2025年3月19日 電脳空間の大掃除に齷齪。

最近はみんな、どういう風に音楽を聴くのだろうか。ボク自身は、書籍の電子化は一向に進んでいかないんだけど、音楽の電子化は随分と進んでいる。昔はCD音源を買ってCDラックに並べて保有していたけれど、今ではほとんどmp3でダウンロードして、スマホで聴いている。ラックに並んでいるCD音源はすでにほとんどmp3に変換してあって、ハードディスクに格納して、スマホに放り込んで聴いている。

ただ、どうなんだろう。最近はサブスクで音楽を聴いている人が多いのかもしれない。あるいはYouTubeみたいなストリーミングで音楽を聴いているという人もいるのかもしれない。ボクはストリーミングは新しい曲を探すときには便利だから使っている。知らないアーティストの音楽を聴くのに、ストリーミングはよい。YouTubeやニコニコ動画であれば、MVもセットだったりするので、歌っている人の顔も見れるし、場合によっては字幕で歌詞も見れたりするので、便利だ。一方、音源をmp3には変換したけれど、サブスクには手を出していない。この辺は電子書籍にしない理由と同じかもしれない。自分で所有しているという感じにならないと、ボクは安心できないのかもしれない。

でも、冷静に考えると、全世界に散らばっているあらゆる音楽にアクセスできて、聴けるというのは、全世界の人で音楽財産を共有しているという意味で、そういう未来は本来的には素晴らしいよなあ、と思ったりもする。たとえば、ボクは最近、60年代の音楽を聴く。プレスリーだったり、ビートルズだったり、ドアーズだったり、ローリングストーンズだったりするわけだけど、全て購入して聴いている。だから出費が嵩んで大変だ。でも、これらの楽曲がサブスクのサービスに登録してさえあれば、あるいはストリーミングサービスにアップされてさえいれば、みんな、それを聴くことができるわけだ。人類全部で、これまでの過去の音源も、世界各地の音源も聴けるというのは、実はすごいことだ。文学もそうだと思う。最近じゃ、楔形文字の文献も、江戸時代の絵巻物も、オズの魔法使いやメアリー・ポピンズみたいなファンタジー文学も、インターネット上で調べればアクセスできて、読める。音楽も同様だ。

それでも、何だろうなあ。自分のものとして所有したいという欲求がボクにはある。ダウンロードして、自分のハードディスクに格納されているという事実に安心してしまうのは、ボクが古い人種なのかもしれないぞ、と最近、ちょっと震えている。

そんなボクのハードディスクのmp3ファイルの数が、最近、15,000を超えた。仮に毎日10曲聞いたとしても、4年ではすべてを聞き終わらない数。で、そんな楽曲群の中から、適宜、スマホに入れたり出したりして、毎日、仕事の行き返りに聴いていて、平均で1日20曲くらい聞いている格好になる。単純計算では2年で1順のペースだけど、好きな曲はヘビロテでリピっているので、多分、全部を聴くのはやっぱり4年くらいのペースなのだろう。

ところが、先日、iPhoneを買い替えたときに、あまりに数が多すぎた所為なのか、音楽の移行がうまくいかなかった。移行された楽曲とされなかった楽曲が混在して、全部の移行がされなかったっぽい。そんなわけで、ゼロからミュージックを再整理する必要が生じて、大変なことになっている。ようやく5,000曲くらいの整理が終わったところで、あまりのことに悲鳴を上げている。CDラックが場所をとるし、並び替えるのが面倒臭かったから、電子化してラクチンだと思ったのも束の間、電子化したって、結局、電子データが電脳空間の場所を占有していて、整理が必要なのだから、嫌になるなあ。サブスクの方がよいのかなあ。うーん。どう思う?