繋がっていかない。夕士が寿荘を退去して日常に戻ろうとすると、あっという間に妖怪たちはいなくなって、寿荘の不思議なゲートは閉じたようになってしまう。でも、戻って来ると、再び、不思議な世界が現れる。この繋がっていそうで繋がっていなそうな距離感がずぅっと続いているのが凄いなあと感じた。
タイトルに「日常」とあるとおり、本当に「日常」が描かれている。そりゃあ、途中、怨霊が出てきて、バトルものめいた展開にはなりかける。強力な妖怪たちも現れて参戦する。でも、それだって、結局、その怨霊を退散させるだけで、退治はしない。怨霊は再びやってくるだろうし、事態は何も解決していない。1冊を通して、ずぅっとそんな感じ。主人公の夕士の家族とのギクシャクした関係も変わらないし、学校生活のギクシャクした感じも変わらない。抱えている悩みも解消しないし、後悔も消えない。少しだけ経験を積んで成長の兆しがある程度。ずぅっと日常があって、それを切り取った感じで、それもまた、人間と妖怪の関係と同様に、ふわっとしていて、リアルだったりする。
そんなわけで、結構、長く続いている人気作品みたいなので、もう少し読み進めてみようかな、と思う。
2025年3月23日 1言語に短期集中で絶賛、言語学習なう
2月7日の記事「語られる妖怪を耳で捉えたいので」で、Duolingoを始めて、各国語を学習しているという話を書いた。ボクはいろんな国の言葉に興味があるので、学ぶことそのものはとても楽しいし、多方面に気持ちが向かってしまう。しかも中途半端に器用だから、こなせてしまうんだけど、でも、先日、14か国語学習者のkazuさんがYouTubeの中で、言語学習のコツとして、取り敢えずは1か国語に絞って短期集中した方がよいと語っていたので、それならば1か国語に専念しようということで、現在点は韓国語(厳密には朝鮮語だと思うんだけど)にフォーカスして学習することにした。そして、もう少しで1か月くらいが経とうとしている。結論から述べると、kazuさんは正しい。今、日常生活の中で、簡単なことであれば、韓国語で表現できることができるようになってきた。
たとえば「バスが8時半に到着する」とか「今日は子供と一緒に公園に行く」とか「家でテジコギとピビンパを食べる」みたいなことは韓国語(朝鮮語)で空でも言えるようになった。厳密には時制とかモダリティは合っていないのかもしれない。でも、多分、韓国人相手に言いたいことは伝わるだろう。全く知らない言語でも、1か月集中するとここまで来れるのかと、正直、驚いている。ヒアリングとスピーキングが含まれているので、Duolingoの教材が優れているのかもしれない。朝と夕方、15分×2回を毎日、続けているので、継続はチカラなりということなのかもしれない。kazuさんは1か月半くらいで1つの言語はある程度まで行けると言っていたが、それも一理あるのかもしれないなと感じている。
このペースで韓国語(朝鮮語)をある程度、会得したら、ベトナム語も同じくらいに持っていきたいなあ。Duolingo、タイ語が搭載されないかなあ。今、タイの妖怪の調査に難航しているので、タイ語がマスターできたらよいよなあ。
2025年3月25日 脇の甘さを見せたときに鎌首をもたげてくるのが迷信だ
「ゆる言語学ラジオ」から派生した「ゆる民俗学ラジオ」というのがあって、結構、妖怪とか都市伝説に関わる話題も取り扱ってくれるので、面白く聴いている。今回のテーマは「丙午(ひのえうま)」。実際、迷信が出生率にも影響を及ぼすという恐ろしい現象なんだけど、2026年の干支がいよいよ「丙午」ということで、思い切って取り上げたようだ。全3回シリーズだけど、学びも多いので、是非、最後まで聴いて欲しいと思う。
面白いのは、昭和丙午(1966年)の説明だ。近代化が進んだ昭和の日本において、一体、何故、こんなにも迷信が世の中に影響を与えたのか。その仮説が紹介される。よく都市伝説の文脈で、口裂け女を広めた媒体として「塾」の存在が取り沙汰される。子供たちが「塾」というネットワークを介して、口裂け女を日本中に広めた。昭和において、丙午という迷信は撲滅されずに脈々と人々に信じられて、そして出生率にまで影響を及ぼした。それは何故なのか。その答えがひとつの仮説として紹介される。多分、衝撃を持って、そして納得感を持って受け止められると思う。
最後にパーソナリティの黒川氏の迷信に対する立場と意見が表明される。「僕は俗信をナメていない」という宣言が、ボクはとてもよいと感じた。迷信なんて消えてなくなると誰もがナメている。でも、黒川氏はナメていない。「脇の甘さを見せたときに鎌首をもたげてくるのが迷信だ」と彼は断ずる。そのとおりだと思う。ボクたちはそこに自覚的でなければならないのだと思った。
彼の問題提起も含めて、そんなことを考えさせられる良質な動画だった。
2025年3月29日 ゲーマーが妖怪退治やってみた!
『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』(小松清太郎,コロコロコミックス)が面白かったので紹介したい。
ボクが「世界の妖怪」蒐集に精を出していることは、小学5年生の息子のツクル氏もよく知っている。そんなツクル氏がちょっと前にこんなことを言い出した。「パパ、コロコロに面白い漫画があるんだよ。『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』っていうヤツで、妖怪がたくさん出てくるから、パパは買った方がいいと思うよ」。この野郎、その気にさせて買わせる気だな、と思って無視していたら、遂に断念したのか、お小遣いで5冊、大人買いしてきた。そしてこれ見よがしに机の上に置いてあるので、どれどれと思いながら読んだ。
物語の展開は子供向けと言えば子供向けなんだけど、でも、面白かった。主人公の西京芸麻(さいきょうげいま)はプロゲーマーを目指してゲームに心血を注ぐ。そんな主人公の魂が込められて、ゲーム画面で実際の人間を操作して戦わせることができるようになる。妖怪退治屋見習いの刀道巫女(とうどうみこ)を操って、次々と現れる妖怪たちを退治する……というような話なんだけど、でも、ツクル氏の言わんとするところは分かった。「妖怪」が題材になっているけれど、決してオリジナルの妖怪ではなくて、ちゃんと伝承に基づいた妖怪たちが登場している。だから、「買った方がいいと思うよ」などと言ったのだろう。『ダンダダン』や『ダンジョン飯』みたいに、『ゲーマーが妖怪退治やってみた!』もネタにできるよ、ということだろう。
というわけで載せてみた。ちなみに1巻には伝承上の妖怪として「大蜘蛛」「人面犬」「泥田坊」「水虎」が出てくる。名前だけだけど「大嶽丸」も出てくる。2巻には「鬼婆」や「牛鬼」、「のっぺら坊」が出てくる。「水虎」が水をまとったトラだったり「牛鬼」がミーノータウロスみたいなまっちょのウシ頭だったりと、あんまり元の伝承の設定が活かされていない妖怪も多いので、その辺、ちゃんと解説してあげるとよいかなとも思った。一方で、面白かったのは、「のっぺら坊」がペンで自分の顔に絵を描くと、その顔に合わせた能力を得られるという話。ちょっとその発想は面白いなと思った。
2025年3月31日 年度末最後の更新
年度末って大抵、忙しい。何しろ会社としては締めの時期だから仕方がない。これまでの十数年間も慌ただしかったけれど、今回の部署は殊更、報告書の作成とか業務の精算とか、そういう作業がどっと押し寄せてきて、齷齪していた。Xにもポストしたが、そんなもんだから、世界の妖怪のイラストを描く作業は勝手に中断している。でも、ファンタジィ事典は何とか形にしたいなあと悪戦苦闘して時間を捻出し、更新に臨む。一応、年度末の最後に無事にアウトプットに漕ぎ着けた。乾杯!!
朝鮮伝承から「ケヨシ」と「チャンサンボム」を更新してみた。どちらと道の怪とでも言うべき妖怪だ。ケヨシは峠で出遇った人間の頭の上を飛び越して魂を抜いてしまう。それが現在でもオートバイのツーリング客を追いかけて殺すというのだから、伝統的な妖怪が現代にも生き残っているような感じで、連続性を感じる。チャンサンボムはどちらかと言えば都市伝説的で、インターネット時代の道の妖怪だけど、ケヨシにも通じるところがあって、面白い。
他にも細々とたくさん更新したので、是非、ご確認あれ。