2021年1月3日 あけましておめでとうございます!!

2020年は新型コロナウイルス感染症が猛威を奮って、色々と大変な年だった。でも、お陰様でZoomやYouTubeなど、新しい取組みにもチャレンジできて、学びの多い年でもあった。こういう非常時にどれだけ創意工夫してこれまでの事業を推進していくか。対応力や発想力、柔軟性を求められる1年だった。

2021年は丑年なので、クダンを描いてみた。クダンもアマビエと類似の予言獣で、疫病退散の妖怪なので、ちょうど題材としては相応しかったかもしれない。


クダンは時代によって描かれ方は異なるが、江戸時代末期に、ウシからクダンが生まれるという形に落ち着いたので、その頃のクダン(すなわち、赤ん坊のクダン)を描いてみた。何とも不気味な表情になった(笑)。

2021年1月4日 予言獣、いろいろ

2020年はアマビエ・チャレンジが流行って、その後、いろいろな「予言獣」が取り上げられた。2020年はボクも真似して予言獣をたくさん描いてみた。


言わずと知れた「アマビエ」。でも、アマビエの詳細を知っている人は意外と少ないかもしれない(笑)。


アマビエの語源だと考えられる「アマビコ」。その由来は三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)らしい。


予言獣のルーツとしては「ジンジャヒメ」。これがオリジナルで、いろいろなものが混ざってアマビエに至る(笑)。


ジャンジャヒメのパロディだったはずの「クダン」。結局、戦後まで生き残った。


「ヨゲンノトリ」。誰かがアマビコやジンジャヒメ、クダンなんかを見てパクった派生形。

そんなわけで、予言獣たちのパワーも借りながら、2021年、いい年になりますように!!

2021年1月5日 2021年の雑誌も無事に発行!!

標題のとおり。無事に2021年の雑誌も発行できた。30日に郵便局で投函したので、近場の人は1日、遠い人でも3日には届いているはずだ。2020年はCOVID-19で海外渡航が制限されていたので、珍しく日本にいた。だから、結構、余裕を持って雑誌作成ができた。表紙は昨日の記事でも書いた「予言獣たち」だ。それぞれに描いたものなので、当初は一緒にするつもりもなかったのだけれど、ちぃ子の所望もあって、COVID-19退散を願って、一緒に並べてみた。そういう意味では超強力な魔除けの表紙だ(笑)!!。

予言獣の特集ページも組んだので、そのうち、ファンタジィ事典にも反映していきたいと思っている。著作権とか論文の引用とかの兼ね合いもあるので、少しだけ、アレンジしなきゃいけないかな、とは思っている。さてはて。

2021年1月10日 人間、できない理由はいっぱい思いつく

何かを始めるときに、あるいは何かを成し遂げようとするときに、多分、いくつかのことを考えなければならないのだと思う。たとえば「Want」。それを自分がやりたいのかどうか。「Have to」。やらなければならないものなのかどうか。「Should」。それがやるべきことなのかどうか。そして「Can」。果たしてやれるのかどうか。そういうのをないまぜにしながら、何かを始めていく。

でも、経験上、ボクはこれらをごちゃまぜにして考えていても、うまく始められないと思っている。特に「Can」。これを一緒くたに考えてしまうのは危険だ。できない理由なんていくらでも出てくる。だから、検討のときに「Can」を含めて考えると「何だか、難しそうだね」「いろいろと課題がありそうだね」となって、頓挫する。だから、「Can」だけはちょっと切り分けなきゃいけない。

もしも自分がそれをやりたいと思ったら、あるいはやらなければならないのだと自覚したら、あるいは、それをやるべきだと信じたなら、最初にやることは「Will」だ。つまり、「よし、やろう!」と決断する。その上で、どうやってやるのか、その方法論を考える。そのときに初めて「能力」を持ってくる。さあ、自分たちにやれるのか。でも、そのときには「やれるかどうか」という議論ではなくって「どうやったらやれるのか」という議論に変わっている。つまり、本質的に「Can」というのは乗り越えられるものなのだ。

検討の最初の段階で、できるできないを考え出してしまうと、不思議なことに、人間というのは、できない理由をいっぱい持ってくることができる。不安だし、面倒臭いし、戦わなきゃいけないし、だから、「今回はやめておこう」という結論になる。「この辺でいいだろう」と、手加減してしまう。背伸びを止めてしまう。だから、出来上がった結果が小さくまとまってしまう。

どうしたいの? どうすべきなの? 何が理想なの? どうなっていたらよいの?

そういう、いろいろなことをじっくりと考えて、それから踏み出す決断を下して……そうした後に登場する数多の課題や困難は、乗り越えていけばいいのだ。そういうマインドセットで物事を始められれば、きっと、いろんなことができるようになっている。諦めなければ、方法論なんていくらでもある。だから最初の段階では「Can」なんて考えなくていいのだ。そんなものは、必死になれば、絶対に何とかなる。

2021年1月16日 映画『えんとつ町のプペル』を観た

映画『えんとつ町のプペル』を観た。緊急事態宣言が出される前に観に行こうと思って、実は1月6日に観に行った。それから、バタバタと緊急事態宣言の対応に追われていて、今頃の感想だ。

「ちゃんとした映画だった」。これがまさに感想だ。いや、勿論、映画を観に行っているのだから、映画なのだけれど、最近、何となく、ドラマの映画化とか、アニメの映画化とか、漫画の実写化とか、そういうのが多かったような印象だ。映画のために作られたのではなく、別のものを映画化したものが多い。そうではなく、この『えんとつ町のプペル』は、冒頭から最後まで、徹頭徹尾、映画だった。映画のためにつくられた映画だ。当たり前のことなのだけれど、でも、実はそこが当たり前になっていない映画が、実は意外と多い。そして、絵本とはまるで違った。根っこの部分は同じだし、西野さんは映画を作ることを前提にして、その中から一部を絵本として切り出したと説明はしていた。でも、映画の台本を絵本にするに当たって、絵本のために再構築したのだ、ということが、映画を観るとすごく分かる。絵本は、必要なのだけれど難解になる部分を全て取っ払って、分かりやすく、そしてシンプルに作っている。映画はそうではない。だから、全然、同じシーン、同じ台詞でも、印象が異なる。

そして、世界に没入できる作品だった。見終わった後に、えんとつ町の中にいたような気持ちがずぅっと残っていて、何だか劇場を離れるのがもったいないな、と感じた。これは、映像も綺麗だったし、世界の作り込みがよかったからだと思う。ものすごく精緻に世界が描かれていた。

映画上映中も、勿論、泣いたんだけど、でも、ボクは映画を観終わって、家に帰る道すがら、何度も泣いてしまった。仕事帰りで、とても遅い時間の回だったので、終わったのは11時過ぎ。そこから歩いて家まで帰った。その道すがら、自分のファイサラバードでの奮闘(「水なんて出せない」と散々に言われながら、何とか水を出したこと)や、今の業務のオンライン化の奮闘(ZoomやYouTubeを導入するまでの苦難)なんかを思い出して、ルビッチと自分を重ねた。ずぅっと1人で戦っていたと思っていたけれど、実はいろんな人に支えられて、応援されて前に進んでいたんだなあ、ということも、いろんなしがらみで邪魔をしてきた人たちがいたことも、そんな人たちをねじ伏せて乗り越えてきたことも、いろんなことを怒涛のように思い出して、何だか泣けてきた。決してネガティブな気持ちではなくって、乗り越えた達成感を思い出したし、応援してくれたみんなの顔も思い出せた。そして、これからも頑張らなくてはならない、と気持ちを新たにした。

そんな映画だった。

2021年1月17日 日記はコラム的な発想で!?

昔から、ウェブサイト『ヘタっぴなアルコール蒸留』では「日々の雑記」として『日記』を書き綴っている。当初は創作サイトだったので、小説を書いたり、絵を描いたり、作曲したりするたびに、ウェブサイトが更新されていた。でも、当然、それでは更新頻度が低いので、ウェブサイトを動かす仕組みが欲しくて『日記』というスタイルを選択した。大学生の頃は、本当に『日記』だった。毎日、欠かさずに更新をしていた。最近は頻度が落ちている。サボっている。あるいは『日記』というスタイルに意義を見出していないとも言える。

『日記』というスタイルを選択したのは、当時、レンタル日記ツールがあって、Web日記が一般的だったからだ。みんながレンタルCGIで日記ツールをレンタルして、それに日記を書いていた時代だった。だから、アメリカからblogが日本に入って来たときにも、日本ではblog本来の使い方をされずに、Web日記の代替手段みたいになってしまった。そして、SNSが当たり前になって、今となっては日記はSNSで書く時代だ。htmlで日記を書くことに、あまり意味がなくなってしまった。

でも、実はボクはSNSで日記を書くことに少しだけ、抵抗がある。だから、こうして細々とhtmlで日記を書いている。SNSは「友達」のところに書いた記事が載る。読んでもらうという意味ではとても素敵な機能だけれど、一方で、とても押しつけがましいな、とも感じる。自分の近況報告みたいなものを「読め」とばかりに通知する。退屈な日常を下手くそな文章で綴って「読め」とばかりに相手の眼前に突きつけるような不躾さがあるように感じる。勿論、ちゃんと読んでもらうことを前提に遂行して、楽しんでもらえるような部分を用意した文章だったらそれでもいい。でも、書き殴りだったり、とりとめがなかったり、感情的だったりする文章を「えいや!」と投げることもある。そういうのをSNSに載せて、当たり前のように読ませてしまう恐ろしさが、実はSNSにはある。ボクは、読みたい人が読めばいいというスタンスなので、今まで、こうやって本当の意味での『日記』はウェブサイト『ヘタっぴなアルコール蒸留』の方に載せてきた。

でも、この『日記』というスタイルに限界があるかなあ、と感じている。もう、日記的なものは完全にSNSに囲い込まれてしまった。人々の生活スタイルがSNSを軸に回って、相手の近況はSNSで把握することが当たり前になった。場末のhtmlの記事で近況報告を知ることなんてなくなってしまった。最近では芸能人もSNSになってしまった。

そういう意味では、htmlの役割は、当初のblogのコンセプトと同じで『日記』ではなくって『コラム』の集積みたいな形にするのが望ましいのだろうな、と感じる。検索で飛んできた人が必要な『コラム』を読む。そういう形だったら、『日記』よりも価値があるかもしれない。勿論、ボクは『コラム』的な日記を書くことが多い。でも、タグをつけているとは言え、『コラム』として一覧を確認できるようなスタイルにはなっていない。

2021年は「日々の雑記」の在り方を模索する年にしようかな、と思っている。「日々の雑記」は『日記』的な「雑記」だ。でも、それなりに書くときには時間を要する。投資した時間がウェブサイトに形として積み上がっていく在り方が理想だろうな、と思う。

2021年1月18日 カクダイ・クルクルムシ・ハカセ

最近、息子のツクル氏にライマン・フランク・ボームのオズ・シリーズを読み聞かせしている。ようやく3作目まで読んだ。意外と面白くて、とてもファンタジィをしているので、ウェブサイト「ファンタジィ事典」のターゲットにしてもよいかもしれないと思っている。1作目の『オズの魔法使い』だったら、たとえばクマとトラを組み合わせたような怪物「カリダー」とか魔法の金帽子で呼び出す「翼ザル」みたいなものが登場して、その辺は「ファンタジィ事典」っぽい。意外と有名な登場人物である「ブリキのきこり」も、魔女の魔法で次々に自分の身体を切り落として、そのつど、ブリキ職人に身体をブリキに置き換えてもらいながら、最後の最後で首を切り落としたときに、ブリキの頭に挿げ替えてもらう。こうして、完全なブリキのきこりになるわけだけれど、さて、主体はどこにあったのかな、と考えさせられる。

そんなわけで、お試しとして、1作目からは「トンカチ頭」を、2作目からは「カクダイ・クルクルムシ・ハカセ」を、3作目から「ホイーラー」を載せてみた。日本語訳によっては表現が異なるのかもしれないけれど、なかなかユニークなキャラクタたちだ。しばしば、幻想生物の事典などに『ガリバー旅行記』とか『指輪物語』、『クトゥルフ神話』などのキャラクタが載ったリもする。ドラキュラやフランケンシュタインの怪物なんかは完全に創作キャラクターだ。だから、オズ・シリーズのキャラクタが載ってもよいだろうな、と思っている。

2021年1月19日 クロマキー技術を駆使した動画教材!?

本日から2週間、アフリカ地域の技術者を相手に、遠隔での研修が始まった。複数の国を相手にしているので、時差の問題があって、あらかじめ動画で教材を作成している。動画教材と言えば、PowerPointに音を入れたり、Zoomの講義をそのまま撮影したりするのが一般的だが、我々はちょっと捻って、OBSを駆使して、グリーンバックを背景に講師をクロマキー合成して動画教材を作成した。お天気お姉さんみたいなイメージで、PowerPointの前に講師が立っていて、PowerPointを指さしたりできる。ちょっとした一捻りだけど、インパクトはあるし、次々といろいろな講師が講義をしてくれるので、我が社が力を入れて研修事業に取り組んでいるような印象を与えることができる。

初日はZoomで接続して、ウェビナー形式でガイダンス。明日からは毎日、動画教材を視聴してもらって、質問やコメントをもらう。来週の月曜日には、またウェビナー形式で研修員と接続して、双方向コミュニケーションで質問を受け付け、理解を深める算段だ。

なにぶん、新コロの影響を受けた新しい試み。どんな反応になるのかはやってみないと分からない。でも、常に新しいことにチャレンジして、時代を切り開いていく姿勢は保ち続けていたい。そう強く思っている。

2021年1月20日 ちぃ子、2回目の入院!?

妻のちぃ子の調子が以前から少しだけ悪くって、今年度に入って2度目の入院だ。前回は8月かな? 4日くらい入院していた。今回も3日くらい入院するらしい。

母不在で、息子のツクル氏はハイテンションだ。多分、そういうテンションじゃないとダメなのだろう。父のお迎え、父との夕飯、父との入浴、父との就寝、父との朝食、そして父に見送られての登校……。

前回は大変だった。学童のルールが分からなかったり、ランドセルの準備の仕方、提出物の確認など、全部、ちぃ子に任せっきりだったので、初めてのことに苦慮した。今回は2回目なので、多少、勝手が分かる。それでも、やり慣れない作業にてんやわんやである。

2021年1月21日 マコなり社長の炎上に思うこと

論文投稿しようと課で4本の論文を執筆することを決めて、今、全力疾走中だ。課長からは「自分たちで自分たちの首を絞めるのが好きだね。頑張れ!」と笑われている。でも、活動の成果をちゃんとPRすることは大事だ。成果は可視化して初めて理解できるものになる。精神論じゃない。他のメンバーも一所懸命、論文を執筆中だ。ボクも1本、書き上げた。なかなか大変。

さて、標題のとおり。テックキャンプのマコなり社長が新サービス開始を宣言して、炎上している。罵詈雑言が飛び交っているような炎上というよりは、マコなり社長の会社のネガキャンが横行しているようなイメージ。

ネガキャンの内容について、真偽のほどは分からない。ボクはテックキャンプに通ったことはないし、株式会社Divの決算値の評価もできない。でも、一斉にYouTuberたちがマコなり社長に喰ってかかる姿には、非常に粘着なものを感じる。ネタになると分かって、飛びついているような印象。多分、再生数が稼げるのだろう。だから、いろいろと言う。そういう意味じゃ、マコなり社長みたいなちょっと目立った看板は叩きやすいということなのだろう。

これが社長が表に出ない会社だと、叩きにくい。もっと性質の悪い怪しい会社なんてたくさんある。でも、そういうのを叩いても再生数が稼げないし、ターゲットが明確ではないから面白くない。そういう意味じゃ、こういう社長が看板になっている会社がターゲットにネガキャンされて、それが経営に跳ね返るというのは、ネットが成立したが故の現象であって、会社経営者としてはとても苦しいところだ。

ボクとしては、あまりよい傾向ではないな、と思う。印象というのはとても大きなファクタなので、一部でそうやってお祭り騒ぎのようにネガキャンをすると、本質ではないところでダメージを与えてしまう。……多分、こういうのは芸能人の場合も同じだ。渡部にしても、宮迫にしても、ターゲットにされて、執拗以上に商品イメージに傷を付けられる。本質以上のダメージを受ける。……うーん。何とかならんのかね、こういうイジメの構造。ネットは大きなものを叩くというスタイルのイジメの構造を助長させるよね。

2021年1月22日 マホトがやらかしたが、ネットって怖いなーッ

マホトもやらかしたが、ボクもやらかした。本日は在宅勤務で、Zoom会議に参加する予定だったのにすっぽかしてしまった。や、決して忘れていたわけじゃない。オンライン会議用に4月に1階に部屋を用意して、オンライン会議用に古いパソコンを引っ張り出して普段使いのものとは使い分けていた。そうしたら、パソコンの時計が狂っていた。正しい時間に気がついたときには会議が終わっていた。珍しくチョンボだ。やらかした。

そして、標題の件に戻る。マホトがやらかした。今泉佑唯がマホトと結婚すると聞いたときに、おいおい大丈夫か、と彼女のことを心配したが、案の定、大丈夫じゃなかった。急転直下の展開だ。結構、みんな不安視していたが、不安が的中した格好。何だろう。最近、マホトもちゃんとYouTube運営していたし、少しだけ丸くなって大人しくなった印象があったのに、モニタ越しに、どこか不安要素が残っている感じがした。危なっかしさというのかあ。こういうのは、モニタ越しにも伝わるものなのだろうか。

でも、今日の本題はそんなところではない。マホトがやったことは悪いことなので擁護はできないし、それはそれで対応すればよいと思うんだけど、ボクが感じるのは、コレコレのような配信者の在り方だ。昨日のマコなり社長の記事にも繋がるけれど、配信の場合、どうしても同接数とか再生数至上主義になる。面白ければ何でもありみたいな感じになる。おそらく、週刊誌とかテレビだったら、ある程度のフィルターをかける。ちゃんと編集の責任者が記事の内容を精査して、報道すべきか否かを考える。でも、個人のチャンネルで情報発信すると、発信者の判断になる。だから、何でもありだ。ブレーキがかからない。

ボクはこれはこれで怖いことだと思う。情報の正しさを精査するプロセスが必要だし(勿論、コレコレも無自覚に何でも発信しているわけではなく、ある程度の正確性を担保しようとは心掛けているとは思うけど)、一番大事な点は、必ずしも「正しい」が正義ではないということだ。「もしかしたら泣き寝入りするかもしれなかった少女が、コレコレとコレリスのお陰で真実を言えた」というのは美談だし、それはそれでよいと思うけれど、こういうのは本来、公の場でやることが必ずしも正義ではない。警察が動いて、裁判で解決する類いのことで、公の場で何でもかんでも話してしまうと、そこにはほんの少し「相手を貶めてやろう」という悪意が入り込む。彼女は被害者であることは間違いないけれど、若干、加害者サイドに足を踏み入れる。だから、多分、後味が悪いし、気持ちが悪く感じるのだと思う。コレコレは、そういう悪趣味なアプローチが得意で、そういう怖いもの見たさ的な視聴者をうまく取り込んで大きくなった。それは、コレコレがどうという問題だけではなく、視聴者がどうという問題だけでもなく、そういうシステムになってしまっている点にも大きな問題がある。

うーん。ネットって怖いなー。何とか浄化されないかなー。浄化される方法は? ……それが人間の本質なのかな。そうではない、と信じたいし、新しいアプローチとシステムができることを祈り、考え、そして、自分がそういう悪意に取り込まれないように生きたいな、と思う。

2021年1月23日 意外と映画『ポケットモンスター ココ』が面白かった件

標題のとおり。映画『ポケットモンスター ココ』を観た。ちゃんとした映画だった。映像もきれいだし、脚本は決して子供向けにはなっていない。とても面白かった。

父と子の絆、父親とは何かみたいなテーマもあったし、人間の自然への侵略みたいな環境保全的なテーマもあったけれど、何よりもザルード(ワルザルポケモン)の社会とその他のポケモンたち、そして人間たちとが一緒になってひとつの課題解決に取り組むことで乗り越えていくというダイバーシティと共生の物語だったと思う。人間として生まれてポケモンとして育てられたココと、ココを拾って群れを追われたザルードを軸に、どうやって異世界・異文化が共生していくか。そんな壮大なテーマだった。

ただ、たった1人を悪人にして勧善懲悪に落とし込んでしまうのはどうかな、と思った。とても分かりやすいし、ワンピース的な安易な手法ではあるけれど、そこはもう一捻りして、彼にも正義を与えてほしかったし、彼の賛同者がいてもよかったかな、と思う。

2021年1月24日 動画教材でも、ちゃんと作り込めば届く!?

毎年、アフリカ諸国から技術者を受け入れて研修をしているが、今年度は新型コロナウイルス感染症の影響で研修員を日本に呼べないので、オンラインでの研修になる。本来、研修なので双方向のやり取りが必要で、その中で、学び合うのが正しいアプローチ。でも、アフリカ諸国は広いので、時差の問題があって、いろいろ検討した結果、動画配布になった。動画配布なので、一方通行。

それでも、少しでも見てもらえるように、いつもなら2時間の講座を20~30分になるように取捨選択した。PowerPointを画面に映すだけだと味気ないので、クロマキー技術で講師が説明する様子を合成して、スクリーンの前で講義をしているような編集にした。そしてPowerPointによる座学だけでなく、実技の様子も動画も撮影して間に挿入した。いろんな工夫をしてみたけれど、それでも、どの程度、ちゃんと視聴してもらえるのか不安だった。

動画を研修員にリリースして1週間が経った。講義動画をYouTubeに限定公開し、概要欄からGoogle Formに飛ばしてアンケートを書いてもらうようにした。続々とアンケートが回答される。みんな、ものすごく熱心で、たくさんの質問や感想が寄せられた。質問がブレておらず、的を射ている。ということは、伝えたいことはちゃんと伝わったと言える。

当初は「動画での研修なんて意味ない」という声もあったけど、チャレンジしてみてよかった。ちゃんと届いているし、響いている。

2021年1月25日 「分かるよ! 結婚でしょ!」

小学1年生のツクル氏と映画館に行く途中、こんな話をした。

「ツクル氏、小学校のみんな、映画館とか行くのかな」
「あるよ。ポケットモンスターココを観た人がいる。あと、鬼滅の無限列車も!」
「へえ。プペルは? えんとつ町のプペル」
「いない。でも、分からない。話したことがない。いるかもしれないけど聞いたことはない。あ、スタンドバイミードラえもん2を観た人はいる」
「へえ、そうなんだ。でも、スタンドバイミードラえもん2は難しそうじゃない?」
「何で?」
「だって、のび太がしずかちゃんと結婚する話じゃん。結婚とかまだ小学生には分からないじゃん」
「分かるよ! 結婚でしょ! 結婚したら、オスがメスに精子をあげるんでしょ!!」

どういうことなんだ、小学生!! のび太としずかちゃんをオスとかメスとか呼ぶなッ!!

……というわけで、どういう会話をしているのだろうか、小学生は。などとちょっと衝撃を受けた。

2021年1月26日 ウェブ会議はくたびれる!?

最近、仕事をしていて、すごいくたびれる。「くたびれる」という表現が正しいと思う。ヘトヘトになる。年のせいかな、と思っていたが、若いメンバーもくたびれるらしい。おそらく、ウェブ会議が続いているからだ。毎日、ウェブ会議をしている。そのせいだ。

画面越しの会話は、相手の表情をよく見ていないといけない。発話のタイミングとか、相手の理解度とか、観察していないといけない。スピーカからの音声も、集中していないと聞けない。

その上、ゲストとしての参加ではなくって、大抵の場合、我々はホストまで担っている。会場で上司などが機器を使いこなせていなくてワタワタしている面倒を見なきゃいけないし、参加者の承認などのロジもある。相手の通信環境を考えたり、ハウリングしたときや雑音が入ったときのコントロールもする。

そりゃあ、くたびれる。みんなが慣れてきて、機器を使いこなせて、トラブルシューティングが出来て、ウェブ会議特有の文脈を理解できて、協力的になれば、もう少し改善させるのだろう。現時点では、とてもくたびれる。

2021年1月27日 民間企業の裁量権はどこまでか!?

マホトのチャンネルがBANされたらしい。「コミュニティガイドラインに違反」とのことだけど、YouTube上にあがっていた動画で悪いことをしていた印象はない。おそらく「児ポ法に抵触した」というYouTube活動外の犯罪でアカウントを停止した格好になるのだろう。その辺、YouTubeにどの程度の裁量権が許されるのか。難しいところだ。

トランプ氏のTwitter凍結のときも議論になっていたけれど、プラットホームサービスのアカウント停止は、ある種、そのプラットホームからの抹殺に他ならないので、与える影響が大きい。プラットホームの規模が大きく、利用者が多ければ多いほど、ひとつの社会から抹殺されるのと等しい。一民間企業の判断でどこまでやっていいのか。その辺、社会として考えなきゃいけない時期が来ているのかもしれない。

芸人のロザンが「第三者機関をつくるべし」と言っていた。民間企業に判断させるのではなく、第三者機関が「トランプはTwitterアカウント停止すべき」と判断して、Twitter社がそれに従う、という流れだ。つまり、映倫とかBPOみたいなものを想定しているのだろう。その場合、Twitter社は、その第三者機関の指示に従う。そういう義務だけが生じる。

そういうのがよいと思う。個々の民間企業が判断できる範疇を越えているような気もするし、そういう判断をする責任を一民間企業に背負わせるのも厳しいと思う。

2021年1月28日 やっぱり悪趣味だよね、と思う。

コレコレの件、少しだけ加筆する。いろいろとコレコレの是非を問うコメントがインターネット上に溢れている。みんな、いろんなことを感じたり、考えたりするのだろう。ボクは、やっぱり、彼のやったことは行き過ぎだったと思っている。

決して、マホトを擁護するものではない。被害者女性を貶める意図もない。そうではなくって、彼女が写メってマホトに送ったという写真のあれこれを詳らかに説明して配信する必要はなかった。彼女が直接、配信に電話で出演する必要もなかった。この2点だけは、どうしたってコレコレのエゴだ。

そりゃあ、確かにマホトが未成年に猥褻画像を送らせた上、バレないように脅したという簡略化されたエピソードだけでは淡泊でインパクトがない。配信としての面白さに欠く。でも、多分、テレビや新聞の報道だったらここまでで終わっただろう。週刊誌だったら、もう少し踏み込んだかもしれない。コレコレは、15歳少女がどんな写真を撮って送ったか、かなり仔細に説明し、逐次、彼女に確認していく。あまりに生々しい情報は、煽情的だし、視聴者の想像を刺激する。「コレコレとコレリスのお陰で彼女は泣き寝入りせずに警察に相談できた」という美談それ自体は悪くない。でも、果たして、ここまで踏み込んだ描写は必要なことだったのだろうか。彼女をある種、見世物にして、楽しんでいる側面は否めない。

大体、SNSで個人的に交わしているやり取りを覗き見る行為が、やっぱり露悪趣味だ。この辺が、やっぱり彼が悪趣味で、それを楽しむコレリスの悪趣味なところだ。……そんな論点で書いている人があまりいないので、ちょっとしつこいな、と感じつつもまた書いている。

2021年1月29日 ザ・一体感!!

アフリカ地域の技術者向けの遠隔研修が無事に終わった。2週間で計15本の動画教材を視聴してもらい、週1回、Zoomで繋いで質疑応答する形式の研修。今日が最後のウェビナー。最後まで参加者はやる気があったし、質問も適切だった。ちゃんと動画教材を視聴してくれている印象があった。

いつもは結構、孤独な感じで、自分が一人で頑張っている印象だったのだけれど、今日は、日本側で事前に綿密に作戦を立てて臨んだので、何だか不思議な一体感があった。諦めずに、みんなでやろうとすることは大事なのだな、と学んだ。今までは一人で何とかしようと頑張っていた。でも、上司が今回、「作戦会議をしよう」と言い出して、ちょっと任せてみようという気になった。橋渡しをしてくれたのかもしれない。他者を信じて託してみるというのも、よいものかもしれないな、と感じた次第。

2021年1月30日 ほんのちょっと歯を食いしばって頑張る。その繰り返しが365日!!

地元に新しいコーヒー屋を発見した。家からは一駅あるけれど、最近、図書館に頻繁に通っているので、その帰り道に寄れるのがよい感じ。コーヒーをドリップ、プレス、サイフォンの3種類から選んで淹れてくれる。ボクはここ最近はめっきりドリップなので、今日はドリップで注文してみた。思った以上にゆっくりと淹れるのでビックリした。そんなにゆっくり淹れたら苦くなるのでは、と思ったけれど、豆が美味しく焙煎してあったので、ちょうどよかった。帰りに豆を買って帰る。次は、同じくらいゆっくりペースでコーヒーを淹れてみようと思う。スピードを好みで自由にコントロールできるのがハリオのドリッパーのよいところだ。

 * * *

何やら、キングコングの西野さんが吉本を辞めるらしい。バタバタと発表になったので、きっと何かあったのだろう。彼は「円満退社」を強調するけれど、決して、そんなことはないのだろうな、と勝手に想像する。あまりに早い展開で、準備も追いつかないだろう。とても計画的な退社には見えない。

彼はYouTube「毎週キングコング」でも、何故かマネージャーの件になると熱くなって色々と失言が多い。ロザンの菅さんが釘を刺していたけれど、やっぱり、今回もマネージャーの問題で炎上している。それが退社の理由なのかどうかは分からない。外野が好き勝手に色々と書き立てているけれど、本当のところは分からない。でも、きっと何かあったのだろう。

オリエンタルラジオの二人が退社したときに「あっちゃんは西野さんと同じようなことをしているけれど、ドライで会社愛がない」などと揶揄されていた。一方で「西野さんは会社愛が強く、会社とは上手くやっていくタイプだ」などと評されていた。そんな記事が出たばかりなのに、この展開。本当に、芸能記者の記事なんて信用できないな、と思う。

吉本退社の件はともかく、ボクは日常茶飯事になっている西野さんとマネージャーの対立については、すごくよく分かるな、と思っている。「自分が頑張っているのだから相手ももっと頑張って然るべきだ」とは思わない。でも、自分の頑張りと比較して、全然、頑張っていないな、と感じることは間々ある。結構、ボクは努力をするタイプなので、日々、ちょっとだけ頑張る。それなのに、相手には「あなたには才能やセンスがあるからいいね」みたいな言い方をされて、イラッとすることが多い。特に最近はそういう言葉をぶつけられることが多い。社会人になって10年が経った頃から、うまく成果を上げられるようになったと言える。

毎日、ほんのちょっとだけ歯を食いしばって頑張って、それを365日続けていれば、毎日の差は小さいけれど、1年後の差は雲泥の差。そういう小さな努力の積み重ねが結果に繋がる。それを才能とかセンスで片付けられたくないし、同様にみんなももうちょっとだけ頑張れば成果が出せるのにな、と思う。だから、時々、ほんの時々だけど、おせっかいにも「もっと頑張れ!」と言いたくなる。そこで衝突が起こることは、間々ある。

2021年1月31日 攻めるあっちゃん、慌てる宮迫、そして何故だかニコニコ顔の山ちゃん!?

オリエンタルラジオ・中田敦彦と雨上がり決死隊・宮迫博之のYouTube番組「Win Win Wiiin」が本当に面白かった。手越祐也、キングコングの西野亮廣に続いて、第3段は極楽とんぼ・山本圭壱。

前半は、長い間、吉本復帰できなかった山ちゃんの復活劇について、あっちゃんが得意のプレゼンで説明する。山ちゃんのYouTubeチャンネル「けいちょんチャンネル」の変化と動向についてフォーカスする。最近、カジサックやオリラジ藤森と絡んでいる動画はハチャメチャで、めちゃイケを彷彿とさせるシーンが多かったので、確かに山ちゃん復活というプレゼンはその通りだな、と思った。

そんなこんなで山ちゃんの面白さにゲラゲラ笑っていたら、油断も隙もない。後半は、宮迫の吉本復帰に迫るプレゼン。あっちゃんは忖度なしに、ガチンコで吉本の経営陣を批判する。本来なら、彼は吉本の所属だったので、内部からの批判だった。撮影そのものは吉本に所属していたときのものらしいが、独立した今となっては、視聴者的には、かなり、ヒリヒリする感覚になると思う。その辺のギリギリのプレゼンと、それを受け止める宮迫のマジな顔が、結構、スリリングで面白い。

これは、吉本の経営陣的にはどういう風に映っているのか。宮迫復帰を先延ばしにすればするほど、中田敦彦に攻め立てられる。そういう腹積もりなのだろうか。どちらが先に陥落するのか。そんなドラマを見せつけようとしているような、そんな気迫をあっちゃんに感じた。……宮迫にとって、この作戦は吉と出るのか凶と出るのか。